モラル・ハラスメントという陰湿ないじめ(4)

松田まゆみ

2013年01月27日 17:12

身近にある家庭内モラハラ
 自己愛的性格で、妻を自分の所有物のようにしか思っていないモラハラ夫は、ごく稀な存在と思われるかもしれない。しかし、程度の差はあれ、私にはモラハラの要素を持った自己中夫はそれほど稀というわけではなく、どこにでもいるように思えてならないのだ。

 それなりに気軽にいろいろな話ができる女友だちなどと話しをしていると、夫による精神的暴力を体験している人は決して少なくない。価値観の押しつけなどはかなり多いのではなかろうか。夫婦であっても、いろいろなところで価値観に違いがあるのは当たり前のことなのに、自分の意見ややり方を通そうとする男性は多い。また、熱があって寝込んでいる妻に料理をするよう命じる夫がいると聞いたこともある。他者の苦痛が分からないのだろうか。

 「他人にはこんなことは言わないが、妻だからこそ言うんだ」という理屈で自分の価値観を押し付ける男性もいるかもしれない。これはあたかも妻に対して思いやりがあるかのような言い分だが、事実は正反対だ。相手の価値観や意見を尊重するということこそ相手に対する本当の思いやりだ。あたかも思いやりがあるかのように見せかけて自分に従わせようとしているにすぎず、余計なお節介でしかない。

 もし家庭内のことで意見が合わなければ、どちらかの主張に合わせるのではなく話し合いをして決めるのが筋だ。一方的に自分に従わせようとしたり、「勝手にしろ」などと怒って突き放すのもモラハラだと思う。また、いくら社会的地位が高くても、社会的に認められる業績があっても、家族への思いやりがなく傲慢な夫であれば、妻は評価する気持ちになれないものだ。

 こうした小さなモラハラはいくらでもあると思うが、程度がそれほど酷くなかったり、妻に被害者意識がないために別居や離婚にまで至っていないだけなのだ。第三者から見ると明らかにモラハラなのに、「夫に従うことが良き妻」と考えているためハラスメントだと気づいていない人もいる。別居生活をしている知人もいるのだが、彼女の話しを聞いているうちにあきらかに夫による典型的なモラハラ被害者だと確信するようになった。夫は第三者にはちゃんと分別のある人に見えるのだから、モラハラを知らない人にはなかなか理解してもらえないかもしれない。

 別居や離婚にまで至る知人は少ないが、しかし日本社会には依然として妻を漫然と「無料の家政婦」のように考えている男性は少なくないのではなかろうか。そのような男性にとって妻は対等の関係ではなく、あくまでも「嫁としてもらった」所有物なのである。だから、家庭内では自分の人権が優先され、妻は自分に従っているのが当たり前という感覚になってしまうのだろう。そうした支配的感覚がモラハラの温床になる。このようなタイプの夫は真正の自己愛性人格障害というより、香山氏の言う二次性自己愛性人格障害に入るのかもしれない。

 家庭では夫が中心であるという意識は、父系社会による弊害といえるし、いまでも日本社会にはびこる男尊女卑の感覚そのものではなかろうか。女性の社会進出が進んだとはいえ、まだまだ男女の賃金格差は大きいし、共働きであっても育児や家事は圧倒的に女性の負担が大きい。夫婦別姓もいまだに認められていない。男女平等には程遠い。しかも、団塊の世代くらいまでの年代では、「男は家事などしなくていい」という考えの家庭で育った人も多いと思う。そういう価値観の家庭で育った男性は、妻を「飯炊き人」「世話係」としか考えないのかもしれない。

 こんな意識の男性に支配されないためには、妻が理不尽な要求は人権侵害であるという主張をはっきりしていくしかない。相手が真正の自己愛性人格障害者でなければ、自分の言動が相手をいかに傷つけているか気づいてもらえるだろう。しかし、いくら理解を求めても分かってもらえないのであれば、あるいはハラスメントがますます酷くなるようなら、回復の見込みがない真正の自己愛性人格障害者の可能性が高いと認識し、離れるしかない。

 ところで年金生活をしている高齢者では、夫が妻に先立たれるとすっかり元気がなくなり妻を追うようにして亡くなってしまうことが多いと聞く。逆に、夫が先に亡くなっても、妻は生き生きと活動的な生活をしていることが多い。これは多分に女性が夫の拘束から解放されてストレスがなくなり、好きなことに思う存分できるようになるためだろう。

 ところが妻に料理をはじめとした身の回りの世話をすべて頼っていたような男性は、食事の支度も満足にできず惨めな状況に陥る。いくら経済的に自立した男性であっても、自分自身の生活はまったく自立していないなら子どものようなものだ。今は家事をなんでもこなせる男性が増えてきたが、そのような男性はたいてい高齢になっても、また一人暮らしになっても溌剌としている。

 退職によって夫婦の多くは時間的に対等の関係になる。生活の条件が同じであれば家事も対等な関係であって然るべきだが、妻が家事をやるのが当たり前だと思っている男性はいないだろうか。退職しても妻を無料の家政婦のように扱っているのであれば、妻を支配して拘束しているに等しい。夫の世話のことが気になって外出や旅行も思う存分できないという状況にしているのだ。定年後に家でごろごろしている男性を「粗大ごみ」などと揶揄することがあるが、家事もせず妻に指示ばかりしているのなら「有害粗大ごみ」でしかない。言葉には出さなくても、妻はそんな夫にストレスを感じているということを自覚したほうがいい。

 今は誰もが男女平等、人権尊重を口にするし、それに異を唱える人はほとんどいない。ならばまずは身近な家族にたいする思いやりこそ持ってもらいたい。相手の立場にたって考えることができるなら、言葉や態度による拘束、人格否定、尊厳の否定がどれほど心を傷つけるのか理解できるはずだ。ならば、頼みごと一つにしても命令口調にはならないだろう。そうした心遣いがモラハラを防ぐ第一歩ではなかろうか。

 今回の記事は、一部の男性にとっては耳の痛い話しだったかもしれない。しかし、モラハラのない円満な夫婦とは、まさに相手の価値観を尊重できる対等な関係の夫婦と置き換えられると思う。モラハラに多少心当たりのある人は、自分勝手なふるまいが相手にとっては「陰湿ないじめ」であることを認識してほしいと思う。(連載おわり)

モラル・ハラスメントという陰湿ないじめ(1)
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