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2018年03月27日

疑惑が深まっただけの佐川氏証人喚問

 今日は森友学園問題で決算文書改ざんを指示したとされる佐川宜寿前国税庁長官の証人喚問だった。この喚問でのやりとりについてはニュースにもなっているので具体的に言及するつもりはないが、印象を記しておきたい。

 佐川氏がこの証人喚問に対してどう出るかは多くの人が注目していたし、真実を話すことで自分だけに責任を押し付けるような政権側のやり方に反撃するのではないかという期待を抱いていた人も多かったのではないかと思う。

 佐川氏は証人喚問の冒頭から「刑事訴追の恐れがあるので答弁を差し控えさせていただく」という予想された答弁拒否の発言をした。この瞬間に、佐川氏は官邸を守る決断をした、すなわち事実を包み隠さず話すという選択はしなかったと直感した。

 そして案の定、決算文書改ざんに関わる質問に関しては答弁拒否を繰り返した。そればかりではない。刑事訴追とは何ら関係のない「昨年2月の国会答弁は改ざん前の文書を基にしたか」「昭恵夫人の名前が決算文書にあったのを見たときにどう思ったのか」といった質問にまで「刑事訴追・・・」を理由にシラを切った。

 都合が悪いと思える質問に対しては答弁拒否あるいははぐらかしの答弁をする。しかし、官房や官邸などからの指示や圧力、あるいは関与などはあったのかという質問に関しては明確に否定。昭恵夫人の影響についても否定。不自然極まりない答弁を貫いた。

 想定される質問を網羅しどのような答弁をするのかあるいは答弁拒否するのか、弁護士と綿密な打ち合わせをして頭に叩き込んだ、そんなことを連想させる答弁だった。しかし、人というのは心の動揺まで隠せるものではない。早口になって言い訳をする姿に、「正直に答えている」という印象を持った人はまずいないだろう。疑惑を追及されると関係のないことを長々としゃべり続けて論点をそらす安倍首相の答弁に通じるものがある。

 昨年行われた籠池氏の証人喚問では、部分的に「刑事訴追の恐れ」を理由にした証言拒否はあったものの全体として不自然さはなく、矛盾を感じるようなこともなかった。それに比べ、今日の佐川氏の証人喚問はあきらかに不自然であり、無理をして誤魔化しているのは明白だった。疑惑が解明されるどころか、疑惑が深まるばかりの答弁だ。結局、事実をそのまま話さないという選択をしたなら、こうならざるを得ない。彼は恐らく良心の呵責を覚えながらも官邸を守る選択をしたのであり、それは間違いなく自分の目先の利益を守る選択だったのだろう。

 官邸を守る答弁をしたなら見返りがあるのに対し、官邸を裏切るような答弁をしたならこのあとさまざまな制裁が待ち構えている。佐川氏はそのことを一番よく分かっているに違いない。官邸に有利な発言を貫けば、偽証罪に問われることはないと踏んでいるのだろう。

 人は窮地に陥ったときに自分の身を守ろうとする。ただし、良心に従って真実を話すことが自分の身を守ることだと考える人と、目前の損得を秤にかけて得をとることが身を守ることだと考える人がいる。佐川氏は後者を選んだということだろう。

 佐川氏が国会において虚偽の答弁をし、決算文書の改ざんという指示をしたことはほぼ間違いない。このときも損得を秤にかけて身を守るという選択をした。そうした思考をする人が、証人喚問に場において考えを180度改め、良心に従って事実を話すという大転換をすることは並大抵のことではない。圧力をはねのけ証人喚問で包み隠さず事実を話せるような勇気のある人は、そもそも虚偽答弁や改ざん指示などといった国会や国民を裏切る行為はできない気がする。

 しかし、本当にその選択で良かったのだろうか。恐らく、今日の佐川氏の答弁に基づいて安倍政権は「官邸も昭恵夫人も関与していないことが明らかになった」としてこれ以上の証人喚問を拒否するに違いない。しかし、それでこの問題が収まるとはとても思えない。なぜなら、今日の答弁からは「なぜ決算文書の改ざんをしたのか」という核心部分は一切分からなかったからだ。これで野党の追及が収まるわけがない。佐川氏の答弁に納得できない者からの内部告発もあるかもしれない。加計学園に関しても公文書の偽造疑惑が指摘されているから、遅かれ早かれ加計問題にも飛び火するだろう。

 仮に、なぜ改ざんがなされたのか真相が分からないまま幕引きがなされたとして、佐川氏が人並みの良心を持ち合わせているのなら、一生、知っていることをありのまま話さなかったことに苛まれるのではなかろうか。しかも今日の答弁は多くの国民の期待や信頼を裏切った。つまり精神的苦悩を抱え込むことになるだろう。佐川氏は判断を誤った、私にはそう思えてならない。
  


Posted by 松田まゆみ at 22:06Comments(0)政治・社会

2018年03月12日

原発事故から7年、日本は危機的状況から脱することができるのか


 東日本大震災と福島第一原発の事故が起きてから丸7年が過ぎたが、「現代ビジネス」に興味深い記事が掲載されていた。

福島原発事故から7年、復興政策に「異様な変化」が起きている

この国はもう復興を諦めた? 政府文書から見えてくる「福島の未来」

 原発事故からの復興を利用した、安倍政権の「騙し」の手法、そして官僚の権力へのへつらいがひしひしと感じられるのだが、この無責任な政治や行政の根源はどこにあるのか? 筆者の山下氏は国の無責任化は「二大政党制」と「政治主導」ではじまったと言う。

 二大政党制を目的に導入された小選挙区制が民意を蔑にし、内閣人事局の創設で官僚の人事権を握って政治主導を手にした安倍政権が、今の末期的ともいえる騙し体質、無責任体質を生んでいるのは確かだと思う。

 森友学園をめぐって公文書の改ざんがあったことが明確になってきたが、こうした国民を欺く政権を解体させ、無責任体質を根本から変えねば、この国はまっとうな民主主義国家になれそうにない。原発事故からの復興政策も森友文書改ざん事件も、みんなつながっている。

 原発事故から7年経って私が何よりも懸念するのは、日本が再び大地震や大津波などの自然災害に襲われるのではないかということだ。御岳山が噴火し、草津白根山が噴火し、つい先日は九州の新燃岳が噴火した。火山活動が活発化しているということは、プレートに圧力がかかっているということだ。東日本大震災の直前にも新燃岳が噴火している。いつ再び大地震がおきてもおかしくないのに、国は原発事故を過小評価し、再稼働に血道を上げている。

 日本は政治においても自然災害に端を発する原発事故においても、ほんとうに危機的な状況に置かれている。
  

Posted by 松田まゆみ at 15:33Comments(0)政治・社会

2018年03月11日

菅野完氏のツイートをリツイートすることが性暴力加害者を擁護することになるのか?

 昨日、ツイッターで菅野完氏と山崎雅弘氏の応報を見かけた。私は両氏をフォローしている。彼らのやりとりはどっちもどっちという感があるが、その応報の中で山崎氏が以下のツイートをリツイートしているのが目にとまった。

https://twitter.com/tchiezinha/status/972260286118879233
(なぜかツイートの埋め込みができないので、URLを貼っておく)

 ここにリンクされている菅野完をRTしながら#metooという人に、言いたいこと。という記事を読んでみたが、これについて私の意見を書いておきたい。

 まず前提として言っておくが、私は菅野完氏によるセクハラ(女性の自宅で女性に抱きついたあるいは押し倒したという事件。性暴力と言われているが、犯罪ではないのでセクハラと表現する)は明らかに人権侵害であり、やってはならないという立場だ。この点において彼を擁護する気はさらさらない。

 また菅野氏のツイッターでの暴言もまったく支持しないし、不快としか思わない。暴言によってツイッターを凍結されても擁護する気は毛頭ない(もっともツイッター社の凍結の判断が公平さを欠いているという認識はある)。もちろん菅野氏の暴言や他者を見下すツイートはリツイートしない。

 しかし、菅野氏のツイートをリツイートすることが彼を擁護することになるのか? 性暴力にノ―と言うなら彼のツイートをリツイートするな、などと言えるのか?

 山口敬之氏の犯した性暴力はどう考えてもレイプであり犯罪に該当する。自力で歩けない女性を無理やりホテルに連れ込み、意識を失っているのに性行為。極めて重大な性暴力だ。しかも、その犯罪を権力をつかって握りつぶした疑いがもたれている。そして、不起訴になったからと開き直り、言い訳ばかりして謝罪も反省もない。

 では菅野氏はどうか。菅野氏と被害者の間で事実関係について争いはなかった。菅野氏は加害行為を認めて謝罪し、示談交渉で被害者からの200万円の慰謝料要求も受け入れた。しかし被害者は言論活動の制限(ツイッターのアカウント停止等)にこだわって示談を蹴り裁判を起こした。さらに裁判での和解交渉も蹴った。私には、自分の性的被害を理由に言論活動の制限まで要求することの方が非常識だと思えてならない。被害者が加害者のツイートを見たくなければ、ブロックすれば済むはなしだろう。

 この裁判は高裁まで争って今年の2月8日に終結している。菅野氏は判決に従って110万円の慰謝料を支払っていると判断できる。民事訴訟で不法行為を認定されたものの、刑事事件にはなっておらず犯罪とは言えない。一方で、菅野氏によるセクハラは週刊金曜日やマスコミによって報じられ、菅野氏は社会的制裁も受けた。菅野氏は判決を受け入れて責任をとり、社会的制裁も受けてこの問題は決着がついている。セクハラをしたという事実は消えないが、自己保身のために事実をねじ曲げたり責任回避をしたわけではない。

 菅野氏の民事訴訟に関しては昨年以下の記事を書いたので参照していただきたいが、私は被害者の行動に不可解さを強く感じている。

菅野氏の民事訴訟について思うこと

 山口氏と菅野氏では、加害の内容(軽重)も全く異なるし、自分の罪を認めて責任をとるという態度においても大きな違いがある。山口氏の他にもセクハラ疑惑があるジャーナリストが複数いる。彼らに共通しているのは、自分の非を認めようとしなかったり、言い訳をしたり、責任をとろうとしないで逃げ回っているということだ。罪を犯したこともさることながら、この無責任さこそ人間性を露わしているのではないかと私は思えてならない。

 私は、このようなジャーナリストがまっとうな意見を言っていても、それを紹介する気にはなれない。性暴力加害者だとか犯罪者だからという理由で言論を封じることはあってはならないが、人権侵害をして反省もしなければ責任もとらない人が人権を語る資格はないし、言論人としての適性を欠くとしか思えないからだ。

 私も若い頃に顔見知りの男性からいきなり抱きつかれたことがある。電車での性的被害は何度もあっている。「#me too」と言う立場にある。性暴力を受けた女性自衛官の裁判を傍聴したこともあるし、性暴力の重さも理解しているつもりだ。しかし、加害行為と言論の自由(リツイートも含む)は別問題であり、両者を結びつけて加害者擁護だという主張には首を傾げざるを得ない。

 人は完全ではない。誰もが罪を犯し得るし、人権侵害を犯してしまうこともあり得る(もちろん自制できないのは人間性の問題ではあるが)。そんなときに自分の非を認めて責任をとることこそ大きな勇気がいるし、人として誠実か否かが試される。それができる人とできない人を区別することなく、また加害の軽重も考慮せず、山口氏と菅野氏を「性暴力加害者」とひとくくりにし、言論と加害の問題を単純に結びつけてしまうような意見にはどうしても賛同できない。

  

Posted by 松田まゆみ at 15:49Comments(0)雑記帳

2018年03月08日

歴史に残る森友学園をめぐる腐敗政治

 森友学園問題が発覚してから一年余。安倍首相は2017年2月17日に「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と発言した。その後、安倍夫妻の関与を疑わせる証言、文書、録音記録などが次々に公表されたが、籠池夫妻を長期拘留して口封じをした上、丁寧な説明はいっさいせずに誤魔化してきた。

 そして問題発覚から一年たって出てきたのが3月2日に朝日新聞が報じた公文書改ざん疑惑。改ざんされたとされる文書は、2015年から16年に森友学園と土地取引をした際に近畿財務局の管財部門が局内の決済を受けるために作成した文書。「本件の特殊性に鑑み」「学園に価格提示を行う」などの表現が削除された改ざん文書が国会議員に開示されていたというのだから、事実なら国会も国民も愚弄したことになる。

 そして、今日は毎日新聞が朝日の後を追って改ざん疑惑を報じた。毎日新聞の場合は昨年9月に情報公開で開示請求した文書(財務局が学園に売却額の予定価格を通知した際の決裁文書)と昨年5月に国会に提出した同文書が異なっていることから、改ざんされた疑いがあるというもの。

森友文書 別文書に「特殊性」の表現 国会開示にはなし

 森友学園問題は発端こそ国有地の不可解な値引き問題だったが、疑惑追及の中で分かってきたのが安倍夫妻の関与。この一年間に公表されたさまざまな状況証拠からも、国有地の取引において安倍夫妻が関与していたと考えざるを得ない。要は加計学園問題と共に、首相夫妻が政治を私物化していたという疑惑。それを隠すことに必死になった挙句、公文書の改ざんという犯罪行為にまで手を染めてしまったなら愚劣極まる。

 多数の資料や録音という証拠があるにも関わらず、安倍首相が一年もの間のらりくらりと追及をかわしてこられたのは、2014年に設置した「内閣人事局」のおかげだろう。内閣人事局によって安倍首相に従う官僚ばかりが登用されるようになった。官僚はアメとムチによってコントロールされ、逆らうことがほぼ許されない体制を作り上げた。事実上の独裁だ。

 安倍首相は自分でつくりあげた恐怖体制によって、何でもまかり通ると思い上がってしまったようだ。しかも、今回の公文書改ざんは事実なら犯罪に該当する。改ざんを認めたらタダでは済まないことは十分理解している。しかし、これまで同様、シラを切り続けてもとりまきが自分を守ってくれると信じているのだろう。恐ろしいのはこの独裁政権が検察まで牛耳っていることだ。

 改ざん問題が今後どのようなことになるのか予測がつかないが、どうしても逃れられなくなったら、改ざんに関わった人物を処分して幕引きを図るつもりではなかろうか。恐怖体制を利用して徹底的にシラを切って逃げ切るというのが安倍政権のやり方だ。しかし、果たして朝日新聞と毎日新聞の2社が改ざん疑惑を報じた今度ばかりは、逃れきれるだろうか?

 これまで生きてきて、ここまで国会と国民を愚弄する政権は記憶にないし、保身のためにこういう首相に媚びへつらって恥じない取り巻きに怒りしか湧いてこない。彼らは、恥というもののかけらも持ち合わせていないのだろうか。

 このまま安倍政権が生き残るようなら、この国は間違いなく腐敗した独裁国家だ。後に、森友事件は戦後最大の政治の腐敗として歴史に残るだろう。
  
タグ :森友学園


Posted by 松田まゆみ at 17:16Comments(2)政治・社会