他者との対話の姿勢を貫いた渡辺容子さん

松田まゆみ

2013年10月26日 15:16

 渡辺容子さんのことを書いた「『いのちを楽しむ-容子とがんの2年間』上映開始」という記事にシカゴ大学社会学教授であり、もとJANJAN記者でもあった山口一男さんからコメントをいただいた。とても共感できる内容であり、コメント欄であまり人の目に触れずに埋もれてしまうのが惜しいので、山口さんの了解を得て以下に転載させていただくことにした。

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 もとJANJANに寄稿して渡辺さんと主としてONLINE交流のあった山口です。遅ればせながら、貴女のこの記事を今日読みました。僕も渡辺容子さんと実際にお会いしたのは2回で、2回とも父上の絵の展示会でした。2回目は奇しくも松田さんが2回目に渡辺さんと会われたときと同じイベントですが、あの「絵画展示+コンサート」のイベントは数日行われたので、松田さんとは違う日だったのだと思います。

 松田さんの『容子がたり』の寄稿文のウェブでの再掲を読んで、僕も自分の寄稿文では触れなかった渡辺さんの思い出をここに書き留めておこうと思います。渡辺さんとは会ったのはたった2回でも、メール交信は多くあり、またJANJANで同じ記事にコメントをするということも多かったので多少なりとも彼女の人柄に触れることができました。

 ご存知のように渡辺さんは、望ましい社会のありかたや、自分自身の望ましい生き方について、明確な信念を持ち、またそれを言語化できる人でした。彼女が第一に望んだのは、おそらく日本の子供たちが伸び伸びと希望を持って生きられる社会の実現だと思います。だから教科書問題にせよ、他のことにせよ、子どもたちが戦前のように「国家の道具」となる道の復活を強く警戒し、また学校の「管理社会化」の中で子どもたちが夢や希望を失っていくことを心から悲しんでおられました。

 でも僕が渡辺さんに一番強くその生き方を感じたのは人との対話に見られる姿勢です。渡辺さんの信念には政治的主張が入るため、当然賛同者だけでなく批判者も多く、批判者の中には僕だったら相手にもしたくないような酷い批判をする人たちもいました。でも、貴女もご存知と思いますが、渡辺さんはそれらのすべてに人に対し心を開き、前向きに語りかけていくのです。決して自分の考えをただ押し付けるのではなく、相手の考えも理解し、分かり合える部分を広げようとする姿勢を失いません。

 今考えるのですが、渡辺さんは御自分の短い余命の自覚から、それが直接接しない日本の多くの子供の未来のことであれ、日々対話する人々との対話の内容であれ、自分の残された時間を、自分以外の人ためになることに用いようという強い気持ちがあってあのように振舞われていたのではないかと思います。黒澤明の『生きる』で癌を宣告された自治体の市民課長が、残された時間を市民の望む公園の建設に奔走する姿が描かれていますが、今思うに渡辺さんの生き方はまさに『生きる』ことは、残された自分の時間をいかに人のため、社会にため、日本の未来のために、使えるのかという思いを、具体化し行動していくことであったように感じます。人はみないづれ死を迎えますが、渡辺さんのように生きぬいた人はたぶん多くはありません。人はみなそれぞれ弱いところがあり、信念のある多くの人は批判者には心を開かず、逆に他者に心を開く多くの人は他者に引きずられ信念を持って生きられないことが多いように思います。いずれ人はみな死に、そのときは誰でも多かれ少なかれ孤独である、という事実をより自覚的に日々意識していたからこそ、渡辺さんは、信念を持ちかつ多くの人に心を開くという、困難な姿勢を貫いて生きられたのではないかとも思います。大げさな表現のようですが、渡辺さんを知って身近に人の尊厳というものを知ったと思います。とても、まねのできることではないのですが、渡辺さんの生き方は心に焼き付けておくつもりです。
山口一男

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 山口さんが書かれているように、渡辺さんは強い信念、意思を持っていてはっきりとご自分の主張をされる一方で、他者の意見にも耳を傾けて対話する姿勢を崩さない方だった。これは誰にでもできることではない。

 原発事故のあと多くの市民が脱原発、脱被ばくで活動している。しかし残念なことに、同じ目的を持ちながら他者と対話をしようとせず、自分の意見を押しつけて罵倒する人も見かける。これでは信頼が損なわれ、ぎすぎすした人間関係になってしまう。渡辺さんの「信念を持ちかつ多くの人に心を開く」という姿勢を爪の垢ほどでも持ち合わせていたなら・・・と思えてならない。


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