さぽろぐ

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2013年09月16日

木の幹に棲むムレサラグモ

 8月下旬にムレサラグモ(Drapetisca socialis)を探しに行ったときには1頭も見つけられなかったのだが、9月11日にもう一度探しに行った。数十本のシラカンバなどの幹を見て回り、1頭だけ見つけることができた。





 ムレサラグモの成体が現れるのは夏の終わりから秋にかけて。そして、生息している場所は木の幹である。特に、カンバ類やトドマツなど、樹皮がなめらかな樹種を好むようだ。モノトーンの斑紋は隠蔽色となっており、樹皮に紛れて目立たない。また斑紋は個体変異がある。

 ムレサラグモの学名のsocialisは、「仲間の」「社会の」という意味である。このクモを観察していれば分かるが、しばしば1本の木の幹に何頭も見られることがある。和名のムレサラグモの「ムレ」は「群」のことだ。

 クモは基本的に単独生活者だし、サラグモの仲間は大半が皿状の網を張る。ところがムレサラグモはしばしば群がっているし、皿状の網を張らない。かなり変わり者のサラグモだ。

 幹にいるムレサラグモはどう見ても徘徊性(網を張るクモを造網性、張らないクモを徘徊性という)のクモにしか見えない。しかし、よくよく見るとクモのいる場所には細かく糸が張られていて網を持っていることが分かる。下の写真ではクモの左側に網が見えるのだが、分かるだろうか?





 それにしても、この季節にたった1頭しか見つからないというのはどうしたことなのだろう? たまたま今年は個体数が少ないだけならいいのだが、ちょっと気になってしまう。

 同じように幹を生活の場としているサラグモにキノボリキヌキリグモ(キハダキヌキリグモ)がある。キノボリキヌキリグモは長野県の高地の森林で数頭見たことがあるが、湿度の高い自然林の苔むした樹皮に生息していた。原生林の減少とともに数が減っているクモだろう。日本での記録は少なく、希少なクモだ。

 キノボリキヌキリグモの写真は以下を参照いただきたい。

キノボリキヌキリグモ(キハダキヌキリグモ) (三重クモ談話会ホームページ)

  


Posted by 松田まゆみ at 21:20Comments(0)クモ

2013年09月01日

命をつなぐマルコブオニグモ

 先日、ムレサラグモの写真を撮りに行こうと思い立った。フイルムカメラを使っていた頃に写真を撮ったことがあるが、考えたらデジカメでは写真を撮っていなかったのだ。ムレサラグモは夏の終わりから秋にかけて成体が出現するサラグモの仲間で、カンバ類やトドマツなどの幹に多い。

 今の季節ならまず間違いなく見られるだろうと思っていたのだが、何本ものシラカンバの幹を見て回っても全然姿が見られない。いったいどうなっているのだろう??

 で、ムレサラグモの代わりに見つけたのがマルコブオニグモ(Araneus rotundicornis)。その名のとおり、腹部に丸みを帯びた二つのこぶがある。卵のうを守っているのだが、すでに子グモがふ化しているようだ。北海道のクモの多くは幼体で越冬するが、マルコブオニグモも子グモで越冬するのだろう。こうして次世代へと命が引き継がれていく。





 マルコブオニグモは北海道では平地にも生息していてそれほど珍しい種ではないが、個体数は多くはない。本州では山地に生息し、珍しい種のようだ。

 もうずいぶん昔のことになるが、北アルプスの常念岳の山頂近くのハイマツの茂みにこのクモが何頭もいた。本州でも標高の高いところでひっそりと暮らしているのだろう。

  


Posted by 松田まゆみ at 13:39Comments(0)クモ

2012年12月29日

イソコモリグモの未来は如何に・・・

 先日届いた東京蜘蛛談話会の会誌「KISHIDAIA」にはイソコモリグモ関係の報告が複数掲載されていた。その中でも興味をひかれたのは、谷川明男さんと新海明さんによる「今そこにいるイソコモリを大切にしよう」という報文。谷川さんと新海さんは日本各地のイソコモリグモ生息地を訪ねて採集を行い、遺伝子解析を行ったのだが、その概要が説明されている。

 内容をかいつまんで紹介しよう。

 イソコモリグモは北海道と本州に生息している。北海道では磯海岸を除きほぼ全周に生息地がある。本州の日本海側では青森県から島根県まで分布し、太平洋側では青森県と岩手県北部、そして茨城県に分布する。これらの44カ所でイソコモリグモを採集し遺伝子解析を行ったところ、AからFの6つの系統群に分けることができた。

 これらの6つの系統群はAグループ(北海道・青森県および岩手県北部の太平洋側・青森県と秋田県北部の日本海側)とBグループ(青森から新潟県までの日本海側)が一部(青森県と秋田県北部の日本海側)で重なっているほかは、異所的に分布していることが分かった。また、海岸間の集団構成には大きな違いがある。

 つまり、日本のイソコモリグモは遺伝子レベルで6つのグループに分けられ地域ごとに分化しているが、ひとつの海岸(一続きの生息地)内では遺伝子構成の違いが少ない。このことから、イソコモリは移動能力が低いクモであると推測される。


 クモはバルーニングといって空中飛行をすることが知られており、種によってはかなり遠方まで移動することができる。しかし、イソコモリグモの場合はそのような移動はしないようだ。

 北海道と東北北部に生息するイソコモリが、同じグループであることも興味深い。おそらく海水面が低下して北海道と青森が陸続きになったときに、北海道のものが南下したのだろう。イソコモリグモの分布拡大には海水面の低下による生息地の拡大が大きく関わっていたに違いない。私はミズグモもおそらく同じようにして海岸沿いに分布を広げたのではないかと推測している。

 私はここ数年にわたって北海道のイソコモリグモ生息地を回って見てきたが、小さな入り江の砂浜などに隔離分布しているところがいくつもあった。しかし、そのような生息地が破壊などによって絶滅してしまったなら、まず回復することはできないだろうと思っていた。今回の谷川さんと新海さんの解析は、まさにそのことを証明している。

 イソコモリグモは、時には孤立したほんの小さな砂浜で生き続けている。この逞しさによって、絶滅と分布拡大を繰り返しながら何万年も生きてきたのだろう。しかし、海岸線がどんどん護岸され、あるいは浸食によって削られていく昨今、イソコモリの将来は決して安泰ではない。

 もし、ふたたび氷期が訪れて海水面が低下し、隔離されていた生息地が砂浜で繋がったなら、絶滅してしまった生息地にもイソコモリが復活するかもしれない。しかし、次の氷期が訪れる以前に護岸や海岸浸食などによりイソコモリが絶滅してしまう可能性の方が高いのではなかろうか。あるいは原発事故や核兵器による放射能汚染によって、人類を含む地球の生物は絶滅の危機に瀕するかもしれない。

 人類の近代文明は何万年も生き続けた種を簡単に絶滅に追いやってしまう。人類の罪ははかり知れない。

  


Posted by 松田まゆみ at 22:18Comments(2)クモ

2012年08月29日

マツダタカネオニグモ調査で望岳台へ

 晴天に恵まれた昨日は、十勝岳の登山口である望岳台にマツダタカネオニグモの調査に行った。下の写真は望岳台からの十勝岳。写真では分かりにくいが、火口からはもくもくと噴煙が上がっている。





 望岳台(標高930m)周辺には岩塊地があり、散策路も整備されている。岩塊地の周辺には植物も豊富で緑岳のように風は強くなく、マツダタカネオニグモの生息適地のように思える。

 ただし、気になるのは活火山で岩塊が新しいということだ。近年も小規模な噴火が起きている。1988年末の噴火では私の住んでいるところでも降灰があって雪がうっすらと黒くなった。新しい火山の場合、かつては生息していたが大規模な噴火で絶滅したということも考えられる。

 岩塊地に向かうべく散策路の入口を覗いてドッキリ。橋が落ちていて通れそうにない。しかしよく見ると、落ちた橋の横に通路がついている。やれやれ・・・。





 散策路を歩いていて気づいたのだが、道の脇に並べられている石が、何者かによって動かされている。





 こんな重い石を人がいたずらで動かすとは考えにくい。しかも、何カ所もある。とすると・・・これはヒグマの仕業だろう。アリでも探して石を動かしたのではなかろうか。人間にとってはとてつもなく重い石でも、ヒグマにとっては片手でちょいと動かせるに違いない。くわばらくわばら・・・。

 ちょっと歩くと、ナキウサギの声が聞こえる。ここはとてもナキウサギが多いところだ。貯め糞や貯食もある。ナキウサギの糞は大きさといい形といい正露丸にそっくりだ。





 目的の岩塊地にはほどなく着いた。こんな場所だ。





 露岩帯を登りはじめるとすぐに岩の間に張られた円網を見つけた。「おお、ついに生息確認か!」と小躍りしたのもつかの間、隠れ家からするすると網に出てきた蜘蛛はオレンジ色をしていてマツダタカネオニグモとは違う。ニワオニグモの子グモだ。残念!





 しばらく岩塊地を這いつくばって網を探したのだが、円網を張っているクモはニワオニグモの子グモばかりだった。それと、サンロウドヨウグモ。サンロウさんは岩穴の入口に水平に近い円網を張っている。

 こちらはヒメグモの仲間。たぶんオオツリガネヒメグモだろう。円網ではなく不規則網を張る。





 というわけで、今回も残念ながらマツダタカネオニグモを見つけることはできなかった。私はタカネコモリグモやナキウサギの調査などで北海道各地の岩塊地を見ているが、今のところ然別火山群とユニ石狩岳の大崩れでしか確認していない。このクモは環境省のレッドリストで絶滅危惧Ⅱ類になっているが、北海道中央高地のごく一部の地域の露岩帯にしか生息していないとしたなら希少性はかなり高いといえるだろう。

  


Posted by 松田まゆみ at 16:13Comments(0)クモ

2012年08月16日

緑岳でのマツダタカネオニグモ調査

 14日は大雪山の緑岳中腹の岩塊地に出かけた。前回の桂月岳に続き、高山の岩塊地でのマツダタカネオニグモの調査だ。

 高原温泉から急坂を登ると、まだ雪渓の残る第一花畑に出る。もう花の盛りは過ぎていて、チングルマは大半が実になっている。ピンクのエゾノツガザクラの花は終わってしまったようだが、アオノツガザクラ(写真上)やエゾコザクラ(写真下)はまだ十分楽しめた。









 第一花畑から第二花畑を経て、ハイマツの緩斜面をたどると緑岳への大斜面に出る。岩塊の斜面なのだが、ハイマツも結構多い。斜面の中ほどより少し上、標高1850メートル前後のところにハイマツの少ない露岩帯があり、そこが目的地だ(緑岳に向かって右側に崩壊斜面があるが、左側の岩塊斜面に登山道がついている)。





 前日は雨天だったが、この日は晴れて登山日和になった。岩の間に網を張るマツダタカネオニグモは、晴天になると一斉に網を張り始めることが多い。だから、ここに生息していたならこんな日は網が見られる可能性が高い。

 緑岳の大斜面を登り始めると、風がどんどん強くなってきた。ときどき吹き飛ばされそうな強風に襲われひどく寒い。さっきまでTシャツ一枚で汗をかいていたのだが、長袖シャツを着て、さらに合羽の上着も着込んだ。それでも寒い。

 目的地の岩塊斜面でひとしきり網を探したのだが、結局見つけることはできなかった。やはり大雪山の高山帯には生息していないのだろうか。





 この岩塊地にはもちろんナキウサギが生息していて、ときおり鳴き声が聞かれる。岩穴には貯食もあった。ハイマツばかりでナキウサギの餌になる植物が豊富とは思えないのだが、どこからかちゃんと植物を集めてきている。こんな厳しい環境で生きているナキウサギの生命力に驚かされる。





 日本の山は、冬には世界一の強い風が吹くという。これは、ヒマラヤの北と南を迂回してくるジェット気流が日本の上空で収斂するためだそうだ。(小泉武栄:美しく世界的にも得意な日本の山 参照)

 夏でも日によってはかなりの強風にさらされる高山の露岩帯は、円網を張るクモにとっては条件のよい環境ではないのかもしれない。雲海におおわれることが多ければ餌となる昆虫もそれほど捕獲できないだろう。これまでこのクモが確認されているのは森林帯にある露岩帯なのだが、高山帯より森林帯の方がはるかに条件は良いように思える。

 もちろんこれだけの調査では結論づけられないが、大雪山の高山の露岩帯には生息していない可能性の方が高いような気がしてきた。

 高原温泉には、世界でここでしか知られていないダイセツヒナオトギリの群落がある。かつてはもっと広く分布していたもののここだけに取り残されてしまったのだろうか。なんとも不思議な植物だ。





    
  


Posted by 松田まゆみ at 10:44Comments(0)クモ

2012年08月05日

マツダタカネオニグモは大雪山の高山帯に生息しているか?

 3日は大雪山の桂月岳に登ってきた。黒岳の石室からすぐの山だが、これまで登ったことはなかった。

 今回の登山の主たる目的は、マツダタカネオニグモ(Aculepeira matsudae)の生息調査だ。このクモは岩の積み重なった岩塊地に生息するのだが、今のところ北海道中央高地の然別火山群一帯と、ユニ石狩岳(ユニ石狩川コース)の登山コースの途中にあるガレ場でしか確認されていない。然別火山群の生息地は標高がおよそ1000~1200メートル前後であり、ユニ石狩岳の生息地は標高約1300メートルだ。どちらも山地ではあるが森林限界より上の高山帯というわけではない。





 岩塊地はもちろん大雪山の高山帯にもある。私はこれまでにニペソツ山の前天狗岳の岩塊地や白雲岳の山頂近くの岩塊地でこのクモがいないかと探したことがあるのだが、見つけることができなかった。

 桂月岳も山頂付近には岩塊地がある。そこで、調査に行ったのだ。山頂付近の岩塊地はこんな感じ。









 面積的にはそれほど広大ではないものの、大きな岩の積み重なりがあり生息が可能と思われるのだが、残念ながら見つけることはできなかった。

 このクモに大変よく似た近縁種のAculepeira carbonarioidesは、北米大陸ではアラスカ、カナダのほかロッキー山脈の岩塊地に生息しており、コロラドでは標高11.000フィート(メートルに換算すると3,353メートル)のところにも生息しているという。ロッキー山脈では高山帯の岩塊地にも生息しているクモなのだ。

(ここに Aculepeira carbonarioidesのことが書かれている海外のサイトをリンクさせたら、「本文に登録できない単語が含まれています」という警告が出てしまいアップできない。別に問題のあるサイトではないのに、「さぽろぐ」はどんな設定になっているのだろう)

 北米大陸での分布から考えるならば、北海道の高山帯に生息していても何らおかしくはない。ところが、不思議なことに今のところ北海道では高山帯からは見つかっていないのである。

 然別火山群での観察では、このクモは天気のよい日には岩塊の間に円網を張って中央に止まっているのだが、天気が悪い日は網もほとんど見られない。桂月岳に登った日も霧がかかっていてほとんど日が差さなかった。この天気では生息していたとしても網を張っていない可能性が高い。

 大雪山の高山帯で見つからないのはそもそも生息していないのか、それとも見つけられないだけなのか・・・。この疑問を解くためには晴天の日に岩塊地のある高山帯を調べなければならないのだが、年齢とともに体力の方は自信がなくなる一方だ。
  


Posted by 松田まゆみ at 17:12Comments(0)クモ

2012年06月22日

逞しく生きるイソコモリグモ

 17日から19日にかけて、道北にイソコモリグモの調査に出かけた。道北は一通り見ているのだが、気にかかっていた場所があり補足調査をしたのだ。

 その結果、前回は見つけられなかった場所で確認できたところが何カ所かあった。その中のひとつは稚内市の「こうほね沼」。

 「こうほね沼」のあるあたりは浸食によって海岸線が後退して沼に迫ってきており、沼への海水の流入が懸念されている。このために沼の周辺は護岸されており、前回ここに来たときには一目見て生息不可と判断した。ところが、今回また護岸部分を歩いてみると、何とこの護岸の脇のわずかな砂地にイソコモリグモの巣穴があったのだ。これには驚いた。

 下の写真の中央の棒を立てたところに巣穴がある。右側が護岸で、沼は左側。





 穴からはイソちゃんの顔が見えた。





 上の写真からも分かるように、護岸を超えて流木が流れついている。波の高いときはここまで海水がくるのだ。

 下の写真も護岸の脇だ。中央に横たわる物体は遠くから見ると流木のようにしか見えないのだが、実は流木ではない。





 実は、これはクジラの骨なのである。沼の南の砂浜でも、同じ個体と思われるクジラの骨があった。でも、多くの人はこれが何なのか気づかないのかもしれない。









 もう一カ所、驚くべきところに巣穴を見つけたのが、遠別川河口の「みなくるビーチ」という海水浴場だ。

 このあたりは海流の関係なのか、海岸にものすごい量の流木とゴミが流れ着くらしい。流木とゴミの山ではとても海水浴場にならない。このために重機でゴミ処理をし、砂浜をならしているのだが、なんとそこにもイソコモリの穴があった。棒が立っているところに巣穴がある。





 こんな風に、イソちゃんはけっこう逞しい。この逞しさゆえに氷河期も、縄文海進のときも生き延びてきたのだろう。しかし、昨今の人間による開発と護岸工事には勝てず、生息地の分断化と縮小が続いている。
  


Posted by 松田まゆみ at 23:42Comments(0)クモ

2012年01月07日

イソコモリグモの分布と大津波

 イソコモリグモは海岸の砂浜に巣穴を掘って生活している大型のコモリグモだ。日本では、北海道と本州に生息している。北海道では広く分布しているのだが、興味深いのは本州の分布だ。

 本州の場合、日本海側と太平洋側ではかなり分布の様相が異なっている。日本海側では富山県と兵庫県を除き、青森県から島根県まで生息が確認されている(とはいっても、自然海岸の消失によってかなりとぎれとぎれになっているのが実態だが)。それに対し、太平洋側では青森県から岩手県の北部に生息するほか、宮城県、福島県をとびこして茨城県に隔離分布しているのだ。

 砂浜のほとんどない三陸海岸に分布していないのはわかるが、なぜ砂浜のある宮城県や福島県には分布していないのか? 日本海側ではかなり西まで分布を広げているのに、なぜ太平洋側は茨城県が南限なのか?

 私は、その理由は津波にあるのではないかと考えている。東北地方がしばしば大津波に襲われたことはよく知られている。日本海側に比べ、太平洋側は圧倒的に大きな地震が多く、海岸はしばしば大津波に洗われてきたのだ。

 仙台の七北田川の河口に広がる蒲生干潟は渡り鳥の渡来地として知られ、かつて東京に住んでいた頃、何回か野鳥の観察にでかけたことがある。ここには「日和山」と呼ばれている標高数メートルほどの小高い丘があり、野鳥の観察にうってつけの場所だった。しかし、あの3.11の大津波でこの日和山は跡形もなく消失してしまったのだ。

蒲生干潟の現状~干潟生態系、徐々に復元~(JAWAN REPORT)

 日和山や松林を飲み込んでしまうほどの大津波が押し寄せたなら、イソコモリグモの生息地などひとたまりもないだろう。茨城県の生息地は、そうした津波被害からなんとか逃れて存続してきたものではなかろうか。

 岩手県北部の生息地も、先日グーグルアースで見たところ、かなり津波の被害を受けているようだった。ここのイソコモリグモは果たして生き延びることができただろうか?

 ここ3、4年ほど北海道の海岸を回ってイソコモリグモの生息調査を行ってきたが、北海道の海岸でもイソコモリグモが「いそうでいない」というところがある。たとえば道東の根室半島の太平洋側だ。生息していてもおかしくないとても雰囲気のいい砂浜がいくつかあるのだが、ここでは生息の確認ができなかった。

 それでふと思ったのが、津波の影響だ。北海道の沖にもプレートの境界がありしばしば大きな地震が起こっている。道東の海岸は過去に何回も大きな津波に襲われたはずだ。その津波によって生息地の砂浜がさらわれてしまったのではなかろうか? その後、また砂が堆積してイソコモリグモの生息適地が復活しても、移動能力の小さいイソコモリグモは簡単に分布を広げられないのだ。

 海浜特有の生物にとって、生息地をそっくりさらってしまう大津波は脅威に違いない。茨城県に隔離分布するイソコモリグモは度重なる大津波から逃れ、ひっそりと生き延びてきたと思えてならない。

 かつては大津波で生息地が消失することがあっても、長い時間をかけて近隣の生息地から移動してきた個体によって分布を広げることもあったのだろう。しかし、人間が自然の砂浜を破壊し、コンクリート護岸だらけにしてしまった今、イソコモリグモの生息地は大きく分断されてしまった。こうなってしまうと移動能力の小さい生きものは滅びていくしかないのだろう。クモにとって自然の脅威以上に恐ろしいのは人間なのだ。

  


Posted by 松田まゆみ at 11:05Comments(0)クモ

2011年01月14日

奥が深いクモの同定


 一昨年、日本で生息の確認されているクモをほぼ網羅した「日本産クモ類」(小野展嗣編・著、東海大学出版会)が出版されたことは「新しいクモ図鑑が発売」で紹介した。全種について生殖器など同定のポイントとなる図が示されている画期的なクモ図鑑だ。

 こんな図鑑が発行されると、これ一冊あれば「日本のクモの同定は完璧!」などと思う人がいるかもしれないが、それは甘い。そう思っている人は、この図鑑を利用して片端からクモの同定をしてみるといい。大型のクモはともかく、小型のクモの場合、そんな簡単に同定ができないことがすぐに分かると思う。

 まず、クモの同定をほとんどしたことがない人の場合、「科」のレベルで間違えてしまうこともある。こうなると、先に進まない。科の分類はクリアしても、種数が多いサラグモなどになると、該当する種に到達するまでが大変だ。検索表も、一つ間違えてしまうとたどり着かないし、かといって端から生殖器の図と「絵合わせ」をしていたら大変な時間と手間が必要になる。

 たとえ絵合わせでよく似た種にたどり着いても、こんどはそれと似た「近縁種」との違いを調べなければならない。外雌器(雌の生殖器)がとてもよく似ていて、クモの研究者でも同定に苦労する種もあるのだ。

 しかも、図というのは、「分かりやすいようで分かりにくい」のだ。生殖器は立体的だから、立体感がある図は比較的分かりやすいのだが、そのような図を描くのはとても難しい。私が描く図もとても立体的とは思えない。そもそも普通は絵に関しては素人の研究者が図を描いているのだから、それは仕方ないことでもある。さらに、外雌器(雌の外部生殖器)などは、個体変異も結構あり、これも同定する際には厄介だ。

 そこで威力を発するのは、やはり経験と勘、そして現物の標本との比較だ。しかし、その「経験と勘」というやつも、使わないと衰えてくる。

 今日も、その「勘」の衰えで振り回された。あるカニグモの雌を調べるために、手持ちのカニグモの標本に当たっていた。そしてゾウシキカニグモ(オオヤミイロカニグモ)と同定していた標本の中に「これは誤同定では?」と直感する雌個体を見つけたのだ。「あーあ、誤同定なら調べ直しだ!」と言うわけで、図鑑を当たった。一見したところ外雌器はオビボソカニグモとかクロボシカニグモに似ている。しかし、いくら目を凝らして図鑑と照らし合わせても、どちらにもぴったりと一致しない。個体変異なのかと疑ってはみたが、自信を持って同定できない。ピットフォールトラップ(誘引物質などを入れたコップを地面に埋め込み、そこに落ちた昆虫などを捕える採集法)による採集品なので、色彩や斑紋は明瞭ではないが、背甲の斑紋はオビボソやクロボシではなさそうだ。

 さんざん眺めまわした挙句、外雌器を少し下方から見てみた。そして、別のゾウシキカニグモを隣に並べ、外雌器を同じ角度から見て納得した。「誤同定では?」と直感したものは、結局ゾウシキカニグモで間違いなかったのだ。一気に力が抜け、自分でも可笑しくなった。外雌器の雰囲気が違って見えたのは、トラップ採集品のために内部生殖器まで透けて黒っぽく見えていたからだった。

 そんなこんなで、普通種の同定にずいぶん時間をかけてしまった。お恥ずかしい限りだ。

 しかし、こんな経験はたぶん私だけではないだろう。日ごろクモの同定を手掛けている人なら、似たような経験をしているのではないだろうか。そうやって、ときどき勘違いをしながら同定の腕を上げていくのだ。

 「日本産クモ類」には約1500種のクモが掲載されている。しかし、ここに掲載できなかった種はまだまだ残されている。つまり、まだ種名が判明していない種だ。特に、サラグモ科はこれからも新記録種や新種がかなり出てくるだろう。

 いくら日本で記録されているクモの大半の種が掲載されている図鑑ができたからといって、決して専門家が不要になるという訳ではない。そして、時には猿も木から落ちる、つまり専門家であっても誤同定をすることがあるのである。同定という作業は奥が深いとつくづく思う。

     


Posted by 松田まゆみ at 23:33Comments(0)クモ

2010年10月26日

「遊糸」に想う

 数日前のことです。朝、窓から外を見ると、庭の木の枝先からクモの糸が何本もきらめいていました。「ああ、バルーニングの季節なんだな・・・」と思っていると、その日の北海道新聞朝刊の「卓上四季」で「雪迎え」(遊糸、ゴッサマーなどとも言う)について綴られていました。晩秋の穏やかな日に、クモが空中飛行のために飛び立つのですが、この空中飛行をバルーニングといい、その時に出された糸が絡まって浮遊する現象が「雪迎え」です。この「雪迎え」「遊糸」という言葉を聞くと、思いだす美しい随想があります。

 それは辺見庸氏の「独航記」(角川文庫)に収められている「遊糸」というエッセイです。もっとも「独航記」は雑誌や新聞に掲載された記事を集めて単行本にしたもので、この「遊糸」の初出は1999年9月30日の日本経済新聞です。そして、辺見氏は「遊糸」に続いて「雪迎え」という随想も書いています。以下に「遊糸」から一部を引用させていただきます。

 秋になると、おりふし、「遊糸」のことを、恍惚として思い浮かべる。遊糸は、私の記憶のなかで、もっとも神秘的で美しい風景のひとつでありつづけている。といっても、記憶は濡れたガラス越しにものを見るように頼りない。それでも思い出の糸をたぐり寄せてみる。ほとんど透明で、銀色に光るとても細い糸が、真綿がばらけたみたいに、いく筋もいく筋も、まなかいを横に、あるいは斜に吹きながれていく。ただそれだけのこと。

 ・・・空はまるで硫酸銅の色みたいに、一点も濁りなく、端から端まで真っ青。その十三陵の空を、無数の糸が、きらきらきらめいて飛んでいくのであった。というより、輝きながら浮遊していった。

 辺見氏は、北京の北方の遺跡で、民主化運動をしていた中国人の友人と「遊糸」の飛ぶ光景を見、「なぜだか後頭部がしびれるほど幸せであった」と記しています。北海道新聞の「卓上四季」にしても、辺見氏の「遊糸」にしても、細くて透明でたよりげないクモの糸が、晩秋の晴れた空を浮遊している光景を、とても神秘的で美しい光景として描き出しています。私は「真綿がばらけた」ような「遊糸」こそ見たことはないのですが、空中飛行の名残である糸や、空に飛び立とうとしている小さなクモならしばしば見かけます。そんなときに想うのは、その神秘的な現象とともに、生物の生きる過酷な世界です。

 基本的に単独生活をするクモは、同じところに高密度で生活するのではなく、分散して生息するのが一般的です。おそらくバルーニングという現象も、クモの密度を低くすることと関連しているのでしょう。レミング(タビネズミ)が高密度になると集団で大移動したり、バッタが大発生して雲のような塊となって大移動するように、クモも空中に飛び立つことによって自ら密度調整を行っているのでしょう。

 大空高く舞い上がって上昇気流に流されたクモはまさしく「風まかせ」の移動しかできません。大海の上に落ちてしまうこともあるでしょうし、そのクモの生息環境とはかけ離れた場所に落ちてしまうこともあるでしょう。神秘的で優雅にみえる遊糸という現象も、裏を返せば死の危険を伴う大冒険なのです。

 クモは糸をつかって遠くに移動する手段を獲得しました。体調が1、2ミリの小さなクモでもヨーロッパからアジアまで広い分布域を持つものが少なくありません。北海道にもヨーロッパと共通の種がたくさん生息しています。バルーニングが移動手段として大いに役にたっているのは事実でしょう。山形の「雪迎え」が湿地から飛び立つクモの糸であるように、湿地や草原など上昇気流を利用して大空に飛び立ちやすい場所に生きるクモは、バルーニングという遠くまで移動する手段を手に入れました。

 しかし、すべてのクモがバルーニングで遠くに移動しているわけではありません。たとえば森林の落葉層であまり移動することなくひっそりと暮らしているクモもいます。森林に棲むクモは分布域が狭いものが多いのですが、恐らく数十メートルもの樹木の林立する深い森林は、クモがバルーニングをする舞台にはなりにくいのでしょう。冒険旅行をしない彼らは、分布域の拡大より今棲んでいる場所にしがみつき種分化の道を歩んでいるともいえましょう。しかし狭い分布域しか持たなければ、大きな環境変化によって滅んでしまう可能性も高くなります。それはクモ自身が選んだ道というより、生息環境によって必然的にそうなっているといえます。

 バルーニングの名残の糸が漂っていた穏やかな日から3日後の今日、空から雪が降りしきる天気になりました。小さなクモたちの飛行は、まるで雪の季節を知っているかのようです。

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Posted by 松田まゆみ at 17:06Comments(2)クモ