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鬼蜘蛛の網の片隅から › 2018年07月11日

2018年07月11日

集中豪雨による人的被害は防げる

 今回の西日本豪雨災害がいかに広範囲でしかも大きな被害をもたらしたか、その全容が明らかになりつつある。人的被害も大きいが、家屋の浸水被害のほか交通網や水道、電気などといったライフラインの被害もかなり大きいようだ。

 近年は異常気象による水害が毎年のように起きている。その度に避難の体制は万全だったのだろうかと思わざるをえない。大雨による災害は避難さえ徹底できれば命を落とすことはほとんどないと思うからだ。

 3.11の大津波のとき、私は家も田畑も何もかも飲み込まれていくあの映像を見て「あれだけ揺れたのだから、きっと避難しているに違いない・・・」と心の中で祈っていたけれど、信じがたいほど多くの犠牲者が出てしまった。その後も日本列島は熊本地震や集中豪雨に襲われて何人もの方が亡くなっている。災害大国であり、あれだけの被害を経験しながらなぜ避難が徹底できないのだろうか。

 日本の河川では、100年に1度とか数百年に1度くらいの大雨を想定してダムや堤防などの整備がなされている。しかし、それ以上の雨が降った場合はダムや堤防では対応できない。つまりダムや堤防で洪水を防ぐのは限界がある。限度を超えてしまえば堤防から水が溢れたり決壊するのだから、想定を超える雨が降る恐れがあれば避難するしかない。

 とりわけ川の流量を一気に増大させるのがダムからの放流だ。想定外の大雨によってダムが満水になると堤体を守るために放流せざるを得ない。ダムからの放流は鉄砲水となって流れ下り河畔林をなぎ倒して大量の流木を発生させる。大雨で普段より水かさが増している川にダムからの放流が加わったら、下流はとんでもない量の水と流木が押し寄せることになる。支流にいくつものダムがあるような河川の場合、それらが一斉に放流したなら、下流部の水かさは一気に増える。こうなると堤防から水が溢れるのは時間の問題だ。水が堤防から溢れると、そこから堤防が抉られて決壊につながることが多い。

 氾濫する場所の多くは過去にも水害を起こしている。とりわけ川の合流点は氾濫が起きやすい。本流の水位が上昇すると支流の水が飲み込めなくなり、本流から支流に水が逆流することもある。内水氾濫だ。今回大きな被害を出した倉敷市の真備町も、高梁川と小田川の合流点だ。そして、今回の浸水域とハザードマップの浸水域はほぼ重なっていたという。これは洪水被害が想定されていたということに他ならない。

 過去に内水氾濫が起きている場所でも、洪水経験のない住民たちは内水氾濫のことを知らない。ダムの放流が洪水被害を増大させることも知らない。ダム建設を推進してきた国や地方自治体などは放流の危険性についてほとんど口にしない。「ダムや堤防があるから洪水は防げる」という安全神話ばかりが吹聴され、危険性が住民に周知されていないのだ。原発とよく似ている。

 今は気象庁が雨雲の動きを公開していて大雨の予測は可能だ。大きな川には水量計が設置され、監視カメラもある。ダムにももちろん水位計があり、放流量も分かる。また、自治体は浸水や土砂崩れなどのハザードマップを作成している。今回の場合、気象庁は5日の午後2時に記者会見を開き記録的大雨になるとして警戒を呼び掛けた。こうした情報を活かして早め早めの避難を行っていたなら、これほどの人的被害は出なかったはずだ。

 自治体は日頃から住民にハザードマップを配布して注意を呼び掛け、危険が増したときにはどこに避難するのかを周知させる必要がある。河川管理者は川の水量やダムの放流量、それに伴う危険性を自治体に速やかに知らせ、自治体はあらゆる手段をつかって避難をよびかける必要がある。特に大雨が夜に及ぶ場合は早め早めの避難が欠かせない。さらに、一人暮らしの高齢者や体の不自由な方などを日頃から把握して避難の援助をする体制をつくっておかなければ弱者が取り残される。学校、病院、老人ホームなどの施設でも、避難の体制を整えておく必要がある。こうした体制づくりはそれほど大変なことだとは思えない。

 今回の災害に関しては救助や支援物資の輸送も遅いという印象を免れない。災害の発生が分かった時点ですぐにでも自衛隊が出動できるようにすることも、難しいことだとは思えない。今回は5日の日中に気象庁が警告していたのに、5日夜に安倍首相をはじめとした首脳陣は宴会をしていた。6日には各地で甚大な被害が出ていたが、非常災害対策本部を立ちあげたのは8日になってからだ。7日時点で救助などに活動に当たっていた自衛隊員は600人程度であり、21000人は待機していただけだったという(こちら参照)。国は危機管理や人命救助の意識が欠落しているというほかない。

 今回のように広範囲にわたって大きな被害が出た場合は、復旧にも時間がかかるし、ライフラインの寸断で住民の生活に大きな支障がでる。長引く避難生活で体調を崩す人も出るだろう。被災者への対策も欠かせない。これらは東日本大震災や熊本地震でも経験済みだ。地震活動も火山活動も活発になっており、日本はいつ再び大地震や大津波に襲われてもおかしくないというのに、いったいこの国はこれまでの災害から何を学んでいるのだろうか?

 このような水害が起きるとすぐに堤防のかさ上げや強化、河畔林の伐採や川底の掘削といった土木工事で対応しようとする。しかし堤防と堤防の間に水を抑え込む治水に限界があるから水害が起きるのだ。想定を超える大雨の場合は堤防から水が溢れることを前提にした対策を考えるしかない。

 今のような土木技術がなかった頃は、人は洪水を受け入れて生活をしていた。つまり河川と人の生活域を堤防で分離するのではなく、洪水が起きやすいところは遊水池や農地にするなどして共存してきたのだ。人が水をコントロールしようとすればするほど、それがうまくいかなかったときの被害は大きくなる。自然に大きく逆らうことなく暮らしていた昔の人たちの知恵こそ、私たちは学ばねばならないのではないかと思う。
  

Posted by 松田まゆみ at 23:03Comments(4)河川・ダム