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鬼蜘蛛おばさんの疑問箱 › 政治・社会 › 貧乏ではなく無駄のないシンプルな生活を

2018年07月22日

貧乏ではなく無駄のないシンプルな生活を

 2017年に中日新聞と東京新聞に掲載された「平等に貧しくなろう」というタイトルの上野千鶴子さんのインタビューはしばしば批判されてきた。以下参照。

この国のかたち 3人の論者に聞く(東京新聞)

 簡単に言うなら、少子高齢化で労働人口が減る中で移民を受け入れられない日本人は人口減少と衰退を引き受け、平等に緩やかに貧しくなっていけばいい。国民負担率を増やし、再配分機能を強化する社会民主主義的な方向をとるべきだという主張だ。

 上野さんの主張には賛同できるところとできないところがある。私は成熟した(というより行きづまった)資本主義社会ではもう成長は見込めないという考えはその通りだと思う。資本主義の抱える危機的状況や終焉に関しては水野和夫氏が「資本主義の終焉と歴史の危機(集英社新書)で説明しており、私も水野氏の指摘は正しいと思う。もはや日本は経済成長をする余地はなく、水野氏の指摘のように定常経済に移行するほかなかろう。

 上野氏の主張のうち移民問題は措いておくとしても、人口減少を引き受けるというのは少子高齢化が歴然とした事実である以上、他に選択肢はない。これだけ格差が広がっているのだから、再配分機能を強化するというのもごく真っ当な主張であり、これはすぐにでも実行に移すべきだろう。

 ただし「衰退」という言葉は適切とは思えないし、「平等に貧しくなっていく」という考え方も賛同できない。

 上野さんを批判している人の多くは「衰退」とか「貧しくなる」という主張に納得ができないのだと思う。上野さんがどんな意味合いで、あるいはどんな理由で「衰退」とか「貧しくなる」という言葉をつかったのかは分からないが、多くの人は「衰退」という言葉に数十年前の生活をイメージし、「貧しい」という表現を「貧乏」と捉えたのではなかろうか。

 経済成長が止まるだけでなくどんどんマイナス成長になっていくのなら、「衰退」とか「貧しくなる」というのも分かる。しかし、成長もしなければマイナス成長にもならない「定常」なら「現状維持」であり「今より貧しくなる」ということにはならない。そして私はこの「定常」ないしは「ごくゆっくりとした成長(進化)」が生物としての基本だと思っている。

 限られた資源を浪費しつづけ、人口が増え続けたら地球は持たない。地球上で供給できる食糧自体に限りがあるのだから、人口もいつか減少に転じざるを得ない。化石燃料の大量消費と搾取によってもたらされた高度経済成長は、長い人類の歴史から見たらきわめて異常な状態だ。

 もし一種の生物が地球の資源をどんどん使っていけば地球環境のバランスは間違いなく崩れてしまう。地球温暖化、鉱物等の採掘による環境汚染、石油製品によるゴミ問題、環境破壊による種の絶滅などすべて現実のものとなっている。近年はマイクロプラスチックなどによる環境汚染も明らかになってきており、プラスチックを減らす取り組みが世界的に進められているのが現状だ。

 限りある地球の資源を守り地球上の生物が共存していくためには、資本主義の経済成長神話から抜け出すしかない。地球上で資源を使い放題にし、環境を破壊・汚染している生物はヒト一種しかいない。化石燃料の大量消費から始まった高度経済成長は、人の欲や驕りの象徴だったのではないか。その結果もたらされた環境汚染や異常気象が人類の首を絞めはじめている。ならば、定常経済での人類の幸福を考えていくしかない。そのためには化石燃料や原発から再生可能エネルギーへ転換し、無駄をなくしできる限りシンプルな生活を営むことが求められる。

 私の幼児期はまださほど物質的に豊かとは言えなかった。生活用品や衣類なども必要最低限しか持っていない家庭が大半だったのではないかと思う。洗濯機や冷蔵庫、テレビといった家電が急速に普及したのも私の幼児期以降だ。その後、あっという間に大量生産大量消費の時代に突入した。

 物が溢れるに従って、次々と新しい物を買い、使えるのに古い物は捨ててしまうという生活が当たり前になった。たとえば衣類ひとつとっても「必要」という理由ではなく単に「欲しい」「同じ服ばかり着ているのは恥ずかしい」「流行っている」などという理由から新しい服を買い、まだまだ着られる衣類を捨ててしまう人は多い。電化製品も自動車も携帯電話ですら短期で買い買える時代になった。何という無駄なのかと思うが、これが市場原理主義の現実だ。

 店先にはそう遠くない将来にゴミになるような商品が溢れている。使い捨て商品はもちろんのこと、すぐに飽きられてしまうような玩具や雑貨、過剰包装・・・。家電は新機能や利便性を謳って新商品が次々と売り出されるが、10年も使えば部品がなくて壊れても修理できない。

 ひとつの物を使えなくなるまで大事に使うということを徹底させるだけで相当の無駄が省けるし、資源の節約になるはずだ。「定常」で生きるというのはこういう浪費をやめるということに他ならない。しかし、これは決して「貧しい」ということではない。欲のなすままに物を買えるのが豊かな生活だと勘違いしている人もいるが、精神的な豊かさとは物の多さではない。

 「断捨離」がブームになったが、人々はようやくこのことに気づいたのだろう。高度経済成長で人々は欲しい物をすぐに買う生活を手に入れたが、家の中を見回せば使っていない物がいかに多いかに気づく。結局、生きていくために必要な物はそれほど多くないのだ。

 経済成長神話に嵌っている人の中には「成長がなければ若者は夢も希望も持てないのではないか」と言う人がいる。しかし、成長によってもたらされたものは環境破壊や環境汚染、電磁波などによる健康被害、異常気象、格差の拡大や利己主義、鬱や自殺の増加だ。生存基盤を脅かすことを続けてどうして夢や希望を持てるのか私には理解できない。精神的な豊かさや幸福というのは物の豊富さや利便性ではない。むしろ資本主義の発展とともに失われてきた人と人との信頼関係の中にこそ幸福があるのではないか。

 いつまでも経済成長を求めつづける人たちは、永遠に経済成長が続けられると本気で思っているのだろうか? 環境汚染や環境破壊が問題ないとでも思っているのだろうか? 私には不思議でならない。

 話しを元に戻そう。化石燃料がもたらした高度経済成長は物質的豊かさや利便性に寄与したが、一方で格差が広がり人々の憎悪感情は増した。資本主義は終焉にさしかかり、これ以上経済成長が続かないのは明らかだ。そして日本では否応なしに少子高齢化が進む。私たちが生き続けるためには富を再配分するとともに定常経済を保つしかないだろう。そして、私たちが目標とすべきは「平等に貧しく」というより「現状維持での平等」だ。

 ここでいう「現状維持」とは、衣食住に困ることなく現在の利便性の多くを享受でき、趣味や芸術、旅行などを楽しむ余裕もあり、教育や医療、福祉などの社会保障が整っている状態だ。もちろん格差をなくしすべての国民がそのような生活を享受できることが前提だ。充実した社会保障制度で高齢になっても病気になっても衣食住に困らない生活が保障されているなら、人は貯蓄に励む必要はない。

 無駄な公共義業をやめ、米軍への思いやり予算や海外へのばら撒きをやめ、仕事をシェアし、非正規雇用をなくして労働条件を改善し、大企業への優遇はやめて内部留保を放出させれば、定常状態での現状維持は不可能ではないと思う。

 私は「定常」が正常だと思うが、だからといって科学や科学技術がこれ以上発展しなくてもいいとは思っていない。化石燃料に頼らずに人類が生きていくためには再生可能エネルギーの普及は欠かせないし、そうした技術開発は続けねばならないだろう。また人々の知的好奇心もないがしろにしてはならない。ただし学問も科学技術も、一部の人たちが富を独占するための道具になってはならないと思う。

 定常経済の社会が具体的にどんなものになるのかは水野氏も分からないという。もちろん私にも分からない。しかし、産業革命以来の高度経済成長がもたらした負の側面にいつまでも目をつむっていたなら、自分たちの首を絞めるとともに未来の人たちへのツケを大きくするだけだ。


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