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2016年02月23日

自動化する社会

 先日、半年ぶりに飛行機に乗った。近年は航空券の予約と購入はネットで済ませているが、今回は手続きをしていたら「eチケット」なるものが利用できるとのことだったのでそれをプリントした。「eチケット」の場合は、搭乗手続きをせず保安検査場に直行できるという。帯広空港でカウンター前のX栓検査場に直行して手荷物をひとつ預けてから搭乗口に向かった。飛行機の手続きもどんどん変わっていく。

 羽田からの帰りの便も同じeチケットを利用できるので、手荷物を預けるために搭乗手続きのカウンター向かった。ところが例の手荷物検査場(X線検査の機械)が見当たらない。どこかに案内が出ているだろうと見渡すと、手荷物を預ける人は○番カウンターに行くようにとの案内が出ている。

 で、そこに行ってみてもX線検査の機械が見当たらない。首をかしげながらも、とりあえず列に並んで前の人がやっていることをよくよく見れば、なんと手荷物検査が自動化されていて搭乗者が各自でパネルを操作しているではないか。あたりに説明をしてくれそうな空港の職員の姿は見当たらない。内心「えっ! どうやってやるんだろう?」とちょっと焦ったが、とりあえず前の人を観察することにした。

 荷物をカウンターの所定の場所に置きパネルを操作すると、扉が閉まって検査が行われるらしい。そのあと機械から荷物に付ける番号が書かれたタグが出てくるので、自分でタグを荷物に取り付けてまたパネル操作をすると扉がしまり、ベルトコンベアで荷物が奥に運ばれて行く。番号が書かれた控えの紙をとれば手続き完了らしい。ただし、私の前の男性はスムースにいかずにちょっと手こずっていた。これなら、今までのように手なれた職員がやったほうが速そうな気もする。

 ちなみに、この機械は「ANA Baggage Dropサービス」というそうだ。以下のサイトを参照していただきたい。

http://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/20150630_709511.html

 実際にやってみたら難しいことはなかったが、しかし、何でもこうやって機械化してしまうというのは高齢者や弱者への配慮が足りないと思うし、何とも味気ない。高齢者は通常、新しい機械というだけで拒絶反応を示すものだから、ここまで機械化されてしまうと多くの人が戸惑うに違いない。

 考えてみたら、ここ数十年のあいだに機械でできることはどんどん自動化されていっている。省力化といえばそれまでだが、なんでも機械に任せてしまうことが本当に進歩なのかと考えさせられる。

 今の若者には分からないだろうが、私が子どもの頃はバスには車掌さんがいて切符を売っていた。しかしワンマンカーが徐々に普及し、いつの間にか車掌さんはいなくなってしまった。忙しくていらいらしていそうな運転手さんには、停留所を尋ねることも気が引ける。あの頃は電車の切符ももちろん窓口で販売していたし、自動改札機などもなかった。今や、動物園や植物園などの入場券なども人が売っていることの方が少ないのではなかろうか。地方ではまだ人がチケットを販売していることも多いが、機械化されるのも時間の問題なのかもしれない。

 街角に自動販売機なるものが並び始めたのはいつからだったろうか・・・。2008年に北欧旅行に行ったとき、自動販売機がほとんどなくて飲料は店で購入するしかなかったが、それが当たり前だと思えば不便は感じない。それに比べ、日本は自動販売機大国だ。証明写真を撮影する機械などは大学生の頃にはあったが、あれはいつから出てきたのだろう・・・。たぶんこうした自動化はほぼ同時期に進んでいったのではなかろうか。

 銀行でのお金の出し入れや送金もATMでほとんどできる。今や、大きな病院では会計も機械化されている。それはそれで便利かもしれないけれど、日常生活から人との対話がどんどん消えていき、人が機械に慣らされてしまうことになにか引っかかりを感じてしまう。

 スーパーマーケットなどなく街の商店街で買い物をしていた頃は、「○○を何グラムください」などと言葉を交わさなければ買い物もできなかった。スーパーマーケットでの買い物が当たり前になった今、店の人と客が顔を合わせ、言葉を交わして買い物をするという行為すらなくなりつつある。なんと非人間的な日常だろうとふと思う。

 つまり、誰とも会話しなくても日常生活が送れてしまう。とりわけ一人暮らしの高齢者などは人と人との距離が遠ざかり、信頼関係も薄くなり、社会から孤立してしまうのではないか。そういえば、父が亡くなり母の一人暮らしがはじまってから「一日中誰とも話さない日がよくある」と言っていた。そんなこともあってか、母は高齢になっても週一回の動物園でのボランティアガイドを楽しみにしていた。自分で意識して求めない限り、他者と対話をする場がないのだ。

 利便性の裏には必ず負の側面がある。機械化、自動化も紛れもなくそうだ。自動化の陰に会話のない孤独な日常が繋がっている。



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Posted by 松田まゆみ at 14:21│Comments(2)政治・社会
この記事へのコメント
おっしゃる通りです、松田さん。同じ考えを私も常々感じていました。
コンビニの店員が明後日の方を向いたまま「いらっしゃいませ。こん
にちは」と言うのを聞いた時から(20年前だったか...)ああこれが
マニュアル通りの受け答えかと、がっかりしたものです。(^^;)
>日常生活から人との対話がどんどん消えて・・・
企業や会社が利益を上げなければ...というのは、もちろんわかります。
でも人との関係が希有になることで犯罪が多発する一因かと思います。
老齢の方たちの刺激のない日々ほど、痴呆が早まります。ただ元気を
出して外へ出ましょう...な〜んて掛け声だけならどこかの知事の言い
方と似ています。目と目を合わせて会話する。これこそが老化を遅ら
せる最大の要因だと思っています・・・。(^^)
Posted by 北の旅烏北の旅烏 at 2016年02月24日 10:29
旅烏さん、こんにちは。

大勢の人が目の前にいても会話がないっていうのは、なんだか異常な世界のような気がしてきます。社会との関わりなしに生きていけない人間にとって、対話がないということは人と人との意思疎通だけでなく信頼関係も築けないし、あまりに不自然な状態ですよね。そんな不自然さを加速するかのようにどんどん機械化されていく社会に、ちょっと背筋が寒くなる思いがします。
Posted by 松田まゆみ松田まゆみ at 2016年02月24日 13:24
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