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2013年03月26日
無駄をなくすことがエネルギー問題の第一歩
前回の記事「日本には向かない大型風力発電」で、大型風力発電のリスクについて書いた。だからといって、自然エネルギーを否定するつもりは毛頭ない。しかし、原発に代わるエネルギーの導入を考えると同時に私たちがやっていかなければならないのは、資源やエネルギーの節約ではなかろうか。
ときどき耳にするのが1970年代の生活水準にすれば、原発なしでもやっていける、という意見。1970年代とする根拠はよく分からないが、たしかにこの頃は原発の依存度は低かったはずだ。では、1970年代の生活水準というのは今とくらべてどのくらいだったのだろうか。
1970年代のはじめといえば、私は高校生から大学に入ったころになる。この時代にはなかったが今の時代に日常的に利用している電化製品といえば、電子(オーブン)レンジ、携帯電話、パソコンくらいだろうか。私は北海道在住だからエアコンは不要だが、本州の人はこれにエアコンがプラスされるだろう。
電子レンジはそれほど頻繁には使わないし、なくてもすごく不便だとは思わない。パンは自分で焼いているからオーブンは数日に1回は使う。携帯電話はそれほど頻繁には使わないがパソコンは原稿書きには必須になっている。こうやって比べてみると、1970年代はじめと比べたらたしかに電力消費量は増えてはいるが、ものすごく増えたとは思えない。それに1970年代はじめの生活が不幸だったとも思わない。
とすると、現代の生活で電力消費量増加のネックになっているのはエアコンかもしれない。何しろピーク電力は真夏の暑いときだ。しかし、これも高断熱・高気密住宅を普及させることでかなり減らすことができる。北海道から本州に行くたびに思うのは、本州の住宅は断熱性がほとんどないということだ。家の中の温度と外気温があまり変わらない。これなら冷房費も暖房費もかさむのは当たり前だ。
私は北海道でも寒冷な地域に住んでおり、冬の寒い日にはマイナス25度くらいになる。以前住んでいた借家は断熱性・気密性がほとんどなく、9月初旬からストーブが必要だった。真冬にストーブを切って寝ると、夜中に寝室がマイナス8度くらいまで下がることもあった。しかし、高断熱・高気密住宅を建ててからは、10月中はほとんど暖房が不要になった。本州でも同じくらいの高断熱・高気密住宅にすれば、冷房費も暖房費もずっと抑えられるはずだ。たぶん、日当たりさえよければ暖房はほとんどなくても済むだろう。
たしかに電化製品が増えて生活水準は向上したが、工夫次第でまだまだ節約は可能ではなかろうか。マスコミなどほとんど政府の御用放送局になっているから、テレビなどは見ないほうがましだ。掃除だって、ほうきをメインにして掃除機は週1回でもいい。
もうひとつの節約は、無駄なものを買わないということだ。私の子どもの頃は今よりはるかに物が少なく、鉛筆一本でも大切に使った。もちろんペットボトルなどなく、飲み物は水筒に入れて持っていった。私の小さい頃は、母は穴のあいた靴下につぎを当てていたし、セーターなどもほどいて編み直したりしていた。
しかし、今はどうだろう。物があり余って、子どもは文房具なども大切にしない。ろくに袖を通していないのに「気に入らない」「流行遅れ」といった理由で衣類を捨てる人は多い。物が満ち溢れていても、不平不満を言うひとは絶えない。物さえあれば幸せだということではない。
サハリンに行ってみるといい。どこを見ても日本の中古車だらけだ。みんな古い車を修理して使い続けている。車をすぐに買い替える日本人は何と贅沢なのかと思う。北欧は自動販売機などほとんどないし、自販機などなくてもなにも問題はない。店やレストランもなぜ夜中までやっていなければならないのだろう。夜は早く寝るという自然に合わせた生活を送れば、24時間営業の店もいらない。
私たちはほんの5、60年の間に無駄だらけの生活に慣れてしまったのだ。しかし、生きていくのに必要なものはそれほど多くはない。
さらに無駄だらけの大型公共事業。ろくに人が住んでいない山の中に舗装道路を造り、治水や利水という名目でダムを造り続けてきた。山の中に無理矢理つくった道路は大雨で崩れて災害復旧が必要になる。ダムで土砂の流下をせき止めれば河床低下が生じ、河川改修工事が必要になるし、海岸が浸食されて護岸工事も必要になる。日本のコンクリートの使用量は世界でもけた外れに多い。無駄の悪循環のために私たちの税金がつぎこまれている。
高度経済成長とはまさに資源を浪費して無駄を生みだしつづけてきたのだ。原発問題、エネルギー問題を考えるには、まず私たちの生活からさまざまな無駄をなくしていく必要があるのではないか。
もちろん、節約して消費が減ったり、公共土木事業を減らしたなら倒産する企業が相次いで失業者が出るだろう。米軍への思いやり予算をやめ、土木事業予算を福祉や社会保障、教育に回して仕事をつくり、一次産業を大事にして食料自給率を上げる。また大企業や金持ちの税金を増やし、ワーキングシェアの工夫をするなどといった転換が必要だ。一気にはできないだろうが、資源、物を大切にする省エネ社会の構築を目指しながら、自然エネルギーへの転換を考えていく必要があると思う。経済成長一辺倒の思考に明るい未来は見いだせない。
ときどき耳にするのが1970年代の生活水準にすれば、原発なしでもやっていける、という意見。1970年代とする根拠はよく分からないが、たしかにこの頃は原発の依存度は低かったはずだ。では、1970年代の生活水準というのは今とくらべてどのくらいだったのだろうか。
1970年代のはじめといえば、私は高校生から大学に入ったころになる。この時代にはなかったが今の時代に日常的に利用している電化製品といえば、電子(オーブン)レンジ、携帯電話、パソコンくらいだろうか。私は北海道在住だからエアコンは不要だが、本州の人はこれにエアコンがプラスされるだろう。
電子レンジはそれほど頻繁には使わないし、なくてもすごく不便だとは思わない。パンは自分で焼いているからオーブンは数日に1回は使う。携帯電話はそれほど頻繁には使わないがパソコンは原稿書きには必須になっている。こうやって比べてみると、1970年代はじめと比べたらたしかに電力消費量は増えてはいるが、ものすごく増えたとは思えない。それに1970年代はじめの生活が不幸だったとも思わない。
とすると、現代の生活で電力消費量増加のネックになっているのはエアコンかもしれない。何しろピーク電力は真夏の暑いときだ。しかし、これも高断熱・高気密住宅を普及させることでかなり減らすことができる。北海道から本州に行くたびに思うのは、本州の住宅は断熱性がほとんどないということだ。家の中の温度と外気温があまり変わらない。これなら冷房費も暖房費もかさむのは当たり前だ。
私は北海道でも寒冷な地域に住んでおり、冬の寒い日にはマイナス25度くらいになる。以前住んでいた借家は断熱性・気密性がほとんどなく、9月初旬からストーブが必要だった。真冬にストーブを切って寝ると、夜中に寝室がマイナス8度くらいまで下がることもあった。しかし、高断熱・高気密住宅を建ててからは、10月中はほとんど暖房が不要になった。本州でも同じくらいの高断熱・高気密住宅にすれば、冷房費も暖房費もずっと抑えられるはずだ。たぶん、日当たりさえよければ暖房はほとんどなくても済むだろう。
たしかに電化製品が増えて生活水準は向上したが、工夫次第でまだまだ節約は可能ではなかろうか。マスコミなどほとんど政府の御用放送局になっているから、テレビなどは見ないほうがましだ。掃除だって、ほうきをメインにして掃除機は週1回でもいい。
もうひとつの節約は、無駄なものを買わないということだ。私の子どもの頃は今よりはるかに物が少なく、鉛筆一本でも大切に使った。もちろんペットボトルなどなく、飲み物は水筒に入れて持っていった。私の小さい頃は、母は穴のあいた靴下につぎを当てていたし、セーターなどもほどいて編み直したりしていた。
しかし、今はどうだろう。物があり余って、子どもは文房具なども大切にしない。ろくに袖を通していないのに「気に入らない」「流行遅れ」といった理由で衣類を捨てる人は多い。物が満ち溢れていても、不平不満を言うひとは絶えない。物さえあれば幸せだということではない。
サハリンに行ってみるといい。どこを見ても日本の中古車だらけだ。みんな古い車を修理して使い続けている。車をすぐに買い替える日本人は何と贅沢なのかと思う。北欧は自動販売機などほとんどないし、自販機などなくてもなにも問題はない。店やレストランもなぜ夜中までやっていなければならないのだろう。夜は早く寝るという自然に合わせた生活を送れば、24時間営業の店もいらない。
私たちはほんの5、60年の間に無駄だらけの生活に慣れてしまったのだ。しかし、生きていくのに必要なものはそれほど多くはない。
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『人新世の「資本論」』が描く脱成長の豊かな社会
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Posted by 松田まゆみ at 22:23│Comments(0)
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