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2023年02月10日
十勝川水系河川整備計画[変更](原案)への意見書
北海道開発局帯広開発建設部は「十勝川水系河川整備計画[変更](原案)」について意見募集をしており、今日がその締切日。ということで、意見書を書いて提出した。この十勝川水系河川整備計画に関しては、2009年および2013年にも意見募集をしており私はどちらにも意見を提出している。おそらく意見は名前などの個人情報を伏せた上でホームページに公開されると思うが、私の意見をここに公開しておきたい。
【意見要旨】
十勝川下流部の動植物確認種にイソコモリグモが欠落しています。
老朽化したダムのかさ上げは安全性や費用面でデメリットがある上に洪水調整機能は限定的です。かさ上げより事前放流を重視すべきです。
ダムや堤防に頼る治水から、想定外の洪水を容認したうえで被害を最小限にする対策へと転換を図るべきです。
札内川の砂礫川原の減少は札内川ダムが原因であることを明記し、復元は困難であることを認めるべきです。
【意見】
1-2-2(3)54ページ イソコモリグモの欠落について
私は2009年の十勝川水系河川整備計画(原案)に対する意見書で、十勝川下流部の動植物確認種に国が絶滅危惧種(絶滅危惧Ⅱ類)に指定しているイソコモリグモが欠落していることを指摘しましたが、今回の「十勝川下流部における動植物確認種」においてもイソコモリグモが入っていません。なお十勝川河口部におけるイソコモリグモの分布については以下で報告しています。追加するよう求めます。
松田まゆみ・川辺百樹 2014.北海道におけるイソコモリグモの分布.Kishidaia, 103:18-34.
2-1-1(1)81ページ ダムのかさ上げについて
洪水時の流量を調整するための対策として「ダムの嵩上げ」を提案しています。糠平ダムのかさ上げの方針については新聞でも報じられていますが、老朽化したダムのかさ上げは安全性の懸念があり巨額の費用がかかりますが、洪水調整機能は限定的です。上流域に降った雨をダムで貯めたとしても、中流域や下流域が増水していれば安易に放流できません。ダムが満水になっても放流ができなければ決壊の危険性が高まります。2011年9月7日に音更町で音更川の堤防が大きくえぐられ決壊寸前になりました。この時の音更川の水位は「危険水位」まで約1メートルの余裕がありました。それにも関わらず堤防が洗堀されたのは、糠平ダムからの放流が鉄砲水となって堤防をえぐったことが原因と考えられます。このように、河川の水位が低くてもダムの放流によって堤防が決壊する危険性があります。また、ダムのかさ上げによって雨水を溜め込む量が増えるほど、放流が必要になったときの放流のタイミングや放流量の調整は難しくなり放流によって洪水被害が生じることが懸念されます。
多額の費用をかけてかさ上げをしても想定外の降雨による放流時のリスクが大きいのであれば適切な対策とは言えません。ダムで洪水調整をする場合は、かさ上げをしてもしなくても水位を低くしておく必要があり、かさ上げより事前放流による対応を重視すべきです。
また、ダムは魚類の遡上の阻害、堆砂による貯水量の低下、土砂の流下を妨げることによる海岸線の後退、河床の低下、砂礫川原の消失、決壊の危険性などさまざまな弊害やリスクがあります。堤体のコンクリートの劣化や堆砂による貯水量の低下を考えるなら、ダムの寿命や撤去を視野にいれなければなりません。決壊する確率は低いとしても万一決壊した場合の被害は極めて甚大なものになります。例えば、糠平ダムの上流には活火山の丸山がありますが、もし火山噴火によってダム湖に融雪型火山泥流が流れこんだ場合はダムが決壊する可能性が否定できません。ダムによる治水を唱えるのであれば、ダムの弊害やリスクも明記すべきです。欧米ではダムの撤去が進んでいます。ダムを撤去することで本来の自然の河川を取り戻す試みがなされている中で、ダムのかさ上げによって老朽化したダムの延命を図ることはダムの弊害やリスクを放置することになり、自然復元にも相反する行為です。
2-1-1(4)100ページ ダムや堤防以外の対策について
本整備計画ではダムのかさ上げによる流量調節や堤防の強化、河道の掘削など、ハード面での対策がメインとなっていますが、このようなダム湖や川(堤防と堤防の間)に水を閉じ込める治水には限界があり、閉じ込める水量が多くなるほど、ダムの放流や決壊時、あるいは堤防の決壊時の被害は大きくなります。近年は気候変動による台風の大型化や集中豪雨で想定以上の雨が降る可能性があり、ダムや堤防に頼る対策から、一定以上の雨に対しては「水を溢れされる治水」に変えていく必要があります。これについては、100~101ページにかけて若干触れられていますが、不十分と言わざるを得ません。具体的には、森林を増やすことで「緑のダム」機能を活かす、住宅地の少ない地域に遊水地を設けて溢れた水を誘導する、支流との合流点のような氾濫しやすい場所は危険地域に指定し住居の移転を促進する、高床式住宅を普及させる、洪水の危険がある地域にすむ人々の速やかな避難体制を確立する、などが考えられます。これらの対策は河川管理者だけで対応できることではありませんが、関係機関と協議・連携して積極的に進めていく必要があります。
日本はこれから急激な人口減少社会になります。多額の税金を投入するハード面での対策より、想定外の洪水を容認したうえで被害を最小限にするような対策へと舵を切る発想の転換が必要と考えます。
2-1-3(3)109ページ 札内川の砂礫川原復元について
ここでは河川景観の保全と創出について取り上げています。十勝川水系の河川の自然景観は本来の河川環境を保全することでしか維持できません。例えば札内川では河川敷にヤナギなどの河畔林が繁茂し、ケショウヤナギが生育するような砂礫川原が減少してしまいました。これは上流に札内川ダムを建設したことで砂礫の流下が阻害されたことと、札内川ダムの貯水機能によって流量が抑制され洪水が生じにくくなったことに起因します。ところが本計画案では砂礫川原減少の原因となった札内川ダムのことに一切触れていません。そして中規模フラッシュ放流が砂礫川原の創出に効果を上げているとしています。ダム建設前と現在の写真を比べても中規模フラッシュ放流の効果は限定的のようですし、ダムによって砂礫の流下が妨げられている以上、中規模フラッシュ放流だけで砂礫川原を維持していくことはできないでしょう。また、礫層が流されてしまうと河床低下が進み、増水のたびに流路に面した高水敷の縁が浸食されて崩壊し、高水敷に堆積している砂礫も流されますし、高水敷に生育しているヤナギも根本から浸食を受けて流木となります。仮にダンプなどで定期的に砂礫を運んできたところで次第に下流に流されますので、永遠に運び続けなければなりません。持続可能な自然復元とは言い難い事業です。
砂礫川原減少の原因に触れることなく人為的操作によって砂礫川原を「創出する」などというのは「人が自然を創出できる」という驕りによる発想です。「創出」ではなく「復元」と記すべきですが、それ以前にダムが原因であることを明記した上で、復元は困難であることを認めるべきでしょう。
私はこのことについて2013年の「十勝川水系河川整備計画[変更](原案)に対する意見書」で指摘し公聴会で意見を述べました。十勝自然保護協会も同様の意見を提出し公聴会でも陳述しました。しかし今回の計画案には全く反映されていません。ダムによって砂礫川原が減少したこと、その復元はダムの撤去を除いては極めて困難なことを明記するよう再度求めます。
意見の要旨について
十勝川水系河川整備計画[変更](原案)への意見ではありませんが、意見募集に関して意見を述べさせていただきます。ホームページの「意見募集要領」の「注意事項」によると、意見書が200字以上の場合は200字以内の要旨を付ける旨が書かれています。しかし、意見書の様式には「※上記の記入欄が不足する場合は、本意見書と併せて別紙で提出して下さい。」と書かれており、要旨のことは書かれていません。これでは200字以上であっても「要旨」を付ける人と付けない人が出てくるでしょう。このような一貫性のない対応は不適切です。また、多数の意見がある場合は200字以内に収めるのは困難または不可能ですし、要旨では理由や根拠が伝わりません。意見を公表することがあるとのことですが、長い意見の場合は要旨を公表するということであれば具体的意見が伝わらず不本意です。要旨ではなく意見全文を掲載するよう求めます。
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【意見要旨】
十勝川下流部の動植物確認種にイソコモリグモが欠落しています。
老朽化したダムのかさ上げは安全性や費用面でデメリットがある上に洪水調整機能は限定的です。かさ上げより事前放流を重視すべきです。
ダムや堤防に頼る治水から、想定外の洪水を容認したうえで被害を最小限にする対策へと転換を図るべきです。
札内川の砂礫川原の減少は札内川ダムが原因であることを明記し、復元は困難であることを認めるべきです。
【意見】
1-2-2(3)54ページ イソコモリグモの欠落について
私は2009年の十勝川水系河川整備計画(原案)に対する意見書で、十勝川下流部の動植物確認種に国が絶滅危惧種(絶滅危惧Ⅱ類)に指定しているイソコモリグモが欠落していることを指摘しましたが、今回の「十勝川下流部における動植物確認種」においてもイソコモリグモが入っていません。なお十勝川河口部におけるイソコモリグモの分布については以下で報告しています。追加するよう求めます。
松田まゆみ・川辺百樹 2014.北海道におけるイソコモリグモの分布.Kishidaia, 103:18-34.
2-1-1(1)81ページ ダムのかさ上げについて
洪水時の流量を調整するための対策として「ダムの嵩上げ」を提案しています。糠平ダムのかさ上げの方針については新聞でも報じられていますが、老朽化したダムのかさ上げは安全性の懸念があり巨額の費用がかかりますが、洪水調整機能は限定的です。上流域に降った雨をダムで貯めたとしても、中流域や下流域が増水していれば安易に放流できません。ダムが満水になっても放流ができなければ決壊の危険性が高まります。2011年9月7日に音更町で音更川の堤防が大きくえぐられ決壊寸前になりました。この時の音更川の水位は「危険水位」まで約1メートルの余裕がありました。それにも関わらず堤防が洗堀されたのは、糠平ダムからの放流が鉄砲水となって堤防をえぐったことが原因と考えられます。このように、河川の水位が低くてもダムの放流によって堤防が決壊する危険性があります。また、ダムのかさ上げによって雨水を溜め込む量が増えるほど、放流が必要になったときの放流のタイミングや放流量の調整は難しくなり放流によって洪水被害が生じることが懸念されます。
多額の費用をかけてかさ上げをしても想定外の降雨による放流時のリスクが大きいのであれば適切な対策とは言えません。ダムで洪水調整をする場合は、かさ上げをしてもしなくても水位を低くしておく必要があり、かさ上げより事前放流による対応を重視すべきです。
また、ダムは魚類の遡上の阻害、堆砂による貯水量の低下、土砂の流下を妨げることによる海岸線の後退、河床の低下、砂礫川原の消失、決壊の危険性などさまざまな弊害やリスクがあります。堤体のコンクリートの劣化や堆砂による貯水量の低下を考えるなら、ダムの寿命や撤去を視野にいれなければなりません。決壊する確率は低いとしても万一決壊した場合の被害は極めて甚大なものになります。例えば、糠平ダムの上流には活火山の丸山がありますが、もし火山噴火によってダム湖に融雪型火山泥流が流れこんだ場合はダムが決壊する可能性が否定できません。ダムによる治水を唱えるのであれば、ダムの弊害やリスクも明記すべきです。欧米ではダムの撤去が進んでいます。ダムを撤去することで本来の自然の河川を取り戻す試みがなされている中で、ダムのかさ上げによって老朽化したダムの延命を図ることはダムの弊害やリスクを放置することになり、自然復元にも相反する行為です。
2-1-1(4)100ページ ダムや堤防以外の対策について
本整備計画ではダムのかさ上げによる流量調節や堤防の強化、河道の掘削など、ハード面での対策がメインとなっていますが、このようなダム湖や川(堤防と堤防の間)に水を閉じ込める治水には限界があり、閉じ込める水量が多くなるほど、ダムの放流や決壊時、あるいは堤防の決壊時の被害は大きくなります。近年は気候変動による台風の大型化や集中豪雨で想定以上の雨が降る可能性があり、ダムや堤防に頼る対策から、一定以上の雨に対しては「水を溢れされる治水」に変えていく必要があります。これについては、100~101ページにかけて若干触れられていますが、不十分と言わざるを得ません。具体的には、森林を増やすことで「緑のダム」機能を活かす、住宅地の少ない地域に遊水地を設けて溢れた水を誘導する、支流との合流点のような氾濫しやすい場所は危険地域に指定し住居の移転を促進する、高床式住宅を普及させる、洪水の危険がある地域にすむ人々の速やかな避難体制を確立する、などが考えられます。これらの対策は河川管理者だけで対応できることではありませんが、関係機関と協議・連携して積極的に進めていく必要があります。
日本はこれから急激な人口減少社会になります。多額の税金を投入するハード面での対策より、想定外の洪水を容認したうえで被害を最小限にするような対策へと舵を切る発想の転換が必要と考えます。
2-1-3(3)109ページ 札内川の砂礫川原復元について
ここでは河川景観の保全と創出について取り上げています。十勝川水系の河川の自然景観は本来の河川環境を保全することでしか維持できません。例えば札内川では河川敷にヤナギなどの河畔林が繁茂し、ケショウヤナギが生育するような砂礫川原が減少してしまいました。これは上流に札内川ダムを建設したことで砂礫の流下が阻害されたことと、札内川ダムの貯水機能によって流量が抑制され洪水が生じにくくなったことに起因します。ところが本計画案では砂礫川原減少の原因となった札内川ダムのことに一切触れていません。そして中規模フラッシュ放流が砂礫川原の創出に効果を上げているとしています。ダム建設前と現在の写真を比べても中規模フラッシュ放流の効果は限定的のようですし、ダムによって砂礫の流下が妨げられている以上、中規模フラッシュ放流だけで砂礫川原を維持していくことはできないでしょう。また、礫層が流されてしまうと河床低下が進み、増水のたびに流路に面した高水敷の縁が浸食されて崩壊し、高水敷に堆積している砂礫も流されますし、高水敷に生育しているヤナギも根本から浸食を受けて流木となります。仮にダンプなどで定期的に砂礫を運んできたところで次第に下流に流されますので、永遠に運び続けなければなりません。持続可能な自然復元とは言い難い事業です。
砂礫川原減少の原因に触れることなく人為的操作によって砂礫川原を「創出する」などというのは「人が自然を創出できる」という驕りによる発想です。「創出」ではなく「復元」と記すべきですが、それ以前にダムが原因であることを明記した上で、復元は困難であることを認めるべきでしょう。
私はこのことについて2013年の「十勝川水系河川整備計画[変更](原案)に対する意見書」で指摘し公聴会で意見を述べました。十勝自然保護協会も同様の意見を提出し公聴会でも陳述しました。しかし今回の計画案には全く反映されていません。ダムによって砂礫川原が減少したこと、その復元はダムの撤去を除いては極めて困難なことを明記するよう再度求めます。
意見の要旨について
十勝川水系河川整備計画[変更](原案)への意見ではありませんが、意見募集に関して意見を述べさせていただきます。ホームページの「意見募集要領」の「注意事項」によると、意見書が200字以上の場合は200字以内の要旨を付ける旨が書かれています。しかし、意見書の様式には「※上記の記入欄が不足する場合は、本意見書と併せて別紙で提出して下さい。」と書かれており、要旨のことは書かれていません。これでは200字以上であっても「要旨」を付ける人と付けない人が出てくるでしょう。このような一貫性のない対応は不適切です。また、多数の意見がある場合は200字以内に収めるのは困難または不可能ですし、要旨では理由や根拠が伝わりません。意見を公表することがあるとのことですが、長い意見の場合は要旨を公表するということであれば具体的意見が伝わらず不本意です。要旨ではなく意見全文を掲載するよう求めます。
タグ :十勝川水系河川整備計画
2022年08月19日
ダムで壊される戸蔦別川
日高山脈を源として十勝川に合流する札内川。その札内川の支流の一つに戸蔦別川がある。戸蔦別川には砂防工事の名目でいくつもの砂防ダムや床固工が作られているが、今も巨大な砂防ダムが建設されている。
その砂防ダムなどの構造物について問題提起しているホームページがある。
戸蔦別川
戸蔦別川がどんな状況になっているのか、一部引用しよう。
川を横断する巨大な砂防ダム。異様な光景としか言いようがない。それが上流から下流までいくつも造られている。一連の工事を進めている北海道開発局は、とにかく堰を造ることによって川からの土石の流出を止めたいらしい。そもそも川というのはしばしば氾濫するものだ。そのたびに川は山から土石を下流に運ぶ。太古からそれを繰り返している。洪水による人的被害を減らすことは必要だが、人は完全に水の流れをコントロールすることなどできないし、できると思っているのなら思い上がりだろう。災害防止は川をコントロールするという方法だけに頼るべきではないだろう。
川は絶えず土石を下流に運んでいる。それを人工構造物でせき止めて土砂の流れを遮断すれば、必ず下流に影響を及ぼすことになる。下流に土砂が供給されなくなり、川底にあった土砂が流されて岩盤が露出したり河床が削られて低下してしまう。堤防の下部が洗われたり橋げたの基礎がむき出しになってしまうこともある。
海への土砂の供給が減れば、海岸浸食が起きる。それを防ぐためにコンクリート製の消波ブロックを大量に並べたり、護岸工事を行って自然の海岸線が消えていくことになる。もちろん魚の遡上にも影響がある。そうした悪影響を考えるなら、やはりダムで土砂を止めてしまってはいけないのだ。
もちろん開発局は土砂の流下を止めたら下流部でどんなことが生じるのか分かっている。それにも関わらず、川をコントロールしようとダムを造り続け、川の自然を壊し続けている。このホームページでも指摘されているが、その裏には政官民の癒着による利権構造があるのだろう。
その砂防ダムなどの構造物について問題提起しているホームページがある。
戸蔦別川
戸蔦別川がどんな状況になっているのか、一部引用しよう。
開発局直轄事業による1970年代の砂防堰堤建設計画立案以来、わずか40kmの戸蔦別川には既に7基の砂防ダム・堰堤、15基の床固工そして2基の流木止め工が造られ、今後更に2基の堰堤、7基の床固工そして5号堰堤の嵩上げが計画され、さらに幅178mの流木止め工が5号堰堤下流位置に予定されています。
今後の3号、9号の堰堤は現在建設中の4号堰堤と同レベルとされています。
川を横断する巨大な砂防ダム。異様な光景としか言いようがない。それが上流から下流までいくつも造られている。一連の工事を進めている北海道開発局は、とにかく堰を造ることによって川からの土石の流出を止めたいらしい。そもそも川というのはしばしば氾濫するものだ。そのたびに川は山から土石を下流に運ぶ。太古からそれを繰り返している。洪水による人的被害を減らすことは必要だが、人は完全に水の流れをコントロールすることなどできないし、できると思っているのなら思い上がりだろう。災害防止は川をコントロールするという方法だけに頼るべきではないだろう。
川は絶えず土石を下流に運んでいる。それを人工構造物でせき止めて土砂の流れを遮断すれば、必ず下流に影響を及ぼすことになる。下流に土砂が供給されなくなり、川底にあった土砂が流されて岩盤が露出したり河床が削られて低下してしまう。堤防の下部が洗われたり橋げたの基礎がむき出しになってしまうこともある。
海への土砂の供給が減れば、海岸浸食が起きる。それを防ぐためにコンクリート製の消波ブロックを大量に並べたり、護岸工事を行って自然の海岸線が消えていくことになる。もちろん魚の遡上にも影響がある。そうした悪影響を考えるなら、やはりダムで土砂を止めてしまってはいけないのだ。
もちろん開発局は土砂の流下を止めたら下流部でどんなことが生じるのか分かっている。それにも関わらず、川をコントロールしようとダムを造り続け、川の自然を壊し続けている。このホームページでも指摘されているが、その裏には政官民の癒着による利権構造があるのだろう。
2018年07月11日
集中豪雨による人的被害は防げる
今回の西日本豪雨災害がいかに広範囲でしかも大きな被害をもたらしたか、その全容が明らかになりつつある。人的被害も大きいが、家屋の浸水被害のほか交通網や水道、電気などといったライフラインの被害もかなり大きいようだ。
近年は異常気象による水害が毎年のように起きている。その度に避難の体制は万全だったのだろうかと思わざるをえない。大雨による災害は避難さえ徹底できれば命を落とすことはほとんどないと思うからだ。
3.11の大津波のとき、私は家も田畑も何もかも飲み込まれていくあの映像を見て「あれだけ揺れたのだから、きっと避難しているに違いない・・・」と心の中で祈っていたけれど、信じがたいほど多くの犠牲者が出てしまった。その後も日本列島は熊本地震や集中豪雨に襲われて何人もの方が亡くなっている。災害大国であり、あれだけの被害を経験しながらなぜ避難が徹底できないのだろうか。
日本の河川では、100年に1度とか数百年に1度くらいの大雨を想定してダムや堤防などの整備がなされている。しかし、それ以上の雨が降った場合はダムや堤防では対応できない。つまりダムや堤防で洪水を防ぐのは限界がある。限度を超えてしまえば堤防から水が溢れたり決壊するのだから、想定を超える雨が降る恐れがあれば避難するしかない。
とりわけ川の流量を一気に増大させるのがダムからの放流だ。想定外の大雨によってダムが満水になると堤体を守るために放流せざるを得ない。ダムからの放流は鉄砲水となって流れ下り河畔林をなぎ倒して大量の流木を発生させる。大雨で普段より水かさが増している川にダムからの放流が加わったら、下流はとんでもない量の水と流木が押し寄せることになる。支流にいくつものダムがあるような河川の場合、それらが一斉に放流したなら、下流部の水かさは一気に増える。こうなると堤防から水が溢れるのは時間の問題だ。水が堤防から溢れると、そこから堤防が抉られて決壊につながることが多い。
氾濫する場所の多くは過去にも水害を起こしている。とりわけ川の合流点は氾濫が起きやすい。本流の水位が上昇すると支流の水が飲み込めなくなり、本流から支流に水が逆流することもある。内水氾濫だ。今回大きな被害を出した倉敷市の真備町も、高梁川と小田川の合流点だ。そして、今回の浸水域とハザードマップの浸水域はほぼ重なっていたという。これは洪水被害が想定されていたということに他ならない。
過去に内水氾濫が起きている場所でも、洪水経験のない住民たちは内水氾濫のことを知らない。ダムの放流が洪水被害を増大させることも知らない。ダム建設を推進してきた国や地方自治体などは放流の危険性についてほとんど口にしない。「ダムや堤防があるから洪水は防げる」という安全神話ばかりが吹聴され、危険性が住民に周知されていないのだ。原発とよく似ている。
今は気象庁が雨雲の動きを公開していて大雨の予測は可能だ。大きな川には水量計が設置され、監視カメラもある。ダムにももちろん水位計があり、放流量も分かる。また、自治体は浸水や土砂崩れなどのハザードマップを作成している。今回の場合、気象庁は5日の午後2時に記者会見を開き記録的大雨になるとして警戒を呼び掛けた。こうした情報を活かして早め早めの避難を行っていたなら、これほどの人的被害は出なかったはずだ。
自治体は日頃から住民にハザードマップを配布して注意を呼び掛け、危険が増したときにはどこに避難するのかを周知させる必要がある。河川管理者は川の水量やダムの放流量、それに伴う危険性を自治体に速やかに知らせ、自治体はあらゆる手段をつかって避難をよびかける必要がある。特に大雨が夜に及ぶ場合は早め早めの避難が欠かせない。さらに、一人暮らしの高齢者や体の不自由な方などを日頃から把握して避難の援助をする体制をつくっておかなければ弱者が取り残される。学校、病院、老人ホームなどの施設でも、避難の体制を整えておく必要がある。こうした体制づくりはそれほど大変なことだとは思えない。
今回の災害に関しては救助や支援物資の輸送も遅いという印象を免れない。災害の発生が分かった時点ですぐにでも自衛隊が出動できるようにすることも、難しいことだとは思えない。今回は5日の日中に気象庁が警告していたのに、5日夜に安倍首相をはじめとした首脳陣は宴会をしていた。6日には各地で甚大な被害が出ていたが、非常災害対策本部を立ちあげたのは8日になってからだ。7日時点で救助などに活動に当たっていた自衛隊員は600人程度であり、21000人は待機していただけだったという(こちら参照)。国は危機管理や人命救助の意識が欠落しているというほかない。
今回のように広範囲にわたって大きな被害が出た場合は、復旧にも時間がかかるし、ライフラインの寸断で住民の生活に大きな支障がでる。長引く避難生活で体調を崩す人も出るだろう。被災者への対策も欠かせない。これらは東日本大震災や熊本地震でも経験済みだ。地震活動も火山活動も活発になっており、日本はいつ再び大地震や大津波に襲われてもおかしくないというのに、いったいこの国はこれまでの災害から何を学んでいるのだろうか?
このような水害が起きるとすぐに堤防のかさ上げや強化、河畔林の伐採や川底の掘削といった土木工事で対応しようとする。しかし堤防と堤防の間に水を抑え込む治水に限界があるから水害が起きるのだ。想定を超える大雨の場合は堤防から水が溢れることを前提にした対策を考えるしかない。
今のような土木技術がなかった頃は、人は洪水を受け入れて生活をしていた。つまり河川と人の生活域を堤防で分離するのではなく、洪水が起きやすいところは遊水池や農地にするなどして共存してきたのだ。人が水をコントロールしようとすればするほど、それがうまくいかなかったときの被害は大きくなる。自然に大きく逆らうことなく暮らしていた昔の人たちの知恵こそ、私たちは学ばねばならないのではないかと思う。
近年は異常気象による水害が毎年のように起きている。その度に避難の体制は万全だったのだろうかと思わざるをえない。大雨による災害は避難さえ徹底できれば命を落とすことはほとんどないと思うからだ。
3.11の大津波のとき、私は家も田畑も何もかも飲み込まれていくあの映像を見て「あれだけ揺れたのだから、きっと避難しているに違いない・・・」と心の中で祈っていたけれど、信じがたいほど多くの犠牲者が出てしまった。その後も日本列島は熊本地震や集中豪雨に襲われて何人もの方が亡くなっている。災害大国であり、あれだけの被害を経験しながらなぜ避難が徹底できないのだろうか。
日本の河川では、100年に1度とか数百年に1度くらいの大雨を想定してダムや堤防などの整備がなされている。しかし、それ以上の雨が降った場合はダムや堤防では対応できない。つまりダムや堤防で洪水を防ぐのは限界がある。限度を超えてしまえば堤防から水が溢れたり決壊するのだから、想定を超える雨が降る恐れがあれば避難するしかない。
とりわけ川の流量を一気に増大させるのがダムからの放流だ。想定外の大雨によってダムが満水になると堤体を守るために放流せざるを得ない。ダムからの放流は鉄砲水となって流れ下り河畔林をなぎ倒して大量の流木を発生させる。大雨で普段より水かさが増している川にダムからの放流が加わったら、下流はとんでもない量の水と流木が押し寄せることになる。支流にいくつものダムがあるような河川の場合、それらが一斉に放流したなら、下流部の水かさは一気に増える。こうなると堤防から水が溢れるのは時間の問題だ。水が堤防から溢れると、そこから堤防が抉られて決壊につながることが多い。
氾濫する場所の多くは過去にも水害を起こしている。とりわけ川の合流点は氾濫が起きやすい。本流の水位が上昇すると支流の水が飲み込めなくなり、本流から支流に水が逆流することもある。内水氾濫だ。今回大きな被害を出した倉敷市の真備町も、高梁川と小田川の合流点だ。そして、今回の浸水域とハザードマップの浸水域はほぼ重なっていたという。これは洪水被害が想定されていたということに他ならない。
過去に内水氾濫が起きている場所でも、洪水経験のない住民たちは内水氾濫のことを知らない。ダムの放流が洪水被害を増大させることも知らない。ダム建設を推進してきた国や地方自治体などは放流の危険性についてほとんど口にしない。「ダムや堤防があるから洪水は防げる」という安全神話ばかりが吹聴され、危険性が住民に周知されていないのだ。原発とよく似ている。
今は気象庁が雨雲の動きを公開していて大雨の予測は可能だ。大きな川には水量計が設置され、監視カメラもある。ダムにももちろん水位計があり、放流量も分かる。また、自治体は浸水や土砂崩れなどのハザードマップを作成している。今回の場合、気象庁は5日の午後2時に記者会見を開き記録的大雨になるとして警戒を呼び掛けた。こうした情報を活かして早め早めの避難を行っていたなら、これほどの人的被害は出なかったはずだ。
自治体は日頃から住民にハザードマップを配布して注意を呼び掛け、危険が増したときにはどこに避難するのかを周知させる必要がある。河川管理者は川の水量やダムの放流量、それに伴う危険性を自治体に速やかに知らせ、自治体はあらゆる手段をつかって避難をよびかける必要がある。特に大雨が夜に及ぶ場合は早め早めの避難が欠かせない。さらに、一人暮らしの高齢者や体の不自由な方などを日頃から把握して避難の援助をする体制をつくっておかなければ弱者が取り残される。学校、病院、老人ホームなどの施設でも、避難の体制を整えておく必要がある。こうした体制づくりはそれほど大変なことだとは思えない。
今回の災害に関しては救助や支援物資の輸送も遅いという印象を免れない。災害の発生が分かった時点ですぐにでも自衛隊が出動できるようにすることも、難しいことだとは思えない。今回は5日の日中に気象庁が警告していたのに、5日夜に安倍首相をはじめとした首脳陣は宴会をしていた。6日には各地で甚大な被害が出ていたが、非常災害対策本部を立ちあげたのは8日になってからだ。7日時点で救助などに活動に当たっていた自衛隊員は600人程度であり、21000人は待機していただけだったという(こちら参照)。国は危機管理や人命救助の意識が欠落しているというほかない。
今回のように広範囲にわたって大きな被害が出た場合は、復旧にも時間がかかるし、ライフラインの寸断で住民の生活に大きな支障がでる。長引く避難生活で体調を崩す人も出るだろう。被災者への対策も欠かせない。これらは東日本大震災や熊本地震でも経験済みだ。地震活動も火山活動も活発になっており、日本はいつ再び大地震や大津波に襲われてもおかしくないというのに、いったいこの国はこれまでの災害から何を学んでいるのだろうか?
このような水害が起きるとすぐに堤防のかさ上げや強化、河畔林の伐採や川底の掘削といった土木工事で対応しようとする。しかし堤防と堤防の間に水を抑え込む治水に限界があるから水害が起きるのだ。想定を超える大雨の場合は堤防から水が溢れることを前提にした対策を考えるしかない。
今のような土木技術がなかった頃は、人は洪水を受け入れて生活をしていた。つまり河川と人の生活域を堤防で分離するのではなく、洪水が起きやすいところは遊水池や農地にするなどして共存してきたのだ。人が水をコントロールしようとすればするほど、それがうまくいかなかったときの被害は大きくなる。自然に大きく逆らうことなく暮らしていた昔の人たちの知恵こそ、私たちは学ばねばならないのではないかと思う。
2015年12月21日
札内川「礫河原」再生事業を受け売りで正当化する報道への疑問
昨日、12月20日の北海道新聞社会面に「札内川『礫河原』再生中」という記事が掲載されていた。要約すると、以下のような内容である。
礫河原をもつ札内川は、近年の治水事業(堤防を保護するコンクリート構造物の設置)や降雪量の減少で川の流量が減り、土砂が堆積して河畔林が繁茂したことでケショウヤナギの生育できる礫河原が減少している。礫河原は1987年と2011年を比較すると、上流で約3分の1、下流で4分の1ほど減少した。このため北海道開発局帯広開発建設部は土砂が堆積した場所や樹林帯に水路を掘削し、土砂やヤナギの種が流れるような工事をしたほか、札内川ダムの放流量を一時的に増やすなどの対策を行った。これによって、上流の礫河原の面積は3年前と比べて約20ヘクタール増え、樹林面積は20ヘクタール減少した。15年度の事業費は6100万円で、16年度も同程度。
この記事を読んで、私はかなり唖然とした。まるで帯広開発建設部の受け売りであり、事業の正当化だ。
この記事の最大の問題点は、礫河原が減少した本質的原因にまったく触れていないことだ。礫河原の減少は、言うまでもなく札内川ダムを造ったことによって洪水が抑制され河川敷が撹乱されなくなったからである。ところが新聞ではダムについて一切触れず、原因を治水事業と降雪量の減少へと誘導している。
また、礫河原再生事業のメリットばかりを強調している。礫河原を増やすために土木工事で手を加えたなら、もちろんそのときはある程度の成果は出るだろう。しかし、それはあくまでも対処療法に過ぎない。ダムによって撹乱がなくなってしまった以上、礫河原を維持するためには永遠に税金を投入して「礫河原再生事業」を続けなければならないし、上流からの砂礫の供給が絶たれてしまったので、今河川敷に堆積している礫は次第に流され河床低下が懸念される。そして河床低下はさまざまな悪影響を及ぼすのだ。
開発局がやっていることは、札内川ダムという根本原因を棚に上げ、地域住民などの意見も取り入れる形式をとりながら「礫河原再生」という対処療法事業の正当化をしているだけだ。過去の事業への反省がないところには責任意識もないし、将来を見据えた問題解決もない。
なぜ私がこのようなことを書くのかといえば、開発建設部の発想が常に「はじめに事業ありき」であることを身を持って知っているからだ。これまでの開発建設部との話し合いにおいても、彼らは過去の事業の過ちを決して認めない。そして、過去の誤った治水事業に対してただただ対処療法的な事業を重ねていくだけなのだ。
しかも、以下の記事に書いたように、開発建設部は「やらせ」の疑いも拭えない不自然な公聴会を開いて事業の正当化をしてきた。
ダムで砂礫を止められた札内川で砂礫川原再生はできるのか?
続・ダムで砂礫を止められた札内川で砂礫川原再生はできるのか?
業界関係者も公述した十勝川水系河川整備計画公聴会
十勝川水系河川整備計画に寄せられた不自然な意見書
もちろん、礫河原減少の原因はダムだからすぐにダムを撤去せよとまでは言わない。しかし、過去の治水事業の過ちや悪影響を検証し反省することなく自然の摂理を無視した対処療法事業を続ければ、負の連鎖を起こす可能性があるし税金の無駄遣いになりかねない。
マスメディアが開発建設部の事業の本質を見抜こうとせず、安直な受け売りで事業を正当化する報道をすることに大きな疑問を抱かずにはいられない。
礫河原をもつ札内川は、近年の治水事業(堤防を保護するコンクリート構造物の設置)や降雪量の減少で川の流量が減り、土砂が堆積して河畔林が繁茂したことでケショウヤナギの生育できる礫河原が減少している。礫河原は1987年と2011年を比較すると、上流で約3分の1、下流で4分の1ほど減少した。このため北海道開発局帯広開発建設部は土砂が堆積した場所や樹林帯に水路を掘削し、土砂やヤナギの種が流れるような工事をしたほか、札内川ダムの放流量を一時的に増やすなどの対策を行った。これによって、上流の礫河原の面積は3年前と比べて約20ヘクタール増え、樹林面積は20ヘクタール減少した。15年度の事業費は6100万円で、16年度も同程度。
この記事を読んで、私はかなり唖然とした。まるで帯広開発建設部の受け売りであり、事業の正当化だ。
この記事の最大の問題点は、礫河原が減少した本質的原因にまったく触れていないことだ。礫河原の減少は、言うまでもなく札内川ダムを造ったことによって洪水が抑制され河川敷が撹乱されなくなったからである。ところが新聞ではダムについて一切触れず、原因を治水事業と降雪量の減少へと誘導している。
また、礫河原再生事業のメリットばかりを強調している。礫河原を増やすために土木工事で手を加えたなら、もちろんそのときはある程度の成果は出るだろう。しかし、それはあくまでも対処療法に過ぎない。ダムによって撹乱がなくなってしまった以上、礫河原を維持するためには永遠に税金を投入して「礫河原再生事業」を続けなければならないし、上流からの砂礫の供給が絶たれてしまったので、今河川敷に堆積している礫は次第に流され河床低下が懸念される。そして河床低下はさまざまな悪影響を及ぼすのだ。
開発局がやっていることは、札内川ダムという根本原因を棚に上げ、地域住民などの意見も取り入れる形式をとりながら「礫河原再生」という対処療法事業の正当化をしているだけだ。過去の事業への反省がないところには責任意識もないし、将来を見据えた問題解決もない。
なぜ私がこのようなことを書くのかといえば、開発建設部の発想が常に「はじめに事業ありき」であることを身を持って知っているからだ。これまでの開発建設部との話し合いにおいても、彼らは過去の事業の過ちを決して認めない。そして、過去の誤った治水事業に対してただただ対処療法的な事業を重ねていくだけなのだ。
しかも、以下の記事に書いたように、開発建設部は「やらせ」の疑いも拭えない不自然な公聴会を開いて事業の正当化をしてきた。
ダムで砂礫を止められた札内川で砂礫川原再生はできるのか?
続・ダムで砂礫を止められた札内川で砂礫川原再生はできるのか?
業界関係者も公述した十勝川水系河川整備計画公聴会
十勝川水系河川整備計画に寄せられた不自然な意見書
もちろん、礫河原減少の原因はダムだからすぐにダムを撤去せよとまでは言わない。しかし、過去の治水事業の過ちや悪影響を検証し反省することなく自然の摂理を無視した対処療法事業を続ければ、負の連鎖を起こす可能性があるし税金の無駄遣いになりかねない。
マスメディアが開発建設部の事業の本質を見抜こうとせず、安直な受け売りで事業を正当化する報道をすることに大きな疑問を抱かずにはいられない。
2014年09月17日
異常気象で危険が増大している首都圏
守田敏也さんが東京新聞の記事を元に非常に重要な指摘をされていたので、紹介したい。
東京は世界一危ない都市・・・警鐘「首都沈没」(東京新聞より) (明日に向けて)
簡単に言ってしまうと、関東平野は山に囲まれ東京湾に向かって緩く傾斜しているので、堤防が決壊したら首都圏は大洪水に見舞われ、日本は機能を失うというのだ。
3.11以来、首都圏を襲う大地震や大津波の危険性、あるいは富士山噴火による降灰の被害などについてはしばしば報道されてきた。しかし、堤防の破堤による洪水被害に関しては、ほとんど知られていないのではなかろうか。
守田さんも指摘しているように、江戸時代の治水は堤防の間に水を閉じ込めるのではなく、意図的に堤防から溢れさせることで決壊を防ぐというものだった。霞堤も同じような考え方だ。そして、溢れたときには防水林によって水の勢いを落とすという仕組みが造られていた。昔の日本人は自然の摂理に逆らわない治水をしていたのだ。
ところが、ヨーロッパで発達した土木技術を導入したことでこうした優れた治水は廃れ、堤防とダムで水を抑え込む治水工事が進められてしまった。その結果、破堤した場合はとんでもない被害が生じるようになったのだ。ヨーロッパでは封じ込める治水が誤りであったことを認め、かつて日本で行われていたような「溢れさせる治水」に方向転換している。
ところが日本の役所というのは、自分たちの過ちを決して認めようとはしない。だから、河川管理者は相変わらずダムだ、堤防だといって水を封じ込める治水にこだわり続けている。欧米では実行できていることが、日本ではできない。否、分かっていてもしようとしないのだ。
昨今は地球温暖化で異常気象が激増していると言われている。毎年のように各地でゲリラ豪雨と呼ばれる集中豪雨があり、土砂災害や洪水被害で大きな被害が出ている。かつてのように「溢れされる治水」を維持していれば、洪水で浸水するところは居住地にできるわけがない。しかし「封じ込める治水」へと転換したために、洪水被害のことなど頭から消え去り、川のすぐ近くも宅地にしてしまった。「封じ込める治水」が洪水被害のリスクを大きくしているのだ。
洪水に対してもっとも高いリスクを抱えているのが首都圏ということになる。本来東京湾に注いでいた利根川を大改修して大量の水を堤防で封じ込めているために、万一堤防が決壊したなら、大量の水が東京湾に向かって、すなわち首都圏に向かって流れ込むことになる。それが首都東京の置かれている状況だ。
集中豪雨で洪水被害が出るたびに、相変わらず「堤防の強化やかさ上げ」「ダムによる治水」を声高に主張する人がいる。しかし、堤防もダムも限界があり想定外の大雨には対処できない。3.11の大津波には巨大防潮堤が役に立たなかったように・・・。
いいかげんに「水を封じ込める治水」を転換していく必要があるだろう。とは言っても危険な地域に住む人たちをすぐに移住させることなど不可能だ。ならば今抱えている危険な状況を多くの人に知ってもらうために、堤防決壊のハザードマップを住民に配布すべきだ。あとは各自でできる対策(記事ではライフジャケットやペットボトルなどの用意を勧めている)をするしかない。
それにしても、河川管理者はこういうリスクについて分かっているに違いない。にも関わらず首都圏の人には知らせない。この国がいかに国民の命をないがしろにしているかが分かる。
東京は世界一危ない都市・・・警鐘「首都沈没」(東京新聞より) (明日に向けて)
簡単に言ってしまうと、関東平野は山に囲まれ東京湾に向かって緩く傾斜しているので、堤防が決壊したら首都圏は大洪水に見舞われ、日本は機能を失うというのだ。
3.11以来、首都圏を襲う大地震や大津波の危険性、あるいは富士山噴火による降灰の被害などについてはしばしば報道されてきた。しかし、堤防の破堤による洪水被害に関しては、ほとんど知られていないのではなかろうか。
守田さんも指摘しているように、江戸時代の治水は堤防の間に水を閉じ込めるのではなく、意図的に堤防から溢れさせることで決壊を防ぐというものだった。霞堤も同じような考え方だ。そして、溢れたときには防水林によって水の勢いを落とすという仕組みが造られていた。昔の日本人は自然の摂理に逆らわない治水をしていたのだ。
ところが、ヨーロッパで発達した土木技術を導入したことでこうした優れた治水は廃れ、堤防とダムで水を抑え込む治水工事が進められてしまった。その結果、破堤した場合はとんでもない被害が生じるようになったのだ。ヨーロッパでは封じ込める治水が誤りであったことを認め、かつて日本で行われていたような「溢れさせる治水」に方向転換している。
ところが日本の役所というのは、自分たちの過ちを決して認めようとはしない。だから、河川管理者は相変わらずダムだ、堤防だといって水を封じ込める治水にこだわり続けている。欧米では実行できていることが、日本ではできない。否、分かっていてもしようとしないのだ。
昨今は地球温暖化で異常気象が激増していると言われている。毎年のように各地でゲリラ豪雨と呼ばれる集中豪雨があり、土砂災害や洪水被害で大きな被害が出ている。かつてのように「溢れされる治水」を維持していれば、洪水で浸水するところは居住地にできるわけがない。しかし「封じ込める治水」へと転換したために、洪水被害のことなど頭から消え去り、川のすぐ近くも宅地にしてしまった。「封じ込める治水」が洪水被害のリスクを大きくしているのだ。
洪水に対してもっとも高いリスクを抱えているのが首都圏ということになる。本来東京湾に注いでいた利根川を大改修して大量の水を堤防で封じ込めているために、万一堤防が決壊したなら、大量の水が東京湾に向かって、すなわち首都圏に向かって流れ込むことになる。それが首都東京の置かれている状況だ。
集中豪雨で洪水被害が出るたびに、相変わらず「堤防の強化やかさ上げ」「ダムによる治水」を声高に主張する人がいる。しかし、堤防もダムも限界があり想定外の大雨には対処できない。3.11の大津波には巨大防潮堤が役に立たなかったように・・・。
いいかげんに「水を封じ込める治水」を転換していく必要があるだろう。とは言っても危険な地域に住む人たちをすぐに移住させることなど不可能だ。ならば今抱えている危険な状況を多くの人に知ってもらうために、堤防決壊のハザードマップを住民に配布すべきだ。あとは各自でできる対策(記事ではライフジャケットやペットボトルなどの用意を勧めている)をするしかない。
それにしても、河川管理者はこういうリスクについて分かっているに違いない。にも関わらず首都圏の人には知らせない。この国がいかに国民の命をないがしろにしているかが分かる。
2013年06月10日
居辺川の現状(その2)
前回の記事では居辺橋(下流の方の居辺橋)より下流側の河床低下を見たが、その上流では大きな浸食は見られない。砂礫川原が広がる河川がしばらく続いている。
下の写真は上流の方の居辺橋から上流側を見た光景だ。ここから上流が、今回帯広建設管理部が遊砂地(2カ所)と護岸工、床固工(12基)を計画している場所だ。このあたりは砂礫川原が広がりセグロセキレイやイカルチドリの良好な生息地になっているのだが、この写真の川原は遊砂地工の予定地だ。
帯広建設管理部によると、遊砂地工は「河川の広がりを利用して、洪水流を減勢して土砂を計画的に堆積させます」とのこと。計画図面を見ると、遊砂地工の上部と下部に堰を造り、その間にも6本ほどの河川を横断する構造物を入れるようだ。おそらく階段状態にするのだろう。つまり、洪水のときにここに砂礫を落とし、下流に土砂が移動しないようにするということだろう。
遊砂地工については以下を参照していただきたい。おおよそのイメージがつかめると思う。
遊砂地の仕組みと役割(福島河川国道事務所)
オカバルシ遊砂地(ikuzus-h雑記帳)
もしここに遊砂地ができると、土砂が移動せずに安定するため、砂礫川原がなくなってしまうのではなかろうか。さらに下流へ砂礫が供給されなくなるので、下流の浸食が進むことになる。
居辺橋は平成15年の大雨による洪水で橋のたもとの河岸がえぐられて道路が陥没し、自動車が川に転落するという事故が起きた場所だ。この災害によって橋が架けかえられた。
この遊砂地工予定地のすぐ上流に廃校になった東居辺小学校がある。平成15年の大雨のときにはこの小学校のあたりの河岸が浸食されて河岸の建物が流されるという被害が生じた。もっともここは河川の氾濫原であり、洪水があれば浸食されるのは当たり前の場所だ。このようなところに小学校を建ててしまったのが間違いなのである。
今回の砂防事業はこの時の洪水が契機になっているそうだ。しかし、すでに被災地の復旧工事は済んでいる。しかも小学校はすでに廃校になっているのだから、洪水による人的被害を考える必要はない。
下の写真はさらに上流の東居辺橋から下流側を見た光景だ。正面に見える崖は河川への砂礫の供給源になっている。ところが、近年この崩壊地の浸食が深刻になってきており、北海道は植樹を行って斜面の安定化を図るという。非常に急な斜面なのだが、重機が入って治山工事をしていた。
帯広建設管理部の説明では、このあたりに堆積した土砂が洪水で一気に下流に流される恐れがあるという。それを抑制するために、ここの下流部にも遊砂地を予定している。
東居辺橋から上流が床固工の設置区間になる。下の写真の中央あたりが最下部の床固工予定地だ。つまり、ここから上流に向かって12基もの堰を造るという。
下は、東居辺橋の上流の柏葉橋から下流側を見た光景だ。このあたりもそれほど浸食はされておらず、砂礫川原がある。
さらに上流の東大橋までいくと、浸食が目立つようになる。
帯広建設管理部の説明では、ここの上流の清進橋下流の河岸・河床の浸食が著しいために床固工によって土砂の流出を食い止めたいとのことだった。たしかに清進橋の下流は河岸と河床が浸食されていた。この下部が最上部の床固工予定地になる。
しかし、ここのすぐ上流には落差工が設置されていたのだ。
ここはもともと河床勾配が急なところだが、この落差工によってさらに河床低下が生じたのだろう。しかし、帯広建設管理部はここに落差工があるという説明を私たちにはしていなかった。
清進橋の上流の清進1号橋までくると、もはや川というより直線化した三面張りの水路となり、ところどころに落差工が設置されている。このような水路が上流へと続いている。
居辺橋から上流部を見て感じたのは、ここでは砂防工事が必要な場所はほとんどないということだ。
清進橋の下流部はたしかに河岸・河床の浸食が見られる。しかし、地形図を見るとこのあたりの右岸は崖状になっている。段丘面を流れてきた川が谷に入るところだから勾配がきつく、もともと浸食が活発なところなのだ。浸食が加速したのは、農地の排水事業によって三面張りの水路としたため激しい流れが発生するようになったからだ。つまり、清進橋下流の浸食は農地の排水事業と落差工が原因だろう。
しかし、浸食が著しいのは一部だけで、柏葉橋あたりまでくると浸食はそれほど生じていない。このままで特に問題があるとは思えない。12基もの床固工と2基の遊砂地工という大工事をする必要性が、私には皆目分からない。
このような工事をしたら、下流への砂礫の流下が抑制され、新たに下流の河床低下が生じるだろう。さらに砂礫の移動が抑えられるために河川敷に植物が繁茂し、砂礫川原が消失する可能性が高い。砂礫川原特有の野鳥や昆虫類への影響は甚大になるだろう。居辺川の砂防事業は川を殺す事業と言わざるを得ない。
札内川ではダムを造ったことで河畔林が繁茂してしまい砂礫川原の再生事業が計画されているが、砂礫川原再生も対処療法にすぎず、ダムを壊さない限り元の状態に戻すことは不可能だ。居辺川で砂防工事を行えば札内川の二の舞となって砂礫川原が消失し、下流部ではさらに河床低下が進むだろう。生態系を破壊する愚かな工事は止めるべきだ。
【関連記事】
砂防工事で居辺川を殺してはならない
川を荒らす農地の排水事業
下の写真は上流の方の居辺橋から上流側を見た光景だ。ここから上流が、今回帯広建設管理部が遊砂地(2カ所)と護岸工、床固工(12基)を計画している場所だ。このあたりは砂礫川原が広がりセグロセキレイやイカルチドリの良好な生息地になっているのだが、この写真の川原は遊砂地工の予定地だ。
帯広建設管理部によると、遊砂地工は「河川の広がりを利用して、洪水流を減勢して土砂を計画的に堆積させます」とのこと。計画図面を見ると、遊砂地工の上部と下部に堰を造り、その間にも6本ほどの河川を横断する構造物を入れるようだ。おそらく階段状態にするのだろう。つまり、洪水のときにここに砂礫を落とし、下流に土砂が移動しないようにするということだろう。
遊砂地工については以下を参照していただきたい。おおよそのイメージがつかめると思う。
遊砂地の仕組みと役割(福島河川国道事務所)
オカバルシ遊砂地(ikuzus-h雑記帳)
もしここに遊砂地ができると、土砂が移動せずに安定するため、砂礫川原がなくなってしまうのではなかろうか。さらに下流へ砂礫が供給されなくなるので、下流の浸食が進むことになる。
居辺橋は平成15年の大雨による洪水で橋のたもとの河岸がえぐられて道路が陥没し、自動車が川に転落するという事故が起きた場所だ。この災害によって橋が架けかえられた。
この遊砂地工予定地のすぐ上流に廃校になった東居辺小学校がある。平成15年の大雨のときにはこの小学校のあたりの河岸が浸食されて河岸の建物が流されるという被害が生じた。もっともここは河川の氾濫原であり、洪水があれば浸食されるのは当たり前の場所だ。このようなところに小学校を建ててしまったのが間違いなのである。
今回の砂防事業はこの時の洪水が契機になっているそうだ。しかし、すでに被災地の復旧工事は済んでいる。しかも小学校はすでに廃校になっているのだから、洪水による人的被害を考える必要はない。
下の写真はさらに上流の東居辺橋から下流側を見た光景だ。正面に見える崖は河川への砂礫の供給源になっている。ところが、近年この崩壊地の浸食が深刻になってきており、北海道は植樹を行って斜面の安定化を図るという。非常に急な斜面なのだが、重機が入って治山工事をしていた。
帯広建設管理部の説明では、このあたりに堆積した土砂が洪水で一気に下流に流される恐れがあるという。それを抑制するために、ここの下流部にも遊砂地を予定している。
東居辺橋から上流が床固工の設置区間になる。下の写真の中央あたりが最下部の床固工予定地だ。つまり、ここから上流に向かって12基もの堰を造るという。
下は、東居辺橋の上流の柏葉橋から下流側を見た光景だ。このあたりもそれほど浸食はされておらず、砂礫川原がある。
さらに上流の東大橋までいくと、浸食が目立つようになる。
帯広建設管理部の説明では、ここの上流の清進橋下流の河岸・河床の浸食が著しいために床固工によって土砂の流出を食い止めたいとのことだった。たしかに清進橋の下流は河岸と河床が浸食されていた。この下部が最上部の床固工予定地になる。
しかし、ここのすぐ上流には落差工が設置されていたのだ。
ここはもともと河床勾配が急なところだが、この落差工によってさらに河床低下が生じたのだろう。しかし、帯広建設管理部はここに落差工があるという説明を私たちにはしていなかった。
清進橋の上流の清進1号橋までくると、もはや川というより直線化した三面張りの水路となり、ところどころに落差工が設置されている。このような水路が上流へと続いている。
居辺橋から上流部を見て感じたのは、ここでは砂防工事が必要な場所はほとんどないということだ。
清進橋の下流部はたしかに河岸・河床の浸食が見られる。しかし、地形図を見るとこのあたりの右岸は崖状になっている。段丘面を流れてきた川が谷に入るところだから勾配がきつく、もともと浸食が活発なところなのだ。浸食が加速したのは、農地の排水事業によって三面張りの水路としたため激しい流れが発生するようになったからだ。つまり、清進橋下流の浸食は農地の排水事業と落差工が原因だろう。
しかし、浸食が著しいのは一部だけで、柏葉橋あたりまでくると浸食はそれほど生じていない。このままで特に問題があるとは思えない。12基もの床固工と2基の遊砂地工という大工事をする必要性が、私には皆目分からない。
このような工事をしたら、下流への砂礫の流下が抑制され、新たに下流の河床低下が生じるだろう。さらに砂礫の移動が抑えられるために河川敷に植物が繁茂し、砂礫川原が消失する可能性が高い。砂礫川原特有の野鳥や昆虫類への影響は甚大になるだろう。居辺川の砂防事業は川を殺す事業と言わざるを得ない。
札内川ではダムを造ったことで河畔林が繁茂してしまい砂礫川原の再生事業が計画されているが、砂礫川原再生も対処療法にすぎず、ダムを壊さない限り元の状態に戻すことは不可能だ。居辺川で砂防工事を行えば札内川の二の舞となって砂礫川原が消失し、下流部ではさらに河床低下が進むだろう。生態系を破壊する愚かな工事は止めるべきだ。
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川を荒らす農地の排水事業
2013年06月09日
居辺川の現状(その1)
帯広建設管理部が居辺川で大規模な砂防事業をやるとのことなので、現場を見に行ってきた。居辺川は利別川を経て十勝川に注ぐ砂礫川原をもつ河川だ。帯広建設管理部の説明によると中流部の下居辺あたりで河床低下が生じているとのことだったので、下流から上流に向かって川の様子を見ることにした。
下の写真は下流部の常盤旭橋からの光景だ。ここは部分的に護岸がなされてはいるが、それほど浸食されていない。
常盤旭橋の上流にある更正橋あたりに来ると河床が低下してきており、護岸ブロックの下部が崩壊している。
さらに上流の下居辺大橋では浸食が進んで左岸は護岸工事がなされている。
下居辺大橋の上流側は峡谷状になっている。
その上流の睦橋では浸食によって河岸のコンクリートの基部がえぐられている。河床は砂利が流され基盤が剥き出しになっている。
さらに上流の、道の駅「しほろ温泉」のあたりも浸食が進み、高さ5メートルほどの崖が出現していた。
河床低下により護岸ブロックが崩れ落ちてしまったらしく、川の中には壊れた護岸ブロックが無残に散乱し、支流は滝のようになって注いでいる。
この崖のすぐ上流には石を組んで造った帯工がある。左岸は石を積んで護岸している。河床低下を抑えるための対処療法のようだ。
その上の居辺橋(居辺川には「居辺橋」という名の橋が二つもあるのだが、下流の居辺橋)から川を覗いて、なるほどと思った。橋の下流側には落差工が設置されていたのだ。
居辺橋から下流の浸食の原因が浮かび上がってきた。ひとつは川の直線化だ。かつては居辺川はもっと蛇行をしていたのだが、蛇行部をショートカットして直線化してしまった。曲がりながら流れている川を直線化すると、河床勾配が急になって流速が早まり浸食が加速されるのだ。
もうひとつは落差工だ。落差工の部分では流速が弱まるため、上流側に砂利が溜まる。そのために下流部に砂礫が供給されなくなり河床低下の要因となる。
人間が川を改造したことが下流部の河床低下の最大の原因だ。
(つづく)
下の写真は下流部の常盤旭橋からの光景だ。ここは部分的に護岸がなされてはいるが、それほど浸食されていない。
常盤旭橋の上流にある更正橋あたりに来ると河床が低下してきており、護岸ブロックの下部が崩壊している。
さらに上流の下居辺大橋では浸食が進んで左岸は護岸工事がなされている。
下居辺大橋の上流側は峡谷状になっている。
その上流の睦橋では浸食によって河岸のコンクリートの基部がえぐられている。河床は砂利が流され基盤が剥き出しになっている。
さらに上流の、道の駅「しほろ温泉」のあたりも浸食が進み、高さ5メートルほどの崖が出現していた。
河床低下により護岸ブロックが崩れ落ちてしまったらしく、川の中には壊れた護岸ブロックが無残に散乱し、支流は滝のようになって注いでいる。
この崖のすぐ上流には石を組んで造った帯工がある。左岸は石を積んで護岸している。河床低下を抑えるための対処療法のようだ。
その上の居辺橋(居辺川には「居辺橋」という名の橋が二つもあるのだが、下流の居辺橋)から川を覗いて、なるほどと思った。橋の下流側には落差工が設置されていたのだ。
居辺橋から下流の浸食の原因が浮かび上がってきた。ひとつは川の直線化だ。かつては居辺川はもっと蛇行をしていたのだが、蛇行部をショートカットして直線化してしまった。曲がりながら流れている川を直線化すると、河床勾配が急になって流速が早まり浸食が加速されるのだ。
もうひとつは落差工だ。落差工の部分では流速が弱まるため、上流側に砂利が溜まる。そのために下流部に砂礫が供給されなくなり河床低下の要因となる。
人間が川を改造したことが下流部の河床低下の最大の原因だ。
(つづく)
2013年05月29日
川を荒らす農地の排水事業
私が関わっている十勝自然保護協会では、これまで自然保護の立場から「美蔓地区国営かんがい排水事業」「富秋地区国営かんがい排水事業」という二つの「かんがい排水事業」に関し、希少動物の生息地に悪影響を与えるとして反対を表明してきた。
その中で明らかになってきたのは、「国営かんがい排水事業」の必要性だ。事業者は、排水事業の目的は大雨による農地の湛水被害による穫量減の解消だと説明している。ところが事業者との話し合いの中で、「湛水被害による収量減の解消」では排水事業の費用対効果が説明できないことが分かった。つまり、被害額より工事費のほうがはるかに大きいのである。詳しくは以下をお読みいただきたい。
明確になった「富秋地区」国営かんがい排水事業の欺瞞
上記記事の要点部分を以下に書き出しておく。
要するに、工事をすることが目的の事業だと言ってもいい。無駄な公共事業の典型だろう。
民主党政権での公共事業の縮小により、十勝地方での「かんがい排水事業」はほぼ終わったかのように思えた。ところがアベノミクスによって公共事業にじゃぶじゃぶと予算がつけられたため、また復活したのだ。以下に「国営かんがい排水事業」の説明があり、美蔓地区、札内川第二地区、上士幌北地区、士幌西部地区、富秋士幌川下流地区が挙げられている。このうち、アベノミクスによって新規に予算がついたのが、上士幌北地区、士幌西部地区だ。
農業農村整備事業マップ(帯広開発建設部)
そもそも、湛水被害というが、大雨が降れば多くの農地で一時的に水たまりができる。これは農地に限らず校庭や住宅の庭でも同じであり、当たり前のことだ。ところがその当たり前のことすら「湛水被害」だといって公共事業の目的にするのだから呆れる。
このような自然の摂理に反したことをすれば、当然その影響が出る。排水事業を促進することで、大雨などのときに水が河川に一気に流れ出るようになる。
昨年の3月に「砂防工事で居辺川を殺してはならない」という記事を書いた。比較的自然のままの姿を残している十勝北部の居辺川で大規模な砂防工事が計画されている。この工事について、今年の4月に事業者である帯広建設管理部に説明を求めると、上流部の河岸・川床の浸食が著しいため、河床の浸食防止と土砂の移動抑制のために床固工と遊砂地工を行うとの説明があった。
その工事内容の説明を聞いて唖然とした。居辺川の上流部は増水時でなければ長靴でも渡れる小河川なのだが、そこに切り欠きを入れた約100メートルもの堰堤を12基も造るという。つまり、川の両側の段丘をまたぐようにコンクリートの巨大な構造物を造るということだ。景観破壊はもちろんのこと河川生態系への影響が懸念されるし、下流部への影響も生じるのではなかろうか。
居辺川では以前に比べ、大雨が降ると一気に増水するようになったのは確かなようだ。それが上流部の浸食を加速させたのだ。では、なぜ一気に増水するようになったのか? それは森林を伐採して農地にしたり、排水事業によって水はけを良くしてしまったからだ。自然に逆らって排水を促進すれば河川が荒れたり災害が発生し、それを防ぐために砂防事業を行うことになる。さらに、上流での砂防事業は必ず下流に影響を及ぼすことになる。
事業費に見合った効果があるとは思えない(少なくとも事業者は具体的に説明できない)農地の排水事業が、河川の自然を破壊する砂防工事へと繋がっているのだ。アベノミクスによる公共事業を評価する人は、税金がこのように使われていることをきちんと知ってほしい。
その中で明らかになってきたのは、「国営かんがい排水事業」の必要性だ。事業者は、排水事業の目的は大雨による農地の湛水被害による穫量減の解消だと説明している。ところが事業者との話し合いの中で、「湛水被害による収量減の解消」では排水事業の費用対効果が説明できないことが分かった。つまり、被害額より工事費のほうがはるかに大きいのである。詳しくは以下をお読みいただきたい。
明確になった「富秋地区」国営かんがい排水事業の欺瞞
上記記事の要点部分を以下に書き出しておく。
大雨などによって畑に水が溜まると農作物に被害が出るのだが、その被害の解消目的で排水事業を行うと採算が全く合わない。そこで、公共事業をやりたい事業者が思いついたのは「作物生産効果」である。「水はけを良くすることによって生産性が上がり、国民の食糧増産に寄与する」との名目で、根拠も良く分からない「作物生産効果」を持ち出して、費用対効果があると主張する。しかし、金銭的負担があれば事業に参加しないという農家も出てくるだろう。それでは事業ができないので、受益者負担も地元の市町村が肩代わりするという仕組みだ。
要するに、工事をすることが目的の事業だと言ってもいい。無駄な公共事業の典型だろう。
民主党政権での公共事業の縮小により、十勝地方での「かんがい排水事業」はほぼ終わったかのように思えた。ところがアベノミクスによって公共事業にじゃぶじゃぶと予算がつけられたため、また復活したのだ。以下に「国営かんがい排水事業」の説明があり、美蔓地区、札内川第二地区、上士幌北地区、士幌西部地区、富秋士幌川下流地区が挙げられている。このうち、アベノミクスによって新規に予算がついたのが、上士幌北地区、士幌西部地区だ。
農業農村整備事業マップ(帯広開発建設部)
そもそも、湛水被害というが、大雨が降れば多くの農地で一時的に水たまりができる。これは農地に限らず校庭や住宅の庭でも同じであり、当たり前のことだ。ところがその当たり前のことすら「湛水被害」だといって公共事業の目的にするのだから呆れる。
このような自然の摂理に反したことをすれば、当然その影響が出る。排水事業を促進することで、大雨などのときに水が河川に一気に流れ出るようになる。
昨年の3月に「砂防工事で居辺川を殺してはならない」という記事を書いた。比較的自然のままの姿を残している十勝北部の居辺川で大規模な砂防工事が計画されている。この工事について、今年の4月に事業者である帯広建設管理部に説明を求めると、上流部の河岸・川床の浸食が著しいため、河床の浸食防止と土砂の移動抑制のために床固工と遊砂地工を行うとの説明があった。
その工事内容の説明を聞いて唖然とした。居辺川の上流部は増水時でなければ長靴でも渡れる小河川なのだが、そこに切り欠きを入れた約100メートルもの堰堤を12基も造るという。つまり、川の両側の段丘をまたぐようにコンクリートの巨大な構造物を造るということだ。景観破壊はもちろんのこと河川生態系への影響が懸念されるし、下流部への影響も生じるのではなかろうか。
居辺川では以前に比べ、大雨が降ると一気に増水するようになったのは確かなようだ。それが上流部の浸食を加速させたのだ。では、なぜ一気に増水するようになったのか? それは森林を伐採して農地にしたり、排水事業によって水はけを良くしてしまったからだ。自然に逆らって排水を促進すれば河川が荒れたり災害が発生し、それを防ぐために砂防事業を行うことになる。さらに、上流での砂防事業は必ず下流に影響を及ぼすことになる。
事業費に見合った効果があるとは思えない(少なくとも事業者は具体的に説明できない)農地の排水事業が、河川の自然を破壊する砂防工事へと繋がっているのだ。アベノミクスによる公共事業を評価する人は、税金がこのように使われていることをきちんと知ってほしい。
2013年03月12日
十勝川水系河川整備計画に寄せられた不自然な意見書
昨日、北海道開発局帯広開発建設部のホームページを見たら、「十勝川水系河川整備計画[変更](原案)について寄せられたご意見」が掲載されていた。
関係住民の方々から寄せられたご意見
ざっと目を通してみたが「やっぱりね~」という感想をもった。つまり、寄せられた意見の大半は計画案に対する具体的な問題提起ではなく、抽象的な賛成意見ばかりだ。札内川は樹林化が進んで礫川原が減少してしまったから自然再生に賛同するとか、地震・津波対策は重要、といったものばかり。
意見は24件寄せられているのだが、河川管理者の提案に基本的に賛成するという意見ばかりというのがまず不自然だ。もし私が原案に賛成する立場だったら、わざわざ賛意を示す意見など送らないだろう。原案に納得できない部分や訂正すべきことがあるからこそ意見を述べるというのが普通の人の感覚だと思う。
もう一つ不可解なのが、今回の意見募集が果たしてどれほど一般住民に知れ渡っていたのかということ。帯広開発建設部のホームページを定期的に見ている一般市民などほとんどいないだろうから、新聞などでお知らせしなければまず知ることができない。今回の意見募集が新聞に掲載されたかどうか知らないが、私は気がつかなかった。掲載されてもこのような記事は地方版にごく小さく載るだけだ。知っていた人がそれほど多いとは思えない。
ただし業界関係者は別だ。たとえば「NPO法人十勝多自然ネット」。日頃帯広開発建設部の事業を請け負っている土建業者の団体だから、当然このような情報は知っているだろう。帯広開発建設部は「札内川懇談会」という組織を設置しているのだが、「NPO法人十勝多自然ネット」もこの懇談会に参加している。
つまり、意見を寄せた人の中に業界関係者が多数入っている可能性が高いと思えてならない。公表の際には意見を寄せた人の名前を伏せているのだから、いくらでもそういうことはできるだろう。もしそうであるなら、意見募集など出来レースみたいなものだ。
ところで「業界関係者も公述した十勝川水系河川整備計画公聴会」に、十勝多自然ネットのT氏が公聴会で「開発行政を天まで持ち上げるかのような発言までし、・・・」と書いたが、意見書のその部分を以下に引用しておこう。
歯が浮くようなお世辞とはこのことではなかろうか。川のあちこちにダムや堰をつくって河川生態系を大きく破壊し、札内川の砂礫川原を減少させたのは開発局なのである。河川管理者が河川生態系を破壊して、今度は自然再生事業・・・こういうのをマッチポンプという。
ところで礫川原の再生事業は札内川に限ったことではない。インターネットで検索してみると全国で河川敷の樹林化が進行し、同じような再生事業が始まっている。取手川、多摩川、天竜川、鬼怒川などいろいろ出てくる。ダムで砂礫の流下を止めてしまったのだからこれは当然の結果なのだ。
天竜川支流の三峰川に関する論文では、樹林化と礫川原減少がダムや砂防事業、砂利採取が原因であるとはっきりと書かれている。
セグメント1河道における礫河原環境再生に向けた三峰河青島地区での実証的研究
国土交通省はどうやら、新しい公共事業の創出として礫河原再生を推進しているらしい。こうした事業で一時的には砂礫川原が出現するだろうが、所詮対処療法である。日本も欧米のように老朽化したダムから撤去を考えていくべきではなかろうか。
関係住民の方々から寄せられたご意見
ざっと目を通してみたが「やっぱりね~」という感想をもった。つまり、寄せられた意見の大半は計画案に対する具体的な問題提起ではなく、抽象的な賛成意見ばかりだ。札内川は樹林化が進んで礫川原が減少してしまったから自然再生に賛同するとか、地震・津波対策は重要、といったものばかり。
意見は24件寄せられているのだが、河川管理者の提案に基本的に賛成するという意見ばかりというのがまず不自然だ。もし私が原案に賛成する立場だったら、わざわざ賛意を示す意見など送らないだろう。原案に納得できない部分や訂正すべきことがあるからこそ意見を述べるというのが普通の人の感覚だと思う。
もう一つ不可解なのが、今回の意見募集が果たしてどれほど一般住民に知れ渡っていたのかということ。帯広開発建設部のホームページを定期的に見ている一般市民などほとんどいないだろうから、新聞などでお知らせしなければまず知ることができない。今回の意見募集が新聞に掲載されたかどうか知らないが、私は気がつかなかった。掲載されてもこのような記事は地方版にごく小さく載るだけだ。知っていた人がそれほど多いとは思えない。
ただし業界関係者は別だ。たとえば「NPO法人十勝多自然ネット」。日頃帯広開発建設部の事業を請け負っている土建業者の団体だから、当然このような情報は知っているだろう。帯広開発建設部は「札内川懇談会」という組織を設置しているのだが、「NPO法人十勝多自然ネット」もこの懇談会に参加している。
つまり、意見を寄せた人の中に業界関係者が多数入っている可能性が高いと思えてならない。公表の際には意見を寄せた人の名前を伏せているのだから、いくらでもそういうことはできるだろう。もしそうであるなら、意見募集など出来レースみたいなものだ。
ところで「業界関係者も公述した十勝川水系河川整備計画公聴会」に、十勝多自然ネットのT氏が公聴会で「開発行政を天まで持ち上げるかのような発言までし、・・・」と書いたが、意見書のその部分を以下に引用しておこう。
最後になりますが、未開地北海道が僅か60年余りで、私たちが衣食足りてと感じるまでに成った背景には、「北海道開発局」の一元的な組織体制で、総合開発計画の基、弛みない社会基盤整備の成果と理解し、感謝しています。
時代の流れと共に、社会的ニーズも様変わりする昨今ですが、これからも一貫して大切なことは、維持管理を含む基盤整備イコール「国土の強靭化」だと思います。
更なる60年先を見定め、自信と誇りを持って「地域全体の幸福度の向上」に努めていただく事をお願いいたします。
歯が浮くようなお世辞とはこのことではなかろうか。川のあちこちにダムや堰をつくって河川生態系を大きく破壊し、札内川の砂礫川原を減少させたのは開発局なのである。河川管理者が河川生態系を破壊して、今度は自然再生事業・・・こういうのをマッチポンプという。
ところで礫川原の再生事業は札内川に限ったことではない。インターネットで検索してみると全国で河川敷の樹林化が進行し、同じような再生事業が始まっている。取手川、多摩川、天竜川、鬼怒川などいろいろ出てくる。ダムで砂礫の流下を止めてしまったのだからこれは当然の結果なのだ。
天竜川支流の三峰川に関する論文では、樹林化と礫川原減少がダムや砂防事業、砂利採取が原因であるとはっきりと書かれている。
セグメント1河道における礫河原環境再生に向けた三峰河青島地区での実証的研究
国土交通省はどうやら、新しい公共事業の創出として礫河原再生を推進しているらしい。こうした事業で一時的には砂礫川原が出現するだろうが、所詮対処療法である。日本も欧米のように老朽化したダムから撤去を考えていくべきではなかろうか。
2013年03月01日
業界関係者も公述した十勝川水系河川整備計画公聴会
昨日2月28日は、北海道開発局帯広開発建設部による「十勝川水系河川整備計画[変更](原案)に関する公聴会」が帯広市で開催された。私は公述人として参加したので、その様子を報告したい。
今回は1月22日から2月20日までの1カ月間、原案の縦覧および意見募集が行われた。この間に24人が意見を寄せたそうだ。このうち、公聴会での公述を希望した人は7人だった。7人のうち、変更案の具体的問題点を指摘したのは十勝自然保護協会と私の2人だけである。十勝自然保護協会の意見は以下を参照していただきたい。
十勝川水系河川整備計画変更原案に意見公述(十勝自然保護協会 活動速報)
あとの5人は基本的には開発局の提示した変更案に賛意を示す内容だった。たとえば、洪水や地震・津波などに対する防災対策を評価する意見、ケショウヤナギの幼木の生育地をつくるために砂礫川原再生は望ましいという意見、子供たちの野外活動を行っているボランティア団体として砂礫川原の再生は喜ばしいという意見、地域特性に配慮した変更案を評価するとともに河川敷の樹林化を抑制するための湿地造成の提案など、変更案に対する具体的意見というより抽象的な賛成論が大部分といった感じだった。
傍聴した知人は、傍聴席は女性の姿がほとんど見られず、地域住民というより関係者中心に感じられ異様な気がしたし、公述人にも違和感を覚えたとの感想を漏らしていた。河川整備や道路関係の公聴会、説明会などではしばしば声高に賛成意見を述べる人がいるのだが、一般の傍聴人がほとんどいない中、抽象的賛成意見の目立つ公聴会は明らかに不自然だ。提示された案に賛意を示すためにわざわざ公述するという行為の裏に、どうしても恣意的なものを感じてしまう。
事実、意見を述べる人の中に業界関係者も混じっている。今回公述したT氏がそうである。T氏は前回の「十勝川水系河川整備計画(原案)」に対する公聴会(2009年10月29日)でも意見を述べている。以下の15ページ参照。
十勝川水系河川整備計画(原案)に関する公聴会議事録
ここでT氏は公述の始めにNPO法人十勝多自然ネットに携わっていると述べているのだが、「NPO法人十勝多自然ネット」とは土木建設業界の人たちでつくっている団体である。つまり、日頃帯広開発建設部から仕事を請け負っている業界団体の一員だ。例えて言うなら、原発に関する意見交換会の場に原子炉メーカーである日立や東芝などの社員が出向いて賛成意見を述べるのと似た構図だ。利害関係者が意見書を出し公述を申し込むという厚かましさには呆れてしまう。
また、今回の意見募集は変更部分に対するものだ。つまり「地震・津波対策」と「札内川の樹林化防止策(礫川原再生)」についての意見に限って受け付けていた。ところが、T氏は何を勘違いしたのか、十勝川について「健全な河川をそこなわない治水が大事」だとか「多様な自然環境が重要」だとか「サケが自然産卵できる川にしてほしい」とか、さらには開発行政を天まで持ち上げるかのような発言までし、意見募集の趣旨からずれた意見をとうとうと述べた。
公述人は事前に意見書を提出しており、公述はその意見の範囲でしかできないことになっている。事前に意見を把握しておきながら、このような人物を公述人として選出した帯広開発建設部の見識が問われる。
蛇足だが、T氏は「札内川の起源は1000万年前」とか「十勝川のサケは固有種」などという主張もしていた。「十勝の自然を歩く」(十勝の自然史研究会編、北海道大学図書刊行会)によると、1000万年前というのは日高造山運動が始まって日高山脈が海底から顔を出した頃である。札内川はまだ影も形もない。また、十勝平野は第四紀のはじめ(170万年前から100万年前:なお現在は第四紀の始まりを258万年前としている)は巨大な沼や湿原だった。更新世中期(50万年前)頃から日高山脈はふたたび激しく上昇しはじめ、この頃に十勝川が今の流路になったと言われている。こうした経緯から考えると、札内川の誕生は更新世中期以降と考えられるのではなかろうか。
また「十勝川のサケが固有種」というのは誤りだ。固有種とは、その地域にしか分布していない「種」のことを指す。十勝川に遡上するサケも石狩川に遡上するサケも「サケ(シロザケ)、学名はOncorhnchus keta」という同一の種である。たしかに十勝川で生まれたサケは海を回遊した後に産卵のために十勝川に戻ってくるが、だからといってそれを「十勝川の固有種」とは言わない。
なお、私の公述は提出意見を若干変えたので、以下に掲載しておく。帯広開発建設部は議事録作成のために録音をしていたが、書き起こし作業軽減に寄与したい。
**********
今回の変更案は地震津波対策と札内川の樹林化に対する取り組みが主な変更点ですが、ここでは札内川の樹林化への対策について意見を述べます。
私は、2010年7月に川と河畔林を考える会、十勝自然保護協会、十勝の自然史研究会が共同で開催した「2010川の講座 in十勝」に参加して、平川一臣北海道大学大学院教授の講義を受けました。なお、平川教授は第四紀学、周氷河地形環境、第四紀地殻変動の専門家です。
平川教授は、講義のなかで次のように述べていました。「河川は、自己制御することによって、可能な限り効率のよい形、すなわち横断形、縦断形を維持しようとする。つまり砂防ダムを始めとして人間の手が加わると、河川は川幅、水深、流送河床物質の粒径などの間で、内部調整、自己制御をやって確実に応答している。人の愚かさを試しているとも言える」、「河床の砂礫を上流のダムが止めてしまうと、それより下流の砂礫供給量・運搬量に見合った川になってしまう。戸蔦別川や札内川はダムの建設前後で別の川になってしまったことを意味する。現在は、その変化への適応・調整、すなわち河床低下の過程にあり、河畔林の繁茂はその一端である」また、「札内川では、従来の堤防の位置などから推測すると、数メートルも河床が低下しており、今では堤防から水が溢れることはまずないだろう」「札内川は札内川ダムや戸蔦別川に造られた多数の砂防ダムによって著しい河床低下を生じ、高水敷はヤナギが繁茂してすっかり姿を変えてしまった」とのことでした。
札内川から砂礫川原が激減したのはダムによって砂礫の流下が止められてしまったことが原因であり、また河川敷にヤナギなどが繁茂したのは札内川ダムの貯水機能によって流量が抑制され洪水が生じにくくなったことも関係しているのです。したがって、ダムを造ってしまった以上、砂礫川原が減少し河畔林が繁茂することは当然の結果と受け止めなければなりません。
十勝川水系河川整備計画変更原案89頁の「(6)札内川における取り組み」を読むと、「近年、河道内の樹林化が著しい札内川では、かつての河道内に広く見られた礫河原が急速に減少しており、氷河期の遺存種であるケショウヤナギの更新地環境の衰退が懸念されている。そのため、ケショウヤナギ生育環境の保全に加え、札内川特有の河川環境・景観を保全するため、礫河原の再生に向けた取り組みを行う」と書いてあるだけで、札内川ダムや戸蔦別川の巨大砂防ダム群の影響に全くふれていません。
「札内川の礫河原再生の取り組みについては、礫河原再生の目標や進め方等について記載した『札内川自然再生計画書』を踏まえ」るということですので、札内川自然再生計画書のほうに目を通しました。6頁に、「昭和47年より直轄砂防事業として札内川上流域において砂防えん堤や床固工群の整備を実施してきた。昭和60年には、治水安全度の向上、高まる水需要に対応した水資源の開発を図るため、洪水調節、流水の正常な機能の維持、かんがい用水、水道用水の供給、発電を目的とした札内川ダムの建設に着手し、平成10 年に供用を開始した」とあるのですが、これらのダムが札内川にどのように影響したかについては一言も書かれていませんでした。
ダムなどの構造物が河川を大きく変えることは河川学では常識であり、河川技術者も十分知っていると平川教授は言っていました。それにもかかわらず、十勝川水系河川整備計画変更原案にも札内川自然再生計画書にもダムの影響について触れていないのはどうしたことでしょう。
札内川ダムも戸蔦別川砂防ダムも帯広開発建設部が良かれと思い、多額の税金を投じて建設したものです。これらのダムのために札内川の自然再生が提案されたとしても、隠し立てすることではないでしょう。
札内川自然再生計画書では、砂礫川原の再生のために河床撹乱が提案されていますが、ダムによって砂礫の流下が止められて砂礫川原が減少しているのですから、たとえばダムからの放流量を増やして意図的に洪水状態をつくりだし河床の撹乱を促しても砂礫川原は再生されないばかりか、さらに河床の低下が進み、場所によっては基盤が露出するものと思われます。平川教授は、礫がなくなって粘土層が露出している戸蔦別川の写真を提示していました。礫層がなくなり、粒径の小さなものが流されるようになるのは大問題とのことです。また、このような状態になると増水のたびに流路に面した高水敷の縁が浸食されて崩壊し、高水敷に堆積している砂礫はさらに流されてしまいます。もちろん、高水敷に生育しているヤナギも根元から浸食を受け、流木となります。
さらに問題なのは、河床低下によって橋脚や堤防の基部が露出してしまうということです。現に、戸蔦別川の上戸蔦橋では橋脚の根元がえぐられてきています。河床低下を放置していれば、橋脚や堤防の基部がえぐられて強度に問題が出てくるでしょう。河川管理者がこのことを知らないはずはありません。
河畔林を伐採し重機などで撹乱して砂礫川原をつくりだしても、上流から砂礫が供給されないのですから、増水のたびに砂礫が流されて減少していきますし、河床低下がさらに進むと考えられます。このような方法は一時的には砂礫川原を生じさせるかもしれませんが、永続的な砂礫川原の再生にはつながらないでしょう。砂礫を人為的にどこからか運んでこない限り砂礫川原は再現されませんし、運んできたとしても増水によって下流に流されてしまうので、砂礫川原を維持するには人によって継続的に砂礫を運んでくるしかありません。しかも、このような手法では、砂礫地を生息・生育地としている動植物に大きな影響を与えます。
砂礫川原を維持するのであれば、ダムで川をせき止めてはいけない、という教訓を十勝川水系河川整備計画変更原案に盛り込まなければなりません。
私は、納税者である国民の前にすべてを明らかにすべきと考えますので、札内川ダムと戸蔦別川の砂防ダムの建設の結果として砂礫川原が激減したこと、またこのような河川における砂礫川原再生の手法は確立されておらず永続的な砂礫川原の再生はきわめて困難であることを十勝川水系河川整備計画変更原案および札内川自然再生計画書に明記するよう求めます。
なお、ダムによる砂礫の流下の抑制は海岸線の後退にもつながっています。海岸線の後退は全国で深刻な状況になっており、人為的に砂の運搬などの対応がなされているところもありますが、いくら運んでも沿岸流や波によって浸食されるので際限なく砂を運ばなくてはなりません。ダムによって自然のバランスを崩してしまうと、人間の力では元の状態に戻すことはできません。
昨今は自然再生事業が行われるようになってきましたが、壊したなら再生すればいいというものではありません。人が構造物によって自然をコントロールしようとすれば、その弊害が必ずどこかに現れるのです。とりわけ河川では平川教授の言うように、人の技術ではどうにもならない取り返しのつかない状態にまでなってしまいます。そうなれば自然再生は不可能です。このことを河川管理者は肝に銘じなければなりません。
今回は1月22日から2月20日までの1カ月間、原案の縦覧および意見募集が行われた。この間に24人が意見を寄せたそうだ。このうち、公聴会での公述を希望した人は7人だった。7人のうち、変更案の具体的問題点を指摘したのは十勝自然保護協会と私の2人だけである。十勝自然保護協会の意見は以下を参照していただきたい。
十勝川水系河川整備計画変更原案に意見公述(十勝自然保護協会 活動速報)
あとの5人は基本的には開発局の提示した変更案に賛意を示す内容だった。たとえば、洪水や地震・津波などに対する防災対策を評価する意見、ケショウヤナギの幼木の生育地をつくるために砂礫川原再生は望ましいという意見、子供たちの野外活動を行っているボランティア団体として砂礫川原の再生は喜ばしいという意見、地域特性に配慮した変更案を評価するとともに河川敷の樹林化を抑制するための湿地造成の提案など、変更案に対する具体的意見というより抽象的な賛成論が大部分といった感じだった。
傍聴した知人は、傍聴席は女性の姿がほとんど見られず、地域住民というより関係者中心に感じられ異様な気がしたし、公述人にも違和感を覚えたとの感想を漏らしていた。河川整備や道路関係の公聴会、説明会などではしばしば声高に賛成意見を述べる人がいるのだが、一般の傍聴人がほとんどいない中、抽象的賛成意見の目立つ公聴会は明らかに不自然だ。提示された案に賛意を示すためにわざわざ公述するという行為の裏に、どうしても恣意的なものを感じてしまう。
事実、意見を述べる人の中に業界関係者も混じっている。今回公述したT氏がそうである。T氏は前回の「十勝川水系河川整備計画(原案)」に対する公聴会(2009年10月29日)でも意見を述べている。以下の15ページ参照。
十勝川水系河川整備計画(原案)に関する公聴会議事録
ここでT氏は公述の始めにNPO法人十勝多自然ネットに携わっていると述べているのだが、「NPO法人十勝多自然ネット」とは土木建設業界の人たちでつくっている団体である。つまり、日頃帯広開発建設部から仕事を請け負っている業界団体の一員だ。例えて言うなら、原発に関する意見交換会の場に原子炉メーカーである日立や東芝などの社員が出向いて賛成意見を述べるのと似た構図だ。利害関係者が意見書を出し公述を申し込むという厚かましさには呆れてしまう。
また、今回の意見募集は変更部分に対するものだ。つまり「地震・津波対策」と「札内川の樹林化防止策(礫川原再生)」についての意見に限って受け付けていた。ところが、T氏は何を勘違いしたのか、十勝川について「健全な河川をそこなわない治水が大事」だとか「多様な自然環境が重要」だとか「サケが自然産卵できる川にしてほしい」とか、さらには開発行政を天まで持ち上げるかのような発言までし、意見募集の趣旨からずれた意見をとうとうと述べた。
公述人は事前に意見書を提出しており、公述はその意見の範囲でしかできないことになっている。事前に意見を把握しておきながら、このような人物を公述人として選出した帯広開発建設部の見識が問われる。
蛇足だが、T氏は「札内川の起源は1000万年前」とか「十勝川のサケは固有種」などという主張もしていた。「十勝の自然を歩く」(十勝の自然史研究会編、北海道大学図書刊行会)によると、1000万年前というのは日高造山運動が始まって日高山脈が海底から顔を出した頃である。札内川はまだ影も形もない。また、十勝平野は第四紀のはじめ(170万年前から100万年前:なお現在は第四紀の始まりを258万年前としている)は巨大な沼や湿原だった。更新世中期(50万年前)頃から日高山脈はふたたび激しく上昇しはじめ、この頃に十勝川が今の流路になったと言われている。こうした経緯から考えると、札内川の誕生は更新世中期以降と考えられるのではなかろうか。
また「十勝川のサケが固有種」というのは誤りだ。固有種とは、その地域にしか分布していない「種」のことを指す。十勝川に遡上するサケも石狩川に遡上するサケも「サケ(シロザケ)、学名はOncorhnchus keta」という同一の種である。たしかに十勝川で生まれたサケは海を回遊した後に産卵のために十勝川に戻ってくるが、だからといってそれを「十勝川の固有種」とは言わない。
なお、私の公述は提出意見を若干変えたので、以下に掲載しておく。帯広開発建設部は議事録作成のために録音をしていたが、書き起こし作業軽減に寄与したい。
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今回の変更案は地震津波対策と札内川の樹林化に対する取り組みが主な変更点ですが、ここでは札内川の樹林化への対策について意見を述べます。
私は、2010年7月に川と河畔林を考える会、十勝自然保護協会、十勝の自然史研究会が共同で開催した「2010川の講座 in十勝」に参加して、平川一臣北海道大学大学院教授の講義を受けました。なお、平川教授は第四紀学、周氷河地形環境、第四紀地殻変動の専門家です。
平川教授は、講義のなかで次のように述べていました。「河川は、自己制御することによって、可能な限り効率のよい形、すなわち横断形、縦断形を維持しようとする。つまり砂防ダムを始めとして人間の手が加わると、河川は川幅、水深、流送河床物質の粒径などの間で、内部調整、自己制御をやって確実に応答している。人の愚かさを試しているとも言える」、「河床の砂礫を上流のダムが止めてしまうと、それより下流の砂礫供給量・運搬量に見合った川になってしまう。戸蔦別川や札内川はダムの建設前後で別の川になってしまったことを意味する。現在は、その変化への適応・調整、すなわち河床低下の過程にあり、河畔林の繁茂はその一端である」また、「札内川では、従来の堤防の位置などから推測すると、数メートルも河床が低下しており、今では堤防から水が溢れることはまずないだろう」「札内川は札内川ダムや戸蔦別川に造られた多数の砂防ダムによって著しい河床低下を生じ、高水敷はヤナギが繁茂してすっかり姿を変えてしまった」とのことでした。
札内川から砂礫川原が激減したのはダムによって砂礫の流下が止められてしまったことが原因であり、また河川敷にヤナギなどが繁茂したのは札内川ダムの貯水機能によって流量が抑制され洪水が生じにくくなったことも関係しているのです。したがって、ダムを造ってしまった以上、砂礫川原が減少し河畔林が繁茂することは当然の結果と受け止めなければなりません。
十勝川水系河川整備計画変更原案89頁の「(6)札内川における取り組み」を読むと、「近年、河道内の樹林化が著しい札内川では、かつての河道内に広く見られた礫河原が急速に減少しており、氷河期の遺存種であるケショウヤナギの更新地環境の衰退が懸念されている。そのため、ケショウヤナギ生育環境の保全に加え、札内川特有の河川環境・景観を保全するため、礫河原の再生に向けた取り組みを行う」と書いてあるだけで、札内川ダムや戸蔦別川の巨大砂防ダム群の影響に全くふれていません。
「札内川の礫河原再生の取り組みについては、礫河原再生の目標や進め方等について記載した『札内川自然再生計画書』を踏まえ」るということですので、札内川自然再生計画書のほうに目を通しました。6頁に、「昭和47年より直轄砂防事業として札内川上流域において砂防えん堤や床固工群の整備を実施してきた。昭和60年には、治水安全度の向上、高まる水需要に対応した水資源の開発を図るため、洪水調節、流水の正常な機能の維持、かんがい用水、水道用水の供給、発電を目的とした札内川ダムの建設に着手し、平成10 年に供用を開始した」とあるのですが、これらのダムが札内川にどのように影響したかについては一言も書かれていませんでした。
ダムなどの構造物が河川を大きく変えることは河川学では常識であり、河川技術者も十分知っていると平川教授は言っていました。それにもかかわらず、十勝川水系河川整備計画変更原案にも札内川自然再生計画書にもダムの影響について触れていないのはどうしたことでしょう。
札内川ダムも戸蔦別川砂防ダムも帯広開発建設部が良かれと思い、多額の税金を投じて建設したものです。これらのダムのために札内川の自然再生が提案されたとしても、隠し立てすることではないでしょう。
札内川自然再生計画書では、砂礫川原の再生のために河床撹乱が提案されていますが、ダムによって砂礫の流下が止められて砂礫川原が減少しているのですから、たとえばダムからの放流量を増やして意図的に洪水状態をつくりだし河床の撹乱を促しても砂礫川原は再生されないばかりか、さらに河床の低下が進み、場所によっては基盤が露出するものと思われます。平川教授は、礫がなくなって粘土層が露出している戸蔦別川の写真を提示していました。礫層がなくなり、粒径の小さなものが流されるようになるのは大問題とのことです。また、このような状態になると増水のたびに流路に面した高水敷の縁が浸食されて崩壊し、高水敷に堆積している砂礫はさらに流されてしまいます。もちろん、高水敷に生育しているヤナギも根元から浸食を受け、流木となります。
さらに問題なのは、河床低下によって橋脚や堤防の基部が露出してしまうということです。現に、戸蔦別川の上戸蔦橋では橋脚の根元がえぐられてきています。河床低下を放置していれば、橋脚や堤防の基部がえぐられて強度に問題が出てくるでしょう。河川管理者がこのことを知らないはずはありません。
河畔林を伐採し重機などで撹乱して砂礫川原をつくりだしても、上流から砂礫が供給されないのですから、増水のたびに砂礫が流されて減少していきますし、河床低下がさらに進むと考えられます。このような方法は一時的には砂礫川原を生じさせるかもしれませんが、永続的な砂礫川原の再生にはつながらないでしょう。砂礫を人為的にどこからか運んでこない限り砂礫川原は再現されませんし、運んできたとしても増水によって下流に流されてしまうので、砂礫川原を維持するには人によって継続的に砂礫を運んでくるしかありません。しかも、このような手法では、砂礫地を生息・生育地としている動植物に大きな影響を与えます。
砂礫川原を維持するのであれば、ダムで川をせき止めてはいけない、という教訓を十勝川水系河川整備計画変更原案に盛り込まなければなりません。
私は、納税者である国民の前にすべてを明らかにすべきと考えますので、札内川ダムと戸蔦別川の砂防ダムの建設の結果として砂礫川原が激減したこと、またこのような河川における砂礫川原再生の手法は確立されておらず永続的な砂礫川原の再生はきわめて困難であることを十勝川水系河川整備計画変更原案および札内川自然再生計画書に明記するよう求めます。
なお、ダムによる砂礫の流下の抑制は海岸線の後退にもつながっています。海岸線の後退は全国で深刻な状況になっており、人為的に砂の運搬などの対応がなされているところもありますが、いくら運んでも沿岸流や波によって浸食されるので際限なく砂を運ばなくてはなりません。ダムによって自然のバランスを崩してしまうと、人間の力では元の状態に戻すことはできません。
昨今は自然再生事業が行われるようになってきましたが、壊したなら再生すればいいというものではありません。人が構造物によって自然をコントロールしようとすれば、その弊害が必ずどこかに現れるのです。とりわけ河川では平川教授の言うように、人の技術ではどうにもならない取り返しのつかない状態にまでなってしまいます。そうなれば自然再生は不可能です。このことを河川管理者は肝に銘じなければなりません。