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鬼蜘蛛の網の片隅から › 原子力発電 › これだけでも読んでほしい「わたしたちの涙で雪だるまが溶けた」

2011年12月26日

これだけでも読んでほしい「わたしたちの涙で雪だるまが溶けた」

 チェルノブイリで被災した子どもたちの作文集、「わたしたちの涙で雪だるまが溶けた」については「『私たちの涙で雪だるまが溶けた』を読んでほしい」で紹介した。ブログ開設者が10月から作文をアップしていたが、私もお手伝いをして50編すべての作文の掲載が完了した。

わたしたちの涙で雪だるまが溶けた 子どもたちのチェルノブイリ

 ここに掲載されている50編をすべて読むのは大変だと思う方は、最後に掲載されている本と同じタイトルの作文「私たちの涙で雪だるまが溶けた」だけでも読んでほしい。

 故郷を追われた方たちの悲痛な思い、そして病気との戦いという壮絶な日々は、体験した人でなければわからないし、本人だから伝えられるものがある。だからこそ、亡くなった少女の生の声を聞いてほしい。

***************

わたしたちの涙で雪だるまが溶けた
 イーゴリ・マローズ(男) 第四中等学校11年生 シュクロフ町

 祖母の住むマリノフカが汚染のひどいところだということを、当時はまだ誰も知らなかった。そこにはずっと昔から、野生のナシの木があった。いつごろからあったのか誰も知らなかったが、それは祖母の庭に生えていた。

 その夏、マリノフカには、すでに放射能が舞い降りていた。しかし人々は、これから恐ろしい不幸が起こるなどと、思ってもみなかった。

 その木は、庭のほとんど三分の一を日陰にするので、村の人たちは何度もこの木を切り倒すように祖母に助言した。しかしその都度、祖母は断り、こう言った。「そんなことしちゃだめなんだよ。この昔、この木の下に、罪のない女の子の血が流されたんだから」と。

 遠い昔の農奴の悲しい死の伝説を知っている人はたくさんいたけれど、みんなそれを本当のことだと信じていたわけではない。だけど、私の祖母は信じていた。この驚くべき古木は、祖母にとっては聖なるものなのである。

 僕のいとこのナジェージュダは、このナシの木が好きだった。その年の夏休みにも彼女は祖母のところにやってきた。その夏は、蒸し暑く、沈んだ雰囲気だった。でもおばあちゃんのいるマリノフカは、とても美しかったし、広々としていた。ナジェージュダは夏中、祖母の菜園に滞在し、種蒔きなどの手伝いをした。また彼女は森へ行って、イチゴやキノコを集めたり、近くの川で日光浴や水遊びもしたりもした。

 ある日、地区のなんだかえらい人が来て、「村の土や水や空気はとてもきれいであります。ここは安心して住んでいただきたい」と言って帰って行った。だから村人たちは安心して住み続けた。

 大きく枝を張り、葉を茂らせたナシの木の下で、ナジェージュダは水彩画を描いた。彼女は画家になることを夢見て、美術研究所で勉強していた。彼女はその夏、とても美しくなった。15歳だった。少女からレディーになった。彼女は日記を書きはじめ、そこに秘密の想いや印象を書き残した。しかし、この日記には、その後腫瘍専門病院での苦しみが書かれることになる。彼女の日記に書かれたことは全て、言葉で言い表せないほど、僕を揺り動かした。とりわけ、最後の10日間分の内容はそうだった。何という希望、生への渇望、人間的な尊厳だろうか。何という悲劇、取り返しのつかないわざわいを感じていたのだろうか。今、この日記は僕の手元にある。僕はこの勇気と真の崇高さが記されたナジェージュダの日記の、最後の数日分をここに紹介したい。

3月1日
 第12号室の男の子たちが、春のお祝いを言いにやってきた。病室には、もうすぐ春が来るというのに、不幸な私や男の子たちがいた。通りにはまだ雪が残っていて、彼らは雪だるまをつくり、病院の大きなお盆にのせて私たちの病棟に持ってきてくれた。雪だるまはすばらしかった。それをつくったのは、トーリャに違いない。彼は彫刻家を夢見ていて、いつも粘土で何かをつくっているから。彼は化学治療のあと、ベッドから起きることを今日許されたばかりだ。トーリャは、みんなの気分を盛り上げようとしたのだ。「だって、春が始まったんだから!」その雪だるまのそばにはメッセージがあった。「女の子たちへ。みなさんにとって最後の雪です!」と。「なぜ最後なの? 本当に最後なの?」私たちは、ひとりまたひとりと泣きながらたずねた。

 雪だるまは少しずつ溶けた。それは私たちの涙で溶けてしまったように思えた。

3月2日
 今日、おばあちゃんが来てくれた。大好きな、大切なおばあちゃんだ。彼女は私の病気の原因は自分にあると思っている。おばあちゃんに大きなナシの木の伝説を話してとお願いした。その大木の木の下で空想するのが好きだった。だけど、そこはチェルノブイリの事故のあとは大きな原子炉になったみたいだった。

 絵に描くためにおばあちゃんの話を細かいところまで漏らさないように聞いた。おばあちゃんは静かにおだやかに話しはじめた。

 「昔々、農奴制があったころのことでした。金持ちの領主が、貧しいけれど美しい娘を好きになりました。そして力づくで娘を城に連れて来たのです。マリイカは ― この娘の名前ですが ― ずーっと、城の中で泣き悲しんでいました。ある日、この悲しい娘は、鍵番の青年の手助けで、彼と一緒に領主のもとから逃げることができました。しかし、領主の使用人たちは、隠れるところのない草原に彼らを追い詰めました。無慈悲な領主は激怒して叫びました。『お前が俺のものにならないというのなら、誰のものでもなくしてやる』と。領主はサーベルで娘に切りつけると、その不幸な逃亡者は大地に崩れるようにして倒れました。その罪のないマリイカの血が流れたところに、美しい野生のナシの木が生えたと言われています。……これが私がずっとナシの木を守ってきた理由なのよ。でも今はね、ナジェージュダちゃん、もうこのナシの木はなくなってしまったの。どこからかクレーン車が来て、このナシの木を根っこから引き抜いてしまったの。ナシの木のあったところには、セメントが流し込まれ、何かのマークがつけられたの。
 もうみんな村から出ていってしまったわ。私たちのマリノフカは、空っぽになってしまったの。死んでしまったのよ」

 おばあちゃんが帰る時、私には頼みたかったことがあった。私が死んだら、墓地に埋めないで欲しい。それが心配だ。美しい草原か白樺林がいい。お墓のそばにはリンゴかナシの木を植えて欲しい。でもそんなことを考えるのはいやだ! 草にはなりたくない。生きなければならない! 生き続ける! 病気に打ち克つ力が充分にある。そう感じる!

3月3日
 できるかぎり痛みをこらえている。おばあちゃんの肖像画が完成した。おかあさんが、この絵を見て感動し、「ナジェージュダ、お前にはすばらしい才能があるんだね!」と言った。主治医のタチアナ先生は、私に勇気があったから治療も成功したと言ってくれた。元気づけられた。神様お願いします。持ちこたえ、生き続ける力をお与えください。お願いします。

3月4日
 医者はよくなっているというのに、どうして体力が落ちているのだろう。どうして急に病棟がさわがしくなったのだろう。点滴のあと、この日記をつけている。どうしてほとんど良くなっていないのだろう。同じ病室の友だち、ガーリャ、ビーカ、ジーマが私を見るとき、何か悲しそうな目をする。今まで以上にひどく同情してくれているのがわかる。彼女たちも同じような境遇なのに。わかった、誰も人間の苦悩を見たくないからだ。だがどうしようもない。ここの病棟は満員になっている。タチアナ先生の話では3年前には、入院患者はほとんどいなかったそうだ。これらのことは全て、チェルノブイリ事故によるものなのだ。この不幸をもたらした犯人をここに連れて来て、この病棟にしばらくいさせたいものだ。自分のやったことの結果を見せつけたい。

 アンナ・アフマートバを読み始めた。「私は最後のときを生きている」というテーマで絵を描きたくなった。

3月5日
 10号室のワーニャちゃんが死んだ。大きな青い目をした金髪の男の子で、病棟のみんなから愛されていた。まだ7歳だった。彼はここに来る前に、ドイツに治療に行ったこともある。昨日、ワーニャちゃんは自分の誕生日のお祝いだからと、全員にキャラメルを配ってくれた。私たちもお祝いに病室に行ったら、とても喜んでくれたのに。神様、あなたはなぜ、みんなに平等に親切ではないのですか。どうしてワーニャちゃんが……。何の罪もないのに。

3月6日
 どんな痛みでも我慢できるようになった。おかあさんがその方法を教えてくれた。私の胸に、病院の入口に立ちつくす母親たちの姿を焼きつけることを考えついた。母親たちは、私たちより苦しんでいる。彼女たちを見ていると、我慢しなければならないと思い、希望を持たなければと思う。

 不幸をともにする仲間が、どんなに痛みと闘っているかを見たことがある。それは15歳のボーバのことだ。母親は医者のところに走り、医者は彼に痛み止めの注射をする。薬の効く間だけ苦しみのうめきは止まり、泣き声はやむ。今後この少年はどうなるのだろう。私たちはどうなるのだろう。

 私が思うには、チェルノブイリの惨事は、人間の理解をこえたもののひとつである。これは人間存在の合理性をおびやかし、その信頼を無理矢理奪い去るものにほかならない。

3月7日
 今日、デンマークの人道的支援組織の人が来た。この病室にも、ふわっとした金髪の女性が入ってきた。とても美しく、魅力的な人だった。私のそばに座り頭をなでると、彼女の目に涙があふれてきた。通訳の人の話では、数年前、彼女のひとり娘が交通事故で突然亡くなったそうである。この外国のお客さんは、身につけていた十字架のネックレスをはずし、私の首にかけてくれた。子どもに対する純粋な愛は世界中の母親、みな同じであることを感じた。

3月8日
 今日は祝日。机には、オレンジ、バナナ、ミモザ、アカシアの花束が置いてある。それには、詩が書いてある美しい絵はがきが添えてあった。

  望みは何かというと
  あなたがよくなりますように
  あなたに太陽が輝きますように
  あなたの心が愛されますように
  あなたのすべての災難と不幸が
  勝利にかわりますように

 私たちはいつも健康と幸福を望んでいる。ただ勝利だけを。恐ろしい病気に打ち克とう。幸福はあなたのものだ。

 病院の講堂で国際婦人デーの集会が開かれた。トーリャと一緒に踊った。でもそれは少しだけ。すぐ目がまわりはじめるからだ。友だちが私たちは美しいペアだと言ってくれた。

3月9日
 おとぎ話は終わった。再び悪くなった。こんなにひどくなったことは今までなかった。朝から虚脱感がひどく、けいれんが止まらないが、薬はもう効かなくなった。最も恐ろしいことは、髪だ。髪が束で抜ける。私の頭からなくなっていく。

 回診のときにタチアナ先生は、治療はもう完了したので、あとは自宅で体力を回復させなさいと言った。私は先生の目をのぞき込んだ。そして理解した。全てのことを!

3月10日
 おかあさんは私の好きなコートを持ってきてくれた。それを着れば私だってまだこんなにかわいいのに! 私はやっと歩いて、病棟のみんなにわかれを告げてまわった。さようなら、みんな、私を忘れないでね! 私もみんなのことを忘れないから!

 ナジェージュダは3月の終わりに死んだ。日記の最後はラテン語の「Vixi(生きた)」で結んであった。彼女は自分の人生で何ができたのだろうか。彼女は何を残したのだろうか。何枚かの風景画とスケッチと肖像画。それと大地に残る輝かしい足跡だ。

 みなさん、子どもたちの無言の叫びを聞いてください。援助に来てください。神も、悪魔もいらない。ただ人間の理性とやさしい心だけが、痛み、苦しみ抜いている大地を救うことができるのです。みんなで一緒になって初めて、チェルノブイリの恐ろしい被害を克服することができるのです。



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Posted by 松田まゆみ at 17:28│Comments(0)原子力発電
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