日本人の曖昧さこそが安倍首相の暴走を許しているのではないか
5月1日付の北海道新聞朝刊に「次世代の憲法 空気読み主流に同調」という記事が掲載されていた。
就活に失敗しないために周りに合わせて黒のリクルートスーツを着用する若者たち。山田昌弘氏(中央大教授)によると、その背景には同じ会社で一生働き続けたいという若者たちの安定志向があるという。さらに経済的な不安からくる多数派への同調意識が、改憲容認の空気が広がる要因のひとつだと分析している。つまり今の若者たちは、大人たちの主流が改憲容認だと感じ取りそれに同調しているというのだ。
これが事実なら、若者の親世代の意識が大きく問われることになるだろう。
私の若い頃も「周りに合わせる」という傾向はたしかにはっきりとあった。みんなと同じにしていれば陰口も言われにくいし安心という風潮があったし、学校でも他の人と違う意見をはっきり言うのが憚られるような雰囲気があった。つまりは自分の意見を主張すれば批判されたりいざこざの原因になるから、周りに合わせて曖昧にしていることこそ賢いといった人たちが多かったと思う。友人と政治の話しをしないというのも今にはじまったことではない。
そういう世代の人たちが親になり、自分の子ども達にも同じような生き方を求めたことが、今の若者の意識に大きな影響を与えているのではなかろうか?
私が子育てをしていた頃、大半の親は率先して自分の子どもが他の子どもと違うことがないよう気を遣っていた。たとえば服装ひとつにしても周りの子どもと同じようなものを着せる。自転車などの持ち物も同じで、誰かがマウンテンバイクを買ってもらうと、親が次々とそれに同調してマウンテンバイクを買い与えるのだ。同じにしなければ可哀そうだ、仲間外れにされる、という理由で。「違うことで仲間外れにしてはならない」と教えるのではなく・・・。
PTAの会合なども同じで、多数派に同調せず自分の意見をはっきり言うとたちまち批判の的になり、陰口が飛び交った。そして批判されないようにと声の大きな人に同調する人たちを目の当たりにした。子ども達の間のいじめと同じことが親の間でもまかり通っていた。むしろ、親世代にこそいじめの根源があるのではないかと思うこともあった。
今の若者たちが異常なほど周りに同調することに気を遣い「空気を読む」ようになってしまったのは、親世代の意識が大きいと思わざるを得ない。親世代の人たちこそ議論を嫌って多数派に同調し、子どもにもそう仕向けてきたのであり、若者たちが保守化している要因は若者たちだけの問題では決してない。
戦前・戦中は洗脳されて軍国少年へと突っ走った若者が大勢いたが、今はネットでさまざまな情報が手に入るようになった。若者こそネットを最大限に利用している。それにも関わらず、若者たちのネットはラインでつながることで安心を求めたり、あるいはネットで他者を叩くという歪んだ関わり方が多い。ネット時代の若者が、今の日本の危機的状況を察知できずに保守化に走ってしまうのは本当に恐ろしい。
安倍首相は米国に自衛隊を差し出そうとしているが、若者達は戦争に行くのは自衛隊員だけだとでも思っているのだろうか? 自衛隊が軍隊となれば自衛官を希望する人も減るだろうし、徴兵も時間の問題だろう。米国を見ていれば分かるが、貧困層こそ戦争に駆り出される確率が高くなる。しかし、若者が今の流れに抵抗しようとせず、ただ自分の安定・安心だけを望むであれば、「自分さえよければ」という発想にほかならない。いじめと同じではないか。
若者たちは日本が米国に追従するということがどれほど危険なことなのか本当に分かっていないのだろうか? たとえ正社員として安定した生活ができたとしても、自由に物も言えない監視社会になれば平穏な生活などなくなる。米国の戦争に加担すれば日本が攻撃されないとも限らないし、万一原発を攻撃されたらこの国はひとたまりもなく破滅の道を歩む。
大江健三郎氏は1994年のノーベル賞受賞記念講演で「あいまいな日本の私」というタイトルで講演をした。今から20年前のことだ。
ノーベル賞受賞記念講演要約
今の若者世代そしてその親世代の多くに共通しているのは、「周りに同調することで安心する」という極めて曖昧な日本人特有の思考ではなかろうか。それは未曽有の原発事故を起こした後も、ちっとも変わっていないように見える。あれほどの原発災害を起こし、原子力ムラの欺瞞が晒されてもなお危機感を持てず、「曖昧さ」から脱却できないのだとしたら、行きつくところまで行くしかないのだろう。
平和とは黙っていて与えられるものでは決してない。常に権力者を監視し、権力者が暴走しないよう注意を払っていなければならない。平和憲法を守るのも放棄するのも国民一人ひとりの意識にかかっている。これほど危険な状況が迫っているというのに、日本人の多くが未だに曖昧であることに胡坐をかいてはいまいか?
投票の行かない若者たちを批判するだけではどうしようもない。自民党政権を容認し続けてきた大人たちが曖昧さを捨て、本気で危機感を伝えなければ若者も目を覚ますことがないように思う。
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