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鬼蜘蛛の網の片隅から › 政治・社会 › SASPLを広めることが希望につながる

2014年12月15日

SASPLを広めることが希望につながる

 衆院選が終わった。マスコミは自公で2/3超と騒いでいるが、勢力的には前回とそう大きな違いはない。共産党が大きく議席を増やし、民主党も議席を増やしたのだから、少しは安倍政権に危機感を持つ人たちの意思が反映されたということのようにも思う。

 それにしても投票率は52%台のようで、戦後最低だった前回2012年の選挙よりさらに低い。寒い時期である上に、荒天と重なれば投票率の低下につながるのは目に見えている。投票所の外に長い列ができるところもあるようだし、冬の選挙はとりわけ高齢者には辛い。さらに唐突な選挙で野党は選挙の準備ができていない。そんなことも見越した上でのこの時期の解散総選挙だったのだろう。アベノミクスの嘘が見破られる前に延命を図りたいという戦略だ。

 そんな事情があったにせよ、有権者のおよそ半数しか投票をしないという現実に愕然とせざるを得ない。この国の人々の政治への無関心さというのはどこから来るのだろうか?

 海外で暮らしたことはないが、おそらく日本人ほど日常的に政治や社会問題などについて話題にしない国民は少ないのではなかろうか。それは今に限ったことではなく、私が若い頃からそうだった。

 私は女子高に通っていたが、大多数の生徒のもっぱらの話題はファッションや芸能人、異性や食べ物のことだった。小難しい科学の話しなどはもとより、政治の話しなどというのはタブー同然だった。そんな話しをしたなら「空気を読めない」者として無視されるか陰口を言われるのがおちだ。

 これはもちろん女子高生に限ったことではない。大学生の多くもそうだったし、社会に出てからもたいして変わらなかった。概して、日本人は政治の話しをしたがらないし、関心が薄いとしか思えない。そして意見を言い合うということを好まない。

 おそらく同調圧力の中で「空気を読む」ことが以前よりはるかに重視される昨今は、私の若い頃以上に政治の話しなどタブーなのだろう。政治の話しなどしたら、仲間外れにされていじめの対象にされかねない。これでは政治に無関心になり選挙に行かない人が増えるのも当然だ。

 欧米人の場合「自分の意見を言わない人などつまらない」という評価になるらしいが、日本はその逆で、周りと違う意見を言ったら「出る杭は打たれる」ということになってしまう。仲間内で集まっても、違う意見をめぐって議論することを嫌う人が多い。意見を言うことは決して他者の批判ではないし民主的に物事を進めるために重要なことなのに、議論を避け声の大きい者に従おうとする。つまりは、自分の身を守るために自ら長い物に巻かれてしまうのだ。自分であれこれ考えなくてもいいから楽でもある。こういう自己中の思考から脱却できない限り、日本人の多くは政治に無関心であり続けるのかもしれない。

 となると、こういう人たちは自分たちの身に危機がふりかかるまで問題に気づかないということになるのだろう。つまりは貧困で生活が脅かされたり、自由に物が言えなくなったり、徴兵制がしかれて自分や家族が戦争に駆り出されたりしない限り、自分たちの無関心がそういう政治を推し進めてきたことにすら気づかないのではなかろうか。兵士がいなければ戦争はできないのだから、戦争は国民を巧みに騙すことから始まる。政治に無関心であればいとも簡単に国民は騙される。

 あの残酷で悲惨な体験をした人たちは高齢になってどんどん亡くなっている。歴史は繰り返すというが、また同じことが繰り返されようとしている。

 そして恐ろしいのは、今の時代、一歩間違ったら簡単に国の破滅につながるということだ。安倍首相は原発の再稼働とともに大間原発の新設へと舵を切っている。大地震、大津波、火山噴火のことを考えただけでも、日本での原発の再稼働は狂気としか思えない。日本は必ずいつかまた大地震や大津波、火山の巨大噴火に見舞われる。原発がある以上、原発事故は必ず繰り返されるし、再び大事故を起こして大量の放射性物質をばら撒いたならもはやこの国の存在すら危ぶまれる。さらに戦争に参加して敵をつくったなら、原発が狙われる可能性は高くなる。

 「国破れて山河あり」は過去のことで、これからは放射能汚染によって「国破れて山河も滅びる」のだ。

 そうした狂気に満ちた自民党政権を私たちはまた選んでしまった。恐らくはこれから自由に物を言うことも制限されていくだろう。そんな中で、どうしたらこの狂気の政治に関心を持ってもらえるのだろう? 「自分に危機が降りかからなければ分からない」のであればあまりに虚しい。

 しかし嘆いていても何も変わらない。若者のすべてが無関心なわけではない。「特定秘密保護法に反対する学生有志の会」略してSASPLが声をあげている。この運動が全国に広がれば、「政治に無関心な若者はダサいと」いう意識が広がっていくかもしれない。諦めてはならない。「嫌われる勇気」を持つことが今ほど求められている時代はないと思う。




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Posted by 松田まゆみ at 15:44│Comments(3)政治・社会
この記事へのコメント
政治のお話=イデオロギーという図式が、60年安保辺りから定着し、嫌われるようになったのではないか。
それに加えて最近の若い人たちは、論議にすら乗ってきません。ネットというかゲームの世界というかバーチャルの世界の方が心地いのでしょう。論議することを、炎上と言います。
自分の意見を述べようとしない。一旦制御が利かなくなれば、ヘイトスピーチなどのようになってしまう。
でも個人的には、どの子もとっても聞き分けのいい子ばかりなのです。
Posted by そりゃないよ獣医さん at 2014年12月15日 16:39
獣医さん

議論するのを嫌がる人は本当に多いですね。若い人ではなくてもそういう傾向は強いので、若い人はなおさらでしょう。

とは言っても、ネットで匿名で誹謗中傷したり嫌がらせをする人は一定程度います。向き合って正々堂々と議論はしないけど、姿を隠して攻撃たけはするという陰湿な状況になっています。

>でも個人的には、どの子もとっても聞き分けのいい子ばかりなのです。

「聞き分けのいい」というのは自分の意見を持たない、あるいは主張しないということでもあるので、喜んでばかりいられないですね。むしろ憂慮すべきことのように思います。
Posted by 松田まゆみ松田まゆみ at 2014年12月15日 17:11
SBこと黒川 眞一です。

私は、いわゆる全共闘世代に属しておりますが、獣医さんのおっしゃるような、政治のお話=イデオロギーという考えは、私の若い頃(1960年代半ばから後半にかけて)にはなかったと思います。むしろ、全共闘運動の退潮とともに、急速に若い世代が政治を話題にしなくなったと観測しております。私たち全共闘世代より一世代若い世代の方々(現在の自民党の主要なメンバーはこの世代の方々です)は、概して、私たちの世代よりも政治に無関心であり、アジア諸国、特に中国と韓国に対する蔑視意識を持ち、また、国際的な協力と連携に積極的ではありません。私たちの世代まで残っていた、日本は敗戦国であるという意識がなくなったことに加え、戦後の民主主義教育の衰退が大きな要因ではないかと考えます。
Posted by Shin-ichi Kurokawa at 2015年01月03日 21:46
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