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2023年02月10日
十勝川水系河川整備計画[変更](原案)への意見書
北海道開発局帯広開発建設部は「十勝川水系河川整備計画[変更](原案)」について意見募集をしており、今日がその締切日。ということで、意見書を書いて提出した。この十勝川水系河川整備計画に関しては、2009年および2013年にも意見募集をしており私はどちらにも意見を提出している。おそらく意見は名前などの個人情報を伏せた上でホームページに公開されると思うが、私の意見をここに公開しておきたい。
【意見要旨】
十勝川下流部の動植物確認種にイソコモリグモが欠落しています。
老朽化したダムのかさ上げは安全性や費用面でデメリットがある上に洪水調整機能は限定的です。かさ上げより事前放流を重視すべきです。
ダムや堤防に頼る治水から、想定外の洪水を容認したうえで被害を最小限にする対策へと転換を図るべきです。
札内川の砂礫川原の減少は札内川ダムが原因であることを明記し、復元は困難であることを認めるべきです。
【意見】
1-2-2(3)54ページ イソコモリグモの欠落について
私は2009年の十勝川水系河川整備計画(原案)に対する意見書で、十勝川下流部の動植物確認種に国が絶滅危惧種(絶滅危惧Ⅱ類)に指定しているイソコモリグモが欠落していることを指摘しましたが、今回の「十勝川下流部における動植物確認種」においてもイソコモリグモが入っていません。なお十勝川河口部におけるイソコモリグモの分布については以下で報告しています。追加するよう求めます。
松田まゆみ・川辺百樹 2014.北海道におけるイソコモリグモの分布.Kishidaia, 103:18-34.
2-1-1(1)81ページ ダムのかさ上げについて
洪水時の流量を調整するための対策として「ダムの嵩上げ」を提案しています。糠平ダムのかさ上げの方針については新聞でも報じられていますが、老朽化したダムのかさ上げは安全性の懸念があり巨額の費用がかかりますが、洪水調整機能は限定的です。上流域に降った雨をダムで貯めたとしても、中流域や下流域が増水していれば安易に放流できません。ダムが満水になっても放流ができなければ決壊の危険性が高まります。2011年9月7日に音更町で音更川の堤防が大きくえぐられ決壊寸前になりました。この時の音更川の水位は「危険水位」まで約1メートルの余裕がありました。それにも関わらず堤防が洗堀されたのは、糠平ダムからの放流が鉄砲水となって堤防をえぐったことが原因と考えられます。このように、河川の水位が低くてもダムの放流によって堤防が決壊する危険性があります。また、ダムのかさ上げによって雨水を溜め込む量が増えるほど、放流が必要になったときの放流のタイミングや放流量の調整は難しくなり放流によって洪水被害が生じることが懸念されます。
多額の費用をかけてかさ上げをしても想定外の降雨による放流時のリスクが大きいのであれば適切な対策とは言えません。ダムで洪水調整をする場合は、かさ上げをしてもしなくても水位を低くしておく必要があり、かさ上げより事前放流による対応を重視すべきです。
また、ダムは魚類の遡上の阻害、堆砂による貯水量の低下、土砂の流下を妨げることによる海岸線の後退、河床の低下、砂礫川原の消失、決壊の危険性などさまざまな弊害やリスクがあります。堤体のコンクリートの劣化や堆砂による貯水量の低下を考えるなら、ダムの寿命や撤去を視野にいれなければなりません。決壊する確率は低いとしても万一決壊した場合の被害は極めて甚大なものになります。例えば、糠平ダムの上流には活火山の丸山がありますが、もし火山噴火によってダム湖に融雪型火山泥流が流れこんだ場合はダムが決壊する可能性が否定できません。ダムによる治水を唱えるのであれば、ダムの弊害やリスクも明記すべきです。欧米ではダムの撤去が進んでいます。ダムを撤去することで本来の自然の河川を取り戻す試みがなされている中で、ダムのかさ上げによって老朽化したダムの延命を図ることはダムの弊害やリスクを放置することになり、自然復元にも相反する行為です。
2-1-1(4)100ページ ダムや堤防以外の対策について
本整備計画ではダムのかさ上げによる流量調節や堤防の強化、河道の掘削など、ハード面での対策がメインとなっていますが、このようなダム湖や川(堤防と堤防の間)に水を閉じ込める治水には限界があり、閉じ込める水量が多くなるほど、ダムの放流や決壊時、あるいは堤防の決壊時の被害は大きくなります。近年は気候変動による台風の大型化や集中豪雨で想定以上の雨が降る可能性があり、ダムや堤防に頼る対策から、一定以上の雨に対しては「水を溢れされる治水」に変えていく必要があります。これについては、100~101ページにかけて若干触れられていますが、不十分と言わざるを得ません。具体的には、森林を増やすことで「緑のダム」機能を活かす、住宅地の少ない地域に遊水地を設けて溢れた水を誘導する、支流との合流点のような氾濫しやすい場所は危険地域に指定し住居の移転を促進する、高床式住宅を普及させる、洪水の危険がある地域にすむ人々の速やかな避難体制を確立する、などが考えられます。これらの対策は河川管理者だけで対応できることではありませんが、関係機関と協議・連携して積極的に進めていく必要があります。
日本はこれから急激な人口減少社会になります。多額の税金を投入するハード面での対策より、想定外の洪水を容認したうえで被害を最小限にするような対策へと舵を切る発想の転換が必要と考えます。
2-1-3(3)109ページ 札内川の砂礫川原復元について
ここでは河川景観の保全と創出について取り上げています。十勝川水系の河川の自然景観は本来の河川環境を保全することでしか維持できません。例えば札内川では河川敷にヤナギなどの河畔林が繁茂し、ケショウヤナギが生育するような砂礫川原が減少してしまいました。これは上流に札内川ダムを建設したことで砂礫の流下が阻害されたことと、札内川ダムの貯水機能によって流量が抑制され洪水が生じにくくなったことに起因します。ところが本計画案では砂礫川原減少の原因となった札内川ダムのことに一切触れていません。そして中規模フラッシュ放流が砂礫川原の創出に効果を上げているとしています。ダム建設前と現在の写真を比べても中規模フラッシュ放流の効果は限定的のようですし、ダムによって砂礫の流下が妨げられている以上、中規模フラッシュ放流だけで砂礫川原を維持していくことはできないでしょう。また、礫層が流されてしまうと河床低下が進み、増水のたびに流路に面した高水敷の縁が浸食されて崩壊し、高水敷に堆積している砂礫も流されますし、高水敷に生育しているヤナギも根本から浸食を受けて流木となります。仮にダンプなどで定期的に砂礫を運んできたところで次第に下流に流されますので、永遠に運び続けなければなりません。持続可能な自然復元とは言い難い事業です。
砂礫川原減少の原因に触れることなく人為的操作によって砂礫川原を「創出する」などというのは「人が自然を創出できる」という驕りによる発想です。「創出」ではなく「復元」と記すべきですが、それ以前にダムが原因であることを明記した上で、復元は困難であることを認めるべきでしょう。
私はこのことについて2013年の「十勝川水系河川整備計画[変更](原案)に対する意見書」で指摘し公聴会で意見を述べました。十勝自然保護協会も同様の意見を提出し公聴会でも陳述しました。しかし今回の計画案には全く反映されていません。ダムによって砂礫川原が減少したこと、その復元はダムの撤去を除いては極めて困難なことを明記するよう再度求めます。
意見の要旨について
十勝川水系河川整備計画[変更](原案)への意見ではありませんが、意見募集に関して意見を述べさせていただきます。ホームページの「意見募集要領」の「注意事項」によると、意見書が200字以上の場合は200字以内の要旨を付ける旨が書かれています。しかし、意見書の様式には「※上記の記入欄が不足する場合は、本意見書と併せて別紙で提出して下さい。」と書かれており、要旨のことは書かれていません。これでは200字以上であっても「要旨」を付ける人と付けない人が出てくるでしょう。このような一貫性のない対応は不適切です。また、多数の意見がある場合は200字以内に収めるのは困難または不可能ですし、要旨では理由や根拠が伝わりません。意見を公表することがあるとのことですが、長い意見の場合は要旨を公表するということであれば具体的意見が伝わらず不本意です。要旨ではなく意見全文を掲載するよう求めます。
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【意見要旨】
十勝川下流部の動植物確認種にイソコモリグモが欠落しています。
老朽化したダムのかさ上げは安全性や費用面でデメリットがある上に洪水調整機能は限定的です。かさ上げより事前放流を重視すべきです。
ダムや堤防に頼る治水から、想定外の洪水を容認したうえで被害を最小限にする対策へと転換を図るべきです。
札内川の砂礫川原の減少は札内川ダムが原因であることを明記し、復元は困難であることを認めるべきです。
【意見】
1-2-2(3)54ページ イソコモリグモの欠落について
私は2009年の十勝川水系河川整備計画(原案)に対する意見書で、十勝川下流部の動植物確認種に国が絶滅危惧種(絶滅危惧Ⅱ類)に指定しているイソコモリグモが欠落していることを指摘しましたが、今回の「十勝川下流部における動植物確認種」においてもイソコモリグモが入っていません。なお十勝川河口部におけるイソコモリグモの分布については以下で報告しています。追加するよう求めます。
松田まゆみ・川辺百樹 2014.北海道におけるイソコモリグモの分布.Kishidaia, 103:18-34.
2-1-1(1)81ページ ダムのかさ上げについて
洪水時の流量を調整するための対策として「ダムの嵩上げ」を提案しています。糠平ダムのかさ上げの方針については新聞でも報じられていますが、老朽化したダムのかさ上げは安全性の懸念があり巨額の費用がかかりますが、洪水調整機能は限定的です。上流域に降った雨をダムで貯めたとしても、中流域や下流域が増水していれば安易に放流できません。ダムが満水になっても放流ができなければ決壊の危険性が高まります。2011年9月7日に音更町で音更川の堤防が大きくえぐられ決壊寸前になりました。この時の音更川の水位は「危険水位」まで約1メートルの余裕がありました。それにも関わらず堤防が洗堀されたのは、糠平ダムからの放流が鉄砲水となって堤防をえぐったことが原因と考えられます。このように、河川の水位が低くてもダムの放流によって堤防が決壊する危険性があります。また、ダムのかさ上げによって雨水を溜め込む量が増えるほど、放流が必要になったときの放流のタイミングや放流量の調整は難しくなり放流によって洪水被害が生じることが懸念されます。
多額の費用をかけてかさ上げをしても想定外の降雨による放流時のリスクが大きいのであれば適切な対策とは言えません。ダムで洪水調整をする場合は、かさ上げをしてもしなくても水位を低くしておく必要があり、かさ上げより事前放流による対応を重視すべきです。
また、ダムは魚類の遡上の阻害、堆砂による貯水量の低下、土砂の流下を妨げることによる海岸線の後退、河床の低下、砂礫川原の消失、決壊の危険性などさまざまな弊害やリスクがあります。堤体のコンクリートの劣化や堆砂による貯水量の低下を考えるなら、ダムの寿命や撤去を視野にいれなければなりません。決壊する確率は低いとしても万一決壊した場合の被害は極めて甚大なものになります。例えば、糠平ダムの上流には活火山の丸山がありますが、もし火山噴火によってダム湖に融雪型火山泥流が流れこんだ場合はダムが決壊する可能性が否定できません。ダムによる治水を唱えるのであれば、ダムの弊害やリスクも明記すべきです。欧米ではダムの撤去が進んでいます。ダムを撤去することで本来の自然の河川を取り戻す試みがなされている中で、ダムのかさ上げによって老朽化したダムの延命を図ることはダムの弊害やリスクを放置することになり、自然復元にも相反する行為です。
2-1-1(4)100ページ ダムや堤防以外の対策について
本整備計画ではダムのかさ上げによる流量調節や堤防の強化、河道の掘削など、ハード面での対策がメインとなっていますが、このようなダム湖や川(堤防と堤防の間)に水を閉じ込める治水には限界があり、閉じ込める水量が多くなるほど、ダムの放流や決壊時、あるいは堤防の決壊時の被害は大きくなります。近年は気候変動による台風の大型化や集中豪雨で想定以上の雨が降る可能性があり、ダムや堤防に頼る対策から、一定以上の雨に対しては「水を溢れされる治水」に変えていく必要があります。これについては、100~101ページにかけて若干触れられていますが、不十分と言わざるを得ません。具体的には、森林を増やすことで「緑のダム」機能を活かす、住宅地の少ない地域に遊水地を設けて溢れた水を誘導する、支流との合流点のような氾濫しやすい場所は危険地域に指定し住居の移転を促進する、高床式住宅を普及させる、洪水の危険がある地域にすむ人々の速やかな避難体制を確立する、などが考えられます。これらの対策は河川管理者だけで対応できることではありませんが、関係機関と協議・連携して積極的に進めていく必要があります。
日本はこれから急激な人口減少社会になります。多額の税金を投入するハード面での対策より、想定外の洪水を容認したうえで被害を最小限にするような対策へと舵を切る発想の転換が必要と考えます。
2-1-3(3)109ページ 札内川の砂礫川原復元について
ここでは河川景観の保全と創出について取り上げています。十勝川水系の河川の自然景観は本来の河川環境を保全することでしか維持できません。例えば札内川では河川敷にヤナギなどの河畔林が繁茂し、ケショウヤナギが生育するような砂礫川原が減少してしまいました。これは上流に札内川ダムを建設したことで砂礫の流下が阻害されたことと、札内川ダムの貯水機能によって流量が抑制され洪水が生じにくくなったことに起因します。ところが本計画案では砂礫川原減少の原因となった札内川ダムのことに一切触れていません。そして中規模フラッシュ放流が砂礫川原の創出に効果を上げているとしています。ダム建設前と現在の写真を比べても中規模フラッシュ放流の効果は限定的のようですし、ダムによって砂礫の流下が妨げられている以上、中規模フラッシュ放流だけで砂礫川原を維持していくことはできないでしょう。また、礫層が流されてしまうと河床低下が進み、増水のたびに流路に面した高水敷の縁が浸食されて崩壊し、高水敷に堆積している砂礫も流されますし、高水敷に生育しているヤナギも根本から浸食を受けて流木となります。仮にダンプなどで定期的に砂礫を運んできたところで次第に下流に流されますので、永遠に運び続けなければなりません。持続可能な自然復元とは言い難い事業です。
砂礫川原減少の原因に触れることなく人為的操作によって砂礫川原を「創出する」などというのは「人が自然を創出できる」という驕りによる発想です。「創出」ではなく「復元」と記すべきですが、それ以前にダムが原因であることを明記した上で、復元は困難であることを認めるべきでしょう。
私はこのことについて2013年の「十勝川水系河川整備計画[変更](原案)に対する意見書」で指摘し公聴会で意見を述べました。十勝自然保護協会も同様の意見を提出し公聴会でも陳述しました。しかし今回の計画案には全く反映されていません。ダムによって砂礫川原が減少したこと、その復元はダムの撤去を除いては極めて困難なことを明記するよう再度求めます。
意見の要旨について
十勝川水系河川整備計画[変更](原案)への意見ではありませんが、意見募集に関して意見を述べさせていただきます。ホームページの「意見募集要領」の「注意事項」によると、意見書が200字以上の場合は200字以内の要旨を付ける旨が書かれています。しかし、意見書の様式には「※上記の記入欄が不足する場合は、本意見書と併せて別紙で提出して下さい。」と書かれており、要旨のことは書かれていません。これでは200字以上であっても「要旨」を付ける人と付けない人が出てくるでしょう。このような一貫性のない対応は不適切です。また、多数の意見がある場合は200字以内に収めるのは困難または不可能ですし、要旨では理由や根拠が伝わりません。意見を公表することがあるとのことですが、長い意見の場合は要旨を公表するということであれば具体的意見が伝わらず不本意です。要旨ではなく意見全文を掲載するよう求めます。
タグ :十勝川水系河川整備計画
2022年08月19日
ダムで壊される戸蔦別川
日高山脈を源として十勝川に合流する札内川。その札内川の支流の一つに戸蔦別川がある。戸蔦別川には砂防工事の名目でいくつもの砂防ダムや床固工が作られているが、今も巨大な砂防ダムが建設されている。
その砂防ダムなどの構造物について問題提起しているホームページがある。
戸蔦別川
戸蔦別川がどんな状況になっているのか、一部引用しよう。
川を横断する巨大な砂防ダム。異様な光景としか言いようがない。それが上流から下流までいくつも造られている。一連の工事を進めている北海道開発局は、とにかく堰を造ることによって川からの土石の流出を止めたいらしい。そもそも川というのはしばしば氾濫するものだ。そのたびに川は山から土石を下流に運ぶ。太古からそれを繰り返している。洪水による人的被害を減らすことは必要だが、人は完全に水の流れをコントロールすることなどできないし、できると思っているのなら思い上がりだろう。災害防止は川をコントロールするという方法だけに頼るべきではないだろう。
川は絶えず土石を下流に運んでいる。それを人工構造物でせき止めて土砂の流れを遮断すれば、必ず下流に影響を及ぼすことになる。下流に土砂が供給されなくなり、川底にあった土砂が流されて岩盤が露出したり河床が削られて低下してしまう。堤防の下部が洗われたり橋げたの基礎がむき出しになってしまうこともある。
海への土砂の供給が減れば、海岸浸食が起きる。それを防ぐためにコンクリート製の消波ブロックを大量に並べたり、護岸工事を行って自然の海岸線が消えていくことになる。もちろん魚の遡上にも影響がある。そうした悪影響を考えるなら、やはりダムで土砂を止めてしまってはいけないのだ。
もちろん開発局は土砂の流下を止めたら下流部でどんなことが生じるのか分かっている。それにも関わらず、川をコントロールしようとダムを造り続け、川の自然を壊し続けている。このホームページでも指摘されているが、その裏には政官民の癒着による利権構造があるのだろう。
その砂防ダムなどの構造物について問題提起しているホームページがある。
戸蔦別川
戸蔦別川がどんな状況になっているのか、一部引用しよう。
開発局直轄事業による1970年代の砂防堰堤建設計画立案以来、わずか40kmの戸蔦別川には既に7基の砂防ダム・堰堤、15基の床固工そして2基の流木止め工が造られ、今後更に2基の堰堤、7基の床固工そして5号堰堤の嵩上げが計画され、さらに幅178mの流木止め工が5号堰堤下流位置に予定されています。
今後の3号、9号の堰堤は現在建設中の4号堰堤と同レベルとされています。
川を横断する巨大な砂防ダム。異様な光景としか言いようがない。それが上流から下流までいくつも造られている。一連の工事を進めている北海道開発局は、とにかく堰を造ることによって川からの土石の流出を止めたいらしい。そもそも川というのはしばしば氾濫するものだ。そのたびに川は山から土石を下流に運ぶ。太古からそれを繰り返している。洪水による人的被害を減らすことは必要だが、人は完全に水の流れをコントロールすることなどできないし、できると思っているのなら思い上がりだろう。災害防止は川をコントロールするという方法だけに頼るべきではないだろう。
川は絶えず土石を下流に運んでいる。それを人工構造物でせき止めて土砂の流れを遮断すれば、必ず下流に影響を及ぼすことになる。下流に土砂が供給されなくなり、川底にあった土砂が流されて岩盤が露出したり河床が削られて低下してしまう。堤防の下部が洗われたり橋げたの基礎がむき出しになってしまうこともある。
海への土砂の供給が減れば、海岸浸食が起きる。それを防ぐためにコンクリート製の消波ブロックを大量に並べたり、護岸工事を行って自然の海岸線が消えていくことになる。もちろん魚の遡上にも影響がある。そうした悪影響を考えるなら、やはりダムで土砂を止めてしまってはいけないのだ。
もちろん開発局は土砂の流下を止めたら下流部でどんなことが生じるのか分かっている。それにも関わらず、川をコントロールしようとダムを造り続け、川の自然を壊し続けている。このホームページでも指摘されているが、その裏には政官民の癒着による利権構造があるのだろう。
2020年12月25日
雌阿寒岳の麓に新たな道路は必要か?
雌阿寒岳と阿寒富士の西側山麓にはカエゾマツを主体とする針葉樹林が広がり、堰止湖であるオンネトーは景勝地として知られている。
オンネトーには国道241号から道道949号(オンネトー線)が通じており、大半の観光客はこの道路を往復してオンネトー観光を楽しむ。オンネトー湖岸の道路は舗装されているものの国立公園の第1種特別地域に含まれることから道幅が狭くなっている。湖の南端からは道道664号(道道モアショロ原野螺湾足寄停車場線)が螺湾川沿いに足寄方面に通じているのだが、4.4キロほどの区間は一車線の未舗装道路となっている。下の写真は未舗装の現道。

北海道は、雌阿寒岳の噴火に備えて車両の迅速な通行を確保するという目的で、この未舗装区間に平行するように幅員5.5メートルの完全2車線舗装道路を開削する計画を進めている。事業費約15億円をかけて広大な面積の森林を伐採し道路を建設しようとしているのだが、多くの道民には知られていない。

計画されている道路は、カーブを避け起伏も少なくするためにほぼ全線にわたって切土・盛土がなされ、幅30~40メートルもの法面が形成されることになる。この工事によって雌阿寒岳の麓に広がるアカエゾマツを主体とした天然林約9万平方メートルが破壊される。これは東京ドーム約2個分に相当する。森林が壊されるだけではなく、希少な動植物の生息地も壊されることになる。切り開かれた広大な法面には外来種も侵入してくるだろう。下の写真は開削予定地。

「防災のために避難道路が必要」と言われたら、多くの人が疑問を持たないかもしれない。しかし、雌阿寒岳が噴火した場合、本当にこの道路が防災・減災に役立つのだろうか?
雌阿寒岳火山防災計画(令和2年6月)によると、避難には「事前避難」と「緊急避難」がある。「事前避難」は噴火警戒レベルが3に上がったときに雌阿寒岳温泉・オンネトー周辺の観光客に、噴火警戒レベルが2に上がり火口周辺の危険性が上がったときに登山者に適用される。つまり事前避難であればあわてずに順次避難すればいいのであり、立派な避難道路が必要とは思えない。とすると、避難道路が必要となるのは突発的噴火が発生して「緊急避難」が必要になったときだ。
雌阿寒岳が突発的に噴火したときのことを考えてみよう。火砕流や山体崩壊がオンネトー方面に向かって発生したら避難する時間はない。雌阿寒岳の西側で融雪型泥流が発生したら螺湾川沿いに流れ下るので、モアショロ原野螺湾足寄停車場線は避難道路としては使えない。噴石が飛んできた場合も逃げる時間的猶予はないので、建物や岩陰などに身を隠したりリュックサックなどで頭を守る行動をとるのが原則だ。道路に噴石が落ちれば車両が通行できなくなることもある。つまり、このような噴火現象が起きた場合は避難道路を利用して逃げるということにはならない。溶岩流の場合は歩く程度の速さなので、迅速に避難するための道路は必要ない。
では、火山灰はどうだろうか。火山灰が降ってきた場合は視界不良になり、道路に火山灰が積もれば滑りやすくなる。また前方の車両が火山灰を巻き上げると視界不良になる。つまり火山灰が降下したら安全に走れないので、2車線の舗装道路があったところでゆっくり走行するしかない。噴火はしたけれど火山灰も降らず避難路に大きな影響がないような場合は1分1秒を争って避難する必要はないので、現道で十分避難は可能だ。
しかし、事業者は緊急車両などとのすれ違いがありうるので二車線道路が必要だという。これは言い訳にしか聞こえない。救急車やパトカーなどの緊急車両とて現場の安全が確認されない限り現場に入ることにはならない。噴石や火山灰が降り注ぐようなときに現場に向かったら二次被害になりかねない。
現道は砂利道で狭く対向車が来たらすれ違いが困難だというのなら、舗装にして待避場を多く設けたり、拡幅可能な場所は拡幅するなど改良すれば、何ら問題はないだろう。私も現地に行ってみたが、このような改修を行えば、ほとんど自然に手を付けずに今よりスムーズに走行できるようになる。
雌阿寒岳は気象庁が地震計や監視カメラなどの観測機器を設置し常時監視している火山だ。道路のゲートや登山口、駐車場などに電光掲示板などで異変や噴火の兆候を速やかに知らせ、避難を促したり立ち入りを規制することで、噴火による被害を減らすことができる。また、噴石に対してはシェルターが有効だ。
こうした火山噴火の状況を踏まえたなら、立派な道路を造れば噴火の際の被害を軽減できるという考えにはならないだろう。
私は個人的には活火山に登ったり近づくこと自体が自己責任だと思っている。頻繁に噴火している火山を除き、火山噴火に遭遇する確率は非常に小さいが、いつ噴火するか分からないという側面もある。火山に近づくという行為には常にリスクがあることを自覚すべきだろう。
火山のつくりだす自然の光景は厳しくも美しく、ゆえに多くの人々を魅了する。しかし、爆裂火口や巨大なカルデラ、分厚く堆積した火山灰などを目の当たりにしたら、そのエネルギーの大きさに圧倒される。自然の前では人々は謙虚になるしかない。この神秘的な光景を見るためにはリスクがつきものであることを忘れてはならない。
ほんの数分早く通過できる立派な道路を造れば防災・減災ができるという考えは、噴火の脅威を無視した人間の驕りとしか思えない。
オンネトーには国道241号から道道949号(オンネトー線)が通じており、大半の観光客はこの道路を往復してオンネトー観光を楽しむ。オンネトー湖岸の道路は舗装されているものの国立公園の第1種特別地域に含まれることから道幅が狭くなっている。湖の南端からは道道664号(道道モアショロ原野螺湾足寄停車場線)が螺湾川沿いに足寄方面に通じているのだが、4.4キロほどの区間は一車線の未舗装道路となっている。下の写真は未舗装の現道。

北海道は、雌阿寒岳の噴火に備えて車両の迅速な通行を確保するという目的で、この未舗装区間に平行するように幅員5.5メートルの完全2車線舗装道路を開削する計画を進めている。事業費約15億円をかけて広大な面積の森林を伐採し道路を建設しようとしているのだが、多くの道民には知られていない。

計画されている道路は、カーブを避け起伏も少なくするためにほぼ全線にわたって切土・盛土がなされ、幅30~40メートルもの法面が形成されることになる。この工事によって雌阿寒岳の麓に広がるアカエゾマツを主体とした天然林約9万平方メートルが破壊される。これは東京ドーム約2個分に相当する。森林が壊されるだけではなく、希少な動植物の生息地も壊されることになる。切り開かれた広大な法面には外来種も侵入してくるだろう。下の写真は開削予定地。

「防災のために避難道路が必要」と言われたら、多くの人が疑問を持たないかもしれない。しかし、雌阿寒岳が噴火した場合、本当にこの道路が防災・減災に役立つのだろうか?
雌阿寒岳火山防災計画(令和2年6月)によると、避難には「事前避難」と「緊急避難」がある。「事前避難」は噴火警戒レベルが3に上がったときに雌阿寒岳温泉・オンネトー周辺の観光客に、噴火警戒レベルが2に上がり火口周辺の危険性が上がったときに登山者に適用される。つまり事前避難であればあわてずに順次避難すればいいのであり、立派な避難道路が必要とは思えない。とすると、避難道路が必要となるのは突発的噴火が発生して「緊急避難」が必要になったときだ。
雌阿寒岳が突発的に噴火したときのことを考えてみよう。火砕流や山体崩壊がオンネトー方面に向かって発生したら避難する時間はない。雌阿寒岳の西側で融雪型泥流が発生したら螺湾川沿いに流れ下るので、モアショロ原野螺湾足寄停車場線は避難道路としては使えない。噴石が飛んできた場合も逃げる時間的猶予はないので、建物や岩陰などに身を隠したりリュックサックなどで頭を守る行動をとるのが原則だ。道路に噴石が落ちれば車両が通行できなくなることもある。つまり、このような噴火現象が起きた場合は避難道路を利用して逃げるということにはならない。溶岩流の場合は歩く程度の速さなので、迅速に避難するための道路は必要ない。
では、火山灰はどうだろうか。火山灰が降ってきた場合は視界不良になり、道路に火山灰が積もれば滑りやすくなる。また前方の車両が火山灰を巻き上げると視界不良になる。つまり火山灰が降下したら安全に走れないので、2車線の舗装道路があったところでゆっくり走行するしかない。噴火はしたけれど火山灰も降らず避難路に大きな影響がないような場合は1分1秒を争って避難する必要はないので、現道で十分避難は可能だ。
しかし、事業者は緊急車両などとのすれ違いがありうるので二車線道路が必要だという。これは言い訳にしか聞こえない。救急車やパトカーなどの緊急車両とて現場の安全が確認されない限り現場に入ることにはならない。噴石や火山灰が降り注ぐようなときに現場に向かったら二次被害になりかねない。
現道は砂利道で狭く対向車が来たらすれ違いが困難だというのなら、舗装にして待避場を多く設けたり、拡幅可能な場所は拡幅するなど改良すれば、何ら問題はないだろう。私も現地に行ってみたが、このような改修を行えば、ほとんど自然に手を付けずに今よりスムーズに走行できるようになる。
雌阿寒岳は気象庁が地震計や監視カメラなどの観測機器を設置し常時監視している火山だ。道路のゲートや登山口、駐車場などに電光掲示板などで異変や噴火の兆候を速やかに知らせ、避難を促したり立ち入りを規制することで、噴火による被害を減らすことができる。また、噴石に対してはシェルターが有効だ。
こうした火山噴火の状況を踏まえたなら、立派な道路を造れば噴火の際の被害を軽減できるという考えにはならないだろう。
私は個人的には活火山に登ったり近づくこと自体が自己責任だと思っている。頻繁に噴火している火山を除き、火山噴火に遭遇する確率は非常に小さいが、いつ噴火するか分からないという側面もある。火山に近づくという行為には常にリスクがあることを自覚すべきだろう。
火山のつくりだす自然の光景は厳しくも美しく、ゆえに多くの人々を魅了する。しかし、爆裂火口や巨大なカルデラ、分厚く堆積した火山灰などを目の当たりにしたら、そのエネルギーの大きさに圧倒される。自然の前では人々は謙虚になるしかない。この神秘的な光景を見るためにはリスクがつきものであることを忘れてはならない。
ほんの数分早く通過できる立派な道路を造れば防災・減災ができるという考えは、噴火の脅威を無視した人間の驕りとしか思えない。
2019年09月05日
山小屋弁護士
テレビを見なくなって久しいが、7月にテレビ朝日で放映された市川守弘弁護士のドキュメンタリー「山小屋弁護士」がネットでも視聴できる。昨年末に札幌から占冠村トマムに事務所を移転し、事務所近くの山小屋で暮らしている。
https://abema.tv/video/episode/89-78_s10_p36
こちらは「山小屋弁護士」の内容を文字でまとめたもの。時間がない方はこちらだけでも是非。
https://abematimes.com/posts/7015530
北海道在住の市川守弘弁護士は、多くの自然保護訴訟のほかアイヌ問題や警察問題まで取り組んでいる弁護士だ。自然保護といっても北海道だけではなく沖縄も含め全国各地で訴訟を起こして闘っている。ドキュメンタリーではやんばるの森林伐採が取り上げられているが、その酷い自然破壊の様子がありありと実感できる。しかも市川弁護士が手掛けている自然保護訴訟のほとんどが弁護士費用なしの手弁当なのだから、その生き方は半端ではない。
自然保護に関わる訴訟の多くが行政相手だ。自然破壊の道路建設に反対したり、森林伐採の違法性を追求したり。日本では自然保護に関わる訴訟での勝訴はとても難しいが、たとえ勝訴したところで一円のお金にもならない。自然を守ることが目的だからお金とは無縁の裁判だし、持ち出しの一方だ。しかも、自然保護の訴訟には現場での調査が欠かせない。市民らと協力して現地に足を運び、調査によってその地域の自然の希少性を訴えたり、違法性の立証をしたり。熱意がなければとてもできない仕事だ。
自然保護の訴訟では裁判長を現地に引っ張り出すことも。士幌町と然別湖をむすぶ士幌高原道路を阻止するための「ナキウサギ裁判」では、小雪が舞い強風が吹きすさぶ中、建設予定地の白雲山に裁判長や原告、支援者らが一緒に登って現地で説明をした。「えりもの森裁判」でも皆伐現場を裁判長に見てもらった。
自然保護のための活動は訴訟だけではない。はるばる札幌から現場に調査に通い、自然保護のための活動に取り組んできた。私も大規模林道問題や森林伐採問題などでは市川弁護士ご夫妻と何度も現地調査に参加し、訴訟でも大変お世話になっている。このドキュメンタリーで紹介されているのはそのほんの一部にすぎないが、市川弁護士の生き方や姿勢がよく伝わってくる。
お金のためにスラップ訴訟を引き受ける弁護士がいる一方で、権力に媚びず市民に寄り添う弁護士もいることを多くの人に知ってもらいたいと思う。
https://abema.tv/video/episode/89-78_s10_p36
こちらは「山小屋弁護士」の内容を文字でまとめたもの。時間がない方はこちらだけでも是非。
https://abematimes.com/posts/7015530
北海道在住の市川守弘弁護士は、多くの自然保護訴訟のほかアイヌ問題や警察問題まで取り組んでいる弁護士だ。自然保護といっても北海道だけではなく沖縄も含め全国各地で訴訟を起こして闘っている。ドキュメンタリーではやんばるの森林伐採が取り上げられているが、その酷い自然破壊の様子がありありと実感できる。しかも市川弁護士が手掛けている自然保護訴訟のほとんどが弁護士費用なしの手弁当なのだから、その生き方は半端ではない。
自然保護に関わる訴訟の多くが行政相手だ。自然破壊の道路建設に反対したり、森林伐採の違法性を追求したり。日本では自然保護に関わる訴訟での勝訴はとても難しいが、たとえ勝訴したところで一円のお金にもならない。自然を守ることが目的だからお金とは無縁の裁判だし、持ち出しの一方だ。しかも、自然保護の訴訟には現場での調査が欠かせない。市民らと協力して現地に足を運び、調査によってその地域の自然の希少性を訴えたり、違法性の立証をしたり。熱意がなければとてもできない仕事だ。
自然保護の訴訟では裁判長を現地に引っ張り出すことも。士幌町と然別湖をむすぶ士幌高原道路を阻止するための「ナキウサギ裁判」では、小雪が舞い強風が吹きすさぶ中、建設予定地の白雲山に裁判長や原告、支援者らが一緒に登って現地で説明をした。「えりもの森裁判」でも皆伐現場を裁判長に見てもらった。
自然保護のための活動は訴訟だけではない。はるばる札幌から現場に調査に通い、自然保護のための活動に取り組んできた。私も大規模林道問題や森林伐採問題などでは市川弁護士ご夫妻と何度も現地調査に参加し、訴訟でも大変お世話になっている。このドキュメンタリーで紹介されているのはそのほんの一部にすぎないが、市川弁護士の生き方や姿勢がよく伝わってくる。
お金のためにスラップ訴訟を引き受ける弁護士がいる一方で、権力に媚びず市民に寄り添う弁護士もいることを多くの人に知ってもらいたいと思う。
タグ :市川守弘
2018年09月24日
失われた東京湾の干潟
前回の記事「下村兼史展と著書『北の鳥 南の鳥』」を書いたあとに、私は本棚から塚本洋三著「東京湾にガンがいた頃」(文一総合出版)を引っ張り出した。塚本洋三さんは今回の下村兼史写真展実行委員会の事務局長であり、野鳥や自然のモノクロ写真のライブラリーである(有)バード・フォト・アーカイブスを運営されている。今の時代にモノクロ写真を収集するという感性はなんとも塚本さんらしい。
10年ほど前だったろうか、帯広の書店で自然関係の棚を見ていたら、「東京湾にガンがいた頃」というタイトルの本が目に飛び込んできた。塚本洋三さんの本ではないか。本のカバー写真は東京湾を飛ぶガンの群れのモノクロ写真。パラパラとページをめくれば在りし日の新浜の写真とともにそこで野鳥の観察に明け暮れた「新浜グループ」の様子が綴られている。私は迷わずに本を持ってレジに向かった。
かつて東京湾にガンが群れていたなどといってもピンとこない人が多いと思う。今の東京湾といえば四角い埋立地が並び、湾岸道路が周囲を巡り、中央に横断道路すらある。かつての面影などほとんどどこにもない。しかし、60~70前には信じられないほどの豊かな自然が息づいており、遠浅の広大な干潟にはおびただしい野鳥が渡来した。といっても私はそんな東京湾を知らない。
私が初めて新浜探鳥会に参加したときは1960年代の後半で埋め立て工事のさ中であり、広大な干潟に群れる野鳥の姿を見た記憶はない。新浜は1964年頃から埋め立てが始まっていたのだ。その時のことはこちらのエッセイで触れている。探鳥会のリーダーは高野伸二さん。その後、高野さんとは野鳥だけでなくクモの愛好者として交流させていただいた。
塚本さんがはじめて新浜を訪れたのは1953年だという。私はまだ生まれていない。高野さんをリーダーとする新浜グループの中で最年少だったのが塚本さん。大学卒業後アメリカに渡った塚本さんが日本に戻られて日本野鳥の会に勤務されていたとき、かつての新浜の写真を見せていただいたことがあったのだが、私にとっては夢のようなそれらの写真がこの本には散りばめられている。
かつての東京湾を知る人がどんどん減り、野鳥が群れ集った新浜の光景も忘れ去られようとしている中で、この本の出版はほんとうに嬉しかった。
古き良き時代にすがっていたいわけではない。いくら過去に想いを馳せたところで、失われた自然は戻らない。しかし、過去の新浜、東京湾の記録を残し後世に伝えることは決して無意味ではない。東京湾の自然を破壊しつくした人類の愚かさをかみしめるためには、過去の記録を辿るしかないのだから。
表紙カバーの内側には「東京湾の変遷」と題して「1950年頃」、「1970年前後」、「1980年ごろ~現在」の三枚の小さな地図が並んでいる。江戸川放水路から江戸川に挟まれた「新浜」の変遷を物語る地図だ。
新浜グループが探鳥を楽しんでいた頃は、おそらく1950年頃の地図の状態だったのだろう。地図には地先に干潟が示されているが、この頃の海岸線はすでに自然のままの海岸線ではない。本でも説明されているが、海と内陸は堤防で区切られており、遠浅の東京湾はだいぶ前から人が干拓をして水田や塩田として利用していたことがわかる。新浜グループの探鳥の道はその堤防の上だったそうだ。堤防の海側には潮が引くと広大な干潟がどこまでも続き、陸側には水田が広がり葦原などの後背湿地もあった。春と秋の渡りの季節にはシギやチドリが干潟に降り立ち、冬になるとマガンやサカツラガンが群れをなして渡ってきていたのだ。
私が新浜に頻繁に通うようになった学生時代には地下鉄東西線ができていて、かつて広がっていたであろう水田は埋め立てられ殺伐とした風景が広がっていた。野鳥を見る場所は、御猟場横の堤防で囲まれた干潟や荒涼とした埋立地、そして江戸川放水路周辺のわずかな干潟や水田、ハス田だった。かつて新浜グループのメンバーの通り道だった堤防は御猟場周辺に残るのみで、海岸の埋め立て地は工場や倉庫などが並んでいて立ち入りができず、海すら間近に見ることができなくなっていた。
新浜では埋め立てから野鳥の生息地を守ろうと新浜を守る会などによって保護運動が展開されたが、御猟場に接する一部を保護区として残すことで終止符が打たれた。「1970年前後」の地図の少し後が私が通った新浜だ。浦安には大きな埋立地が造られていてオリエンタルランドと呼んでいた。後年そこにディズニーランドができるとは思いもしなかった。
ネットで公開されている国土地理院の地形図から過去の空中写真を見ることができるが、その変貌には息をのむ。現在は、行徳一帯は住宅地と化しその中に新浜の野鳥保護区と谷津干潟が切り取られたように残されている。私の学位生時代には残っていた江戸川放水路沿いの水田やハス田はもうどこにもない。今となってはかつて歩いた場所がどこなのかも分からないだろう。
今では江戸川放水路河口沖合の三番瀬と呼ばれる浅瀬が東京湾最大の干潟だというが、往時の干潟から見たら干潮時の干出域はわずかのようだ。私は行ったことはないが、「ふなばし三番瀬海浜公園」の前に広がる干潟は人工的に造られたものだという。三番瀬では干潟の再生が試みられているようだが一度失われた自然を復元することは容易ではないし、人と自然が共生していたかつての新浜の姿は決して戻ってはこない。
日本は海に囲まれているが、干潟はどこにでもできるというものではない。川の河口や湾などに堆積した砂泥が、潮汐によって現れたり海に没したりする場所が干潟だが、遠浅で波の影響が少ないところにしか発達しない。日本で屈指の干潟といえば有明海だが、かつての東京湾もそれに並ぶ広大な干潟だったのだ。
有明海の諫早湾にも学生時代に2度ほど行っている。新浜と同じく干潟と陸地は長大な堤防で区切られていて、低湿地が古くから干拓されてきたことを物語っていた。それでも、あの頃はまだ干拓地の先には汀線も霞んで見えないような干潟が広がっていたのだ。その諫早湾の干潟も今は例のギロチンと呼ばれる潮受け堤防によって消えてしまった。
人間の果てしない欲は、自分たち以外の生物やそれをとりまく環境にまで想いを寄せることができなかった。経済成長の掛け声の中で、生物多様性に富むこの貴重な干潟をつぎつぎと潰した人間の愚を私たちは決して忘れてはならないと思う。
10年ほど前だったろうか、帯広の書店で自然関係の棚を見ていたら、「東京湾にガンがいた頃」というタイトルの本が目に飛び込んできた。塚本洋三さんの本ではないか。本のカバー写真は東京湾を飛ぶガンの群れのモノクロ写真。パラパラとページをめくれば在りし日の新浜の写真とともにそこで野鳥の観察に明け暮れた「新浜グループ」の様子が綴られている。私は迷わずに本を持ってレジに向かった。
かつて東京湾にガンが群れていたなどといってもピンとこない人が多いと思う。今の東京湾といえば四角い埋立地が並び、湾岸道路が周囲を巡り、中央に横断道路すらある。かつての面影などほとんどどこにもない。しかし、60~70前には信じられないほどの豊かな自然が息づいており、遠浅の広大な干潟にはおびただしい野鳥が渡来した。といっても私はそんな東京湾を知らない。
私が初めて新浜探鳥会に参加したときは1960年代の後半で埋め立て工事のさ中であり、広大な干潟に群れる野鳥の姿を見た記憶はない。新浜は1964年頃から埋め立てが始まっていたのだ。その時のことはこちらのエッセイで触れている。探鳥会のリーダーは高野伸二さん。その後、高野さんとは野鳥だけでなくクモの愛好者として交流させていただいた。
塚本さんがはじめて新浜を訪れたのは1953年だという。私はまだ生まれていない。高野さんをリーダーとする新浜グループの中で最年少だったのが塚本さん。大学卒業後アメリカに渡った塚本さんが日本に戻られて日本野鳥の会に勤務されていたとき、かつての新浜の写真を見せていただいたことがあったのだが、私にとっては夢のようなそれらの写真がこの本には散りばめられている。
かつての東京湾を知る人がどんどん減り、野鳥が群れ集った新浜の光景も忘れ去られようとしている中で、この本の出版はほんとうに嬉しかった。
古き良き時代にすがっていたいわけではない。いくら過去に想いを馳せたところで、失われた自然は戻らない。しかし、過去の新浜、東京湾の記録を残し後世に伝えることは決して無意味ではない。東京湾の自然を破壊しつくした人類の愚かさをかみしめるためには、過去の記録を辿るしかないのだから。
表紙カバーの内側には「東京湾の変遷」と題して「1950年頃」、「1970年前後」、「1980年ごろ~現在」の三枚の小さな地図が並んでいる。江戸川放水路から江戸川に挟まれた「新浜」の変遷を物語る地図だ。
新浜グループが探鳥を楽しんでいた頃は、おそらく1950年頃の地図の状態だったのだろう。地図には地先に干潟が示されているが、この頃の海岸線はすでに自然のままの海岸線ではない。本でも説明されているが、海と内陸は堤防で区切られており、遠浅の東京湾はだいぶ前から人が干拓をして水田や塩田として利用していたことがわかる。新浜グループの探鳥の道はその堤防の上だったそうだ。堤防の海側には潮が引くと広大な干潟がどこまでも続き、陸側には水田が広がり葦原などの後背湿地もあった。春と秋の渡りの季節にはシギやチドリが干潟に降り立ち、冬になるとマガンやサカツラガンが群れをなして渡ってきていたのだ。
私が新浜に頻繁に通うようになった学生時代には地下鉄東西線ができていて、かつて広がっていたであろう水田は埋め立てられ殺伐とした風景が広がっていた。野鳥を見る場所は、御猟場横の堤防で囲まれた干潟や荒涼とした埋立地、そして江戸川放水路周辺のわずかな干潟や水田、ハス田だった。かつて新浜グループのメンバーの通り道だった堤防は御猟場周辺に残るのみで、海岸の埋め立て地は工場や倉庫などが並んでいて立ち入りができず、海すら間近に見ることができなくなっていた。
新浜では埋め立てから野鳥の生息地を守ろうと新浜を守る会などによって保護運動が展開されたが、御猟場に接する一部を保護区として残すことで終止符が打たれた。「1970年前後」の地図の少し後が私が通った新浜だ。浦安には大きな埋立地が造られていてオリエンタルランドと呼んでいた。後年そこにディズニーランドができるとは思いもしなかった。
ネットで公開されている国土地理院の地形図から過去の空中写真を見ることができるが、その変貌には息をのむ。現在は、行徳一帯は住宅地と化しその中に新浜の野鳥保護区と谷津干潟が切り取られたように残されている。私の学位生時代には残っていた江戸川放水路沿いの水田やハス田はもうどこにもない。今となってはかつて歩いた場所がどこなのかも分からないだろう。
今では江戸川放水路河口沖合の三番瀬と呼ばれる浅瀬が東京湾最大の干潟だというが、往時の干潟から見たら干潮時の干出域はわずかのようだ。私は行ったことはないが、「ふなばし三番瀬海浜公園」の前に広がる干潟は人工的に造られたものだという。三番瀬では干潟の再生が試みられているようだが一度失われた自然を復元することは容易ではないし、人と自然が共生していたかつての新浜の姿は決して戻ってはこない。
日本は海に囲まれているが、干潟はどこにでもできるというものではない。川の河口や湾などに堆積した砂泥が、潮汐によって現れたり海に没したりする場所が干潟だが、遠浅で波の影響が少ないところにしか発達しない。日本で屈指の干潟といえば有明海だが、かつての東京湾もそれに並ぶ広大な干潟だったのだ。
有明海の諫早湾にも学生時代に2度ほど行っている。新浜と同じく干潟と陸地は長大な堤防で区切られていて、低湿地が古くから干拓されてきたことを物語っていた。それでも、あの頃はまだ干拓地の先には汀線も霞んで見えないような干潟が広がっていたのだ。その諫早湾の干潟も今は例のギロチンと呼ばれる潮受け堤防によって消えてしまった。
人間の果てしない欲は、自分たち以外の生物やそれをとりまく環境にまで想いを寄せることができなかった。経済成長の掛け声の中で、生物多様性に富むこの貴重な干潟をつぎつぎと潰した人間の愚を私たちは決して忘れてはならないと思う。
2015年11月02日
然別湖周辺の風倒被害
北海道は10月初旬に台風と低気圧で強風が吹き荒れた。この強風で大雪山国立黒煙の南東部にある然別湖周辺では、比較的大規模な風倒被害が発生した。
道路沿いを見る限り、然別湖の北岸にある野営場の一帯でかなりの風倒被害が見受けられる。全面的に倒れたという状態ではないにしても、場所によっては薄暗かった森林がスカスカの明るい疎林になってしまったところもある。下の写真の場所ではトドマツやエゾマツがかなり倒れたため、今まで見えなかった背後の山が見えるようになってしまった。


東ヌプカウシヌプリの登山道も、ちょうど風穴のあるあたりで集中的に風倒被害が発生していた。このあたりは岩塊地で樹木は深く根を張れないことが風倒被害につながったようだ。


気になるのは、今後の風倒木の処理だ。大規模な風倒木が発生すると、森林の管理者(ここの場合は国有林なので十勝西部森林管理署)がキクイムシの発生などを理由に風倒木を運び出すのが普通だ。昨今ではブルドーザーで作業道をつくって搬出するのが一般的なのだが、重機を入れると稚樹が潰されるだけでなく、植生が破壊されて土砂の流出が生じる。これまでも、そんな現場をあちこちで見てきた。
しかし、キクイムシが大発生したとしても数年で自然に収束するし、キクイムシはキツツキ類の餌となる。北海道の森林は過去になんども大きな風倒被害を受けてきたはずだが、風倒木を放置しても自然に森林は回復するのだ。倒木がそのままになっている景観はたしかに美しいとは言い難いが、倒木もやがて朽ちて後継樹の苗床となる。
また風倒木は風で揺すられて繊維が破断されるため材としての価値も下がる。自然保護の観点からも、また自然の遷移を見守るという観点からも、風倒木のある風景を自然の摂理として受け止め、基本的に手をつけないという選択をしてほしい。
道路沿いを見る限り、然別湖の北岸にある野営場の一帯でかなりの風倒被害が見受けられる。全面的に倒れたという状態ではないにしても、場所によっては薄暗かった森林がスカスカの明るい疎林になってしまったところもある。下の写真の場所ではトドマツやエゾマツがかなり倒れたため、今まで見えなかった背後の山が見えるようになってしまった。


東ヌプカウシヌプリの登山道も、ちょうど風穴のあるあたりで集中的に風倒被害が発生していた。このあたりは岩塊地で樹木は深く根を張れないことが風倒被害につながったようだ。


気になるのは、今後の風倒木の処理だ。大規模な風倒木が発生すると、森林の管理者(ここの場合は国有林なので十勝西部森林管理署)がキクイムシの発生などを理由に風倒木を運び出すのが普通だ。昨今ではブルドーザーで作業道をつくって搬出するのが一般的なのだが、重機を入れると稚樹が潰されるだけでなく、植生が破壊されて土砂の流出が生じる。これまでも、そんな現場をあちこちで見てきた。
しかし、キクイムシが大発生したとしても数年で自然に収束するし、キクイムシはキツツキ類の餌となる。北海道の森林は過去になんども大きな風倒被害を受けてきたはずだが、風倒木を放置しても自然に森林は回復するのだ。倒木がそのままになっている景観はたしかに美しいとは言い難いが、倒木もやがて朽ちて後継樹の苗床となる。
また風倒木は風で揺すられて繊維が破断されるため材としての価値も下がる。自然保護の観点からも、また自然の遷移を見守るという観点からも、風倒木のある風景を自然の摂理として受け止め、基本的に手をつけないという選択をしてほしい。
2015年06月08日
日高地方のサクラソウ移植に思う
6月7日付けの北海道新聞の日曜版「日曜Navi」に、全道の植物調査をしている五十嵐博さんの活動が紹介されていた。その記事の中で、むかわ町の「まちの森」に移植されたサクラソウのことが紹介されている。
サクラソウの仲間にはオオサクラソウやエゾコザクラ、クリンソウなどいろいろな種があるが、単に「サクラソウ」という種名のものもあるのでちょっと紛らわしい。このサクラソウは、江戸時代に荒川の河川敷に自生していたものを栽培してさまざまな品種が生みだされたことで知られている。
サクラソウは、北海道では日高地方にのみ分布しているのだが、自生地が日高自動車道(国道の高規格幹線道路)の用地となり危機に瀕しているということを、かつてサクラソウ研究者である鷲谷いづみさんからお聞きしたことがある。鷲谷さんはサクラソウ保護のために開発局に申入れをして尽力されたと聞く。
このサクラソウ保護の件をめぐって日高地方の植物愛好者の方などとやりとりしたことがあるが、結局、自然保護運動という形にはならなかったようだ。日高地方にはいわゆる自然保護団体がない。だから、平取ダムの反対運動なども地元からは起きなかった。
で、このサクラソウの件がその後どうなったのか知らなかったのだが、新聞記事によると町民有志が数年がかりで自生地から「まちの森」に移植したそうだ。「まちの森」には現在1万5千株以上が生育しているという。
高規格道路で自生地が縮小されておしまい、となってしまうよりは確かにいいのだが、移植でしか対処できなかったことはやはり残念というしかない。移植は「種」の保全にはなっても決して生育地保全ではないし、これでは日高のサクラソウ群生地が守られたとは言えない。野生生物や生物多様性保全というのは本来の生息・生育地そのものが守られてこそのものだからだ。
サクラソウは環境省のレッドリストで準絶滅危惧種に指定されているし、北海道では日高地方の限られたところにしか生育していない。道路建設にあたっては環境アセスメントを実施しているはずだが、保護すべき希少植物の生育地があってもこの国では生息地保全が優先されないのだ。「はじめに建設ありき」で計画が進められるために、希少動植物や生物多様性保全は単に努力目標になっているにすぎない。レッドリストに登載されたからといって保全義務があるわけではないのは事実だが、いったい何のためのレッドリストであり生物多様性保全なのかと思わざるを得ない。
開発予定地に希少な植物が生育している場合、その保全策の定番が「移植」だ。しかも、移植をした後に枯れてしまう場合も少なくない。「まちの森」に移植したサクラソウは無事生育しているようだが、サクラソウは一般に種子でもよく増えるし有毒でシカが食べないなどの条件も関係しているのだろう。これを保護の成功例とか美談にしてはならない。
サクラソウの仲間にはオオサクラソウやエゾコザクラ、クリンソウなどいろいろな種があるが、単に「サクラソウ」という種名のものもあるのでちょっと紛らわしい。このサクラソウは、江戸時代に荒川の河川敷に自生していたものを栽培してさまざまな品種が生みだされたことで知られている。
サクラソウは、北海道では日高地方にのみ分布しているのだが、自生地が日高自動車道(国道の高規格幹線道路)の用地となり危機に瀕しているということを、かつてサクラソウ研究者である鷲谷いづみさんからお聞きしたことがある。鷲谷さんはサクラソウ保護のために開発局に申入れをして尽力されたと聞く。
このサクラソウ保護の件をめぐって日高地方の植物愛好者の方などとやりとりしたことがあるが、結局、自然保護運動という形にはならなかったようだ。日高地方にはいわゆる自然保護団体がない。だから、平取ダムの反対運動なども地元からは起きなかった。
で、このサクラソウの件がその後どうなったのか知らなかったのだが、新聞記事によると町民有志が数年がかりで自生地から「まちの森」に移植したそうだ。「まちの森」には現在1万5千株以上が生育しているという。
高規格道路で自生地が縮小されておしまい、となってしまうよりは確かにいいのだが、移植でしか対処できなかったことはやはり残念というしかない。移植は「種」の保全にはなっても決して生育地保全ではないし、これでは日高のサクラソウ群生地が守られたとは言えない。野生生物や生物多様性保全というのは本来の生息・生育地そのものが守られてこそのものだからだ。
サクラソウは環境省のレッドリストで準絶滅危惧種に指定されているし、北海道では日高地方の限られたところにしか生育していない。道路建設にあたっては環境アセスメントを実施しているはずだが、保護すべき希少植物の生育地があってもこの国では生息地保全が優先されないのだ。「はじめに建設ありき」で計画が進められるために、希少動植物や生物多様性保全は単に努力目標になっているにすぎない。レッドリストに登載されたからといって保全義務があるわけではないのは事実だが、いったい何のためのレッドリストであり生物多様性保全なのかと思わざるを得ない。
開発予定地に希少な植物が生育している場合、その保全策の定番が「移植」だ。しかも、移植をした後に枯れてしまう場合も少なくない。「まちの森」に移植したサクラソウは無事生育しているようだが、サクラソウは一般に種子でもよく増えるし有毒でシカが食べないなどの条件も関係しているのだろう。これを保護の成功例とか美談にしてはならない。
2015年05月31日
日向市のスラグ問題と自然保護・環境保護運動
このブログでも何回か取り上げてきたが、宮崎県日向市では日向製錬所から排出されるフェロニッケルスラグという鉱さいが「造成」の名の元に里山等に埋められている。このスラグ問題をブログなどで明らかにしたのが日向市在住の黒木睦子さんだが、彼女は日向製錬所とスラグの運搬会社サンアイから名誉毀損および業務妨害で訴えられてしまった。
里山の自然を根こそぎ破壊してしまうことがまずは自然保護上大問題だ。しかも産業廃棄物として排出された鉱さいは、本来であれば管理型最終処分場ないしは遮蔽型最終処分場で処分されなければならないのだが、製品・リサイクルという名目でなんの遮蔽処理もせずに山野に埋められているのであり、産廃問題・環境問題でもある。こうした実態を何ら問題がないとして認可している行政の責任もきわめて大きい。仮に私の住む十勝地方でこのような造成が行われたなら、大問題として反対運動が展開されるだろう。しかし、日向市ではスラグの埋め立てに関して市民による反対運動が起きている様子は窺えない。
このスラグ埋め立て問題では、いろいろなことを考えさせられる。説明を尽くさずに抗議する市民を訴えるという企業のやり方は横暴だし、ブログの削除は口封じだと思うが、かといって企業や行政に抗議を続ければ問題が解決する訳ではないのも事実だ(ただし黒木さんにはそれ以外の方法が思いつかなかったのだろうし、彼女を批判するつもりはない)。では、こういう問題に直面したとき、いったい市民はどう対処したらいいのだろうか?
住民が個人的に企業や行政に説明を申し入れることは可能だが、多くの場合、話し合いは平行線ないしは決裂に終わって事業が強行される。個人での反対行動には限界がある。つまり利害関係のある地域住民が組織をつくって住民運動を起こしたり、あるいは地元住民に拘ることなく市民が反対運動を起こして闘うのが普通だ。
私は東京に住んでいた十代の後半から自然保護運動に関わってきたし、今も北海道で自然保護運動に関わっている。つまり、かれこれ40年以上自然保護とか環境問題に関わってきたのだが、日本各地で自然破壊に対してさまざまな反対運動が活発に繰り広げられた頃から今に至るまで、住民運動・市民運動の基本的な闘い方は大きく変わっていないと思う。
まず、自然保護上の問題が発覚した場合、情報収集や事実確認を行う。現地の確認を行ったり、事業者などの関係者に説明を求めたりする。そして問題点を明確にし、どうやったら破壊を食い止めることができるかを組織内部で話し合う。
次に、事業者に対し申入れや質問書を提出したり、問題解決のための話し合いを行う。公共事業など行政が相手の場合、昨今では説明や話し合いそのものを拒否することはほとんどない。「生物多様性国家戦略2012-2020」においても、生物多様性の保全及び持続可能な利用のために地方自治体、事業者、NGO・NPO等の民間団体、市民などが連携して取り組みを進めていく必要性が述べられており(99ページ)、行政は市民団体をないがしろにすることはできない。
規模の小さな事業であれば、こうした要請や話し合いで計画が変更されたり中止されることもあり得る。ただし、大きな事業の場合は話し合いで解決することはほとんどない。とりわけ企業による事業の場合は、申入れや質問への回答を無視したり話し合いに応じないこともある。
しかし企業による事業の場合、開発行為にあたって行政の許認可が必要な場合がほとんどなので、許認可を出した行政の責任を追及して交渉をする必要もある。もちろん行政は自分たちの許認可に問題はないと主張するのが普通だが、実に安易に許認可を出していることも多い。加森観光が建設したヒグマの野外展示施設「ベア・マウンテン」の事例だが、柵に熊が通り抜けできる大きな空隙があったまま許認可が出されていた。これを見つけたのは自然保護団体のメンバーである。
士幌高原道路(道々)の建設をめぐっては、十勝自然保護協会は北海道の出先機関である帯広土木現業所と緊迫した交渉を重ねた。「建設にあたっては地元自然保護団体の合意を得る」という約束があったからだ。事業者が強引に調査などに着手した際には、プラカードを掲げて現場での抗議行動も行った。大規模林道問題でも、北海道の自然保護団体のメンバーが何度も道庁に出向き、担当者と話し合いを続けてきた。ほとんどの場合、話し合いは平行線になるが、こうした交渉を重ねることで問題点がより明確になっていく。
それから現地視察や現地調査、観察会なども行う。ナキウサギの生息地保護などでは、何回も現地に足を運んで調査をした。大きな事業の場合は事業者は環境アセスメントを行っているが、自然保護団体による調査で事業者の調査の杜撰さを確認できることは多い。道路予定地がナキウサギの生息地に重なっている場所では、データを操作したとしか思えない事例もあった。
上ノ国や大雪山国立公園の国有林、えりもの道有林での森林伐採問題に関しても、自然保護団体による伐根の調査によって違法性が明らかにされた。具体的データを得られる調査活動は、反対運動を進める上で大きな武器になる。
また問題を多くの人に知らせるために、問題点をまとめたリーフレットを作成したり、専門家を呼んで講演会やシンポジウム、学習会等を開催することも有効だ。こうした問題をなかなか取り上げないマスコミも、講演会やシンポジウムを行うと取材して記事にすることも多い。
運動を進めるにあたり、情報公開制度も大いに活用できる。大規模林道問題でも、森林伐採問題でも美蔓ダム問題でも情報開示を最大限に利用した。
状況によっては署名活動も展開する。士幌高原道路の反対運動では全国の自然保護団体に署名用紙を送付して署名を呼び掛けた。十勝自然保護協会が行った士幌高原道路反対のネット署名は、今では広く普及したネット署名の先駆けになった。
一つの団体だけでは困難な場合は他の自然保護団体と共闘することもある。北海道の場合は賛同する他の道内の自然保護団体と連携したり、連合組織をつくって闘うこともある。士幌高原道路、日高横断道路、大規模林道問題では連合組織で活動して成果を上げた。
また、裁判にするという闘い方もある。北海道では、士幌高原道路、えりもの森違法伐採、北見道路、サホロスキー場拡張工事などで裁判が起こされている。この場合は協力的な弁護士がいることが必須だし、環境裁判は勝訴が難しい。しかし、反対運動を無視して事業が強行される場合は、こうした手段も大きな意味がある。「えりもの森裁判」は10年目に入ってまだ決着していないが、裁判を起こしたことで実質的に大規模な伐採を中止に追い込んだともいえる。
沖縄ではやんばるの森を守るために、林道建設や森林伐採を差し止めを求めて裁判が起こされた。今年3月には「請求を却下する」という門前払いの判決が下されたのだが、判決文をよく読むと、自然保護団体による様々な活動によって沖縄県が林道建設や伐採を中止していたために裁判所は差止を命ずる必要がなくなり、その結果としての却下判決だった。つまり、形式的には敗訴であっても実質勝訴という内容だった。
このように、大きな開発行為などでは一人で事業者と交渉したり抗議行動をしても限界があるが、住民運動あるいは市民運動という形をとることで問題が広く認知され、解決の道も広がる。
黒木さんの裁判がどのような結果になるか分からないが、弁護士もつけずに一人で闘っている現状を見る限り厳しいと感じざるを得ない。ただし、裁判を起こしたことでスラグによる埋め立て問題が地域に知れ渡って今後埋め立ての反対が強まるのなら、製錬所とサンアイはたとえ裁判で勝訴したとしても実質的敗訴と言えるかもしれない。もっとも、政官財の癒着が強く疑われる問題だし、製錬所が稼働している限りスラグが増えつづけるのだから、スラグ問題がそんなにすんなりと解決するとは思えない。
日向市のスラグ埋め立て問題は、抗議をした市民一人の問題ではない。ただし裁判は黒木さんが誰の力も借りずに自分で闘うと宣言している以上、誰も関与はできない。裁判とは別に、できれば住民運動として地域の人たちが取り組む必要があると思う。もっとも地方では地元企業に対して声を上げにくいという事情もあるだろうから、住民運動が困難であるなら、地域の(たとえば宮崎県の)市民運動として取り組んでいくべきことのように思える。ちなみに私の所属する十勝自然保護協会は十勝地方での自然保護問題を対象にしているが、十勝地方(10,831.24平方キロメートル)は宮崎県(7,735.31平方キロメートル)より広い。
宮崎県にこうした問題に取り組める市民団体があるのかどうか分からないが、黒木さんによる問題提起を基に、今後、地域の人たちがこの問題にどのように取り組んでいくのか、あるいは何もしないのかが問われているのだと私は思う。
昨日は以下の連続ツイートをしたが、それは私がこの問題に関して上記のように考えているからである。
①「日向ミナマタ水・土壌汚染・防災研究会」というブログがある。http://blogs.yahoo.co.jp/teisitu_minamataサブタイトルに「住友金属鉱山の日向製錬所は、かつてのチッソと同じ企業体質。黒木睦子さんを助けよう!」と書かれているので、黒木さんを支援していることが分かる。
②いわゆる勝手連のような立場と推測されるし、そういう意味では「日向製錬所産廃問題ネットワーク」と共通する。ただし、黒木さんはご自分の裁判において金銭的支援を含む一切の支援を断っており、自分の力で裁判を闘うと明言している。つまり、第三者による支援を拒否している。
③黒木さんは、「スラグは産廃で有害」という立場でこの問題を検証しているブログ記事などを裁判で十分活用しているとは思えない。こうしたことからも、彼女は自分の力で自分の気の済む闘いをしたいのだろうと私は理解している。だから、弁護士もつけなかったのだろう。
④このような彼女のやり方に私は賛同しないが、どんな闘いをするかは彼女自身が決めることなので第三者がとやかくいうことではないだろう。いずれにしても、黒木さんが誰の助けも借りないという方針である以上、裁判に関しては第三者は見守るしかない。
⑤「日向製錬所産廃問題ネットワーク」は、黒木さんの支援を掲げて水質検査などを行ったが、計画性のない水質検査を行って結果を公表したことで黒木さんを不利にした。そして、その件に関してなんら弁明もなされていない。支援するといいながら、結果として迷惑をかけただけだった。
⑥この裁判に関心を持って見守っている人は、こういう状況であることはすでによく分かっているだろう。だから、勝手連のような形で黒木さんを支援することは意味がないと私は考えている。それにも関わらず、なぜこの団体は「黒木さんを助けよう」と掲げているのだろうか?
⑦この団体は、以前から存在する環境保護団体ではなさそうだ。日向のスラグ問題で情報公開を行って公文書を入手しているし、それらはスラグによる環境問題を考える上で活用できるだろう。ところが、この団体の主宰者が誰なのかが全く分からない。
⑧これは私の意見だが、日向製錬所のスラグ問題に関心を持ち、スラグがあちこちに埋められるなどしている問題をなんとかしたいのであれば、黒木さんの裁判とは切り離して独自に活動するべきだし、団体の目的や代表者名くらい明らかにしなければ信頼性に欠ける。
⑨また、主に日向製錬所のスラグ問題を取り上げている多数のYahooブログが存在するのだが、同じ内容の記事が掲載されていたり、互いにトラックバックしたり、互いにコメントしたりしている。どうやら同じ人物ないしは同じグループの人がブログを書いているように思える。
⑩しかも、記事の中には他のサイト記事あるいは写真の無断転載も見受けられる。「日向製錬所産廃問題ネットワーク」も無断転載をしていた。問題意識を持って情報開示を行ったり情報提供するのは評価できるが、こうしたやり方には非常識さを感じざるを得ないし、手放しで賛同できない。
里山の自然を根こそぎ破壊してしまうことがまずは自然保護上大問題だ。しかも産業廃棄物として排出された鉱さいは、本来であれば管理型最終処分場ないしは遮蔽型最終処分場で処分されなければならないのだが、製品・リサイクルという名目でなんの遮蔽処理もせずに山野に埋められているのであり、産廃問題・環境問題でもある。こうした実態を何ら問題がないとして認可している行政の責任もきわめて大きい。仮に私の住む十勝地方でこのような造成が行われたなら、大問題として反対運動が展開されるだろう。しかし、日向市ではスラグの埋め立てに関して市民による反対運動が起きている様子は窺えない。
このスラグ埋め立て問題では、いろいろなことを考えさせられる。説明を尽くさずに抗議する市民を訴えるという企業のやり方は横暴だし、ブログの削除は口封じだと思うが、かといって企業や行政に抗議を続ければ問題が解決する訳ではないのも事実だ(ただし黒木さんにはそれ以外の方法が思いつかなかったのだろうし、彼女を批判するつもりはない)。では、こういう問題に直面したとき、いったい市民はどう対処したらいいのだろうか?
住民が個人的に企業や行政に説明を申し入れることは可能だが、多くの場合、話し合いは平行線ないしは決裂に終わって事業が強行される。個人での反対行動には限界がある。つまり利害関係のある地域住民が組織をつくって住民運動を起こしたり、あるいは地元住民に拘ることなく市民が反対運動を起こして闘うのが普通だ。
私は東京に住んでいた十代の後半から自然保護運動に関わってきたし、今も北海道で自然保護運動に関わっている。つまり、かれこれ40年以上自然保護とか環境問題に関わってきたのだが、日本各地で自然破壊に対してさまざまな反対運動が活発に繰り広げられた頃から今に至るまで、住民運動・市民運動の基本的な闘い方は大きく変わっていないと思う。
まず、自然保護上の問題が発覚した場合、情報収集や事実確認を行う。現地の確認を行ったり、事業者などの関係者に説明を求めたりする。そして問題点を明確にし、どうやったら破壊を食い止めることができるかを組織内部で話し合う。
次に、事業者に対し申入れや質問書を提出したり、問題解決のための話し合いを行う。公共事業など行政が相手の場合、昨今では説明や話し合いそのものを拒否することはほとんどない。「生物多様性国家戦略2012-2020」においても、生物多様性の保全及び持続可能な利用のために地方自治体、事業者、NGO・NPO等の民間団体、市民などが連携して取り組みを進めていく必要性が述べられており(99ページ)、行政は市民団体をないがしろにすることはできない。
規模の小さな事業であれば、こうした要請や話し合いで計画が変更されたり中止されることもあり得る。ただし、大きな事業の場合は話し合いで解決することはほとんどない。とりわけ企業による事業の場合は、申入れや質問への回答を無視したり話し合いに応じないこともある。
しかし企業による事業の場合、開発行為にあたって行政の許認可が必要な場合がほとんどなので、許認可を出した行政の責任を追及して交渉をする必要もある。もちろん行政は自分たちの許認可に問題はないと主張するのが普通だが、実に安易に許認可を出していることも多い。加森観光が建設したヒグマの野外展示施設「ベア・マウンテン」の事例だが、柵に熊が通り抜けできる大きな空隙があったまま許認可が出されていた。これを見つけたのは自然保護団体のメンバーである。
士幌高原道路(道々)の建設をめぐっては、十勝自然保護協会は北海道の出先機関である帯広土木現業所と緊迫した交渉を重ねた。「建設にあたっては地元自然保護団体の合意を得る」という約束があったからだ。事業者が強引に調査などに着手した際には、プラカードを掲げて現場での抗議行動も行った。大規模林道問題でも、北海道の自然保護団体のメンバーが何度も道庁に出向き、担当者と話し合いを続けてきた。ほとんどの場合、話し合いは平行線になるが、こうした交渉を重ねることで問題点がより明確になっていく。
それから現地視察や現地調査、観察会なども行う。ナキウサギの生息地保護などでは、何回も現地に足を運んで調査をした。大きな事業の場合は事業者は環境アセスメントを行っているが、自然保護団体による調査で事業者の調査の杜撰さを確認できることは多い。道路予定地がナキウサギの生息地に重なっている場所では、データを操作したとしか思えない事例もあった。
上ノ国や大雪山国立公園の国有林、えりもの道有林での森林伐採問題に関しても、自然保護団体による伐根の調査によって違法性が明らかにされた。具体的データを得られる調査活動は、反対運動を進める上で大きな武器になる。
また問題を多くの人に知らせるために、問題点をまとめたリーフレットを作成したり、専門家を呼んで講演会やシンポジウム、学習会等を開催することも有効だ。こうした問題をなかなか取り上げないマスコミも、講演会やシンポジウムを行うと取材して記事にすることも多い。
運動を進めるにあたり、情報公開制度も大いに活用できる。大規模林道問題でも、森林伐採問題でも美蔓ダム問題でも情報開示を最大限に利用した。
状況によっては署名活動も展開する。士幌高原道路の反対運動では全国の自然保護団体に署名用紙を送付して署名を呼び掛けた。十勝自然保護協会が行った士幌高原道路反対のネット署名は、今では広く普及したネット署名の先駆けになった。
一つの団体だけでは困難な場合は他の自然保護団体と共闘することもある。北海道の場合は賛同する他の道内の自然保護団体と連携したり、連合組織をつくって闘うこともある。士幌高原道路、日高横断道路、大規模林道問題では連合組織で活動して成果を上げた。
また、裁判にするという闘い方もある。北海道では、士幌高原道路、えりもの森違法伐採、北見道路、サホロスキー場拡張工事などで裁判が起こされている。この場合は協力的な弁護士がいることが必須だし、環境裁判は勝訴が難しい。しかし、反対運動を無視して事業が強行される場合は、こうした手段も大きな意味がある。「えりもの森裁判」は10年目に入ってまだ決着していないが、裁判を起こしたことで実質的に大規模な伐採を中止に追い込んだともいえる。
沖縄ではやんばるの森を守るために、林道建設や森林伐採を差し止めを求めて裁判が起こされた。今年3月には「請求を却下する」という門前払いの判決が下されたのだが、判決文をよく読むと、自然保護団体による様々な活動によって沖縄県が林道建設や伐採を中止していたために裁判所は差止を命ずる必要がなくなり、その結果としての却下判決だった。つまり、形式的には敗訴であっても実質勝訴という内容だった。
このように、大きな開発行為などでは一人で事業者と交渉したり抗議行動をしても限界があるが、住民運動あるいは市民運動という形をとることで問題が広く認知され、解決の道も広がる。
黒木さんの裁判がどのような結果になるか分からないが、弁護士もつけずに一人で闘っている現状を見る限り厳しいと感じざるを得ない。ただし、裁判を起こしたことでスラグによる埋め立て問題が地域に知れ渡って今後埋め立ての反対が強まるのなら、製錬所とサンアイはたとえ裁判で勝訴したとしても実質的敗訴と言えるかもしれない。もっとも、政官財の癒着が強く疑われる問題だし、製錬所が稼働している限りスラグが増えつづけるのだから、スラグ問題がそんなにすんなりと解決するとは思えない。
日向市のスラグ埋め立て問題は、抗議をした市民一人の問題ではない。ただし裁判は黒木さんが誰の力も借りずに自分で闘うと宣言している以上、誰も関与はできない。裁判とは別に、できれば住民運動として地域の人たちが取り組む必要があると思う。もっとも地方では地元企業に対して声を上げにくいという事情もあるだろうから、住民運動が困難であるなら、地域の(たとえば宮崎県の)市民運動として取り組んでいくべきことのように思える。ちなみに私の所属する十勝自然保護協会は十勝地方での自然保護問題を対象にしているが、十勝地方(10,831.24平方キロメートル)は宮崎県(7,735.31平方キロメートル)より広い。
宮崎県にこうした問題に取り組める市民団体があるのかどうか分からないが、黒木さんによる問題提起を基に、今後、地域の人たちがこの問題にどのように取り組んでいくのか、あるいは何もしないのかが問われているのだと私は思う。
昨日は以下の連続ツイートをしたが、それは私がこの問題に関して上記のように考えているからである。
①「日向ミナマタ水・土壌汚染・防災研究会」というブログがある。http://blogs.yahoo.co.jp/teisitu_minamataサブタイトルに「住友金属鉱山の日向製錬所は、かつてのチッソと同じ企業体質。黒木睦子さんを助けよう!」と書かれているので、黒木さんを支援していることが分かる。
②いわゆる勝手連のような立場と推測されるし、そういう意味では「日向製錬所産廃問題ネットワーク」と共通する。ただし、黒木さんはご自分の裁判において金銭的支援を含む一切の支援を断っており、自分の力で裁判を闘うと明言している。つまり、第三者による支援を拒否している。
③黒木さんは、「スラグは産廃で有害」という立場でこの問題を検証しているブログ記事などを裁判で十分活用しているとは思えない。こうしたことからも、彼女は自分の力で自分の気の済む闘いをしたいのだろうと私は理解している。だから、弁護士もつけなかったのだろう。
④このような彼女のやり方に私は賛同しないが、どんな闘いをするかは彼女自身が決めることなので第三者がとやかくいうことではないだろう。いずれにしても、黒木さんが誰の助けも借りないという方針である以上、裁判に関しては第三者は見守るしかない。
⑤「日向製錬所産廃問題ネットワーク」は、黒木さんの支援を掲げて水質検査などを行ったが、計画性のない水質検査を行って結果を公表したことで黒木さんを不利にした。そして、その件に関してなんら弁明もなされていない。支援するといいながら、結果として迷惑をかけただけだった。
⑥この裁判に関心を持って見守っている人は、こういう状況であることはすでによく分かっているだろう。だから、勝手連のような形で黒木さんを支援することは意味がないと私は考えている。それにも関わらず、なぜこの団体は「黒木さんを助けよう」と掲げているのだろうか?
⑦この団体は、以前から存在する環境保護団体ではなさそうだ。日向のスラグ問題で情報公開を行って公文書を入手しているし、それらはスラグによる環境問題を考える上で活用できるだろう。ところが、この団体の主宰者が誰なのかが全く分からない。
⑧これは私の意見だが、日向製錬所のスラグ問題に関心を持ち、スラグがあちこちに埋められるなどしている問題をなんとかしたいのであれば、黒木さんの裁判とは切り離して独自に活動するべきだし、団体の目的や代表者名くらい明らかにしなければ信頼性に欠ける。
⑨また、主に日向製錬所のスラグ問題を取り上げている多数のYahooブログが存在するのだが、同じ内容の記事が掲載されていたり、互いにトラックバックしたり、互いにコメントしたりしている。どうやら同じ人物ないしは同じグループの人がブログを書いているように思える。
⑩しかも、記事の中には他のサイト記事あるいは写真の無断転載も見受けられる。「日向製錬所産廃問題ネットワーク」も無断転載をしていた。問題意識を持って情報開示を行ったり情報提供するのは評価できるが、こうしたやり方には非常識さを感じざるを得ないし、手放しで賛同できない。
2015年05月09日
更別村の十勝坊主とその保全
若い頃からいわゆる観光旅行というものに興味がない私は、どこかに出かけたくなっても観光地に行くことはほとんどない。出かける先はほとんどが山野だ。
先日は、暖かな日和に誘われて十勝坊主を見にいった。十勝坊主というのは周氷河地形の構造土の一つで、地面がこぶ状に盛り上がった地形だ。構造土は地中の水分が凍結と融解を繰り返すことで形成される。たとえば大雪山の高山帯で見られるアースハンモックや多角形土、階状土なども構造土だが、十勝坊主は平地で見られる構造土だ。
帯広畜産大学農場にある十勝坊主は北海道の天然記念物に指定されている他、音更町にあるものは町指定文化財になっている。また更別村のイタラタラキ川流域の十勝坊主群の一部は、北海道の学術自然保護区(勢雄地区)に指定されている。他に、帯広空港の近くにも十勝坊主群がある。
今回、見にいったのは更別村と幕別町の境界付近を流れるイタラタラキ川流域の十勝坊主群だ。左岸の一角、さけ・ますふ化場の近くに学術自然保護区があり看板が出ている。

実際に行って驚いたのだが、ここの保護区の十勝坊主群は猫の額のように小さい。そして保護区の南のイタラタラキ排水路流域にはもっと広い十勝坊主群がある。ササに覆われているので写真だと凹凸がちょっと分かりにくいのだが、直径が1メートル前後、高さが50センチ前後くらいのこぶがポコポコと連なり、不思議な光景だ。

しかし、なぜ広い方の十勝坊主群を保護区に指定せず、猫の額のようなところを保護区にしたのだろうか?
実はイタラタラキ川流域に広がる十勝坊主群は、バイパス水路工事によって分断され一部が壊されてしまっている。以下参照。
2.化石構造土:北海道更別村(農林水産省)
つまり、広大な方の十勝坊主群にはバイパス水路の計画があったため保護区指定をせず、規模のごく小さい一部の場所のみを保護区指定したということではないかと思われる。貴重な周氷河地形の保存よりバイパス水路工事を優先したがゆえに、十勝坊主群の一部が壊されてしまったと言えそうだ。
バイパス水路の工事に当たっては十勝坊主の調査が行われているのだが、農水省は「バイパス水路整備後における十勝坊主の形態変化や周辺植生の変化は認められず、現況河川を存置した工法は、自然環境への事業の影響軽減を十分果たしていると考えられます」と記している。工事が周氷河地形に変化を与えていないので問題ない、と言いたいようだ。ただし、工事が本当に影響を与えていないかどうかはそう簡単には分からないだろう。何十年も経過してから変化が現れるかもしれないのだから。
では、何のためにバイパス水路を造ったのだろう?
上記サイトの空中写真を見るとよく分かるのだが、イタラタラキ川流域は十勝坊主群のある部分を除き河川の直線化工事が行われている。十勝坊主群のある区間はその保護のために直線化工事をせずに蛇行した自然の状態を残したのである。しかし、もともと森林だったところを農地開発すれば大雨のときには河川に一気に水が流出するようになる。さらに流域に湿地が広がっていた蛇行河川を直線的に改修し河岸まで農地にしたのである。流速が落ちる蛇行部周辺で水が溢れ、その周辺の農地で湛水被害や過湿被害が生じるのは当然のことだ。その解消のために十勝坊主群を壊してバイパス水路を造ったのだ。
また、十勝坊主群の上流にはヤチカンバの保護区があるのだが、周辺の農地の過湿被害を防ぐために行われた排水工事によってヤチカンバ生育地が乾燥化し、危機的な状況になっている。ヤチカンバは湿地に生育する植物なのだが、乾燥化によって生育地にササやヤマナラシなどが侵入してしまったのだ。
結局、十勝坊主の分布域やヤチカンバの生育地のみ手をつけなければ保全できるという訳ではないことがよく分かる。森林や湿地を農地にしたり蛇行河川を直線化するということは、これまで保たれてきた自然のバランスを崩してしまうことに他ならない。自然のバランスを崩してしまったら、真の保全にはならないのだ。
排水事業によって農地の排水は良くなったとしても、大雨などの際に河川に一気に水が流れ込むことに繋がる。水の出方が変わってしまえば河川にさまざまな影響を与えるし洪水の原因にもなる。そのために下流では床固工やら落差工などの治水工事が行われることになる。それらの工事がさらに下流の河床低下を引き起こすことになる。こうなると永遠に公共事業にお金をかけることになり自然破壊はさらに進むという悪循環に陥る。昨今、河川管理者によって行われている河川整備事業は、まさにこの悪循環といっても過言ではない。
開発できるところはとことん開発しようという人間の傲慢さが、取り返しのつかない自然破壊を招き、税金の無駄遣いへと繋がっているのだ。
先日は、暖かな日和に誘われて十勝坊主を見にいった。十勝坊主というのは周氷河地形の構造土の一つで、地面がこぶ状に盛り上がった地形だ。構造土は地中の水分が凍結と融解を繰り返すことで形成される。たとえば大雪山の高山帯で見られるアースハンモックや多角形土、階状土なども構造土だが、十勝坊主は平地で見られる構造土だ。
帯広畜産大学農場にある十勝坊主は北海道の天然記念物に指定されている他、音更町にあるものは町指定文化財になっている。また更別村のイタラタラキ川流域の十勝坊主群の一部は、北海道の学術自然保護区(勢雄地区)に指定されている。他に、帯広空港の近くにも十勝坊主群がある。
今回、見にいったのは更別村と幕別町の境界付近を流れるイタラタラキ川流域の十勝坊主群だ。左岸の一角、さけ・ますふ化場の近くに学術自然保護区があり看板が出ている。

実際に行って驚いたのだが、ここの保護区の十勝坊主群は猫の額のように小さい。そして保護区の南のイタラタラキ排水路流域にはもっと広い十勝坊主群がある。ササに覆われているので写真だと凹凸がちょっと分かりにくいのだが、直径が1メートル前後、高さが50センチ前後くらいのこぶがポコポコと連なり、不思議な光景だ。

しかし、なぜ広い方の十勝坊主群を保護区に指定せず、猫の額のようなところを保護区にしたのだろうか?
実はイタラタラキ川流域に広がる十勝坊主群は、バイパス水路工事によって分断され一部が壊されてしまっている。以下参照。
2.化石構造土:北海道更別村(農林水産省)
つまり、広大な方の十勝坊主群にはバイパス水路の計画があったため保護区指定をせず、規模のごく小さい一部の場所のみを保護区指定したということではないかと思われる。貴重な周氷河地形の保存よりバイパス水路工事を優先したがゆえに、十勝坊主群の一部が壊されてしまったと言えそうだ。
バイパス水路の工事に当たっては十勝坊主の調査が行われているのだが、農水省は「バイパス水路整備後における十勝坊主の形態変化や周辺植生の変化は認められず、現況河川を存置した工法は、自然環境への事業の影響軽減を十分果たしていると考えられます」と記している。工事が周氷河地形に変化を与えていないので問題ない、と言いたいようだ。ただし、工事が本当に影響を与えていないかどうかはそう簡単には分からないだろう。何十年も経過してから変化が現れるかもしれないのだから。
では、何のためにバイパス水路を造ったのだろう?
上記サイトの空中写真を見るとよく分かるのだが、イタラタラキ川流域は十勝坊主群のある部分を除き河川の直線化工事が行われている。十勝坊主群のある区間はその保護のために直線化工事をせずに蛇行した自然の状態を残したのである。しかし、もともと森林だったところを農地開発すれば大雨のときには河川に一気に水が流出するようになる。さらに流域に湿地が広がっていた蛇行河川を直線的に改修し河岸まで農地にしたのである。流速が落ちる蛇行部周辺で水が溢れ、その周辺の農地で湛水被害や過湿被害が生じるのは当然のことだ。その解消のために十勝坊主群を壊してバイパス水路を造ったのだ。
また、十勝坊主群の上流にはヤチカンバの保護区があるのだが、周辺の農地の過湿被害を防ぐために行われた排水工事によってヤチカンバ生育地が乾燥化し、危機的な状況になっている。ヤチカンバは湿地に生育する植物なのだが、乾燥化によって生育地にササやヤマナラシなどが侵入してしまったのだ。
結局、十勝坊主の分布域やヤチカンバの生育地のみ手をつけなければ保全できるという訳ではないことがよく分かる。森林や湿地を農地にしたり蛇行河川を直線化するということは、これまで保たれてきた自然のバランスを崩してしまうことに他ならない。自然のバランスを崩してしまったら、真の保全にはならないのだ。
排水事業によって農地の排水は良くなったとしても、大雨などの際に河川に一気に水が流れ込むことに繋がる。水の出方が変わってしまえば河川にさまざまな影響を与えるし洪水の原因にもなる。そのために下流では床固工やら落差工などの治水工事が行われることになる。それらの工事がさらに下流の河床低下を引き起こすことになる。こうなると永遠に公共事業にお金をかけることになり自然破壊はさらに進むという悪循環に陥る。昨今、河川管理者によって行われている河川整備事業は、まさにこの悪循環といっても過言ではない。
開発できるところはとことん開発しようという人間の傲慢さが、取り返しのつかない自然破壊を招き、税金の無駄遣いへと繋がっているのだ。
2015年04月22日
講演報告「国立公園における地熱開発の規制緩和の経緯と問題点」(辻村千尋氏)
4月18日に新得町でシンポジウム「大雪山国立公園トムラウシの地熱発電計画を問う」が開催され、在田一則氏(北海道自然保護協会会長)、寺島一男氏(大雪と石狩の自然を守る会代表)、辻村千尋氏(日本自然保護協会)による講演が行われた。また翌19日に帯広市で辻村千尋氏による講演会が開催された。ここでは、辻村千尋氏の講演「国立公園における地熱開発の規制緩和の経緯と問題点」の概要を紹介したい。
なお、シンポジウムの講演要旨は以下を参照いただきたい。
シンポジウム「大雪山国立公園トムラウシの地熱発電計画を問う」報告(十勝自然保護協会活動速報)
**********
国立公園における地熱開発の規制緩和の経緯と問題点 辻村千尋
日本自然保護協会の国立公園での地熱開発についての基本スタンスは、原子力発電をなくすこと、省エネを第一に進め、地域の自然にあったエネルギーシステムに転換することが前提である。自然再生可能エネルギーとしての地熱発電や風力発電等の導入を否定するものではない。
しかし、自然環境や生物多様性に与える影響、温泉への影響など、問題点の議論が不十分であり、デメリットも含めたコンセンサスづくりが必要である。
2010年6月18日に再生可能エネルギーの導入促進に向け、環境省に対して国立公園での規制緩和を検討するよう閣議決定がなされた。これを受け、環境省は2011年6月から2012年2月にかけて5回にわたって「地熱発電事案に関わる自然環境影響検討会」を開催し、科学的な議論を実施した。日本自然保護協会はこの会議において専門家として以下の点について科学的な指摘をした。
①国立・国定公園と地熱発電との関係
国立・国定公園は特別保護地区、特別地域(第1種~第三種)、普通地域に区分されている(地種区分)。しかし、実際には自然度と地種区分が合致しておらず、バッファーのない特別保護地区や特別地域があったり、規制の弱い、あるいは保護されていない重要な自然環境がある。地熱発電所が計画されているトムラウシ地区(第三種特別地域)はすぐ隣りに原生自然環境保全地域があり、バッファーがない。地種区分の拡充や再編が必要である。
②持続可能性についての疑問
地熱発電を行うための生産井は寿命があり、次々と新しい井戸を掘り続けなければならない。また、生産井からの蒸気や熱水は還元井によって地下に戻すシステムだが、水蒸気として大気に出ていくものもあるので、すべて地下に還元できるわけではない。
③不確実性と予防原則について
蒸気が取り出せるかどうかは、実際に掘ってみないと分からないという不確実性があり、蒸気が出なければ堀り直すことになる。また地下2000~3000メートルのところに空気を嫌う微生物がいることが分かっており、このような微生物にどのような影響を及ぼすのか分からない。したがって予防原則の立場をとるべきである。
④地表部の自然保護上の問題点について
森林であったところにパイプラインだらけの工場が出現することになり、景観を破壊する。
⑤環境影響評価の手続きについて
資源探査は環境アセスメントの対象にならない。しかし、道路の開削や坑井などの開発行為が伴う。また試験井を掘って蒸気がでればそれを使うことになり、事業に移行する。
⑥自然保護上の解決を要する技術的課題
パイプラインの景観、ヒ素を含む還元水の地下への影響、火山景観への影響、大量の還元水の地盤変動への影響、噴気蒸気の不安定さと掘削井の持続性への疑問、人の健康に与える影響など、自然保護上解決しなければならない課題がある。
これらのことから、日本自然保護協会としては、地熱発電所は国立・国定公園内では行うべきではなく、規制緩和には反対であるとの意見を表明した。そして、検討会では普通地域での開発は個別判断で認める、第二種および第三種特別地域への地下へのななめ掘りは地表面に影響がなければ認める、これ以外については合意できず両論併記、の三点が合意された。
しかし、環境省としての結論は、①普通地域は認める、②地表でも、第二種および第三種特別地域での開発を優良事例に限り認める、③特別保護地区、第一種特別地域も調査は認める、ということになり、検討会での科学的議論が軽視されてしまった。これは政治的な判断がなされたことを意味する。
人口が減少していく中で、どれだけ電力が必要なのか、省エネがどこまで可能なのかという議論がない。国立・国定公園での地熱開発は公園指定を解除するに等しく、自然公園の風景と調和しない工作物は許可してはならない。生物多様性の保全上も、国立・国定公園での地熱開発許可は難しい。
地球温暖化への対処と生物多様性の保全は両立させなければならず、温暖化対策のために生物多様性を壊すのは矛盾する。
日本の山岳地帯は3000m級の山としては世界一の強風にさらされている。これは、ヒマラヤ山脈で分流したジェット気流が日本で合流するためである。また、日本は氷期に氷河で全体が覆われなかったため、植物の絶滅が免れた。地質も複雑である。このような要因が重なり、日本は生物のホットスポットとなっており、国立公園で守っていかなければならない。
2010年に名古屋で開催されたCOP10(生物多様性条約第10回締結国会議)で、「陸域及び内陸水域の17%の保全」が採択されたが、この17%は保安林も含めてようやくクリアされた。
歴史学者の色川大吉氏は著作で「風景が無くなるということは、その歴史がなくなるということ」と記しているが、この言葉をしっかりと受け止めていかなければならない。
なお、シンポジウムの講演要旨は以下を参照いただきたい。
シンポジウム「大雪山国立公園トムラウシの地熱発電計画を問う」報告(十勝自然保護協会活動速報)
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国立公園における地熱開発の規制緩和の経緯と問題点 辻村千尋
日本自然保護協会の国立公園での地熱開発についての基本スタンスは、原子力発電をなくすこと、省エネを第一に進め、地域の自然にあったエネルギーシステムに転換することが前提である。自然再生可能エネルギーとしての地熱発電や風力発電等の導入を否定するものではない。
しかし、自然環境や生物多様性に与える影響、温泉への影響など、問題点の議論が不十分であり、デメリットも含めたコンセンサスづくりが必要である。
2010年6月18日に再生可能エネルギーの導入促進に向け、環境省に対して国立公園での規制緩和を検討するよう閣議決定がなされた。これを受け、環境省は2011年6月から2012年2月にかけて5回にわたって「地熱発電事案に関わる自然環境影響検討会」を開催し、科学的な議論を実施した。日本自然保護協会はこの会議において専門家として以下の点について科学的な指摘をした。
①国立・国定公園と地熱発電との関係
国立・国定公園は特別保護地区、特別地域(第1種~第三種)、普通地域に区分されている(地種区分)。しかし、実際には自然度と地種区分が合致しておらず、バッファーのない特別保護地区や特別地域があったり、規制の弱い、あるいは保護されていない重要な自然環境がある。地熱発電所が計画されているトムラウシ地区(第三種特別地域)はすぐ隣りに原生自然環境保全地域があり、バッファーがない。地種区分の拡充や再編が必要である。
②持続可能性についての疑問
地熱発電を行うための生産井は寿命があり、次々と新しい井戸を掘り続けなければならない。また、生産井からの蒸気や熱水は還元井によって地下に戻すシステムだが、水蒸気として大気に出ていくものもあるので、すべて地下に還元できるわけではない。
③不確実性と予防原則について
蒸気が取り出せるかどうかは、実際に掘ってみないと分からないという不確実性があり、蒸気が出なければ堀り直すことになる。また地下2000~3000メートルのところに空気を嫌う微生物がいることが分かっており、このような微生物にどのような影響を及ぼすのか分からない。したがって予防原則の立場をとるべきである。
④地表部の自然保護上の問題点について
森林であったところにパイプラインだらけの工場が出現することになり、景観を破壊する。
⑤環境影響評価の手続きについて
資源探査は環境アセスメントの対象にならない。しかし、道路の開削や坑井などの開発行為が伴う。また試験井を掘って蒸気がでればそれを使うことになり、事業に移行する。
⑥自然保護上の解決を要する技術的課題
パイプラインの景観、ヒ素を含む還元水の地下への影響、火山景観への影響、大量の還元水の地盤変動への影響、噴気蒸気の不安定さと掘削井の持続性への疑問、人の健康に与える影響など、自然保護上解決しなければならない課題がある。
これらのことから、日本自然保護協会としては、地熱発電所は国立・国定公園内では行うべきではなく、規制緩和には反対であるとの意見を表明した。そして、検討会では普通地域での開発は個別判断で認める、第二種および第三種特別地域への地下へのななめ掘りは地表面に影響がなければ認める、これ以外については合意できず両論併記、の三点が合意された。
しかし、環境省としての結論は、①普通地域は認める、②地表でも、第二種および第三種特別地域での開発を優良事例に限り認める、③特別保護地区、第一種特別地域も調査は認める、ということになり、検討会での科学的議論が軽視されてしまった。これは政治的な判断がなされたことを意味する。
人口が減少していく中で、どれだけ電力が必要なのか、省エネがどこまで可能なのかという議論がない。国立・国定公園での地熱開発は公園指定を解除するに等しく、自然公園の風景と調和しない工作物は許可してはならない。生物多様性の保全上も、国立・国定公園での地熱開発許可は難しい。
地球温暖化への対処と生物多様性の保全は両立させなければならず、温暖化対策のために生物多様性を壊すのは矛盾する。
日本の山岳地帯は3000m級の山としては世界一の強風にさらされている。これは、ヒマラヤ山脈で分流したジェット気流が日本で合流するためである。また、日本は氷期に氷河で全体が覆われなかったため、植物の絶滅が免れた。地質も複雑である。このような要因が重なり、日本は生物のホットスポットとなっており、国立公園で守っていかなければならない。
2010年に名古屋で開催されたCOP10(生物多様性条約第10回締結国会議)で、「陸域及び内陸水域の17%の保全」が採択されたが、この17%は保安林も含めてようやくクリアされた。
歴史学者の色川大吉氏は著作で「風景が無くなるということは、その歴史がなくなるということ」と記しているが、この言葉をしっかりと受け止めていかなければならない。