鬼蜘蛛の網の片隅から › 2019年09月
2019年09月23日
山本太郎氏への疑問
山本太郎氏が4月にれいわ新選組(以下、れ新と略す)を立ち上げてから、私はずっと彼に対して釈然としない気持ち悪さを抱いてきた。そして彼はメサイアコンプレックスではないかという疑問が日に日に強まってきた。
メサイアコンプレックス(以下メサコンと略す)については以前も記事にしたが、ここで書いた事例はあくまでもごく一般の人のことでありいわゆる広義のメサコンのことだ。このような一般の人に関しては、日常生活において距離をおくことでトラブルを回避することができる。
これに対し、狭義のメサコンというのは、個人が救世主(メサイア)になることを運命づけられているという信念を抱く心理状態のことを指す。そのために他者を助ける行動をするのだが、それは優しさや思いやりからの行動ではなく、自分を満たすためという隠れた目的がある。人を助けることによって自分の価値を見出し、自分を満たそうとするのだ。メサコンの人助けは偽善といっていい。以下参照。
偽善者の心理「メサイアコンプレックス」って知ってる?
れ新の代表である山本太郎氏はこの狭義のメサコンではないかと私は疑っている。私は精神科医ではないので彼がメサコンだと断定することはできない。しかし、彼の言動には、メサコンを感じさせるものが多数ある。山本太郎氏は自分のことを疑ってくれと言っているが、その言葉どおり私は彼について大いに疑っている。ここでは、私が山本太郎氏をメサコンだと疑う理由とその問題点について指摘しておきたい。
今は消えてしまったようだが、れ新がホームページを立ち上げた当時、「あなたを幸せにしたいんだ!」とか「本物の好景気を見せてやる」といったキャッチコピーが大きく掲載されていた。前者はれ新の政策が実現できればあなたを幸せにできる、と謳っているのだろう。後者もれ新の財政政策を実現できれば本物の好景気が訪れみんなを幸福にできるという主張のように読み取れる。つまり、自分が政権をとれば困っている人を救済して幸せにできるのだと言っているに等しい。まさに救世主の思考そのものだ。
そもそも「幸せ」というのは他人が与えるものではないし、まして政治家が国民に与えるものでもない。幸福感とは個人個人の生き方、物事の捉え方の問題であり、金銭的に恵まれていても幸福感を持てない人がいる一方で、貧しくても幸福な人もいる。それが分かっている人なら「あなたを幸せにしたいんだ」などというセリフは決して出てこないだろう。「あなたのために」というのはメサコンの特徴だ。
れ新の政策の一つに奨学金チャラというのがあるが、彼は街頭演説で奨学金を借りている若者たちに「ごめんね」と謝っている。若者が多額の奨学金を借りて返済に苦労しているのは事実であっても、それは山本氏の責任ではないのだから彼が謝るのはおかしな話だ。しかし、こうやって謝り奨学金チャラを訴えることは、今は自分の力が足りないから苦しい思いをさせているけれど自分が政権をとったら奨学金をチャラにして助けてあげる、と言っているに等しい。これも救世主願望からくる発言に思える。
れ新のホームページに掲載されている政策を見ると、経済的弱者救済のためのバラマキ政策が上位に掲げられている。ページの頭には「れいわ新選組は、ロスジェネを含む、全ての人々の暮らしを底上げします!」と書かれており、ここでも人々の救済を目玉にしている。
そしてその政策を実現するのが「薔薇マークキャンペーン」と同じ発想のバラマキ政策だ。山本氏は薔薇マークキャンペーンの代表である松尾匡氏の「この経済政策が民主主義を救う」を読んで感銘し松尾氏に弟子入りを志願したそうだが、松尾氏の理論なら彼が望む「全ての人の暮らしを底上げ」する救済政策が可能だ。だからこそ、これに飛びついたように私には思えてならない。つまり、他の専門家の意見を聞くなどして松尾氏の経済政策を吟味することなく、救世主になるという目的を叶えられる理論に熱中し傾倒してしまったように見える。
れ新は7月の参院選で重度の難病と障害者のお二人を特定枠を利用して当選させた。難病や障害者の方が国会議員になること自体は否定しない。しかし、彼の場合は自分が落選してもこのような方たちを優先的に国会に送ることで自分が称賛され評価されることまで計算していたのではないかと思えてならない。承認欲求の強いメサコンは、自分が称賛されることで欲求が満たされるので、評価されるための行動をとる。実際、こうしたやり方は注目を浴び、彼を持ち上げた人は多い。
彼がメサコンではないかと思う理由は他にもある。彼は野党共闘の条件として「消費税5%」を掲げている。先日、日本共産党の志位氏とれ新の山本氏が野党連合政権について合意を交わした。そこでの合意事項は以下である(れ新のホームページより)。
一、野党連合政権をつくるために協力する。
野党と「市民連合」との13項目の政策合意を土台とする。
一、安倍政権が進めようとしている9条改憲に反対する。
一、消費税については以下の点で協力していく。
1、消費税10%増税の中止を最後まで求める。
2、消費税廃止を目標とする。
3、廃止にむかう道筋、財源などについて協議していく。
4、消費税問題での野党共闘の発展のために努力する。
この合意事項を読む限り、「消費税については野党と市民連合の8%で凍結(10%阻止)を土台とした上で、野党連合政権のために協力する」、ということで合意したと理解できる。つまり10%になる前の段階ではそれを阻止するために協力するが、10%に増税された後のことは決まっていないので、野党共闘を目標に話し合いで一致点を見出す努力をするということだ。
ところが、彼は野党で共闘の話し合いをする前に「野党が塊になり、消費税を5%に下げることで一緒に戦えるなら、れいわ新選組は捨て石にもなるつもりだ。ただ、これは他の野党の考えもあることで、かなうかはわからない。そうならない場合は単独でやるしかなく、仁義なき戦いが繰り広げられる。」と言い出して合意を反故にしたのだ。(「消費税5%で野党共闘なら捨て石にも」山本太郎氏)
公党同士の約束を簡単に破り、自分勝手な条件を掲げて、他の野党がそれに従わなければ対抗馬を立てると言っているのだ。地道な合意形成のための努力をしようとせず競争的・闘争的な性格であることがよく分かるが、こうした自己中心性もメサコンの特徴だ。共産党は、消費税減税・廃止のために利用されたといっても過言ではない。メサコンの人は自分の目的や利益のために他者を利用する。さらに、独自路線をとりたがる姿勢には、自分の支持者や所属議員を増やして単独政権をとりたいという野望が見え隠れする。一刻も早く権力を握って救世主になりたいという願望が強いことの表れではなかろうか。
過干渉の親など、メサコンの人は多い。また、単なる一議員であるならそれほど問題は生じないかもしれない。しかし、狭義のメサコンの人が権力を握ったら私はかなり危機的なことになるのではないかと危惧している。
なぜなら、メサコンは救世主妄想だからだ。妄想というのは訂正のきかない思い込みのことを言うが、自分が救世主になるなどということ自体が妄想そのものだ。ところが本人は正義だと思い込んでいるゆえに他人の助言など聞く耳を持たない。よく考えれば分かるはずだが、れ新の掲げる政策は政権をとったらすぐに実行できるようなものではなく、もし「すぐに実現できる」と思っているのならそれも妄想だろう。妄想で自分勝手な政治などされたらたまったものではない。彼は総理大臣を目指しているようだが、野党第一党でもない弱小政党の党首がそんなことを平然と言ってのけることも妄想状態にあるからではなかろうか。
メサコンは自己中心的で他者を支配したがる傲慢な性格なので、もし政権をとるようなことになれば独裁政権になる可能性が高い。そして、「国民のため」「弱者のため」といって自分の主張や政策を押し付けようとする。他者を利用することばかり考えているのでトラブルを起こし、まわりの人を巻き込んでいく。競争的・闘争的なのでトラブルが生じても民主的な解決をしようとしない。リーダーとしての資質に欠けるというより、リーダーにしてはいけないタイプだと思う。
私はれ新という政党自体がかなり独裁体制になるのではないかと思っている。現に、れ新はホームページに規約や綱領を掲げておらず、代表や役員の選出方法や任期など全く分からない。民主的な政党であれば、政党を立ち上げたら速やかに規約や綱領を作成し公表するのではないかと思う。しかし山本氏は規約を公表することもなく全国行脚に出かけてしまった。来る衆院選に向けて、支持者を増やし候補者を探したいという欲望が見え見えだ。
ちなみに、以下によると、ヒトラーはメサコンであったという分析もあるそうだ。
第二次世界大戦中のヒトラーの精神分析に関する機密文書が発見された
ヒトラーが被害妄想によってメサコンに陥り、ユダヤ人こそ悪だと考えて大虐殺を実行したというのは、あり得なくはないと思う。もちろん山本氏がヒトラーのようになるなどと言うつもりはないが、政権を握れば独裁的にはなるだろう。
このように、彼がメサコンだと仮定すれば、今までの彼の言動はすべて納得がいく。山本氏をカリスマなどと持ち上げる人がいるが、私から見たらカリスマなどではなく、肥大した救世主妄想としか思えない。彼がメサコンであるのなら、彼を支持したり評価することは彼の優越感を満たすことになり、彼に利用されていることになる。彼にとっては思う壺ということだ。
弱者を救うことを強調した演説に感動して支持し応援したものの、その人物が偽善者であれば騙されて大変な目にあうのは私たち国民である。とりわけ財政政策に失敗したなら財政破綻という最悪の事態にもなりかねない。まあ、彼の総理大臣願望は妄想だろうし実現することはないと思うが、野党がかき回され与党を利することになりかねないのは大きな懸念だ。
私の疑いが当たっているかどうかは分からない。しかし、「世のため人のため」と言う人の中には救世主妄想を持っている人が存在すること、そしてそのような人物を権力者にしてはいけないことは頭に入れておくべきだと思う。
メサイアコンプレックス(以下メサコンと略す)については以前も記事にしたが、ここで書いた事例はあくまでもごく一般の人のことでありいわゆる広義のメサコンのことだ。このような一般の人に関しては、日常生活において距離をおくことでトラブルを回避することができる。
これに対し、狭義のメサコンというのは、個人が救世主(メサイア)になることを運命づけられているという信念を抱く心理状態のことを指す。そのために他者を助ける行動をするのだが、それは優しさや思いやりからの行動ではなく、自分を満たすためという隠れた目的がある。人を助けることによって自分の価値を見出し、自分を満たそうとするのだ。メサコンの人助けは偽善といっていい。以下参照。
偽善者の心理「メサイアコンプレックス」って知ってる?
れ新の代表である山本太郎氏はこの狭義のメサコンではないかと私は疑っている。私は精神科医ではないので彼がメサコンだと断定することはできない。しかし、彼の言動には、メサコンを感じさせるものが多数ある。山本太郎氏は自分のことを疑ってくれと言っているが、その言葉どおり私は彼について大いに疑っている。ここでは、私が山本太郎氏をメサコンだと疑う理由とその問題点について指摘しておきたい。
今は消えてしまったようだが、れ新がホームページを立ち上げた当時、「あなたを幸せにしたいんだ!」とか「本物の好景気を見せてやる」といったキャッチコピーが大きく掲載されていた。前者はれ新の政策が実現できればあなたを幸せにできる、と謳っているのだろう。後者もれ新の財政政策を実現できれば本物の好景気が訪れみんなを幸福にできるという主張のように読み取れる。つまり、自分が政権をとれば困っている人を救済して幸せにできるのだと言っているに等しい。まさに救世主の思考そのものだ。
そもそも「幸せ」というのは他人が与えるものではないし、まして政治家が国民に与えるものでもない。幸福感とは個人個人の生き方、物事の捉え方の問題であり、金銭的に恵まれていても幸福感を持てない人がいる一方で、貧しくても幸福な人もいる。それが分かっている人なら「あなたを幸せにしたいんだ」などというセリフは決して出てこないだろう。「あなたのために」というのはメサコンの特徴だ。
れ新の政策の一つに奨学金チャラというのがあるが、彼は街頭演説で奨学金を借りている若者たちに「ごめんね」と謝っている。若者が多額の奨学金を借りて返済に苦労しているのは事実であっても、それは山本氏の責任ではないのだから彼が謝るのはおかしな話だ。しかし、こうやって謝り奨学金チャラを訴えることは、今は自分の力が足りないから苦しい思いをさせているけれど自分が政権をとったら奨学金をチャラにして助けてあげる、と言っているに等しい。これも救世主願望からくる発言に思える。
れ新のホームページに掲載されている政策を見ると、経済的弱者救済のためのバラマキ政策が上位に掲げられている。ページの頭には「れいわ新選組は、ロスジェネを含む、全ての人々の暮らしを底上げします!」と書かれており、ここでも人々の救済を目玉にしている。
そしてその政策を実現するのが「薔薇マークキャンペーン」と同じ発想のバラマキ政策だ。山本氏は薔薇マークキャンペーンの代表である松尾匡氏の「この経済政策が民主主義を救う」を読んで感銘し松尾氏に弟子入りを志願したそうだが、松尾氏の理論なら彼が望む「全ての人の暮らしを底上げ」する救済政策が可能だ。だからこそ、これに飛びついたように私には思えてならない。つまり、他の専門家の意見を聞くなどして松尾氏の経済政策を吟味することなく、救世主になるという目的を叶えられる理論に熱中し傾倒してしまったように見える。
れ新は7月の参院選で重度の難病と障害者のお二人を特定枠を利用して当選させた。難病や障害者の方が国会議員になること自体は否定しない。しかし、彼の場合は自分が落選してもこのような方たちを優先的に国会に送ることで自分が称賛され評価されることまで計算していたのではないかと思えてならない。承認欲求の強いメサコンは、自分が称賛されることで欲求が満たされるので、評価されるための行動をとる。実際、こうしたやり方は注目を浴び、彼を持ち上げた人は多い。
彼がメサコンではないかと思う理由は他にもある。彼は野党共闘の条件として「消費税5%」を掲げている。先日、日本共産党の志位氏とれ新の山本氏が野党連合政権について合意を交わした。そこでの合意事項は以下である(れ新のホームページより)。
一、野党連合政権をつくるために協力する。
野党と「市民連合」との13項目の政策合意を土台とする。
一、安倍政権が進めようとしている9条改憲に反対する。
一、消費税については以下の点で協力していく。
1、消費税10%増税の中止を最後まで求める。
2、消費税廃止を目標とする。
3、廃止にむかう道筋、財源などについて協議していく。
4、消費税問題での野党共闘の発展のために努力する。
この合意事項を読む限り、「消費税については野党と市民連合の8%で凍結(10%阻止)を土台とした上で、野党連合政権のために協力する」、ということで合意したと理解できる。つまり10%になる前の段階ではそれを阻止するために協力するが、10%に増税された後のことは決まっていないので、野党共闘を目標に話し合いで一致点を見出す努力をするということだ。
ところが、彼は野党で共闘の話し合いをする前に「野党が塊になり、消費税を5%に下げることで一緒に戦えるなら、れいわ新選組は捨て石にもなるつもりだ。ただ、これは他の野党の考えもあることで、かなうかはわからない。そうならない場合は単独でやるしかなく、仁義なき戦いが繰り広げられる。」と言い出して合意を反故にしたのだ。(「消費税5%で野党共闘なら捨て石にも」山本太郎氏)
公党同士の約束を簡単に破り、自分勝手な条件を掲げて、他の野党がそれに従わなければ対抗馬を立てると言っているのだ。地道な合意形成のための努力をしようとせず競争的・闘争的な性格であることがよく分かるが、こうした自己中心性もメサコンの特徴だ。共産党は、消費税減税・廃止のために利用されたといっても過言ではない。メサコンの人は自分の目的や利益のために他者を利用する。さらに、独自路線をとりたがる姿勢には、自分の支持者や所属議員を増やして単独政権をとりたいという野望が見え隠れする。一刻も早く権力を握って救世主になりたいという願望が強いことの表れではなかろうか。
過干渉の親など、メサコンの人は多い。また、単なる一議員であるならそれほど問題は生じないかもしれない。しかし、狭義のメサコンの人が権力を握ったら私はかなり危機的なことになるのではないかと危惧している。
なぜなら、メサコンは救世主妄想だからだ。妄想というのは訂正のきかない思い込みのことを言うが、自分が救世主になるなどということ自体が妄想そのものだ。ところが本人は正義だと思い込んでいるゆえに他人の助言など聞く耳を持たない。よく考えれば分かるはずだが、れ新の掲げる政策は政権をとったらすぐに実行できるようなものではなく、もし「すぐに実現できる」と思っているのならそれも妄想だろう。妄想で自分勝手な政治などされたらたまったものではない。彼は総理大臣を目指しているようだが、野党第一党でもない弱小政党の党首がそんなことを平然と言ってのけることも妄想状態にあるからではなかろうか。
メサコンは自己中心的で他者を支配したがる傲慢な性格なので、もし政権をとるようなことになれば独裁政権になる可能性が高い。そして、「国民のため」「弱者のため」といって自分の主張や政策を押し付けようとする。他者を利用することばかり考えているのでトラブルを起こし、まわりの人を巻き込んでいく。競争的・闘争的なのでトラブルが生じても民主的な解決をしようとしない。リーダーとしての資質に欠けるというより、リーダーにしてはいけないタイプだと思う。
私はれ新という政党自体がかなり独裁体制になるのではないかと思っている。現に、れ新はホームページに規約や綱領を掲げておらず、代表や役員の選出方法や任期など全く分からない。民主的な政党であれば、政党を立ち上げたら速やかに規約や綱領を作成し公表するのではないかと思う。しかし山本氏は規約を公表することもなく全国行脚に出かけてしまった。来る衆院選に向けて、支持者を増やし候補者を探したいという欲望が見え見えだ。
ちなみに、以下によると、ヒトラーはメサコンであったという分析もあるそうだ。
第二次世界大戦中のヒトラーの精神分析に関する機密文書が発見された
ヒトラーが被害妄想によってメサコンに陥り、ユダヤ人こそ悪だと考えて大虐殺を実行したというのは、あり得なくはないと思う。もちろん山本氏がヒトラーのようになるなどと言うつもりはないが、政権を握れば独裁的にはなるだろう。
このように、彼がメサコンだと仮定すれば、今までの彼の言動はすべて納得がいく。山本氏をカリスマなどと持ち上げる人がいるが、私から見たらカリスマなどではなく、肥大した救世主妄想としか思えない。彼がメサコンであるのなら、彼を支持したり評価することは彼の優越感を満たすことになり、彼に利用されていることになる。彼にとっては思う壺ということだ。
弱者を救うことを強調した演説に感動して支持し応援したものの、その人物が偽善者であれば騙されて大変な目にあうのは私たち国民である。とりわけ財政政策に失敗したなら財政破綻という最悪の事態にもなりかねない。まあ、彼の総理大臣願望は妄想だろうし実現することはないと思うが、野党がかき回され与党を利することになりかねないのは大きな懸念だ。
私の疑いが当たっているかどうかは分からない。しかし、「世のため人のため」と言う人の中には救世主妄想を持っている人が存在すること、そしてそのような人物を権力者にしてはいけないことは頭に入れておくべきだと思う。
2019年09月05日
山小屋弁護士
テレビを見なくなって久しいが、7月にテレビ朝日で放映された市川守弘弁護士のドキュメンタリー「山小屋弁護士」がネットでも視聴できる。昨年末に札幌から占冠村トマムに事務所を移転し、事務所近くの山小屋で暮らしている。
https://abema.tv/video/episode/89-78_s10_p36
こちらは「山小屋弁護士」の内容を文字でまとめたもの。時間がない方はこちらだけでも是非。
https://abematimes.com/posts/7015530
北海道在住の市川守弘弁護士は、多くの自然保護訴訟のほかアイヌ問題や警察問題まで取り組んでいる弁護士だ。自然保護といっても北海道だけではなく沖縄も含め全国各地で訴訟を起こして闘っている。ドキュメンタリーではやんばるの森林伐採が取り上げられているが、その酷い自然破壊の様子がありありと実感できる。しかも市川弁護士が手掛けている自然保護訴訟のほとんどが弁護士費用なしの手弁当なのだから、その生き方は半端ではない。
自然保護に関わる訴訟の多くが行政相手だ。自然破壊の道路建設に反対したり、森林伐採の違法性を追求したり。日本では自然保護に関わる訴訟での勝訴はとても難しいが、たとえ勝訴したところで一円のお金にもならない。自然を守ることが目的だからお金とは無縁の裁判だし、持ち出しの一方だ。しかも、自然保護の訴訟には現場での調査が欠かせない。市民らと協力して現地に足を運び、調査によってその地域の自然の希少性を訴えたり、違法性の立証をしたり。熱意がなければとてもできない仕事だ。
自然保護の訴訟では裁判長を現地に引っ張り出すことも。士幌町と然別湖をむすぶ士幌高原道路を阻止するための「ナキウサギ裁判」では、小雪が舞い強風が吹きすさぶ中、建設予定地の白雲山に裁判長や原告、支援者らが一緒に登って現地で説明をした。「えりもの森裁判」でも皆伐現場を裁判長に見てもらった。
自然保護のための活動は訴訟だけではない。はるばる札幌から現場に調査に通い、自然保護のための活動に取り組んできた。私も大規模林道問題や森林伐採問題などでは市川弁護士ご夫妻と何度も現地調査に参加し、訴訟でも大変お世話になっている。このドキュメンタリーで紹介されているのはそのほんの一部にすぎないが、市川弁護士の生き方や姿勢がよく伝わってくる。
お金のためにスラップ訴訟を引き受ける弁護士がいる一方で、権力に媚びず市民に寄り添う弁護士もいることを多くの人に知ってもらいたいと思う。
https://abema.tv/video/episode/89-78_s10_p36
こちらは「山小屋弁護士」の内容を文字でまとめたもの。時間がない方はこちらだけでも是非。
https://abematimes.com/posts/7015530
北海道在住の市川守弘弁護士は、多くの自然保護訴訟のほかアイヌ問題や警察問題まで取り組んでいる弁護士だ。自然保護といっても北海道だけではなく沖縄も含め全国各地で訴訟を起こして闘っている。ドキュメンタリーではやんばるの森林伐採が取り上げられているが、その酷い自然破壊の様子がありありと実感できる。しかも市川弁護士が手掛けている自然保護訴訟のほとんどが弁護士費用なしの手弁当なのだから、その生き方は半端ではない。
自然保護に関わる訴訟の多くが行政相手だ。自然破壊の道路建設に反対したり、森林伐採の違法性を追求したり。日本では自然保護に関わる訴訟での勝訴はとても難しいが、たとえ勝訴したところで一円のお金にもならない。自然を守ることが目的だからお金とは無縁の裁判だし、持ち出しの一方だ。しかも、自然保護の訴訟には現場での調査が欠かせない。市民らと協力して現地に足を運び、調査によってその地域の自然の希少性を訴えたり、違法性の立証をしたり。熱意がなければとてもできない仕事だ。
自然保護の訴訟では裁判長を現地に引っ張り出すことも。士幌町と然別湖をむすぶ士幌高原道路を阻止するための「ナキウサギ裁判」では、小雪が舞い強風が吹きすさぶ中、建設予定地の白雲山に裁判長や原告、支援者らが一緒に登って現地で説明をした。「えりもの森裁判」でも皆伐現場を裁判長に見てもらった。
自然保護のための活動は訴訟だけではない。はるばる札幌から現場に調査に通い、自然保護のための活動に取り組んできた。私も大規模林道問題や森林伐採問題などでは市川弁護士ご夫妻と何度も現地調査に参加し、訴訟でも大変お世話になっている。このドキュメンタリーで紹介されているのはそのほんの一部にすぎないが、市川弁護士の生き方や姿勢がよく伝わってくる。
お金のためにスラップ訴訟を引き受ける弁護士がいる一方で、権力に媚びず市民に寄り添う弁護士もいることを多くの人に知ってもらいたいと思う。
タグ :市川守弘