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鬼蜘蛛おばさんの疑問箱

2019年02月11日

早野龍五氏「見解」の嘘で濃厚になった捏造疑惑

 2月8日にOur Planet-Tvが驚くべきニュースを報じた。

千代田テクノルのデータを研究に使用認める~宮崎・早野論文

 第一著者の宮崎氏が、事実を語り始めたようだ。「科学」2月号で7つもの倫理違反が白日のもとに晒され、伊達市や東大の調査も始まった。宮崎氏は事実を語ることを覚悟したように見える。

 著者は伊達市からデータを受け取る前の2015年2月に千代田テクノルからデータを入手し、早野氏はすぐに解析作業をはじめて2015年7月には第1論文の図やグラフがほぼ完成していたらしい。これにはびっくり仰天。

 この記事の最後に掲載されている経緯を引用しておきたい。

2011年 8月  伊達市が千代田テクノルにガラスバッチ による「外部被曝計測」を委託
2012年 8月  伊達市が住民に同意書を送付
2013年 8月  伊達市が千代田テクノルに「データベース構築業務」を委託
2013年10月  伊達市が千代田テクノルに「外部被ばく検査事業集計分析業務」を委託
2014年10月  パリで開催されたIRSNのセミナーに仁志田伊達市長、半沢直轄理事、多田順一郎アドバイザー、早野氏、宮崎氏らが参加。伊達市のビッグデータを解析して論文を書くよう提案を受ける
2015年 1月  宮崎真氏が伊達市のアドバイザーに就任
2015年 2月13日 千代田テクノルが宮崎・早野氏へのデータ提供許可を伊達市長に求める
2015年 2月16日 伊達市長が千代田テクノルにデータ提供を了承
2015年 3月13日 千代田テクノルが「外部被ばく検査事業集計分析業務」成果品を納品
2015年 7月30日 定例打ち合せで、宮崎氏が論文掲載データと同じ図が含まれた資料を提示
2015年 8月 1日 市が福島医大と宮崎氏に研究依頼文書(日付と内容が捏造された可能性)
2015年 8月25日 定例打ち合せで宮崎氏が論文用の依頼文書作成を要望
2015年 9月12日 ICRPダイアログにて早野氏が論文に掲載された図と同じデータを公表
2015年11月 2日 研究計画を倫理委員会に申請
2015年12月17日 倫理委員会が研究を承認


 この経緯から、以下のことが分かってくる。

・伊達市長や著者らがIRSNのセミナーに参加してガラスバッチのデータを解析し論文を書くように提案されたことが論文を書くきっかけ。 → 原子力ムラが大きく関与している。
・伊達市が医大と宮崎氏に論文を依頼する前に千代田テクノルが市長に許可を求めた上で著者にデータを提供。 → 伊達市長の許可で個人情報が流出。
・第1論文の解析が終わって図表が作成されてから倫理委員会に申請・了承。 → 倫理委員会は形だけのものだった。
・早野氏の1月8日付けの「見解」にある「私たちが伊達市から受け取ったデータには同意の有無を判断出来る項目がなく、さらに幾度となく委託元である伊達市側に解析内容を提示した際にも対象者数に関するご意見もなく、適切なデータを提供いただいて解析を行ったと認識しておりました」という説明と一致しない。 → 千代田テクノルから直接データが提供され、それを用いて解析したのだから、この説明自体が嘘。

 これはもう、原子力ムラと伊達市と医大と著者らがグルになっていたという話しになる。しかも、個人情報がそのまま早野氏に提供されたということだろう。委託側と受託側は利益相反の関係であり恣意的な数値操作がなされたとしても何ら不思議はない。

 その後、2月11日になって黒川眞一氏によるまたまた驚くべき記事がハーバー・ビジネス・オンラインにアップされた。

黒川名誉教授緊急寄稿。疑惑の被ばく線量論文著者、早野氏による「見解」の嘘と作為を正す

 何と、黒川氏のレター論文に対し早野氏の方から指摘に一つひとつ答えるのではなくcorrigendum(正誤表、訂正)を提出したいと申し入れ、掲載誌がそれを受け入れていたのだ。ところが、早野氏は「見解」で「正誤表」あるいは「訂正」とは書かず「JPR誌より『修正版を出すように』との連絡を受けました」と書いている。さらに伊達市からデータの再提供を受けて新たな論文を書くことが「修正版」であると説明し、「正誤表」を「別の論文による修正版」へと巧みにすり替えをしたのだ。

 私も早野氏の「見解」に関しては前回の記事で「論文修正に関わる早野氏の欺瞞に満ちた説明」として取り上げているが、レター論文を送った黒川氏本人による早野氏の数々の嘘の指摘は衝撃的だ。

 私は前回の記事で「早野氏が第2論文に対するレターに答えようとしないのは、レター論文のことを知りながら掲載誌がそれを受理する前にデータを(恐らく恣意的に)廃棄してしまったから」と書いた。研究終了の報告書でもデータは10月末で廃棄ということになっているし、早野氏自身が1月8日の「見解」で削除したと記していたからだ。しかし、私は黒川氏のこの記事を読み、早野氏は本当はデータを廃棄していないのではないかと思うようになった。

 早野氏は、掲載誌に対してcorrigendum(正誤表、訂正)で対応したいと申し入れをした。corrigendumというのは誤記などの単純ミスの訂正だ。したがって、論文に単純ミスがあったことを認めそれを訂正すると言っていることになる。さらに「解析プログラム」を見直して被曝線量を1/3に過小評価していたという別のミスも発見している。データを削除していたら、ミスを確認して訂正したり新たな間違いを発見することもできないのではなかろうか? 元データは削除していると言いながら「解析プログラム」は残っているというのも不可解だ。とすると実際にはデータは削除していなかったと考えざるを得ない。

 10箇所もの単純ミスがあったのならあまりに杜撰だが、そもそもそんな多くの単純ミスをするというのは非常に不自然であり不可解だ。データが保存されており、そのミスが誤記や計算間違いなどの単純ミスならば、黒川氏のレター論文に一つひとつ回答できるはずだ。

 こちらの記事では「図の一部に不自然な点があり『線量を過小評価するための捏造が疑われる』」と指摘されている。これらのことかも、単純ミスなどではなく恣意的な数値操作、すなわち捏造によって過小評価がなされたという疑惑はほぼ確定的のように思える。

 宮崎・早野論文問題は宮崎氏の告白と黒川氏の告発によって新たな局面を迎えたように見える。

  


Posted by 松田まゆみ at 21:31Comments(0)原子力発電

2019年02月02日

宮崎・早野論文の驚くべき不正と隠蔽(訂正と追記あり)

 岩波の「科学」2019年2月号に、高エネルギー加速器研究機構名誉教授の黒川眞一さんと福島県伊達市民の島明美さんによる「住民に背を向けたガラスバッチ論文 -7つの倫理違反で住民を裏切る論文は政策の根拠となり得ない」という論文が掲載された。問題にしているのは2016年12月および2017年7月にJournal of Radiological Protection誌に掲載された宮崎真氏と早野龍五氏の二つの共著論文である。

 この宮崎・早野論文では「同意のないデータが使われていた」ことが明らかになりマスコミでも報道された。黒川氏らは伊達市への情報開示請求によって入手した資料を精査し、宮崎・早野論文は文科省と厚労省が定めている「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」と照らし合わせて7つもの倫理違反があると驚愕の指摘をしている。

倫理違反と不正の数々

 7つの倫理違反として挙げられているのは以下だ(本文より引用)。

1 医大の研究に自分のデータを提供することに同意していない伊達市民のデータを使用していること
2 研究を実際に始める前に、研究対象者である伊達市民に研究内容を公知せず、同意撤回の機会を与えなかったこと
3 伊達市長室から論文作成を依頼されたことを隠していたこと
4 研究が倫理審査委員会による審査を通り学長による承認を得る前に、伊達市民のデータが宮崎氏と早野氏に提供され、このデータを使った研究発表が早野氏によって行われていること
5 研究計画書に書かれている内部被曝線量と外部被曝線量の相関を調べる研究を発表せず、研究を終了したこと
6 研究終了報告書に研究計画書には書かれていない研究を成果として報告していること
7 倫理指針がデータをできるだけ長期保管するようにと定めているのにもかかわらず、前データを研究終了時に破棄していること


 詳しくは論文をお読みいただきたいが、とりわけ重要と思われる5~7に関して以下に取り上げるとともに、疑問に思うことなどを記しておきたい。

第3論文を書かずに不都合な事実を隠蔽か

 研究計画では4つの予測がなされており、そのうちの3つは第1論文と第2論文として公表された。しかし「個人の外部被ばく線量と内部被ばく線量との間には相関がない」との予測がなされていた研究(第3論文として公表予定)は公表されなかった。その代わりに解析結果を利用した別の論文を公表することで委託業務を終了させたのである。なぜそんなことをしたのか。

 黒川氏らが情報公開で入手した資料中に書かれていた文書をGoogle 検索して、伊達市のホームページ上で見つけを読み込んで検討したところ、外部被ばく線量と内部被ばく線量との間には明らかな相関を認めたという。つまり計画段階での予想とは異なる結果が得られていたことになる。また、2011年と2012年の4,3261人の受検者のうちセシウム検出率は子どもを含めて9.4%あり、4000人が検出限界以上の内部被ばくをしていたとのこと。4000Bq超、6400Bq、5700Bqの内部被ばくが検出された市民がいることも分かった。

 こうしたことから黒川氏らは「第3論文を発表しない本当の理由は、外部被曝線量と内部被曝線量の間の相関がはっきり表れたためであり、2015年になっても数千Bqの内部被ばく者が存在するためと考えられる。伊達市から内部被曝線量のデータを受け取りながら、都合が悪い結果がでたときは論文を発表しないことは研究倫理に反して言わざるを得ない」と指摘している。これは看過することのできない事実の隠蔽であり不正だ。

 研究計画に掲げた論文を提出せず、計画になかった別の査読付き論文を研究成果として提出するという形をとったのは、第3論文を別の論文で代替することで不都合な結果を隠蔽したい、という意図があったとしか考えられない。

黒川氏のレター論文を知って慌ててデータ廃棄か?

 データの廃棄に関しても不可解なことが多々ある。

 黒川氏は論文掲載誌にレター論文を送っているが、この経緯に関しては横川圭希氏がツイッターで説明しており、以下のtogetterの「黒川レターへの早野龍五氏らの反応の時系列」にまとめられている。

「宮崎真・早野龍五論文」掲載「Journal of Radiological Protection」のコメント・リプライの手順について(2019.1.11作成)

 横川氏によると、黒川さんがレター論文を送ったのは2018年8月。9月には宮崎・早野両氏に届いているとの返答が黒川さんにあった。黒川さんがご病気のため12月の半ばに回答をもらうことになっていたが、回答がないために年末にレターを公表とのこと。

 黒川氏らが開示資料を調べたところ、研究計画書では2018年11月末に研究終了としているのに、どういうわけか2018年10月23日に研究終了報告書が提出され、10月末に研究を終了しデータが廃棄されたことが分かった。計画より1カ月も早く研究を終了しデータを廃棄しているのだ。

 伊達市議の高橋一由議員が9月4日の市議会でレターのことに言及しており(追記参照)、横川氏の説明のとおり早野氏が9月中にレター論文のことを知っていたのなら、研究終了を1カ月繰り上げて10月末にデータを削除してしまうというのは訳がわからない。自分の研究に疑問が呈されている以上、それに対する返答のためにデータを保存しておかなければならないのは自明だ。

 これらのことから、早野氏は自分の論文に不正がありレター論文に答えられないためにレター論文の受理(受理は11月16日)に先立って研究を終了させ、データを削除してしまったのではないかという疑惑が生じる。もしそうであるなら、データ削除によって不正の発覚から逃れようとしたことになる。

 データを廃棄してしまえば研究不正があった場合にも検証をすることができなくなる。しかも研究終了と同時のデータ廃棄は倫理指針、学術会議の「科学研究における健全性の向上について」、文部科学省の「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」のいずれにも反する。東京大学教授の早野氏がこうしたことを知らなかったとは考えられず、恣意的な削除だったのではないかという疑惑が深まる。

論文修正に関わる早野氏の欺瞞に満ちた説明

 一方、早野氏は2019年1月8日にツイッターに文書を公表して黒川氏のレターに触れるとともに新たに発見したミスおよび今後の対応についての見解を表明した。この早野氏の文書の概要は以下のようになる。

 11月16日に掲載誌から連絡があり、黒川氏のLetterにコメントをするように求められた。そこで解析プログラムなどを見直したところ、黒川氏の指摘とは別の重大な誤りに気付いた。11月28日に掲載誌に「重大な誤りを発見したので、Letterへのコメントとともに論文の修正が必要と考える」との申し入れをした。これを受け、掲載誌は12月13日に早野氏に修正版を出すように求めた。2018年12月14日に筆者らの二本の論文に不同意のものが含まれていることを報道によって知った。しかしデータを削除してしまったので修正版を出すためには伊達市から同意の得られている方のデータをあらたに提供してもらわなければならない。

 早野氏のこの説明は欺瞞に満ちている。

 早野氏の言う「修正版」は第二論文の修正にはならない。なぜなら、第二論文でつかったデータとは異なるデータを取得して解析をやり直し論文を全面的に書き直す、すなわち新たに論文を書くと言っているのだ。しかし黒川氏のレター論文は宮崎・早野論文の第2論文に対するものであり、掲載誌が著者に求めているのも第2論文の修正だ。早野氏の説明は「修正」について誤魔化しているとしか思えない。

 いずれにしても第1と第2の二つの宮崎・早野論文は多数の倫理違反や不正が明らかになっているわけで、この二つの論文はもはや取り下げをするしかない。

 早野氏は毎日新聞の取材に対し「伊達市から同意のあるデータの再提出を受けられなかった場合、両論文の撤回もやむを得ない」と述べている。しかし伊達市から同意のあるデータの再提出が受けられなかった場合は新たな論文が書けないということであり、第1および第2論文の撤回の理由にはならない。

 以上のことをまとめると、早野氏が第2論文に対するレターに答えようとしないのは、レター論文のことを知りながら掲載誌がそれを受理する前にデータを(恐らく恣意的に)廃棄してしまったからであり、論文を撤回しなければならない本当の理由は倫理違反や不正ということであろう。早野氏はそれを隠して「伊達市が同意のあるデータを再提出しない」と、伊達市のせいにしようとしているのだ。

はじめに結論ありきの研究計画

 予定されていた第3論文を公表しないことで不都合な結果を隠蔽したことから、この一連の研究自体が「はじめに結論ありき」でスタートしていたことが分かる。線量を過小評価するために恣意的な数値の操作が行われていたのであれば、過小評価ははじめから予定されていたと言えよう。研究終了と同時にデータを廃棄し黒川氏のレター論文に回答しないのは、そうした不正を隠すためとしか考えられない。

 それにしても多数の矛盾点や疑問が指摘されるような論文が査読を通ってしまったことも驚きだ。学術雑誌の査読がこんなに杜撰であるなら、論文不正は他にもあるのではないかと疑問が湧く。

 宮崎・早野論文が掲載されたJournal of Radiological Protection誌はヘルシンキ宣言(ヒトを対象とする医学研究に関わる医師、その他の関係者に対する指針を示す倫理的原則)を全面的に支持するとしているのだが、宮崎・早野論文はこのヘルシンキ宣言に反しており、そもそも「刊行のために受理されるべきではない」論文なのだ。

 宮崎・早野論文の倫理違反や線量の過小評価、計算ミスはきわめて悪質であり、科学史上に残るスキャンダルだ。マスコミが大きく報じないほうがおかしい。

責任者は誰なのか?

 ところで、宮崎・早野論文は第一著者(共著の論文で第一番目に名前が記される著者で、研究や執筆に最も貢献度が高い)が宮崎氏で第二著者が早野氏だ。Our Planet-Tvのこちらの記事によると、この論文によって宮崎氏博士号を取得したと書かれている。ならば第一著者が宮崎氏になるのは当然であり、宮崎氏はこの論文の内容を最も理解し最終的な意思決定を下した者と理解できる。第二著者である早野氏は東大教授として宮崎氏の研究の指導にあたる立場といえよう。

 従って、黒川氏のレター論文に答える立場にあるのは宮崎氏ということになる。ところが黒川氏のレター論文に関して見解を公表しているのは早野氏だ。早野氏は1月8日の文書で「主としてデータ解析を担当した早野の見解を述べさせていただきます」と書いているからデータ解析をしたのは早野氏だしその内容を最も理解しているのも早野氏であろう。

 上記のOur Planet-Tvの記事に掲載されている情報公開の資料を見ると、この研究の責任者は福島県立医大放射線健康管理学口座の大津留晶教授となっている。伊達市から研究の委託を受けた責任者は大津留氏だ。宮崎氏は大津留教授と同じ講座の助手であり部下にあたる。そして分担研究者(データ分析)として東大教授の早野氏の名前が書かれている。研究場所も東京大学になっている。

 データを解析したのが早野氏ならば、宮崎氏はデータの解析や論文執筆にどの程度の貢献をしたのだろう? もしデータ解析や意思決定にあたって早野氏の方が主導権を握っていたのなら、第一著者は早野氏にしなければならない。しかし、そうしてしまったら宮崎氏の学位論文にはなり得ない。このあたりのことも矛盾しており不可解としかいいようがない。

 これは単なる私の想像だが、宮崎氏は上司である大津留教授から学位の取得と昇進を持ちかけられてこの研究に関わったが、実質的にデータ解析を行い執筆の主導権を握っていたのは早野氏だったのではなかろうか?

 「人を対象とする医学研究に関する倫理規定」や「ヘルシンキ宣言」についても、医大の教授である大津留氏が知らなかったとは考えにくい。知っていながら、倫理違反に目をつむったということはなかったのだろうか?

 黒川氏と島氏の論文で、宮崎・早野論文の倫理違反や不正は揺るぎないものになった。宮崎・早野論文はもはや取り下げるしか選択肢はなく、宮崎氏は学位を失うことになるだろう。場合によっては失職もあり得る。しかし宮崎氏はこの研究に関しどこまで主導権を握っていたのだろうか? この数々の倫理違反や不正に関する責任は誰にあるのか、明らかにする必要がある。

 東京大学は伊達市民からの申し立てによって調査を進めていると思うが、こうした責任問題についてもきっちりと検証して事実を明らかにしてほしい。

 なお、黒川眞一氏による宮崎・早野論文の日本語訳は以下で読むことができる。

【第1論文】
パッシブな線量計による福島原発事故後5 か月から51 か月の期間における伊達市民全員の個人外部被曝線量モニタリング: 1. 個人線量と航空機で測定された周辺線量率の比較

【第2論文】
パッシブな線量計による福島原発事故後5 か月から51 か月の期間における伊達市民全員の個人外部被曝線量モニタリング: 2. 生涯にわたる追加実効線量の予測および個人線量にたいする除染の効果の検証

黒川氏による宮崎・早野論文(第1論文)の問題点の指摘は以下のWEB RONZAに掲載されている(一部有料)

被災地の被曝線量を過小評価してはならない

【関連記事】
御用学者、早野龍五氏の欺瞞と背景にある利権構造
早野龍五氏は物理学者らの指摘に答える責任がある
早野龍五氏の本音は原発推進


【2月3日 訂正と追記】
 記事中の横川圭希氏のツイートに誤りがあるとの指摘があったためその部分に取り消し線を引いた。レター論文に関する経緯は以下の通りである(黒川氏に確認)。

2018年8月17日掲載誌にレター論文投稿、11月16日“is ready to accept”(著者の応答を待ち、批判的レターと著者からの応答を論文誌に同時に掲載する)となった。12月末になっても著者から応答がなく、2019年1月1日に arxiv.org に掲載された。

 なお、9月4日の伊達市議会で高橋一由議員が宮崎・早野論文について追及した。議事録は以下参照。

 伊達市 平成30年 9月定例会(第5回)議事録

 高橋議員は住民の同意・不同意について質問したほか、データを破棄しないように申し入れ、市側も「データベースはしっかりと保持して、分析していきたいというふうに考えております」と答弁している。しかし、島氏が伊達市に開示請求したところ「事実上不存在」との回答があったとのこと。議会での答弁と一致していない。データには同意・不同意の欄があるので、これを削除してしまえば倫理違反の証拠を消すことができる。

 また高橋議員は黒川氏のレターにも言及しており、市政アドバイザーでもある宮崎氏は9月に黒川氏が宮崎・早野論文に批判的レターを上げたことを知ったと考えられる。著者らが今後、倫理違反が追及されることを恐れ、あるいは黒川氏の批判的レターのことを知って研究終了を繰り上げ、不都合なデータを削除したという疑惑は消えない。

黒川氏のレターに言及している質問部分を以下に引用しておく。

◆16番(高橋一由) ぜひそのようにお願いしたいと思います。
 それから、研究計画書にも書いてあるのですが、市民に周知するべき論文を日本語に直して、市民に提示することが大事なのではないかと。我々だって全然知らないまま、どういう中身なのかもわからなくて、伊達市がお願いした論文が世の中に出回るのですね。そうすると、それはやはりかなりインターネット上でも検索されていることがわかっているし、これがひとり歩きしていって、最終的に伊達市のせいになどされると困るので、実は、黒川眞一氏は批判のレターを上げています。ですからそのこともどういう結果になるかということもちゃんと見守って、正しい論文にしていく必要があるだろうというふうに思っていますから、今のデータ保持は重要になりますので、どうぞぜひよろしくお願いしたいという思いです。


【2月4日追記】
 一部の説明に不正確なところがあったので、加筆修正した。

 2月4日にハーバー・ビジネス・オンラインに掲載された牧野惇一郎さんの記事も紹介しておく。

宮崎早野論文を、「削除はするが問題はない」とした放射線審議会の異常さ
  


Posted by 松田まゆみ at 09:56Comments(0)原子力発電

2019年01月21日

早野龍五氏の本音は原発推進

 宮崎真・早野龍五両氏による論文不正疑惑に関しては前回の記事で取り上げた。その後、Our Planet-Tv で著者である宮崎真氏と伊達市の職員が2017年4月24日に面会し、不同意のデータは使用しないという確認を取っていたことが報じられた。

1年半前「同意のみ使用」確認~宮崎・早野論文問題(Our Planet-Tv)

 早野氏は「同意なし」のデータを使っていたことを知ったのは昨年12月と言っていたが、著者らは同意なしのデータを使っていたことを認識していたとしか考えられない。いったいどうなっているのだろう。

 ところで、2013年6月13日に書いた「御用学者、早野龍五氏の欺瞞と背景にある利権構造」という記事(さぽろぐ版)に寄せられたコメントの中に非常に重要な指摘があるので、改めてここで紹介しておきたい。以下に読みやすいように一部改行などに手を加え、重要な部分を太字にした上で転載する。

**********

早野龍五氏の本音は以下のurlで知ることができます。

http://www.researchsea.com/html/article.php/aid/8440/cid/6/research/people/researchsea/should_the_japanese_give_nuclear_power_another_chance_.html

要点は以下の通りです。

In 2012, Professor Ryogo Hayano, a physicist from the University of Tokyo, joined Dr. Tsubokura in Minami-Soma Hospital and invented BABYSCAN technology, a whole-body scanning to measure radiation in small children as well as to allay the fears of Fukushima parents.

“BABYSCAN is unnecessary but necessary. It is unnecessary because we know that the radiation is low. But it is necessary to assure parents that their children are going to be okay,” said Prof. Hayano.

After witnessing the fears of the Fukushima people, Prof. Hayano thinks that nuclear power is no longer appropriate for Japan. He believes that the government should shut down nuclear power plants.

“As a scientist, I know that nuclear power is safe and cheap. But looking at the public’s fear in Fukushima, I think it should be phased out,” said Prof. Hayano.
Posted by SB at 2014年12月28日 19:11



先ほど投稿した文章は英語でしたので、日本語による解説を行います。原典は、SjCOOPという発展途上国の科学ジャーナリストを支援するプログラムに際して書かれたものです。英文の記事であり、あまり目に触れるようなものではないので、早野龍五氏も本音を出したものだと思います。

早野氏の考えは、

(1) 自分は科学者として、原発は安全で安価だと思う。

(2) しかながら、福島の人々の放射能にたいする恐怖を考えると、原発はもはや日本にはそぐわないものであるので日本政府は原発をシャットダウンするべきである。

(3) 早野氏が開発したBABYSCANは本当は不要なものである。何故ならば福島の放射線レベルは低いからである。しかしながら、親たちを安心させるためにはBABYSCANは必要である。

この考えの論理的な帰結は以下のようになります。「人々が放射線は怖くないことを知れば、原発は当然動かすべきである。なぜならば、原発は本来安全で安価であるからだ。人々は科学者のような知識を持っていないので、大いに教育をし、放射線は無害であり、こわくないことをしらしめるべきである。私はこのためにがんばっていますよ。」

Posted by SB at 2014年12月28日 22:05



私が早野氏言葉の中で(引用符の中に書かれた部分です)最も違和感を持つところは

As a scientist, I know that nuclear power is safe and cheap.

という部分です。

この発言には、科学者だから庶民と違って正しい判断ができるという高慢至極の考え方が透けて見えるがらです。福島の事故に真摯に向き合い、真面目に原発についての勉強をすれば、原発は安全で安価だなどということを言えるはずはありません。このような学者が、新潮文庫で「知ろうとすること」という本を書き、それがベストセラーになる日本という国はどうなってしまったのでしょうか。

なお、私も職業的科学者であることをお知らせいたします。
Posted by SB at 2014年12月31日 23:35



福島第一原発事故の放射線被害について調べているうちに、高橋博子著「封印されたヒロシマ・ナガサキ」の存在を知り、さきほど初版を読み終わったところです。緻密な調査に基づく労作であり、多くのことを教わりました。この本を高く評価いたします。
福島の状況は、この本の最終章の一節「アイゼンハワー政権下での放射線被曝防護行政」そのものであると思います。以下、私が重要と思う部分を引用いたします。

引用
「被曝線量値そのものは、医療、社会、経済、政治などの種々の要素に基づく決定であって、数学的公式に基づいて決定できるような性格ではない。したがってバランスのとれたリスクの決定とは、労働者の場合には他の産業でのりすくと比較する方法が有効で、公衆の場合は、自然放射線からの被曝量も考え得るが、むしろ交通事故のリスク、あるいは産業廃棄物からの汚染のリスクを比較するのがよい」と勧告した。
第二に、「議会内の核軍拡・原子力開発の推進派と手を結んで公聴会を開催して推進派の科学者を総動員し、ファールアウト批判を抑え込むこと」である。
第三に、「学術機関の権威を使って、放射能不安が根拠のないものであるという評判を定着させること」であった。
引用終わり

さらに、「ガイ・オークスが指摘するように、政府にとって国民は終始一貫して心理作戦の対象でしかなかった。」とこの節がまとめられております。

著者はまた、本の後書きに、核兵器は人類の発明した最悪の兵器だと思っていた。(中略) マンハッタン計画に従事していた時、物理学者ハンス・ベーテ博士は「クラスファイド・スタンプは人類の発明した最も強力な兵器である」とラップ博士に語った。
と記しております。
Posted by SB at 2015年01月03日 18:45


**********

 早野氏は、「原発は安全で安価なもの」と捉えているようだ。日本の原発は廃炉にすべきと言っていても、その理由は「危険だから」ではなく「人々が無知で放射能を怖がるから」なのだそうだ。この思考は原発推進論者そのものだ。しかし、チェルノブイリや福島のレベル7という過酷事故を経験してもまだ原発は安全と考えているなら、信じがたい。核廃棄物の処理や廃炉、安全対策などにかかる莫大な経費などを考えたら、原発は決して安価ではないことは自明だ。こんなことを科学者が平然と述べているとは驚きを禁じ得ない。

 さらに早野氏は、福島では放射線が低いので、両親に子どもが大丈夫であると安心させる必要がある、と考えているらしい。これは安全論を振りまいて安心させることで住民に被ばくを強いていることになる。チェルノブイリでは被ばくによる小児甲状腺がんが多発した事実があり、福島でも悪性の小児甲状腺がんが多数確認され手術が行われているというのが歴然とした事実だ。被ばくとの因果関係が証明できないからといって、被ばくの影響を無視することはできない。安易にこのような発言をすることに、人としての神経を疑う。早野氏と同じような主張をしているのが「ニセ科学批判」のリーダーである大阪大学の菊池誠氏であることも付け加えておきたい。

 今回の宮崎・早野論文の結論は、原発推進の早野氏の思惑通りのものになっている。しかし、その論文には早野氏自身が認める過小評価があり、ほかにも多数の矛盾や間違いの指摘がある。だからこそ、そこに恣意性があるのではないかと疑われるのだ。正直いって、私はこの宮崎・早野論文は科学論文という形をとった原発推進派によるプロパガンダではないかと疑っている。SBさんが最後のコメントで指摘している「心理作戦」とも言えよう。

 宮崎・早野論文は「不同意データの使用」が明らかになっているので、掲載誌から取り下げの勧告を受けるのは時間の問題だろう。しかし、論文が取り下げられたとしても、複数の科学者によって指摘されている誤りや矛盾について著者らがきちんと説明しない限り、「科学論文を利用した原発推進派によるプロパガンダ」という疑いは晴れない。不同意データの使用だけでも大問題だが、もし論文作成に際して被曝線量を過小評価するために恣意的な数字操作等が行われていたのであれば、STAP細胞の件より遥かに悪質な論文不正でありスキャンダルだと思う。

 なお、この件についてはさつきさんも問題点を具体的に指摘している。

「宮崎・早野論文事件」について(メモ:その1)
「宮崎・早野論文事件」について(メモ:その2)
「宮崎・早野論文事件」について(メモ:その3)
  
タグ :早野龍五


Posted by 松田まゆみ at 11:52Comments(0)原子力発電

2019年01月10日

早野龍五氏は物理学者らの指摘に答える責任がある

 早野龍五氏については以前、こんな記事を書いた。

御用学者、早野龍五氏の欺瞞と背景にある利権構造

 この記事で取り上げている早野龍五氏の論文は2013年のこちらのものだ。さらに昨年末になって、2017年に英科学誌に発表された早野氏らの二つの論文で本人の同意のないデータが使われたことや捏造疑惑が報じられた。

 早野氏は東京大学名誉教授であり、福島の原発事故以降、福島の汚染はたいしたことはなく健康への被害はないといういわゆる「安全論」を流布していた。しかし、早野氏らの論文にはその「安全論」の根幹を揺るがしかねない重大な問題があることが発覚したのだ。

 今回の早野氏の論文や姿勢に関する問題点について、一般向けに分かりやすく解説しているのが牧野惇一郎氏によるこちらの記事だ。

データ不正提供疑惑・計算ミス発覚の個人被曝線量論文。早野教授は研究者として真摯な対応を(ハーバー・ビジネス・オンライン)

 早野論文に関しては複数の問題があるのだが、一つは同意を得られていない住民のデータを使っていたことにまつわる問題。牧野氏は『論文に「データ処理はこうした」と書いてあることと、実際のデータ処理の結果に明らかな矛盾があります。また、「適切なデータを伊達市から受け取ったという認識で対応していた」という早野氏の回答は、市の担当者の答弁とは矛盾するものです』と指摘している。データの受け渡しに関しては第三者による検証が欠かせないだろう。

 もう一つは計算ミス。牧野氏はこのミスを『極めて初歩的なミスであり、意図的でなくこんなミスをするのは論外である一方、意図的にやったのであればあまりに下手なやり方であり、どちらにしても研究の質を疑わざるを得ないものです』としている。

 そして、報道を受けて発表された早野氏の見解にまつわる問題。黒川眞一氏は2018年8月に雑誌編集部に問題点を指摘するレター論文を送っており、査読が済んで11月16日に ready to accept となっている。また、この時点で著者にレター論文が示されている。レター論文では10箇所近い誤りが指摘されている。しかし、現時点で早野氏は黒川氏の指摘に何ら答えていない。

 さらに牧野氏は、早野氏が福島の原発事故以降、ツイッターで次々と間違った情報発信と過去の改ざんを続けていたと指摘している。これが福島安全論を拡散していた科学者の正体ということだろう。科学者としての資質が疑われる。もちろん早野氏に同調し擁護し続けている菊池誠氏も同じだ。

 なお、早野氏の論文の問題点については、ツイッターで複数の方が具体的に指摘している。

【KEK 名誉教授 黒川眞一さんによる宮崎真・早野龍五論文に対するコメント(間違いの指摘)】関連ツイートまとめ(2019.1.1作成)

2019.1.8報道【『宮崎真氏早野龍五氏論文』修正へ】の論文修正・問題点認識の不誠実さ

 これだけの問題がある以上、早野氏は最低限でも物理学者らから提示された問題点に誠実に回答する責任がある。何しろ、早野論文は福島安全論の根拠にされているのだから責任は極めて重い。

 さて、1月9日になって早野氏は毎日新聞に対し「伊達市から同意のあるデータの再提供を受けられなかった場合、両論文の撤回もやむを得ない」と述べている。

「同意あるデータ再提供なければ撤回も」早野・東大名誉教授 原発事故論文で(毎日新聞)

 これだけ疑問が噴出している論文なのだから、撤回は当然だろう。ただし、早野氏は不同意データが使われていたことを撤回の理由としているだけで、黒川氏からの指摘に関しては口を閉ざしている。私は、早野氏はもはや黒川氏をはじめとした物理学者らの指摘に誠実に答える気がない、というか答えられないので白旗を掲げたのではないかと感じた。つまり撤回表明によって説明責任を逃れようとしているように思えてならない。そうでないのなら、科学者として黒川氏らの指摘に誠実に答えてほしい。

【1月21日追記】
 黒川氏のレター論文に関する記述に誤りがあったため修正した。


  
タグ :早野龍五


Posted by 松田まゆみ at 22:23Comments(0)原子力発電

2018年12月30日

人の成熟について考えさせられた一年

 今年も残すところ僅かとなった。病気にもならず大きな事故にあうこともなく無事に一年を過ごせたことに感謝したい。

 さて、今年はとりわけ「人の成熟」について考えることが多い年だったと思う。「人の成熟」といってももちろん身体の成熟ということではなく、精神的な成熟のことだ。ネットも含め、身の回りの人たちを見ていると、いい年齢の大人や高齢者であっても精神的に未熟な人たちが一定程度いることに気づかされる。

 端的に言ってしまうなら、「未熟な人」とは何か不都合なことがあるとすぐに他人のせいにし、自分は被害者であるかのようにふるまうような人たちだ。問題解決能力がないとも言えるし、常に自分のことしか考えていない。支配的な人はもちろんのこと、支配的な人の言うなりになってしまうような人もまた未熟だろう。他者との境界線をしっかり持てず、「課題の分離」ができてないということでもある。

 赤ん坊は生きていくためにお腹が減れば泣き、おむつが汚れれば泣き、何か不満があれば泣いて親に訴える。赤ん坊にとって世界の中心は自分なのだ。しかし、やがて歩くようになり言葉を覚え、他者とのコミュニケーションをとれるようになるに従って、自己主張だけをしていたのでは他者とうまくやっていけないことを学ぶ。そうやって社会性を身につけていく。

 ところがどうしたわけか、大人になっても自分を中心に世界が回っていると勘違いしている人は一定程度いる。意見が合わないというだけで他者を罵ったり見下す発言をするが、自分が批判されようものなら烈火のごとく怒り相手を攻撃する。あるいは他者をコントロールするために褒めたり叱ったりを使い分ける。こういう人たちは他者が自分の望むように動くことを期待しているのかもしれないが、他者が自分の思い通りになるはずもなく、諍いを大きくするだけだ。自分とは異なる意見の人も尊重できなければ、やはり未熟だろう。

 自分の身を守るために強い者(自分より立場が上の人)になびき、弱い者に対しては支配的になる人たちもまた未熟と言えるだろう。嘘も隠蔽も不正も平気で自分の野心をむき出しにし、逆らう者には報復という手段で首相の座に居座り続ける安倍晋三氏ももちろんこのようなタイプだし、その安倍首相の報復を恐れて保身に走る人たちもまた未熟な人たちだと思う。今の自民党はまさに未熟な人だらけのようだ。どうしてここまで幼児化が進んでしまったのかと思うと嘆かわしい。

 安倍政権といえば、今年もまた国会や民意を軽視しやりたい放題だった。辺野古の埋め立て強行、高度プロフェッショナル制度、入管法改悪、水道民営化、カジノ法、種子法廃止、TPPと日米FAT、森加計問題の無視・・・。辺野古の件で玉城デニー知事は官邸に行って対話を求めたものの、官邸は埋め立てを強行。対話による解決をしようとしない安倍政権はまさに幼稚としかいいようがない。

 そしてこれまでの安倍政権の悪政のツケは庶民が払わされるのだ。アベノミクスの欺瞞然り、さまざまな悪法の強行採決や独断然り。そう思うと、心底ぞっとする。未熟な人間を首相にしてしまったことの弊害ははかり知れない。

 他者が自分の思い通りになどならないことは、生きていれば経験から学んでいくものだ。自分で決めるべきことに関して、他人からとやかく言われて嫌な気持ちになるのは誰もが経験しているだろう。そういう経験を経て、人は他者を尊重することを学び、他者と自分との間に境界線を引いて自己を確立していく。もちろん他者を尊重するというのは他者の言いなりになるということではない。自己の確立とは主体性を身につけるということであり、自分勝手とは違う。成熟した人というのは他人を支配したり支配されたりすることなく主体性を持ち、他者と協力し合うことができる。

 完全な人などいないのだが、それでも「人として成熟する」ということは「幸福」と同義なのだろうと思う。自己中から脱するほど、人は精神的に安定し穏やかな気持ちになれるに違いない。

 かく言う私も、ついつい他者のことに口を出してしまい、後になって余計なことを言ってしまったと苦笑することもある。自分では「アドバイス」のつもりでも相手にとっては「余計なお世話」ということもある。人は不完全で未熟で利己的な生物であるがゆえに、一生を通じて精神的成熟を目指す生き物なのかもしれない。もちろん自分の身勝手に気づけず未熟なまま一生を終えてしまう人も多いに違いない。そう考えると人間とは実に不思議な動物だと思う。

 人は何歳になっても変わることはできるし、精神的成熟に年齢制限などない。だから、「もう歳だから変われない」とか「今さら変わってもしょうがない」などと言い訳をすることだけはしないでおこうと思う。
  

Posted by 松田まゆみ at 22:52Comments(4)雑記帳

2018年12月16日

辺野古の埋め立て強行に屈してはならない

 12月14日、政府は辺野古の土砂投入を強行した。安倍政権のやり方には怒りが収まらない。何しろ沖縄県による埋め立て承認撤回に対し、二重の違法行為で執行停止をしたのだ。リテラはその違法行為についてこのように説明している。

 まず、沖縄県による埋め立て承認撤回に対し、防衛省沖縄防衛局が行政不服審査制度を悪用し“私人”になりすまして執行停止申し立てをおこなうという暴挙をはたらいたが、これを受けて石井啓一国土交通相は執行停止を決定。二重の違法行為に打って出た。
 しかも、執行停止申し立ての決裁文書に印を押した遠藤仁彦・沖縄防衛局次長は国交省からの出向者であり、新基地建設のために国交省の幹部や職員がなんと18人も防衛省に出向していることが判明。防衛省と国交省が一体化し、まさしく“自作自演”で違法の執行停止をおこなったのである。


 こんな暴挙が許されていいはずがない。しかし、強行、強行で数々の悪法を成立させてきた安倍政権は、もはや何でも思い通りにできると考えているのだろう。倫理も何もあったものではない。

 安倍首相には民意に耳を傾けるなどといった姿勢が微塵も感じられない。強行を重ねることで自分の力の強さを国民に見せつけ、国民が「どんなに反対をしても無駄」だと思うように仕向けているかのようだ。

 私は安倍政権の危うさとはまさにこうした強行姿勢にあると思っている。今回の土砂投入の強行は、沖縄県民の怒りの火に油を注いてしまったとしか思えない。政府が諦めさせようとすればするほど、沖縄県民は「諦めない」という意志が強固になるだろう。しかも、埋め立ては深刻な環境破壊を引き起こす。この蛮行は世界に知れ渡り、厳しい批判にさらされることになるだろう。

 リテラの記事によると、今回土砂投入が狙われている辺野古側7ヘクタールの埋め立てに必要な土砂総量は319立方メートルで、「365日休みなく作業しても、搬入だけで3~4年はかかる」と言われている。埋め立て区域は全体で160ヘクタールだというから、全部埋め立てを終えるには莫大な量の土砂が必要であり、完成が何年先になるか分からない。こんな工事のために巨額の税金が使われるのだ。本土の人たちにとっても他人事ではない。

 政府がここまでして工事を急ぐのは、来年2月24日に実施される県民投票に危機感を持っているからだろう。アエラによると、県民投票の前に埋め立てをはじめて既成事実をつくり諦めさせるという狙いがあるという。

 しかも辺野古が完成しても普天間が返される保障などどこにもない。というより、米国は返還などするつもりはないのだろう。普天間は返らず、辺野古の海は破壊され、軟弱地盤の上に埋め立てで造られた基地は使い物になるかどうかも分からない。滅茶苦茶な話しだ。

 沖縄の人たちが体を張って頑張っているが、本土の人たちも決して諦めてはならないと思う。

 住民投票まで辺野古の埋め立てをストップさせることをホワイトハウスに求める請願署名が行われている。2019年1月7日までに10万筆の署名を集めると、ホワイトハウスは60日以内に何らかのアクションを起こさねばならないとのこと。

「First Name」(なまえ) 「Last Name」(姓) 「Email Address」を入力し、「Sign Now」をクリックするとメールが届くので、そのメールの「Confirm your signature by clicking here.」をクリックすれば署名が完了。

 埋め立ての全面中止を求めているわけではなく、「住民投票までのストップ」だし、ホワイトハウスがどんな返事をするのかは分からないけれど、黙って何もしなければ安倍政権の蛮行を認めるに等しい。安倍政権のやり方がおかしいと思う人は是非署名してほしい。

  
タグ :辺野古


Posted by 松田まゆみ at 23:34Comments(2)政治・社会

2018年12月15日

分かりやすい「退職完全マニュアルnote」

 ツイッターに「退職完全マニュアルnote」という記事が流れてきた。「かんねこ」というハンドルネームの弁護士さんが書いた記事だ。

 要は「ブラック企業に就職してしまい退職したいのになかなか退職できない」とか、「給料が安くて生活できない」とか「自分に合う企業ではなかった」など、退職をしたいと思っているもののなかなか退職に踏み切れない人に向けた対処法だ。

 非正規雇用が大幅に増え、ブラック企業がそこいらじゅうに溢れる昨今、このような悩みを抱えている人はすごく増えているのではないかと思う。「自分が辞めたら会社に迷惑がかかる」とか、「みんな我慢しているから自分も頑張らねば」などと自分に言い聞かせて無理をしている人も多いのではなかろうか。

 そうした思考に陥って退職を躊躇してしまう理由のひとつに、法的なことを知らないということが大きいと思う。そんな人たちに対して、退職するための方法を分かりやすく書いていてとても参考になる。まあ、高齢世代の私には直接的には関係がないのだけれど、若い人たちには多いに参考になるだろう。

 ここでは小見出し(要はこの記事の要点)だけ以下に紹介しておきたい。

・大前提として、退職は自由だし一方的でいいんです
・ちょっと待った!退職代行サービス
・退職の意志の伝え方
・会社が退職届を受け取ってくれない場合
・退職届を出したあとの二週間を無断欠勤できるか
・無断欠勤について脅しをかけてくる会社にビビる必要はない
・退職届を出した後の二週間について給与をもらいながら会社を休む方法
・会社が怒って給与を払ってくれなかった場合
・離職票の手続きを行ってくれない場合
・嫌な会社に縛られる人生を変えるために

 世の中には一つの仕事が長く続かず、転職を繰り返す人がいるようだ。理想ばかり追いかけても100%満足できる会社などそうそうないだろうし、会社での不満は自分の努力で変えられることもあるだろう。だから私は不平不満ばかり言ってすぐに転職をしてしまうことが良いとは思わない。しかし、ブラック企業で無理をして働いて健康を損ねてしまうのならさっさと見切りをつけるべきだ。頑張ってみるべきか辞めるべきかの見極めはちょっと難しいところがあるかもしれないけれど、条件の悪い非正規雇用をじゃんじゃん増やす一方で労働者を守ろうとしない国なのだから、自分の身は自分で守っていくしかない。

 こんなツイートがあってかなりリツイートされている。

https://twitter.com/chochouAmelie/status/1073133191009955840
フランス人と結婚した人の話として「昼休みは2時間、有給は2ヶ月、バカンスの国の国民はいいね」と配偶者に言ったら「我々はその権利を勝ち取るために不断の努力をして来た。ただ口を開けてお上が施しをくれるのを待っている国民に言われたくないね」と返されたらしい 権利は勝ち取るもの

 日本人はこの「権利は勝ち取るもの」という意識がとても低いように思えて仕方ない。「長いものには巻かれろ」とか「波風を立てない」などといった思考をする人がいかに多いことか。しかしそうやって権利を主張しないでいれば強者の思うままだろう。一人ひとりが自分の権利を勝ち取っていく努力をしない限り、国民は奴隷のようにこき使われて使い捨てにされるだろう。

 ブラック企業についての情報を二つほど紹介しておきたい。

第7回ブラック企業対象2018ノミネート企業発表!

ブラック企業マップ

*ここに出ている企業は氷山の一角だろうけれど、ブラック企業を明らかにするこうした取り組みは大事だと思う。
  

Posted by 松田まゆみ at 14:11Comments(0)政治・社会

2018年11月17日

えりもの森裁判(1審の差し戻し審)を終えて

 11月はじめに右手首を負傷してしまいブログの更新をさぼっているが、10月17日発行の「ナキウサギつうしん84号」(ナキウサギふぁんくらぶの機関紙)に寄稿したものをアップしておきたい。原稿を書いた時点ではまだ判決が出ていなかったのだが、判決では原告らの請求は棄却されてしまい控訴した。したがって、この裁判はまだ続くことになった。

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えりもの森裁判(1審の差し戻し審)を終えて

 6月5日、「えりもの森裁判」の1審差し戻し審が結審し、10月2日に判決が言い渡されることになった。記録をたどれば、提訴は2005年の年末。あれから13年目にようやく終結を迎えた。提訴した当時は数年で終わると思っていたので、まさかこんなに長期間にわたるとは思いもよらなかった。後半には提訴したのがいつだったのか、そしてどんな経緯をたどったのかも忘れてしまうくらい長い裁判だったが、今となると感慨深い。

 提訴のきっかけは2005年の秋。ナキウサギふぁんくらぶの市川利美さんから、えりもの道有林の一部が皆伐されているとの情報が寄せられた。この地域一帯は希少な動植物が生息しており、私たち自然保護団体のメンバーが大規模林道の調査で何度も足を運んでいたところだ。現地に出かけてみるとこれまで針葉樹と広葉樹で覆われていた場所がぽっかりと切り取られたように伐採されて景色が一変していた。そればかりか、ナキウサギふぁんくらぶが確認していたナキウサギ生息地までも集材路で壊されている。

 北海道は平成14年から木材生産のための伐採はやめ、森林の公益的機能を重視した森づくりにすると宣言したはずだったのに、どうして皆伐されているのか? 情報開示請求により伐採に関する資料を取り寄せて分かってきたのは、この皆伐が「受光伐」とされていることだった。「受光伐」とは、下層木の成長を促進させるために抜き伐りをする伐採方法だ。ところが実態は紛れもなく「抜き伐り」ではなく「皆伐」。そして伐採跡地にはトドマツの苗木が植林された。生物多様性の豊かな天然林をトドマツの人工林にしてしまったのだ。

 この皆伐やナキウサギ生息地の破壊は森林のもつ公益的機能を損なっており北海道の条例や生物多様性条約に違反するのではないか? そんな疑問から市川守弘弁護士、ふぁんくらぶ代表の市川利美さん、そして私の3人が北海道の監査委員に対して住民監査請求を経て始まったのが「えりもの森裁判」だ。原告らは、違法な伐採により森林のもつ公益的機能を損ねたことによる損害と、過剰な伐採による道有財産への損害を主張した。

 裁判の長期化の最大の要因は1審の不当判決と被告である北海道の抵抗だと私は思っている。現場に通って調査を重ねた私たちから見たら、過剰な伐採が行われたことで北海道の財産である森林が損害を受けたことは明らかだった。原告らの主張をまったく認めず違法性の判断すらしなかった1審はどうみても不当判決であり、1審への差し戻しを命じた高裁の判決はまっとうなものだったと思う。それにも関わらず、被告の北海道は最高裁に上告した。最高裁も高裁の判断を支持して地裁に差し戻しをしたわけで、北海道の対応は時間稼ぎではないかと思わざるを得ない。

 裁判の出発点は皆伐が森林の公益的機能を損ねたということだったが、終盤では過剰な伐採による財産としての損害に焦点が絞られた。公益的機能の損害は認められなかったものの、森林を財産とみなしてその管理のあり方を問う裁判はこれまでに例がなく、自然保護の観点からも注目される裁判だと思う。

 思い返すと、「えりもの森裁判」はこの後に展開された北海道の森林伐採問題への取り組みの第一歩だった。これを皮切りに、私たち自然保護団体は上ノ国町のブナ林の違法伐採、十勝東部の伐採による自然破壊、大雪山国立公園幌加地区の風倒木処理を名目とした皆伐、石狩川源流部の違法伐採など、違法伐採や大きな自然破壊を伴う伐採問題に取り組むことになり、それなりに成果を上げることができた。

 これまでも違法伐採の話しはいろいろ耳にしたが、一般の人が立ち入ることのない山の中では森林管理者と業者が癒着して違法伐採を行っていても誰も確認できず見過ごされてきた。「えりもの森裁判」の大きな意義は、こうした違法伐採に歯止めをかけることだし、それは一定程度の成果を上げたと思う。

 このあと控訴や上告とさらに続く可能性もあるが、まずは13年もの長きにわたり尽力してくださった弁護団の先生方にこの場を借りてお礼申し上げたい。
  

Posted by 松田まゆみ at 16:58Comments(0)えりもの森裁判

2018年10月29日

自己責任バッシングは政権擁護のための責任転嫁

 シリアで反政府勢力に拘束されていた安田純平さんが解放され帰国したことで、ネットでは自己責任論をふりかざしたバッシングが吹き荒れている。高遠菜穂子さんら3人がイラクで拘束されたとき以来、このような事件があると自己責任論が跋扈する。

 では、自己責任とは何なのか? コトバンク(デジタル大辞泉)では以下のように説明されている。

1 自分の行動の責任は自分にあること。「投資は自己責任で行うのが原則だ」
2 自己の過失についてのみ責任を負うこと。

 自分が選択したことの結果責任は自分で負うということであり、リスクも引き受けるということだ。人は生きていくうえで常に選択をしている。日常的なことはもちろんのこと、進学や就職、結婚といったことも自分で選択しなければならない。病気になれば治療についての選択も基本的には本人にある。病気であることを知りつつ治療をせずに放置したなら、その責任は自分で負わなければならない。誰もが常に自分の選択や言動の責任を負って生きているのだ。

 もちろん過失についても責任を取らねばならない。自分の判断にミスがあり他者に迷惑をかけたり損害を生じさせたなら、謝罪をした上でできる限り現状回復の努力をする。あるいは生じた損害を賠償する。さらに、再発防止策を考え実行することが「責任の取り方」だろう。自分の選択や言動の責任を取ろうとせずに他人のせいにする人がしばしばいるが、こういう無責任な人は自立しているとはとても言えない。

 もちろんジャーナリストが取材のために戦場に赴く行為にも自己責任はつきまとっている。安田さんが拘束された経緯は分からないが、彼は拘束される危険性を十分に認識していたはずだし警戒もしていただろう。その上で自分の判断で危険地帯に入り、結果としてつかまってしまった。この際の自己責任とは、拘束されたことを他人のせいにせず、困難を乗り越え生きて帰るためにできうる努力をすることだ。これに関して、安田さんは他人のせいにはしていない。そして彼は3年以上に及ぶ地獄のような拘束生活に耐えて帰還した。彼は自分の判断によって自分の身に起きたことに対し責任を負ったと言えるのではないか。落ち着いたら説明責任を果たすとも言っているのだから、今はそれを待ちたい。

 「自己責任」を振りかざしてバッシングする人たちにしばしば見受けられるのは、自己責任だから国が救出する必要などないなどという主張だ。しかし、「個人の責任」と「国が自国民を救出する責任」はまったく別のことだ。国外で自国民が事件や事故に巻き込まれたなら政府が救出のために尽力するというのは国としての責務だ。

 問題なのは、日本政府は国としての邦人救出の責務を果たしているとはとても思えないことだ。湯川遥菜さんと後藤健二さんがイスラム国に拘束されたときも、政府は中田考さんや常岡浩介さんからの交渉の申し出を断ってしまった。それどころか、湯川さんの救援を計画していた常岡さんは私戦予備・陰謀事件の容疑で警察から家宅捜索を受け、救援の機会を奪われた。日本政府は湯川さんや後藤さんの救出のために尽力するどころか、妨害をしたといっても過言ではない。

 「自己責任だから救出などする必要がない」という意見は、個人の責任と国の責任をごっちゃにして国の責任を個人の責任に転嫁しているにすぎない。だから、「自己責任論」は政府にとって実に都合がいいのだ。

 自己責任論を口にする人は、必ずといっていいほど「個人の責任」と「社会的責任」を混同させている。非正規雇用を増やしワーキングプアをつくりだしたのも、社会保障をどんどん削ってきたのも政治や社会の問題だが、それで生じた貧困の人たちすら「自己責任」だといって切って捨てる。ワーキングプアもホームレスも病気になる人も「自己責任」にしてしまえば、政府は何ら責任がないことになる。「自己責任論」は、社会的弱者を切り捨てるためのまやかしだ。

 そして、そんな弱者切り捨ての新自由主義を推進している人たちこそ自己責任を果たそうとしない。森・加計問題で安倍首相、昭恵夫人、加計孝太郎氏などは国会で説明する責任があるにも関わらず全く果たしていない。

 安倍首相は森友学園問題で「妻や私が関係していたということになればこれはまさに私は間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということははっきりと申し上げておきたい」と言っておきながら、昭恵夫人の関与を示す証拠が出てきても一向に辞めようとしない。安倍首相の過去の選挙妨害疑惑(いわゆる「ケチって火炎瓶」事件)に関しても安倍首相は説明責任があるし、事実なら辞任するのが当然だろう。これほど自分の言動の責任を取らない人が首相を続けているのだから、自己責任論を展開する人たちは首相の責任こそ追及するのが筋ではないか。

 ところが、彼らは決して首相の責任問題には言及しない。彼らの自己責任バッシングの目的は安倍政権を批判する人を貶め、不正まみれの安倍政権を擁護することに他ならない。
  


Posted by 松田まゆみ at 21:03Comments(0)政治・社会

2018年10月16日

日本産クモ類生態図鑑の紹介

 今年8月に小野展嗣・緒方清人著「日本産クモ類生態図鑑」(東海大学出版部)が出版された。

 2009年に出版された小野展嗣編著「日本産クモ類」(東海大学出版会)は当時の日本産の既知種64科423属1496種を扱い、科・属・種の解説と生殖器の図を網羅した分類、同定のための画期的図鑑だった。一方、本書は概説にはじまり、緒方清人氏撮影による857種(未記載種および新種を含む)の生態写真からなるカラー図版と、解説(体長、分布、生息環境、生態・習性、生活史)によって構成されている。

 本書の最大の特徴は、カラー生態写真の豊富さだろう。雌雄の成体の写真のほか、色彩変異の個体、幼虫、卵のうや網、捕食の様子など、1種につき複数の写真が掲載され、写真を見ているだけでも楽しい。携帯サイズの写真図鑑ではこれだけの枚数の写真を盛り込むことは困難であり、大型図鑑の強みだと思う。

 また、じっくりと写真を見ることで、生きた状態での近縁種の違いも見えてくる。例えば液浸標本では外見、外雌器、雄触肢がとてもよく似ているハモンヒメグモとリュウキュウヒメグモも、こうして生態写真を見比べると体色や卵のうの色など違いが分かりやすい。

 解説は1種につき数行から20行程度で比較的簡素にまとめられている。紙幅の関係のほか、説明文の長さのバランスも考えてのことかと思うが、生態や生活史についてこれまで知られている知見を網羅しているというわけではない。クモの生理生態についてより詳細に知りたい場合は、池田博明氏による「クモ生理生態事典」を参照されるといいだろう。

 「日本産クモ類生態図鑑」は、「日本産クモ類」の姉妹編という位置づけであり、前者が分類・同定を目的とした専門的な書であるのに対し、後者はふんだんなカラー写真による自然状態でのクモの姿に重きが置かれている。「日本産クモ類」を使いこなすためにはある程度の知識や経験が必要だが、カラー写真をメインとした「日本産クモ類生態図鑑」と併せることで、クモの知識があまりない方も利用しやすくなったと言えよう。

 それにしても、本書の写真のすべてを緒方清人氏が撮影しているというのは驚くべきことだ。クモの写真を撮ったことがある人なら分かると思うが、植物の上や網でじっとしているクモはともかく、徘徊性のクモはすばやく走り回って植物や石の陰に入り込むことが多く、静止している状態を撮影するのはとても難しい。サラグモ類やヒメグモ類などの小型の種の野外撮影も容易ではない。北海道から沖縄まで、日本全国を歩き回って857種ものクモを撮影するというのは並大抵のことではない。

 クモの写真図鑑でこれまで最も掲載種が多かったのは新海栄一著「日本のクモ 増補改訂版」(文一総合出版)の598種だが、新海氏がすべての写真を撮影しているわけではない。現在、日本で記録されているクモは1659種(日本産クモ目録2018)だが、857種といえばその半数を超える。一人でこれだけの写真を撮るというのは驚異的だ。長年の撮影の成果がこのような形で公表されることになった意義は大きい。

 思い返せば、私がクモに興味を持って調べ始めた頃(約40年前)は、クモの図鑑といえば八木沼健夫著「原色日本蜘蛛類大図鑑」(保育社)くらいしかなかった。ところが北海道のクモはこれに載っていないものがかなり多く、図鑑で分からない種は専門の方に標本を送って同定してもらうしかなかった。1986年には保育社の図鑑が「原色日本クモ類図鑑」に改訂され掲載種も増えたが、それでもこの図鑑で同定できない種が多くあった。

 そんな中で画期的ともいえる図鑑が、1989年に出版された千国安之輔著「写真日本クモ類大図鑑」(偕成社)だった。北海道から沖縄まで540種のクモの雌雄と生殖器の写真が載ったこの図鑑は、保育社の図鑑だけでは同定が困難だった多くのクモの同定に役立った。特徴的なクモを除き、クモの同定には実体顕微鏡による生殖器の確認が欠かせないが、生殖器の写真はほんとうに有難かった。

 そして小野展嗣氏の尽力により、2009年に「日本産クモ類」が出版され、ようやく既知種すべての生殖器の図が掲載された図鑑が登場した。これによって、それまではあっちの図鑑、こっちの論文とあちこちの文献に当たらねばならなかったクモの同定が格段に簡便、容易になった。この功績は計り知れない。

 他にも「クモ基本50」(解説・新海栄一、写真・高野伸二、森林書房)、「クモ基本60」(東京蜘蛛談話会)、「クモハンドブック」(馬場友希・谷川明男著、文一総合出版)、「ハエトリグモハンドブック」(須黒達巳著、文一総合出版)などのハンドブックが次々と出版された。また2年ごとにバージョンアップされる「CD日本のクモ」(新海明・谷川明男、安藤昭久、池田博明・桑田隆生)は国内での分布が一目で分かるし、バージョンアップの度に充実してきている。この40年間に夢のような進歩があった。

 昨年出版された「ハエトリグモハンドブック」はすでに三刷だという。写真を用いて一般の人にも分かりやすいように工夫されたクモ図鑑の出版によって、クモに関心を持つ人が増えているように思うが、実に喜ばしいことだ。
  


Posted by 松田まゆみ at 09:19Comments(0)クモ