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2024年06月05日
知床に携帯基地局はいらない
2022年4月の観光船カズワンの事故を受けて、知床半島に携帯基地局を建設する事業が進められている。知床半島は原生的自然が残されている数少ない場所で、世界自然遺産にもなっている。半島の中ほどから先端部にかけては道もなく、人も住んでいない。このようなところに携帯基地局を建設する意味が分からない。
2024年5月16日付の北海道新聞の記事によると、「国土交通省はカズワン事故後、小型旅客船に義務付ける通信手段を無線や衛星電話とし、携帯電話は除外している」としている。実際にカズワンでは無線が故障していて連絡が取れない状態になっていた。無線や衛星電話が使えるのなら、携帯電話は必要ない。
携帯電話基地局は電源が必要だが、知床半島の先端部では太陽光パネル264枚を並べて電源を確保する計画だという。太陽光パネルによる自然破壊は日本全国で大きな問題になっている。無線や衛星電話で対応できるにも関わらず、大規模な自然破壊をし、税金を投入して携帯基地局を建設する必要性があるとは到底思えない。
しかも、太陽光パネルは火災になっても発電を続けるために、火災が発生した場合は大規模な山火事に発展しかねない。そんな危険なものを道路もない場所に建設し、もし火災が発生したら知床の原生的自然に大きなダメージを与えるばかりか、消火活動もままならないだろう。
国は、何かというと「人命」を持ち出すが、「人命」を持ち出せば自然破壊も許されるという考え自体が傲慢だ。カズワンの事故は、荒天が予想され注意喚起があったにも関わらず出航したこと、無線が故障していたことの他、船のハッチの蓋の不具合が原因で浸水して沈没した可能性が指摘されている。判断の甘さと船の整備不良の問題であり、携帯電話が繋がらないという以前の問題だ。そのようなことを改善すればいいだけの話が、なぜ携帯電話基地局の建設にまでなってしまうのか?
この計画に当たっては、日本自然保護協会、北海道自然保護協会などの自然保護団体が反対を表明しているが、地元の斜里町も先端部の工事は当面見合わせるように国に求める方針だという。
太陽光パネルに関しては、建設予定地近くにオジロワシが営巣している可能性があるとして現在は着工を見合わせているとのことだが、太陽光パネルはもちろんのこと、この事業そのものを中止すべきだと思う。
2024年5月16日付の北海道新聞の記事によると、「国土交通省はカズワン事故後、小型旅客船に義務付ける通信手段を無線や衛星電話とし、携帯電話は除外している」としている。実際にカズワンでは無線が故障していて連絡が取れない状態になっていた。無線や衛星電話が使えるのなら、携帯電話は必要ない。
携帯電話基地局は電源が必要だが、知床半島の先端部では太陽光パネル264枚を並べて電源を確保する計画だという。太陽光パネルによる自然破壊は日本全国で大きな問題になっている。無線や衛星電話で対応できるにも関わらず、大規模な自然破壊をし、税金を投入して携帯基地局を建設する必要性があるとは到底思えない。
しかも、太陽光パネルは火災になっても発電を続けるために、火災が発生した場合は大規模な山火事に発展しかねない。そんな危険なものを道路もない場所に建設し、もし火災が発生したら知床の原生的自然に大きなダメージを与えるばかりか、消火活動もままならないだろう。
国は、何かというと「人命」を持ち出すが、「人命」を持ち出せば自然破壊も許されるという考え自体が傲慢だ。カズワンの事故は、荒天が予想され注意喚起があったにも関わらず出航したこと、無線が故障していたことの他、船のハッチの蓋の不具合が原因で浸水して沈没した可能性が指摘されている。判断の甘さと船の整備不良の問題であり、携帯電話が繋がらないという以前の問題だ。そのようなことを改善すればいいだけの話が、なぜ携帯電話基地局の建設にまでなってしまうのか?
この計画に当たっては、日本自然保護協会、北海道自然保護協会などの自然保護団体が反対を表明しているが、地元の斜里町も先端部の工事は当面見合わせるように国に求める方針だという。
太陽光パネルに関しては、建設予定地近くにオジロワシが営巣している可能性があるとして現在は着工を見合わせているとのことだが、太陽光パネルはもちろんのこと、この事業そのものを中止すべきだと思う。
2024年04月08日
『日高山脈を含む新国立公園の名称に「十勝」を入れるべきではありません!』のオンライン署名を開始
「十勝」は広大な行政区の名称であり、日高山脈を中心とした国立公園の名称として不適切ですし、このような前例はありません。関係自治体首長の意見だけを取り入れた名称は止めるべきです。オンライン署名の締め切りは4月22日です。賛同していただける方は是非署名をお願いします。また、できれば拡散もよろしくお願いします。
日高山脈を含む新国立公園の名称に「十勝」を入れるべきではありません!
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日高山脈一帯の国立公園の名称を巡る不可解
2024年03月30日
日高山脈一帯の国立公園の名称を巡る不可解
日高山脈襟裳国定公園が国立公園に昇格するにあたり、環境省の中央環境審議会自然環境部会で環境省が「日高山脈襟裳十勝国立公園」とする案を提示し、それが了承されたことはこちらの記事で触れた。
この名称の件、どう考えても「十勝」を入れるのは筋違いであり、意味不明だ。地元自治体の首長らが名称に「十勝」を入れるように動いていたのは事実だが、私は環境省がそんな名称を真に受けて審議会に提案するとは思ってもいなかった。まともな思考ができるなら、「十勝」を入れるなどという発想には到底ならない。なんでこんなことになるのか?
環境省によると、名称の決め方に規則はないという。しかし、実際には基準といえるものがあり、複数の地名を入れる場合は国立公園として相応しい自然がある地域の名称を使用している。例えば、利尻礼文サロベツ国立公園は利尻礼文国定公園が国立公園に昇格する際にサロベツ湿原を加えたためにこのような名称になった。富士箱根伊豆国立公園は、富士箱根国立公園に伊豆半島も加えた際に名称に伊豆を入れた。
秩父多摩甲斐国立公園の場合はやや異なるのだが、「公園区域の主要部分を占める都道府県の旧国名を使用。面積僅少の長野側は名称に用いられず。」とされている(国立公園の名称と当該名称による公園地域の代表性)。奥秩父を中心として東京、山梨、埼玉、長野の一都三県にまたがる国立公園だが、多摩(東京)、秩父(埼玉)は公園の名称に入っているものの、最大の面積を有する山梨県の名称が冠されていないことが「甲斐」を加えた理由であり、こうした経緯に特に問題は感じない。
しかし「十勝」は1市16町2村で構成される広域行政区の名称であり、大部分が農地などになっていて国立公園に相応しい自然が残されているわけではない。「日高山脈」や「襟裳」は公園地域を代表した地名だが、「十勝」は公園地域を代表する地名とは到底言えない。それにも関わらず、なぜ環境省は審議会で前例のない広域の地域名である「十勝」を加えた名称を提案したのか?
「財界さっぽろ」という雑誌の2024年4月号にそれにまつわる興味深い記事が掲載された。タイトルは「名称に『十勝』がなんで入っちゃったの!?」というもの。環境省は国立公園の範囲拡大で地権者との調整に難航していたのだが、参議院議員である長谷川岳氏が地権者との交渉を取り持ち、名称に関しても関与したという話があるらしい。
これが事実だとすると、環境省は長谷川氏に恩があるということになる。その見返りとして名称についての要望を聞き入れた・・・ということであるのなら、環境省が「十勝」を入れた名称を提案したことも説明がつく。しかし、それが事実なら政治家との癒着、あるいは忖度と言われても仕方ないし、あってはならないことだ。
長谷川岳氏といえば、最近こんなニュースがある。どうやら彼はパワハラ気質らしい。
〈CAに横柄な態度と吉幾三が暴露〉永田町や地元でも被害者続出…「派手なイベント好きでチャラい印象」「官僚へのイチャモンは日常茶飯事」自民・長谷川岳氏の散々な評判
鈴木直道北海道知事、パワハラ疑惑の長谷川岳氏に電話申し入れ
長谷川氏と環境省との間に何かあったのか知らないが、もしかしたら名称のことで環境省に圧力をかけた可能性もあるのではないかと妄想してしまう。
国立公園の名称に「十勝」を入れるという件は、あまりに意味不明で前例のないものであることは間違いない。北海道自然保護連合はこの問題で環境省に質問書を提出したが、この質問書を読めば今回の名称の決め方がいかに不公正で不可解なものかが分かる。
中央環境審議会自然環境部会に関する環境省の回答に対し質問書を送付
この名称の件、どう考えても「十勝」を入れるのは筋違いであり、意味不明だ。地元自治体の首長らが名称に「十勝」を入れるように動いていたのは事実だが、私は環境省がそんな名称を真に受けて審議会に提案するとは思ってもいなかった。まともな思考ができるなら、「十勝」を入れるなどという発想には到底ならない。なんでこんなことになるのか?
環境省によると、名称の決め方に規則はないという。しかし、実際には基準といえるものがあり、複数の地名を入れる場合は国立公園として相応しい自然がある地域の名称を使用している。例えば、利尻礼文サロベツ国立公園は利尻礼文国定公園が国立公園に昇格する際にサロベツ湿原を加えたためにこのような名称になった。富士箱根伊豆国立公園は、富士箱根国立公園に伊豆半島も加えた際に名称に伊豆を入れた。
秩父多摩甲斐国立公園の場合はやや異なるのだが、「公園区域の主要部分を占める都道府県の旧国名を使用。面積僅少の長野側は名称に用いられず。」とされている(国立公園の名称と当該名称による公園地域の代表性)。奥秩父を中心として東京、山梨、埼玉、長野の一都三県にまたがる国立公園だが、多摩(東京)、秩父(埼玉)は公園の名称に入っているものの、最大の面積を有する山梨県の名称が冠されていないことが「甲斐」を加えた理由であり、こうした経緯に特に問題は感じない。
しかし「十勝」は1市16町2村で構成される広域行政区の名称であり、大部分が農地などになっていて国立公園に相応しい自然が残されているわけではない。「日高山脈」や「襟裳」は公園地域を代表した地名だが、「十勝」は公園地域を代表する地名とは到底言えない。それにも関わらず、なぜ環境省は審議会で前例のない広域の地域名である「十勝」を加えた名称を提案したのか?
「財界さっぽろ」という雑誌の2024年4月号にそれにまつわる興味深い記事が掲載された。タイトルは「名称に『十勝』がなんで入っちゃったの!?」というもの。環境省は国立公園の範囲拡大で地権者との調整に難航していたのだが、参議院議員である長谷川岳氏が地権者との交渉を取り持ち、名称に関しても関与したという話があるらしい。
これが事実だとすると、環境省は長谷川氏に恩があるということになる。その見返りとして名称についての要望を聞き入れた・・・ということであるのなら、環境省が「十勝」を入れた名称を提案したことも説明がつく。しかし、それが事実なら政治家との癒着、あるいは忖度と言われても仕方ないし、あってはならないことだ。
長谷川岳氏といえば、最近こんなニュースがある。どうやら彼はパワハラ気質らしい。
〈CAに横柄な態度と吉幾三が暴露〉永田町や地元でも被害者続出…「派手なイベント好きでチャラい印象」「官僚へのイチャモンは日常茶飯事」自民・長谷川岳氏の散々な評判
鈴木直道北海道知事、パワハラ疑惑の長谷川岳氏に電話申し入れ
長谷川氏と環境省との間に何かあったのか知らないが、もしかしたら名称のことで環境省に圧力をかけた可能性もあるのではないかと妄想してしまう。
国立公園の名称に「十勝」を入れるという件は、あまりに意味不明で前例のないものであることは間違いない。北海道自然保護連合はこの問題で環境省に質問書を提出したが、この質問書を読めば今回の名称の決め方がいかに不公正で不可解なものかが分かる。
中央環境審議会自然環境部会に関する環境省の回答に対し質問書を送付
2024年03月03日
日高山脈一帯の国立公園の名称に「十勝」を入れる愚
日高山脈襟裳国定公園が国立公園に昇格することになった。昇格にあたって面積が倍以上になる。この国立公園の名称について、2月22日に開催された環境省の中央環境審議会自然環境部会は「日高山脈襟裳十勝国立公園」とする環境省の原案を了承した。まだ確定ではないが、5月に予定されている審議会の答申を経て6月には確定する予定になっている。
この国立公園は日高山脈一帯を指定区域とし、南は襟裳まで伸びている。日高山脈は「十勝」と「日高」にまたがる山脈で、稜線の東側が十勝管内、西側が日高管内になる。また襟裳は日高管内に含まれる。
「十勝」は1市16町2村で構成される広域行政区の名称で、広大な地域を指す。この広大な地域のうち、この国立公園に含まれる「十勝」部分は山脈の東側と襟裳から続く広尾町のごく一部の海岸しかない。そして日高山脈の東側は「日高山脈」という固有名詞に内包されている。これら以外に「十勝」に含まれる地域はない。
日高山脈以外に「十勝」はほぼないわけで、この国立公園の名称に「十勝」を加える意味も理由も見いだせない。なぜこんなことになっているのかというと、「十勝」を入れるか入れないかについて複数の団体が要望をしてきたという経緯がある。
名称に「十勝」を入れることを要望してきたのは、十勝圏活性化推進期成会、日高町村会、十勝・日高地方の13市町村の首長だ。
他方で「十勝」を入れないように要望してきたのは十勝自然保護協会、北海道自然保護連合、北海道自然保護協会、北海道勤労者山岳連盟、日高町村議会議長会。
さらに、環境省が実施したパブリックコメントでは名称について14件の意見があり、いずれも「十勝を入れない」という意見だった。
このように意見が分かれる中で、環境省は中央環境審議会自然環境部会において、地元自治体の要望を尊重するとして「日高山脈襟裳十勝国立公園」という原案を提示した。しかも、この審議会にはオブザーバーとして地元自治体の二人が参加し、意見まで述べた。また委員には関係市町村の要望書のみが配布され、自然保護団体などからの要望書は配布されなかった。委員からは「十勝」を入れることに反対する意見も述べられたが、最終的に多数決で環境省の原案が了承される形になった。つまり、賛否両論がある中で「十勝」を入れる原案に誘導するような議事進行がなされたというのが実態だ。しかも、パブリックコメントで出された意見は反映されることもなかった。
環境省は、地元自治体の要望を尊重したいというが、「地元自治体の首長の意見=地元の人たちの意見」ではない。それに、国立公園なのだから、道民はもとより国民の意見を尊重するべきではないか。なぜ地元首長の意見を尊重するのかさっぱり分からない。
「十勝」を入れるように要望していた地元自治体の首長の目的が何かといえば、「十勝」の知名度を高めて観光につなげたい、ということでしかない。しかし、名称に十勝を入れることで観光客が増えるとはとても思えないし、そもそもそんな発想自体が「卑しい」と思えてならない。そんな自分勝手な首長らの意見をそのまま原案に取り入れてしまう環境省も見識が問われる。
国立公園の名称はその地域を端的に表すものであるべきだし、短い名称に越したことはない。観光客にとっても短い方が覚えやすいし分かりやすい。むしろ、実態に合わない「十勝」を加えることで、多くの人が混乱するだろう。
はっきり言っておきたい。意味不明の「十勝」を入れた名称など迷惑だ。みっともないし、恥でしかない。
なお、十勝自然保護協会は今回の審議会の進行が極めて公平性を欠くものであったとして、環境省に質問および要望書を提出し、再審議を求めている。
日高山脈襟裳国定公園の国立公園化に伴う名称について環境省に質問および要望書を送付
この国立公園は日高山脈一帯を指定区域とし、南は襟裳まで伸びている。日高山脈は「十勝」と「日高」にまたがる山脈で、稜線の東側が十勝管内、西側が日高管内になる。また襟裳は日高管内に含まれる。
「十勝」は1市16町2村で構成される広域行政区の名称で、広大な地域を指す。この広大な地域のうち、この国立公園に含まれる「十勝」部分は山脈の東側と襟裳から続く広尾町のごく一部の海岸しかない。そして日高山脈の東側は「日高山脈」という固有名詞に内包されている。これら以外に「十勝」に含まれる地域はない。
日高山脈以外に「十勝」はほぼないわけで、この国立公園の名称に「十勝」を加える意味も理由も見いだせない。なぜこんなことになっているのかというと、「十勝」を入れるか入れないかについて複数の団体が要望をしてきたという経緯がある。
名称に「十勝」を入れることを要望してきたのは、十勝圏活性化推進期成会、日高町村会、十勝・日高地方の13市町村の首長だ。
他方で「十勝」を入れないように要望してきたのは十勝自然保護協会、北海道自然保護連合、北海道自然保護協会、北海道勤労者山岳連盟、日高町村議会議長会。
さらに、環境省が実施したパブリックコメントでは名称について14件の意見があり、いずれも「十勝を入れない」という意見だった。
このように意見が分かれる中で、環境省は中央環境審議会自然環境部会において、地元自治体の要望を尊重するとして「日高山脈襟裳十勝国立公園」という原案を提示した。しかも、この審議会にはオブザーバーとして地元自治体の二人が参加し、意見まで述べた。また委員には関係市町村の要望書のみが配布され、自然保護団体などからの要望書は配布されなかった。委員からは「十勝」を入れることに反対する意見も述べられたが、最終的に多数決で環境省の原案が了承される形になった。つまり、賛否両論がある中で「十勝」を入れる原案に誘導するような議事進行がなされたというのが実態だ。しかも、パブリックコメントで出された意見は反映されることもなかった。
環境省は、地元自治体の要望を尊重したいというが、「地元自治体の首長の意見=地元の人たちの意見」ではない。それに、国立公園なのだから、道民はもとより国民の意見を尊重するべきではないか。なぜ地元首長の意見を尊重するのかさっぱり分からない。
「十勝」を入れるように要望していた地元自治体の首長の目的が何かといえば、「十勝」の知名度を高めて観光につなげたい、ということでしかない。しかし、名称に十勝を入れることで観光客が増えるとはとても思えないし、そもそもそんな発想自体が「卑しい」と思えてならない。そんな自分勝手な首長らの意見をそのまま原案に取り入れてしまう環境省も見識が問われる。
国立公園の名称はその地域を端的に表すものであるべきだし、短い名称に越したことはない。観光客にとっても短い方が覚えやすいし分かりやすい。むしろ、実態に合わない「十勝」を加えることで、多くの人が混乱するだろう。
はっきり言っておきたい。意味不明の「十勝」を入れた名称など迷惑だ。みっともないし、恥でしかない。
なお、十勝自然保護協会は今回の審議会の進行が極めて公平性を欠くものであったとして、環境省に質問および要望書を提出し、再審議を求めている。
日高山脈襟裳国定公園の国立公園化に伴う名称について環境省に質問および要望書を送付
2023年02月10日
十勝川水系河川整備計画[変更](原案)への意見書
北海道開発局帯広開発建設部は「十勝川水系河川整備計画[変更](原案)」について意見募集をしており、今日がその締切日。ということで、意見書を書いて提出した。この十勝川水系河川整備計画に関しては、2009年および2013年にも意見募集をしており私はどちらにも意見を提出している。おそらく意見は名前などの個人情報を伏せた上でホームページに公開されると思うが、私の意見をここに公開しておきたい。
【意見要旨】
十勝川下流部の動植物確認種にイソコモリグモが欠落しています。
老朽化したダムのかさ上げは安全性や費用面でデメリットがある上に洪水調整機能は限定的です。かさ上げより事前放流を重視すべきです。
ダムや堤防に頼る治水から、想定外の洪水を容認したうえで被害を最小限にする対策へと転換を図るべきです。
札内川の砂礫川原の減少は札内川ダムが原因であることを明記し、復元は困難であることを認めるべきです。
【意見】
1-2-2(3)54ページ イソコモリグモの欠落について
私は2009年の十勝川水系河川整備計画(原案)に対する意見書で、十勝川下流部の動植物確認種に国が絶滅危惧種(絶滅危惧Ⅱ類)に指定しているイソコモリグモが欠落していることを指摘しましたが、今回の「十勝川下流部における動植物確認種」においてもイソコモリグモが入っていません。なお十勝川河口部におけるイソコモリグモの分布については以下で報告しています。追加するよう求めます。
松田まゆみ・川辺百樹 2014.北海道におけるイソコモリグモの分布.Kishidaia, 103:18-34.
2-1-1(1)81ページ ダムのかさ上げについて
洪水時の流量を調整するための対策として「ダムの嵩上げ」を提案しています。糠平ダムのかさ上げの方針については新聞でも報じられていますが、老朽化したダムのかさ上げは安全性の懸念があり巨額の費用がかかりますが、洪水調整機能は限定的です。上流域に降った雨をダムで貯めたとしても、中流域や下流域が増水していれば安易に放流できません。ダムが満水になっても放流ができなければ決壊の危険性が高まります。2011年9月7日に音更町で音更川の堤防が大きくえぐられ決壊寸前になりました。この時の音更川の水位は「危険水位」まで約1メートルの余裕がありました。それにも関わらず堤防が洗堀されたのは、糠平ダムからの放流が鉄砲水となって堤防をえぐったことが原因と考えられます。このように、河川の水位が低くてもダムの放流によって堤防が決壊する危険性があります。また、ダムのかさ上げによって雨水を溜め込む量が増えるほど、放流が必要になったときの放流のタイミングや放流量の調整は難しくなり放流によって洪水被害が生じることが懸念されます。
多額の費用をかけてかさ上げをしても想定外の降雨による放流時のリスクが大きいのであれば適切な対策とは言えません。ダムで洪水調整をする場合は、かさ上げをしてもしなくても水位を低くしておく必要があり、かさ上げより事前放流による対応を重視すべきです。
また、ダムは魚類の遡上の阻害、堆砂による貯水量の低下、土砂の流下を妨げることによる海岸線の後退、河床の低下、砂礫川原の消失、決壊の危険性などさまざまな弊害やリスクがあります。堤体のコンクリートの劣化や堆砂による貯水量の低下を考えるなら、ダムの寿命や撤去を視野にいれなければなりません。決壊する確率は低いとしても万一決壊した場合の被害は極めて甚大なものになります。例えば、糠平ダムの上流には活火山の丸山がありますが、もし火山噴火によってダム湖に融雪型火山泥流が流れこんだ場合はダムが決壊する可能性が否定できません。ダムによる治水を唱えるのであれば、ダムの弊害やリスクも明記すべきです。欧米ではダムの撤去が進んでいます。ダムを撤去することで本来の自然の河川を取り戻す試みがなされている中で、ダムのかさ上げによって老朽化したダムの延命を図ることはダムの弊害やリスクを放置することになり、自然復元にも相反する行為です。
2-1-1(4)100ページ ダムや堤防以外の対策について
本整備計画ではダムのかさ上げによる流量調節や堤防の強化、河道の掘削など、ハード面での対策がメインとなっていますが、このようなダム湖や川(堤防と堤防の間)に水を閉じ込める治水には限界があり、閉じ込める水量が多くなるほど、ダムの放流や決壊時、あるいは堤防の決壊時の被害は大きくなります。近年は気候変動による台風の大型化や集中豪雨で想定以上の雨が降る可能性があり、ダムや堤防に頼る対策から、一定以上の雨に対しては「水を溢れされる治水」に変えていく必要があります。これについては、100~101ページにかけて若干触れられていますが、不十分と言わざるを得ません。具体的には、森林を増やすことで「緑のダム」機能を活かす、住宅地の少ない地域に遊水地を設けて溢れた水を誘導する、支流との合流点のような氾濫しやすい場所は危険地域に指定し住居の移転を促進する、高床式住宅を普及させる、洪水の危険がある地域にすむ人々の速やかな避難体制を確立する、などが考えられます。これらの対策は河川管理者だけで対応できることではありませんが、関係機関と協議・連携して積極的に進めていく必要があります。
日本はこれから急激な人口減少社会になります。多額の税金を投入するハード面での対策より、想定外の洪水を容認したうえで被害を最小限にするような対策へと舵を切る発想の転換が必要と考えます。
2-1-3(3)109ページ 札内川の砂礫川原復元について
ここでは河川景観の保全と創出について取り上げています。十勝川水系の河川の自然景観は本来の河川環境を保全することでしか維持できません。例えば札内川では河川敷にヤナギなどの河畔林が繁茂し、ケショウヤナギが生育するような砂礫川原が減少してしまいました。これは上流に札内川ダムを建設したことで砂礫の流下が阻害されたことと、札内川ダムの貯水機能によって流量が抑制され洪水が生じにくくなったことに起因します。ところが本計画案では砂礫川原減少の原因となった札内川ダムのことに一切触れていません。そして中規模フラッシュ放流が砂礫川原の創出に効果を上げているとしています。ダム建設前と現在の写真を比べても中規模フラッシュ放流の効果は限定的のようですし、ダムによって砂礫の流下が妨げられている以上、中規模フラッシュ放流だけで砂礫川原を維持していくことはできないでしょう。また、礫層が流されてしまうと河床低下が進み、増水のたびに流路に面した高水敷の縁が浸食されて崩壊し、高水敷に堆積している砂礫も流されますし、高水敷に生育しているヤナギも根本から浸食を受けて流木となります。仮にダンプなどで定期的に砂礫を運んできたところで次第に下流に流されますので、永遠に運び続けなければなりません。持続可能な自然復元とは言い難い事業です。
砂礫川原減少の原因に触れることなく人為的操作によって砂礫川原を「創出する」などというのは「人が自然を創出できる」という驕りによる発想です。「創出」ではなく「復元」と記すべきですが、それ以前にダムが原因であることを明記した上で、復元は困難であることを認めるべきでしょう。
私はこのことについて2013年の「十勝川水系河川整備計画[変更](原案)に対する意見書」で指摘し公聴会で意見を述べました。十勝自然保護協会も同様の意見を提出し公聴会でも陳述しました。しかし今回の計画案には全く反映されていません。ダムによって砂礫川原が減少したこと、その復元はダムの撤去を除いては極めて困難なことを明記するよう再度求めます。
意見の要旨について
十勝川水系河川整備計画[変更](原案)への意見ではありませんが、意見募集に関して意見を述べさせていただきます。ホームページの「意見募集要領」の「注意事項」によると、意見書が200字以上の場合は200字以内の要旨を付ける旨が書かれています。しかし、意見書の様式には「※上記の記入欄が不足する場合は、本意見書と併せて別紙で提出して下さい。」と書かれており、要旨のことは書かれていません。これでは200字以上であっても「要旨」を付ける人と付けない人が出てくるでしょう。このような一貫性のない対応は不適切です。また、多数の意見がある場合は200字以内に収めるのは困難または不可能ですし、要旨では理由や根拠が伝わりません。意見を公表することがあるとのことですが、長い意見の場合は要旨を公表するということであれば具体的意見が伝わらず不本意です。要旨ではなく意見全文を掲載するよう求めます。
********************
【意見要旨】
十勝川下流部の動植物確認種にイソコモリグモが欠落しています。
老朽化したダムのかさ上げは安全性や費用面でデメリットがある上に洪水調整機能は限定的です。かさ上げより事前放流を重視すべきです。
ダムや堤防に頼る治水から、想定外の洪水を容認したうえで被害を最小限にする対策へと転換を図るべきです。
札内川の砂礫川原の減少は札内川ダムが原因であることを明記し、復元は困難であることを認めるべきです。
【意見】
1-2-2(3)54ページ イソコモリグモの欠落について
私は2009年の十勝川水系河川整備計画(原案)に対する意見書で、十勝川下流部の動植物確認種に国が絶滅危惧種(絶滅危惧Ⅱ類)に指定しているイソコモリグモが欠落していることを指摘しましたが、今回の「十勝川下流部における動植物確認種」においてもイソコモリグモが入っていません。なお十勝川河口部におけるイソコモリグモの分布については以下で報告しています。追加するよう求めます。
松田まゆみ・川辺百樹 2014.北海道におけるイソコモリグモの分布.Kishidaia, 103:18-34.
2-1-1(1)81ページ ダムのかさ上げについて
洪水時の流量を調整するための対策として「ダムの嵩上げ」を提案しています。糠平ダムのかさ上げの方針については新聞でも報じられていますが、老朽化したダムのかさ上げは安全性の懸念があり巨額の費用がかかりますが、洪水調整機能は限定的です。上流域に降った雨をダムで貯めたとしても、中流域や下流域が増水していれば安易に放流できません。ダムが満水になっても放流ができなければ決壊の危険性が高まります。2011年9月7日に音更町で音更川の堤防が大きくえぐられ決壊寸前になりました。この時の音更川の水位は「危険水位」まで約1メートルの余裕がありました。それにも関わらず堤防が洗堀されたのは、糠平ダムからの放流が鉄砲水となって堤防をえぐったことが原因と考えられます。このように、河川の水位が低くてもダムの放流によって堤防が決壊する危険性があります。また、ダムのかさ上げによって雨水を溜め込む量が増えるほど、放流が必要になったときの放流のタイミングや放流量の調整は難しくなり放流によって洪水被害が生じることが懸念されます。
多額の費用をかけてかさ上げをしても想定外の降雨による放流時のリスクが大きいのであれば適切な対策とは言えません。ダムで洪水調整をする場合は、かさ上げをしてもしなくても水位を低くしておく必要があり、かさ上げより事前放流による対応を重視すべきです。
また、ダムは魚類の遡上の阻害、堆砂による貯水量の低下、土砂の流下を妨げることによる海岸線の後退、河床の低下、砂礫川原の消失、決壊の危険性などさまざまな弊害やリスクがあります。堤体のコンクリートの劣化や堆砂による貯水量の低下を考えるなら、ダムの寿命や撤去を視野にいれなければなりません。決壊する確率は低いとしても万一決壊した場合の被害は極めて甚大なものになります。例えば、糠平ダムの上流には活火山の丸山がありますが、もし火山噴火によってダム湖に融雪型火山泥流が流れこんだ場合はダムが決壊する可能性が否定できません。ダムによる治水を唱えるのであれば、ダムの弊害やリスクも明記すべきです。欧米ではダムの撤去が進んでいます。ダムを撤去することで本来の自然の河川を取り戻す試みがなされている中で、ダムのかさ上げによって老朽化したダムの延命を図ることはダムの弊害やリスクを放置することになり、自然復元にも相反する行為です。
2-1-1(4)100ページ ダムや堤防以外の対策について
本整備計画ではダムのかさ上げによる流量調節や堤防の強化、河道の掘削など、ハード面での対策がメインとなっていますが、このようなダム湖や川(堤防と堤防の間)に水を閉じ込める治水には限界があり、閉じ込める水量が多くなるほど、ダムの放流や決壊時、あるいは堤防の決壊時の被害は大きくなります。近年は気候変動による台風の大型化や集中豪雨で想定以上の雨が降る可能性があり、ダムや堤防に頼る対策から、一定以上の雨に対しては「水を溢れされる治水」に変えていく必要があります。これについては、100~101ページにかけて若干触れられていますが、不十分と言わざるを得ません。具体的には、森林を増やすことで「緑のダム」機能を活かす、住宅地の少ない地域に遊水地を設けて溢れた水を誘導する、支流との合流点のような氾濫しやすい場所は危険地域に指定し住居の移転を促進する、高床式住宅を普及させる、洪水の危険がある地域にすむ人々の速やかな避難体制を確立する、などが考えられます。これらの対策は河川管理者だけで対応できることではありませんが、関係機関と協議・連携して積極的に進めていく必要があります。
日本はこれから急激な人口減少社会になります。多額の税金を投入するハード面での対策より、想定外の洪水を容認したうえで被害を最小限にするような対策へと舵を切る発想の転換が必要と考えます。
2-1-3(3)109ページ 札内川の砂礫川原復元について
ここでは河川景観の保全と創出について取り上げています。十勝川水系の河川の自然景観は本来の河川環境を保全することでしか維持できません。例えば札内川では河川敷にヤナギなどの河畔林が繁茂し、ケショウヤナギが生育するような砂礫川原が減少してしまいました。これは上流に札内川ダムを建設したことで砂礫の流下が阻害されたことと、札内川ダムの貯水機能によって流量が抑制され洪水が生じにくくなったことに起因します。ところが本計画案では砂礫川原減少の原因となった札内川ダムのことに一切触れていません。そして中規模フラッシュ放流が砂礫川原の創出に効果を上げているとしています。ダム建設前と現在の写真を比べても中規模フラッシュ放流の効果は限定的のようですし、ダムによって砂礫の流下が妨げられている以上、中規模フラッシュ放流だけで砂礫川原を維持していくことはできないでしょう。また、礫層が流されてしまうと河床低下が進み、増水のたびに流路に面した高水敷の縁が浸食されて崩壊し、高水敷に堆積している砂礫も流されますし、高水敷に生育しているヤナギも根本から浸食を受けて流木となります。仮にダンプなどで定期的に砂礫を運んできたところで次第に下流に流されますので、永遠に運び続けなければなりません。持続可能な自然復元とは言い難い事業です。
砂礫川原減少の原因に触れることなく人為的操作によって砂礫川原を「創出する」などというのは「人が自然を創出できる」という驕りによる発想です。「創出」ではなく「復元」と記すべきですが、それ以前にダムが原因であることを明記した上で、復元は困難であることを認めるべきでしょう。
私はこのことについて2013年の「十勝川水系河川整備計画[変更](原案)に対する意見書」で指摘し公聴会で意見を述べました。十勝自然保護協会も同様の意見を提出し公聴会でも陳述しました。しかし今回の計画案には全く反映されていません。ダムによって砂礫川原が減少したこと、その復元はダムの撤去を除いては極めて困難なことを明記するよう再度求めます。
意見の要旨について
十勝川水系河川整備計画[変更](原案)への意見ではありませんが、意見募集に関して意見を述べさせていただきます。ホームページの「意見募集要領」の「注意事項」によると、意見書が200字以上の場合は200字以内の要旨を付ける旨が書かれています。しかし、意見書の様式には「※上記の記入欄が不足する場合は、本意見書と併せて別紙で提出して下さい。」と書かれており、要旨のことは書かれていません。これでは200字以上であっても「要旨」を付ける人と付けない人が出てくるでしょう。このような一貫性のない対応は不適切です。また、多数の意見がある場合は200字以内に収めるのは困難または不可能ですし、要旨では理由や根拠が伝わりません。意見を公表することがあるとのことですが、長い意見の場合は要旨を公表するということであれば具体的意見が伝わらず不本意です。要旨ではなく意見全文を掲載するよう求めます。
タグ :十勝川水系河川整備計画
2022年08月19日
ダムで壊される戸蔦別川
日高山脈を源として十勝川に合流する札内川。その札内川の支流の一つに戸蔦別川がある。戸蔦別川には砂防工事の名目でいくつもの砂防ダムや床固工が作られているが、今も巨大な砂防ダムが建設されている。
その砂防ダムなどの構造物について問題提起しているホームページがある。
戸蔦別川
戸蔦別川がどんな状況になっているのか、一部引用しよう。
川を横断する巨大な砂防ダム。異様な光景としか言いようがない。それが上流から下流までいくつも造られている。一連の工事を進めている北海道開発局は、とにかく堰を造ることによって川からの土石の流出を止めたいらしい。そもそも川というのはしばしば氾濫するものだ。そのたびに川は山から土石を下流に運ぶ。太古からそれを繰り返している。洪水による人的被害を減らすことは必要だが、人は完全に水の流れをコントロールすることなどできないし、できると思っているのなら思い上がりだろう。災害防止は川をコントロールするという方法だけに頼るべきではないだろう。
川は絶えず土石を下流に運んでいる。それを人工構造物でせき止めて土砂の流れを遮断すれば、必ず下流に影響を及ぼすことになる。下流に土砂が供給されなくなり、川底にあった土砂が流されて岩盤が露出したり河床が削られて低下してしまう。堤防の下部が洗われたり橋げたの基礎がむき出しになってしまうこともある。
海への土砂の供給が減れば、海岸浸食が起きる。それを防ぐためにコンクリート製の消波ブロックを大量に並べたり、護岸工事を行って自然の海岸線が消えていくことになる。もちろん魚の遡上にも影響がある。そうした悪影響を考えるなら、やはりダムで土砂を止めてしまってはいけないのだ。
もちろん開発局は土砂の流下を止めたら下流部でどんなことが生じるのか分かっている。それにも関わらず、川をコントロールしようとダムを造り続け、川の自然を壊し続けている。このホームページでも指摘されているが、その裏には政官民の癒着による利権構造があるのだろう。
その砂防ダムなどの構造物について問題提起しているホームページがある。
戸蔦別川
戸蔦別川がどんな状況になっているのか、一部引用しよう。
開発局直轄事業による1970年代の砂防堰堤建設計画立案以来、わずか40kmの戸蔦別川には既に7基の砂防ダム・堰堤、15基の床固工そして2基の流木止め工が造られ、今後更に2基の堰堤、7基の床固工そして5号堰堤の嵩上げが計画され、さらに幅178mの流木止め工が5号堰堤下流位置に予定されています。
今後の3号、9号の堰堤は現在建設中の4号堰堤と同レベルとされています。
川を横断する巨大な砂防ダム。異様な光景としか言いようがない。それが上流から下流までいくつも造られている。一連の工事を進めている北海道開発局は、とにかく堰を造ることによって川からの土石の流出を止めたいらしい。そもそも川というのはしばしば氾濫するものだ。そのたびに川は山から土石を下流に運ぶ。太古からそれを繰り返している。洪水による人的被害を減らすことは必要だが、人は完全に水の流れをコントロールすることなどできないし、できると思っているのなら思い上がりだろう。災害防止は川をコントロールするという方法だけに頼るべきではないだろう。
川は絶えず土石を下流に運んでいる。それを人工構造物でせき止めて土砂の流れを遮断すれば、必ず下流に影響を及ぼすことになる。下流に土砂が供給されなくなり、川底にあった土砂が流されて岩盤が露出したり河床が削られて低下してしまう。堤防の下部が洗われたり橋げたの基礎がむき出しになってしまうこともある。
海への土砂の供給が減れば、海岸浸食が起きる。それを防ぐためにコンクリート製の消波ブロックを大量に並べたり、護岸工事を行って自然の海岸線が消えていくことになる。もちろん魚の遡上にも影響がある。そうした悪影響を考えるなら、やはりダムで土砂を止めてしまってはいけないのだ。
もちろん開発局は土砂の流下を止めたら下流部でどんなことが生じるのか分かっている。それにも関わらず、川をコントロールしようとダムを造り続け、川の自然を壊し続けている。このホームページでも指摘されているが、その裏には政官民の癒着による利権構造があるのだろう。
2020年12月25日
雌阿寒岳の麓に新たな道路は必要か?
雌阿寒岳と阿寒富士の西側山麓にはカエゾマツを主体とする針葉樹林が広がり、堰止湖であるオンネトーは景勝地として知られている。
オンネトーには国道241号から道道949号(オンネトー線)が通じており、大半の観光客はこの道路を往復してオンネトー観光を楽しむ。オンネトー湖岸の道路は舗装されているものの国立公園の第1種特別地域に含まれることから道幅が狭くなっている。湖の南端からは道道664号(道道モアショロ原野螺湾足寄停車場線)が螺湾川沿いに足寄方面に通じているのだが、4.4キロほどの区間は一車線の未舗装道路となっている。下の写真は未舗装の現道。
北海道は、雌阿寒岳の噴火に備えて車両の迅速な通行を確保するという目的で、この未舗装区間に平行するように幅員5.5メートルの完全2車線舗装道路を開削する計画を進めている。事業費約15億円をかけて広大な面積の森林を伐採し道路を建設しようとしているのだが、多くの道民には知られていない。
計画されている道路は、カーブを避け起伏も少なくするためにほぼ全線にわたって切土・盛土がなされ、幅30~40メートルもの法面が形成されることになる。この工事によって雌阿寒岳の麓に広がるアカエゾマツを主体とした天然林約9万平方メートルが破壊される。これは東京ドーム約2個分に相当する。森林が壊されるだけではなく、希少な動植物の生息地も壊されることになる。切り開かれた広大な法面には外来種も侵入してくるだろう。下の写真は開削予定地。
「防災のために避難道路が必要」と言われたら、多くの人が疑問を持たないかもしれない。しかし、雌阿寒岳が噴火した場合、本当にこの道路が防災・減災に役立つのだろうか?
雌阿寒岳火山防災計画(令和2年6月)によると、避難には「事前避難」と「緊急避難」がある。「事前避難」は噴火警戒レベルが3に上がったときに雌阿寒岳温泉・オンネトー周辺の観光客に、噴火警戒レベルが2に上がり火口周辺の危険性が上がったときに登山者に適用される。つまり事前避難であればあわてずに順次避難すればいいのであり、立派な避難道路が必要とは思えない。とすると、避難道路が必要となるのは突発的噴火が発生して「緊急避難」が必要になったときだ。
雌阿寒岳が突発的に噴火したときのことを考えてみよう。火砕流や山体崩壊がオンネトー方面に向かって発生したら避難する時間はない。雌阿寒岳の西側で融雪型泥流が発生したら螺湾川沿いに流れ下るので、モアショロ原野螺湾足寄停車場線は避難道路としては使えない。噴石が飛んできた場合も逃げる時間的猶予はないので、建物や岩陰などに身を隠したりリュックサックなどで頭を守る行動をとるのが原則だ。道路に噴石が落ちれば車両が通行できなくなることもある。つまり、このような噴火現象が起きた場合は避難道路を利用して逃げるということにはならない。溶岩流の場合は歩く程度の速さなので、迅速に避難するための道路は必要ない。
では、火山灰はどうだろうか。火山灰が降ってきた場合は視界不良になり、道路に火山灰が積もれば滑りやすくなる。また前方の車両が火山灰を巻き上げると視界不良になる。つまり火山灰が降下したら安全に走れないので、2車線の舗装道路があったところでゆっくり走行するしかない。噴火はしたけれど火山灰も降らず避難路に大きな影響がないような場合は1分1秒を争って避難する必要はないので、現道で十分避難は可能だ。
しかし、事業者は緊急車両などとのすれ違いがありうるので二車線道路が必要だという。これは言い訳にしか聞こえない。救急車やパトカーなどの緊急車両とて現場の安全が確認されない限り現場に入ることにはならない。噴石や火山灰が降り注ぐようなときに現場に向かったら二次被害になりかねない。
現道は砂利道で狭く対向車が来たらすれ違いが困難だというのなら、舗装にして待避場を多く設けたり、拡幅可能な場所は拡幅するなど改良すれば、何ら問題はないだろう。私も現地に行ってみたが、このような改修を行えば、ほとんど自然に手を付けずに今よりスムーズに走行できるようになる。
雌阿寒岳は気象庁が地震計や監視カメラなどの観測機器を設置し常時監視している火山だ。道路のゲートや登山口、駐車場などに電光掲示板などで異変や噴火の兆候を速やかに知らせ、避難を促したり立ち入りを規制することで、噴火による被害を減らすことができる。また、噴石に対してはシェルターが有効だ。
こうした火山噴火の状況を踏まえたなら、立派な道路を造れば噴火の際の被害を軽減できるという考えにはならないだろう。
私は個人的には活火山に登ったり近づくこと自体が自己責任だと思っている。頻繁に噴火している火山を除き、火山噴火に遭遇する確率は非常に小さいが、いつ噴火するか分からないという側面もある。火山に近づくという行為には常にリスクがあることを自覚すべきだろう。
火山のつくりだす自然の光景は厳しくも美しく、ゆえに多くの人々を魅了する。しかし、爆裂火口や巨大なカルデラ、分厚く堆積した火山灰などを目の当たりにしたら、そのエネルギーの大きさに圧倒される。自然の前では人々は謙虚になるしかない。この神秘的な光景を見るためにはリスクがつきものであることを忘れてはならない。
ほんの数分早く通過できる立派な道路を造れば防災・減災ができるという考えは、噴火の脅威を無視した人間の驕りとしか思えない。
オンネトーには国道241号から道道949号(オンネトー線)が通じており、大半の観光客はこの道路を往復してオンネトー観光を楽しむ。オンネトー湖岸の道路は舗装されているものの国立公園の第1種特別地域に含まれることから道幅が狭くなっている。湖の南端からは道道664号(道道モアショロ原野螺湾足寄停車場線)が螺湾川沿いに足寄方面に通じているのだが、4.4キロほどの区間は一車線の未舗装道路となっている。下の写真は未舗装の現道。
北海道は、雌阿寒岳の噴火に備えて車両の迅速な通行を確保するという目的で、この未舗装区間に平行するように幅員5.5メートルの完全2車線舗装道路を開削する計画を進めている。事業費約15億円をかけて広大な面積の森林を伐採し道路を建設しようとしているのだが、多くの道民には知られていない。
計画されている道路は、カーブを避け起伏も少なくするためにほぼ全線にわたって切土・盛土がなされ、幅30~40メートルもの法面が形成されることになる。この工事によって雌阿寒岳の麓に広がるアカエゾマツを主体とした天然林約9万平方メートルが破壊される。これは東京ドーム約2個分に相当する。森林が壊されるだけではなく、希少な動植物の生息地も壊されることになる。切り開かれた広大な法面には外来種も侵入してくるだろう。下の写真は開削予定地。
「防災のために避難道路が必要」と言われたら、多くの人が疑問を持たないかもしれない。しかし、雌阿寒岳が噴火した場合、本当にこの道路が防災・減災に役立つのだろうか?
雌阿寒岳火山防災計画(令和2年6月)によると、避難には「事前避難」と「緊急避難」がある。「事前避難」は噴火警戒レベルが3に上がったときに雌阿寒岳温泉・オンネトー周辺の観光客に、噴火警戒レベルが2に上がり火口周辺の危険性が上がったときに登山者に適用される。つまり事前避難であればあわてずに順次避難すればいいのであり、立派な避難道路が必要とは思えない。とすると、避難道路が必要となるのは突発的噴火が発生して「緊急避難」が必要になったときだ。
雌阿寒岳が突発的に噴火したときのことを考えてみよう。火砕流や山体崩壊がオンネトー方面に向かって発生したら避難する時間はない。雌阿寒岳の西側で融雪型泥流が発生したら螺湾川沿いに流れ下るので、モアショロ原野螺湾足寄停車場線は避難道路としては使えない。噴石が飛んできた場合も逃げる時間的猶予はないので、建物や岩陰などに身を隠したりリュックサックなどで頭を守る行動をとるのが原則だ。道路に噴石が落ちれば車両が通行できなくなることもある。つまり、このような噴火現象が起きた場合は避難道路を利用して逃げるということにはならない。溶岩流の場合は歩く程度の速さなので、迅速に避難するための道路は必要ない。
では、火山灰はどうだろうか。火山灰が降ってきた場合は視界不良になり、道路に火山灰が積もれば滑りやすくなる。また前方の車両が火山灰を巻き上げると視界不良になる。つまり火山灰が降下したら安全に走れないので、2車線の舗装道路があったところでゆっくり走行するしかない。噴火はしたけれど火山灰も降らず避難路に大きな影響がないような場合は1分1秒を争って避難する必要はないので、現道で十分避難は可能だ。
しかし、事業者は緊急車両などとのすれ違いがありうるので二車線道路が必要だという。これは言い訳にしか聞こえない。救急車やパトカーなどの緊急車両とて現場の安全が確認されない限り現場に入ることにはならない。噴石や火山灰が降り注ぐようなときに現場に向かったら二次被害になりかねない。
現道は砂利道で狭く対向車が来たらすれ違いが困難だというのなら、舗装にして待避場を多く設けたり、拡幅可能な場所は拡幅するなど改良すれば、何ら問題はないだろう。私も現地に行ってみたが、このような改修を行えば、ほとんど自然に手を付けずに今よりスムーズに走行できるようになる。
雌阿寒岳は気象庁が地震計や監視カメラなどの観測機器を設置し常時監視している火山だ。道路のゲートや登山口、駐車場などに電光掲示板などで異変や噴火の兆候を速やかに知らせ、避難を促したり立ち入りを規制することで、噴火による被害を減らすことができる。また、噴石に対してはシェルターが有効だ。
こうした火山噴火の状況を踏まえたなら、立派な道路を造れば噴火の際の被害を軽減できるという考えにはならないだろう。
私は個人的には活火山に登ったり近づくこと自体が自己責任だと思っている。頻繁に噴火している火山を除き、火山噴火に遭遇する確率は非常に小さいが、いつ噴火するか分からないという側面もある。火山に近づくという行為には常にリスクがあることを自覚すべきだろう。
火山のつくりだす自然の光景は厳しくも美しく、ゆえに多くの人々を魅了する。しかし、爆裂火口や巨大なカルデラ、分厚く堆積した火山灰などを目の当たりにしたら、そのエネルギーの大きさに圧倒される。自然の前では人々は謙虚になるしかない。この神秘的な光景を見るためにはリスクがつきものであることを忘れてはならない。
ほんの数分早く通過できる立派な道路を造れば防災・減災ができるという考えは、噴火の脅威を無視した人間の驕りとしか思えない。
2019年09月05日
山小屋弁護士
テレビを見なくなって久しいが、7月にテレビ朝日で放映された市川守弘弁護士のドキュメンタリー「山小屋弁護士」がネットでも視聴できる。昨年末に札幌から占冠村トマムに事務所を移転し、事務所近くの山小屋で暮らしている。
https://abema.tv/video/episode/89-78_s10_p36
こちらは「山小屋弁護士」の内容を文字でまとめたもの。時間がない方はこちらだけでも是非。
https://abematimes.com/posts/7015530
北海道在住の市川守弘弁護士は、多くの自然保護訴訟のほかアイヌ問題や警察問題まで取り組んでいる弁護士だ。自然保護といっても北海道だけではなく沖縄も含め全国各地で訴訟を起こして闘っている。ドキュメンタリーではやんばるの森林伐採が取り上げられているが、その酷い自然破壊の様子がありありと実感できる。しかも市川弁護士が手掛けている自然保護訴訟のほとんどが弁護士費用なしの手弁当なのだから、その生き方は半端ではない。
自然保護に関わる訴訟の多くが行政相手だ。自然破壊の道路建設に反対したり、森林伐採の違法性を追求したり。日本では自然保護に関わる訴訟での勝訴はとても難しいが、たとえ勝訴したところで一円のお金にもならない。自然を守ることが目的だからお金とは無縁の裁判だし、持ち出しの一方だ。しかも、自然保護の訴訟には現場での調査が欠かせない。市民らと協力して現地に足を運び、調査によってその地域の自然の希少性を訴えたり、違法性の立証をしたり。熱意がなければとてもできない仕事だ。
自然保護の訴訟では裁判長を現地に引っ張り出すことも。士幌町と然別湖をむすぶ士幌高原道路を阻止するための「ナキウサギ裁判」では、小雪が舞い強風が吹きすさぶ中、建設予定地の白雲山に裁判長や原告、支援者らが一緒に登って現地で説明をした。「えりもの森裁判」でも皆伐現場を裁判長に見てもらった。
自然保護のための活動は訴訟だけではない。はるばる札幌から現場に調査に通い、自然保護のための活動に取り組んできた。私も大規模林道問題や森林伐採問題などでは市川弁護士ご夫妻と何度も現地調査に参加し、訴訟でも大変お世話になっている。このドキュメンタリーで紹介されているのはそのほんの一部にすぎないが、市川弁護士の生き方や姿勢がよく伝わってくる。
お金のためにスラップ訴訟を引き受ける弁護士がいる一方で、権力に媚びず市民に寄り添う弁護士もいることを多くの人に知ってもらいたいと思う。
https://abema.tv/video/episode/89-78_s10_p36
こちらは「山小屋弁護士」の内容を文字でまとめたもの。時間がない方はこちらだけでも是非。
https://abematimes.com/posts/7015530
北海道在住の市川守弘弁護士は、多くの自然保護訴訟のほかアイヌ問題や警察問題まで取り組んでいる弁護士だ。自然保護といっても北海道だけではなく沖縄も含め全国各地で訴訟を起こして闘っている。ドキュメンタリーではやんばるの森林伐採が取り上げられているが、その酷い自然破壊の様子がありありと実感できる。しかも市川弁護士が手掛けている自然保護訴訟のほとんどが弁護士費用なしの手弁当なのだから、その生き方は半端ではない。
自然保護に関わる訴訟の多くが行政相手だ。自然破壊の道路建設に反対したり、森林伐採の違法性を追求したり。日本では自然保護に関わる訴訟での勝訴はとても難しいが、たとえ勝訴したところで一円のお金にもならない。自然を守ることが目的だからお金とは無縁の裁判だし、持ち出しの一方だ。しかも、自然保護の訴訟には現場での調査が欠かせない。市民らと協力して現地に足を運び、調査によってその地域の自然の希少性を訴えたり、違法性の立証をしたり。熱意がなければとてもできない仕事だ。
自然保護の訴訟では裁判長を現地に引っ張り出すことも。士幌町と然別湖をむすぶ士幌高原道路を阻止するための「ナキウサギ裁判」では、小雪が舞い強風が吹きすさぶ中、建設予定地の白雲山に裁判長や原告、支援者らが一緒に登って現地で説明をした。「えりもの森裁判」でも皆伐現場を裁判長に見てもらった。
自然保護のための活動は訴訟だけではない。はるばる札幌から現場に調査に通い、自然保護のための活動に取り組んできた。私も大規模林道問題や森林伐採問題などでは市川弁護士ご夫妻と何度も現地調査に参加し、訴訟でも大変お世話になっている。このドキュメンタリーで紹介されているのはそのほんの一部にすぎないが、市川弁護士の生き方や姿勢がよく伝わってくる。
お金のためにスラップ訴訟を引き受ける弁護士がいる一方で、権力に媚びず市民に寄り添う弁護士もいることを多くの人に知ってもらいたいと思う。
タグ :市川守弘
2018年09月24日
失われた東京湾の干潟
前回の記事「下村兼史展と著書『北の鳥 南の鳥』」を書いたあとに、私は本棚から塚本洋三著「東京湾にガンがいた頃」(文一総合出版)を引っ張り出した。塚本洋三さんは今回の下村兼史写真展実行委員会の事務局長であり、野鳥や自然のモノクロ写真のライブラリーである(有)バード・フォト・アーカイブスを運営されている。今の時代にモノクロ写真を収集するという感性はなんとも塚本さんらしい。
10年ほど前だったろうか、帯広の書店で自然関係の棚を見ていたら、「東京湾にガンがいた頃」というタイトルの本が目に飛び込んできた。塚本洋三さんの本ではないか。本のカバー写真は東京湾を飛ぶガンの群れのモノクロ写真。パラパラとページをめくれば在りし日の新浜の写真とともにそこで野鳥の観察に明け暮れた「新浜グループ」の様子が綴られている。私は迷わずに本を持ってレジに向かった。
かつて東京湾にガンが群れていたなどといってもピンとこない人が多いと思う。今の東京湾といえば四角い埋立地が並び、湾岸道路が周囲を巡り、中央に横断道路すらある。かつての面影などほとんどどこにもない。しかし、60~70前には信じられないほどの豊かな自然が息づいており、遠浅の広大な干潟にはおびただしい野鳥が渡来した。といっても私はそんな東京湾を知らない。
私が初めて新浜探鳥会に参加したときは1960年代の後半で埋め立て工事のさ中であり、広大な干潟に群れる野鳥の姿を見た記憶はない。新浜は1964年頃から埋め立てが始まっていたのだ。その時のことはこちらのエッセイで触れている。探鳥会のリーダーは高野伸二さん。その後、高野さんとは野鳥だけでなくクモの愛好者として交流させていただいた。
塚本さんがはじめて新浜を訪れたのは1953年だという。私はまだ生まれていない。高野さんをリーダーとする新浜グループの中で最年少だったのが塚本さん。大学卒業後アメリカに渡った塚本さんが日本に戻られて日本野鳥の会に勤務されていたとき、かつての新浜の写真を見せていただいたことがあったのだが、私にとっては夢のようなそれらの写真がこの本には散りばめられている。
かつての東京湾を知る人がどんどん減り、野鳥が群れ集った新浜の光景も忘れ去られようとしている中で、この本の出版はほんとうに嬉しかった。
古き良き時代にすがっていたいわけではない。いくら過去に想いを馳せたところで、失われた自然は戻らない。しかし、過去の新浜、東京湾の記録を残し後世に伝えることは決して無意味ではない。東京湾の自然を破壊しつくした人類の愚かさをかみしめるためには、過去の記録を辿るしかないのだから。
表紙カバーの内側には「東京湾の変遷」と題して「1950年頃」、「1970年前後」、「1980年ごろ~現在」の三枚の小さな地図が並んでいる。江戸川放水路から江戸川に挟まれた「新浜」の変遷を物語る地図だ。
新浜グループが探鳥を楽しんでいた頃は、おそらく1950年頃の地図の状態だったのだろう。地図には地先に干潟が示されているが、この頃の海岸線はすでに自然のままの海岸線ではない。本でも説明されているが、海と内陸は堤防で区切られており、遠浅の東京湾はだいぶ前から人が干拓をして水田や塩田として利用していたことがわかる。新浜グループの探鳥の道はその堤防の上だったそうだ。堤防の海側には潮が引くと広大な干潟がどこまでも続き、陸側には水田が広がり葦原などの後背湿地もあった。春と秋の渡りの季節にはシギやチドリが干潟に降り立ち、冬になるとマガンやサカツラガンが群れをなして渡ってきていたのだ。
私が新浜に頻繁に通うようになった学生時代には地下鉄東西線ができていて、かつて広がっていたであろう水田は埋め立てられ殺伐とした風景が広がっていた。野鳥を見る場所は、御猟場横の堤防で囲まれた干潟や荒涼とした埋立地、そして江戸川放水路周辺のわずかな干潟や水田、ハス田だった。かつて新浜グループのメンバーの通り道だった堤防は御猟場周辺に残るのみで、海岸の埋め立て地は工場や倉庫などが並んでいて立ち入りができず、海すら間近に見ることができなくなっていた。
新浜では埋め立てから野鳥の生息地を守ろうと新浜を守る会などによって保護運動が展開されたが、御猟場に接する一部を保護区として残すことで終止符が打たれた。「1970年前後」の地図の少し後が私が通った新浜だ。浦安には大きな埋立地が造られていてオリエンタルランドと呼んでいた。後年そこにディズニーランドができるとは思いもしなかった。
ネットで公開されている国土地理院の地形図から過去の空中写真を見ることができるが、その変貌には息をのむ。現在は、行徳一帯は住宅地と化しその中に新浜の野鳥保護区と谷津干潟が切り取られたように残されている。私の学位生時代には残っていた江戸川放水路沿いの水田やハス田はもうどこにもない。今となってはかつて歩いた場所がどこなのかも分からないだろう。
今では江戸川放水路河口沖合の三番瀬と呼ばれる浅瀬が東京湾最大の干潟だというが、往時の干潟から見たら干潮時の干出域はわずかのようだ。私は行ったことはないが、「ふなばし三番瀬海浜公園」の前に広がる干潟は人工的に造られたものだという。三番瀬では干潟の再生が試みられているようだが一度失われた自然を復元することは容易ではないし、人と自然が共生していたかつての新浜の姿は決して戻ってはこない。
日本は海に囲まれているが、干潟はどこにでもできるというものではない。川の河口や湾などに堆積した砂泥が、潮汐によって現れたり海に没したりする場所が干潟だが、遠浅で波の影響が少ないところにしか発達しない。日本で屈指の干潟といえば有明海だが、かつての東京湾もそれに並ぶ広大な干潟だったのだ。
有明海の諫早湾にも学生時代に2度ほど行っている。新浜と同じく干潟と陸地は長大な堤防で区切られていて、低湿地が古くから干拓されてきたことを物語っていた。それでも、あの頃はまだ干拓地の先には汀線も霞んで見えないような干潟が広がっていたのだ。その諫早湾の干潟も今は例のギロチンと呼ばれる潮受け堤防によって消えてしまった。
人間の果てしない欲は、自分たち以外の生物やそれをとりまく環境にまで想いを寄せることができなかった。経済成長の掛け声の中で、生物多様性に富むこの貴重な干潟をつぎつぎと潰した人間の愚を私たちは決して忘れてはならないと思う。
10年ほど前だったろうか、帯広の書店で自然関係の棚を見ていたら、「東京湾にガンがいた頃」というタイトルの本が目に飛び込んできた。塚本洋三さんの本ではないか。本のカバー写真は東京湾を飛ぶガンの群れのモノクロ写真。パラパラとページをめくれば在りし日の新浜の写真とともにそこで野鳥の観察に明け暮れた「新浜グループ」の様子が綴られている。私は迷わずに本を持ってレジに向かった。
かつて東京湾にガンが群れていたなどといってもピンとこない人が多いと思う。今の東京湾といえば四角い埋立地が並び、湾岸道路が周囲を巡り、中央に横断道路すらある。かつての面影などほとんどどこにもない。しかし、60~70前には信じられないほどの豊かな自然が息づいており、遠浅の広大な干潟にはおびただしい野鳥が渡来した。といっても私はそんな東京湾を知らない。
私が初めて新浜探鳥会に参加したときは1960年代の後半で埋め立て工事のさ中であり、広大な干潟に群れる野鳥の姿を見た記憶はない。新浜は1964年頃から埋め立てが始まっていたのだ。その時のことはこちらのエッセイで触れている。探鳥会のリーダーは高野伸二さん。その後、高野さんとは野鳥だけでなくクモの愛好者として交流させていただいた。
塚本さんがはじめて新浜を訪れたのは1953年だという。私はまだ生まれていない。高野さんをリーダーとする新浜グループの中で最年少だったのが塚本さん。大学卒業後アメリカに渡った塚本さんが日本に戻られて日本野鳥の会に勤務されていたとき、かつての新浜の写真を見せていただいたことがあったのだが、私にとっては夢のようなそれらの写真がこの本には散りばめられている。
かつての東京湾を知る人がどんどん減り、野鳥が群れ集った新浜の光景も忘れ去られようとしている中で、この本の出版はほんとうに嬉しかった。
古き良き時代にすがっていたいわけではない。いくら過去に想いを馳せたところで、失われた自然は戻らない。しかし、過去の新浜、東京湾の記録を残し後世に伝えることは決して無意味ではない。東京湾の自然を破壊しつくした人類の愚かさをかみしめるためには、過去の記録を辿るしかないのだから。
表紙カバーの内側には「東京湾の変遷」と題して「1950年頃」、「1970年前後」、「1980年ごろ~現在」の三枚の小さな地図が並んでいる。江戸川放水路から江戸川に挟まれた「新浜」の変遷を物語る地図だ。
新浜グループが探鳥を楽しんでいた頃は、おそらく1950年頃の地図の状態だったのだろう。地図には地先に干潟が示されているが、この頃の海岸線はすでに自然のままの海岸線ではない。本でも説明されているが、海と内陸は堤防で区切られており、遠浅の東京湾はだいぶ前から人が干拓をして水田や塩田として利用していたことがわかる。新浜グループの探鳥の道はその堤防の上だったそうだ。堤防の海側には潮が引くと広大な干潟がどこまでも続き、陸側には水田が広がり葦原などの後背湿地もあった。春と秋の渡りの季節にはシギやチドリが干潟に降り立ち、冬になるとマガンやサカツラガンが群れをなして渡ってきていたのだ。
私が新浜に頻繁に通うようになった学生時代には地下鉄東西線ができていて、かつて広がっていたであろう水田は埋め立てられ殺伐とした風景が広がっていた。野鳥を見る場所は、御猟場横の堤防で囲まれた干潟や荒涼とした埋立地、そして江戸川放水路周辺のわずかな干潟や水田、ハス田だった。かつて新浜グループのメンバーの通り道だった堤防は御猟場周辺に残るのみで、海岸の埋め立て地は工場や倉庫などが並んでいて立ち入りができず、海すら間近に見ることができなくなっていた。
新浜では埋め立てから野鳥の生息地を守ろうと新浜を守る会などによって保護運動が展開されたが、御猟場に接する一部を保護区として残すことで終止符が打たれた。「1970年前後」の地図の少し後が私が通った新浜だ。浦安には大きな埋立地が造られていてオリエンタルランドと呼んでいた。後年そこにディズニーランドができるとは思いもしなかった。
ネットで公開されている国土地理院の地形図から過去の空中写真を見ることができるが、その変貌には息をのむ。現在は、行徳一帯は住宅地と化しその中に新浜の野鳥保護区と谷津干潟が切り取られたように残されている。私の学位生時代には残っていた江戸川放水路沿いの水田やハス田はもうどこにもない。今となってはかつて歩いた場所がどこなのかも分からないだろう。
今では江戸川放水路河口沖合の三番瀬と呼ばれる浅瀬が東京湾最大の干潟だというが、往時の干潟から見たら干潮時の干出域はわずかのようだ。私は行ったことはないが、「ふなばし三番瀬海浜公園」の前に広がる干潟は人工的に造られたものだという。三番瀬では干潟の再生が試みられているようだが一度失われた自然を復元することは容易ではないし、人と自然が共生していたかつての新浜の姿は決して戻ってはこない。
日本は海に囲まれているが、干潟はどこにでもできるというものではない。川の河口や湾などに堆積した砂泥が、潮汐によって現れたり海に没したりする場所が干潟だが、遠浅で波の影響が少ないところにしか発達しない。日本で屈指の干潟といえば有明海だが、かつての東京湾もそれに並ぶ広大な干潟だったのだ。
有明海の諫早湾にも学生時代に2度ほど行っている。新浜と同じく干潟と陸地は長大な堤防で区切られていて、低湿地が古くから干拓されてきたことを物語っていた。それでも、あの頃はまだ干拓地の先には汀線も霞んで見えないような干潟が広がっていたのだ。その諫早湾の干潟も今は例のギロチンと呼ばれる潮受け堤防によって消えてしまった。
人間の果てしない欲は、自分たち以外の生物やそれをとりまく環境にまで想いを寄せることができなかった。経済成長の掛け声の中で、生物多様性に富むこの貴重な干潟をつぎつぎと潰した人間の愚を私たちは決して忘れてはならないと思う。
2015年11月02日
然別湖周辺の風倒被害
北海道は10月初旬に台風と低気圧で強風が吹き荒れた。この強風で大雪山国立黒煙の南東部にある然別湖周辺では、比較的大規模な風倒被害が発生した。
道路沿いを見る限り、然別湖の北岸にある野営場の一帯でかなりの風倒被害が見受けられる。全面的に倒れたという状態ではないにしても、場所によっては薄暗かった森林がスカスカの明るい疎林になってしまったところもある。下の写真の場所ではトドマツやエゾマツがかなり倒れたため、今まで見えなかった背後の山が見えるようになってしまった。
東ヌプカウシヌプリの登山道も、ちょうど風穴のあるあたりで集中的に風倒被害が発生していた。このあたりは岩塊地で樹木は深く根を張れないことが風倒被害につながったようだ。
気になるのは、今後の風倒木の処理だ。大規模な風倒木が発生すると、森林の管理者(ここの場合は国有林なので十勝西部森林管理署)がキクイムシの発生などを理由に風倒木を運び出すのが普通だ。昨今ではブルドーザーで作業道をつくって搬出するのが一般的なのだが、重機を入れると稚樹が潰されるだけでなく、植生が破壊されて土砂の流出が生じる。これまでも、そんな現場をあちこちで見てきた。
しかし、キクイムシが大発生したとしても数年で自然に収束するし、キクイムシはキツツキ類の餌となる。北海道の森林は過去になんども大きな風倒被害を受けてきたはずだが、風倒木を放置しても自然に森林は回復するのだ。倒木がそのままになっている景観はたしかに美しいとは言い難いが、倒木もやがて朽ちて後継樹の苗床となる。
また風倒木は風で揺すられて繊維が破断されるため材としての価値も下がる。自然保護の観点からも、また自然の遷移を見守るという観点からも、風倒木のある風景を自然の摂理として受け止め、基本的に手をつけないという選択をしてほしい。
道路沿いを見る限り、然別湖の北岸にある野営場の一帯でかなりの風倒被害が見受けられる。全面的に倒れたという状態ではないにしても、場所によっては薄暗かった森林がスカスカの明るい疎林になってしまったところもある。下の写真の場所ではトドマツやエゾマツがかなり倒れたため、今まで見えなかった背後の山が見えるようになってしまった。
東ヌプカウシヌプリの登山道も、ちょうど風穴のあるあたりで集中的に風倒被害が発生していた。このあたりは岩塊地で樹木は深く根を張れないことが風倒被害につながったようだ。
気になるのは、今後の風倒木の処理だ。大規模な風倒木が発生すると、森林の管理者(ここの場合は国有林なので十勝西部森林管理署)がキクイムシの発生などを理由に風倒木を運び出すのが普通だ。昨今ではブルドーザーで作業道をつくって搬出するのが一般的なのだが、重機を入れると稚樹が潰されるだけでなく、植生が破壊されて土砂の流出が生じる。これまでも、そんな現場をあちこちで見てきた。
しかし、キクイムシが大発生したとしても数年で自然に収束するし、キクイムシはキツツキ類の餌となる。北海道の森林は過去になんども大きな風倒被害を受けてきたはずだが、風倒木を放置しても自然に森林は回復するのだ。倒木がそのままになっている景観はたしかに美しいとは言い難いが、倒木もやがて朽ちて後継樹の苗床となる。
また風倒木は風で揺すられて繊維が破断されるため材としての価値も下がる。自然保護の観点からも、また自然の遷移を見守るという観点からも、風倒木のある風景を自然の摂理として受け止め、基本的に手をつけないという選択をしてほしい。