鬼蜘蛛の網の片隅から › えりもの森裁判 › 「えりもの森裁判」って知ってますか?
2007年05月19日
「えりもの森裁判」って知ってますか?
一昨年の秋のことです。ときどき調査で出かけていた日高管内のえりも町の道有林の一部が皆伐されてしまったのです。それまでトドマツなどが茂っていた森が、突然なくなってしまいました。そして、その近くでは間伐のための集材路が造成され、ナキウサギの生息地が破壊されてしまいました。ここは希少な猛禽類も生息している森なのです。
今どき皆伐?! 私たちはびっくりしてしました。北海道は平成14年から木材生産のための伐採はやめて、森林の公益的機能を重視した森づくりをすると方針転換したからです。こんなふうに皆伐してしまったら森林のもつ公益的機能は損なわれるだけです。どうしてこんな伐り方が「公益的機能重視」になるのでしょうか?
こんな疑問をもった道民3人が、北海道の監査委員に対して住民監査請求をしました。北海道の条例や生物多様性条約に違反する伐採によって森林の公益的機能が損なわれたので、その損害を賠償するようにと。北海道は、森林の公益的機能を金銭的に評価していて、その価値は年間11兆1300億円と試算していたのです。
ところが、その住民監査請求は不受理とされてしまいました。「森林の公益的機能は財産として評価できない」という理由です。却下ではなく不受理です! 私たちはもちろん納得できません。住民監査請求が認められない場合、請求人は裁判を起こすことができます。住民訴訟です。そうして一昨年の年末に提訴したのが「えりもの森裁判」です。
さて、その裁判の原告となっている3人とは、道警の裏金問題の追及で大活躍した札幌の市川守弘弁護士、「ナキウサギふぁんくらぶ」代表の市川利美さん、そして私なのです。そして、弁護団は市川弁護士が中心となり、全国の環境問題に関心のある弁護士さんたちが大勢、ボランティアで参加してくださっています。本当にありがたいですね。
昨年は、入口論でのやりとりになりました。「住民監査請求は不受理であり提訴できない、森林の公益的機能は財産とはいえない」という北海道に対し、原告は「不受理は不当であり、森林のもつ公益的機能は財産として評価できる」と主張してきました。今年の2月にその入口論での判決が出され、原告の主張が全面的に認められたのです!
森林というのは、洪水や山崩れを防止したり、二酸化炭素を吸収して酸素を放出したり、野生生物の生息地になるなど、さまざまな公益的機能をもっているのですが、その森林の価値が認められたのです。これは画期的な判決といえると思います。
そんなわけで、今年からは裁判は「本論」に入っていきます。次回の口頭弁論は以下の日程です。興味のある方は傍聴にいらしてください。
6月15日(金)午後1時15分より 札幌地方裁判所(1階の事務所で法廷の場所を聞いてください)。
また、これまでのことをもう少し詳しく知りたい方は、私がインターネット新聞に投稿した以下の記事を覗いてみてください。
道有林にみる森林伐採の実態
北海道、法廷に持ち込まれた伐採問題
相次いで発覚した北海道の違法伐採
「えりもの森裁判」で画期的な中間判決
「えりもの森裁判」高裁判決
えりもの森裁判(1審の差し戻し審)を終えて
えりもの森裁判差戻し審で過剰伐採を認定
えりもの森裁判が結審
「えりもの森裁判」差戻し審の争点
地裁差し戻し審が始まった「えりもの森裁判」
えりもの森裁判(1審の差し戻し審)を終えて
えりもの森裁判差戻し審で過剰伐採を認定
えりもの森裁判が結審
「えりもの森裁判」差戻し審の争点
地裁差し戻し審が始まった「えりもの森裁判」
Posted by 松田まゆみ at 18:59│Comments(2)
│えりもの森裁判
この記事へのコメント
鬼蜘蛛おばさん様
こんばんは。
拙ブログにお越しいただきありがとうございます。
こういう問題で、行政にいつも不満を感じるのは、言葉尻を使って論議自体から逃げる態度ですね。「○○には馴染まない」とか「○○とは(法解釈上)言えない」とか・・・議論したいのは違うことなのに(それをわかってて、というのがまた悔しい。そうやって時を費やしてゆくのがまた惜しい)
お互い論陣を張ってガンガンやったほうが、反対の立場からでも相手の考えのツボが理解できるので、互いに収穫があるはずなんですがね。
いずれにせよ、法的な意味での財産論はともかくとして、森林の保全には意味も価値もあります。そして、その価値の恩恵を受けるのは子々孫々でもあります。それが「財産」でなくて何だ、ということですね。財産を損なわないように慎重に運営するのも、また当然ですね。
冬野
こんばんは。
拙ブログにお越しいただきありがとうございます。
こういう問題で、行政にいつも不満を感じるのは、言葉尻を使って論議自体から逃げる態度ですね。「○○には馴染まない」とか「○○とは(法解釈上)言えない」とか・・・議論したいのは違うことなのに(それをわかってて、というのがまた悔しい。そうやって時を費やしてゆくのがまた惜しい)
お互い論陣を張ってガンガンやったほうが、反対の立場からでも相手の考えのツボが理解できるので、互いに収穫があるはずなんですがね。
いずれにせよ、法的な意味での財産論はともかくとして、森林の保全には意味も価値もあります。そして、その価値の恩恵を受けるのは子々孫々でもあります。それが「財産」でなくて何だ、ということですね。財産を損なわないように慎重に運営するのも、また当然ですね。
冬野
Posted by 冬野由記 at 2007年05月20日 22:12
冬野由記様
昨年は入口論で終始しましたが、こうなってしまったのは北海道側が本論に入ってもらいたくなかったからだと思います。本論に入ってしまうと、いろいろ都合の悪いことが多いのかも知れませんね。でも、冬野さんのおっしゃるとおり、真正面から議論して欲しいですよね。
入口論の判決で、裁判所が森林の価値が認めたということは、これから自然保護や環境保全の活動をしていく上でも、とても意味のあることだと思います。
昨年は入口論で終始しましたが、こうなってしまったのは北海道側が本論に入ってもらいたくなかったからだと思います。本論に入ってしまうと、いろいろ都合の悪いことが多いのかも知れませんね。でも、冬野さんのおっしゃるとおり、真正面から議論して欲しいですよね。
入口論の判決で、裁判所が森林の価値が認めたということは、これから自然保護や環境保全の活動をしていく上でも、とても意味のあることだと思います。
Posted by 鬼蜘蛛おばさん at 2007年05月21日 09:26
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