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鬼蜘蛛の網の片隅から › 政治・社会

2025年05月11日

恐るべき二つの国策

 日本は今、二つの国策を進めている。一つはワクチンの製造と推進。コロナ騒動以来、日本はワクチン、ワクチンの大合唱。といっても、そうやって煽っているのはメディアや一部の医師など。私自身はコロナ騒動を通じてワクチンの効果などほとんどなく、それ以上に薬害の方が問題だと気づいた。

 とりわけmRNAコロナワクチンの薬害は著しい。日本ではコロナワクチンによる予防接種健康被害救済制度の死亡認定がすでに1000人を超えているが、コロナワクチンを中止しようとしない。それどころか、国内のあちこちにワクチン工場を建て、インフルエンザワクチンをはじめ、さまざまなワクチンをmRNAワクチンに変えようとしている。それはワクチンが国策となっているからだ。

 mRNAコロナワクチンを打つことで免疫が破壊された結果、帯状疱疹や百日咳など今までさほど流行らなかった感染症が流行り始めた。すると、それらの感染症に対してまたワクチンを打てとやっている。こうなると、「ワクチン病」といってもいい。なぜか国民をワクチン漬けにしたい人たちがいるようだ。きっとワクチンを打つことが自分の利益につながるのだろう。

 そしてコロナワクチンに関して衝撃的なことが分かってきている。妊娠率が低下し流産も増えているのだ。ラットでの研究では、mRNAワクチンによって卵子のもとになる原始卵胞が60%以上破壊されるという。これはヒトにも当てはまる可能性がかなりある。以下参照。

妊娠率の低下はもう止まらないことが最近の研究で明らかに。理由は「卵子の元になる原始卵胞がmRNAワクチンにより不可逆的なダメージを受ける」ため 

 同じようなことがヒトでも起きるのなら、これから出生率がどんどん低下していくことになるだろう。これは取返しのつかない事態だし、人類絶滅の危機になり得る。「少子化対策」などといろいろやっても、なんの足しにもならない。

 人口削減などというと途端に陰謀論だと馬鹿にする人がいるが、この現実を踏まえても陰謀論だと嘲笑していられるのだろうか?

 もう一つの国策というのは、半導体産業だ。熊本と北海道に半導体の製造拠点をつくったが、これは今後AI(人工知能)をどんどん取り入れていく予定だからだろう。つまり、少子化を念頭に、労働力不足対策としてさまざまな仕事をAIに置き換えていくということだ。

 自動車の運転は自動化、荷物の運搬はドローン、農作業もAIを利用した機械化・・・。中国ではすでに自動運転の車が公道を走っているし、「空飛ぶ車」も認可され、この分野の開発は著しい進歩を遂げている。

 私は、ワクチンによる人口の減少(不妊化含む)とAIの推進はセットになっていると思っている。つまり、意図してやっているのだろう。そうでなければ、そんなに慌ててAIを導入する必要などない。地球温暖化を止めなければならないと言いながら、半導体産業やらAIの活用で電気消費量を増やすというのだから、どう考えても矛盾している。半導体産業は環境汚染も懸念される。

 そして、このAIに期待する人たちは多いという印象を拭えない。しかし、考えてみてほしい。AIを多用するということは、今よりさらに電磁波だらけの社会になるということだ。自動運転車もドローンも電磁波を利用する。農業機械やさまざまなロボットだって電磁波を使うのだろう。私は現在ですら電磁波の脅威を感じているが、さらに電磁波漬け社会になるのだ。今でも電磁波で体調が悪化する人がいるし、過敏症の人は住むところもなくなる。

 過敏症の人は「炭鉱のカナリア」としていち早く危険性を察知するのだが、そのような人たちが存在するということは、すでに電磁波によって人が危険にさらされていることに他ならない。自分の体調不良が電磁波によるものであっても気づいていない人が多いのではないかと疑っている。

 ワクチンによるとしか考えられない超過死亡や少子化は止まらない。mRNAワクチンで遺伝子が改変されてしまう危険性も指摘されている。そして、AI活用で私たちは多量の電磁波を浴びせられる。電気に頼る社会は、何等かの事情で停電にでもなればお手上げだ。

 こんな社会にしてしまって本当にいいのか?

  


Posted by 松田まゆみ at 17:11Comments(0)政治・社会

2025年05月03日

看過できないマイクロ・ナノプラスチック問題

 プラスチックごみを大量に排出するようになってだいぶ経ってから、マイクロプラスチック(5mm未満)やナノプラスチック(100nm未満)問題が浮上してきた。海などの汚染だけではなく、食べ物や飲み物などから人体にも多量のマイクロプラスチックが取り込まれている。

 体内に取り込まれたマイクルプラスチックは臓器に蓄積され、血流にのって脳にまで到達する。消化器系、免疫系、神経系、内分泌系などへの悪影響が懸念される。詳しくは以下参照。

マイクロプラスチック問題と人体への影響|今すぐ始める効果的対策

 また、最近の研究では、胎盤を通過して代謝ストレスを引き起こし、長期的な健康被害を及ぼすことが懸念されている。

https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/40066256/

 私は口から入るマイクロ・ナノプラスチックとして、とりわけティーバックを懸念している。ティーバックから出るマイクロ・ナノプラスチックはティーバックの素材によっても違うので一概には言えないが、多量のマイクロ・ナノプラスチックが溶け出すことは間違いない。こちらの記事によると、一袋で約116億個のマイクロプラスチック、約31億個のナノプラスチックが溶け出ているという。お茶を一杯飲むだけで大量のマイクロ・ナノプラスチックを体内に取り込むことになる。

 こういうことが分かってきているのに、ティーバックは一向に減らない。私は紅茶はティーバックをやめ、ステンレスの茶こしがついたポットで淹れるようにした。ティーバック入りしか売っていないものは、バックから中身を出して茶こしに移して淹れている。

 それから、日常的なマイクロ・ナノプラスチックの取り込みとして、フッ素加工のフライパンも気になっている。ネットでフライパンのフッ素樹脂加工について調べると、使い方さえ守れば問題ないという記事が複数出てくるが、私は全く信用していない。このような記事は恐らくメーカーなどが書いているのだろう。フッ素樹脂加工のフライパンは、適切な使い方をしていても次第にコーティングがはがれて食材がくっつくようになる。そのはがれたフッ素樹脂はマイクロプラスチックになる。もちろん、フッ素の毒性のことも問題だ(こちら参照)。

 私は鉄のフライパンをメインに使っているが、少し大きめのフライパンが欲しくてホームセンターを3店回ったことがある。しかし、どこのフライパン売り場もフッ素樹脂加工のフライパンばかり。鉄のフライパンは小さめのものが一種類くらいあるだけでほしいサイズがなく、結局、通販で買った。フッ素やマイクロプラスチックの問題が指摘されているのに、鉄のフライパンが少ないことに驚いた。フッ素樹脂加工のフライパンが数年で劣化することを考えたら、多少値段が高くても何十年も使える鉄のフライパンの方がずっといい。

 ということで、国が規制しないなら、自分で気を付けるしかない。

  


Posted by 松田まゆみ at 16:39Comments(0)政治・社会

2025年05月01日

百日咳ワクチンは必要か?

 北海道新聞に百日咳のワクチンを推奨する記事が出ていた。妊婦にまで推奨している。

百日ぜき道内で拡大 乳児は重症化の傾向 専門家「妊娠中のワクチン接種を」

 昨今は感染症が流行ればすぐにワクチンを推奨する。新聞がこんな記事を出せば、ワクチンの追加接種をしようと思う人も増えるだろう。しかし、マスコミの推奨記事は、ワクチンの負の側面についてほとんど触れていない。

 そこで、「ワクチン神話捏造の歴史」(ヒカルランド)から、百日咳ワクチンについて指摘されている問題点について箇条書きにして紹介しておきたい。

・19世紀に百日咳の死者はピークを迎え、百日咳ワクチンが使用される前にすでに99%以上死亡者が減少していた。
・現在の百日咳は以前より致死率が低下し、深刻な病気ではなくなった。
・百日咳ワクチンの接種により、急性脳症状や神経系の障害が生じることがあり、死亡することもある。
・ワクチンを接種した人は、5~10年後には百日咳に罹りやすくなる。
・乳児と幼児に投与される百日咳ワクチンは、3年後に有効性を失う。
・百日咳はワクチン接種率の高い集団において流行する病気。
・ワクチン接種者かどうかにかかわらず、保菌して伝播するのを防ぐ効果はないし、無症状感染者も多い。
・百日咳菌のワクチン耐性が生じている。

 百日咳はワクチンを打つようになっても根絶されていない。子どもだけではなく大人も感染するし、無症状の場合も多い。ワクチンを打たずに自然感染した方が免疫は長持ちする一方で、接種者は抗原原罪により感染を拡大させるようだ。これらのリスクを考え合わせるなら、ワクチンは打たない方が感染拡大を防ぐことになるだろう。ちなみに、今の流行はコロナワクチンによる免疫破壊も関係しているのではないかと個人的には思っている。

 マスコミは子どもが罹ると死亡する場合もあるといって恐怖を煽りワクチンに誘導するが、ワクチンはリスクよりベネフィットの方が大きい場合しか意味がない。いつまで「ワクチン神話」を流布しつづけるつもりだろうか。

  


Posted by 松田まゆみ at 15:16Comments(0)政治・社会

2025年04月18日

詐欺電話がかかってきた

 ニュースではしばしば電話やSNSによる詐欺被害を報じているが、いままではどちらかというと他人事のように思っていた。ところが、先日、我が家にも不可解な電話がかかってきた。

 自動音声で総務省をかたり、2時間後に通信機器が使えなくなるので1番を押してオペレーターにつなげという内容だ。もちろんすぐに「詐欺だろう」と気づいたので切ったが、怪しさ満載だ。

 まず、「2時間後に通信機器が使えなくなる」という予告がおかしい。総務省をかたるのも変だし、夕方の17時を過ぎているのも不可解だ。それに、伝えたいことがあるなら何もオペレーターを呼び出す必要はない。

 さっそく調べてみたら、総務省のHPに注意喚起があった。

総務省職員を名乗る不審電話にご注意ください

 そして、今日もまた同じ電話がかかってきた。「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」で、おそらく固定電話の番号にランダムにかけているのだろう。

 冷静に物事を判断できる人ならば、すぐにおかしいと気づくと思うが、焦って指定された番号を押し、指示に従ってしまう人もいるのだろう。北海道新聞にも毎日のように電話やSNSを利用した詐欺被害が報じられているが、高齢者だけではなく若い人もいる。嫌な時代になったものだと思う。

 かつては名前と電話番号だけでなく住所も記載された電話帳が無料で配布されていて、それを利用した勧誘電話などもあったが、電話帳を配布しなくなってからはそんな電話もほぼなくなった。しかし、昨今は詐欺電話が横行している。商品の購入や投資などの勧誘電話よりたちが悪い。近年は同窓会名簿にも名前を載せてほしくないという人もいると聞く。かつては同好会などの会員名簿も普通に配布されていて何の問題も起きなかったものだが、そんなのどかな時代は過ぎ去ってしまった。

 先日は、卒業アルバムを印刷する会社がサイバー攻撃を受けて、卒業生の顔写真や名前が流出した可能性があると報じられた。インターネットが普及したことで、個人情報の流出の危険性は格段に高くなってしまった。いつ、どこから個人情報が流出するか分かったものではないし、個人が注意していたら防げるという話でもない。

 気にかかるのはマイナンバーカードだ。健康保険証や免許証も兼ねるようになってきているが、これもいつ個人情報の漏洩につながるか分かったものではない。しかも「任意」であったものが、健康保険証の廃止にまでなってしまった。そのうち銀行口座とも紐づけるのだろう。そしてマイナカードの情報が漏れてもおそらく誰も責任をとらないのだろう。

 詐欺が身近になっているだけに、くれぐれも気を付けてほしいと思う。

  
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Posted by 松田まゆみ at 14:56Comments(2)政治・社会

2025年04月13日

ワクチンは逆効果?

 最近、夏目漱石の小説を読み返している。漱石の作品は若い頃に「坊ちゃん」「こころ」「硝子戸の中」などを読んだが、それらも含めて読み返している。そんなわけで「道草」を読んでいたところ、意外な記述があった。「道草」は漱石の自伝的小説と言われているが、39章にこんなことが書かれている。

 彼は其所そこで疱瘡をした。大きくなって聞くと、種痘が元で、本疱瘡を誘い出したのだとかいう話であった。彼は暗い櫺子のうちで転ころげ廻った。惣身の肉を所嫌わず掻かきむしって泣き叫んだ。


 主人公、つまり漱石が3歳頃のことだ。彼が疱瘡、つまり天然痘にかかったことはWikipediaにも書かれている。西暦でいうと1870年前後だろう。その頃には、医師はワクチンである種痘を接種しても天然痘に罹患することが分かっていたし、それどころか種痘が天然痘を誘発させることもあると考えていたのだろう。

 種痘を接種しても天然痘に罹ったというのは、「ワクチン神話捏造の歴史」にも書かれている。日本の状況については以下の記述がある。

 東洋諸国も例外ではない。日本では1872年に天然痘ワクチンの強制接種が始まり、1885年には5年から7年おきにワクチンを強制的に再接種する法案が成立した。1885年から1892年にかけて2500万例のワクチン接種と再接種が記録されているが、天然痘は日本で猛威を振るい続けた。

(中略)公的な記録によると、1892年から1897年にかけて14万2032例の感染と3万9836例の死亡が確認された。1896年にはどんな地域でも天然痘ワクチン接種を5年ごとに強制する法律が制定されたが、そのまさに翌年の1897年には4万1946例の感染と1万2276例の死亡が記録された。天然痘の死亡率は32%に上り、ワクチン接種の始まる前の2倍近くとなった。


 漱石の記述からも、「ワクチン神話捏造の歴史」からも、種痘が天然痘を防いだどころか、逆効果だったことが示唆される。天然痘が流行っていた頃、医師はそのことを体験から知っていたはずだ。しかし、その事実は人々には広まらなかった。

 このような公的記録がありながら、国民には事実とは正反対のことが教えられた。私も天然痘はワクチンによって撲滅されたと学校で習った記憶があるし、種痘を接種していれば一生天然痘には罹らないとコロナ騒動前まで信じていた。今もそう信じている人は医師を含め多いだろう。150年以上も前に分かっていた事実がずっと隠されて、効果どころか逆効果の可能性もあるワクチンを打たされてきたのだ。

 中村篤史医師がこんな記事を書いている。

子宮頸癌ワクチンの危険性

 中村医師は、子宮頸癌ワクチンを打つと子宮頸癌の発生率が上がると、データを元に指摘している。中村医師は、「その病気を防ぐためのワクチンのせいで、むしろその病気にかかりやすくなる。コロナワクチンもそうだったし、インフルワクチンもそう。子宮頸癌ワクチンも同じだということです。」と書いている。

 それにも関わらず、今もこれらのワクチンが感染予防効果があると信じている人は医師を含め多数いる。この情報化時代にあっても、国や医師が「ワクチンは効果がある」と喧伝すれば、簡単に事実が隠されてしまうのだ。

 さらに、近年は「癌ワクチン」なるものまで研究されている。癌ワクチンについては荒川央博士が詳しい記事を書いているのでお読みいただきたいが、要は、癌mRNAワクチンは危険であり、薬害はコロナワクチンと比べ物にならないほどになるだろうという。

【前編】次世代LNP/mRNA製剤と癌: 癌の生物学

【後編】次世代LNP/mRNA製剤と癌: LNP/mRNA製剤による癌の予防や治療は可能か?

 昨今では、帯状疱疹や百日咳が流行っており、それらのワクチンの接種が推奨されている。帯状疱疹や百日咳の流行は、おそらくmRNAコロナワクチンによって免疫が低下したためだろう。しかし、そんなことは全く報じられない。そんな免疫が破壊された状態でワクチンなど打って大丈夫なのだろうか?

 国は、ワクチンが本当に感染予防や重症化予防の効果があるのかという検証もせずにワクチンを推奨する。今後は、インフルワクチンもmRNAレプリコンが登場するだろう。そして、何も知らない人は喜んで接種するのかもしれない。

 これまで、国がワクチンが逆効果であるという事実を隠し続けて推奨してきたことを思うと、私は現状を恐ろしいとしか感じない。

  

Posted by 松田まゆみ at 16:49Comments(0)政治・社会

2025年04月10日

人口調整は必要か?

 コロナ騒動をきっかけに、mRNAコロナワクチンの目的は人口削減ではないかとの話をよく聞くようになった。これを事実だと考えるかどうかはともかくとして、世の中には地球上の人口を減らすべきだと考えている人がいることは間違いない。現在、世界の人口は81億を超えている。産業革命以降、人口はどんどん増え続けてきた。私も、このまま人口が増えつづけるとしたなら、飢餓やエネルギー不足による死者がいずれ大量に出ることになるのではないかと危惧している。

 地球上の野生生物は、人のように増え続けてしまうことはない。例えば、ときどき昆虫の大発生などがある。マイマイガとかキクイムシなど大発生する種はいくつかいる。しかし、そうした大発生も天敵が増えたり餌が不足するなどして数年で収まっていく。あくまでも一時的なものだ。

 また、なわばりを持つ動物は、生息できる環境が増えない限り増え続けることはできない。一番(つがい)の野鳥が4羽、5羽もの雛を育てても、天敵に捕獲されるなどして全部が無事に育つわけではない。環境の悪化などで特定の種の個体数が減ったり絶滅することはあっても、増え続けるということはない。

 日本では北海道でも本州でもシカの数が増えてきている。畑の作物を荒らしたり、希少な植物を食べてしまったり、街中に出てきたりと問題になっているが、これもずっと増え続けることにはならない。餌や生息適地は限られているから増えるといっても限界がある。

 地球の生態系の中で生きている限り、際限なく増え続けるという生物はいない。ヒトも、狩猟採集生活をしていた頃は人口がどんどん増えることなどなかっただろう。むしろ、滅びてしまったことの方が多いのではなかろうか。今、生きているヒトという種は、絶滅を免れて生き延びてきたということに他ならない。

 しかし、ヒトは自然の生態系からはみ出して独自の文化や社会を作り出した。農耕や牧畜によって食料を生産するようになり、さらに地下に眠っていた石炭や石油を掘り出してエネルギーとして利用したり、石油からさまざまな化学製品を作り出すようになった。農耕や化石燃料によって多くの人を養えるようになり経済成長が始まった。さらに、近年は医療が発達し、乳児死亡率は大きく下がった。栄養状態も衛生状態も改善されて感染症もかなり克服し、寿命が格段に延びた。

 産業革命以降の人口の増加はこうしてもたらされた。これは他の動物では起こりえないことだ。ただし、農耕地にできる地球上の土地は限られている。石炭や石油なども今のところは枯渇していないものの、以前ほど豊富に採掘できなくなっているし、価格も高騰している。温室効果ガスである二酸化炭素の増加により地球温暖化も年々顕著になってきている。

 もし、今のまま人口が増えつづけたなら、間違いなく食料不足になるだろうし、エネルギー不足(または高騰)も顕著になるだろう。地球温暖化もさらに深刻になる。それによって、食料やエネルギーをめぐる争いや暴動が生じたり、多くの人が餓死や凍死、熱中症死しても「それは自然の摂理だから仕方ない」と割り切れるのであれば、それも人類の自業自得として受け入れるしかなかろう。

 しかし、そんな悲惨な大量死を防ぎたいのなら、やはり人口の調整は欠かせないと思う。もちろん、戦争で人を減らしたりとか、医薬品などを用いて今生きている人を減らしたり、不妊にすることで減らすなどということは人道的な面からあってはならない。としたら、産まれてくる子どもの数を制限するしか人口を減らす方法はない。

 高度経済成長も終わり、先進国ではこどもの数が減ってきていて、放っておいても人が大きく増えることはないだろう。しかし、今の81億人を維持していくというのは地球への負荷が大きすぎると私は思っている。自然エネルギーだけで持続可能な状態にするためには、もっとずっと少ない人口にしなければならないだろう。日本でいえば、江戸時代くらいの人口が適正ではないかと思っている。

 とすると、若い人に理解してもらって、一組の夫婦が育てる子どもの数を1~2人にしてもらい、少しずつ減らしていくしかなかろう。こんなことを言うとかつての中国の一人っ子政策を持ち出して批判されそうだ。もちろん出生数を減らせば高齢者ばかりになり、社会システムの維持が困難になるので、高齢になっても元気な人は働く必要があるだろう。経済成長などはありえない。そして、今の日本の社会もすでにそういう状態になっている。

 人は、目先の利便性や利益ばかりを優先するが、人が地球上に誕生した生物の一種であり、有限な地球に住む以上、人口を増やし続けるのは自滅の道を歩むことだと思っている。コロナ騒動以降、おそらく地球の人口は少しずつ減っていくだろう。ただ、食料問題、エネルギー問題、温暖化を含む環境問題は待ったなしだ。人類が環境への負荷を小さくして持続可能な社会を作れるのか、それ以前に資源が尽きたり環境が悪化して人類の大量死を招くのかはなんともわからない。

 いずれにしても、食料やエネルギー不足、あるいは温暖化による大量死をできる限り未然に防ぐには出生数の調整は必要だと私は考えている。
  

Posted by 松田まゆみ at 14:58Comments(0)政治・社会

2025年04月03日

欲と悪

 私は子どもの頃、知恵ある人類はもう戦争など起こさずに平和な社会を築いていくのだろうとなんとなく思っていた。なにしろ日本は太平洋戦争で大きな痛手を受け戦争放棄を宣言したのだし、戦争がどれほど残酷で悲惨なものかは子どもだって理解できる。

 しかし、実際にはその後も世界のあちこちで戦争が繰り広げられている。人はいつまでたっても過去から学ばないし、残忍なことも平気でできるのだと痛感した。もちろん戦争を起こそうとする人たちは、自分だけは安全なところにいて命令をしているだけなのだけれど、残忍であることには変わらない。いったいヒトという生物の残忍さはどこからくるのだろうか? そんなことをよく考える。

 先日、霊長類学者の故河合雅雄氏の本「サルの目ヒトの目」(平凡社)を読み返していたら、こんなことが書いてあった。

 河合氏がゴリラの調査でアフリカのウガンダとコンゴに行ったときのこと。1959年に未開の数種族の人々と接したときは、どの人たちも親切で人懐こかったという。ところが、それから10年ほどたってから再訪したとき、ウガンダは治安が悪化して殺人強盗事件が多発し、身の危険を感じたというのだ。10年の間に文明国から様々な物が入り込むようになり、人々は物欲で強盗までするようになったそうだ。河合氏は、こんな風に書いている。

 ウガンダはもともと豊かな国である。赤道直下だけに気候は温和で、主食であるバナナは放っておいても年中実っている。100坪もの土地にバナナを植えておけば、一家は食べるのに苦労しない。パパイヤやマンゴーなどの果物も豊富にある。夜はバナナ酒を飲んで、歌って踊り、眠りにつけばいいのだ。働かなくても、食べるには事欠かない。いわば天国のような国である。
 そこへ消費文化という、文明が生んだ怪物が侵入してきた。ひとびとはたちまちのうちにその毒気に当てられ、心を蝕まれてしまった。物質欲がいつも心の飢餓感をあおり、純朴で平和な心はすっかり荒れ果ててしまったのである。


 文明国から持ち込まれた自動車や洋服は、それまで穏やかな暮らしをしていた人々に強烈な物欲をもたらしてしまったらしい。その物欲は簡単に「悪」へとつながっていく。この人に備わった強欲こそが、悪の根源ではないかと思えてならない。

 河合氏の同書では、狩猟採集民族であるピグミーやブッシュマンの社会のことにも触れていて、彼らは狩猟で獲った獲物は射ちとったものが少し優先権を持つだけで、あとは全く平等に配分するという。彼らの社会では特定のリーダーが存在せず、平等主義に貫かれていると。この平等主義はおそらくアイヌやイヌイットなどでもほぼ同じではないかと思う。

 また、平等なだけではなく協力的な社会でもあっただろう。例えば、家を作るときもコミュニティの人たちが協力し皆で建てただろうし、大きな動物を狩る場合も基本的にはグループで協力して行っていただろう。人が地球の生態系の中で狩猟採集民として暮らしていた頃は、人の社会は基本的に協力的で平等な社会だったに違いない。そんな平等の社会であれば、「自分だけ多く持ちたい」などということは許されないし、物欲というものも表立って出てこないのではなかろうか。また、非協力的で自分勝手な行動をしていたら、コミュニティで生きていけないだろう。だから、支配的な自己中人間は存在できない。

 それから、争いごともなるべく避けていたのではないかと思えてならない。なぜなら、ヒトの繁殖力は高くはない。子どもは通常一人しか産めないし、成人になるまでに何年もかかる。寿命もさほど長くないだろうから、戦いをして仲間を失ってしまうのはその民族やコミュニティの存続には大きな痛手になる。ヒトという生物は、協力的で平等で平和を重視する社会を選択したのではないかと私は想像している。

 しかし、やがて農耕や牧畜などを始めたことにより、「富」を手にするようになった。そして、自然の生態系から次第にはみ出してさまざまな「物」を作り出すようになった。その富をコミュニティの中で平等に分配していれば大きな問題はなかったのではないかと思う。しかし、ひとたび富を手にしてしまうと自ずと欲が出てくるのだろう。この欲こそが悪の根源ではなかろうか。ウガンダの人たちがたった10年ほどで、「欲」におぼれてしまったように、富の偏在は人々に妬みを抱かせ、悪に手を染めてしまうことになりかねない。

 「欲」はもちろん物欲に限らない。富を手にすると多くの人は「お金さえあればなんでもできる」と思ってしまうようだ。欲しいものがなんでも手に入るようになると、支配欲や権力欲が頭をもたげてくる。そんな物欲や支配欲が極限にまできてしまったのが現代社会なのかもしれない。利権などというのも、お金と支配の構造にほかならない。戦争も、欲と軍事産業の利権によってつくられる。

 現代の資本主義社会は富の偏在があまりに極端になってしまった。気の遠くなるような莫大な財産を手にしている億万長者もいれば、その日食べるものすらない人たちまでいる。そして、支配欲、権力欲が強まった人たちは、自分たちこそ社会の勝者であると勘違いし、他者を支配しようとし、その自分の目的の達成のためには、騙しでも邪魔な者の排除でも何でもやる。資本主義というのは「欲の製造システム」ではないかと思う。

 ここまできてしまうと、果たしてこれを正すことはできるのだろうかと思えてくる。いくら税金によって富の偏在を小さくしようとしても、富める者は富を手放さないためになんでもやるだろう。こんな社会を見ていると、ため息がでてしまう。

 もっとも、こんな社会であっても、物欲がさほどなく定常的な生活を送って幸福感を得ている人もいる。定常的な生活というのは、余計な消費はせずに物を使い切るという生活だ。衣類なら傷んだりよれよれになるまで着、電化製品や自動車なども修理しながら使えなくなるまで使う。無駄な消費をしなくても幸福な人はたくさんいる。しかし、消費することに慣れ、他者の目を気にする人ほど物欲が強くなる。

 また、物欲はさほどないのに支配欲の強い人もいる。例えば、家族や部下を自分の望み通りにさせたいような人だ。このような人は、おそらく協力的な生き方を選択せず、自分の利益を優先する生き方を選択したのだろう。いずれにしても、物欲や支配欲というのは個人の考え方で強くも弱くもなるものなのだけれど、いちど欲にはまってしまった人は、そう簡単にそこから抜け出すことはできそうにない。

 人が、本当に争いのない平和な社会を築いて維持していきたいのなら、やはり原点に戻って協力的で平等な社会システムへと変えていくしか道はないのではなかろうか。そういう社会では、悪へとつづく「欲」そのものが抑制されるのだろうと思う。人は、言葉でコミュニケーションできる生物だし、理性や良心、知恵も持つ。トラブルは話し合いで解決を目指すべきだし、平和に暮らしている狩猟採集民族から学ぶなら平等で協力的な社会の構築も不可能とは言い切れない。

 とはいうものの、ここまで酷い社会になってしまったのに、いまだに資本主義を支持し、経済成長にこだわる人が大半なのだと思うと、なんともやりきれない気持ちになる。落ちるところまで落ちないと気づかないのだろうか。

  

Posted by 松田まゆみ at 15:59Comments(0)戦争・平和政治・社会

2025年03月21日

会話のない社会

 先日、久しぶりにとあるホームセンターに行ったら、レジの大半がセルフレジになっていた。セルフレジは空いていたものの、私は迷わず店員のいるレジに並んでしまった。ときどき入るスーパーも、行くたびにセルフレジが増えている。そのうちスーパーのレジは皆セルフになってしまうのだろうか。

 スーパーなどなかった子どもの頃は、買い物といえば商店街に行って、店の人と会話しながら買い物をしたものだ。そもそも会話をしなければ買い物ができなかった。その後スーパーが普及してからは会話も減ったが、それでもレジで会話をすることはしばしばある。ところがセルフレジとなると店に入ってから出るまで、一切人と会話せずに終わってしまう。煩わしくなくていいという人もいるのだろうけれど、私はちょっと寒気がする。

 考えたら、空港などでの手続きもどんどん機械に置き換わっている。チェックインも自動チェックイン機。最近は東京に行くこともほとんどなくなったが、以前は実家があったのでときどき上京した。そして頻繁に駅の切符の自動販売機が変わっているのに驚いた。改札も自動改札機なので駅員の姿がほとんど見えない。駅はなんとも味気ない場所になってしまった。

 東京に住んでいた小学生のころ、私はときどき一人で電車に乗って出かけることがあった。引っ越して間もないある日、駅の改札口を出て駅前の光景を目の当たりにし、出口を間違えたことに気づいた。南口に出なければならないのに北口に出てしまったのだ。近くに踏み切りも見えない。仕方ないので改札口の駅員に事情を話したら、回収した切符から子供用の切符を取り出して、「これを反対側の改札口に出しなさい」と通してくれた。もし、今のように駅員も見当たらない自動改札の駅だったら途方に暮れていたかもしれない。

 金融機関に行ってもATMでおおむね用事は足りる。最近は大きな病院では会計も機械になっている。病院に行きつけていない高齢者などは戸惑うだろう。北海道の田舎でほとんど遠出もせずに暮らしていると、たまに街中に出たとき時代に取り残されたような気になってくる。

 それだけではない。昨今は北海道の地方の町でも、地域のコミュニティバスの自動運転化を目指したり、ドローンによる荷物の配達の実証実験をしたりしている。人手不足が背景にあるというが、こんな社会はどう考えても高齢者や障害者、子どもなどの弱者にやさしい社会とは言えない。そして、なによりも気になるのは人を機械に変えていくことで会話が消えていくこと。

 配偶者に先立たれて一人暮らしをしている高齢者は、交通機関を利用しても、買い物をしても誰とも会話しない社会で暮らさねばならない。自分から人との関わりを持たなければ、誰とも会話しない日もあるだろう。機械化社会は人と人との関わりをどんどん希薄にし、会話を奪っていく。

 人はコミュニティの中で生活している生き物だ。他者との関わりが人として健全な生活を支えている。挨拶、気遣い、助け合い、感謝の言葉・・・みな会話でつながっている。会話の消えた社会からは、喜びも幸福感も次第に消えていくのではなかろうか。

  

Posted by 松田まゆみ at 14:06Comments(0)政治・社会

2025年03月11日

震災から14年に思うこと

 東日本大震災、そして福島第一原発の過酷事故から14年を迎えた。テレビやネットに流れてきた大津波の映像は今も頭の片隅から消えない。あの巨大地震によって自然の驚異を見せつけられた(人工地震という説もあるが、それが事実だったとしても自然に発生する巨大地震の時期を早めたにすぎないだろう)。

 原発の建屋が吹き飛んだ映像は腰を抜かすほどショックだった。「とうとうやってしまった・・・」と。原発事故は間違いなく人災だ。そして、今も事故の収束には程遠い。あれ以来、ふたたび福島第一原発に大地震や大津波が襲ったらと、ずっと不安な日々を過ごさねばならなくなった。

 あの大事故で私たちは「原発は決して安全ではない」ということを身をもって経験したはずだ。福島第二原発も女川原発も大事故をおこす寸前だった。能登の地震でも、志賀原発は危うかった。プレートの境界に位置する日本は、必ず大地震に襲われる。そんなところに原発を建て続けたことが大きな間違いに他ならない。このまま原発を稼働させ続けたら、いつかふたたび大事故を起こすだろう。それが福島の教訓だった。

 福島の原発事故で、日本の原発が一斉に稼働を停止したときには心底ほっとした。もちろん燃料プールに使用済み燃料が保存されている以上、安心・安全ではない。しかし、稼働していないというだけで、どれほど安心感がもたらされたことか。福島の原発事故は、原発依存から抜け出すチャンスだった。

 ところがどうだろう? あれから日本は廃炉どころか再稼働の道に足を踏み入れた。そして、私たちは大きな地震が起きるたびにまた恐怖に襲われることになった。大津波は予見できたにも関わらず、裁判で東電の責任者たちは何ら責任をとらずに終わってしまった。なんという無責任な国なのだろう。

 原発事故が起きれば大地は汚染され、そこに住む人々も動植物も被爆する。そして、福島の事故を見ればわかるように、事故の収束すら見通せないことになりかねない。事故処理のためにも作業員は被爆を強いられることになる。被爆で病気になった人、今も避難している人が大勢いる。原発事故というのはあってはならない人災だ。

 結局、日本は福島の事故に学ぼうとはしない。アメリアだって大地震が起きる可能性のある場所には原発は建てないというのに、日本はそんな当たり前のことですらできない。人々の命や暮らしより、利権や利便性が大事なのだ。

 北海道では半導体生産のラピダスで大量の電気が必要だという。だから、泊原発を再稼働させたくて仕方ない人たちがいる。しかし、原発事故のことを考えるのなら、半導体生産の方を考えなおすべきではないか。なんでもかんでもデジタル化を進め、ITだとかAIに頼ろうとするから半導体が必要になる。それを止めればいいだけではないか。

 デジタルをいっさい否定するつもりはないが、なんでもデジタルにすればいいというものではない。そんなことを続けていたら、人は機械や人工知能に振り回され、人間らしい生活からどんどん遠ざかっていくだろう。人は頭や体を使ってこそ健全な生活が送れるのだろうと私は思っている。頭や体を使わなくなればなるほど、心も体も蝕まれていくように思えてならない。

 震災、原発事故から14年。教訓から学ぶどころか、相変わらず利権にしがみつくこの国に希望を持つことができなくなっている。

  

Posted by 松田まゆみ at 11:19Comments(0)政治・社会

2025年02月18日

グレート・リセットの失敗と資本主義の終焉に向けて(3)

日本がまず取り組むべきこと
 脱成長への取り組みをしている間にも温暖化は進み、エネルギー危機や食糧危機になるかもしれない。ただ、それは人類の招いた負の遺産として受け入れた中で対策を講じるしかないだろう。でも、できることはまだまだある。日本は森林の国なのだから、里山の二次林を復活させて薪(ペレット)や炭などのバイオマスを暖房などにもっと活用するべきだ。河川や水路、上下水道の流水を利用した小規模発電も増やすことができる。太陽光も発電ばかりではなく、できるだけ日差しを取り入れる住宅にして室内を温めたり、水を温水にすることもできる。化石燃料を減らす取り組みはまだまだできると思うし、生活スタイルを変えることで節電もまだまだできるのではなかろうか。

 今の農業は石油を動力にした大型機械に頼るようになってしまったが、石油や農薬、化学肥料に頼らない循環型農業への取り組みも必要だろう。なんでも機械化すればいいというわけではない。若者の農業就労を増やし、政府が農家を助成することで健全な農業を育てていくことも可能だ。現に、欧州では有機農業への転換が進められている。日本でも無農薬無肥料で立派な野菜を育てている農家がある。やればできるのだ。食料自給率を100%に近づけてできるだけ地産地消にすれば、輸送の燃料もかからない。

 何も大規模な太陽光発電や風量発電だけが再生可能エネルギーではない。むしろそれらは環境破壊や健康被害を招いている。私は「再生可能エネルギー」という言葉が好きではない。かつて使われていたように「自然エネルギー」の方が自然のエネルギーをそのまま取り入れるというイメージがありより適切だと思っている。AIなどというものも全く歓迎しない。それよりも脱デジタルのほうがよほど人間らしい生活ができると思っている。


狂気のググローバリストを生み出した資本主義
 さて、米国ではトランプ政権となり、グレート・リセットを目指すディープ・ステートの動きが封じられようとしている。コロナワクチンも中止する州が増えていきそうだ。そしてロバート・ケネディJr.氏が保健福祉省長官に就任した。彼は国民の健康のためにすべてのワクチンや食品添加物などを精査すると言っている。ようやく、これまで放置されてきたワクチンをめぐる嘘が明らかになるだろう。

 私は思想的には左派だが、今回の大統領選では心からトランプ氏に勝利してほしいと思っていた。民主党のやってきたことがあまりに酷すぎるからだ。トランプ氏やマスク氏、ケネディJr.氏には、グレート・リセット阻止で頑張ってもらいたい。

 とは言うものの、米保守党は当然のことながら資本主義の政党であり、私が支持する脱成長路線ではない。だから、トランプ氏もマスク氏もずっと支持するなどということはあり得ないだろう。トランプ氏のパリ協定離脱とかガザの米国所有などはとても賛同できない。それに、イーロン・マスク氏のやっている電気自動車や脳へのチップの埋め込み、宇宙開発には以前から大きな疑問を抱いていて、彼が何を考えているのかよく分からない。

 米国はAIも推進するようだが、危険としか思えない。マスク氏の率いるDOGE(政府効率化省)は、USAIDの解体につづきNED(全米民主主義基金)の資産凍結、CIAの全職員の解雇を打ち出した。NEDもCIAのフロント組織であることが分かったからだ。これらの改革は評価するが、それ以外は首をかしげるようなことが多い。さらに、イーロン・マスク氏という大富豪の実業家が大統領と組むことに問題はないのか? 冷静に見守りたいと思う。

 グレート・リセットという狂った発想は資本主義で莫大な資産を築いたグローバリストが生み出した怪物に他ならない。だからこそ、トランプ政権で暴露されつつあるグローバリストらの思想は、世界中の人がこのまま資本主義を続けるべきかどうかを考えるきっかけになるのではないかと思う。

 さて、日本はどうなのか? 日本の首相官邸に巣くう約3000人のスタッフこそ国内のディープ・ステートだ。彼らは選挙で選ばれたわけでもないのに、実質的に日本の政治を牛耳っている。ここ数年でワクチンを日本の国策にしたのもこのスタッフたちだろう。トランプ米大統領が自国第一主義を掲げディープ・ステートの排除を実行しているのなら、日本も米国追従から抜け出し、官邸のディープ・ステートを解体するいいチャンスではないか。今まで騙されていた国会議員たちも立ち上がってほしい。

 ワクチンを打った人も打たなかった人もみな被害者だ。まずは、国民の大多数が騙され支配されていたことを認めることが先決だ。そうでなければ、一歩も前に進めない。そして、一人ひとりが今後どうしていくべきか考えてほしい。

 狂気のグレート・リセットや限界を迎えた資本主義に代わる新しいシステム、新しい方向性を探るためにも、斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』(集英社新書)や『ゼロからの「資本論」』(NHK出版新書)を多くの人に読んでもらいたいと願っている。これらの本には、失敗した社会主義ではなくその失敗を乗り越えた新しい社会主義が示されている。(終)

グレート・リセットの失敗と資本主義の終焉に向けて(1)
グレート・リセットの失敗と資本主義の終焉に向けて(2)

  


Posted by 松田まゆみ at 16:11Comments(0)政治・社会