共生林と森づくり

松田まゆみ

2009年01月07日 15:46

 昨日紹介した石城謙吉氏の「森林と人間」(岩波新書)の話題の続きです。

 昨日の記事では、ドイツ林学による人工林をいまだに続けている嘆かわしい日本の林業について書きましたが、もうひとつ大変印象に残ったのが、最後の章「森と人の歴史」です。

 飛行機に乗っていつも感じるのは、日本の内陸部の大半が深い緑で覆われていることです。天然林、人工林の区別はともかくとして、日本が「森林の国」であることの証でしょう。ヨーロッパの内陸部も、今から2000年ほど前には深い森林に覆われていたといいます。日本もヨーロッパも共に森林文化圏だったのです。ところが農耕の受け入れ方に大きな違いがあったといいます。

 麦作の広まったヨーロッパでは牧畜がセットとして持ち込まれ、森林が大規模に切り開かれました。自然を征服し、大きく変えてしまう道をたどったのです。森林文化が駆逐されて農耕文化が広まりました。その後、18世紀の後半の産業革命で都市が発展し、大量生産と大量消費のシステムができあがりました。さらに海外貿易と植民地からの自然の収奪により、自然と共生していた海外の文化まで駆逐されたのです。ヨーロッパは自国のみならず、世界の資源を食いつぶしてきたといえます。

 一方、稲作が広まった日本では大規模な森林破壊は引き起こされず、雑木林と共生してきました。日本では森林文化と農耕文化の融合した共生圏が保たれたのです。ところが明治になると日本にもヨーロッパの近代文明が伝わり、ドイツ林学によって自然林が針葉樹の人工林へと変えられてきました。

 こうした歴史を踏まえて石城先生が提唱するのが「共生圏」です。つまり人間には森林と共存するしか選択肢がないということなのです。そのひとつの試みとして、北大苫小牧演習林(研究林)で共生林づくりの実践をされたのです。目標とした共生林とは「市民の休養、自然の研究から木材の生産までを含め、さまざまな人の営みが絶えず関わり、その営みによって維持される森」です。

 今、地球温暖化問題にともなって各地で森づくりが盛んですが、苫小牧の試みはその手本としてさまざまなヒントを与えてくれます。もっとも、地域の自然を生かしたままで手を加えていくのですから、その地域の自然についての十分な知識をもとに不自然な改変にならないようにしなければなりませんが。

 ところで、共生林づくりに誰よりも率先して取り組んでほしいのは、広大な森林を所有する国や地方自治体です。北海道には手入れもされずに放置された人工林がいたるところにあります。林野庁は保護する森林と木材生産を行なう森林の線引きを検討していると聞きますが、人工林での施業をどのように考えているのでしょうか? 相変わらずの法制林しか頭にないのなら、明治時代から思考が停止状態にあるといえるでしょう。

 ヨーロッパの都市林では市民に憩いの場を提供しながら、木材生産も行なっているそうです。ヨーロッパは、治水のあり方も森林のあり方も歴史に学んで変えてきたといえます。

 日本でも、誰も見向きもしないような単純な造林地をつくるのではなく、いかに地域に根ざした共生林を造っていけるかが、今後の森づくりの課題になるのではないでしょうか。

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