さぽろぐ

日記・一般  |その他北海道

ログインヘルプ


2021年10月19日

昆虫写真の楽しみ

 私はこれまで写真を撮って楽しむという趣味はなかった。若い頃は野鳥を見に日本中を旅行したり、登山もしたけれど、そんなときもカメラは持っていかなかったので、旅行とか登山の写真がほとんどない。私の父は小西六(小西六写真工業株式会社)に勤めていて写真好きだったし、母もその影響を受けてか高齢になってもよく写真を撮っていた。しかし、なぜか私は写真に興味を抱くことはなかった。記録写真を撮るために一眼レフのカメラも持ってはいたが、そう頻繁に使っていたわけではない。もちろんこれはフイルムカメラの時代の話だ。

 その後、デジカメが主流となり、コンパクトデジカメでもかつての一眼レフのマクロレンズなみの接写撮影が手軽にできるようになってからは、クモの写真なども少しは撮るようになった。それでも写真が趣味ということはなかった。

 そんな私が、クモだけではなく昆虫の写真も撮り始めたのは、それまで使っていたコンデジに不具合が生じ、オリンパスのTG-6という超接写撮影ができるコンデジを購入したことがきっかけだ。2020年の春からは、散歩にはいつもこれを持ち歩くようになった。私は子どもの頃から昆虫が好きだったが、野鳥やクモに興味を持つようになってからは昆虫からは遠のいていた。ところが、カメラを持っていると自然と小さな昆虫にも目が行く。不思議なことに、今までは散歩をしていてもほとんど目に留まらなかった数ミリの昆虫にも気づくようになった。しかも昆虫は種類も数もクモよりずっと多い。

 そんなわけで、昆虫を見つけるたびについつい写真を撮るようになった。初めて見る昆虫やとびきり色彩や斑紋の美しい種に出会うと、子どもの頃にかえったように胸が高鳴る。写真を撮ればその昆虫の種名が知りたくなり、手持ちの図鑑やネットで調べることになる。私の場合、クモや昆虫の写真を撮りたくてカメラを買ったというより、超接写のできるカメラを手にしたことで今まで以上に小さな生き物に興味がわき、写真を撮りたくなったという感じだ。

 ただし、なぜか芸術的な写真を撮りたいという気持ちが全く起きない。というかそういう欲がない。つまり、あくまでも記録写真だ。クモの場合は必要だと思う個体は採集して標本にするが、昆虫まで標本にする気は全くない。その代わり、写真を撮ることで身の回りにどんな昆虫がいるのかということに今まで以上に興味を持つようになった。

 もちろん昆虫の場合、写真だけでは同定できない種が沢山いるし、そもそもまだ記載さえされていないものもある。そういう昆虫は種名が分からなくても仕方ない。ただ、写真を撮ることによって、今まで知らなかった昆虫の世界が少しだけ垣間見えるようになった。生態をじっくりと観察するというわけではないが、カメラ一つで毎日の散歩がぐっと楽しくなった。

 たまにすれ違う人が、植物やら手すりやらに向かってカメラを構えている私を不思議そうに眺めていることがある。確かに、遠くから見たら何をしているのか分からないだろうし、虫の写真を撮っていることが分かっても、虫などに全く興味がない人にとっては変人にしか見えないのだろう。でも、趣味なんてそんなものだ。

 北海道の私の住む地は紅葉も終わり、虫たちの姿もぐっと減ってきた。もう少ししたら雪が積もり、しばらくは虫見散歩、クモ見散歩もできなくなる。冬の間はまたクモの標本画でも描こうと思う。
  

Posted by 松田まゆみ at 21:11Comments(2)雑記帳

2021年06月28日

スギナ撲滅作戦のその後

 昨年の6月18日に「スギナ撲滅作戦」という記事を書いた。畑や花壇に生えてくるスギナを毎日除草することで撲滅を目指すという記事だ。あれから一年、どうなったかの報告をしておきたい。

 まず昨年は夏まではほぼ毎日のように草取りをしたが、次第に疲れてきて秋には二日に一度とか三日に一度くらいの頻度になった。そんな感じでスギナが伸びてこなくなる頃まで比較的こまめに除草をやった。

 今年も5月にはスギナがニョキニョキと顔を出し始めたので、「ああ、一年で撲滅は無理だったか・・・」とちょっとがっかりした。そして昨年のように除草にとりかかったのだが、明らかに楽になった。出てくる数も減ったし、全体的に勢いがなくなってきた。そういえば今年はツクシがほとんど出てこなかった。おそらくツクシを出す余力がなくなったのだろう。

 昨年はほぼ毎日30分から1時間くらい除草をしていたが、今年は二日ないしは三日に一度くらいでも問題なく、しかも30分もあれば終わる。やはり、頻繁に刈られてしまうというのはダメージが大きいようだ。昨年頑張った甲斐があったということだろう。

 今年いっぱい続ければ、かなり撲滅に近づくのではないかと密かに期待している。

  
タグ :スギナ


Posted by 松田まゆみ at 20:59Comments(0)雑記帳

2021年01月02日

ブログタイトルの変更

 新年ということもあり、ブログのタイトルとプロフィール画像を変えてみた。プロフィール画像は亜寒帯針葉樹林に棲むキタグニオニグモ。ブログ開設が2007年5月なので、今年の5月で14年になる。最近は更新ものんびりだが、マイペースで更新したいと思っている。

 昨年はマクロ撮影のできるコンパクトデジカメ(オリンパスTough TG-6)を購入したこともあり、散歩がてら昆虫やクモの写真を撮るようになった。なかなか良い写真が撮れないが、今年も気長に続けていきたい。気を付けていなければ見過ごしてしまうような小さな昆虫やクモたちの世界は奥深く興味がつきない。そんな昆虫やクモの写真も少しずつ紹介していきたいと思う。

 それにしても、生き物たちの減少が著しい。この数十年でどれほどの生物多様性が失われてしまったのかと思うと言葉がない。人類は富と利便性のためにかけがえのない自然環境を壊し収奪してきた。資本主義を終わらせないと地球環境は持たないし人類も終わる。その前に人々は方向転換ができるのだろうか? そんなことをどうしても考えてしまう今日この頃だ。

  

Posted by 松田まゆみ at 14:06Comments(4)雑記帳

2020年06月18日

スギナ撲滅作戦

 花壇や畑に生えてくる植物を一言で雑草と言ってしまうのは少々抵抗があるが、春から夏にかけての季節はその雑草との根比べになる。

 我が家の庭の場合、厄介な雑草はスギナ、ヒメスイバ、キレハイヌガラシなど、地下茎によってどんどん広がっていく植物だ、中でもスギナは根が深く、取っても取っても生えてくる。これを根絶させるのはほぼ不可能だと思い、今までは庭の草取りは1週間に1度くらいのペースでまとめてやっていた。

 この厄介なスギナを根絶する方法はないのかとネットで調べてみると、除草剤を使えとか、防草シートを敷けといった記事ばかりが出てくるのだが、さらに調べていくうちに「毎日抜いていればそのうちに生えなくなる」と書かれているブログ記事を見つけた。

 言われてみればその通りだ。休眠している冬の間は地下茎で生き続けていても、成長期に光合成をする地上部を徹底的に除去すれば、いくら丈夫な植物でも生きていくことはできないはずだ。ということで、今年は雨の日を除いて毎日、花壇や畑などの雑草を除去してみることにした。花壇や畑の中は抜き取り、通路など広い場所は草削り(小型の除草ホー)で取り除く。

 スギナに勢いがあるときは、こんな感じで地面から顔を出す。




 しかし、毎日抜き続けていると、だんだんと細くなり勢いがなくなっていく。




 とはいうものの、スギナはなかなかしぶとい。毎日の除草を始めてからすでに1か月以上が経つが、まだまだ生えてくる。どうやら1日に1~2センチは延びるのではないかと思う。取り残すとすぐに5センチ、10センチと伸びている。恐ろしいほど成長が早い。とはいうものの、初めのうちは1~2時間かかっていた除草が、最近では30分~1時間ほどになってきた。スギナの勢いがなくなってきたからだ。

 一体いつまで続けたら枯れるのだろうか? とりあえず、今年は実験ということで当面のあいだ毎日の草取りを続けようと思っている。スギナが生えなくなるだけで、庭の草取りは断然楽になるはずだ。まさに根比べだ。
  

Posted by 松田まゆみ at 20:06Comments(0)雑記帳

2019年03月17日

広めてほしい「移動難病カフェ」

 私がツイッターでフォローしている「羊タイプ2」さんが、「移動難病カフェ」の活動ためにクラウドファンディングを始められた。羊さんのクラウドファンディングのページは以下。

全国初(?)移動難病カフェを作り難病の方々の心の支えになりたい!!

 一昨年の秋頃のこと、私のツイッターのタイムラインにリツイートで一枚のイラストが流れてきた。素敵な羊のイラストに惹かれて「羊タイプ2」さんをフォローし、彼が線維筋痛症で入院中であることを知った。彼は入院して治療に励みながらイラストをツイッターにアップしていたのだが、私の生まれ故郷に近い長野県の、携帯の電波も届かない山の中で羊や犬、猫などの動物たちと暮らしていることを知った。

 その後、病状悪化で再び昨年末に入院。その病院での治療が合わず薬の副作用に苦しめられ、ストレスから失声症とディスグラフィア(書字障害)まで発症してしまった。線維筋痛症は全身に激痛が生じる原因不明の難病で、治療法も確立されていない。そんな彼が立ち上げたのが『Canaria Sing Again カナリアはもう一度歌う』という移動難病カフェのプロジェクト。同じような境遇の方たちを童謡の「かなりあ」に例え、希望を取り戻してもらいたいとの願いが込められている。

 「難病カフェ」とは、難病の人たちが集って情報を共有したり悩みを語らい、前向きに生きるための支援をする活動だ。ただ、こうした難病カフェの活動はまだまだ広まっておらず、社会的支援も得られずに一人で苦しんだり自ら命を絶ってしまう方も多いという。そんな人たちに車で会いにいく「移動難病カフェ」の発想はつらい体験をした人ならではのものだと思う。

 私が線維筋痛症のことを知ったのは、「たいまつ」というブログを書かれている「木枯らし」さんからブログにコメントをいただいたことがきっかけだった。彼は沖縄で福祉の仕事をしながら写真家を目指していたが、線維筋痛症のために2年ほど前からブログも休止している。私には線維筋痛症の痛みは分からないが、体に痛みがあれば誰しも辛いし気も滅入るものだ。そんな状態が続く生活がどれほどしんどくストレスになるかは想像に難くない。

 ところで、私は線維筋痛症の方の多くがHSPではないかと感じている。HSPとはHighly sensitive parsonの略で、生まれつき非常に感受性の高い人たちのことだ。人口の約15~20%がHSPだといわれているので、5、6人に一人はHSPということになる。感受性の高いHSPの方は他者への共感力も高いのだが、疲れやすく動揺もしやすい。鋭い感性をもっているために絵画や写真、音楽や文章の才能など、芸術的な素養がある方がとても多い。

 ただその過敏性によって、音や匂い光などの刺激に対して過剰に反応してしまう。「炭鉱のカナリア」なのだ。電磁波過敏症とか化学物質過敏症、慢性疲労症候群などを発症する人も多いし、地震の体感者などもおそらくHSPなのだろう。そして何らかのきっかけで痛みにとりわけ過敏になってしまったのが線維筋痛症ではないかと思っている。

 私もHSPを提唱されたアーロン博士の本を読んで、自分がHSPだと気づいた。子供のころからの内向的な性格も納得がいった。私自身、匂いにひどく過敏で化学物質過敏症だし、ストレスがかかると過敏性腸症候群を発症する。また、HSPの人は他者がHSPか非HSPかも感覚的にたいていピンとくる。

 自分の親も、また二人の子供もHSPだと分かったら、それまでは不思議に思えた性格や行動もなるほどと思えたし、世の中には「敏感ではない人たち」が多数派であることも理解できるようになった。電磁波過敏症や化学物質過敏症、地震体感などを心の問題だとして否定する人もいるが、そのような否定論者たちは非HSPなのだと思う。悪気はないのかもしれないが、彼らにはおそらくHSPの繊細さや過敏さはまったく理解できないのだろう。

 線維筋痛症とHSPが何等かの関係があるのなら、こうした難病も決して他人事ではない。パソコン、インターネット、スマートフォン等々、私たちの生活はどんどん便利になってきたが、それとともにどこにいても電磁波にさらされるようになった。一方で、市場原理主義の台頭によって競争や格差が激化し、人々は過度のストレスにさらされるようにもなった。弱者切り捨てのストレス社会で、過敏症や慢性疲労症候群、線維筋痛症などは増え続けるのではなかろうか。こうした病気は私たち人間社会がつくりだしたのだと思うし、さまざまな過敏症はこの社会の異常さや生きづらさを象徴しているように思えてならない。

 本来なら難病の人たちも社会保障によって支えられねばならないのだが、新自由主義的な政策と少子高齢化で社会保障は減らされる一方だ。この先、社会保障が充実するという期待はほとんど持てないし、病気や事故などで働けなくなった者が孤立し見捨てられる社会にすでになってきている。そんな中で何よりも大切なのは人々が協力しあい助け合うことではないかと思う。人は一人で生きていける動物ではなく、共同体をつくり助け合うことで生きのびてきた。格差が拡大し荒んだ社会に必要なのは、社会保障の充実だけではなく人々が互いに協力しあえるしくみだろう。だからこそ、羊さんの移動難病カフェのような活動を応援したいと思う。

 彼の活動に賛同される方は、SNSなどでの拡散をお願いしたい。
  


Posted by 松田まゆみ at 21:22Comments(0)雑記帳

2018年12月30日

人の成熟について考えさせられた一年

 今年も残すところ僅かとなった。病気にもならず大きな事故にあうこともなく無事に一年を過ごせたことに感謝したい。

 さて、今年はとりわけ「人の成熟」について考えることが多い年だったと思う。「人の成熟」といってももちろん身体の成熟ということではなく、精神的な成熟のことだ。ネットも含め、身の回りの人たちを見ていると、いい年齢の大人や高齢者であっても精神的に未熟な人たちが一定程度いることに気づかされる。

 端的に言ってしまうなら、「未熟な人」とは何か不都合なことがあるとすぐに他人のせいにし、自分は被害者であるかのようにふるまうような人たちだ。問題解決能力がないとも言えるし、常に自分のことしか考えていない。支配的な人はもちろんのこと、支配的な人の言うなりになってしまうような人もまた未熟だろう。他者との境界線をしっかり持てず、「課題の分離」ができてないということでもある。

 赤ん坊は生きていくためにお腹が減れば泣き、おむつが汚れれば泣き、何か不満があれば泣いて親に訴える。赤ん坊にとって世界の中心は自分なのだ。しかし、やがて歩くようになり言葉を覚え、他者とのコミュニケーションをとれるようになるに従って、自己主張だけをしていたのでは他者とうまくやっていけないことを学ぶ。そうやって社会性を身につけていく。

 ところがどうしたわけか、大人になっても自分を中心に世界が回っていると勘違いしている人は一定程度いる。意見が合わないというだけで他者を罵ったり見下す発言をするが、自分が批判されようものなら烈火のごとく怒り相手を攻撃する。あるいは他者をコントロールするために褒めたり叱ったりを使い分ける。こういう人たちは他者が自分の望むように動くことを期待しているのかもしれないが、他者が自分の思い通りになるはずもなく、諍いを大きくするだけだ。自分とは異なる意見の人も尊重できなければ、やはり未熟だろう。

 自分の身を守るために強い者(自分より立場が上の人)になびき、弱い者に対しては支配的になる人たちもまた未熟と言えるだろう。嘘も隠蔽も不正も平気で自分の野心をむき出しにし、逆らう者には報復という手段で首相の座に居座り続ける安倍晋三氏ももちろんこのようなタイプだし、その安倍首相の報復を恐れて保身に走る人たちもまた未熟な人たちだと思う。今の自民党はまさに未熟な人だらけのようだ。どうしてここまで幼児化が進んでしまったのかと思うと嘆かわしい。

 安倍政権といえば、今年もまた国会や民意を軽視しやりたい放題だった。辺野古の埋め立て強行、高度プロフェッショナル制度、入管法改悪、水道民営化、カジノ法、種子法廃止、TPPと日米FAT、森加計問題の無視・・・。辺野古の件で玉城デニー知事は官邸に行って対話を求めたものの、官邸は埋め立てを強行。対話による解決をしようとしない安倍政権はまさに幼稚としかいいようがない。

 そしてこれまでの安倍政権の悪政のツケは庶民が払わされるのだ。アベノミクスの欺瞞然り、さまざまな悪法の強行採決や独断然り。そう思うと、心底ぞっとする。未熟な人間を首相にしてしまったことの弊害ははかり知れない。

 他者が自分の思い通りになどならないことは、生きていれば経験から学んでいくものだ。自分で決めるべきことに関して、他人からとやかく言われて嫌な気持ちになるのは誰もが経験しているだろう。そういう経験を経て、人は他者を尊重することを学び、他者と自分との間に境界線を引いて自己を確立していく。もちろん他者を尊重するというのは他者の言いなりになるということではない。自己の確立とは主体性を身につけるということであり、自分勝手とは違う。成熟した人というのは他人を支配したり支配されたりすることなく主体性を持ち、他者と協力し合うことができる。

 完全な人などいないのだが、それでも「人として成熟する」ということは「幸福」と同義なのだろうと思う。自己中から脱するほど、人は精神的に安定し穏やかな気持ちになれるに違いない。

 かく言う私も、ついつい他者のことに口を出してしまい、後になって余計なことを言ってしまったと苦笑することもある。自分では「アドバイス」のつもりでも相手にとっては「余計なお世話」ということもある。人は不完全で未熟で利己的な生物であるがゆえに、一生を通じて精神的成熟を目指す生き物なのかもしれない。もちろん自分の身勝手に気づけず未熟なまま一生を終えてしまう人も多いに違いない。そう考えると人間とは実に不思議な動物だと思う。

 人は何歳になっても変わることはできるし、精神的成熟に年齢制限などない。だから、「もう歳だから変われない」とか「今さら変わってもしょうがない」などと言い訳をすることだけはしないでおこうと思う。
  

Posted by 松田まゆみ at 22:52Comments(4)雑記帳

2018年09月15日

ぎっくり腰と労作性頭痛

 今日は秋晴れのすがすがしい天気だったので、昼食後に庭の草取りをすることにしたのだが、昨年種を蒔いた宿根かすみ草が大きくなりすぎて邪魔になったので草取りの前に引きぬくことにした。ところが、かすみ草の根は直根でかなり深く地中に伸びている。ちょっと引っ張ったくらいでは抜けない。

 根のまわりを少し掘ってから根元をつかんで引きぬこうとした瞬間、背中にギクっときた。「あらら、やってしまった!」と思いつつその場に尻もちをついてへたり込んだ。1、2分そのまま動けずにいたのだが、そろりそろりと立ちあがったら何とか歩けるようだ。私はぎっくり腰というのは経験がないのだが、恐らくぎっくり腰ではないかと思う。

 重い物を持ち上げたときなどにぎっくり腰になるとよく言われているが、引きぬく動作でもなるのかとちょっとびっくり。しばらくはそろりそろりの生活になりそうだ。

 ところで、今年の夏は労作性頭痛というものに見舞われた。窓を外して拭き掃除をしていた連れ合いが、元通りに嵌めるのを手伝ってほしいと言う。窓といっても高断熱ペアガラスの大きな窓なのでとても重い。少し腰をかがめ思いっきり持ち上げようとした瞬間、これまで経験したことのないズキンという強烈な頭痛に襲われた。

 突然の頭痛に脳卒中ではないかと焦ったが、会話もできるし体も動く。どうやら脳卒中ではなさそうだ。そして、ネットで調べていくうちにこちらのブログを見つけた。症状が全く同じなので、労作性頭痛であるという結論に達した。それなら病院に行くこともないだろうと思って様子を見ることにした。

 労作性頭痛は重い物を持ち上げるときや激しいスポーツをしたときに起き、「重量挙げ頭痛」とも言われている。脳の血圧が一気に上昇して血管が圧迫されることで起きるらしい。そう言えば、思っていたより重かったので、持ち上げるときに無意識に息をとめてお腹に力を入れたようだ。

 じっと座っているなど体を動かさなければ痛みはないのだが、立ちあがったり歩いたりするとズキンズキンという頭痛に襲われる。それがおよそ2週間続いた。この間はずっとそろりそろりの生活を余儀なくされた。その後、次第に回復して3週間後には症状がほぼ消えたが、重い物を持ちあげるときは要注意だと思った。

 そんなことがあってから重い物を持ち上げることには注意していたのに、今度は「引きぬく動作」で腰を痛めてしまった。今まで「引きぬく動作」で腰痛になったことはなかったので、これもちょっとびっくり。歳とともに力仕事は気をつけねばと痛感した。
  
タグ :労作性頭痛


Posted by 松田まゆみ at 17:19Comments(2)雑記帳

2018年09月09日

再び「暗闇の思想」を

 今日の北海道新聞によると電気がほぼ復旧した昨日はスーパーマーケットやコインランドリーに大勢の人がつめかけたそうだ。流通はかなり回復してきているが、生鮮食料品などは売り切れたり入荷していないものも多いらしい。

 北海道の全域が停電するというブラックアウトから2日ほどで電気がほぼ復旧したのは幸いだったが、新聞記事を見ながらいろいろ考えさせられた。

 地震直後はコンビニでもスーパーでも食品の棚が空になったようだが、1日とか2日分の食品すら備蓄していない人が多いことに驚いた。私たちはほんの7年前にあの東日本大震災を経験している。その後も熊本をはじめとして大きな地震が何度も起きているし、集中豪雨や台風の被害も経験している。東日本大震災以来、3日分ほどの水と食料の備蓄が呼びかけられていたのに家に食べ物がない人がそれなりにいるのだから、防災意識に欠けている人がまだまだ多いのだろう。

 さらに驚いたのは、たった2日程度の停電でコインランドリーに人が押し掛けるという現象。災害で停電中という非常時なのに普段と同じようにこまめに着替えをし、洗濯物の山をつくっている人もいるようだ。電気が通じたとはいえ、供給はぎりぎりで節電を呼び掛けているというのに電気消費量の多い乾燥機を使うという神経は私には理解しがたい。

 現代人の多くは「電気は使いたいときにいくらでも使えるのが当たり前」「電気がない生活は考えられない」という感覚なのだろう。

 私が子どもの頃は電化製品が次々と普及していった時代だったが、それでも日本人の電力消費量はさほど多くはなかったと思う。ほんの数十年の間に私たちは電気を湯水のごとく使う生活が当たり前になり、湯水のように使えるほど電気が供給されるのが当たり前になった。しかし、ちょっと発想を転換すれが、まだまだ節約ができるのではないかと思えてならない。電子レンジも衣類乾燥機もない時代だって、そんなに不便ではなかったのだから。

 停電になると私は松下竜一氏の「暗闇の思想」を思い出す。東日本大震災の翌年に私はこんな記事を書いている。

今こそ意味をもつ松下竜一氏の「暗闇の思想」

 2日や3日の停電で右往左往する現代人は今一度、ここに引用した松下氏の「暗闇の思想」を読んでみたほうがいいように思う。1974年に書かれたものだ。ということで、再びここに転載しておきたい。

*****

 あえて大げさにいえば、「暗闇の思想」ということを、この頃考え始めている。比喩ではない。文字通りの暗闇である。きっかけは電力である。原子力をも含めて、発電所の公害は今や全国的に建設反対運動を激化させ、電源開発を立ち往生させている。二年を経ずに、これは深刻な社会問題となるであろう。もともと、発電所建設反対運動は公害問題に発しているのだが、しかしそのような技術論争を突き抜けて、これが現代の文化を問いつめる思想性をも帯び始めていることに、運動に深くかかわる者ならすでに気づいている。かつて佐藤前首相は国会の場で「電気の恩恵を受けながら発電所建設に反対するのはけしからぬ」と発言した。この発言を正しいとする良識派市民が実に多い。必然として、「反対運動などする家の電気を止めてしまえ」という感情論がはびこる。「よろしい、止めてもらいましょう」と、きっぱり答えるためには、もはや確とした思想がなければ出来ぬのだ。電力文化を拒否出来る思想が。

 今、私には深々と思い起こしてなつかしい暗闇がある。10年前に死んだ友と共有した暗闇である。友は極貧のため電気料を滞納した果てに送電を止められていた。私は夜ごとこの病友を訪ねて、暗闇の枕元で語り合った。電気を失って、本当に星空の美しさがわかるようになった、と友は語った。暗闇の底で、私たちの語らいはいかに虚飾なく青春の想いを深めたことか。暗闇にひそむということは、何かしら思惟を根源的な方向へと鎮めていく気がする。それは、私たちが青春のさなかにいたからというだけのことではあるまい。皮肉にも、友は電気のともった親戚の離れに移されて、明るさの下で死んだ。友の死とともに、私は暗闇の思惟を遠ざかってしまったが、本当は私たちの生活の中で、暗闇にひそんでの思惟が今ほど必要な時はないのではないかと、この頃考え始めている。

 電力が絶対不足になるのだという。九州管内だけでも、このままいけば毎年出力50万キロワットの工場をひとつずつ造っていかねばならないという。だがここで、このままいけばというのは、田中内閣の列島改造論政策遂行を意味している。年10パーセントの高度経済成長を支えるエネルギーとしてなら、貪欲な電気需要は必然不可欠であろう。しかも悲劇的なことに、発電所の公害は現在の技術対策と経済効率の枠内で解消し難い。そこで電力会社や良識派と称する人びとは、「だが電力は絶対必要なのだから」という大前提で公害を免罪しようとする。国民すべての文化生活を支える電力需要であるから、一部地域住民の多少の被害は忍んでもらわねばならないという恐るべき論理が出てくる。本当はこういわねばならぬのに-誰かの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬと。

(中略)

 いわば発展とか開発とかが、明るい未来をひらく都会志向のキャッチフレーズで喧伝されるなら、それとは逆方向の、むしろふるさとへの回帰、村の暗がりをもなつかしいとする反開発志向の奥底には、「暗闇の思想」があらねばなるまい。まず、電力がとめどなく必要なのだという現代神話から打ち破らねばならぬ。ひとつは経済成長に抑制を課すことで、ひとつは自身の文化生活なるものへの厳しい反省でそれは可能となろう。冗談でなくいいたいのだが「停電の日」をもうけてもいい。勤労にもレジャーにも過熟しているわが国で、むしろそれは必要ではないか。月に一夜でもテレビ離れした「暗闇の思想」に沈みこみ、今の明るさの文化が虚妄ではないのかどうか、冷えびえとするまで思惟してみようではないか。私には、暗闇に耐える思想とは、虚飾なく厳しく、きわめて人間自律的なものでなければならぬという予感がしている。(松下竜一著「暗闇の思想を」朝日新聞社刊、158-161ページ)


*****

 日本は災害列島だ。プレート境界に位置する日本は海溝型の大地震にいつ襲われてもおかしくない。熊本地震や大阪の地震、今回の胆振東部地震のような直下型地震や台風被害なども間違いなく起きる。これからも私たちは何度も停電を経験することになるだろう。そんなときに電力会社に怒りをぶつけたり、国などの支援に頼っているだけではあまりにもお粗末ではないか。災害列島に生きている以上、「電気がなくても数日は生きられる」ようにしておかねばならないと思うし、停電のときこそ不平不満を言うのではなく、電気に頼り過ぎの生活を見直す日にできたらいいと思う。

  


Posted by 松田まゆみ at 14:54Comments(4)雑記帳

2018年09月07日

災害列島日本

 6日未明、携帯電話のけたたましい警報で目が覚めた。携帯電話は寝るときに電源を切るのだが、この日は忘れてそのままにしていたのだった。寝ているときにこれが鳴り響くと一瞬何が起きたのかと頭が混乱するのだが、大音響の警報が終わらないうちから家がカタカタと揺れはじめたので地震だと分かった。

 揺れは大きくないものの、けっこう長い。これは大きそうだと直感した。揺れの感じにすぐさま東日本大震災のことが頭をよぎった。枕元の電気スタンドをつけてベッド脇の非常持ち出し袋に手を突っ込み携帯ラジオを取り出した。震源地や地震の規模などの情報を聴いてから再び布団にもぐり込んだが、寝付かれない。その直後に停電になったようだった。

 震源地は胆振地方だから私のところからはけっこう離れている。停電もしばらくしたら復旧するだろうとたかをくくっていたが、朝になっても復旧していない。携帯電話も「圏外」と表示されて使えない。とりあえず携帯ラジオが唯一の情報源だ。そのラジオで、震源地近くの厚真町で大規模な土砂崩れが起きていることや、北海道全域が停電していることを知った。

 胆振地方の直下型大地震で、なぜ北海道全域が停電になってしまうのかと不思議だったのだが、ニュースの説明を何度か聞いて理解した。こちらの「みこし」に例えた説明が分かりやすいので、以下に引用しておきたい。

 北電や経済産業省などによると、地震発生当時の電力需要は約310万キロワットだった。道内の主な火力発電所6カ所のうち、苫東厚真の3基(発電能力165万キロワット)を含む4カ所の計6基が稼働していたが、地震の影響で苫東厚真の3基が緊急停止。
 供給量が一気に減り、「みこしを担いでいた人たちの半分が一斉に抜けたような状態」(北電東京支社の佐藤貞寿渉外・報道担当課長)になった。
 通常、発電量は需要と常に一致するよう自動調整されている。バランスが狂うと発電機の回転数が乱れ、発電機や工場の産業用機器などが故障するためだ。

地震などの災害で一部の発電所が緊急停止しても、普段は他の発電所の供給量を増やして対応できるが、今回は他の発電所でカバーできる量を超えていた。
 このため、地震の影響を直接受けなかった発電所も需給バランスの乱れによる故障を避けるため、自動的に次々と緊急停止した。みこしの下に残った人が押しつぶされそうになり、危険を感じて次々とみこしを放り出して抜け出したような状況だったと言える。


 全道停電の最大の原因は、苫東厚真発電所が北海道の電力供給の約半分を担っていたということにありそうだ。

 今回の震源地は石狩低地東縁断層帯の近くだ。この近くでは2017年にもマグニチュード5.1の地震が起きている。石狩低地東縁断層帯で大きな地震が起きることは想定されていた。ならば、苫東厚真発電所が地震で運転を停止することは十分に予測できたはずだし、全道停電のリスクを回避する対策も可能だったはずだ。東日本大震災での教訓が活かされていたとはとても思えない。

 泊原発は停止していたとはいえ、燃料プールの冷却のための電気が欠かせない状況だ。全道的な停電は、原発の外部電源喪失そのものであり、最も避けねばならないことだ。それがあっけなく崩れ去った。ディーゼル発電機が作動したとはいえ、もし原発が稼働していたらかなり恐ろしい状況だ。

 原発は5重の安全対策をしているから大丈夫という原発安全神話が東日本大震災で一瞬にして崩れ去ったが、現在の電力供給システムもたった一か所の発電所の停止で致命的になることがはっきりした。発電設備を一か所に集中させてしまう方式がこのような事態を招いたのだ。電気はできるかぎり地産地消にしていくのが望ましいのだろう。

 私のところは6日の夜には電気が復旧したが、まだ停電が続いている地域もあるようだ。もし電気需要が増える冬だったらと思うと、ぞっとする。北海道の場合、灯油ストーブによる暖房が一般的だが、送風のためのファンに電気を使うので、停電になってしまうと暖房が使えなくなるのだ。厳冬期ならば水道の凍結被害も出るだろう。現代人にとって長期の停電は命取りになりかねない。

 石狩低地東縁断層帯ではマグニチュード7規模の地震が起きてもおかしくないと言われているし、今回の地震に誘発されて大きな地震が起きる可能性もある。さらに、北海道では十勝沖や釧路沖などの海溝型の大地震も懸念されている。日本中、どこに住んでいても地震災害から逃れることはできないし、私たちは被害を最小限に食い止める努力をすることしかできない。

 さて、今回の停電で痛感したのは、やはり日頃の防災だ。まずは寝室の布団やベッドから手の届く範囲に懐中電灯や携帯ラジオを置いておくというのが大事であることを実感した。夜に停電になった場合、明かりがないと何もできない。情報収集のために携帯ラジオも欠かせない。要は非常持ち出し袋を準備しておくということ。地震の揺れで物が散乱したときのために、スリッパも必需品だ。

 それと水と食料の備蓄。私のところは無洗米と水を常備しカセットコンロもあるので数日の停電で食べるものがなくなるということはなく、食料に関してはまったく心配はなかった。何日も停電すると冷蔵庫や冷凍庫の食品が傷んでしまうが、これは諦めるしかない。

 さらに土砂崩れが起きそうな場所や津波に襲われる可能性がある場所に住んでいる人は、日頃からハザードマップや避難所を確認し、災害時には速やかに避難するしかない。

 今回の地震では厚真町で大規模な土砂崩れがあった。6日の夕刊と7日の朝刊でその画像を見て、愕然とした。震源地近くの山が一斉に地滑りを起こしたのだろう。山の表面を覆っていた軽石層が崩れたらしいが、これほど一斉に崩れた光景ははじめて見た。

 東日本大震災のあとに熊本地震、そして今回の北海道胆振東部地震と、日本では震度7を記録する大地震が続いている。間違いなく地震も火山噴火も活発化している。さらに、今年は西日本の集中豪雨や台風21号でも大きな被害があった。大規模な災害では支援物資などいつ届くかわからないし、首都圏などの人口密集地で大きな災害が起きれば支援物資や救助などほとんどあてにできない。

 この先、いつになるかは分からないにしても、海溝型地震や首都圏での大地震は間違いなく起きる。恐らく想像を絶する被害になるだろう。そんなことを考えても仕方ないなどと思っている人もいるかもしれないが、災害を生き延びるには、まずは自分で自分の身を守る努力をするしかないと痛感する。
  


Posted by 松田まゆみ at 17:11Comments(1)雑記帳

2018年08月28日

内田樹著「困難な結婚」を考える(2)

【前回の記事】
内田樹著「困難な結婚」を考える(1)

家事の公平な分担はできない

 家事はエンドレスな苦役であって、それらをどうやって夫婦間で公平に配分するのか、という発想をしている限り、もめ続けます。「苦役の配分」に、当事者全員が納得するような落としどころなんて見つかるはずがない。(210ページ)


 女性が家事を全面的に担っていた時代はともかくとして、今は女性だけが家事を負担するという考えに賛同する人は少数派だろう。ただし、内田氏の言うように家事の分担はそんな単純なことではないし、これが離婚の原因になっている場合も多いのではなかろうか。

 妻が家にいて基本的に家事や育児を担当するという場合は、はじめから分担がはっきりしているのでトラブルになりにくいとは思う。しかし、だからといって夫が家事や育児に無関心でほとんど協力しないということであれば、妻にとっては何のために結婚したのかということになる。

 私は男性であろうが女性であろうが、一人暮らしであろうが家族がいようが、基本的な家事をこなせる人が自立した人だと思っている。家事というのは人が生きていく上で必須のものだからだ。掃除も洗濯もさほど頭を使うことではないし、料理だって手際さえ覚えれば難しいことではない。家事の大半は子どもでもできることだ。それなのに「料理はできない」「掃除は嫌い」などと言ってやらない人は、要は「やりたくない」だけだし、自分が生きていく上で必要なことすらできないということになる。

 妻が基本的に家事を引き受けている家庭であっても、妻が病気になったり疲れていたり、用事や旅行ででかけることもあるだろう。しかも、家事には日曜日はない。そんなときに夫が嫌な顔をせずに家事を代わってくれるか否かは良好な関係を築く上でとても大きい。もちろん妻が働きに出て夫が家事や育児を担っている場合も同じだ。しんどいときや都合がつかないときに互いに協力し合うことこそ、家族で暮らすことのメリットだと思うからだ。だからこそ、男性であれ女性であれ「家事をこなせる」ということはとても大事なことだと思う。生きていく上で欠かせないことを「できない」とか「嫌だ」といって何もしないなら自分のことしか考えていないし、配偶者を家政婦としか思っていないことになる。そんな意識だったらうまくいくはずがない。

 もちろん夫婦ともに働いている場合は、家事や育児を二人で協力しなければならないのは言うまでもない。日本はいまだに男尊女卑の社会だし、家事や育児の負担は圧倒的に女性にのしかかっている。まず、男性が意識を変える必要があるのではないか。ただし、これも機械的に役割分担を決めるのではなく、臨機応変に「都合のつく人が文句を言わずに引き受ける」というようにしなければ、やはりうまくいかないと思う。

 それともう一つ。家事には人それぞれのやり方がある。だから家事を分担するならできる限り相手のやり方に文句をつけないという寛容さも必要だ。これは料理でも掃除でも洗濯でもつきまとう。結婚するまで全く違った家庭環境で育ち自分のやり方や感覚を身につけてきたのだから、これはなかなか一致するものではない。相手のやり方に文句をつければ喧嘩になる。どうしても相手のやり方に我慢ができないならどんなに疲れていても自分で引き受けるしかない。でも、それはそれでストレスになるというものだ。

 要は、家事が嫌だとか面倒だと思っている限り相手が家事をやらないことに不満が生じるし、自分のやり方に拘りすぎても不満が生じて分担はうまくいかない。嫌でも生きていくためにはやらねばならないのだから、文句を言っていてもどうにもならない。頭を切り替えて「嫌なこと」を「楽しいこと」にしていくというのはとても大事なことだと思う。

穏やかで健全な関係を続けるには

 「この人と結婚さえしていなければ・・・・・・」と仮想して、配偶者の無理解や無能を自分自身の不幸の原因にすると、もうダメです。たしかにあらゆる自分の不調は配偶者の無理解と無能で「説明できる」からです。ほんとうに説明できちゃうんです。あまりに説得力のある説明なので、人間はそれに居ついてしまう。(237ページ)


 これは自分の不幸を何でも人のせいにしてしまう人のことだ。結局、理想の配偶者なんていないのに理想を追い求めて相手の不平不満ばかり言っているということだろう。こういう人は自分で幸せになるための努力をしようとしない。そしていつも不平不満で機嫌が悪い。

 内田氏は円満な人間関係を築くためには「機嫌がいい」ことが大事だと説くが、それは本当にその通りだと思う。「機嫌が悪い」人と一緒にいて気持ちよく過ごせる人などいないだろう。「機嫌が悪い人」は、機嫌を悪くすることで相手を支配しようとしているのだろうけれど、それは逆効果でしかない。機嫌というのは自分の意志でどうにでもできる。「機嫌」も「幸福」も、結局はその人の心のあり方次第だ。

 社員を過労死にまで追い込むブラック企業とか、パワハラで鬱状態に追い込むような場合はさっさと転職をすべきだと思うが、それほどではないのに仕事を次々と変える人も同じではなかろうか。「この会社でさえなければ・・・」「あの嫌な上司さえいなければ自分の実力が発揮できるのに・・・」と思い込み、他により自分に合った理想的な会社があると夢想して転職しても、恐らくどこにも理想的な会社などない。それにも関わらず、また「この会社ではダメ」と会社や上司のせいにして転職する。

 自分と気が合う人しかいない会社なんてまずない。気に入らない他者を変えることなどできないのだから、自分の意識や考え方を変えることで気に入らない人と折り合いをつけるしかない。口うるさい上司に振り回されない術を身につけるように努力することも必要だ。そういう努力もせずにすべて他人のせいにしていたなら、どこに就職しても対人関係でストレスをため込み、いつも不平不満で機嫌が悪いということになる。

 「あの人のせいでうまくいかない」という思考に嵌って抜け出せなくなる人は、結婚生活も仕事もうまくいかない。もちろん本当に相手がとんでもない非常識な人で迷惑を振りまいているとか、支配的で命令ばかりしているという人もいるけれど、だからといって不平不満を言っているだけでは何の解決にもならないばかりか、まわりを不快にするだけだ。どうしても折り合いがつけられないなら離れるという選択も必要なわけで、その見極めが大事なのだろう。

 内田氏は結婚相手に相応しいかどうかは海外旅行に行って相手のトラブル解決能力を見るのがいいというが、それと同じように日頃から不平不満を言わずに問題解決に向けて行動できるか否かは、その人の精神的な成熟と大きく関わっているのだろう。

 「困難な結婚」といっても、結婚を「困難」にするのも「幸福」にするのも本人次第のところが大きいということなのだろう。結婚を「困難」にしないためには、まずは相手が成熟しているかどうかを見極めること。そして結婚したなら「配偶者の理想像」など追い求めずに互いに相手を尊重しつつ協力し合うことが幸福な結婚の鍵といえそうだ。

 さらに言うならば、誰にでも選択の間違いはあるのだから、もしモラハラ人間とかメサイアコンプレックスの人と結婚してしまい自分がボロボロになったとか、関係を続けるのが無理だと感じたなら、別れるという決断を下すのも幸福への道なのだろうと思う。内田氏も離婚を経験しているそうだが、問題解決の努力をしてもストレスが溜まって限界を感じたり日常生活に影響が出てしまうようなら、「別れる」という問題解決を選ぶこともやむを得ないだろう。かつて私の上司が「同棲をして相手を見極めてから結婚したほうがいい」と言っていたが、私もそれには同意する。

 結婚というのは自分とはまったく違う環境で育った人と生活を共にするということだ。要は、自己中かどうか(精神的に自立しているかどうか)が試されるといっていい。自立している人であれば自立した配偶者を選ぶだろうし、結婚によってお互いにさらに成熟できるだろう。結婚をしてそこそこ幸福だと思っている人は、おそらくそこそこ自立しているのではないかと思う。

  

Posted by 松田まゆみ at 21:57Comments(2)雑記帳