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鬼蜘蛛おばさんの疑問箱

2019年11月22日

消費税は大企業と富裕層の優遇目的に導入されたのか?

 ツイッターでは消費税が法人税減税と所得税減税の穴埋めのために導入された、即ち大企業と富裕層の優遇のために使われた、ゆえに社会保障などには使われていないという主張がかなり見受けられる。

 法人税や所得税の減税は以前からのことだが、今頃になってこのような穴埋め論を主張して消費税廃止を叫ぶ人が増えたのは、「れいわ新選組」の山本太郎氏が街宣で声高にこのような主張を始めたことが大きく関わっている。さらに、日本共産党の志位委員長まで穴埋め論を主張しているので、これを信じている人は少なからずいる。

 では、本当に消費税は大企業や富裕層の優遇のために導入されたのだろうか? 日本の複雑な税制について分かりやすく解説している三木義一著「日本の税金 第3版」(岩波新書)から、関連部分を引用して検証してみたい。

 まず、三木氏は本書の序章(7ページ)で以下のように記している。

 戦後日本の税制改正は、自然増収を背景に、消費税騒動を除いては、基本的に減税の歴史であった。さらに、バブルがはじけたあとも、政権党は政権を維持するために減税を続行してきた。減税を維持するために国債を乱発し、未来の税収が先食いされてきた。そのため、市民が愛想を尽かして政権交代させたときには、新政権には新政策に使う資金が枯渇していた。政権交代の意義を失わせる財政状態になっていたのである。
 政治家も減税を主張するのが正義であるかのように振る舞った。本来、「減税」を要求するのは富裕層で、国に自分の財産は出さない、その代わり、国は何もしなくていい、という発想のはずである。これに対して、一般市民は増税による公的資金の確保で社会保障の充実を願うはずなのに、減税が正義の味方の主張としてまかり通ってきた。
 もちろん、これまでの増税論の多くが、高所得者の適正な負担を求めるものではなく、中低所得者層の負担増を意図したものであったことも影響していたが、こうした税制改革の結果、日本の税制はかなりやせ細っている。日本は、税の負担率は低く、公務員の人口比率も低い、小さな政府になっている。

 高度成長期は減税しても何とかなっていたが、バブルがはじけた後も自民党政権は国民の支持を得ることを目的に減税を続けてきたことをまず認識する必要がある。もちろん減税はこそこそと秘密裡に行われたわけではない。税負担を嫌う国民が減税政策を支持してきたということを多くの人が忘れてしまっている(あるいは知らない)のではなかろうか。要は、国民自身が「減税」という甘言に誘惑され「小さな政府」を支持してきたのだ。

 しかし、減税をすれば当然社会保障費は足りなくなるので国債を増やさざるを得ない。政権維持のために減税をして不足を賄うために国債を乱発した結果、日本の借金はダントツ世界一に膨れ上がった。その責任はもちろん政権政党にあるが、国民も増税を忌避して減税政策に乗ってしまったことは否めない。

 消費税が社会保障には使われていないという主張がある。しかし社会保障費を国債で賄ってきた以上、その返済に消費税を充てたからといって文句を言う筋合いではないと思うし、社会保障には使われていないという主張も正確ではない。

 民主党政権は公約を破って消費税増税に賛成したと盛んに批判されるが、三木氏の指摘するように民主党に政権交代したときには自民党の減税政策のために財源が枯渇し、借金の山になっていた。消費税増税という判断は、社会保障費の確保や財政の健全化のためにやむを得ない選択だったと言えるだろう。

 また、法人税の減税は日本に限ったことではなく世界的な流れだ。三木氏によると、法人税引き下げ競争の仕掛け人はアイルランドで、1988年には47%に達していた法人税率を12.5%にまで引き下げたとのこと。これによってグローバル企業がアイルランドに投資を始め、欧米各国が減税競争に引き込まれた。法人税についてはグローバルな視点でとらえる必要があり、国際的な競争を考えるなら日本だけが減税をしないということにもならない。

 とは言うものの、日本の法人は100の所得のうち課税対象になるのは31.9%で、世界的に見ると低い数値であり(アメリカ49.3%、イギリス63.4%、ドイツ48.9%、フランス47%)まだ増税の余地はあると言えるだろう。

 法人税減税は財界の望むところではあるにせよ、単に大企業を優遇するという目的だけで減税がなされてきたわけではない。

 では、消費税は所得税や法人税の穴埋めのために導入されたのだろうか? 消費税が導入された理由は、以下の3点だ。

1.税制全体の公平性の確保
2.個別間接税の問題点の解決
3.高齢化社会への対応

1は、いわゆるクロヨンと言われる所得税の把握率の問題だ。給与所得は源泉徴収によって9割は把握されているのに対し、事業所得は6割、農業所得は4割という把握率であり、納税者に不公平感があったため、格差を是正するために消費税が必要だとされた。

2は、消費税導入前には間接税として贅沢品に課税する物品税があったが、贅沢品とすべき物品の判断が困難になってきたことから、物品税を廃止して消費税にするということ。

3は、少子高齢化による社会保障の増大に充てるということ。

 ただし、1のクロヨン問題については消費税導入後にこの格差が縮まったというデータはないようだ。結局、消費税導入の最大の理由は3の少子高齢化への対応ということになると思う。少子高齢化により労働者人口が減る半面、高齢者が増えて年金や医療、介護などの費用が増加することは以前から分かっていたが、国債だけに頼りつづけると借金返済で財政が火の車になることは目に見えている。極端な少子高齢化への対応として消費税導入はやむを得ない選択だったと言えるのではなかろうか。

 消費税廃止派の人たちは、法人税や所得税を増税すればいいと言う。そのこと自体は私も賛同する。ただし、法人税を支払っている大企業はごくわずかであり、増税したところで大きな税収増は見込めないだろうし、あまり税率を高くすれば国外に逃れてしまうという事情もある。

 また所得税の累進的課税をすればいいという主張もあるが、富裕層は多くはない。所得税の累進化を強めることで消費税分を賄うというのは以下の記事で指摘されているように現実的ではない。

所得税の累進課税強化では財源確保できない(東洋経済)

 所得税の累進制を強化したり法人税を上げたとしても、消費税分を賄うことは無理だろう。もちろん米国の武器を爆買いなどの無駄の削減も必要だが、それだけでは十分な財源確保はできない。一方で社会保障費は右肩上がりに増え続けている。財政赤字も将来的には減らしていく必要もある。消費税をなくしてしまったらいったいどうやって財源を確保するのだろう?

 財源確保のための財源がどうしても消費税でなければならないとは言わないが、消費税が安定的な財源で大きな税収をもたらすことは間違いない。給付付き税額控除を取り入れることで消費税の逆進性の問題はほぼ解決できるし、消費税に限らず低所得者の税負担軽減効果が大きくなる。詳細については本書に譲りたい。

 所得税減税や法人税減税、そして消費税導入の経緯を振り返れば、決して「大企業と富裕層を優遇するための政府の謀略」などという陰謀論じみた話ではないことが分かると思うし、国民自身が減税を支持してきたという事実を忘れてはならない。

 いずれにしても国会議員や政党党首は単に消費税の賛否を主張するだけではなく、日本の税制についてしっかり学ぶ必要があるし、私たち国民も税金への理解を深める努力をしなければ、自分で自分の首を絞めることになると思う。少なくとも「減税」というのは「小さな政府=自己責任」の考え方であることを肝に銘じてほしい。
  
タグ :消費税


Posted by 松田まゆみ at 11:19Comments(0)政治・社会

2019年10月09日

野党共闘では消費税は棚上げに

 れいわ新選組の山本太郎氏が、野党共闘の条件として消費税5%への減税を頑なに主張し続けている。他の野党が消費税5%を呑まなければ独自の闘いを進めるというようなことも言っているようだ。

 安倍政権の勢いは衰えず、今も支持率は50%近くある。しかも衆院選は小選挙区制なのでひとつの選挙区で当選できるのは1人だけだ。こうした状況の中で政権交代を目指すのなら野党が選挙協力をして候補者を1人に絞るしかない。もちろん、それでも政権交代は相当厳しいだろう。選挙協力しなければ政権交代など到底できないことは、山本太郎氏だって百も承知のはずだ。

 今の状況で、ほとんど独裁といえる安倍政権を退陣させるためには、野党(維新とN国を除く)が共闘して衆院選で過半数の議席を得、連立政権で政権運営をしていくしか道はない。

 では、選挙協力とか共闘というのはどういうことなのか? 連立政権を成功させるにはどうしたらいいのか?

 方針や政策が異なるから複数の政党が存在する。それらの政党が違いを乗り越えて協力関係を築かない限り選挙協力とかとか連立政権は成り立たない。共闘や連立政権のためには絶対に「協力」あるいは「折り合いをつける」という考え方が必要だ。話し合いの中で自党の主張をするのはいいが、そこで意見を戦わせるのではなく、お互いに他党の考えを聞いて理解する努力をした上で一致点や妥協点を探る、という思考ができなければ共闘などできない。仮に、政権交代を果たし連立政権で政権運営をすることになったとしても、こういう思考ができなければ内部で意見が対立し政権運営自体がうまくいかないだろう。

 先の参院選では立憲民主党、国民民主党、日本共産党、社会民主党、社会保障を立て直す国民会議の5野党・会派と「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」が13項目の共通政策に合意をし、野党と市民が協力して選挙戦を闘った。政党だけではなく市民が協力して野党共闘を実現した。その合意事項はこちらを参照していただきたい。

 9月12日、共産党の志位委員長とれいわ新選組の山本代表の党首会談が行われ、野党連合政権をつくるために協力すること、並びに野党と市民連合による13項目の政策合意を土台にするという確認がなされた。つまり、山本氏は上記の13項目を土台にすることを認めた上で、野党連合政権への参加の意思を示したということになる。

 13項目の合意事項の中で、消費税に関しての合意は「2019年10月に予定されている消費税率引き上げを中止し、所得、資産、法人の各分野における総合的な税制の公平化を図ること。」である。

 しかし、参院選ではこの野党の意見は支持されず10月に10%への増税が実施された。次の選挙ではこれを踏まえ、再び話し合いによって合意内容の修正をしなければならない。ところが、これに関して、山本氏は話し合いをする前から「5%で合意できなければ共闘に参加しない」と主張しているのだ。先の共産党との合意を反故にしたといってもいいような発言だ。

 消費税に関しては各党で意見の違いが大きい。共産党とれ新は廃止を求めているが、立民は減税には慎重な姿勢をとっている。民主党政権では事業仕分けで不要な支出を抑えたものの税収が足りず消費税増税へと舵を切らなければならなくなったのだから、減税に慎重になるのは当然のことだ。第三者が見ても、消費税の税率で妥協点を見出すのは困難としか思えない。

 しかし、税制に関して言うならどの党も法人税や富裕層への累進的課税の必要性は認めているのだから、消費税率に関しては棚上げし、たとえば「法人性や富裕層への累進課税を進め、税のベストミックスによって社会保障の充実を図る」というような内容なら、反対する政党はないように思う(れ新とていきなり消費税を廃止しろと言っているわけではなくまずは5%への減税だと言っているのだから、消費税を含めたベストミックスを否定することにはならないだろう)。その上で、消費税に関しては各党がそれぞれの考え方を主張していけばいいと思う。

 消費税に関し、自分の選挙区の野党候補者と意見が異なっていた場合は比例区で自分と一致する主張をしている政党や候補者に投票し、選挙区では野党統一候補に入れる、ということにすれば大きな混乱は生じない。野党が選挙協力し選挙区で統一候補を立てるということは、自分が支持しない野党候補者に入れざるを得ない場合もあり得るということだ。これに文句を言っていたら共闘などそもそもできない。

 こうした妥協ができないという人には野党共闘は無理であり、独自に闘うしかない。もちろん独自に闘い小選挙区に刺客を立てるということなら共闘とは正反対の行動をとるということであり、結果的に与党に与することになる。

 政策の異なる政党同士が選挙で共闘するということは、一致できる政策に焦点を絞り、一致できない政策は共闘に持ち込まないというのが基本だ。もちろんその後の政権運営についても同じで、例えば共産党が共産主義を目指す政党であるからといってそれを政権運営に持ち込んでしまったら連立政権がうまく機能しないのは目に見えている。そこは引っ込めなければならないし、実際に共産党も持ち込むことはしないだろう。

 5%にこだわり続けている山本太郎氏は、残念ながら「協力する」とか「折り合いをつける」「異なる考えを尊重する」といった思考をしない人のように思える。自分が主導権を握り他者を自分に従わせなければ気が済まない性格なら、たとえ政権交代をして野党の連立政権が誕生したとしても、他党と協力して政権運営をすることは難しいし、政党のリーダーとしても相応しくない。

 山本氏の主張をそのまま鵜呑みにし「消費税は悪税」「消費税が景気後退を招いている」と信じ込んでいる人たちは、山本氏の姿勢に何ら疑問を抱かない人が多いようだ。そのような人たちも、やはり「協力」とか「異なる考えを尊重する」という思考ができない人たちなのかもしれない。結局それは自己責任の新自由主義の考え方と重なるのだけれど。

 山本氏が野党統一候補に刺客を立てるという選択をしたなら誰もそれを止めることはできないが、結果的に与党に与する彼を支持者はどう見るのだろうか。
  


Posted by 松田まゆみ at 10:04Comments(0)政治・社会

2019年09月23日

山本太郎氏への疑問

 山本太郎氏が4月にれいわ新選組(以下、れ新と略す)を立ち上げてから、私はずっと彼に対して釈然としない気持ち悪さを抱いてきた。そして彼はメサイアコンプレックスではないかという疑問が日に日に強まってきた。

 メサイアコンプレックス(以下メサコンと略す)については以前も記事にしたが、ここで書いた事例はあくまでもごく一般の人のことでありいわゆる広義のメサコンのことだ。このような一般の人に関しては、日常生活において距離をおくことでトラブルを回避することができる。

 これに対し、狭義のメサコンというのは、個人が救世主(メサイア)になることを運命づけられているという信念を抱く心理状態のことを指す。そのために他者を助ける行動をするのだが、それは優しさや思いやりからの行動ではなく、自分を満たすためという隠れた目的がある。人を助けることによって自分の価値を見出し、自分を満たそうとするのだ。メサコンの人助けは偽善といっていい。以下参照。

偽善者の心理「メサイアコンプレックス」って知ってる?

 れ新の代表である山本太郎氏はこの狭義のメサコンではないかと私は疑っている。私は精神科医ではないので彼がメサコンだと断定することはできない。しかし、彼の言動には、メサコンを感じさせるものが多数ある。山本太郎氏は自分のことを疑ってくれと言っているが、その言葉どおり私は彼について大いに疑っている。ここでは、私が山本太郎氏をメサコンだと疑う理由とその問題点について指摘しておきたい。

 今は消えてしまったようだが、れ新がホームページを立ち上げた当時、「あなたを幸せにしたいんだ!」とか「本物の好景気を見せてやる」といったキャッチコピーが大きく掲載されていた。前者はれ新の政策が実現できればあなたを幸せにできる、と謳っているのだろう。後者もれ新の財政政策を実現できれば本物の好景気が訪れみんなを幸福にできるという主張のように読み取れる。つまり、自分が政権をとれば困っている人を救済して幸せにできるのだと言っているに等しい。まさに救世主の思考そのものだ。

 そもそも「幸せ」というのは他人が与えるものではないし、まして政治家が国民に与えるものでもない。幸福感とは個人個人の生き方、物事の捉え方の問題であり、金銭的に恵まれていても幸福感を持てない人がいる一方で、貧しくても幸福な人もいる。それが分かっている人なら「あなたを幸せにしたいんだ」などというセリフは決して出てこないだろう。「あなたのために」というのはメサコンの特徴だ。

 れ新の政策の一つに奨学金チャラというのがあるが、彼は街頭演説で奨学金を借りている若者たちに「ごめんね」と謝っている。若者が多額の奨学金を借りて返済に苦労しているのは事実であっても、それは山本氏の責任ではないのだから彼が謝るのはおかしな話だ。しかし、こうやって謝り奨学金チャラを訴えることは、今は自分の力が足りないから苦しい思いをさせているけれど自分が政権をとったら奨学金をチャラにして助けてあげる、と言っているに等しい。これも救世主願望からくる発言に思える。

 れ新のホームページに掲載されている政策を見ると、経済的弱者救済のためのバラマキ政策が上位に掲げられている。ページの頭には「れいわ新選組は、ロスジェネを含む、全ての人々の暮らしを底上げします!」と書かれており、ここでも人々の救済を目玉にしている。

 そしてその政策を実現するのが「薔薇マークキャンペーン」と同じ発想のバラマキ政策だ。山本氏は薔薇マークキャンペーンの代表である松尾匡氏の「この経済政策が民主主義を救う」を読んで感銘し松尾氏に弟子入りを志願したそうだが、松尾氏の理論なら彼が望む「全ての人の暮らしを底上げ」する救済政策が可能だ。だからこそ、これに飛びついたように私には思えてならない。つまり、他の専門家の意見を聞くなどして松尾氏の経済政策を吟味することなく、救世主になるという目的を叶えられる理論に熱中し傾倒してしまったように見える。

 れ新は7月の参院選で重度の難病と障害者のお二人を特定枠を利用して当選させた。難病や障害者の方が国会議員になること自体は否定しない。しかし、彼の場合は自分が落選してもこのような方たちを優先的に国会に送ることで自分が称賛され評価されることまで計算していたのではないかと思えてならない。承認欲求の強いメサコンは、自分が称賛されることで欲求が満たされるので、評価されるための行動をとる。実際、こうしたやり方は注目を浴び、彼を持ち上げた人は多い。

 彼がメサコンではないかと思う理由は他にもある。彼は野党共闘の条件として「消費税5%」を掲げている。先日、日本共産党の志位氏とれ新の山本氏が野党連合政権について合意を交わした。そこでの合意事項は以下である(れ新のホームページより)。

一、野党連合政権をつくるために協力する。
野党と「市民連合」との13項目の政策合意を土台とする。
一、安倍政権が進めようとしている9条改憲に反対する。
一、消費税については以下の点で協力していく。
1、消費税10%増税の中止を最後まで求める。
2、消費税廃止を目標とする。
3、廃止にむかう道筋、財源などについて協議していく。
4、消費税問題での野党共闘の発展のために努力する。

 この合意事項を読む限り、「消費税については野党と市民連合の8%で凍結(10%阻止)を土台とした上で、野党連合政権のために協力する」、ということで合意したと理解できる。つまり10%になる前の段階ではそれを阻止するために協力するが、10%に増税された後のことは決まっていないので、野党共闘を目標に話し合いで一致点を見出す努力をするということだ。

 ところが、彼は野党で共闘の話し合いをする前に「野党が塊になり、消費税を5%に下げることで一緒に戦えるなら、れいわ新選組は捨て石にもなるつもりだ。ただ、これは他の野党の考えもあることで、かなうかはわからない。そうならない場合は単独でやるしかなく、仁義なき戦いが繰り広げられる。」と言い出して合意を反故にしたのだ。(「消費税5%で野党共闘なら捨て石にも」山本太郎氏

 公党同士の約束を簡単に破り、自分勝手な条件を掲げて、他の野党がそれに従わなければ対抗馬を立てると言っているのだ。地道な合意形成のための努力をしようとせず競争的・闘争的な性格であることがよく分かるが、こうした自己中心性もメサコンの特徴だ。共産党は、消費税減税・廃止のために利用されたといっても過言ではない。メサコンの人は自分の目的や利益のために他者を利用する。さらに、独自路線をとりたがる姿勢には、自分の支持者や所属議員を増やして単独政権をとりたいという野望が見え隠れする。一刻も早く権力を握って救世主になりたいという願望が強いことの表れではなかろうか。

 過干渉の親など、メサコンの人は多い。また、単なる一議員であるならそれほど問題は生じないかもしれない。しかし、狭義のメサコンの人が権力を握ったら私はかなり危機的なことになるのではないかと危惧している。

 なぜなら、メサコンは救世主妄想だからだ。妄想というのは訂正のきかない思い込みのことを言うが、自分が救世主になるなどということ自体が妄想そのものだ。ところが本人は正義だと思い込んでいるゆえに他人の助言など聞く耳を持たない。よく考えれば分かるはずだが、れ新の掲げる政策は政権をとったらすぐに実行できるようなものではなく、もし「すぐに実現できる」と思っているのならそれも妄想だろう。妄想で自分勝手な政治などされたらたまったものではない。彼は総理大臣を目指しているようだが、野党第一党でもない弱小政党の党首がそんなことを平然と言ってのけることも妄想状態にあるからではなかろうか。

 メサコンは自己中心的で他者を支配したがる傲慢な性格なので、もし政権をとるようなことになれば独裁政権になる可能性が高い。そして、「国民のため」「弱者のため」といって自分の主張や政策を押し付けようとする。他者を利用することばかり考えているのでトラブルを起こし、まわりの人を巻き込んでいく。競争的・闘争的なのでトラブルが生じても民主的な解決をしようとしない。リーダーとしての資質に欠けるというより、リーダーにしてはいけないタイプだと思う。

 私はれ新という政党自体がかなり独裁体制になるのではないかと思っている。現に、れ新はホームページに規約や綱領を掲げておらず、代表や役員の選出方法や任期など全く分からない。民主的な政党であれば、政党を立ち上げたら速やかに規約や綱領を作成し公表するのではないかと思う。しかし山本氏は規約を公表することもなく全国行脚に出かけてしまった。来る衆院選に向けて、支持者を増やし候補者を探したいという欲望が見え見えだ。

 ちなみに、以下によると、ヒトラーはメサコンであったという分析もあるそうだ。

第二次世界大戦中のヒトラーの精神分析に関する機密文書が発見された

 ヒトラーが被害妄想によってメサコンに陥り、ユダヤ人こそ悪だと考えて大虐殺を実行したというのは、あり得なくはないと思う。もちろん山本氏がヒトラーのようになるなどと言うつもりはないが、政権を握れば独裁的にはなるだろう。

 このように、彼がメサコンだと仮定すれば、今までの彼の言動はすべて納得がいく。山本氏をカリスマなどと持ち上げる人がいるが、私から見たらカリスマなどではなく、肥大した救世主妄想としか思えない。彼がメサコンであるのなら、彼を支持したり評価することは彼の優越感を満たすことになり、彼に利用されていることになる。彼にとっては思う壺ということだ。

 弱者を救うことを強調した演説に感動して支持し応援したものの、その人物が偽善者であれば騙されて大変な目にあうのは私たち国民である。とりわけ財政政策に失敗したなら財政破綻という最悪の事態にもなりかねない。まあ、彼の総理大臣願望は妄想だろうし実現することはないと思うが、野党がかき回され与党を利することになりかねないのは大きな懸念だ。

 私の疑いが当たっているかどうかは分からない。しかし、「世のため人のため」と言う人の中には救世主妄想を持っている人が存在すること、そしてそのような人物を権力者にしてはいけないことは頭に入れておくべきだと思う。
  


Posted by 松田まゆみ at 14:20Comments(11)政治・社会

2019年09月05日

山小屋弁護士

 テレビを見なくなって久しいが、7月にテレビ朝日で放映された市川守弘弁護士のドキュメンタリー「山小屋弁護士」がネットでも視聴できる。昨年末に札幌から占冠村トマムに事務所を移転し、事務所近くの山小屋で暮らしている。
https://abema.tv/video/episode/89-78_s10_p36

 こちらは「山小屋弁護士」の内容を文字でまとめたもの。時間がない方はこちらだけでも是非。
https://abematimes.com/posts/7015530

 北海道在住の市川守弘弁護士は、多くの自然保護訴訟のほかアイヌ問題や警察問題まで取り組んでいる弁護士だ。自然保護といっても北海道だけではなく沖縄も含め全国各地で訴訟を起こして闘っている。ドキュメンタリーではやんばるの森林伐採が取り上げられているが、その酷い自然破壊の様子がありありと実感できる。しかも市川弁護士が手掛けている自然保護訴訟のほとんどが弁護士費用なしの手弁当なのだから、その生き方は半端ではない。

 自然保護に関わる訴訟の多くが行政相手だ。自然破壊の道路建設に反対したり、森林伐採の違法性を追求したり。日本では自然保護に関わる訴訟での勝訴はとても難しいが、たとえ勝訴したところで一円のお金にもならない。自然を守ることが目的だからお金とは無縁の裁判だし、持ち出しの一方だ。しかも、自然保護の訴訟には現場での調査が欠かせない。市民らと協力して現地に足を運び、調査によってその地域の自然の希少性を訴えたり、違法性の立証をしたり。熱意がなければとてもできない仕事だ。

 自然保護の訴訟では裁判長を現地に引っ張り出すことも。士幌町と然別湖をむすぶ士幌高原道路を阻止するための「ナキウサギ裁判」では、小雪が舞い強風が吹きすさぶ中、建設予定地の白雲山に裁判長や原告、支援者らが一緒に登って現地で説明をした。「えりもの森裁判」でも皆伐現場を裁判長に見てもらった。

 自然保護のための活動は訴訟だけではない。はるばる札幌から現場に調査に通い、自然保護のための活動に取り組んできた。私も大規模林道問題や森林伐採問題などでは市川弁護士ご夫妻と何度も現地調査に参加し、訴訟でも大変お世話になっている。このドキュメンタリーで紹介されているのはそのほんの一部にすぎないが、市川弁護士の生き方や姿勢がよく伝わってくる。

 お金のためにスラップ訴訟を引き受ける弁護士がいる一方で、権力に媚びず市民に寄り添う弁護士もいることを多くの人に知ってもらいたいと思う。
  
タグ :市川守弘


Posted by 松田まゆみ at 16:47Comments(0)自然保護

2019年08月18日

消費税減税・廃止論への疑問

 今年の4月に山本太郎氏が「れいわ新選組」(そもそこの名称自体を書いたり言葉にすること自体に抵抗があるので、以下「れ新」とする)を立ち上げて以降、ツイッターのタイムラインには彼の主張に賛同して消費税減税・廃止を主張する意見が溢れるようになった。れ新は公的住宅の拡充、奨学金チャラ、最低賃金1500円、公務員の増加、コンクリート型公共事業の推進などMMTを基にしたバラマキ政策を掲げているが、中でも目玉として譲れない政策は消費税減税・廃止ということのようだ。

 彼が消費税減税・廃止論を主張する理由を箇条書きにしてみよう。

1消費税が増税される一方で法人税や所得税が減税されてきた。つまり消費税は法人税・所得税減税の穴埋めに使われただけだから不要。

2消費税は社会保障のために使われるとのことだったが、増税分のうち社会保障に使われているのは20%弱で、それ以外は借金返済に充てられた。社会保障のために使うというのは嘘だった。

3消費税は逆進性のために低所得者の負担が大きい。税金は持てるものから取るべき。

4消費税を廃止することによって国民の消費が増大し景気がよくなる。

 以上のような理由により、所得税は悪税であり廃止するべきだというのが山本氏の主張だと私は理解している。しかし、これらの主張は本当に正しいのだろうか? そして消費税増税こそが今困っている低所得者への最も適切な対策なのだろうか? 以下が私の見解だ。

1について
 消費税が導入され増税される一方で法人税や所得税が減税されてきたという事実はある。しかし、それならまずやるべきことは法人税や所得税の増税だ。これについては共産党や立憲民主党も同様の主張をしているし、山本氏も法人税や所得税の累進制を主張している。ただし、例えば所得税の累進強化では消費税代替財源としては全く足りないという見解もある。以下参照。

所得税の累進課税強化では財源確保できない

 また、青山雅幸氏の試算でも、所得税の増税効果は2兆円、法人税は4兆円(30%→40%)で合計で6兆円の増税効果しかないとしている。法人税の税率をもっと上げることもできるだろうが、あまり上げると海外に資産を移してしまうだけではなく、価格に転嫁したり人件費の削減も招きかねない。単純に税額を上げればいいというわけではない。

「消費税は悪」の洗脳から離れ、未熟な民主政治を脱しよう。

 仮に消費税を全廃してしまうと今の消費税分17.5兆の税収がなくなることになる。所得税と法人税の累進制を強化したとしても、これだけで消費税廃止分を賄えるとはとても思えない。山本太郎事務所は独自に試算して賄えるとしているようだが、その計算根拠もはっきりしない。仮に賄えたとしても社会保障費は現状維持に留まりさらなる拡充は望めない。現状で困っている人が沢山いるのだから、現状維持では弱者救済にはならない。

2について
 消費税増税分のうち社会保障に充てられているのは20%弱という指摘は、それ自体が意味がない。一般会計の財布は一つでありお金に色がついていないのだから、消費税収の内訳を質すこと自体がそもそも無意味なのだ。同じように、法人税が何に使われたなどというのも無意味。2018年度の場合、消費税収は17.5兆円で社会保障費は33兆円なのだから、消費税分がすべて社会保障に使われたと言う見方もできる。

 また、座間宮ガレイ氏がツイッターの連ツイで以下のような指摘をしている。

https://twitter.com/zamamiyagarei/status/1158685522660753408

 消費税は社会保障制度の拡充と安定化のために使われると決められており、20%弱というのは拡充分、残りの8割は安定化に使われているという指摘だ。これまで借金で賄ってきた社会保障費を消費税で返済することで安定化に充てられているというわけだ。山本氏は社会保障に使われていないから詐欺だと主張しているが、そんなことはない。

 もちろん「社会保障制度の拡充と安定化」という国の説明自体が誤魔化しだという意見もあるし、そういう見方もできるかもしれない。しかしお金に色がついておらず消費税が何に使われたなどという議論自体が意味をなさないのだから、それとこれは分けて考える必要がある。もし消費税を全額社会保障に充てることを確約させたいのなら、社会保障費は特別会計にでもするしかないだろう。ただし、前述したように消費税収より社会保障費の方がはるかに多いのだから、消費税をさらに上げるか、別の財源ももってこなければならない。

3について
 消費税は低所得者ほど負担が大きくなるという指摘だ。この指摘は間違ってはいない。しかし、給付付き税額控除など逆進性の対策は可能だ。10月に予定されている8%から10%への増税では食品に軽減税率を適用するとのことだが、軽減税率も欠点が指摘されている。給付付き税額控除のような逆進性対策をとれば低所得者への負担を軽減した上で消費税収を社会保障のために利用することができる。しかし、なぜか山本氏はこうした逆進性対策については言及しないようだ。

消費増税の逆進性対策には給付付き税額控除を! 

4について
 消費税を増税すると消費が減ってしまうというのは確かにそうだろう。5%から8%に増税した際にも消費の冷え込みはあった。しかし、それは一時的なものでしかない。アベノミクスによって実質賃金が低下したのは円安で物価が上昇したにも関わらず賃金が上がらなかったことが大きい。そのことを何ら指摘せずに、増税による消費の冷え込みだけを主張するのは片手落ちだろう。

 資本主義は成熟期となりかつてのような高度経済成長などはとても見込めない。戦後の高度経済成長は安い化石燃料と人口増によってもたらされた。化石燃料の生産量は減っていくしかなく価格も高騰していくだろう。資源が限られている以上、生産性もそうそう高められないし今後は人口も減る。そんな社会でさらなる経済成長を望むのは無謀というほかない。

 今後は多少の経済成長はあり得ても、大きな経済成長などはじめから期待してはならないと思うし、そう遠くない将来にはほぼ定常状態になるかもしれない。消費税廃止によって消費が増えることは一時的にはあり得るが、ずっと続くなどということにはならないだろう。人は物質的にある程度満ち足りてしまえば、消費はおのずと減っていく。

 地球上の資源は有限であり、耕作面積も有限であり、住むことができる人の数も限界がある。地球温暖化による脅威も年々増すばかりだ。持続可能な社会と経済成長は共存できない。そして持続可能な社会を選ばない限り人類に未来はない。経済成長にこだわり続けることは、人が自ら首を絞めるようなものだ。

 れ新は人口問題についてほとんど触れていないがこれは大きな疑問だ。日本は先進国の中では一番先に著しい少子高齢化に向かっている。高齢者が増えて社会保障がかさむ一方で、労働人口は減っていくのだ。現実に社会保障費は増え続けている。社会保障費の推移のグラフを見ればこれから社会保障費が増え続けるのは一目瞭然だ。

社会保障について(財務省)

 年金も医療費も保険料収入だけでは足りなくて税金でカバーしているが、かといって国民年金や健康保険の納付額を上げてしまえば低所得者はさらに苦しくなるから安易にそれはできない。社会保障費が増え続ける中で消費税をなくしてしまったら、いったいどうやって社会保障を維持・拡充していくのだろう。

 こういうとMMTを基にした財政論を主張する人が出てくる。財源は国債で賄えばよいというわけだ。しかし、MMTではインフレになる懸念がありその場合は財政出動を止めることになる。れ新は新規国債発行を止めた場合は法人税や富裕層への課税強化で賄うと言うが、前述の通りそれらを消費税廃止の財源に充ててしまえば財源がなくなってしまう。バラマキ政策を一気に中止したなら、恩恵に預かった人たちとそうではない人たちが対立し大混乱になるのではなかろうか。他にもMMTには様々な疑問が投げかけられている。

 そして多くの人が語らないのだが、消費税には「横の配分」すなわち「分かち合い」とか「支え合い」という大事な役割がある。格差社会においては「持てる者」から「持たざる者」へという縦の再配分が大事であることは言うまでもない。しかし、再配分とはそのような縦の配分だけではない。例えば国民皆保険(国民健康保険)について考えてみよう。納付額は収入によって異なるものの皆が納付するシステムだ。所得に関わらず、健康でほとんど医療機関にかからない人は医療費よりも納付する額の方が多くなる。それに対し頻繁に医療機関にかかる人は逆のことが言える。このように私たちは所得に関わらず皆が納めて必要な人に配分することで助け合いをしているのだ。

 もともと人類は共同体をつくって支え合って生きてきた生物だ。私たちが平等な社会で平和に暮らしていくためにはこのような支え合いは欠かせない。現代の社会は共同体での支え合いが希薄になった分、社会保障や公共サービスの充実によって支え合っている。消費税は「皆でお金を出し合い必要な人に配分する」という横の支え合いに大きく貢献するし、このような「助け合い」は私たち人類の生き方に合致する。また、支え合いというのは共同体のメンバーに仲間意識と信頼があるからこそ成り立つ。もし縦の配分だけに頼れば、私たちは格差や競争を是認することになるだろうし、それでは人々が互いを仲間として信頼し協力し合うという発想が育たず、不満や不信感が蔓延するギスギスとした社会になるだろう。

 低負担高福祉などということはあり得ない。北欧のように高負担高福祉の社会を選ぶのか、それとも自己責任社会の米国のように低負担低福祉を選ぶのか。れ新にかぎったことではないが、野党各党はこの方向性をより明確にする必要があると思う。少なくとも前者のような国は幸福度が高いことが知られている。社会保障制度で支え合い信頼される社会は精神的にも肉体的にも負担が少なく生きやすい社会と言えそうだし、私もそのような社会を選択すべきだと思っている。

 山本氏は今困っている低所得者のために消費税減税・廃止こそ必要だと主張する。しかし彼の主張をひとつひとつ検討してみれば、逆進性に関しては給付付き税額控除などで対処できるし、減税・廃止によって社会保障がさらに低下する可能性はかなり高いと思わざるを得ない。しかも、彼は野党共闘の条件として消費税5%への減税を主張しており、減税にこだわることが野党共闘の足かせになっている。なぜここまでこだわるのか理解に苦しむ。

 私は、彼が新党を立ち上げるにあたり消費税減税・廃止を旗印にしてしまったこと自体が誤りだったのではないかと思っている。つまり「はじめに消費税減税・廃止ありき」で新党を立ち上げてしまったゆえに、消費税が悪税だと印象づける必要が生じてしまったのだろう。しかし、冷静に考えてみれば決して悪税だと決めつけることはできないし、増え続ける社会保障費を考えるなら消費税は大きな財源だ。どんな税でも利点と欠点があるのだから、欠点を改善しながらベストな組み合わせになるようにしていくしかない。消費税減税・廃止にこだわり消費税そのものを悪者にしてしまったことが、今後のこの党の行方を大きく左右することになるのではないかと懸念している。

 政権交代をするためには小選挙区制の衆院選で野党が共闘するしかない。れ新が消費税減税に執着して野党共闘に乗らず選挙区で独自候補を立てたなら、まず政権交代はあり得ないし、支持者の一部は離れていくだろう。

 私たちの税金が武器の爆買いや辺野古の埋め立てなどに使われていると思うともちろん腹が立つが、その一方で社会保障にも使われていることは間違いない。私は、消費税減税や廃止で社会保障が低下してしまうより、給付付き税額控除などの低所得者対策をした上で消費税を維持し社会保障を充実させたほうがずっといいと思っている。

 消費税減税・廃止論について、私たちは一人の政党代表の主張を鵜呑みにすることなく、冷静に検証して判断しなければならないと思う。

【関連記事】
消費税減税・廃止は新自由主義と親和的

  


Posted by 松田まゆみ at 16:18Comments(0)政治・社会

2019年08月15日

敗戦の日に

 また敗戦の日が巡ってきた。戦争を体験した人たちが年々少なくなり、あの大惨事は忘れられつつある。私と同世代の安倍首相は、平和憲法改悪が悲願のようだ。何ということなのかと言葉もない。

 私の両親は太平洋戦争のときに青春時代を過ごした。「灰色の青春時代」としか言わなかったが、口には出したくないさまざまな思いがあったに違いない。その父の遺稿集「山の挽歌」から、戦死した友人と思い出を綴った「山旗雲」という随筆をここに再録しておきたい。

********************


山旗雲

 悪魔の黒い爪が槍沢のモレインに伸びる。すでに眼下の谷は黒い影に覆いつくされ、その中に岳樺の梢がささら箒(ほうき)のように浮いていた。
 だが、東鎌はあかあかと輝いている。圏谷(カール)の奥の槍が純白のガウンを右肩に、ペルセウスのように突っ立っていた。
 天狗の池の高みで、英子は彼に見とれている。西岳の上のコバルトブルーに、何気なく浮かんだレンズ雲。……オヤッ、伯爵夫人のお出ましだ……。一瞬いやな予感が走る。しかし私はすぐそれを打ち消した。昨日の上高地は雨だった。たぶん、風に乗り損なった彼女がうろうろしているのに違いない。私が山友Oを思い出したのは、その時だった。
「伯爵夫人といえば、ヤングミセスだとばかり思ってやがる。歯の浮くようなことを言うなっ。あいつはスケスケの白いドレスを着てるが、白髪の婆さんで、おまけに縮れ毛だ」
 彼は私の夢をこっぴどく打ち壊したのだった。あれからもう三十五、六年になる。
 ツバメ岩の根元に回り込む斑な新雪を踏みながら、私は明日の予定をはっきりと決めていた。上高地からの自動車道の混雑にうんざりして、どこか静かな帰り途を、と密かに考えていた矢先である。かつて彼と歩いた一ノ俣谷-常念岳-一の沢のコースならば、英子にとって初めての山だけに賛成してくれるはずだ、と思ったのである。
 翌日、朝寝坊のすえ遡った一ノ俣谷は、どうしてなのだろう?と首をかしげるほど昔のままの静けさだった。七段の滝の岩壁の、ナナカマドの赤が目に沁みた。二組の降りのパーティーに会っただけで登り着いた乗越(のっこし)には、秋の日差しが溢れていた。しかし昼食を済ませて登り始めた常念坊は、西の強風に追いたてられて駆け走る霧の中、ご自慢の岩の衣も見え隠れのご機嫌の悪さだ。山頂の苛立ちの中、凍える指で巻き上げたカメラのレバーがいやに軽い。何回シャッターを切ってもフィルムの表示は三十六枚で止まったきり、明らかにフィルムは空回りしていたのである。
 英子は怒っていた。無理もない。これで一ノ俣の紅葉に映える渓流も、山頂の記念撮影も、今日の写真はすべてパーである。先に立って降路をとばす彼女の肩に、B型血液が躍動している。言い訳でもしようものなら、彼女の全身は増殖炉と化すだろう。冷めるのを待つに如(し)かず、と私はゆっくりと後を追う。思えば、かつてこの山稜でOを怒らせた私である。今もまた、英子を怒らせてしまった因縁に、私は思わず苦笑した。

 あれは七月の半ばのことだった。一歩一歩、松高ルンゼを登っていた彼が、だしぬけに言った。
「セボネがな……」
「セボネ?」
「青学の背骨だよ。彼、元気か?」
「なんだ、あの人か……元気だよ」
「そうか、彼とはここで知り合った」
 セボネとは登攀(とうはん)者S氏のことである。
「あの人はいいな、兵役免除だろう」
「まあな……」
 言葉を切って私は続けた。
「おまえ、まさか、岩をやるんじゃねえんだろうな」
「ねえよ。こいつとアイゼンがあればいいって言ったろ」と言って、彼はピッケルを頭上に振り上げた。
 変な山旅だった。それまで山行の計画は私に任せっぱなしの男が、今回に限って、黙って俺についてきてくれ、と言うのである。私達は奥又白の池から四峰のフェイスの下、奥又白谷をトラバースして、その年の豊富な残雪を踏んで、五、六のコルを涸沢(からさわ)に降った。
 翌日、穂高を尻目に涸沢を駆け降った彼は、横尾の出合から本谷に入った。雪崩の爪跡を残す横尾本谷を遡行(そこう)した私達は、結局、右俣を詰めて天狗原に出たのである。天狗の池の畔でラジュースを吹かせながら、彼は言った。
「明日は常念に行こう。俺はそれから島々に寄って帰る。おまえ、どうする? あまり休みがとれないんだろう」
 その頃、私達は戦時下の世間体を気にして、山靴やアイゼン等を島々の知人宅に預かってもらっていた。だから、山へ行く時はよれよれのニッカーに地下足袋、ピッケルを放り込んだザックを背負った道路工事の現場監督さながらの格好で東京を発ったものである。
 彼のプランどおり、ただし私にとっては旅の終わりの常念乗越で、這松の中に寝ころぶと、少々気抜けして私は言った。
「変な奴だぜ。山のヘソばかり擽(くすぐ)らせやがって、挙句の果てにおまえは島々か」
「悪かったかな」
「いいや、こんなのも偶(たま)にはいいさ」
 どうやら、太平洋に腰を据えたらしい高気圧が東の空を透明な青に染めあげていた。しかし、梓川の谷はガスに埋まり、穂高は島のようだった。
「穂高が見えねえ」とボヤく彼の声も虚ろに、私は幾許かの時間をまどろんでしまったらしい。
 ふと目覚めた私の眼に映ったのは、何だか白い膜だった。ひどく風の音がしていたようだ。
 眼前にヌックと立った常念坊が雄大な雲の旗をたなびかせていた。梓の谷から湧き上がるすべての雲が、この山稜から一転して穂高に向かって吹っ飛んでいた。私は寝呆け眼をこすって言った。
「見ろよ、旗雲だ」
 彼は眠ってはいなかったらしい。「ウン」と感激のない声だ。
「見てるのか、すげえな」
 私はなおも叫んだ。
 どうしてそうなったのか、覚えがない。いつか私達は言い争っていた。彼は「山はた雲」の起こりは山端雲からきたのだと言い、私は巨大な軍勢が旗指物や吹流しを押し立てて進む墨絵への幻想を捨てきれない。「はた雲」はやはり旗からきたのだ、としつこく反発する私に、彼は本気で怒ったようだった。
「俺は旗が嫌いなんだ。軍勢も、軍旗も、日の丸だって、皆嫌いだ……。もうやめろっ」と彼は怒鳴った。
 いつにない彼の剣幕に驚いて、私は沈黙した。
 もう歩く気もなくなった。常念小屋にシケ込んだその晩、彼は素直に私に謝った。
「さっきはゴメン、俺はどうかしてたんだ。おまえの山旗雲が正しいんだ」と、戸惑う私に繰り返した。
 ランプの炎の灯る彼の瞳孔の寂寥(せきりょう)が、なぜか私の胸に悲しみを誘った。
 白けた気分をそのままに、明日の別れにつなげることが彼には耐え難かったのだろうか、と思った私の解釈は間違っていたのだろうか?
 翌朝、彼は私の山靴と二人のアイゼンの納まったザックを背負い、現場監督の姿に戻った私は、彼のベンドと私のシェンクを入れたザックを肩に小屋を出た。仰ぐ常念岳の積み重なった岩塊は、初夏の陽をちかちかと反射させていたが、梓川の谷には依然としてガスが立ち込めていた。
「晴れるといいな」
 肩に浴びせた私の声に、彼の白い歯が微笑んだ」
 私は岩ザレに腰を下ろして、岩塊の間をのろのろと登っていく彼の姿を追っていた。次第に彼は小さくなり、やがて岩塊の中に消えてしまった。それっきり、彼は二度と再び、私の前に現われなかったのである。

 常念乗越の小屋前の広場を、間近に見下ろす黄昏の中に、英子は佇立(ちょりつ)していた。私を待っていたのだろう。一台のヘリコプターが吊り下げた荷を小屋前に降ろすや否や、機体の鮮やかな黄を、薄くなってきた霧にたちまちにじみこませた。おそらく、今日の荷揚げの最終便だったのだろう。対斜面の横通岳に続く這松の斜面が、時として驚くほどの緑を燃えあがらせてはまた紫紺に沈む。あそこだった。彼と旗雲を見た所は……。
 常念小屋の翌朝は、層雲に穂高を載せて明けはじめた。やがて槍も穂高連峰もその全容を惜しみなく現わすだろう。急ぐことはなかった。今はハイヤーが寂れてしまった大助小屋のずっと奥まで入る一の沢である。ご機嫌の直った英子を誘って、横通岳に続く山稜をぶらぶらと登っていった。
 大喰(おおばみ)のカールは、誰かが落としたハンカチーフだ。あの天狗原も、氷河公園の名の方が通りがよくなった。北穂から切れ落ちたキレットの底はまだチャコールグレイのままだったが、前穂の肩にきらりと光るのは、確か奥又白A沢の詰めに違いなかった。
 Oとの山行がまたも思い出されたが、この時になって、私の鈍感な頭にも彼の意図が鮮明に映し出された。あの時あいつはヘソを点検しただけでは飽き足らず、穂高への別れの総仕上げに、この稜線を選んだのだ。しかし山旗雲が彼の願望を空しくしたのだった。
 終戦後の疎開先で彼の戦死を知った私は、彼のベンドを携えて、彼の仏前に供えた。これだけは、と懸命に磨いたブレードの鈍色(にびいろ)が、穂高の色に映えていた。
 S氏も事故で急逝されてもう十数年が過ぎた今、私だけがいまだに山をほっつき歩いている。伴侶の英子は灰色だった時代の青春の埋め合わせをするかのように、山とその自然にひたむきだ。私は彼女に一度だけでも山旗雲を見せたいと思う。
  

Posted by 松田まゆみ at 10:10Comments(2)戦争・平和

2019年07月06日

奨学金はどうあるべきか

 山本太郎氏の立ち上げた政治団体「れいわ新選組」は、奨学金徳政令による奨学金チャラを政策の一つとして掲げている。大学あるいは大学院卒業と同時に数百万円、多い人では一千万円近くもの多額の借金を抱えてしまうこと自体が異常と言えるし、様々な事情で返済ができない人も続出しているようだ。以下はこの問題についての私のツイート。

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「れいわ」の政策の一つに「奨学金チャラ」というのがあるが、あれは賛同できない。もちろん大学生が何百万もの借金を抱えたり、低所得の家庭の子供が大学を諦めなければならないという現実は改善しなければならないのだが、「奨学金チャラ」では日本の抱える高等教育の問題は何も解決しない。

大学進学を希望する若者の中には自分が関心を持っている分野をより深く学びたいとか研究職に就きたいという人もいるだろう。しかし、就職のために大卒の学歴を欲しいという人や、大学に行くことで就職を先送りしたいという人も少なくない。要は、学問が二の次になってしまっているのが現状だ。

学費や生活費のためにバイトに明け暮れる学生も少なくないし、就職しても学んだ知識を仕事に生かすことがない人も多い。就職のために高等教育を受けながら、その知識を仕事に役立てられないのでは本末転倒だろう。大学で学ぶことの目的や意義などもはやどこかに行ってしまっている場合が多い。

教育費が原則無料の北欧はどうかというと、大学進学率は50%ほどでそれほど高くはない。大学での勉強はハードで、強い目的意識や動機、結果を出す力が必要になるという。税金で教育費を賄うということはしっかりした人材教育をするということだ。https://www.adecco.co.jp/vistas/adeccos_eye/34/index03.html

日本でも教育費を無料にできればそれに越したことはないが、そのためには北欧のような考え方がどうしても必要だろう。「とりあえず大学」「就職の先送りで大学院」などという状態をそのままにして教育費を無料にしたり奨学金を無料にしたら、とんでもない費用が必要になるし人材育成にも繋がらない。

教育費を無料にするのなら、まずは大学のあり方を見直す必要がある。また中学や高校から就職や進学について学ぶ場を設け、自分に合った道を選択するような教育も必要だろう。社会に出てから必要に応じて学べるようにすることも大事だ。学びたいという意欲がなければ大学で学ぶ意味はほとんどない。

また、国立大学の独立行政法人化も誤りだったとしか思えない。これも元にもどす必要があるだろう。大卒を優遇する企業の求人も見直す必要がある。奨学金の返済で苦しんでいる若者に援助の手を差しのべることは否定しないが、一気に「奨学金チャラ」は拙速というほかない。

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このツイートに対して以下のような返信があった。

最後まで拝読いたしました。松田様の仰る高等教育の問題はその通りだと思います。

ですが、「奨学金チャラ」政策は、松田様がツリーで説明されている高等教育の問題を解決することよりも、今奨学金返済で苦しんでいる人を助けることを第一の狙いとしているのではないでしょうか。


これに対する私の返信は以下。

私も奨学金返済で苦しんでいる人を援助すること自体は否定しませんが、ますは奨学金制度の見直しをすべきではないでしょうか。以前のように無利子にする、返済困難な人には十分な猶予を与える、一定の条件で返済を免除する、貸与の際に返済についての十分な説明をする、高額な貸与を規制するなど。

私も奨学金を借りましたが、当時は無利子で額も決まっていて少額だったので返済も無理はありませんでした。一気にチャラとなると、これから奨学金を借りようと思っている人たちはどういう扱いをするつもりなのでしょう。まさか返済不要の奨学金を希望者全員に支給するということにもならないでしょう。


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 学費や奨学金の無償化は莫大な税金を使うことになる。したがって学歴とか就職の先送りのために「とりあえず大学に進学」というような人の学費や奨学金まで国が負担することにはならないと思う。とは言うものの、できれば高等教育も無償が望ましいので、意識と制度の両方を少しずつ変えていく必要があると思う。
  


Posted by 松田まゆみ at 09:52Comments(0)教育政治・社会

2019年06月29日

消えゆく野付半島のアカアシシギ

 アカアシシギの繁殖が北海道の野付半島で確認されたのは1972年のこと。その経緯については森岡弘之氏と高野伸二氏によって報告されている。

北海道で発見したアカアシシギの繁殖

 この発見は当時のバードウオッチャーにとってはかなり衝撃的だった。春と秋の渡りの季節に日本の干潟で見られるシギの大半は北極圏などで繁殖するので、北海道で繁殖しているとは思ってもいなかったからだ。

 上記の森岡さんと高野さんの報文によると、アカアシシギは野付半島全体に生息しており、「野付半島だけで少なくとも50~100つがいは繁殖していると思われる」と推測している。

 私もアカアシシギの繁殖のことを知り、1976年に野付半島を訪れている。当時のフィールドノートを引っ張り出してみると、7月14日に尾岱沼から観光船でトドワラ往復、翌15日にはやはり尾岱沼から観光船で野付半島の先端であるアラハマワンドに行き、そこからトドワラまで歩いていた。その頃は尾岱沼とトドワラを結ぶ観光船のほかに、アラハマワンドへ行く観光船が一日一便(朝)あったのだ。トドワラやアカアシシギを見たのは覚えていたものの、半島の先端からトドワラまで歩いたことはすっかり記憶から消えていた。

 フィールドノートの記録では、アラハマワンドから竜神崎までの間で5つがい、竜神崎からトドワラの付け根までの間で3つがい、トドワラの付け根からトドワラの間で1つがいを観察している。また、アカアシシギは沼の周辺の泥地やの草丈の低い草地に生息し、センダイハギやハマナスが生育するような乾いた草原では見られないと書かれている。テリトリー上空を大きな鳴き声を出しながら飛び回っていることが多く、人が近づくと警戒する様子も記されている。つまり繁殖していればかなり目立つ野鳥だ。

 しかし、アカアシシギはその後、減少の一途をたどる。

 中標津町の獣医師である中田千佳夫さんのブログによると、2015年には半島先端の砂嘴とその間に広がる湿地のあるところでしか、鳴き声を聞くことができなくなったという。

 野付半島野鳥観察舎のサイトによると、2016年には竜神崎灯台の近くにある淡水池の周辺で2つがいが繁殖しているとの記述がある。2018年にもアカアシシギは繁殖していたようだ。

アカアシシギの繁殖行動
6月の淡水池

 そんなわけで、竜神崎近くの淡水池周辺では繁殖しているのではないかと期待して26日に出かけてみたのだが、残念ながらアカアシシギの姿を見ることはできなかった。ネイチャーセンターで尋ねてみたところ、今年は半島の先端部で5月に見たという情報があるだけとのことだった。5月であれば渡り途中の個体の可能性もあり、繁殖しているかどうかは分からない。

 1970年代はじめには半島全域でおおよそ50~100つがいも繁殖していたと推測されるアカアシシギは、この4、50年ほどの間に数つがいほどに減少し、もはや風前の灯火だ。ここまで激減した要因は、半島全体が沈降したことで生息適地が減ってしまったこともあるのだろうが、観光客の増加も否めない。

 私がアカアシシギを見た1970年代は半島の道路は舗装などされていなかったし通行する車も限られていたと思うのだが、今はネイチャーセンターには自家用車のみならず大型の観光バスが何台もやってくる。これではアカアシシギが減るのも無理はない。地盤の沈降は自然の摂理であっても、ここまで減ってしまったのはやはり人為的影響が大きいように思えてならない。

 野付半島はラムサール条約の登録湿地であるが、保護の網をかけただけでは野鳥は守れない。せめて人の影響の少ない半島の先端部だけでも繁殖地として存続してほしいと願わずにいられない。

 写真は、現在のトドワラ。立っているトドマツの枯れ木は数本となり、昔の面影はほとんどない。あと何年かしたら、すべて倒れてしまうだろう。「トドワラ跡」になるのもそう先のことではなさそうだ。


  


Posted by 松田まゆみ at 22:22Comments(0)野鳥

2019年06月19日

消費税減税・廃止は新自由主義と親和的

 山本太郎氏が「れいわ新選組」を立ち上げ消費税減税・廃止とMMT(現代貨幣理論)を声高に主張するようになってから、ツイッターでは消費税減税の主張が大きくなっている。その理由の一つとして消費税は逆進的であり低所得者に負担を強いるから新自由主義と親和的だという主張があるが、私は逆だと思っている。要は高福祉国家にするなら所得税や法人税だけでは足りず、どうしても消費税が必要になるということだ。これについて6月12日の連続ツイートで説明したので、ここに紹介しておきたい。

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消費税が逆進的であり新自由主義と親和的だから減税もしくは廃止すべきだという意見がある。しかし、新自由主義のアメリカは累進的租税負担であり、高福祉国家のスエーデンは逆進的租税負担になっている。これについて、神野直彦著『「分かち合い」の経済学』による解説を以下に引用する。

〈消費税が比例的か逆進的かに結論を出さないにしても、消費税が経済力に応じた課税ではないことは明らかである。つまり、消費税は富める者に、重い負担を与えることはできないのである。〉

〈もっとも、「分かち合い」の「大きな政府」であるヨーロッパ諸国は、消費税の負担が重いことは事実である。逆に「分かち合い」の「小さな政府」であるアメリカは、消費税つまり消費型付加価値税を導入すらしていない。アメリカは所得税と法人税を中心とした租税制度が確立されている。〉

〈図5-4(略)で所得階層別の租税負担を見れば、所得税と法人税のウェイトが圧倒的なアメリカは、累進的租税負担となっている。ところが、スヴェーデンをみれば、逆進的租税負担構造となっている。消費型付加価値税の税率が二五%で、所得税も地方税として比例税率で課税されているからである。〉

〈アメリカとスヴェーデンと租税負担構造を比較して指摘しなければならない点は、すべての所得階層において、スヴェーデンのほうが租税負担が高いということである。つまり、「大きな政府」であれば逆進的で、「小さな政府」であれば累進的にならざるをえないのである。〉

〈「分かち合い」で生きていく社会であれば、貧しい国民も負担し合う。租税さえ支払えば、無償の公共サービスで生活を営むことができる。つまり、「分かち合い」で生きていくことができるからである。〉

〈政府が秩序維持機能しか担わず、自己責任で生きていく社会を目指すのであれば、秩序維持機能の負担は富める者が負担する。それだからこそアメリカは、所得税・法人税中心の租税制度となっているのである。ところが、日本はアメリカと同様に「分かち合い」の「小さな政府」を目指している。〉

〈しかし、自己責任で生きていく社会なので、秩序維持機能の費用は、アメリカのように貧しき物は負担しなくてもよいとは言わない。自己責任で生きていけという一方で、ヨーロッパを見習い、貧しき者も消費税を負担しろという。〉

〈しかし、ヨーロッパは「分かち合い」の社会である。日本は支出では「分かち合いをせずに、租税で消費税を増税しようとしても無理である。もしこれを強行すれば、社会統合が破綻することは目に見えている。〉引用終わり

日本の新自由主義者は政策では新自由主義を取り入れながら税制では富裕層に甘く低所得者からも消費税をとるという選択をした。このまま新自由主義路線をとり続けながらこの税制を続けるのなら、神野さんの指摘のように社会統合が破綻しうまくいかなくなるだろうし、現に不満の声が噴出している。

日本がこれからも政策として新自由主義路線をとり続けるのなら、これ以上の消費税増税は困難になるだろう。現に8%から10%への増税は2回も延期されているし、自民党内でも消費税減税の声が出てきている。消費税減税は「小さな政府」を目指す新自由主義と親和的なのだ。

今、消費税減税を支持している左派の人たちは、日本の新自由主義者が富裕層を優遇し消費税増税で低所得者に負担を押し付けている現実だけを見て、消費税は新自由主義と親和的だと考えているのだと思う。しかし、本来の新自由主義の考え方は神野さんの指摘の通りで、租税は累進的にならざるをえない。

消費税は逆進的だから悪税と一刀両断するのではなく、新自由主義と高福祉国家のどちらを望むかを決める必要があるし、それによってとるべき税制も違ってくる。もちろん新自由主義から高福祉国家へすぐに転換などできないのだから少しずつ変えていくしかないし、私も現時点での消費税増税は賛成しない。

  

Posted by 松田まゆみ at 21:06Comments(0)政治・社会

2019年06月10日

新葉を噛み切る小蛾類の不思議(3)

 前々回前回の記事で、イタヤカエデとシラカバの葉を噛み切って落とす蛾の幼虫のことを書いた。落下した葉に蛾の幼虫がついていることに気づくと、足元に落ちている新葉が気になって仕方ないのでついつい地面に目をやることになる。そして昨年6月14日のこと、縁が巻かれているケヤマハンノキの葉が落ちているのに気が付いた。

 これはたった一枚しか拾えなかったが、やはり中には蛾の幼虫と思われる小さな幼虫が入っていた。この幼虫は葉脈を残して葉を食べている。

 6月24日にはケヤマハンノキの葉を巻いて糸でかがり、中から出てこなくなった。蛹化したのだと思う。

 そして7月3日に茶色い翅の蛾が羽化した。体長は約6ミリ。これはハンノハマキホソガだった。ほっそりとした体で、独特の姿勢をしている。

 成虫を横から見たところ。


 こちらは上から見たところ。


 ハンノハマキホソガの幼虫は写真を撮り損ねてしまったが、拾った葉はたった一枚なので幼虫が噛み切って落としたのか、それとも強風など何等かの要因で自然に落下したのかは判然としない。しかし、開葉したばかりの葉がそんなに簡単に落ちてしまうのもちょっと不思議であり、幼虫が噛み切った可能性が高いのではないかと思っている。

 葉柄を噛み切って落とす場合は噛み切った葉1枚だけしか餌にできない。従って、どうしても体の小さいミクロレピしかこういう芸当はできないだろう。あまり気づかれてはいないものの、こんな風に新葉を落としているミクロレピはけっこう沢山いるのかもしれない。

 小さな虫たちの世界はまだまだ知られていないことが多いし、興味は尽きない。
  


Posted by 松田まゆみ at 14:36Comments(0)昆虫