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鬼蜘蛛の網の片隅から › 2019年04月05日

2019年04月05日

政党は先を見通した政策を示してほしい

 統一地方選が近づいてきた。北海道知事選は与野党候補の一騎打ちになるが、まだ投票先を決めていない人が3割ほどいるという。選挙の前になるといつも支持政党をしっかり持っている人はどのくらいいるのだろう、無党派の人は何を基準に決めているのだろうかと思う。

 私自身も明確な支持政党があるというわけではない。基本的スタンスとして新自由主義はもちろんのこと、利潤追求を目的とした資本主義自体に疑問を持っているし日米同盟も賛同できないので、そのような視点からは日本共産党や社民党支持ということになる。しかし共産党の民主集中制や上意下達の体制はどうしても無理。組織自体があのような体制で真の民主主義社会が実現できるとはとても思えない。かといって社民党はあまりに弱小だ。

 立憲民主党は「市場経済を基本」とし「日米同盟を軸」とすると謡っている。すなわち、資本主義も米国追従も認めるという立場だ。これは私の考えとは根本的なところで合わない。格差是正は謳っているが、格差を生み出した新自由主義についての考え方も今一つ分からない。ただ、ボトムアップという考え方は大いに賛同するし、財政政策も「薔薇マーク」とは異なるようだ。

 自由党の小沢一郎氏は新自由主義のタカ派だし、小選挙区制を導入した人物だ。しかも野党をかきまわしては離散集合に加担している。前回の衆院選の時には前原氏とともに民進党の希望の党合流を企てて野党共闘をぶち壊し、自公政権の延命に加担した。彼らのような策士は信用に値しない。右派の国民民主党や新自由主義者の小沢氏が牛耳る自由党も支持できない。「薔薇マーク」という財政政策を主張する人たちも支持できない。

 結局、私自身も支持政党があるとは言えないが、その時の状況に応じて共産党、社民党、立憲民主党を支持するということになるので、悩ましいこともある。しかし、こんな感じで支持政党を持てないという人もそれなりにいるのではないかと思えてならない。それだけ日本が全体的に右傾化し左派が弱体化してしまったというのが今の状況なのだろう。ただし、支持政党がないからといって選挙に行かないというのは民主主義の放棄だし、最悪だと思う。支持できないところがあっても、自分の考えに一番近い候補者に入れるしかない。

 ところで、選挙で国民が何に期待するかというと、多くの人が景気回復とか経済成長を挙げるのではないだろうか。要は、いまだに「経済成長」にしか関心がない人が大半なのではないかと思う。

 経済学者の水野和夫氏は、利子率ゼロが長くつづき、経済成長が止まる日が近づいているという。資本主義とは少数の人が利益を独占するシステムだ。水野氏は、富を「周辺」から蒐集して「中心」に集めるシステムだと説明する。しかし1970年代半ばになると原油の高騰もあり「地理的・物的空間」からの利潤率が低下し始めた。そこでアメリカが資本主義を延命させるためにとった手段が「電子・金融機関」で利潤を得るということだった。ITと金融業が結びつくことで資本は国境を越え金融は一気にグローバル化した。

 「地理的・物的空間」で利潤を上げることができた1970年代半ばまでは資本の利益成長と雇用者の成長が同調していたのだが、「電子・金融空間」においては資本家と雇用者は切り離されて資本家だけに利益が集中し、中間層が没落したというのが水野氏の分析だ。

 要するに、新自由主義、資本のための資本主義が民主主義を破壊しているというのだ。一億総中流と言われた時代は終わり、賃金が上がらず格差が拡大して中間層が減ってきているという日本の現実を見れば、まさに水野氏の主張どおりのことが起こっていると言えるだろう。

 私は若い頃マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読んで、資本主義というものに大いに疑問というか懐疑心を持った。利潤追求のシステムはどう考えても生物としての自然の摂理に反するものであり、こんなことを続けていたらいつか破綻するのではないかという直感がしたのだ。

 行き過ぎた資本主義、新自由主義がたどり着いたのは「世界の富裕層1%が富の99%を上回る」というとんでもない貧富の差であり、ごく一部の人への富の集中だ。狂っているとしか言いようがない。

 水野氏の主張するように、もはや資本主義は限界にきており、終焉を迎えつつあると考えるしかない。そして資本主義のあとにくるのはゼロ成長社会であり、すなわち定常経済だということになる。定常経済というのは投資は減価償却の範囲だけであり、「買い替え」だけで経済の循環をつくる社会だ。

 「経済成長しなければ豊になれない」「消費を促せばまだまだ経済成長する」などといった意見を今もしばしば目にするが、大量生産、大量消費の時代はグローバル資本主義によって終わってしまったのであり、今後は「経済成長はほとんどない」あるいは「きわめて緩やかになる」ととらえるべきだ。そして否が応でも「経済成長しなければ豊になれない」という発想は転換しなければならないと思う。日本の少子高齢化はしばらく続くので、消費の大幅な拡大もないだろう。この先、多少の経済成長はあっても、かつてのような経済成長はあり得ない。

 私たちは「経済成長しない社会」を受け入れていくしかないと思う。それと同時に財政の健全化も必須だ。アベノミクスによって日本の財政赤字は拡大し、危機的な状況になっている。企業や富裕層への課税強化はもちろんだが、少子高齢化が進む中で少しでも健全な財政を取り戻すには中間層への課税もやむを得ないと思うし、将来的には消費税の増税も必要になってくるだろう。高齢者が増えていく中で社会保障の費用は大幅に増えていくのであり、大企業や富裕層への課税強化だけでは税収が足りない。もちろん低所得者の賃金を上げたり労働環境を改善することも早急にやらねばならない。課題は山積だ。

 まだしばらく資本主義は続くことになるだろうけれど、私たち日本人はアベノミクスの失敗のツケを払わされることになる。それが最悪の事態にならないようにどうすべきかが、各党の主張からはほとんど見えてこない。莫大な借金を抱えた赤字財政をどう立て直すのか、増え続ける社会保障費はどうやって捻出するのか、低所得者の賃金を上げるにはどうするのか、エネルギー問題はどうするのか、終焉にさしかかっている資本主義をどうソフトランディングさせるのか・・・。政党は「成長」を求めつづける国民の期待に応えようとするのではなく、そこまでの見通しをもって政策を提言してほしい。

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Posted by 松田まゆみ at 09:49Comments(0)政治・社会