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鬼蜘蛛の網の片隅から › 2018年05月06日

2018年05月06日

復讐という不幸

 以下は5月4日にツイッターでつぶやいたツイート。

コメント欄で他者とのやりとりができるブログも含め、SNSをやるようになってから驚くほど復讐心が強くかつ執念深い人がいることを知った。もう2年以上も特定の人の悪口やデマを言いふらしている人がいる。相手を貶めることで自分の優位性を誇示したいのだろうけれど、哀れにしか見えない。


他人を罵り悪口を言い続けなければ気が済まない人は、第三者からは異様なクレーマーであり偏執病(パラノイア)にしか見えない。ところが本人はそれが善だと思っており、優越感に浸り粋がっているのだろう。だから自分の性格の問題であることすら認識できない。実にお気の毒なことだ。

https://twitter.com/onigumoobasan/status/992263471717744641

 このツイートについて、もう少し具体的に説明しておきたい。

 私がブログを始めたのは2007年の5月からだから、もう10年もブログを書いていることになる。ブログでは自然に関することなどのほか環境問題や社会問題にも言及してきたし、不可解に思うことに関しては批判も含め率直な意見を書いてきた。原発事故が起きた2011年からは情報収集のためにツイッターも始めた。しかし、インターネットで自分の意見を表明すれば、必ずといっていいくらい「言いがかり」をつけてくる人がいる。

 意見が異なるのなら「自分はこう考える」と反論すればいいだけなのに、論理的に説明をすることなく誹謗中傷したり個人情報を晒す人がいる。説明を求めたり反論したことを「攻撃」と称し、「自分は攻撃された被害者」だと主張して法的手段をちらつかせて恫喝する人もいる。もちろん、いくら待っても内容証明郵便や訴状が来ることはなく、黙らせるための脅しにすぎない。要は、批判的意見を書いたことに対する逆恨みだ。

 ある自費出版社に対して不可解な訴訟を起こし和解したにも関わらず、ブログで延々とその出版社の批判を書いている人もいる。その執念深さには呆れてしまうが、その人の目的はトラブルを解決することではなく出版社の落ち度を晒すことで優越感に浸ることなのだと考えれば納得がいく。公益目的の批判を通り越したモンスタークレーマーだ。

 ツイッターでも恨みから報復ツイートをしている人がいる。ツイッターで嫌がらせをされたり批判的なことを言われた人が、エアリプで(といっても誰のことを言っているのかだいたい分かってしまうのだが)悪口や揶揄、侮辱発言による仕返しを延々としているのに気づいて辟易とした。エアリプなら名誉毀損にならないと思っているのだろうけれど、他人の悪口を言って粋がっているのは本人だけで、第三者が見たら執拗なクレーマーでしかない。

 この10年間、ネットで「やられたからやり返す」という人を嫌というほど見てきた。そういう復讐心の強い人の中には驚くほど執念深い人も少なくない。世の中には憎しみから復讐をしないと気が済まない人が一定程度いることを実感した。

 誰もが言いがかりをつけられたり嘘を振りまかれたり誹謗中傷されたら不快になり腹を立てるものだし、私もそういう感情を抱くことはある。しかし、言いがかりをつけたり誹謗中傷をしたわけでもなく、批判的な意見や感想を書いただけなのに怒りを露わにして復讐する人がいるのには驚いた。私は批判されたら反論をすることはあるが、相手を憎むとか恨むということはないし、仕返しをしようとも思わない。そんなことをしたって自分と相手の間に横たわる問題は何一つ解決しないばかりか、よりいっそう険悪になるからだ。

 大人になっても仕返しをしなければ気が済まない人は、「憎しみはさらなる憎しみや苦しみしか生まず何の解決にもならない」ということを今までの人生で学んで来なかったのだろと思う。

 自分を傷つけた人、嫌いな人を痛めつければその時は恨みが晴らせたという満足感で気分がスッキリするのかもしれない。相手をけちょんけちょんにやっつけることができれば「自分こそ正しい」という優越感に浸ることができる。あるいは「自分は被害者」だと主張することで相手の加害性を強調でき、「相手は悪いやつだ」と印象づけることができる。でも、復讐による爽快な気分が長く続くことはないと思う。

 なぜなら、復讐というのは「自分がやられたくない」と思うことを相手に対して実行することだからだ。これはものすごくネガティブな感情であり行動だ。他人の個人情報を晒して嫌がらせをしていた人が、自分の個人情報を晒されて怒り狂っているという状況を何度か目撃したことがあるが、それが復讐の本質だ。

 しかも復讐には名誉毀損や侮辱、プライバシー侵害、脅迫など違法行為や不法行為がつきまとう。なぜなら真摯な議論をしたのでは相手を痛めつけることができないからだ。したがって相手の社会的評価を低下させるために違法行為や不法行為に走ることになる(事実の適示であっても相手の社会的評価を低下させれば名誉毀損になる)。ネガティブな感情を持ち続けたり違法行為や不法行為に手をそめたなら、穏やかで幸せな気持ちでいられるわけがない(もし復讐が快楽だという人がいるなら、それは良心が欠落したサイコパスだろう)。場合によっては、相手からの反撃に怯えることにもなりかねない。

 報復感情が強すぎると、被害妄想に陥ってしまうこともある。前述したように私は反論したり批判的意見を述べることはあっても恨みから復讐をすることはない。ところが復讐心に満ちた人は決して冷静な議論をしようとせず、反論や批判的意見を「攻撃」だとか「恨み」だと決めつけて「自分は被害者」だと主張する。こうなると被害妄想の域に達していて話し合いの余地がない。いわゆる偏執病(パラノイア)と言われる人たちは、そんな心理状態に陥ってしまった人ではないかと私は思っている。

 復讐をするということは、穏やかで幸せな気持ちを手放すこととイコールなのだと思う。復讐をされた人は当然のことながら不快になり相手を信頼しなくなるし、互いに復讐心が強ければ報復合戦という地獄になりかねない。復讐などしたところでいいことは何一つないが、偏執病の域に達してしまうとそこから抜け出すのは容易ではないのだろう。何しろ自分を傷つける相手を懲らしめるのは善だと思ってしまうのだから。

 そういう人に限って「復讐」という行為が自分の不幸を招いていることを理解できず、自分にまとわりつく不幸や息苦しさは相手のせいだと更なる勘違いをして攻撃を止めようとしない。復讐をしないと自分がやられっぱなしになるのではないかと不安になり、復讐を手放すことができなくなる。憎しみを手放せば楽になれるのにと思うけれど、第三者がそんなことを言っても虚栄心の強い人はまず聞く耳を持たない。復讐をする人は自分で自分を不幸にしているのに復讐を止められないのだから、哀れであり気の毒と言うしかない。

 ネットで意見を言う以上、嫌がらせや報復はつきものなのかもしれない。しかし、そんなことにいちいち腹を立てて報復するのは自分を不幸にすることでしかない。納得できない意見には論理的に反論し、嘘をふりまかれたら嘘であると指摘するのは正当な行為だと思うが、そのような正当な主張を超えて相手を貶める「復讐」という手段を選択したら最後、不幸のループにはまるだけだ。

 トラブルになったなら、対話しか平和的な解決はない。報復のために相手の粗探しなどを始めたなら地獄の始まりだ。ネガティブな気持ちにならないためにも、私は復讐心が強い人のツイッターやブログは基本的に見ないようにしているし、エゴサーチもしない。

 菅野完さんの件では被害者の女性の復讐心に関して批判的な記事を書いたが、それも上記のような理由からだ。報復行為が周囲の人まで巻き込んで不幸を拡大してしまった事例だ。

 最後に参考までにこちらのサイトを紹介しておきたい。

復讐したいと思ったら読んで!傷つけられた時のブッダの思考
  
タグ :復讐報復


Posted by 松田まゆみ at 10:54Comments(0)雑記帳