さぽろぐ

  日記・一般  |  その他北海道

ログインヘルプ


鬼蜘蛛おばさんの疑問箱 › 共同出版・自費出版 › 被害者組織って何?

2008年03月13日

被害者組織って何?

 私はこれまでにさまざまな自然保護NGOに関ってきました。NGOとは民間の非営利の団体です。では、NGOの基本とは何でしょうか? 私は、目的を同じくした組織の構成員による主体的な活動だと考えています。

 組織の構成員である個人が、目的達成のためにそれぞれ意見を出しあい、意見交換して考えながら活動をしていくということです。会員個人の意見や活動を尊重し、下(メンバー)から上(組織の中枢)への流れの中で活動していくのです。「個人が自分の問題であると捉え、自分が行動しなければ誰も動いてくれないし変わらない」、これは私がNGOに関るとき、常に感じてきたことです。学生時代からずっと・・・。

 この流れが逆になってしまうと、上から下の押し付けになってしまい、会員の主体性が奪われ中枢メンバーの意のままの組織になってしまいます。ですから、NGOというのはメンバーの意見が反映されやすい規模のまとまりであるほうが適していると思っています。

 大きくなればなるほど、中枢の判断、行動に重きがおかれ、メンバーはそれに従属するような形になってしまいます。そうなると、中枢で不適切なことが行われた場合も、メンバーがそれを修正できなくなってしまうのです。これはNGOにとって致命的といえるでしょう。

 個人の主体性を基本とするなら、個人で活動すればいいのです。それなのに、なぜNGOをつくるのでしょうか? それは、多くの意見・アイディアを取り入れることで、活動が充実するからであり、一人では無視されてしまうことでも無視せざるを得ない状況にできるということです。また、一人では困難なことでも、複数の人たちが協力しあうことで成し遂げられることも少なくありません。

 でも、自分が主体になろうと思うのではなく、組織が何かしてくれるだろうと頼ってしまう人が多いというのが現実なのかもしれませんね。共同出版問題でも、そんな風に思ってしまうことがあります。

 「新風舎商法を考える会」は尾崎浩一氏がつくり、中心になって活動している団体のようですが、尾崎氏は新風舎の被害者だったのでしょうか? 本当に新風舎の被害者の立場になって行動していたのでしょうか? 彼についていった人たちは、結局は自分で考え行動するのではなく、彼を頼ってしまったのではないでしょうか? 尾崎氏は文芸社をまったく批判していなかったようですが、著者の方たちは文芸社に事業譲渡されたことに納得できたのでしょうか?

 私が被害者の会の代表として常に思うのは、やはり被害者意識を持った人たちの主体性の問題です。被害者は事実を知って、何をすべきなのか? それは被害者個人個人が考えていかなければなりません。誰かに頼っていたのでは、誰も解決してくれないということです。解決を助け、ともに行動するために組織があるのです。

 まして、被害者にとって「新たに本をつくる」ことが問題解決ではないはずです。もちろんそれは著者にとってひとつの重要な課題ですが、共同出版の問題解決の道はそこにはありません。利害関係のある業界の方に相談して納得ができますか? 自分が納得した本づくりができれば、被害は回復できますか? 悪質な出版商法はなくなりますか? 新たな被害を防ぐことができますか?

 先日JANJANにこんな記事が掲載されていましたが、被害者の方たちはこれを読んでどう感じるでしょうか?

自分しかいないよ 新風舎関連の記事を見て

 この記事では「スイミー」が取り上げられています。「スイミー」というのは小さな魚が集まって、大きな魚の形をした群れになることで、自分たちを食べる大きな魚から身を守るという内容の絵本です。みんなが知恵を出し合い行動することで、敵を追い払うことができるというお話しです(余談ですが、日本語版の訳者は新風舎と関係が深かった谷川俊太郎さんでした)。

 マスコミが頼りにならない以上、この商法に関った著者や元社員などが、体験者としてそれぞれこの商法のおかしさをブログやインターネットメディアで公開する、そうやって大勢が意思表示するだけでも意味があると思います。もちろん新風舎だけではなく、文芸社をはじめとした同様の商行為を行っている出版社から本を出した方たち一人ひとりが発言するということです。

 ただし、自分の交わした契約に照らし合わせて、実態がどうおかしいかを主張しなければ意味がありません。サービスの契約だ、著者は消費者だなどと主張したなら、出版社の思う壺です。

 新風舎だけでも1万5千人もの著者がいるとされているのですから全体ではかなりの被害者がいるのです。大半の人が泣き寝入りするだけ、あるいは新たに本を出すだけなら、こうした商法は衰えることを知らないでしょう。


あなたにおススメの記事


同じカテゴリー(共同出版・自費出版)の記事画像
「あなたの本」って誰のもの?
同じカテゴリー(共同出版・自費出版)の記事
 コンテスト商法と電子出版勧誘にご用心 (2017-08-29 17:13)
 日本文学館から自費出版した二人組のトラブル顚末記③ (2015-04-20 11:50)
 日本文学館から自費出版した二人組のトラブル顚末記②(追記あり) (2015-04-12 06:53)
 日本文学館から自費出版した二人組のトラブル顚末記① (2015-04-11 12:00)
 自費出版トラブル問題で暴かれた欺瞞(追記あり) (2015-03-08 21:43)
 zih*s*uppan*さんへのお返事(随時追記) (2015-01-15 22:57)

この記事へのコメント
こんばんは。被害者組織が作られない、または有効に機能していない事は私も不思議に思っていました。私の考えでは、原因は被害者の性質にあるかと思います。
問題の出版社で企画出版を目指して応募する事は、「努力しないで結果が欲しい」という願望の現れとも言えます。名のある大きな賞を狙わず、編集者にしごかれる苦痛を避け、お金で結果が得られる出版社を選んだからです。他の自費出版会社や流通させる手段を調べられなかったという点でも情報収集能力不足です。
努力ができない、苦痛は避けたい、情報収集能力不足…このような性質では、組織を作る事も訴訟沙汰も耐えられないのではないでしょうか。
きつい書き方になってしまって被害者の方には申し訳ありませんが、この通りでないのなら、その姿勢を見せて欲しいです。

新風舎で出版をした人は、学生・主婦・定年退職者など、資金に余裕があり、自分の所得で生計を立てていない人が多く、うつや行動障がいなど、精神的に不安定な症状をかかえている方も多いように見受けられます。(出版社のデータが欲しい所です)
正気なら絶対にしないような不当な契約を結ばされてしまうのは、学生さんなど実社会で契約の恐ろしさを痛感していない方が「よく分からないまま契約」してしまっているのではないでしょうか。
また、若い方やうつなどの方の場合は、「自己実現」を刺激する事で高額の契約でも格段にハードルが低くなると思われます。「作家になれるかもしれない」という夢は、彼らにとって高くて当然だからです。
契約の内容、自著の所有権などという次元を越えて、「私を作家としてデビューさせてくれる」事に対して出費している意識なのでしょう。

「谷川俊太郎さんや江川紹子さんが広告で出ている出版社」「新聞でいつも広告が出ている」「社長さんが詩人だから表現者を大切にしてくれる」「青山の立派な出版社」
=出版社に対する信頼

「賞が取れた」「出版プロデューサーがこんなに作品を褒めてくれた」「全国の本屋に並べてくれる」「流通と広告費は出版社が出してくれる」
=自分の作品に対する自信

「そこまでいい作品なら売れるかもしれない」「増刷もできるかも。そうすれば印税も入ってくるし」
=費用回収への期待

「費用は高いけど、全国で買えるようになるなら当然」「売れなくても、本屋に置かれるんだから他の有名出版社に見てもらえるかも」
=未来の可能性への投資

「自著の買取りは有料って言うけど、ずっと売り続けてくれるなら在庫も減るし自分が大量に買い取るような事にはならない」「期限までに入金しないといけないから早く決めないと」「費用が高いのはきっと仕事のクオリティが高いから」
=疑念を自ら納得させ、よく調べる余裕も持たず契約へ

このような経緯が想像できます。契約について精査せずとも、作家デビューの可能性にジャンプできてしまう構造です。全く「ノー天気」と言われても仕方ないですが、本を出す人のレベルが高いというのは理想に過ぎません。
出版に関する知識、・情報を得る努力をしない人も、ネット環境になくて情報が不足している人も(松田さんに同意で、ネットには有用な情報が多いと思います。事実ネット情報によって出版を取りやめた事例も多くあります)、出版できてしまう、こうしてここまでの問題になったという事ですね。

松田さんは「共同出版で本を出した被害者」を視野の中心に置いているのに対し、柴田さんは「共同出版システム全体」を興味の主体としているので、被害者に対する温度が違うのは仕方がない事でしょう。
ですが、「分からないまま契約して」被害者になってしまう人を減らす事は大切と考えます。
Posted by ゆり at 2008年03月14日 02:59
ゆりさん

 共同出版利用者の人物像、私もそのように想像します。
 実際自著を印刷屋にもっていき印刷・製本を依頼し、出来上がったものを書店に持っていけば、大体おいてくれます。
 ただ委託ということですから、あまり多くの書店にもっていくと管理が大変になります。その手間を省きたいということであれば共同出版は確かに利用価値があります。その費用が見合ったものか否かはもちろん別ですが
 また宣伝についても新聞社に足を運べば、地元版で紹介してくれます。もちろん無料です。ただし、あまりにも本の体裁から程遠いものであれば、断られるかもしれません。
 地元版に載るだけでも百冊ぐらいは捌けます。
 いわば自身で動きたくないから、共同出版を利用した、こうした者もかなりの数を占めるでしょうね。ここまで考えていない者も相当数いるのではないかということがゆりさんや松田さんの話からわかってきましたが

 さて、私はいわゆる人文科学系のジャンルで自著を出版しましたが、こうした分野においては、少なくとも著作権法の引用の規定は必須のものになります。しかし、共同出版に限らず、いわゆる素人さんが書かれたこのジャンルのもので、引用の要件を満たしていないものを目にします。
 この著作権法の引用の要件を理解しているか否かで、論証のレベルに格段の差がつきます。著作権法の引用の要件を満たさないような引用をしている書は論証が甘く、全体の原稿のレベルも低いものです。なぜなら、こうした分野では先行資料の引用は不可欠であり、資料の引用に当たり、著作権法を紐解かないという姿勢は、そもそもの資料の収集能力及びその分析能力についても問題があるからです。
 付け加えておけば、いわゆるトンデモといわれるものも実はこの引用の要件の理解の欠如から生まれるといっても過言ではないと思います。

 こうした者にしても漠然と著作権という概念は意識していると思います。ただし、著作権法という法律の詳細については知るはずもなく、調べようともしない、人文科学系のみならず、他のジャンルにおいても変らないと思います。

 共同出版の利用者は、人文科学系より児童書などが圧倒的に多いと思います。この分野では資料の収集あるいは引用という作業は少ないと思いますから人文科学系に比べ、著作権法にアクセスする機会は少ないかもしれません。
 ただ、今回の新風舎の倒産で新風舎のデータを使って新たに出版する、譲渡を受けた文芸社であればともかく、自費を含めて他社から出版する場合には、問題があります。
 文章部分の著作権(言語の著作物の著作権)については、編集がされていても著者に帰属すると判断できますが、往々にしてこうしたジャンルでは挿絵などが入れられています。この挿絵については、挿絵を創作した者が原則として著作権者になります(原則としてとしたのは、法人著作の例外があるから)。
 表紙についても同様です。
 挿絵や表紙まで含めて自ら創作したのであればともかく、そうでない者が文芸社以外から再出版をする場合には、こうした問題をクリアしなければなりません。
 クリアできなければ今度は自分が著作権侵害という加害者になるわけです。
 こうしたこともおそらく考えていないのではないかと思います。
Posted by 柴田晴廣 at 2008年03月14日 09:22
ゆり様

著者の意識をまとめてくださり、ありがとうございました。おしゃるとおり、人というのは舞い上がってしまうと他のことが見えなくなってしまうものです。本を売ることがどんなに厳しいかという現実を見失って夢を見てしまうのでしょう。

共同出版問題に限ったことではないのですが、いわゆる悪質商法の被害者はなかなか行動を起こそうとしません。共同出版の場合は被害者意識のない方もたくさんいることが一つの要因ですが、それだけではなくどうしても自尊心が働いて、自分は騙されたとは思いたくないのでしょうね。「騙されたのが悪い」などと言われてたら、それだけで沈黙してしまうものです。著者の方たちは友人や知人に自分の著書を配っていますから、余計にバツが悪いのでしょう。でも、騙されたのであればそれを認めるという姿勢も必要だと思うのです。

もう一つは日本人の消極性でしょうか。日本人は昔から「出る杭は打たれる」などといって自分から行動に出ることを嫌がります。それに社会問題に対して「憤って発言する」ということが少ないのではないでしょうか。でも、おとなしくしていたら騙そうとする人の思うままの社会になってしまいます。それは共同出版問題に限ったことではありませんよね。

誰でも自分の経験や気持ち、怒りを伝えることくらいはできるはずです。調べればいろいろなことがわかってきます。そうやって「おかしい」と思ったことを多くの人に伝えることができれば、より多くの人が出版について深く考えるようになると思います。

新風舎はブログなどで批判した人に対して削除要請をしていたようですが、そういうことに対しても、きちんと憤るべきだと私は思います。ブログなら匿名で書けますし。


柴田晴廣様

柴田さんのように、ご自分の本のジャンルや内容によっては自分で販売したり、近隣の書店に置いてもらうという方法も有効だと思います。何のために出版して、誰に読んでもらいたいか、そして現実の厳しさを知れば、自ずと方向性が見えてくるのではないでしょうか。

著作権法については、やはり著者自身が必要性を感じなければ調べたりはしないのでしょう。趣味で絵本や詩集、小説などを書いている方は、ほとんど頭にないと思います。

確かに、新風舎の未刊の著者さんが勝手に本を出版してしまった例は大きな問題だと思います。あの本は表紙のデザインも新風舎から委託をうけたデザイナーが描いたもののようですから、それをそのまま使うのであればきちんとした手続きが必要だったでしょう。著者の方は、そういうところに思い至らず出版してしまったのでしょうけれど、きちんと調べるべきだったでしょうね。

もちろん、デザイナーや著者の間をとりもって出版させてしまった業界人に大きな責任があるのはいうまでもありません。業界人こそ著作権法に精通していなければならない立場なのですから。新風舎の本はあの一冊だけでもう手がけないなどと言っているようですが、ついこの間までは随分著者を集めていたのではないでしょうか? それに、一冊だからいいということではありません。

さらに、そういったことを調べもせずに、取材依頼に応じて本の宣伝をしているマスコミも情けない限りです。
Posted by 松田まゆみ at 2008年03月14日 13:22
松田まゆみ様

 書籍はジャンルによって適正発行部数が異なるものです。
 それを一律に千部とか最初から決めている共同出版、あるいは新風舎の倒産に便乗して共同出版利用者の確保を狙った出版業者。こうした問題を考え直すだけでも、利用者の後悔は少なくなるはずです。
 ジャンルを問わず最初から発行部数を決めていること自体、読者に顔が向いていない証拠、つまり販売戦略も考えていない出版社と考えていいわけです。

 絵本や詩集はともかく、小説については、ある程度、事前に知る必要はあると思います。ただ出版した以上、今度は自分の著作物が利用される立場になるわけですから、自分の権利は自分で守るという観点からも普通に考えれば、関心を持たないのが不思議です。
 まして新風舎利用者の中には、自著を「わが子」と表現している方がかなりの数でいるわけですから
 わが子を侵害からどうやって守ろうとしていたんでしょうね?

 新風舎のデータをそのまま使って出版した件について補足しておけば、表紙なども著作物ですから、それをなんら権限なく、インターネット上にアップロードすれば公衆送信権(著二三条)の侵害を構成します。
 ただし引用の要件を満たせば別ですが、引用の要件のひとつとして「報道、批評、研究その他の引用」(著三二条一項後段)が掲げられていますが、単なる紹介、特に販売のための紹介はこの要件を満たしません。

 あのひと「新風舎の本はあの一冊だけでもう手がけない」っていってるんですか?
 仕掛け品のうちの50~60冊は、っていっていましたが、ころころかわるんですね。
 善悪は別にして倒産した新風舎でさえ、一貫したポリシー(著者はお客様)をもっていました。
 その意味では、新風舎以下なんですね。
 松田さんともあろうお方が彼を信じてしまったのが不思議です。
Posted by 柴田晴廣 at 2008年03月14日 16:05
柴田晴廣様

おっしゃるとおり、一律に1000部なんていうのはおかしいですよね。ジャンルによって提案部数を変えるのが当然でしょう。

高石氏は言うことがころころ変わるんです。文芸社に事業譲渡が決まったから、これ以上はマズイと思ったのか、それとも弁護士に釘を刺されたからなのか・・・。だから余計に信用できなくなります。

本当に、信じてしまったのは不覚の至りですね。ここまでとんでもない人とは思いませんでした。まあ、「騙される」というのはこういうことを言うのでしょう。できることなら人は信用したいものですが、どうしても信用できない人もいるものです。

まだまだ彼を信じている人がいるようですけれど、私は彼がブログでどう弁明しようともう騙されません。ついでに言うなら、尾崎氏にも騙されましたよ。彼は私に「自分は文芸社のシンパではない」などと言っていましたが、彼の言動はとてもそうは思えませんからね。
Posted by 松田まゆみ at 2008年03月14日 17:16
松田まゆみ様

 先の記事のコメントで「関連法令やその周辺の事情を自分で下調べもせず、勝手な皮算用をし、当てが外れると騒ぎ出す」と共同出版利用者を厳しく批判しましたが、「当てが外れると騒ぎ出す」というのは、まだやっていないようですが、「関連法令やその周辺の事情を自分で下調べもせず、勝手な皮算用をし」は高石氏にもまるっとあてはまりますね。
 だいたい彼が根拠にしていた判例と新風舎倒産にあたってのデータの使用では、まったく事情が異なります。それを勝手にOKと思い込んだのが高石氏です。
 仮に高石氏がいうようにデータが所有権が著者にあったとしても先に書いたように、表紙のデザインなどの著作権についての処理が残ります。
 これも先の記事のコメントで書きましたが、三月六日付けの川島弁護士の「コンテスト応募原稿返却のお知らせ」の尚書が「俺マジ」の釘刺しっていうのをみて、あわてたんでしょうね。

 騙すより騙される人間の方がいいですよ。かくいう私も若いときにかなり醜い騙しにあっています。ただそれを教訓として活かすには、なんで騙されたか、プライドとか捨てて向き合わなけゃだめなんですね。
 私が厳しいことをいうのも、結局はプライドを捨てなきゃ解決しないと思うからです。

 さて先のコメントで自分の著作は自分で守ると書きましたが、それで飯を食ってる奴も怪しいものです。
 私はミクシィというのに興味がありませんが、そのミクシィの利用規約が改正になったようですね。改正に当たって、著作を生業にしている者が退会するというようなことがニュースになりましたが、blogでは、以前からこうした規約が盛り込まれていました。
 私がblogをはじめたころですから四年ぐらい前でしょうか(私のblogは、一度リセットしてすべての記事を削除しました)、私はblogをはじめるに当たり最初に書いた記事が各blogの利用規約の検討でした。結論からいえば、ミクシィが移転の登録等をしなければザルのような規約です。
 書き下ろしたものを「現代社会と知的財産権法」の第三編としてHPにUPしてありましたが、今年になって削除しました。削除の理由については右記頁(http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/newpage4.html)に書いてあります。

 ここで思うのは、私が特許に接した二十数年前、このころの状況と非常に似ています。
 当時大企業はともかく中小企業などでは、特許法を理解し、それを駆使して戦略とするなどまだまだ一部でしか行われていませんでした。
 それが海外との競争などで、いやおうなしに特許法の知識なしではやっていけなくなり、いまでは、ある程度の企業では特許法を活用した企業経営を行っています。
 ご承知のように出版業界は、再販価格維持制度、あるいは取次ぎの寡占といった問題で競争原理が働いていません。
 私が再販価格維持制度を問題にしているのも競争原理を働かせ、文化の発展を法目的とする著作権法に則った健全な業界に再編する必要があるように思うからです。
Posted by 柴田晴廣 at 2008年03月14日 18:20
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
被害者組織って何?
    コメント(6)