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鬼蜘蛛の網の片隅から › 政治・社会 › 生物の死とは?

2009年07月17日

生物の死とは?

 先日、改正臓器移植法のA案が参院であっけなく可決されてしまいました。「脳死は一般的に人の死」と位置づけるそうですが、十分な審議もされないまま人の死をこんなふうに扱ってしまうことに大きな疑問を抱かざるをえません。

 今回の改正には国際移植学会が渡航移植の禁止を求める宣言をし、世界保健機構もそれを追認する方針になっているという背景があります。日本人の渡航移植について国際的な批判がある中で、移植しか治療法のない患者を国内で救済すべきだという考えが根底にあるのでしょう。しかし、渡航移植の問題と生物の死の定義は別のことではないでしょうか? 移植で救える命があるというのは事実ですが、やはり今回の改正は「はじめに移植ありき」で進められたという感が否めません。

 動物の死とはどういうことでしょうか? 犬や猫などのペットの場合でも、すくなくとも私達は心臓が止まり、体温のぬくもりがなくなってはじめて死を実感し受け入れるのではないでしょうか? 臓器提供を拒否している人が脳死になった場合も、医師は「脳死は人の死だから」といって死亡診断書を書くのでしょうか? 脳死だからといって人工呼吸器を取り外すのでしょうか? たぶんそんなことにはならないでしょう。とすると、死の判断や扱いが状況によって違ってくるのです。医療の現場では脳死の判定に混乱は生じないのでしょうか?

 脳死を人の死とするのは、移植医療を前提としてのことなのです。移植医療自体を否定するつもりはないのですが、それを前提に死の定義を決めてしまうのはやはりおかしいとしか思えません。

 生物である以上、いつかは死が訪れます。生命とは何か、そして死とは何か? 逃れることのできない死と、私達はどう向き合うべきなのか? 医療はどこまで踏み込むべきなのか? 私たちは改めて見つめ直す必要があるのではないでしょうか。


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Posted by 松田まゆみ at 11:46│Comments(6)政治・社会
この記事へのコメント
渡航移植の問題を近道で結論付けてしまった気がします
まったく私の私見になってしまい論点が
ずれてしまうかもしれませんが
死というものを大まかにマニュアル化してはいけないと思っています.

生き方が千差万別なように死はその人個人のものです.
医療はその支えでしかありません.
人の意思の中に入り込むべきではありません.
Posted by こるとれーんtone at 2009年07月17日 18:09
こるとれーんtone様

渡航移植の問題解決ばかりに気をとられ、大事なことがあまりにも拙速に決めてしまったと思います。多くの医療関係者がとまどっているのではないでしょうか。脳死者の家族の心的負担も大きくなるでしょうね。

なんだか、重要な法案がずいぶん安易に決まってしまうことが多く、こんなことでいいのかと暗鬱な気分になります。
Posted by 松田まゆみ at 2009年07月17日 19:56
私にはまだ脳死も移植のこともなかなか結論がつきません。
移植を待っている人の事を考えると、いつまでも国内ではだめだから、外国へ行き臓器を移植させてもらうというのは、相手の国で移植を待っている人はどう感じるだろうか。

また、人工呼吸器を外してしまうと、生きられない状態とは? 一昔前の医療が発達していない頃ならすでに生きられない状態? 今でも医療が発達していない国ではどうだろう。

また移植しか道が残されていない患者にしても同様のことが考えられ、自分が、家族がどちらの立場になったとしたら、心的負担、経済的負担をどこまで耐えられるだろうと、つくづく命ってなんだろうと考えさせられます。

考えても考えてもまだどちらとは言えません。
Posted by BEM at 2009年07月18日 00:03
BEM様

確かに難しい問題ですね。だからこそ今回のような拙速な決め方は問題が多いと思います。

私は、脳死での臓器移植はやはり臓器提供者本人の意思を尊重するのが基本ではないかと思います。そして、移植医療というのは「自然の摂理」とは相容れない要素をもった医療であることも認識する必要があると思います。
Posted by 松田まゆみ at 2009年07月18日 09:55
脳死=人間の死 
そんなに数学的に片付けられますか!!!

人の命はもっと尊いのです。
それが分からぬ者は人間止めてくれィ!!
Posted by jijii at 2009年07月18日 15:27
jijii様

今回の判断で一番不可解に思うのは、移植医療を推進させたいがために脳死を人の死と位置づけてしまったこと。判断の順序が違うのでは…と思います。脳死を死と認めがたい人がたくさんいる中で、あまりにも安易でした。
Posted by 松田まゆみ at 2009年07月19日 05:47
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