言論の責任とヘイト(憎悪)発言
最近、ツイッターでヘイト(憎悪)発言について何回か呟いた。というのも、ネットによる叩きが異常といえる状況になっており、そろそろ何らかの対処が必要ではないかと思えてならないからだ。
一口にヘイト発言といっても、悪口、罵倒、誹謗中傷、蔑み、人格否定、嘲笑など様々だ。さらに、検索などを駆使して個人情報やネガティブ情報を収集し、事実も確かめずに拡散させる嫌がらせや脅しが後を絶たない。まさにネットが「いじめの世界」になり果てている感がある。
ネットによるヘイト発言は、現実社会での悪口とは質が違う。現実社会の悪口は顔が見えるしその場限りだ。しかしネットでは削除しない限り永遠に残り、場合によっては書いた人の意思に関わらず拡散されていく。たとえ削除されたとしても、コピーが出回って回収不可能ということも生じかねない。場合によっては特定の個人に大変なダメージを与えることができるし、他人の人生を狂わせてしまうことになりかねない。それだけに、個人を名指ししたヘイト発言の責任はきわめて重いといえるだろう。
ネットのモラル、マナーの問題であると同時に、名誉毀損やプライバシー侵害、侮辱といった法に触れる行為でもある。不法行為なら法的手段に訴えればいいという意見があるかもしれないが、相手を特定して提訴するにしてもj時間や労力、お金がかかるし、損害賠償が認められたとしても弁護士費用などを考えれば赤字になりかねない。庶民には法的対処も容易ではない。そういう理不尽なことがあまりに安易に行われているのが、日本のネット事情だ。ネット叩きを恐れて、自分の意見も言えないという人も多いだろうし、きわめて由々しき状況に陥っている。
とりわけ卑劣なのは、匿名で実名の者(ハンドルネームでも本人を特定できる者を含む)を叩く行為だ。ヘイター(憎悪者)は安全圏にいながら、相手の社会的信用だけは徹底的に落とそうとする。名誉毀損という犯罪行為でもある。
中には実名のヘイターもいるが、そのような人は匿名者よりもはるかにリスクを負っている。なぜなら、実名でヘイト発言をすることで、自らヘイターであることを証明しているのであり、自分で自分の社会的信用を落としているともいえるからだ。そういう意味では実名で本人を特定できるようにしているヘイターは、匿名のヘイターより確かに責任(あるいはリスク)を負っている。
もちろん、匿名であろうと実名であろうと、犯罪行為に変わりはないし、犯罪を放置すべきでないのは言うまでもない。ツイッターであれば、相手にしないだけではなくブロックで防御するのが賢明であろう。
日本でこれほどにまでネット叩きが横行するのは、協調性を強要する日本のムラ社会にも関わっているのではないかと思う。同調圧力の強い社会では日頃から自分の本音が言えないため、そのストレスの発散を匿名発言が可能なネットで晴らしている人もいるのではなかろうか。
それと同時に、自分の発言に責任を負いたくないという無責任体質の蔓延がある。ネットが発達していなかった頃は、一般の市民が校閲や編集などのチェックが何も入らない媒体で言いたい放題に発言することなどほとんど不可能だった。だから名誉毀損というのはもっぱら雑誌でプロの記者が書いた記事とか、書籍などの記述が対象になる程度だった。ところが誰でも匿名で簡単に発言できるネットでは、無責任な者による誹謗中傷や名誉毀損発言が溢れることになってしまった。
無責任体質の背景には、成熟していない個人や社会がある。日本ではブログやツイッターの匿名率が高いという。以下参照。
諸外国別にみるソーシャルメディアの実名・匿名の利用実態(2014年) (Garbage NEWS.com)
個人個人が成熟しており責任意識が高ければ、自分の責任において自己主張をするし、自分とは異なる意見に対し論理的に反論をすることはあっても感情的な誹謗中傷はしない。
また、日本の場合は実名で発言しただけで、所属する組織から圧力がかけられるという事情もあるようだ。本来、組織が個人の発言を縛るようなことはあってはならない。ところが、この国では個人の発言に組織が干渉し、極端な場合は職を失うことにもなりかねない。組織が個人の言論の自由を拘束しているような社会はとても成熟した民主主義社会とは言えない。これでは実名言論が委縮するのも無理はない。
しかし、その言論統制から脱却しようと努力しない限り、いつまでも成熟した個人や社会にはなれないだろう。自分の発言に責任を持つ成熟した個人、そして言論の自由を尊重する成熟した社会をつくっていくことが必要なのではなかろうか。そのために必要なのは、現状を変えようと一歩踏み出す勇気でしかないと思う。
いずれにしても、相手を特定したヘイト発言が犯罪であり不法行為ありどれほど危ういことなのか、この国の国民はいい加減に気づくべきだと思う。
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