さぽろぐ

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2017年01月20日

(1985年)

 どうしてその峠に行こうと思ったのか、今となってはよく思い出せないのだが、たぶんあの頃、私の一番好きだった季節、秋のあふれる中を、日頃の雑念を払い落して一人で歩きたかったからではないだろうか。秋といっても、あの山肌一面を鮮やかな紅や黄に染めるような紅葉の美を求めていたのではなかった。私は、あの紅葉特有のはなやいだ色合いは、それほど好きではない。あの色合いは、静かで寂しくありながら厳しい一面を持った秋という季節を象徴するには、何かそぐわない気がしてならない。秋の山は、落ち着いた色合いであるべきだった。だから私の選んだその峠は、はなやかさはなかったし、季節も晩秋の頃だった。遥かかなたの空の下で、北アルプスの山なみが銀白色にきらめいていたから、十月の終わり、あるいは十一月に入っていたかもしれなかった。

 その峠は、信州の一角、北八ヶ岳にあった。そしてそこに行くために、小高い山を越え、原生林の中を歩き、また高原を横切り、池のほとりで腰を下ろさなければならなかったが、その変わりゆく秋の姿を心ゆくまで楽しむことができたのだった。

 夜行日帰りという、ほんのつかの間の山旅であるのに、私は落葉松の季節になると必ず思い出す。というより、あの黄金色の落葉松が私の思い出をゆりおこしてくれるように思う。

 すでに東京の真冬なみ、あるいはもっと寒くなっていたかもしれないその高原のロープウェイ駅には、夜行列車から乗りついで一番のバスに乗ってきた二十人ほどの人たちが思い思いに散らばっていた。私もその駅の冷え切ったコンクリートの一隅に身をこごめて座りこむと、お茶をわかしささやかな朝食をとった。寒さがじわじわと体にしみてくる。眼下には南アルプスの山々が紫を帯びて朝もやの中に横たわっている。高原は一面、いつ冬が訪れてもいいような殺伐とした枯色となり、カラカラと葉ずれの音すら聞こえてきそうだ。人々はそれぞれの思いを、この朝もやの高原に寄せているようだ。私もまた、飽きることなくその一時を山に、高原に、目を据えていた。


 遥かなる山を見つめていると
 忘れられたものが 心の中に
 ぼっ と甦ってくる
 山はいつだって
 おとぎ話を包みこんでいる


 私のこの時ほど朝もやにかすむ山なみをなつかしく、いとおしく感じたことはない。それは、心の中でひそかに想いをいだいている恋人のしぐさを遠くから見つめているおももちにも似ていた。

 ロープウェイを降りたつと、ゆっくり歩きだした。峠は、目の前の山をいくつか越えた向こうだった。しめっぽい針葉樹の林は、真夏のそれより重ったるく感じられたが、あの鼻孔を刺激する樹の香りは、夏山のそれと同じ、なつかしいシラビソ原生林のものだった。あれだけ乗っていたロープウェイなのに、歩きだしてみるとどこに散ったのかと思う位、人々はそれぞれの道に消え、前後の人影は少なかった。私のような気ままな山旅をする人は少ないのかもしれない。いつものゆっくりとしたペースを楽しみながら、横岳の上に出た。

 そこは、北八ッ特有の景色を一望できた。小高くうねる原生林の山々、手鏡のようなちっぽけな池、枯色の丘。これからたどろうとしている道は、視界の途中でとぎれている。遥かかなたまで続くようにも思える。すきとおった空のずっとかなたに、北アルプスの峰々が白く浮き上がっている。その山なみのひとつを、その夏、自分も歩いてきたとは信じがたいほど、きびしく美しい山の姿だった。

 山道は地図で見るよりも起伏に富んでいた。時には、うっそうとした暗い森の中を、時には岩のむき出しになった道を、足元に気をつけながら進まねばならなかった。雪こそなかったが、あたりの草といい石といい、まっ白い霜がはりついていたからだ。それが朝の陽にきらめいている光景は、一瞬足を止めさせた。何でもない路傍の草や石ころであるはずなのに。やがて白一色の世界になってしまう地では、おおいかぶさるような霜が、秋の終わりを告げているかのようだ。その白いベールを足で踏みにじっていくことに、一瞬の戸惑いを感じながら、山道をたどった。

 北八ッの象徴のような原生林では、すでに鳥の地鳴きもまれにしか耳にしない。苔むした、柔らかい大地の感触を踏みしめながら、それは森をさまよっているおももちだった。

 荒涼とした岩原。これもまた北八ッの象徴に違いない。何故こんなところに突如、岩原が広がっているのか。この何とも言えない景色は、そこを通る人々にどんな気持ちを抱かせてきたのだろうか。それはあまりに荒涼としていて、たった一人の私にはとまどいすら感じさせる岩原だった。心地よい秋の風の中で、私はきままな放浪者そのものだった。

 双子池。そのほとりで腰を下ろし、おにぎりをほおばった。古びた山小屋、盛りの中にたたずむ池、静寂そのものの山は、この上なく心を落ちつけてくれた。足元の木の根の間から、ヒメネズミが飛び出してきた時には驚いた。地面にこぼれた何かをくわえると、あっという間にまた巣穴へと引っ込んでしまったものの、穴の入口でそっと私の様子をうかがっていたネズミのことを思うと、ひとりでに楽しくなった。何と他愛のない動物だろう。

 そして、私は最後の高みを目指すべく、枯色の丘に登っていった。そこは本当に枯草の丘というのがぴったりの、小山だった。丘にねころんで北アルプスを見た。こんな景色を見るのも、今年はこれが最後だろう。あまりにも遥かな山々だった。

 その丘をかけ下りたところに峠があった。しかし、そこは今までたどってきた静寂きわまる山ではすでになくなっていた。冷たく幅広い舗装道路が山肌をうねり、きらびやかなドライブインまでが建ち並んでいる。わかってはいるはずの光景だったが、この高原に最もふさわしくないものだ。目をそらせたくなるような、その人間くさい峠を眼下に、私は丘をかけ下りた。私は、その踏み荒らされた峠を早く下るべく、ドライブインの裏手にまわった。

 その古びた道標は、忘れられたように、建物のかげにポツリとたっていた。それを見つけた時、心の中にほのかな安心感があふれてきた。建物のかげに、見放されたように立つ道標に、不思議なことに親しみがわいてくるのだった。

 大河原峠の白茶けた道標は、山を愛する人達のために、立ちつづけているのだろうこの人間に踏みにじられてしまった峠の一角で。華やかなドライブインと、小さな道標を背に、私は秋の谷に足を踏み入れていった。

 帰り道はゆるやかな下り坂だった。落葉松と枯野原の谷は、まさに秋に彩られ、そこを通る小径は、黄金色の草の中へと続いていた。その心地よい小径を飛ぶように下っていると、あの峠のことは頭から消えていた。


    峠から

 白茶けた道標が
 忘れられたようにぽつりとあった
 そこからは ゆるやかな下り坂だった
 僕は草の中の小径をたどった

 まぶしいほどの落葉松の中を
 ぽこぽことくぐりぬけた
 その向こうに
 誰かが待っているような気がして

 僕は小走りにかけた
 どこまでも続く
 そののびやかな谷を
 ぽこぽことかけた

 さらさらと草がなり
 僕のひざをくすぐっていた

 僕を包みこんでいったのは
 とろけそうな午後の陽ざしを受けた
 幼い頃の記憶の世界
 枯野の中から
 一匹のキツネがぎょっこりと現れ
 とことこと銀色の小径を横切っていく

 はっと立ち止まると
 枯野だけが
 小麦色にちかちか光っていた


 日曜日だというのに、誰も通らない小径。青い空に手を伸ばすように輝いている落葉松の黄色い小枝。その中をくぐるようにして、この上もない秋の一日を惜しむようにして歩いた。やがて小径は川に沿った狭い谷へと入り、また山道になっていた。秋の一日の思い出を胸に、落葉を踏みしめながらバス停へと急いだ。

 どこにでもありそうなちっぽけな峠や小高い山々。しかし、それは私にとってはかけがいもない、愛すべき世界だった。その冷たい空気をいっぱいに吸い込みながら思った。あの峠にいつかまた行こう。いつかまたこの径をたどってみよう。しかし、その時もあの道標はあのままの姿で迎えてくれるだろうか。


*信州は私の生まれ故郷でもあり、八ヶ岳や北アルプスの山並みは私にとっては子どもの頃から親しんできた光景だ。巨大都市東京に住んでいた頃、私はときどき思い立ったように一人でふらりと山に向かった。コンクリートに囲まれた都会で暮らしていると、無性に、都会の雑踏を抜け出して一人で山の自然に浸りたいという思いが湧いてくる。北八ヶ岳の大河原峠への山旅も、そんな思いつきの一つにすぎないのだが、あの大河原峠からの黄金色の落葉松の色は、今も脳裏に焼き付いている。あのときは知らなかったのだが、北八ヶ岳に点在する岩塊地や池は、かつての火山活動の賜物だ。日本の山岳のたとえようのない美しい景観は、火山活動によるところが大きい。
 この小文を打ち込みながら、さて、あのとき歩いた道は今はどうなっているのだろうかとグーグルアースを開いてみた。家に居ながらにして、山の中の道ですら辿れてしまうという恐るべき時代になってしまったことにちょっぴり愕然としながら・・・。
 そこに現れた画像は呆気にとられるものだった。ピラタスロープウェイの山麓駅周辺は網の目のように道路が広がり、リゾート地に変わり果てていた。そういえば、母と霧ヶ峰の殿城山に登ったときも、その山頂から眼下に広がる別荘地の光景に息を飲んだ。殿城山は、もはや別荘地とスキー場に三方を囲まれて孤立した岬のようだった。白樺湖や霧ヶ峰周辺も八ヶ岳山麓も、リゾート開発、別荘地開発の波が押し寄せて、目を覆いたくなるような光景が展開されている。ただし、私の目には大規模リゾート開発のターゲットとされ自然破壊の象徴としか映らない別荘地であっても、そこに住まう人たちにとっては心安らぐ自然に違いない。もちろん、彼らを非難するのはお門違いだ。しかし、こうした状況を単に「時代の流れ」として受け流してしまうことにはどうしても抵抗がある。
 若い頃から山にばかり行っていた父は、歳をとってから霧ヶ峰をはじめとした信州の山々から足が遠のいていた。あまりの変わりように、とても足を向ける気にならなかったのだろう。グーグルアースの画像を見ていると、その気持ちが痛いほど分かる。
 当たり前のことだけれど、山麓を、高原を切り刻んで造られたリゾート地がなかった頃を今の人たちは知らない。そうやって、日本の美しい森や景観がじわじわと蝕まれ、蝕まれた光景が当たり前になっている。嘆いていてもどうにもならないのだけれど、自然の傷跡に、人の欲の浅ましさを感じずにはいられない。




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Posted by 松田まゆみ at 11:44│Comments(0)随筆
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