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鬼蜘蛛の網の片隅から › 自然・文化 › アイヌ墓地発掘問題でシンポジウム

2011年06月01日

アイヌ墓地発掘問題でシンポジウム


 北海道内でも、あまり多くの人に知られていないのだが「アイヌ墓地発掘問題」というのがある。かつて北海道大学などの人類学者や解剖学者がアイヌの墓地を発掘して遺骨を持ち出したのだが、遺族の了解なしに発掘が行われたり、副葬品が持ち去られたりした。小川隆吉さんは、発掘の真相を知るために北海道大学に情報開示請求を行い、次第にその実態があきらかになってきた。遺骨はどう扱われ、副葬品はどこに行ったのか? 以下は、この問題を考えるシンポジウムの案内である。

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公開シンポジウム
『さまよえる遺骨たち』 アイヌ墓地“発掘”の現在

<開催の主旨>
 北海道(日本の近代)には、かねてより「アイヌ人骨問題」が存在することを御存知でありましょう。明治時代より戦後に至るまで、北海道はもとより、樺太、千島においても、人骨の発掘と収集が行なわれてきました。その多くは北海道大学医学部人類学研究室のイニシャチブで行なわれました。1000体余りの御遺骨は、長く北大医学部に保存されてきましたが、アイヌやアイヌ協会などの抗議や要請があって、北大構内に「アイヌ納骨堂」が建立され、収蔵されております。毎年、イチャルパも行われておりますが、発掘をめぐる歴史的経緯やその真相が明らかにされたとは言えない状況にあります。遺骨の今後をどうするのかも問題があると言わねばなりません。

 また、発掘に伴い多くの副葬品が出土したはずですが、その多くの行方が分からなくなっているようです。小川隆吉さんは北海道大学に「アイヌ人骨」問題に関わる文書の開示を求め、交渉を続けてきました。それなりの文書が開示され、それを読む研究会が行なわれております。研究会は人骨問題をめぐる歴史的経緯と真相をさらに公開するよう北大と交渉してきましたが、事態は進展しているとはいえません。「アイヌ人骨問題」と副葬品問題の今日の状況をみなさまにお伝えし、共にお考えいただきたく、集いを計画いたしました。

さまよえる遺骨たち アイヌ墓地“発掘”の現在
日 時: 2011年6月10日(金) 18:30〜21:00
会 場: 札幌エルプラザ中研修室 札幌市北区北8条西3丁目 TEL:011-728-1222(代表)
参加料: 無料(申し込み不要です。シンポ資料を500円でお分けします)
プログラム:(変更される場合があります)
報告1「私が北大に文書開示請求した理由」 小川隆吉さん(アイヌ長老会議)
報告2「暴かれたお墓の真実」 城野口ユリさん(浦河文化保存会、少数民族懇談会)

講演「なぜ遺骨問題なのか—歴史的背景」 植木哲也さん(苫小牧駒澤大学)
パネルディスカション「さまよえる遺骨たち」
パネリスト(敬称略、順不同)小川隆吉/城野口ユリ/清水裕二/植木哲也ほか
コーディネーター 殿平善彦
集いの提言
主 催: 北大開示文書研究会 TEL(FAX)0164-43-0128
後 援: 少数民族懇談会、強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム、さっぽろ自由学校「遊」

<北大開示文書研究会>
2008年3月から9月にかけて、小川隆吉氏が北海道大学から開示を受けた「北海道大学医学部、児玉作左衛門収集のアイヌ人骨の台帳とそれに関連する文書」など多数の資料を精査し、当時「研究」の名目で道内外でおこなわれたアイヌ墳墓「発掘」の真実を明らかにすることを目的に、2008年8月5日、発足しました。工芸家、団体職員、教員、僧侶、牧師、会社員、ジャーナリストら約10人で構成。

<アイヌ墓地発掘問題とは>
 欧米を中心に「人種学」が隆盛を極めた時代背景のもと、1880年代から1960年代にかけて、和人の人類学者・解剖学者らが道内各地および樺太(現在のサハリン)などのアイヌ墳墓を発掘するなどして大勢の遺骨を収集、研究標本として持ち帰り、測定によってアイヌ「人種」の特徴を見出そうとしました。そのさい、遺族の了解なしに発掘(盗掘)がおこなわれたケースや、遺骨だけでなく副葬品(宝石など)が持ち去られたケースも少なくなかったと考えられます。当時のおもな研究者に小金井良精(1858-1944)・帝国大学医科大学教授、清野謙次(1885-1955)・京都帝国大学医学部教授、児玉作左衛門(1895-1970)・北海道大学医学部教授らがいます。

 北海道大学医学部では、そのように収集した大量の遺骨を、長年にわたって動物実験施設内などに放置していたことが1980年代に発覚。遺族や北海道ウタリ協会(現・北海道アイヌ協会)の抗議を受けた同医学部が、遺骨の一部(35人分)を遺族に返還したほか、構内に「アイヌ納骨堂」を新設し、残る遺骨(929人分)を安置し直しました。

 しかし、アイヌ墳墓からの「発掘」の詳しい実態や、持ち去られた副葬品の行方などが不明のままだったため、2007年から小川隆吉氏が改めて、北海道大学に対して関連資料の開示を請求。これまで計35点分の文書資料が開示されました。

 このなかには、児玉作左衛門教授が担当していた「医学部解剖学第二講座」によるリスト「アイヌ民族人体骨発掘台帳(写)」(作成年不明)など、初めて公になった資料が含まれていますが、当時の研究報告書などとも合わせて精査したところ、資料ごとに、遺骨人数や副葬品数、現在の保管状況などに多くの矛盾点が見つかりました。


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Posted by 松田まゆみ at 12:36│Comments(0)自然・文化
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