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鬼蜘蛛おばさんの疑問箱 › 雑記帳 › アドラー心理学を凝縮した「嫌われる勇気」-その1

2014年04月25日

アドラー心理学を凝縮した「嫌われる勇気」-その1

 心理学に関してはほとんど知識がない人でも、ユングやフロイトの名前くらいは知っているだろう。私もそれくらいは知っていた。しかし、アルフレッド・アドラーがフロイト、ユングと並んで「心理学の三大巨頭」と称されていることは知らなかったし、アドラーの思想も知らなかった。

 このアドラーの思想(心理学)を、青年と哲人の対話という形式でとても分かりやすく紹介しているのが、岸見一郎・古賀史健著「嫌われる勇気 自己啓発の源流『アドラーの教え』」(ダイアモンド社)だ。最近、この本が話題になっているということを知って購入してみた。

 私自身は、他者から嫌われることを気にするタイプではない。むしろその逆で、他者からの評価は気にしないし、嫌われるのは大いに結構だと思っている方だ。しかし、他者との関わりの中で「空気を読む」ことが当たり前になり、常に他人の評価を気にしている人が何と多いことだろう。それは学校にはびこる「いじめ」だけが原因なのだろうか?

 アドラーの心理学の特徴は、フロイト的な原因論を全面的に否定する。つまり「原因があって結果がある」という因果関係を否定し、人は今の目的によって動いているという「目的論を提唱する。そして、「すべての悩みは対人関係の悩みである」とし、「自由とは他者から嫌われることである」と説く。フロイト的な原因論を信じ、自分の不幸は過去の辛い体験に起因していると考えている人にとっては、とても簡単には受け入れられないかもしれない。

 しかし、私にとっては実にしっくりくる内容だった。つまり、自分自身の経験と照らし合わせてみても、ほとんど違和感なく受け入れられる。

 ユングやフロイトと並ぶ心理学者でありながら、日本ではなぜアドラーの心理学があまり知られていないのだろう。うつ病や自殺者が多く、他者の評価を気にする人が多い日本人に必要なのは、まさにアドラーの心理学を理解することではないかと思った。

 アドラーの心理学を受け入れることができ、自分を変えることができたなら、アドラーが言うように、誰もがほんとうの自由や幸せを手にできるというのは事実だと思う。

 だからこそ、幸福感が持てない人、他者の評価を気にする人に是非とも勧めたい一冊だ。特に、アドラー心理学を丁寧に説明する哲人と、それに真っ向から異論、反論を唱える青年との対話という形式は、多くの人の疑問に答えるものになっているだろう。

 というわけで、「嫌われる勇気」で論じられるアドラー心理学について、私の感想を添えながらかいつまんで紹介したい。

原因論を否定し目的論を提唱
 原因論とは、「現在」の状況は「過去」のできごとによって規定されるという考えだ。カウンセラーがクライアントに対し、今のあなたの苦しみや不幸は過去の経験に起因しているとして、「だからあなたは悪くない」というのはごく一般的な対応だ。このようなトラウマの議論をアドラーはきっぱりと否定している。ただし、過去の経験が人格形成に大きな影響を与えること自体を否定はしていない。トラウマが今の自分を規定しているという考え(原因論)を否定しているのだ。

 では、今の苦しみはどこからくるのか? アドラーの目的論は原因論とは対極にある。原因論では、たとえば親に虐待されて引きこもりになった青年は、虐待が原因で社会に適合できず引きこもっていると考える。しかし、目的論では、「引きこもりたい」という目的があってそうしているという。たとえば引きこもることで親の注目を集めるとか、親を困らせて復讐するといった目的がその人自身の中にあるのだという。そして、外に出たくないから「不安」や「恐怖」という感情を自らつくりだしているのだと考える。

 ここで「そんな馬鹿な・・・」と引っかかってしまう人も多いだろう。しかし、もし、過去の経験が現在を規定しているのなら、同じ虐待という経験をした人はすべて引きこもりになったり社会に適応できないことになるだろう。しかし、実際にはそんなことはない。過去の経験や性格、育った環境などは過去の判断に影響を与えただろうけれど、その時々に自分自身ではもっともよいと思う選択をしてきたのであり、その結果が今の自分自身なのだ。だから、大事なのは過去ではなくこれからどんな選択をしていくのかということ。これからの選択で、人は変わることができる。過去にどんな経験があったとしても、それが今の自分自身を決定しているのではない。過去の経験にどんな意味付けをするかで現在が決まってくるというのがアドラーの目的論だ。

 東日本大震災では多くの人が津波で親族を失うという苛酷な経験をした。みな、心に大きな傷を負って落ち込み苦しんだに違いない。今でも深い悲しみの中にいる人も多いだろうし、絶望からうつ病になった人やPTSDで苦しんでいる人もいるだろう。そのような状況からなかなか抜け出せない人もいれば、比較的早く前向きに歩み出せる人もいる。これは、災害による親族との死別という苛酷な経験に、どのような意味付けをするのかがひとりひとり違うからだろう。震災が大きなトラウマになったのは事実であっても、いつまでもそこに留まって不幸を震災のせいにしていたのでは前に進むことができないし、幸せにはなれない。幸せになるためには、自分自身が変わるしかないのだ。

 つらい経験をした人にとって目的論はなかなか受け入れられないかもしれない。自分がよかれと判断してきた行いが今の不幸を招いているというのなら、自分を否定されたと感じてしまうかもしれない。あるいはこれまでの自分は何だったのか、自分は何のために生きてきたのかと絶望の淵にたたされても不思議ではない。しかし、アドラーは決して否定はしていないと私は思う。たんに他の選択肢を知らなかったがためにそのような選択をしてしまったのだ。大切なのは過去の選択が今の不幸を招いているのなら、今後の選択で必ず変えられるということ。そして自分を変えることができるのは自分自身でしかない。

 本書のはじめの部分(24ページ)にこんな会話がある。

青年:最初に議論を整理しておきましょう。先生は「人は変われる」とおっしゃる。のみならず、誰しも幸福になることができる、と。
哲人:ええ、ひとりの例外もなく。

 自分を変え、幸福になるために必要なのは「勇気」なのだというのがアドラーの心理学である。

 とりわけ不幸を実感していない人でも、あるいは過去に辛い経験を持たない人でも、自分の性格を言い訳に行動を起こさないことがあるのではなかろうか。「そんなことは私にはとてもできない」と。私自身のことを振り返ってみてもそうだ。私は高校生まではとてもおとなしくて目立たない存在だった。人前で自分の意見を堂々と言うこともなく、学級委員などをやったり劇で主役を演じるタイプとは程遠く、教室では居るか居ないかわからないような存在だった。大勢の人と賑やかにするのが苦手で、慎重すぎてすぐに物怖じをしてしまうタイプであり、恐らくHSP(Highly Sensitive Personの略で、敏感な人という意味。詳しくはこちらを参照していただきたい)に該当するのだと思う。このようなタイプの人はクラスに必ず何人かいるものだ。

 しかし、大学生になり自然保護などの活動に参加するようになると、活躍している人たちの大半はとても積極的で活き活きとしていた。私はそんな彼らにすごく憧れを抱いた。彼らの物怖じしない性格を羨んだこともあったが、次第に自分の性格のせいにしてしまうのは違うのではないかと気づいた。自分は今まで自ら意見を言ったり自ら行動しようとしてこなかったのだ。そして、活き活きと積極的に行動している人たちを真似てみようと決意をした。はじめこそ勇気のいることだったが、次第に人前でも自分の意見が言えるようになった。そして、それは自分に自信を持つことにつながっていった。

 小中学生の頃の私を知っている人なら、私が市民団体の役員をしたり、公の場で自分の意見を主張するなどということは考えられないに違いない。社会人になってから、中学校のクラス会に参加したことがあった。そのとき、クラスで人気のあった積極的なM君が、私とちょっと顔立ちが似ているがとても快活で積極的だったSさんと私を間違えた(Sさんはクラス会には出ていなかった)。おそらく彼は積極的なSさんはよく覚えていても、私の記憶などほとんどなかったに違いない。その時、私は自分で自分を変えることができたのだと実感した。

 HSPという生まれもった気質を変えることはできないだろう。しかし、自分の考え方(たとえば過去の経験への意味付け)や行動を変えることは誰でもできる。そう自分で決心し勇気をもって行動に移しさえすれば。

 だからこそ、私はアドラーの目的論をすんなりと受け入れることができる。

 過去の辛い体験が今の自分の不幸の原因だと嘆いて何の行動も起こさないのなら、幸福になることはできない。過去の辛い経験が自分の判断に影響を与えたのは事実でも、その時々の自分自身の判断の積み重ねが今の自分の状況をつくりだしていることを、私たちは嫌でも認めなくてはならない。ただし、それは決して否定されることでも悪いことでもない。その時はそうするしかなかったのだ。ただし、今後の選択は変えることができる。今の苦しみから抜け出して幸せになりたいと思うのなら、原因論から抜け出し自分で自分を変えるしか道はない。

アドラー心理学を凝縮した「嫌われる勇気」-その2
アドラー心理学を凝縮した「嫌われる勇気」-その3



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Posted by 松田まゆみ at 12:03│Comments(0)雑記帳
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