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鬼蜘蛛の網の片隅から › 2024年11月03日

2024年11月03日

他責思考と「反ワクチンではない」の心理

 世の中には、自分の不幸や自分の失敗を何でも人のせい、環境のせいにしてしまう人がいる。ネットなどでもそんな人をしばしば見かける。もちろん他者や環境はその人の人生に大きく関係している。しかし、毒親から離れて暮らすようになり親の影響をほぼ受けなくなっても、「自分が不幸なのは親のせい」だとずっと恨んでいたりする人を見ると、もはやこの人は「他責思考」に捉われているとしか思えない。そして、他責思考の人たちに、幸せそうな人は一人もいない。

 人生とは選択の連続だ。そして、その選択は間違いなく自分がしている。配偶者がモラハラであっても、自分自身の選択肢がないわけではない。徹底的に話し合いをしたり、夫婦でカウンセリングを受けたり、あるいは別居や離婚も選択肢の一つだ。そのような努力を何もせずに相手のせいにして愚痴ばかりこぼしていても、何も解決しない。他責思考の人は、結局、自分がすべきことから逃れるためにすべてを「他人のせい」「環境のせい」にしているように見える。このような人は、決して「自分にも問題がある」とは考えていないので、自分を変えようとはしない。全て他人が悪く自分は悪くないのだから、自分の非、自分の判断の間違いを認めるわけがないのだ。そして、他責思考の人は、自分の問題を解決しようとせず、ずっと他人を恨み、ネガティブ思考に捉われ、どんどん不幸になっていくように見える。

 ところで、コロナワクチンに関してどのような態度をとるかを見ていて、私は日本にはとても他責思考の人が多いのではないかと思うようになった。

 コロナワクチンの初回接種のとき、自治体から接種券が送られてきたが、それと共に厚労省の「新型コロナワクチン接種のお知らせ」というパンフレットが同封されていた。それには次のように書いてある。

 ワクチンを受ける際には、感染症予防の効果と副反応のリスクの両方について、正しい知識を持っていただいた上で、ご本人の意思に基づいて接種をご判断いただきますようお願いします。
 受ける方の同意なく、接種が行われることはありません。
 職場や周りの方などに接種を強制したり、接種を受けていない人に対して差別的な対応をすることはあってはなりません。


 つまり、打つか打たないかは個人がベネフィットとリスクを理解した上で判断するようにと言っているのだ。そして、打つか打たないかの判断はそう難しいことではなかったし、専門的な知識も必要なかった。私は以下のことから打たないという判断をした。

・mRNAワクチンは従来の生ワクチンや不活性ワクチンとは異なる、全く新しいタイプのワクチンであり、これまで成功していなかった。
・ワクチンは普通10年くらいかけ、動物や人で臨床試験をして安全性を確認するが、新型コロナワクチンは一年足らずでつくられ緊急使用許可で接種が開始された。
・中長期的なリスクが全く分からない。
・ワクチン開始前の2020年には日本人のコロナ死は非常に少ないことが分かっており、コロナは致死率の高い恐ろしい感染症ではないことが分かっていた。

 しかし、多くの人が政府や医学会、医師などの勧めを信じて、自分自身でこの判断をしなかった。つまり、自分の健康に関する判断を他人に任せてしまったのだ。打って健康を害したとしても、その責任の一端は間違いなく打つという選択をした個人にもある。

 そして、実際に多くの人がワクチン接種後に亡くなり、健康被害で苦しんでいる人たちが多数いる。「打つ」という判断が間違っていたのは言うまでもない。しかし、その自分の判断の間違いを認めない人が実に多いことに唖然とした。さらに驚いたのは、そのような薬害被害者の中に、自分は「反ワクチンではない」と主張する人たちが少なからずいたことだ。被害を被っておきながら、なぜいちいちそんなことを言うのだろう? 「反ワクチン」と言われたところで、実際にワクチンが危険だったのだから気にすることではないだろうに・・・。

 その理由はしばらくしてから何となくわかってきた。「反ワクチンではない」と言う人達は、「自分が薬害にあったのは失敗ワクチンだったせいであり、ワクチンを打つ判断をしたこと自体は間違っていない」と考えているのではないか。そう考えると、「打つ」という判断をした責任を曖昧にできる。自分の判断は間違っていない、そう思いたいから「反ワクチンではない」と言わずにいられないのではないか? 結局、他責思考なのだ。

 ワクチン自体を否定しない被害者は、ワクチン反対の運動には参加しない。それは自分を否定することに繋がるからだ。mRNAコロナワクチンは反対、レプリコンも反対、でもワクチンそのものの研究や開発には反対しない。そういう人達が一定程度いる。そのような考え方をする人は、ワクチンの中止を求めて活動している人たちの脚を引っ張ることになるし、ワクチンの研究、開発を志している研究者(つまりワクチン推進派)と相性がいいことになる。結果としてワクチン推進派と何も変わらない。

 自分の間違いを認めようとしない他責思考は、医師も全く変わらない。接種事業に参加した医師の多くは薬害被害者に向き合わず、今でもmRNAワクチンが危険だと認識している人は少ない。自分の間違いを認めてしまったら、責任追及されるからだろう。かくして、mRNAワクチンやレプリコンの危険性を声高に主張し、薬害被害者の診察を引き受ける医師はほとんどが非接種の人たちだ。これほどにまで他責思考の医師が多いことに驚きを禁じ得ない。

 コロナワクチンを打って健康を損ねても、「打つ選択をした自分にも責任がある」、「打つという判断は間違っていた」と認められる人は、反対運動にも参加する。危険なワクチンを本気で止めようとするか否かは、他責思考であるか否かが大きく関わっているように私には見える。そして、他責思考をしない人たちは、これ以上の薬害被害者を出さないために行動することが何よりも重要だと考えている。

 もう世界を見渡してもmRNAコロナワクチンを打ち続けている国など日本くらいだ。日本でいつまでも危険なワクチンを中止に追い込めないのは、周りの人と同じにしていれば安心できるという同調思考(主体性のなさ)と他責思考の人が多いからではなかろうか?
  
タグ :他責思考


Posted by 松田まゆみ at 16:17Comments(0)雑記帳新型コロナウイルス