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2024年11月03日

他責思考と「反ワクチンではない」の心理

 世の中には、自分の不幸や自分の失敗を何でも人のせい、環境のせいにしてしまう人がいる。ネットなどでもそんな人をしばしば見かける。もちろん他者や環境はその人の人生に大きく関係している。しかし、毒親から離れて暮らすようになり親の影響をほぼ受けなくなっても、「自分が不幸なのは親のせい」だとずっと恨んでいたりする人を見ると、もはやこの人は「他責思考」に捉われているとしか思えない。そして、他責思考の人たちに、幸せそうな人は一人もいない。

 人生とは選択の連続だ。そして、その選択は間違いなく自分がしている。配偶者がモラハラであっても、自分自身の選択肢がないわけではない。徹底的に話し合いをしたり、夫婦でカウンセリングを受けたり、あるいは別居や離婚も選択肢の一つだ。そのような努力を何もせずに相手のせいにして愚痴ばかりこぼしていても、何も解決しない。他責思考の人は、結局、自分がすべきことから逃れるためにすべてを「他人のせい」「環境のせい」にしているように見える。このような人は、決して「自分にも問題がある」とは考えていないので、自分を変えようとはしない。全て他人が悪く自分は悪くないのだから、自分の非、自分の判断の間違いを認めるわけがないのだ。そして、他責思考の人は、自分の問題を解決しようとせず、ずっと他人を恨み、ネガティブ思考に捉われ、どんどん不幸になっていくように見える。

 ところで、コロナワクチンに関してどのような態度をとるかを見ていて、私は日本にはとても他責思考の人が多いのではないかと思うようになった。

 コロナワクチンの初回接種のとき、自治体から接種券が送られてきたが、それと共に厚労省の「新型コロナワクチン接種のお知らせ」というパンフレットが同封されていた。それには次のように書いてある。

 ワクチンを受ける際には、感染症予防の効果と副反応のリスクの両方について、正しい知識を持っていただいた上で、ご本人の意思に基づいて接種をご判断いただきますようお願いします。
 受ける方の同意なく、接種が行われることはありません。
 職場や周りの方などに接種を強制したり、接種を受けていない人に対して差別的な対応をすることはあってはなりません。


 つまり、打つか打たないかは個人がベネフィットとリスクを理解した上で判断するようにと言っているのだ。そして、打つか打たないかの判断はそう難しいことではなかったし、専門的な知識も必要なかった。私は以下のことから打たないという判断をした。

・mRNAワクチンは従来の生ワクチンや不活性ワクチンとは異なる、全く新しいタイプのワクチンであり、これまで成功していなかった。
・ワクチンは普通10年くらいかけ、動物や人で臨床試験をして安全性を確認するが、新型コロナワクチンは一年足らずでつくられ緊急使用許可で接種が開始された。
・中長期的なリスクが全く分からない。
・ワクチン開始前の2020年には日本人のコロナ死は非常に少ないことが分かっており、コロナは致死率の高い恐ろしい感染症ではないことが分かっていた。

 しかし、多くの人が政府や医学会、医師などの勧めを信じて、自分自身でこの判断をしなかった。つまり、自分の健康に関する判断を他人に任せてしまったのだ。打って健康を害したとしても、その責任の一端は間違いなく打つという選択をした個人にもある。

 そして、実際に多くの人がワクチン接種後に亡くなり、健康被害で苦しんでいる人たちが多数いる。「打つ」という判断が間違っていたのは言うまでもない。しかし、その自分の判断の間違いを認めない人が実に多いことに唖然とした。さらに驚いたのは、そのような薬害被害者の中に、自分は「反ワクチンではない」と主張する人たちが少なからずいたことだ。被害を被っておきながら、なぜいちいちそんなことを言うのだろう? 「反ワクチン」と言われたところで、実際にワクチンが危険だったのだから気にすることではないだろうに・・・。

 その理由はしばらくしてから何となくわかってきた。「反ワクチンではない」と言う人達は、「自分が薬害にあったのは失敗ワクチンだったせいであり、ワクチンを打つ判断をしたこと自体は間違っていない」と考えているのではないか。そう考えると、「打つ」という判断をした責任を曖昧にできる。自分の判断は間違っていない、そう思いたいから「反ワクチンではない」と言わずにいられないのではないか? 結局、他責思考なのだ。

 ワクチン自体を否定しない被害者は、ワクチン反対の運動には参加しない。それは自分を否定することに繋がるからだ。mRNAコロナワクチンは反対、レプリコンも反対、でもワクチンそのものの研究や開発には反対しない。そういう人達が一定程度いる。そのような考え方をする人は、ワクチンの中止を求めて活動している人たちの脚を引っ張ることになるし、ワクチンの研究、開発を志している研究者(つまりワクチン推進派)と相性がいいことになる。結果としてワクチン推進派と何も変わらない。

 自分の間違いを認めようとしない他責思考は、医師も全く変わらない。接種事業に参加した医師の多くは薬害被害者に向き合わず、今でもmRNAワクチンが危険だと認識している人は少ない。自分の間違いを認めてしまったら、責任追及されるからだろう。かくして、mRNAワクチンやレプリコンの危険性を声高に主張し、薬害被害者の診察を引き受ける医師はほとんどが非接種の人たちだ。これほどにまで他責思考の医師が多いことに驚きを禁じ得ない。

 コロナワクチンを打って健康を損ねても、「打つ選択をした自分にも責任がある」、「打つという判断は間違っていた」と認められる人は、反対運動にも参加する。危険なワクチンを本気で止めようとするか否かは、他責思考であるか否かが大きく関わっているように私には見える。そして、他責思考をしない人たちは、これ以上の薬害被害者を出さないために行動することが何よりも重要だと考えている。

 もう世界を見渡してもmRNAコロナワクチンを打ち続けている国など日本くらいだ。日本でいつまでも危険なワクチンを中止に追い込めないのは、周りの人と同じにしていれば安心できるという同調思考(主体性のなさ)と他責思考の人が多いからではなかろうか?
  
タグ :他責思考


Posted by 松田まゆみ at 16:17Comments(0)雑記帳新型コロナウイルス

2024年08月31日

健康の責任

 生きていれば人はしばしば失敗したり選択を誤ったりする。完璧な人などいないのだから、それは仕方がない。というより、人は失敗を繰り返しながら学んで成長するのだから、失敗を恐れてはならないと思う。失敗をしてしまったら、原状回復に努め、同じ過ちを繰り替えさないようにしていくしかない。

 物を壊してしまったなら修理したり買い替えたりすれば済むし、服を汚してしまったら洗うことでたいていの汚れは落ちる。しかし、原状回復ができない失敗もある。とりわけ、選択を間違えて健康を失ってしまったなら、状況によっては元に戻すのは容易ではないし、できないこともある。

 医薬品や治療方法によって健康を害したり病気を悪化させたりしてしまうことだってある。医原病などと言われているが、結構多いのではないかと思っている。明らかな医療過誤なら医師の責任が問われ賠償問題になることもあるだろうけれど、医師が良かれと思って処方した薬で病気になったとしても、医師が責任を問われることはない。

 コロナ騒動を通じてつくづく思うのだが、やはり自分の健康に関しては自分が責任を取らねばならない。ワクチン一つとっても、「医師が勧めたから」「厚労省が勧めたから」「周りの人たちが打つから」という理由で打つ選択をしたのなら、それは最終的には自分の健康について他人任せにしてしまったということに他ならない。

 もし、ワクチンで体調が悪化してしまったなら、誰もその責任を取ってくれない。ワクチンに関しては予防接種健康被害救済制度があるが、それはお金が支払われたり、障害年金を受給できるというだけで、元の体に戻してくれるわけではない。ワクチンを勧めた国に対して損害賠償訴訟を起こすこともできるが、勝ったとしても賠償金が支払われるだけだ。ワクチンを打った医師が責任を取って治療してくれるわけでもない。

 私がとても恐ろしいと思うのは、自分の健康に関することであっても、まるで他人事のように「皆が打つから」という理由でワクチンを打ってしまう人がいることだ。「皆が〇〇だから・・・」という思考は「皆が打つのだから、何かあっても何とかなるだろう」という安易な思考が透けてみえる。要は、危機管理意識がないのだ。自分の体は替えがきかない。薬害が生じたら、即、自分に跳ね返ってくる。コロナワクチンの薬害に苦しみ後悔している人は多いと思うが、体調不良から抜け出すためには様々な解毒を試してみるしかない。当然お金もかかる。そして、それが功を奏することもあるが、上手くいかないことだってあるだろう。

 これはワクチンだけの話ではない。癌の治療にしても、大半の医師は患者に標準治療(手術、放射線治療、抗がん剤)を勧め、患者も医師の勧めの通りの治療を受ける。しかし、それで本当にいいのだろうか?

 私は中村篤史医師のブログを読んで、癌の標準治療に大きな疑問を持った。こちらのブログの左上にある「検索」に「癌」と入力してみると様々な記事が出てくるが、これらを読めばとても標準治療を受ける気にはなれない。検診、健診も同じで、見つけなくてもいい病気を見つけて不要な治療をして健康を損ねることもある。

 今の時代は、健康に影響を与えるようなものが身の回りに溢れている。添加物や農薬まみれの食べ物ももちろんそうだけれど、化粧品やシャンプーなども化学物質だらけでそれらが皮膚から吸収されてしまう。Wi-Fiやスマホ、IHクッキングヒーター、電子レンジ、LEDライトなどからの電磁波にもさらされている。「皆が使っているから」という理由で何の疑問も持たずにこれらを利用しているというのは、やはり危機管理意識に欠けると思う。

 自分の健康の責任は自分で取るしかないし、替えが効かないということだけは常に意識していたい。

  

Posted by 松田まゆみ at 15:54Comments(0)雑記帳新型コロナウイルス

2024年08月07日

変人?それとも不審者?

 東京に住んでいた若い頃、よく多摩川に野鳥を見にでかけた。長靴を履き、首から双眼鏡をぶら下げ三脚につけた望遠鏡をかついで河川敷を歩いていると、いつも河原に鎮座しているのが釣り師。話しかけられると面倒なのでなるべく近寄らずに通り過ぎるのだけれど、たまに声をかけられることがあった。

釣り師 「写真を撮っているの?」
私   「いいえ、野鳥を見ています」
釣り師 「えっ? 見るだけ?」
私   「はい。見るだけです」
釣り師 「見るだけで何が楽しいのかね・・・」

 たいていこんな会話になる。彼らからすれば、野鳥を見るだけの趣味など理解できないらしい。きっと「変人」だと思っているのだろう。しかし、私からしたら、下水も流れ込んでいる汚い多摩川で釣った魚などとても食べられないし、そんな魚を釣って何が楽しいのだろう?と思う。しかも、釣り師は多少天気が悪くてもいつもいる。私から見たらかなりの変人だ。まあ、お互いに「変人」だという認識なので、近寄らずにそれぞれの趣味を楽しむのが一番いい。

 学生の頃はキャンパスにいろいろな野鳥がいて、私は必ず双眼鏡を持ち歩いていた。ある日、建物の前の植え込みに入り込んだ野鳥を双眼鏡で見ていたら守衛さんに呼び止められた。嫌な予感がよぎる。守衛さんは「何見てるんですか?」と尋問してくる。「野鳥を観察してるんです」と説明しても、不審な眼を向けてくる。どうやら建物の中を双眼鏡でのぞき込んでいると勘違いしたらしい。いやはや、野鳥観察も守衛に見つからないようにしなければならないとうんざりした。

 今はバードウォッチングもポピュラーな趣味になったし、双眼鏡や望遠鏡や望遠レンズのついたカメラを持って歩いていても何とも思われないのだろうけれど、4、50年前はこんな感じだった。

 最近は野鳥を見るよりも昆虫やクモを探して写真を撮ることが増えた。虫の観察は絶対に一人がいい。連れがいるとペースが全く合わない。写真を撮りはじめるとしばらくそこから動かないこともあるからだ。それになるべく通行人が少ないに越したことはない。道端にしゃがみ込んだり、建物の壁に向かってカメラを向けていたり、公衆トイレの周りをうろうろしたり・・・恐らく知らない人が見たら、不審者にしか見えないだろうと自分でも思う。声をかけられると面倒なので、なるべく人には近づかないようにしている。

 捕虫網を持っているなら昆虫愛好家か昆虫研究者だとすぐ分かるだろう。しかし、網も持たず、小型のデジカメしか持っていなければ、虫嫌いの人にとっては変人か不審者でしかない。

 なら、捕虫網を持っていればいいかと言うとそうでもない。たまにスウィーピングでもしようかと捕虫網を持って歩いていると、通りがかった人から奇異な目を向けられる。そりゃあそうだろう。何しろ、子どもの虫捕りではないし、昆虫マニアっぽくもないし、研究者風でもない高齢のおばさんなのだから。奇異な目で見られるだけで声をかけられなければまだいいのだが、たまに声をかけてくる人がいる。

通行人 「何を捕っているんですか?」
私   「クモです」
通行人 「へえ、クモを捕っている人なんで初めて見ました。珍しいクモとかいるんですか?」

 挙句の果て、あたりを見回して「ここにクモがいますよ」と親切に教えてくれる人までいる。大抵はどこにでもいる普通種なのだけれど、「ああ、どうも。これは〇〇グモです」と教えてあげることになる。ペースが乱されて実に面倒くさい。

 世の中にはごく一握りの虫好きの人がいるけれど、それ以外の人はたいてい虫は嫌いか興味がないかのどちらか。虫を探して写真を撮っているというだけで、きっと変わり者だという認識に違いない。

 そんなわけで、散歩はできるだけ人が少ないところをマイペースで歩くのがベスト。人目は気にしないようにしているけれど、こちらが気にしなくても、相手はきっと変人だと思っているだろうし、場合によっては不審者だと思われているのかもしれない。まあ、そんなことを気にしていたらこの趣味は楽しめない。

  

Posted by 松田まゆみ at 17:30Comments(2)雑記帳

2024年05月15日

人として大事なこと

 今までの人生を振り返ってみて、またコロナ騒動を振り返ってみて、人として大事なことは何なのかと考えることが増えた。もちろん人として大事なことはいろいろあるし、いろいろな人が言っているけれど、とりわけ私が重要だと感じていることを書き留めておきたい。

・主体性を持つということ
 コロナ騒動でもっとも欠けていたのがこれ。多くの人が、マスコミ報道に翻弄されてコロナを怖がりワクチンに飛びついてしまった。私もコロナが流行り始めた頃にかなり恐怖を感じたのは事実。しかし、「PCR陽性=感染者」は違うし、「亡くなったときに陽性の人はすべてコロナ死」で、明らかにおかしいと思った。また、亡くなった人の大半は寿命に近い高齢者で致死率は高くはなかったことから、この騒ぎに次第に違和感を持った。ワクチン接種が始まった頃には、これは打ってはいけないと確信した。

 ところが多くの国民は何の疑問もたず、政府や専門家、あるいは医師などの勧めで打ってしまった。しかし、「ワクチンを打ったほうがいい」というのは、あくまでも他人の意見。政府、感染症の専門家、医師、免疫学者、ウイルス学者、製薬会社等の内部告発者、ジャーナリストなどのさまざまな立場の人の意見を知った上で、本当に打つべきか否かを最終的に判断するのは自分自身でしかない。そして、その選択責任は自分で負う。それが「主体性がある」ということだと痛感した。

 コロナワクチンに関しては、海外の人たちの多くは、2回あるいは3回くらいでおかしさに気づき接種を止めた。7回まで打ったなどというのは日本しかない。日本人がいかに主体性がないのかが露呈してしまった。当たり前だが、他人からの評価を気にしていたり(陰謀論者と言われることを恐れたり)、周りに合わせてばかりいたら主体性を持つことはできない。

・自分の良心に誠実であること
 人生というのは選択の連続だ。その選択をする際に何を基準に決めるのか? 私はやはり「自分の良心に誠実であること」が最も大切ではないかと思う。もし、医師が「自分の利益になること」を基準にしていたら、「ワクチンで一儲けしよう」と考え、薬害のリスクに目をつむり自分の利益を優先するのではないか。「保身」を基準にしていたなら、ワクチン推進という自分の判断が間違っていたと悟っても、その間違いを認められずに責任回避しようとするだろう。自分の良心に誠実に生きている医師ならば、ワクチン後に超過死亡が激増し、薬害で苦しむ人を見て、ワクチンが失敗であったことを認めざるを得ないだろう。そして、薬害で苦しむ人たちの診察をし、ワクチンを中止させるための活動に参加するのではなかろうか。ワクチンで、医師の良心を覗き見た気がした。

 ワクチンのことに限らず、自分の良心に従うことよりも保身や利益ばかりを判断基準にする人は、結局は自己中から抜け出ることができないし、心のどこかにずっとうしろめたさを感じて幸福感を得ることができないように思う。

・課題の分離ができること
 ある課題が、自分の課題なのか他者の課題なのかを明確にし、他人の課題には踏み込まないということ。他人に振り回されず、また他人を振り回さない(支配しない)ということでもある。これが日頃からできていれば、モラハラもなければ毒親もない。お節介な人もいなくなる。人間関係のトラブルは激減するだろう。しかし、現実はこれがきちんとできていない人が大半だと思うし、私もときどきお節介をしてしまったと自省することがある。

 コロナ騒動でも課題の分離ができない人をずいぶん見てきた。本来任意であるはずのマスクやワクチンを他人に強要する人、自分の意見こそ正しいと言わんばかりに、異なる意見の人に噛みつく人。SNSでは見慣れた光景だ。他人は変えることができないのだから、他人の意見を変えようと説教したり非難すれば、人間関係はますます険悪になる。それでも他者への介入を止められない人は多い。良好な人間関係をつくりたいのであれば、他人の課題に土足で踏み込んではならない。

・ネガティブ思考を止める
 怒り、恨みや憎しみ、イライラ、不平不満、人や物事に対する嫌悪、あるいは過度の不安や恐怖。これらはすべてネガティブな思考だ。また、歪んだ競争心も嫉妬などのネガティブ思考を生み出す。私も若い頃は、人に怒りを覚えたり不平不満を持つことがしばしばあった。怒りを感じても感情を抑え込み、間もなく怒りが収まるようならさほど問題はない。しかし、怒りを相手にぶつけると相手も不快になり険悪な関係になる。お互いに相手を理解しようという気持ちにはならず、問題は何一つ解決しない。そう気づいてからは怒るということ自体を止めた。

 他のネガティブ思考も同じで、ネガティブ思考が頭にこびりついて離れなくなるとろくなことはない。ネットで悪口を言われたり非難されたことで鬱になってしまう人もいる。ネガティブな思考に捉われてしまうと、結局「あの人が悪い」「育った環境が悪い」などという他責思考になってしまう。そして、そこから抜け出さない限り精神的安定感は得られない。過度の「不安」や「恐怖」も同じで、どうなるか分からない未来のことで不安を抱えていたら、神経がすり減ってしまう。アンガーマネージメントという言葉があるが、怒りに限らず、ネガティブな感情はコントロールするというより「やめる決断をする」方がすっきりするのではないかと思っている。日頃から不平不満を言わずに機嫌よくしている人というのは、これができているのだろう。

 ネガティブ思考に陥らないためには、思考の転換も必要だ。「○○が嫌」と忌避するのではなく、「○○を楽しもう」とか「大変だけど何とか乗り越えよう」と思考を切り替えてみる(もちろんモラハラやDVなどの場合は相手から離れる決断も必要)。そして、できれば小さなことにも感謝する。朝、目が覚めたら今日も無事に生きていることに感謝する。食事のときには飢えずにいることに感謝する。家族や友人など必要なときに支えてくれる周りの人に感謝する。そんな風に感謝することができれば、それだけでネガティブな思考が消えていき穏やかな気持ちになれる。

 人の幸福とは、決して偉業を成し遂げたり、金持ちになったり、名声を得たり、人に評価されることではない。日々の何気ない生活の中に、楽しみや喜びを感じることができることこそ幸せなのではなかろうか。ささやかなことであっても、他人に貢献できれば自分の喜びともなる。家事でも趣味でもボランティアでも仕事でも社会活動でも、自分の良心に誠実に、感謝を忘れずにいれば、それが自ずと幸福感につながっていくのではないかと思っている。

  

Posted by 松田まゆみ at 20:45Comments(0)雑記帳

2024年01月04日

大地震に警戒を

 今年の新年は能登半島の大地震で始まった。まずは、亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方たちに一日も早く平穏な生活が戻ることを祈りたい。

 ところで、この地震についてロシアの研究者Alexey Lyubushin博士が大きな地震の前兆ではないかと不穏な推測をしている。

20240103報告(生かせいのち自身と防災 ameba版)

 Xのアカウントをお持ちの方は、ここからリンクされている「Sputnik 日本」のツイートをお読みいただきたい。

 要約すると、「日本列島は2023年3月からいつ大地震が起きてもおかしくない段階に入っており、それはマグニチュード7.5を超える。今日本で起きている地震はより大きな地震の前兆である可能性がある。3.11のときも、マグニチュード7.5の前震がありその3日後に大災害が起きた。新たな大地震は太平洋側の東京近郊で起こる可能性がある。」との推測をしている。

 Lyubushin氏は2023年3月から5月の間に日本の南部で極めて大きな地震が起きる恐れがあるとの予測をしていたが、これは当たらなかった。今回の予測も当たらないといいのだけれど、やはり警戒することに越したことはない。

 今回の地震では志賀町で震度7、志賀原発は震度5を記録したと発表されたが、配管が壊れて絶縁や冷却のための油が漏れだしたことが分かっている。この程度の地震で配管が壊れるのであれば、耐震性に問題があると言わざるを得ないし、日本にある全ての原発は大地震に耐えられないと思う。志賀原発が停止していたのは不幸中の幸いだが、核燃料プールがある限り、いつ過酷事故が起きてもおかしくない。原発があるというだけで、日本はかなり危機的状況に立たされている。

 しかも、能登の地震の震源域を見れば、志賀原発は断層の上ないしは直近に建てられたと言っても過言ではない。日本は原発によって滅びるのではないかと、福島第一原発の事故当時の恐怖が蘇ってくる。とにかく一刻も早く全ての原発を廃炉にし、更なる地震対策をするしかないと思う。

  

Posted by 松田まゆみ at 16:13Comments(0)雑記帳

2023年11月26日

いくつになっても変わらないこと

 子どもの頃は、自分が高齢者になったときのことなど全く想像ができなかった。まあ、それが普通なのだろう。そして実際に高齢者になってみて思うことは、いくつになっても子どもの頃とほとんど変わっていないのではないかということだった。変わらないというのは性格などではなく、趣味や嗜好が変わらないということ。

 私は小学生くらいまでは昆虫が大好きで、友達と遊ぶとき以外はよく一人で虫捕りをしたり、昆虫を捕まえてきては飼育したりしていた。小学校の4年生くらいまでは、夏休みといえば昆虫標本を作っていたと思う。女の子としてはかなり変わり者だった。

 小学校高学年からは野鳥に興味を持ち始め、中学生くらいから何度か探鳥会に参加した。また、中学2年のときにそれまで住んでいた借家から庭付きの一戸建てに引っ越したのだが、それを機に園芸も始めた。花壇をつくり、パンジーやサルビア、マリーゴールドなど種から苗づくりをしたし、菊の3本仕立てとか朝顔の行燈仕立てなどもやって、兄からは「老人趣味」だと笑われた。

 高校時代の休日といえば、庭で園芸作業をするか、早朝から起き出して一人でおにぎりを作って探鳥会に参加するかのどちらかだったように思う。高尾山には毎月のように通い、山野の鳥はほぼ高尾山で覚えた。同級生は芸能人や男の子の話ばかりしていたが、そんなことには全く興味がなかった。

 大学では生物系のクラブに入りもっぱら野鳥を観ていた。夏休みや冬休みには北海道から九州まで野鳥を観に歩き回っていた。また、先輩に誘われてクモにも興味を持つようになった。大学を卒業したあとは、週末になると時折思い立ったように夜行日帰りや夜行一泊くらいの登山にのこのこと出かけて行った。都会で暮らしていると、たまに山に登って新鮮な空気を吸うだけで、なにやら生き返ったような気持ちになったものだ。山友達はほとんどいなかったので一人で行くことが多かった。

 結婚をして北海道に移り住んでからは、どちらかというとクモに夢中になっていた。北海道でクモを調べている人がほとんどいないというのがその理由の一つだった。家を建てて庭を持ってからは再び園芸を始め、一時はかなりの花を育てていた。そんなこんなで、いつも昆虫や野鳥やクモや植物を相手にしていたし、登山もときどきした。なんだかんだ言っても、常に動植物とともに生きてきたように思う。

 さて、高齢者となった今は何をしているかというと、春から秋の無雪期は散歩がてらに昆虫やクモの写真を撮っている。小学生の頃の虫好きの再来で、初めて見る虫に出会うとそれだけで心がときめいてしまう。種名の分からない昆虫を調べるだけでかなり時間をとられるのだが、楽しくてやめられない。

 園芸の方は、花卉園芸から蔬菜園芸に変わってきた。というのは、エゾシカが激増して玄関周りに飾っていた花を食べてしまうようになったからだ。そこで花づくりはきっぱりと諦めて庭を鹿避けネットで囲い、宿根草の花壇を少し残して他は蔬菜園芸に切り替えた。いわゆる家庭菜園だ。そんなわけで、春から秋は散歩と園芸にかなり時間をとられる生活をしている。

 積雪期になると双眼鏡を持って散歩に行くが、私は寒いのが苦手なので、夏と比べて回数や距離がかなり減ってしまう。しかし、室内でもやることはいろいろある。3年くらい前から、色鉛筆でクモの標本画を描き始めた。これは高齢者になってから新たに始めた趣味の一つで、自己流だが時間があるときに楽しみながら描いている。

 それから編み物もする。私は棒針編みが好きなので、もっぱらセーターを編んでいる。手芸は子どもの頃から好きで、小学生の頃からレース編みをやっていたし、中学や高校では手芸クラブに入っていた(本当は生物系のクラブに入りたかったのだが、なかったので仕方なく)。母も手芸が好きで、若い頃はセーターをよく編んでいたし、レース編みもやっていた。高齢になってからは刺繍でテーブルセンターなどを作っていた。手芸好きは母に似たのかもしれない。

 あと、趣味ではないが、自然保護活動も高校生のころからずっと関わっている。野生生物が好きであれば、それらの生息環境を保全していかねばならないと思うのは当然の成り行きだ。人間も自然の一部である以上、自然環境を守らねば生きてはいけない。

 こうやって振り返ってみると、子どもの頃から好きだった自然との関わりをずっと続けているのだとつくづくと思う。自分が楽しくてやっていることだから、大変だとも思わない。きっと体が動かなくなるまで同じようなことをやっているのだろうと思う。歳をとってもやりたいと思うことがあると、老いも気にならなくなる気がする。クモの標本画などまだまだ一部しか描いていないのだから、終わりが見えない。テレビもないので、漫然と時間を浪費したりマスコミに洗脳されることもない。

 世の中には「虫屋」さんとか「鳥屋」さんとか、「釣り師」とか、特定の生物の採集や観察、写真撮影などにはまっている人が一定程度いる。大学受験を機に、あるいは就職や結婚を機にそういった趣味をやめてしまう人も多いが、就職しても結婚してもやめずに続けている人の大半は、おそらく一生同じ趣味を続けるのではないかと思う。趣味というのは認知症防止にも役立っているのだろう。

 ここで、ふと思う。ゲームやネットばかりで育った今の子どもたちは、果たしてのめり込めるような趣味をどの程度持っているのだろうか? ちょっと心配になってきた。
  

Posted by 松田まゆみ at 21:23Comments(5)自然・文化雑記帳

2023年09月20日

忖度しないという生き方

【今日のツイートより】

 mRNAワクチンのDNA汚染問題を声高に訴えている人は日本では限られている。不可解なことに医師でDNA汚染を問題視して積極的に発信している人はとても少ない。DNA汚染問題はmRNAワクチンの致命的欠陥であるにも関わらず、ワクチン反対を唱えている医師もほとんど発言しない。

 その理由は、DNA汚染問題を過小評価した研究者、その研究者と親しい間柄にあり彼を擁護していたジャーナリストの影響が大きいのだろう。沈黙している医師の多くは過小評価した研究者やジャーナリストと親しい関係だったのではないかと思うし、彼らを慮って沈黙しているように見える。

 結局のところ、人は親しくなった人の影響を受けやすいし、その人が窮地に立たされると擁護してしまうのではないかと感じてしまう。私は思想家の内田樹氏に関しても同じことを感じている。私は内田氏に関しては共感するところが多かった。しかし、ある時を境に違和感を覚え始めた。

 一つは山本太郎氏に関して。山本太郎氏が内田樹氏を訪問したことから二人は親しくなったらしい。その後、内田氏は山本氏を高く評価するようになった。
http://blog.tatsuru.com/2020/04/10_1141.html

 山本太郎氏と言えばMMT信奉者。内田氏がそのMMTを推進し反緊縮を訴える団体「薔薇マークキャンペー」ンの呼びかけ人になったと知ったときは驚愕した。内田氏は経済成長から定常経済へと移行すべきだと主張していたはずなのに、なぜ反緊縮になってしまったのだろうかと。
https://rosemark.jp/2019/06/14/01-27/

 私は山本氏が政治家になりたての頃は大きな違和感はなかった。しかしれいわ新選組を立ち上げた頃から疑問を持ち始めた。MMTは支持できないし、彼にはメサイアコンプレックスを感じる。選挙戦を見ていると物凄く策士的要素を感じてしまう。誠実な政治家というイメージがどんどん薄れていった。

 もちろん山本氏を高く評価する人は多いし、それは個人の自由だ。しかし、内田氏を見ていると、やはり実際に当人に会い親しくなったことで山本氏への評価がどんどん上がっていったように感じてならない。人はいちど親しくなってしまうと、相手を批判的に見ることができなくなるのかもしれない。

 それともう一人は岩田延太郎氏。内田氏はコロナ騒動が始まってから岩田健太郎氏と親しくなり、岩田氏を評価するような発言をしていたことにも驚いた。内田氏は岩田氏と共著で本も出している。
https://mainichi.jp/articles/20220324/k00/00m/040/418000c

 岩田健太郎氏はコロナ騒動の初期、ダイヤモンドプリンセスの感染対策について発言したことで一躍脚光を浴びたが、その後のコロナについての発言を見ていて私は彼は信頼できないとすぐに悟った。岩田氏は以前から「反ワクチン」という言葉を使っているし、コロナワクチンも推奨していた。

 岩田氏は、「感染ゼロを目指すべき」などという発言もしている。私にとっては、話にならないレベルだ。内田樹氏がなぜこのような人に信頼を寄せてしまったのか、不思議で仕方ないのだが、親しくなってしまったというのが一番大きな要因ではなかろうか。
https://dot.asahi.com/articles/-/74028?page=1

 親しくなって評価してしまった人に関しては、たとえその人の主張が間違っていると気づいても手の平を返すようなことはできない、というのが多くの人の心理なのかもしれない。友人知人との関係はできるだけ維持したい(壊したくない)という気持ちが働くのではなかろうか。

 あるいは本当におかしさや間違いに気づいていないのかもしれないが、だとしたら親しくなったゆえの影響力の大きさ(洗脳ともいえる)なのだろう。たとえどんなに親しい間柄でも、おかしいことはおかしいと言える、間違っていることには反論する、そういう勇気があるかどうかが問われているように思う。

 もし、反論したら壊れてしまうような仲ならば、そういう人だったと思ってさっさと友人関係を解消すればいいではないか。本当に信頼できる関係ならば、たとえ意見が違って激論になったとしても信頼関係が壊れることはないと思う。忖度などやめて、自分の良心に誠実でありたい。
  

Posted by 松田まゆみ at 21:02Comments(0)雑記帳新型コロナウイルス

2023年07月17日

肋間筋損傷のその後

 7月6日の肋間筋損傷の記事で、「2週間くらいは覚悟した方がよさそうだ」と書いた。その後の経過を記しておきたい。

 まず、肋間筋損傷の痛みは11日頃までほとんど変わらなかった。寝返りを打ったり、ベッドから起き上がる時が特に痛い。あまり痛みが出ないような起き方や姿勢を工夫していたが、それでも時々「いたたた・・・」とやってしまう。そうすると、その後しばらく具合が悪い。それだけではなく、両手を前に出して手を洗うとか、食器洗いのような動作が痛くてできない。手や顔を洗うのも片手で何とかやっていた。つまり、家事がろくにできない状態だった。

 それが、変化が現れたと感じたのは13日頃だった。つまり、痛みを感じてから2週間近く経った頃。寝返りやベッドから起き上がるのが楽になってきたと感じた。14日には両手で手や顔を洗えるようになった。少しずつ良くなっていくと思っていたけれど、ある日を境に急に回復に向かうという感じだ。そして15日くらいには、ほぼ普通の生活ができるような状態になってきた。やはり、2週間というのは回復の目安のようだ。

 痛みが全くなくなったという訳ではないが、今は痛いといっても軽い筋肉痛程度。そんなわけで、16日から庭の草取りも再開した。暑くなり、雨も降って、雑草がすごい勢いで伸びる季節なので、何回かに分けてやらないと終わらない。まだまだ油断は禁物だが、無理しない程度にやっていこうと思う。

 ご心配いただいた皆様、ありがとうございました!

  
タグ :肋間筋損傷


Posted by 松田まゆみ at 14:35Comments(2)雑記帳

2023年07月06日

肋間筋損傷で休養

 先週の金曜日、つまり6月30日の夕方から左胸の脇に鈍痛を感じるようになった。その日の朝に庭の草取り、草刈りをちょっと頑張ったのでそれによる筋肉痛かなとその時は気にも留めなかった。翌日は痛みがさらに強くなったが、筋肉痛なら2、3日すれば治るだろうと楽観していた。

 しかし、3日経っても4日経っても痛みはなくならない。そこで思い当たったのが、6月29日のこと。この日の朝、ちょっと重い物をいくつか持ち上げたことを思い出した。といっても、凄く重い物を力いっぱい持ち上げたわけではない。私にとってはちょっと重めのものを数個、持ち上げただけ。で、それによる遅発性筋肉痛だろうと思い至った。

 ただ、この痛みは普通の筋肉痛と違いかなり辛い。上半身をかがめたり捻るような動きをすると、まるで脚を攣ったときのような激しい痛みが走る。咳やくしゃみをしてもかなり痛い。そして胸が締め付けられるように息苦しい。横になっているのが一番楽なのだが、寝返りを打とうとすると物凄く痛い。ベッドに横になろうとしたりベッドから起き上がろうとしても痛みが走る。かなり辛い。いったいこれは何だ?

 ということで痛みが生じてから5日目にネットで検索しまくった。そして判明したのが肋間筋損傷だった。

肋間筋損傷を早く治す方法は?原因から今すぐやるべき4つの対処法まで

 肋間筋損傷とは、肋間筋の肉離れらしい。治るまでの日数は筋肉の損傷の程度によるようだが、5日経ってもちっとも治らないというのが納得いった。2週間くらいは覚悟した方がよさそうだ。

 そして、体験談を綴ったブログが出てきた。

肋間筋損傷が超痛い

 これを読むと、私の症状と一致する。しかし、ちょっと重い物を持ったり、風邪で咳が続いたり、体を急にひねっただけで、こんな大変なことになるとは知らなかった。

 というわけで、昆虫がいろいろ出てきて楽しい季節だというのに散歩はお休み。草がどんどんのびる季節だというのに庭の草取りもお休み。あまり無理をしないように、横になったり起きたりの生活をしている。デスクワークならできないこともないが、長時間はやはりしんどい。体を動かす家事は辛いのでかなりサポっている。そして、痛みがあまり生じない姿勢や動き方について試行錯誤。

 私は大病はしたことがないが、五十肩は2回やり、かなりひどい労作性頭痛、手指と手首の骨折も経験した。そして、今回は肋間筋損傷。長く生きているといろいろあるけれど、まあ仕方ない。痛みが治まるまで無理をせず、できるだけ安静にして過ごそうと思う。

  
タグ :肋間筋損傷


Posted by 松田まゆみ at 17:14Comments(4)雑記帳

2023年05月15日

きままなる旅に思う

 5月になり、木々の枝先には日に日に明るい緑が広がっていく。この季節になると、萩原朔太郎の「旅上」という詩を思い出す。

 旅上

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。


 この詩は1925年に発行された「純情小曲集」に収められている。萩原朔太郎は1886年生まれだから、おそらく30代の頃の作品だろう。今からおよそ100年前の詩だ。

 木々が芽吹いてまぶしい緑に包まれる春の日、新しい背広を身にまとい、ふと思いついたようにきままな旅に出かける。汽車はもちろん蒸気機関車で車輪の音がゴットンゴットンと響き、座席は硬く座り心地は悪い。でもそれは当たり前のことで、気にもならない。都会の喧騒を離れて自由になれることが何よりも嬉しい。そして山あいの光景を眺めながらひとり旅に思いをはせる・・・。

 私は若い時にこの詩を知ったのだが、情景が目に浮かぶだけではなく、自分自身が同じように汽車に乗っている気持ちになった。私の子どもの頃はまだ蒸気機関車が走っており、規則的な車輪の音は今も脳裏に残っている。学生時代(たぶん萩原朔太郎がこの詩を書いてから半世紀ほどたった頃)でも、まだこの「旅上」に近い旅行はできたように思う。さすがに蒸気機関車はなくなっていたが長距離の鈍行列車や急行列車は健在だったし、週末に思い立ったようにふらりと野や山に出かけることもあった。携帯電話などというものに振り回されることもなかった。

 私がはじめて遠出の一人旅に出かけたのは、大学2年のときの北海道旅行。周遊券を買い、東京から北海道までの列車は指定をとったが、北海道内は急行の自由席や鈍行列車で移動し、宿は主にユースホステルに前日に電話をして泊まっていた。一応計画は立てたけれど、けっこうきままな旅だった。その後も、似たような旅は何回かしている。

 しかし、今はどうだろう? ちょっと遠出するとなれば、ネットで飛行機や列車の指定席を予約し、ホテルを予約する。乗り物は空調が効いているし座席の座り心地も良く快適だが、窓は開かない。新幹線などは速度が速すぎて近くの風景は飛ぶように流れ、のんびりと景色を楽しむという感じではない。かつての鈍行列車のように、ボックス席で見知らぬ人と語らうこともない。

 亡き母は、父が亡くなってから東京(高尾)からお墓のある上諏訪まで中央本線の鈍行列車で往復するという一日がかりのお墓参りをしていた。母も特急で行くよりものんびりと鈍行列車で行くのが性に合っていたようだ。その気持ちはとても良く分かる。しかし、今は高尾から上諏訪まで乗り換えなしで日帰りで往復できる列車はなくなってしまった。そして特急の「あずさ」は自由席もなくなった。

 以前、母と私と娘2人の4人で、上諏訪への墓参、霧ヶ峰散策、そして志賀高原へと旅行をしたことがあったが、この時も鈍行列車を利用しての旅だった。志賀高原からの帰りは思いつきでバスで草津白根を経由して草津に行き、吾妻線と高崎線を乗りついで帰った。列車の予約などをしていないからこそできる気ままな旅だったと思う。

 昨今は時間短縮や快適さは増してきたが、料金は上がる一方で貧乏旅行ができなくなってきている。そして自由できままな旅もどんどん遠のいているように思う。私のような田舎住まいの高齢者はこういう変化になかなかついていけないし、新幹線や特急ばかりの旅は情緒もなく寂しく思う。

 果たして速さや快適さばかり追い求めることが本当に幸せなのだろうか? のんびりとした暮らしやきままな旅だって大切なんじゃなかろうか? 萩原朔太郎の「旅上」を思い出すたびに、利便性を追い求めた人類は、何か大切なものを失ってしまったように思えてならない。ゆったりと流れる時間、移りゆく自然の風景を愛おしむ心、予定にとらわれないきままさ、見知らぬ他者との交流などといったものを・・・。
  


Posted by 松田まゆみ at 21:57Comments(0)雑記帳