さぽろぐ

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2017年10月18日

日本人は主体性を持つことができるのだろうか?(追記あり)

 民進党・自由党の希望の党への合流劇については前回の記事「希望の党の結成で暗黒時代がやってくる」に書いたが、私はまだこのことに拘っている。この合流劇が民主主義をないがしろにした策謀であったにも関わらずその点を指摘する意見がとても少ないことに唖然としている。そんな中で共感できるのは以下のさつきさんの記事だ。

民主主義を破壊するマヌーバー(さつきのブログ「科学と認識」)

 さつきさんのブログから重要な部分を引用しておきたい。

 選挙民の空気や政局の風を読み、その場凌ぎの受けの良い政策を前面に立てて信を問い、権力を手に入れ、その上で本性を露わにするというのは、かつては「マヌーバー」という一言で、少なくとも左派の中では一蹴されてきたやり方だ。この言葉が最近力を持てなくなっているのは、一つには「マヌーバー」そのものが、本来、「うまく立ち回る」といったような良い意味・積極的な意味にも用いられることの多い言葉であることにも依るのだろう。「面従腹背」がウケるのもそうした背景があるかもしれない。

 しかし、マヌーバーはポピュリストの常套手段であり、少なくともこれを選挙に際して用いることは、民主主義を破壊する行為に他ならない。選択された結果が内実と乖離してしまうからだ。選挙によって何が選択されたのか、誰が正しく判断できるだろう。そうした策略は、一時的に成功したとしても絶対に長続きすることはなく、その後の反動は目を覆うばかりのものとなるだろう。この間の日本の政治の劣化・反動化がそれを証明している。トロイの木馬だとかなんだとか裏でコソコソしないで、自分が正しいと思うことを真正面から主張し、行動しないと、きっと何処か知らないところへ連れて行かれるような気がするのである。

 私は個人の人間関係においても、政治においても最も大事なのは誠実さと信頼関係だと思っている。しかし策謀(マヌーバー)というのは誠実さや信頼の対極にあるものであり、こうしたやり方は一時はうまくいったとしても結局は信頼を失い対立や混乱を生みだす。

 しかも、今回の合流という策謀は明らかに失敗し、結果的に自民党を利する方向に向かってしまったようだ。それにも関わらず、民進党支持者や自由党支持者の中に策謀を評価したり容認している人が少なからずいることは驚きだ。

 前回の記事を書いてから、今回の策謀に似た事件があったことを思い出した。士幌高原道路建設をめぐり、自然保護団体が労組に乗っ取られそうになった事件だ。「SEALDs批判に思うこと」という記事に書いているが、主要部分を以下に再掲する。

 実は、私が関わっている十勝自然保護協会は、権力と結びついた人たちによって乗っ取られかけた過去がある。士幌高原道路(道々士幌然別湖線)の建設をめぐり、会の役員が容認派(柔軟派)と反対派に真っ二つに分かれて紛糾し、闘争ともいえる状況になったのである。

 士幌町から然別湖に抜ける士幌高原道路は、自然環境に大きな影響が懸念されるということで計画が凍結されていた。それが工事再開へと舵をきったのは1983年に横路孝弘氏が北海道知事になってからである。そして、横路知事は、士幌高原道路について「地元自然保護団体のコンセンサスを得ながら取り組む」と発言し、地元自然保護団体、すなわち十勝自然保護協会の意向が大きく注目されることになった。

 知事がこのような発言をしたのは裏があった。十勝自然保護協会の役員には横路知事を支持する地区労関係者が複数存在していた。そして彼らは労組関係者を密かに入会させていた。また当時の会長が、地元の士幌町民に対し「道路をつける」と言っていたという情報がもたらされたのだ。つまりは横路知事の支援者である労組が、水面下で地元自然保護団体を乗っ取ることで道路建設を認める方向で密かに動いていたのだ。

 しかし、当時の役員の約半数はこのような政治的関わりのない純粋な市民であり、道路建設による自然破壊を危惧していた。当然、労組関係者と会長の不穏な動きが役員会で追及されることになり、答えに窮した会長と労組関係の役員たちが役員会を退席して職務を放棄してしまった。こうして、水面下で道路容認に動いた役員たちは会から出ていったのである。彼らはその後もしばらくは十勝自然保護協会を名乗っていたが、やがて消滅した。

 知事を支持する労組が知事の意向を汲んで道路建設の容認に動いたのだが、そのやり方は地元の自然保護団体に組合員を入会させて乗っ取るという策謀だった。はじめは少しずつ入会させていたのだが、1992年の定期総会の直前の役員会には183人もの入会申し込み書が持ち込まれた。この大量入会については保留扱いになったが、総会当日には動員された入会希望者が詰めかけ、それまでは20人程度だった市民団体の総会に239人もが押し寄せ廊下まで溢れ出るという前代未聞の異常事態になり、動議も出されて紛糾した。

 結局、大量入会工作は失敗し、策謀を働いた会長や労組関係者は疑惑を追及されると職務放棄をして会から出て行った。十勝自然保護協会は純粋な草の根の自然保護団体として道路反対を貫き、全道の自然保護団体とも協力して道路建設を中止に追い込むことができた。

 仮に、乗っ取り工作が成功していたとしても、反対を貫く人たちは卑劣な策謀に屈せず新たな組織を立ち上げていたに違いない。希望の党への合流を拒否した民進党議員が立憲民主党を立ちあげたように。

 民進党の合流劇とは状況こそ違うが、保守(右派)による二大政党制という目的達成のために右派系の議員を少しずつ増やしていったり、政権交代のために希望の党を乗っ取ろうとするやり方はよく似ている。

 十勝自然保護協会の乗っ取り事件で私が最も驚いたのは、労組の言いなりになって入会を申し込む組合員たちの姿だった。主体性のかけらもない、民主主義とは程遠い全体主義に染まった人たちの集団に寒気がした。

 民進党の合流劇もこの点ではほとんど同じだ。前原氏の策謀に従って踏み絵を踏んだ議員たちを見て寒気がした。そうしないと公認が得られないという事情はあるかもしれないが、策謀に反対して民進党からの公認を主張したり前原代表を解任するという選択肢だってあったはずだ。それがダメでも枝野氏が立ちあげた立憲民主党に移るという選択もできた。「前原氏に騙された」「公認が必要」という言い訳は通用しない。

 市民団体の多くは策謀などには手を染めず地道に草の根の活動をしているが、こうした組織においてもしばしば内部紛争が起きる。紛争の大半は、一部の人が勝手な行動を起こすとかルールを守らないといったことに起因する。つまり、民主的な手続きを無視したときにもめ事がおきる。まして策謀などしようものなら対立、紛争は避けられない。民主的な組織運営には策謀などあってはならないし、それこそ民主主義の冒涜だと思う。

 空気を読んで自分が傷つかないように振る舞ったり、利益や保身を優先して忖度してしまう多くの日本人は全体主義の意識の中で生きているといっても過言ではない。市民団体の乗っ取り工作に加担した労組の組合員は多くの日本人の姿でもある。右も左も関係なく、民主主義が根づいていないのが日本という国なのだろう。全体、あるいは声の大きな者に従っていれば、自分は責任を取らずにすむと思っている。権力者にとってこのような国民を操るのは容易い。しかし、それに抗う人たちも必ずいる。個人が全体主義の意識から脱却し主体性を持たない限り、この国に民主主義は根付かないのだろう。

 ただし、個人が意識を変えるのは極めて難しい。こんな風に考えたくはないが、全体主義に染まった人たちは、どん底に落ちて生死の苦しみでも味わわない限り、主体性の大切さに気付かないのかもしれない。

 他人を変えることはできないから、せめて自分だけでも誠実さと信頼を大切にし、全体主義に陥ることのないよう主体性を持った生き方をしたいと思う。

【10月19日追記】
 士幌高原道路に関しては地元士幌町の役場と農協が「悲願」として推進運動を展開した。事業主体(北海道)による説明会などには送迎バスを仕立てて住民を動員し、質疑応答になると推進側の人物が何人も質問ではなく賛成意見を延々と述べる。そして反対意見を言う人たちにヤジと罵声を浴びせた。推進のためのイベントに送迎・弁当付きで住民を動員したという話しも聞いた。道路建設に批判的な町民に圧力がかけられることもあった。

 説明会で反対意見を述べた私はヤジと罵声を浴びせられ、個人情報も探られた。道路入口ゲートでの抗議行動の際には、公安警察にも見張られた。尾行されていると感じたこともあった。

 農業が基幹産業で農協の力が絶大な地方の町では農協の方針に逆らうことは困難なのか、訳も分からず動員された町民も少なからずいたように思う。推進派の人たちの言動は、国会で議論も尽くさず強行採決をする安倍政権とひたすら彼を擁護する自民党議員の姿に酷似する。動員されても無視するという選択肢だってあるのに、黙って動員に従う町民の姿は、大量入会の企てに乗った労組組合員の姿に重なる。
  


Posted by 松田まゆみ at 10:10Comments(0)政治・社会

2017年10月05日

希望の党の結成で暗黒時代がやってくる(追記あり)

 民進党の解党と希望の党への合流の報道には驚くと同時に、自分の認識の甘さを痛感した。

 今回の合流劇を裏で仕切っていたのは小沢一郎氏であることはほぼ間違いない。小沢氏は、近年は山本太郎氏と組んでかなり左派と協力的なイメージを作っていた。そして野党が結集して小選挙区で候補者を一本化し、比例代表では統一名簿をつくるという「オリーブの木」構想を提案していた。この共闘を民進党・自由党・社民党・共産党の野党共闘と捉えていた人も多かったのではなかろうか。しかし、小沢氏の考えていた野党共闘とは共産党を除いた保守政党による共闘だったのだ。今回の合流劇でそのことを思い知った。

 小沢氏といえば以前から新自由主義を支持してきた人だ。小選挙区制の導入にも関わっていたし、湾岸戦争のときには自衛隊の派遣を主張した。タカ派の人物だから私も警戒は解いていなかったが、山本太郎氏の活躍などで警戒がやや緩んでいたのも事実だろう。さらに陸山会事件での不可解な強制起訴と無罪判決で冤罪被害者というイメージも広がり、自由党支持者はそれなりにいたように思う。

 安倍首相の強権政治を倒すために、ここ数年は野党4党の共闘による政権交代が頭に刷り込まれていたけれど、以下の二つの記事にあるように、小沢氏がずっと狙っていたのは保守VS保守による政権交代であり二大政党制だ。

自民党VS希望の党、烏合(うごう)の衆による権力争い、「反自民」よりも「反共産」で結束・結党(MEDIA KOKUSYO)

小沢が前原や小池新党と組み、保守新党作りを画策。前原、涙ぐましいほどの小沢G擦り寄り(日本がアブナイ!)

 後者の記事に詳しく書かれているが、小沢氏はこの保守VS保守の二大政党制をつくるためにかなり前から考え方の近い前原氏に目をつけていたらしい。前原氏も記者会見で「(平成24年12月に)下野してから、ある方を通じて小沢先生とお会いするようになり、何回も何回も食事をしたり、色んな話をさせていただく中で、自民党の権力者であったことも踏まえて素晴らしいアドバイスを多々いただいたし、この間も(希望の党との合流について)中身は別にして色んなアドバイスをいただいてきたのは事実だ」と語っている(こちらの記事参照)。

 自民党が民主党から政権を奪回して以降、小沢氏と前原氏は政権交代に向けて話し合いを重ねてきたのだろう。二人の共通認識は、保守政党の共闘による政権交代だったわけだ。前原氏は民進党の代表選挙でも共産党との共闘を否定していたが、それはもちろん小池新党との合流を念頭に置いてのことだ。

 昨年、小池百合子氏が自民党を大差で破って都知事に当選。小沢氏は念願達成のために小池氏に新党結成を持ちかけ、民進党と自由党の合流を提案したというのが真相ではなかろうか。一連の流れから、この策謀を主導したのは小沢一郎氏としか考えられない。

 希望の党との合流に関して私がもっとも驚いたのは、前原氏が9月28日の両院議員総会で、民進党からは公認を擁立しないとか、希望の党との交渉は前原氏に一任するなどの条件を一方的に提案し、事後承諾を得るというやり方をとったことだ。合流そのものも党の人たちとの話し合いの中で決まった方針ではない。しかも、前原氏は事前に小沢、小池両氏と三人で話し合いを持っていたという。政権交代を旗印に、組織の代表がここまで裏で勝手に進めて仲間に事後承諾を取りつけるというやり方に驚きを禁じ得ない。これに関しては批判されるのも当然だと思う。

 結局、前原氏の説明した「候補予定者全員の公認」は反故にされ、大きな反感を買うことになった。民進党議員から「トロイの木馬」などという言葉まで飛び出してきている中で小池氏が警戒するのは当然で、小池氏によるリベラル排除は当然の成り行きだろう。10月2日、枝野幸男氏は民進党に離党届を出して立憲民主党の立ちあげを公表したが、このようなやり方をされた以上、これも当然の成り行きだと思う。

 民進党は民主党時代から内紛が絶えなかったが、左派から右派まで幅広い党員を抱えた党の末路は分裂しかないのだろう。枝野氏と小沢氏は犬猿の仲と言われていたが、枝野氏は小沢氏の目的や企てを察知して警戒していたに違いない。陸山会事件にしても、検察側の起訴に無理があったのは承知しているが、無罪判決が出たからといって小沢氏が何ら関わっていなかったと断定はできないし、グレーのままだと私は思っている。

 枝野氏の立憲民主党立ちあげで、ようやく保守政党を除いた野党共闘へと向かっている。今回の合流騒動で小沢氏と前原氏が策士であることがはっきりしたし、立憲民主党の結党で気分的にはすっきりした。しかし、総選挙に目を向ければ、行く手には暗雲が垂れこめている。

 すでに希望の党の方針が自民党とほとんど変わらないことが明確になってきたし、自民党も希望の党も互いに連携する可能性を否定していない。前原氏が合流の旗印とした政権交代など茶番でしかないことが早くも露呈してしまった。それでもマスコミは自民党と希望の党との闘いであるかのように騒いでいる。これにつられて希望の党に投票する人たちも一定程度いるだろう。

 希望の党がそれなりの議席を確保して野党第一党になれば、小沢氏や前原氏の念願であった保守による二大政党制になり、どちらが政権をとっても安定した保守政治が続く。どちらの党も改憲派だから、北朝鮮の脅威などを煽りたて、すぐにでも改憲に向かって動き出すだろう。希望の党がさほどの議席を獲得できなければ、自公と連立政権を組む可能性が高い。どちらに転んでも改憲、戦争参加へとまっしぐらであり地獄が待ちうけている。こういう流れをつくりだしたのが小沢一郎氏であることは忘れてはならないだろう。

 もっとも私は小沢氏を強く批判するつもりもない。小沢氏は自分の信念に従って行動しているだけなのだろうし、保守の二大政党制が彼の念願であったことは公言しているのだから、今回の合流劇は陰謀でも何でもない。むしろ、小沢氏の日頃の言動から今回の画策を見抜けなかったことの方が問題だ。

 前掲した「日本がアブナイ!」というサイトの「小沢が前原や小池新党と組み、保守新党作りを画策。前原、涙ぐましいほどの小沢G擦り寄り」という記事は民進党の代表選の前日である8月31日に書かれたものだ。著者の方はこの時点ですでに民進党と自由党が小池新党と一緒になって保守新党をつくることを見抜いていた。小沢氏や前原氏の言動からこれを見抜けず混乱した私の方がマヌケだったと言うほかない。

 こうなったら立憲民主党と共産党、社民党の共闘を支援していくしかない。そして急ごしらえの独裁的な希望の党が弱体化し消滅していくことを願うしかない。何しろ、今回の合流劇は前原氏が自分の目的達成のために小池氏の知名度や人気を利用しようと企てたわけだし、小池氏も民進党の右派議員と資金を利用しようとしたわけで、自分の利益のために相手を利用しようとして集まった人たちが互いに信頼し協力しあって上手くやっていけるかどうかは甚だ疑問だ。

 枝野氏は「希望の党の理念、政策は、私たちの政策とは違うものです。また、いまの政治状況としては保守とリベラルは対立概念ではないと考えています。今この国に必要な政治的な対立軸があるとするなら、トップダウンvsボトムアップ、一部の人たちの政治か草の根かという軸。私たちは後者の側に立つ」と語っている。これは民主主義の基本だが、この基本さえ守られていない組織は多い。共産党も基本的にはトップダウンの組織だ。どんな組織でもこの基本ができていないと独裁的になるが内部紛争になる。枝野氏がこれを強調したことは強く支持したい。

 今回の合流劇で感じたのは、人は何と騙されやすい生き物かということだ。国会には自分の利益のために国民を騙すことに長けた議員がひしめいている。国民が平気で人を利用したり騙すような人たちを見抜く目を持たない限り、簡単に独裁政権に支配されてしまう。日本が平和を保てるかどうかも、私たちが誠実で信頼できる政治家を見極めることができるかどうかで決まってくると思う。

【10月19日追記】
 小沢一郎氏が合流劇を主導したことについては以下の記事でも指摘されている。

小池劇場 振り付けは小沢自由党代表(Hunter)
それでも小沢一郎は「小池の出馬と首相就任」を諦めてはいない(現代ビジネス)

【11月5日追記】
 田中龍作氏の以下の記事も紹介しておきたい。
前原代表の「想定外」だった 野党大合併、頓挫の理由を明かす(田中龍作ジャーナル)
  


Posted by 松田まゆみ at 11:13Comments(4)政治・社会

2017年10月02日

「敏感で傷つきやすい人たち」を読んで実感した自分の過敏気質

 HSPという概念を知っている人はそれほど多くはないと思う。HSPとはHighly Sensitive Personの略語で、ユング派の心理学者であるエレイン・N・アーロン博士が提唱した概念だ。アーロン博士によると人口のおよそ2割が感受性の高いHSPであり、この過敏な性質は生得的なものだという。私もこHSPについて知ったのは3年ほど前のことだ。HSPかどうかを調べるには診断テストがある。私はアーロン博士版ではHSPかどうかぎりぎりの点数になるのだが、イルセ・サン版だと明らかにHSPとなる。

 先日、岡田尊司著「敏感で傷つきやすい人たち」(幻冬舎新書)を読んだのだが、この本を読んで、改めて自分がHSPであることを実感した。岡田氏はご自身がHSPでもある精神科医だ。

 本書では過敏性についての分析やメカニズムなどの解説にかなりのページが割かれている。本書には独自の過敏性チェックリストがあり、これによって過敏性のタイプを知ることができる。このチェックテスト(過敏性プロファイル)では感覚過敏、馴化抵抗、愛着不安、心の傷、身体化、妄想傾向、回避傾向、低登録の8つのチェック項目を挙げている。これらについてチェックしていくことで過敏性の傾向や程度が分かるのだが、具体的なことは本書に譲りたい。

 岡田氏によると、過敏には神経学的過敏症と心理社会的過敏症があるという。前者は遺伝的要因や生得的要因が強いと考えられ、後者は養育要因や社会的体験などが強く影響していると考えられている。私の場合は、神経学的過敏症が強いようだ。つまり、アーロン博士のいう遺伝的な要因によるHSPと言っていいだろう。

 過敏な人にとってもっとも重要なのは、過敏な自分とどのように向き合っていくかということになるが、その対処法が終わりの第7章「過敏な人の適応戦略」と第8章「過敏性を克服する」で紹介されている。

 岡田氏は「その人を縛っているものは、思考や行動のパターン、価値観や認知の偏りとなってその人に組みこまれた無意識的で自動的なものなので、その歪みは自覚されにくい」という。これを自覚し、自分の弱い点や悪い点に目を向け、無意識の縛りから自由になれれば自分で幸福を手に入れることができる。

 具体的には、肯定的認知を高めるためのエクササイズをする、他人に親切にする、感謝をする、二分法的認知(全か無かの両極端な認知)を克服するなど。ただし、激しい怒りや憎しみに捉われているなどして肯定的な認知自体を受け付けないような人は、第三者的な目で自分を見られるようになる必要があるという。マインドフルネスなどにも言及している。さらに、安全基地の機能を高めることの重要性を説いている。そして、最後に、「依存も自立も必要」だと主張する。

 こうした対処法は、過敏性への対処に限らず多くの精神科医や心理士などが提唱していることと共通する。

 たとえばアドラー心理学に置き換えるなら、子どもの頃に自ら選びとったライフスタイルを自分で選び直すということに他ならない。そのために必要なのは、欠点も含めた自分自身を認めるという自己受容だ。「親切にする」というのは他者貢献であり他者信頼でもある。「安全基地」は所属感、共同体感覚に通じる。「依存も自立も必要」という主張は、言いかえれば自分一人ではできないことは助け合うということだ。細かい点では違っていても、ありのままの自分を認め、自分を変えることで問題を克服でき幸福になれるという考え方は同じだ。

 結局、不平不満ばかり言ってその原因をすべて他人や環境のせいにし、頑として自分を変えようとしない人は穏やかで幸福な人生を生きることはできない。それはHSPであれ、非HSPであれ同じだが、とりわけ敏感な体質の人はその感受性の高さゆえ、不安神経症になりやすかったり体調を崩しやすく「生きづらさ」を感じやすいということになるのだろう。

 私自身、子どもの頃のことを思い出してみると内向的で引っ込み思案であり、一人で本を読んだり趣味の世界に没頭したりするのが好きで、典型的なHSPだった。小学校から高校まで個を尊重しないで競争ばかりさせる学校は一貫して嫌いだった。よくお腹を壊したり便秘をしたりとお腹の調子も安定せず、大人になってからは過敏性腸症候群になった。また、こちらにも書いたが化学物質過敏症だ。

 私の母も典型的なHSPだ。父はそれほどではないと思っていたのだが、文学や音楽、芸術を好み(若い頃はイラストなども描いていた)、山歩きが好きだった父もHSPだったのではないかと思い当たった。定年前に退職したのも、その気質と関係していたのかもしれない。

 自分がHSPだとはっきり自覚することで、自分が動揺してしまうことでも周りの人たちが平然としていられる理由が理解できるようになった。旅行先で寝付けなかったり、大勢での集まりのあとなど神経が高ぶって眠れないのが常だったのもHSP気質が関係していたのだ。今も大勢での宴会は好まないし、登山や旅行なども少人数や一人でしか行きたいとは思わない。

 多くのHSPは「生きづらさ」を抱えているというが、感受性の高さゆえに他人からのちょっとした一言に傷つきやすいのだ。そして他人に傷つけられることを恐れて自己主張をせずに他者に合わせたりする傾向が強まり、それがさらに生きづらさを生んでしまうことになるのだろう。

 私も振り返れば嫌なことや辛いことはいろいろあった。ただ、私はそれが原因で自分が不幸だと思ったことはないし、さほど「生きづらい」と感じた記憶はない。そもそも「生きづらい」という言葉が今一つピンとこない。賃金格差や苛酷な労働などで辛いなら、それは社会システムの問題なので個人に内在する「生きづらさ」とは分けて考えるべきだろうし、ストレスによる苦痛なら自分で何とかするしかない。

 たぶん子どもの頃から自分の過敏性を当たり前のものとして受け入れつつ、自分の世界をマイペースで楽しんできたことが大きいのだと思う。他人の顔色を窺ったり他人と比べるというのが大嫌いで、自分の意見を言うことで他者から嫌われることは厭わない。子どもの頃から「人はみな対等」と思ってきたし、自分の良心にしたがって自然体で過ごすような生き方をしてきたつもりだ。

 世の中の5人に1人がHSPであるなら少数派ではあってもかなりの人が過敏な体質ということになる。とりわけ昨今のように競争が激化し、格差が大きくなればなるほど過敏な人たちは影響を受けやすい。とは言うものの、過敏性を抱えながらも他者に振り回されず自分らしく生きている人も大勢いるし、過敏だから不幸だというようなことは決してない。

 人生も残り少なくなってきたが、不平不満を言わず、感謝の気持ちを忘れずにマイペースで自分のできることをしていきたいと思う。
     


Posted by 松田まゆみ at 22:26Comments(0)雑記帳