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2013年09月18日
ゴミを背負うクサカゲロウの幼虫
植物の上で小さなゴミの塊が動くのを見て「あれっ?何だろう」と思ったことのある人は少なくないのではなかろうか。
そのゴミに目を凝らすと、虫がゴミを背負っているのが分かる。私は、この「動くゴミ」を学生の頃からしばしば目にしてきた。そこでチョウマニアの一人に「ゴミを背負っている虫がいるけど、あれは何?」と聞いたことがあるが、「知らん・・・」という返事だった。
その後も、何度もこの虫にお目にかかったが、結局その虫が何か分からないままだった。しかし、先日、散歩に出て2回も続けてこの虫を見た。
下の写真は、ゴミの下から腹部の先端が覗いている。

こちらは横から見たもの。左が頭で右が腹部。

今はインターネットという便利なものがある。そこで、ようやく思い立って「ゴミ 背負う 虫」と検索したら、すぐに出てきた。やはり、不思議に思ってこのような検索をする人がそれなりにいるようだ。
その正体は、クサカゲロウの幼虫だった。クサカゲロウといえば、薄緑の弱弱しい虫で、子どもの頃よく捕まえたものだ。クサカゲロウは細い糸の先に白い小さな卵を産みつけるのだが、これが葉の裏などにいくつも並んでついている。「優曇華の花」と言われるこの卵は家の中の電燈の笠などにも産みつけられることがある。なんでわざわざ糸の先に卵を付けるのだろうと、子どもの頃から不思議に思っていたものだ。
これで、クサカゲロウの卵(優曇華の花)→幼虫(ゴミを背負った虫)→成虫(薄緑の弱弱しい虫)が繋がり、積年の疑問が解けた。とはいっても、幼虫と成虫の間に蛹があり、これは見たことがない。
クサカゲロウといってもいくつも種類があり、すべてのクサカゲロウの幼虫がゴミを背負うわけではないそうだ。クサカゲロウの幼虫はアブラムシやカイガラムシを食べるのだが、一部の種の幼虫はその食べカスを背中にくっつけるという。だから、ゴミが歩いているかのように見える。
何十年ものあいだ分からないままになっていたことが、1分もかからずに調べられるインターネットは確かに便利だし驚異的だ。しかし、こうも簡単に分かってしまうと、あまりにあっけない気もする。人は疑問に思うことを頭の片隅にしまっておくものだ。そして、ちょっとしたことでその謎が解けたときの快感は格別なものがある。たとえ自分で観察して知ったということではなく、たまたま読んだ本に書いてあったとか、人から教えてもらったということでもいい。今まで分からないでいたことが分かるというのは心躍る楽しさがある。
しかし、インターネットで何でも簡単に調べることができてしまうというのはどんなものだろう。人知れず疑問を胸に秘めておいたり、何らかのきっかけに密かに謎を知る楽しみが減ってしまう気がしてならない。便利の陰で、失われてしまうものもある。
そのゴミに目を凝らすと、虫がゴミを背負っているのが分かる。私は、この「動くゴミ」を学生の頃からしばしば目にしてきた。そこでチョウマニアの一人に「ゴミを背負っている虫がいるけど、あれは何?」と聞いたことがあるが、「知らん・・・」という返事だった。
その後も、何度もこの虫にお目にかかったが、結局その虫が何か分からないままだった。しかし、先日、散歩に出て2回も続けてこの虫を見た。
下の写真は、ゴミの下から腹部の先端が覗いている。

こちらは横から見たもの。左が頭で右が腹部。

今はインターネットという便利なものがある。そこで、ようやく思い立って「ゴミ 背負う 虫」と検索したら、すぐに出てきた。やはり、不思議に思ってこのような検索をする人がそれなりにいるようだ。
その正体は、クサカゲロウの幼虫だった。クサカゲロウといえば、薄緑の弱弱しい虫で、子どもの頃よく捕まえたものだ。クサカゲロウは細い糸の先に白い小さな卵を産みつけるのだが、これが葉の裏などにいくつも並んでついている。「優曇華の花」と言われるこの卵は家の中の電燈の笠などにも産みつけられることがある。なんでわざわざ糸の先に卵を付けるのだろうと、子どもの頃から不思議に思っていたものだ。
これで、クサカゲロウの卵(優曇華の花)→幼虫(ゴミを背負った虫)→成虫(薄緑の弱弱しい虫)が繋がり、積年の疑問が解けた。とはいっても、幼虫と成虫の間に蛹があり、これは見たことがない。
クサカゲロウといってもいくつも種類があり、すべてのクサカゲロウの幼虫がゴミを背負うわけではないそうだ。クサカゲロウの幼虫はアブラムシやカイガラムシを食べるのだが、一部の種の幼虫はその食べカスを背中にくっつけるという。だから、ゴミが歩いているかのように見える。
何十年ものあいだ分からないままになっていたことが、1分もかからずに調べられるインターネットは確かに便利だし驚異的だ。しかし、こうも簡単に分かってしまうと、あまりにあっけない気もする。人は疑問に思うことを頭の片隅にしまっておくものだ。そして、ちょっとしたことでその謎が解けたときの快感は格別なものがある。たとえ自分で観察して知ったということではなく、たまたま読んだ本に書いてあったとか、人から教えてもらったということでもいい。今まで分からないでいたことが分かるというのは心躍る楽しさがある。
しかし、インターネットで何でも簡単に調べることができてしまうというのはどんなものだろう。人知れず疑問を胸に秘めておいたり、何らかのきっかけに密かに謎を知る楽しみが減ってしまう気がしてならない。便利の陰で、失われてしまうものもある。
Posted by 松田まゆみ at 14:28│Comments(0)
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