小学校の卒業式での袴姿に思う

松田まゆみ

2016年03月19日 20:31

 先日、新聞に小学校の卒業式の記事が掲載されていたのだが、女の子が振袖姿で卒業証書を受け取る写真を見て目が点になった。写真をよく見ると、ほかにも振袖を着ている子が何人もいる。いったいいつから小学生が和服で卒業式に出るようになったのかと驚いたのだが、インターネットで調べてみるとどうやら数年前から振袖に袴で卒業式に出る子どもが増えており、ブームになってきているらしい。

 これにはもちろん賛否両論がある。賛成派の人の意見は「振袖や袴は日本の伝統的な正装であり、卒業式という記念の場に相応しい」、「ほとんど着ることのないスーツなどを買うならレンタルの和服の方がいい」、「振袖は親などが持っているものを着せられるので、袴だけのレンタルなら安い」などなど。しかし、私には、子どもに華美な服装をさせたいという親の見栄や満足感が先にあり、自己正当化のために後づけでこのような言い訳をしているとしか思えない。

 そもそも卒業式というのはひとつの区切りの儀式であり、通過点に過ぎない。義務教育である小学校の卒業式で正装をしなければならない理由はないし、まして日本の伝統だからという理由で和服を着る必要もなければ、お金をかける必要もない。服装は卒業式の本来の目的とは関係がないし、とってつけたように伝統に拘るのは意味不明だ。私は普段着だってまったく構わないと思っている(ジャージなどの運動着やジーンズなどは避けるべきだとは思うが)し、むしろなぜ学校が「普段着で出席するように」と言わないのかが不思議だ。私が小学校の頃は、卒業式には中学校の制服を着ていった。それは着る機会がほとんどない服にお金をかけることがないようにという学校の配慮でもあったのだろう。しかし、そういった配慮はいったいどこへいってしまったのだろうか?

 もうだいぶ前のことになるが、自然保護の集会で旭川のあるホールに行ったときのこと、ピンクや水色などの華やかでヒラヒラとしたドレスを着た子ども達が大勢いて何があるのかと不思議に思ったのだが、どうやらピアノの発表会だったらしい。しかし、いつからピアノの発表会がドレスのファッションショーのようになってしまったのかと唖然とした。私も子どものころピアノを習っていたが、発表会はいわゆる「よそゆき」程度の服装だったし、中学生のときは制服だった。しかし、最近では、発表会は日頃の練習の成果のお披露目というより、きらびやかな衣装を着ることの方が楽しみになっているのではなかろうか? あのお姫様のような衣装を着たいがために楽器を習いたいという子もいるのではないかと思ってしまうほどだ。

 成人式でも大学の卒業式でもそうだが、昨今はかつてに比べてはるかに画一的になっている。私は成人式には出席しなかったが、私の頃は振袖のほかに洋服の人もそれなりにいたと思う。今はほぼ全員が振袖だし、和服の男性もいる。まるで振袖のファッションショーと化している。大学の卒業式も同じで、私が学生の頃は袴のほかに洋装の女性も結構いて、人それぞれだった。私は卒業式以外でも着る機会のあるワンピースにした。しかし、今は袴の女性が圧倒的ではなかろうか。

 成人式も卒業式も、あるいはお稽古ごとの発表会でも、本来の目的とかけ離れ、衣装の見せびらかしの場になってしまっているように思えてならない。親も親で、子どもを着飾らせることが愛情だと思ったり、皆と同じ衣装を用意してあげないと可哀そうという感覚なのかもしれない。しかし、そこには個性のかけらもない。そして、そんな見かけばかりに拘る風潮が小学生の卒業式にまで及んでしまったというのが昨今の袴ブームなのだろう。

 こうしたブームの陰には間違いなく貸衣装業者の営利主義がある。インターネットで「小学校 卒業式 袴」と入力するとおびただしい数の貸衣装業者のサイトが出てくる。貸衣装屋こそが親の見栄と同調意識を利用してこうしたブームをつくりあげている張本人ではなかろうか。だからこそ、成人式や卒業式、発表会がファッションショー化し、全国各地で小学生の袴が流行るまでに至ったのだろう。

 ハロウィンやバレンタインのチョコレートもそうだが、日本人とは何と安易に商業主義に利用されてしまう民族なのかと思う。

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