異常としか思えない日本の中学、高校の部活動

松田まゆみ

2013年01月10日 12:04

 大阪市立桜宮高校で、バスケットボール部の生徒が顧問の教諭から体罰を受けて自殺したという痛ましい事件があった。日本の学校では、未だに体罰が平然と行われている。部活動での体罰は、権力者による指導という名のいじめと言うべき行為だ。

 この事件では、どうも教師による体罰、指導のあり方ばかりが問題とされているようだが、私は中学や高校の部活動自体にも問題があると思えてならない。

 部活動に参加するかどうかは、本来、生徒が自分の意思で自由に決めることだ。ところが実際には全く違う。娘の中学校でも、教師は部活動に参加するよう強く勧めた。部活動が内申書にまで関わってくるというのだ。ここからおかしい。

 しかも地方の小さな中学校では部の数も少ない。娘の学校では文科系の部活は吹奏楽部しかなかった。運動が苦手で、音楽も苦手な生徒はどうしたらいいのだろう。内申書という脅しによって、個性を無視した部活の準強要が行われているのが実態だ。

 もうひとつ異常だと思うのは、部活動の時間の長さだ。私の中学・高校時代には、部活は週に1回から数回だった。文科系のクラブに入っていた私の場合は、基本的には週に1回程度。体育系でも部活によって曜日が決まっていて、週に2~3回程度だったと思う。ところが、今は毎日夕方遅くまで部活をするというのが当たり前だ。

 私の知人の息子さんは、バスの時間の都合もあって、部活をして帰ると帰宅時間が毎日夜の9時過ぎだった。疲れて帰ってから夕食を摂って入浴をしたなら、自習などほとんどできないのではなかろうか。しかも土曜日まで部活があり、親が車で送迎をする。夏休みも然り。教師による体罰もあったらしい。毎日毎日、部活のために学校に通っているようなものだ。

 このような部活動は生徒の時間を著しく拘束してしまう。読書をしたり、趣味を楽しんだり、考え事をしたり、家事の手伝いをするということからも遠ざかってしまう。青春時代こそ、読書をし、親友と議論し、さまざまなことで悩む時期だと思うのだが、そうしたかけがえのない時間を奪っている。今の生徒たちは、そういう自由な時間の意味すら考えたことがないのかもしれない。異常としか思えない。

 体育系の部活の場合、しょっちゅう他校との試合がある。だからどうしても試合に勝つということが目標になる。なんでも勝つことがよいとされ、試合に向けてひたすら練習をさせられる。勝利至上主義は今も根強い。そんなに試合で勝つことが大事なのだろうか? 楽しめれば負けたっていいじゃないかと思うのだが、そういうことにはならないらしい。なんでもっとスポーツを楽しむというスタンスを保てないのだろう。

 ところが、これを異常だと思わない親が大半なのだ。頑張れることがあるのはいいことだ、という考えらしい。で、休みの日の部活の送迎も当たり前だと思っている。子どもたちも、勉強より部活が楽しいから、部活のために学校に行くも同然という生徒すらいる。だから、部活漬けの毎日でもみんなそれが当たり前だと思っている。

 部活そのものを否定するつもりはないのだが、日本の部活はあまりに異常なことだらけだ。それを異常だとも思わない教師や親も異常としか思えない。部活自体が異常なのだから、その異常の中で教師による体罰も黙認されたり見逃されてしまうのではないか。また、生徒が部活にばかりのめりこむ背景には、授業そのものが面白くないということもあるのかもしれない。受験、受験で追い立てられ、詰め込むだけの勉強ばかりさせられていたなら、そうなるのも不思議ではない。

 いちど定着してしまった部活動のあり方を大きく変えるのは難しいのかもしれないが、せめて部活への参加の自由を保障し、内申書と切り離し、活動時間も見直すべきだ。勝利至上主義になってしまうのは学校や教師の責任も大きい。無理なく楽しんで取り組むというのが本来の部活だと思う。




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