内田樹著「困難な結婚」を考える(2)

松田まゆみ

2018年08月28日 21:57

【前回の記事】
内田樹著「困難な結婚」を考える(1)

家事の公平な分担はできない

 家事はエンドレスな苦役であって、それらをどうやって夫婦間で公平に配分するのか、という発想をしている限り、もめ続けます。「苦役の配分」に、当事者全員が納得するような落としどころなんて見つかるはずがない。(210ページ)


 女性が家事を全面的に担っていた時代はともかくとして、今は女性だけが家事を負担するという考えに賛同する人は少数派だろう。ただし、内田氏の言うように家事の分担はそんな単純なことではないし、これが離婚の原因になっている場合も多いのではなかろうか。

 妻が家にいて基本的に家事や育児を担当するという場合は、はじめから分担がはっきりしているのでトラブルになりにくいとは思う。しかし、だからといって夫が家事や育児に無関心でほとんど協力しないということであれば、妻にとっては何のために結婚したのかということになる。

 私は男性であろうが女性であろうが、一人暮らしであろうが家族がいようが、基本的な家事をこなせる人が自立した人だと思っている。家事というのは人が生きていく上で必須のものだからだ。掃除も洗濯もさほど頭を使うことではないし、料理だって手際さえ覚えれば難しいことではない。家事の大半は子どもでもできることだ。それなのに「料理はできない」「掃除は嫌い」などと言ってやらない人は、要は「やりたくない」だけだし、自分が生きていく上で必要なことすらできないということになる。

 妻が基本的に家事を引き受けている家庭であっても、妻が病気になったり疲れていたり、用事や旅行ででかけることもあるだろう。しかも、家事には日曜日はない。そんなときに夫が嫌な顔をせずに家事を代わってくれるか否かは良好な関係を築く上でとても大きい。もちろん妻が働きに出て夫が家事や育児を担っている場合も同じだ。しんどいときや都合がつかないときに互いに協力し合うことこそ、家族で暮らすことのメリットだと思うからだ。だからこそ、男性であれ女性であれ「家事をこなせる」ということはとても大事なことだと思う。生きていく上で欠かせないことを「できない」とか「嫌だ」といって何もしないなら自分のことしか考えていないし、配偶者を家政婦としか思っていないことになる。そんな意識だったらうまくいくはずがない。

 もちろん夫婦ともに働いている場合は、家事や育児を二人で協力しなければならないのは言うまでもない。日本はいまだに男尊女卑の社会だし、家事や育児の負担は圧倒的に女性にのしかかっている。まず、男性が意識を変える必要があるのではないか。ただし、これも機械的に役割分担を決めるのではなく、臨機応変に「都合のつく人が文句を言わずに引き受ける」というようにしなければ、やはりうまくいかないと思う。

 それともう一つ。家事には人それぞれのやり方がある。だから家事を分担するならできる限り相手のやり方に文句をつけないという寛容さも必要だ。これは料理でも掃除でも洗濯でもつきまとう。結婚するまで全く違った家庭環境で育ち自分のやり方や感覚を身につけてきたのだから、これはなかなか一致するものではない。相手のやり方に文句をつければ喧嘩になる。どうしても相手のやり方に我慢ができないならどんなに疲れていても自分で引き受けるしかない。でも、それはそれでストレスになるというものだ。

 要は、家事が嫌だとか面倒だと思っている限り相手が家事をやらないことに不満が生じるし、自分のやり方に拘りすぎても不満が生じて分担はうまくいかない。嫌でも生きていくためにはやらねばならないのだから、文句を言っていてもどうにもならない。頭を切り替えて「嫌なこと」を「楽しいこと」にしていくというのはとても大事なことだと思う。

穏やかで健全な関係を続けるには

 「この人と結婚さえしていなければ・・・・・・」と仮想して、配偶者の無理解や無能を自分自身の不幸の原因にすると、もうダメです。たしかにあらゆる自分の不調は配偶者の無理解と無能で「説明できる」からです。ほんとうに説明できちゃうんです。あまりに説得力のある説明なので、人間はそれに居ついてしまう。(237ページ)


 これは自分の不幸を何でも人のせいにしてしまう人のことだ。結局、理想の配偶者なんていないのに理想を追い求めて相手の不平不満ばかり言っているということだろう。こういう人は自分で幸せになるための努力をしようとしない。そしていつも不平不満で機嫌が悪い。

 内田氏は円満な人間関係を築くためには「機嫌がいい」ことが大事だと説くが、それは本当にその通りだと思う。「機嫌が悪い」人と一緒にいて気持ちよく過ごせる人などいないだろう。「機嫌が悪い人」は、機嫌を悪くすることで相手を支配しようとしているのだろうけれど、それは逆効果でしかない。機嫌というのは自分の意志でどうにでもできる。「機嫌」も「幸福」も、結局はその人の心のあり方次第だ。

 社員を過労死にまで追い込むブラック企業とか、パワハラで鬱状態に追い込むような場合はさっさと転職をすべきだと思うが、それほどではないのに仕事を次々と変える人も同じではなかろうか。「この会社でさえなければ・・・」「あの嫌な上司さえいなければ自分の実力が発揮できるのに・・・」と思い込み、他により自分に合った理想的な会社があると夢想して転職しても、恐らくどこにも理想的な会社などない。それにも関わらず、また「この会社ではダメ」と会社や上司のせいにして転職する。

 自分と気が合う人しかいない会社なんてまずない。気に入らない他者を変えることなどできないのだから、自分の意識や考え方を変えることで気に入らない人と折り合いをつけるしかない。口うるさい上司に振り回されない術を身につけるように努力することも必要だ。そういう努力もせずにすべて他人のせいにしていたなら、どこに就職しても対人関係でストレスをため込み、いつも不平不満で機嫌が悪いということになる。

 「あの人のせいでうまくいかない」という思考に嵌って抜け出せなくなる人は、結婚生活も仕事もうまくいかない。もちろん本当に相手がとんでもない非常識な人で迷惑を振りまいているとか、支配的で命令ばかりしているという人もいるけれど、だからといって不平不満を言っているだけでは何の解決にもならないばかりか、まわりを不快にするだけだ。どうしても折り合いがつけられないなら離れるという選択も必要なわけで、その見極めが大事なのだろう。

 内田氏は結婚相手に相応しいかどうかは海外旅行に行って相手のトラブル解決能力を見るのがいいというが、それと同じように日頃から不平不満を言わずに問題解決に向けて行動できるか否かは、その人の精神的な成熟と大きく関わっているのだろう。

 「困難な結婚」といっても、結婚を「困難」にするのも「幸福」にするのも本人次第のところが大きいということなのだろう。結婚を「困難」にしないためには、まずは相手が成熟しているかどうかを見極めること。そして結婚したなら「配偶者の理想像」など追い求めずに互いに相手を尊重しつつ協力し合うことが幸福な結婚の鍵といえそうだ。

 さらに言うならば、誰にでも選択の間違いはあるのだから、もしモラハラ人間とかメサイアコンプレックスの人と結婚してしまい自分がボロボロになったとか、関係を続けるのが無理だと感じたなら、別れるという決断を下すのも幸福への道なのだろうと思う。内田氏も離婚を経験しているそうだが、問題解決の努力をしてもストレスが溜まって限界を感じたり日常生活に影響が出てしまうようなら、「別れる」という問題解決を選ぶこともやむを得ないだろう。かつて私の上司が「同棲をして相手を見極めてから結婚したほうがいい」と言っていたが、私もそれには同意する。

 結婚というのは自分とはまったく違う環境で育った人と生活を共にするということだ。要は、自己中かどうか(精神的に自立しているかどうか)が試されるといっていい。自立している人であれば自立した配偶者を選ぶだろうし、結婚によってお互いにさらに成熟できるだろう。結婚をしてそこそこ幸福だと思っている人は、おそらくそこそこ自立しているのではないかと思う。


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