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鬼蜘蛛の網の片隅から › 2018年10月29日

2018年10月29日

自己責任バッシングは政権擁護のための責任転嫁

 シリアで反政府勢力に拘束されていた安田純平さんが解放され帰国したことで、ネットでは自己責任論をふりかざしたバッシングが吹き荒れている。高遠菜穂子さんら3人がイラクで拘束されたとき以来、このような事件があると自己責任論が跋扈する。

 では、自己責任とは何なのか? コトバンク(デジタル大辞泉)では以下のように説明されている。

1 自分の行動の責任は自分にあること。「投資は自己責任で行うのが原則だ」
2 自己の過失についてのみ責任を負うこと。

 自分が選択したことの結果責任は自分で負うということであり、リスクも引き受けるということだ。人は生きていくうえで常に選択をしている。日常的なことはもちろんのこと、進学や就職、結婚といったことも自分で選択しなければならない。病気になれば治療についての選択も基本的には本人にある。病気であることを知りつつ治療をせずに放置したなら、その責任は自分で負わなければならない。誰もが常に自分の選択や言動の責任を負って生きているのだ。

 もちろん過失についても責任を取らねばならない。自分の判断にミスがあり他者に迷惑をかけたり損害を生じさせたなら、謝罪をした上でできる限り現状回復の努力をする。あるいは生じた損害を賠償する。さらに、再発防止策を考え実行することが「責任の取り方」だろう。自分の選択や言動の責任を取ろうとせずに他人のせいにする人がしばしばいるが、こういう無責任な人は自立しているとはとても言えない。

 もちろんジャーナリストが取材のために戦場に赴く行為にも自己責任はつきまとっている。安田さんが拘束された経緯は分からないが、彼は拘束される危険性を十分に認識していたはずだし警戒もしていただろう。その上で自分の判断で危険地帯に入り、結果としてつかまってしまった。この際の自己責任とは、拘束されたことを他人のせいにせず、困難を乗り越え生きて帰るためにできうる努力をすることだ。これに関して、安田さんは他人のせいにはしていない。そして彼は3年以上に及ぶ地獄のような拘束生活に耐えて帰還した。彼は自分の判断によって自分の身に起きたことに対し責任を負ったと言えるのではないか。落ち着いたら説明責任を果たすとも言っているのだから、今はそれを待ちたい。

 「自己責任」を振りかざしてバッシングする人たちにしばしば見受けられるのは、自己責任だから国が救出する必要などないなどという主張だ。しかし、「個人の責任」と「国が自国民を救出する責任」はまったく別のことだ。国外で自国民が事件や事故に巻き込まれたなら政府が救出のために尽力するというのは国としての責務だ。

 問題なのは、日本政府は国としての邦人救出の責務を果たしているとはとても思えないことだ。湯川遥菜さんと後藤健二さんがイスラム国に拘束されたときも、政府は中田考さんや常岡浩介さんからの交渉の申し出を断ってしまった。それどころか、湯川さんの救援を計画していた常岡さんは私戦予備・陰謀事件の容疑で警察から家宅捜索を受け、救援の機会を奪われた。日本政府は湯川さんや後藤さんの救出のために尽力するどころか、妨害をしたといっても過言ではない。

 「自己責任だから救出などする必要がない」という意見は、個人の責任と国の責任をごっちゃにして国の責任を個人の責任に転嫁しているにすぎない。だから、「自己責任論」は政府にとって実に都合がいいのだ。

 自己責任論を口にする人は、必ずといっていいほど「個人の責任」と「社会的責任」を混同させている。非正規雇用を増やしワーキングプアをつくりだしたのも、社会保障をどんどん削ってきたのも政治や社会の問題だが、それで生じた貧困の人たちすら「自己責任」だといって切って捨てる。ワーキングプアもホームレスも病気になる人も「自己責任」にしてしまえば、政府は何ら責任がないことになる。「自己責任論」は、社会的弱者を切り捨てるためのまやかしだ。

 そして、そんな弱者切り捨ての新自由主義を推進している人たちこそ自己責任を果たそうとしない。森・加計問題で安倍首相、昭恵夫人、加計孝太郎氏などは国会で説明する責任があるにも関わらず全く果たしていない。

 安倍首相は森友学園問題で「妻や私が関係していたということになればこれはまさに私は間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということははっきりと申し上げておきたい」と言っておきながら、昭恵夫人の関与を示す証拠が出てきても一向に辞めようとしない。安倍首相の過去の選挙妨害疑惑(いわゆる「ケチって火炎瓶」事件)に関しても安倍首相は説明責任があるし、事実なら辞任するのが当然だろう。これほど自分の言動の責任を取らない人が首相を続けているのだから、自己責任論を展開する人たちは首相の責任こそ追及するのが筋ではないか。

 ところが、彼らは決して首相の責任問題には言及しない。彼らの自己責任バッシングの目的は安倍政権を批判する人を貶め、不正まみれの安倍政権を擁護することに他ならない。
  


Posted by 松田まゆみ at 21:03Comments(0)政治・社会