鬼蜘蛛の網の片隅から › 2025年02月09日
2025年02月09日
科学技術で人類は幸福になれるのか
最近つくづく思うことがある。私たち人類は利便性を求め続けてきた。その結果、確かに以前に比べ物にならないくらい生活は便利になった。私などはもうこれ以上便利にならなくてもいいと思うのだが、資本主義社会ではそうはならない。まだまだ科学技術によって利便性を追求し続けるつもりのようだ。しかし、私たちは科学技術によって幸福になってきたのだろうか? 私はそうは思わない。なぜなら、科学技術の発達の裏側には必ず負の側面があるからだ。
私が子どもの頃はまだプラスチック製品は非常に少なかったし、包装などにもほとんど使われていなかった。主婦は買い物篭を持って買い物に行き、野菜などは八百屋で新聞紙に包んでくれた。肉や魚などは確か経木(木材を薄く紙のように削り出したもの)に包んでくれたと記憶している。豆腐は鍋を持って近所の豆腐屋に買いにいった。醤油などは量り売りで、ビンを持って買いにいった。ジュースなどの清涼飲料も瓶入りだった。ポリ袋などがない時代はこんな生活をしていたし、スーパーマーケットができた当初は商品を紙袋に入れてくれたものだった。
ところが、今は食品の包装の大半はポリ袋や発泡スチロールのトレーなどプラスチック製品にとって代わってしまった。その結果、大量のプラごみが出るようになった。衣類も化繊が普及した。そして、今になってマイクロプラスチックが問題になり、削減が叫ばれ始めた。利便性の裏側で、プラスチック汚染が深刻になっている。
家電製品もずいぶん増えたが、それによって私たちは大量の電磁波にさらされるようになった。とりわけパソコンや携帯電話などの電磁波は健康被害が懸念されるし、携帯電話のアンテナがそこら中にあり、避けたくても避けられない。AIの発達も私はちっとも歓迎していない。自動車まで自動運転が登場したが、あれも5Gの電波を利用しているのであり、私はとても乗る気になれない。電磁波だらけの生活が健康にいいわけがない。
パソコンも普及し、大半の人がスマートフォンを所有するようになった。確かにインターネットは便利だが、個人情報の漏洩が絶えない。ネットやメールはコンピュータウイルスとその対策のイタチごっこだし、詐欺メールなどの犯罪もある。スノーデン氏が日本にマルウェアを仕掛けたと言っていたが、そうやって他国の脅迫や支配にも使える。これでは便利どころの話ではない。
自家用車も普及したが、当然ながら石油が大量消費され、地球温暖化の加速に繋がっている(二酸化炭素温暖化説には懐疑論もよく耳にするが、私は現時点では二酸化炭素は温暖化に大きな影響を与えていると考えている)。温暖化対策としてソーラーパネルや風力発電が広まってきたが、それらは自然破壊を招いたし様々な問題点を抱えている。もちろん原子力発電は危険すぎる。
農業も機械化が進んだが、農業機械も石油で動かしている。乳牛の搾乳もすっかり機械化された。私たちの食べ物は石油でできていると言っても過言ではない。しかし、大型の農業機械によって土壌は固まって水はけが悪くなり、大量の化学肥料や農薬によって土壌の微生物層は破壊され土壌が劣化している。こんな農業を続けていて大丈夫なのだろうか?と心配になる。もちろん、農薬は環境汚染にもなり私たちの健康を蝕む。
ほんの数十年の間に、私たちの暮らしは豊かになり便利になった。しかし、その一方で様々な問題が浮上しているし、それを科学技術で解決することはできていない。こんなことを続けていたら、リスクが雪だるまのように大きくなっていくだけだろう。そろそろ限界がきているのではなかろうか。そう思えて仕方ない。
こんなことを言っても、大半の人はまだまだ経済成長を望み、より便利な社会を望んでいるようだ。いったいどこまで利便性を求め続けるのかと首を傾げてしまう。しかし、自給自足に近い生活を目指して田舎に移住する人たちもいる。恐らく、私と同じような疑問を抱いたのではなかろうか。石油や電気に頼らなければ何もできない社会というのはとてももろいし危ういと思う。今年は太陽フレアの影響で日本各地でオーロラが見られたが、大規模な太陽フレアは通信障害や大規模停電が起きることもある。
私の生きてきた間のほんの数十年に科学技術は大きな発展を遂げたけれど、それと反比例するようにこれまで人がやってきた仕事を機械やAIがやるようになり、人間らしい生活が少しずつ失われていっているような気がして仕方ない。そろそろ立ち止まって根本から見直すべきではなかろうか。
私が子どもの頃はまだプラスチック製品は非常に少なかったし、包装などにもほとんど使われていなかった。主婦は買い物篭を持って買い物に行き、野菜などは八百屋で新聞紙に包んでくれた。肉や魚などは確か経木(木材を薄く紙のように削り出したもの)に包んでくれたと記憶している。豆腐は鍋を持って近所の豆腐屋に買いにいった。醤油などは量り売りで、ビンを持って買いにいった。ジュースなどの清涼飲料も瓶入りだった。ポリ袋などがない時代はこんな生活をしていたし、スーパーマーケットができた当初は商品を紙袋に入れてくれたものだった。
ところが、今は食品の包装の大半はポリ袋や発泡スチロールのトレーなどプラスチック製品にとって代わってしまった。その結果、大量のプラごみが出るようになった。衣類も化繊が普及した。そして、今になってマイクロプラスチックが問題になり、削減が叫ばれ始めた。利便性の裏側で、プラスチック汚染が深刻になっている。
家電製品もずいぶん増えたが、それによって私たちは大量の電磁波にさらされるようになった。とりわけパソコンや携帯電話などの電磁波は健康被害が懸念されるし、携帯電話のアンテナがそこら中にあり、避けたくても避けられない。AIの発達も私はちっとも歓迎していない。自動車まで自動運転が登場したが、あれも5Gの電波を利用しているのであり、私はとても乗る気になれない。電磁波だらけの生活が健康にいいわけがない。
パソコンも普及し、大半の人がスマートフォンを所有するようになった。確かにインターネットは便利だが、個人情報の漏洩が絶えない。ネットやメールはコンピュータウイルスとその対策のイタチごっこだし、詐欺メールなどの犯罪もある。スノーデン氏が日本にマルウェアを仕掛けたと言っていたが、そうやって他国の脅迫や支配にも使える。これでは便利どころの話ではない。
自家用車も普及したが、当然ながら石油が大量消費され、地球温暖化の加速に繋がっている(二酸化炭素温暖化説には懐疑論もよく耳にするが、私は現時点では二酸化炭素は温暖化に大きな影響を与えていると考えている)。温暖化対策としてソーラーパネルや風力発電が広まってきたが、それらは自然破壊を招いたし様々な問題点を抱えている。もちろん原子力発電は危険すぎる。
農業も機械化が進んだが、農業機械も石油で動かしている。乳牛の搾乳もすっかり機械化された。私たちの食べ物は石油でできていると言っても過言ではない。しかし、大型の農業機械によって土壌は固まって水はけが悪くなり、大量の化学肥料や農薬によって土壌の微生物層は破壊され土壌が劣化している。こんな農業を続けていて大丈夫なのだろうか?と心配になる。もちろん、農薬は環境汚染にもなり私たちの健康を蝕む。
ほんの数十年の間に、私たちの暮らしは豊かになり便利になった。しかし、その一方で様々な問題が浮上しているし、それを科学技術で解決することはできていない。こんなことを続けていたら、リスクが雪だるまのように大きくなっていくだけだろう。そろそろ限界がきているのではなかろうか。そう思えて仕方ない。
こんなことを言っても、大半の人はまだまだ経済成長を望み、より便利な社会を望んでいるようだ。いったいどこまで利便性を求め続けるのかと首を傾げてしまう。しかし、自給自足に近い生活を目指して田舎に移住する人たちもいる。恐らく、私と同じような疑問を抱いたのではなかろうか。石油や電気に頼らなければ何もできない社会というのはとてももろいし危ういと思う。今年は太陽フレアの影響で日本各地でオーロラが見られたが、大規模な太陽フレアは通信障害や大規模停電が起きることもある。
私の生きてきた間のほんの数十年に科学技術は大きな発展を遂げたけれど、それと反比例するようにこれまで人がやってきた仕事を機械やAIがやるようになり、人間らしい生活が少しずつ失われていっているような気がして仕方ない。そろそろ立ち止まって根本から見直すべきではなかろうか。