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2016年03月19日

小学校の卒業式での袴姿に思う

 先日、新聞に小学校の卒業式の記事が掲載されていたのだが、女の子が振袖姿で卒業証書を受け取る写真を見て目が点になった。写真をよく見ると、ほかにも振袖を着ている子が何人もいる。いったいいつから小学生が和服で卒業式に出るようになったのかと驚いたのだが、インターネットで調べてみるとどうやら数年前から振袖に袴で卒業式に出る子どもが増えており、ブームになってきているらしい。

 これにはもちろん賛否両論がある。賛成派の人の意見は「振袖や袴は日本の伝統的な正装であり、卒業式という記念の場に相応しい」、「ほとんど着ることのないスーツなどを買うならレンタルの和服の方がいい」、「振袖は親などが持っているものを着せられるので、袴だけのレンタルなら安い」などなど。しかし、私には、子どもに華美な服装をさせたいという親の見栄や満足感が先にあり、自己正当化のために後づけでこのような言い訳をしているとしか思えない。

 そもそも卒業式というのはひとつの区切りの儀式であり、通過点に過ぎない。義務教育である小学校の卒業式で正装をしなければならない理由はないし、まして日本の伝統だからという理由で和服を着る必要もなければ、お金をかける必要もない。服装は卒業式の本来の目的とは関係がないし、とってつけたように伝統に拘るのは意味不明だ。私は普段着だってまったく構わないと思っている(ジャージなどの運動着やジーンズなどは避けるべきだとは思うが)し、むしろなぜ学校が「普段着で出席するように」と言わないのかが不思議だ。私が小学校の頃は、卒業式には中学校の制服を着ていった。それは着る機会がほとんどない服にお金をかけることがないようにという学校の配慮でもあったのだろう。しかし、そういった配慮はいったいどこへいってしまったのだろうか?

 もうだいぶ前のことになるが、自然保護の集会で旭川のあるホールに行ったときのこと、ピンクや水色などの華やかでヒラヒラとしたドレスを着た子ども達が大勢いて何があるのかと不思議に思ったのだが、どうやらピアノの発表会だったらしい。しかし、いつからピアノの発表会がドレスのファッションショーのようになってしまったのかと唖然とした。私も子どものころピアノを習っていたが、発表会はいわゆる「よそゆき」程度の服装だったし、中学生のときは制服だった。しかし、最近では、発表会は日頃の練習の成果のお披露目というより、きらびやかな衣装を着ることの方が楽しみになっているのではなかろうか? あのお姫様のような衣装を着たいがために楽器を習いたいという子もいるのではないかと思ってしまうほどだ。

 成人式でも大学の卒業式でもそうだが、昨今はかつてに比べてはるかに画一的になっている。私は成人式には出席しなかったが、私の頃は振袖のほかに洋服の人もそれなりにいたと思う。今はほぼ全員が振袖だし、和服の男性もいる。まるで振袖のファッションショーと化している。大学の卒業式も同じで、私が学生の頃は袴のほかに洋装の女性も結構いて、人それぞれだった。私は卒業式以外でも着る機会のあるワンピースにした。しかし、今は袴の女性が圧倒的ではなかろうか。

 成人式も卒業式も、あるいはお稽古ごとの発表会でも、本来の目的とかけ離れ、衣装の見せびらかしの場になってしまっているように思えてならない。親も親で、子どもを着飾らせることが愛情だと思ったり、皆と同じ衣装を用意してあげないと可哀そうという感覚なのかもしれない。しかし、そこには個性のかけらもない。そして、そんな見かけばかりに拘る風潮が小学生の卒業式にまで及んでしまったというのが昨今の袴ブームなのだろう。

 こうしたブームの陰には間違いなく貸衣装業者の営利主義がある。インターネットで「小学校 卒業式 袴」と入力するとおびただしい数の貸衣装業者のサイトが出てくる。貸衣装屋こそが親の見栄と同調意識を利用してこうしたブームをつくりあげている張本人ではなかろうか。だからこそ、成人式や卒業式、発表会がファッションショー化し、全国各地で小学生の袴が流行るまでに至ったのだろう。

 ハロウィンやバレンタインのチョコレートもそうだが、日本人とは何と安易に商業主義に利用されてしまう民族なのかと思う。
  

Posted by 松田まゆみ at 20:31Comments(1)自然・文化雑記帳

2016年03月05日

何度でも再読したいアドラー心理学の書「幸せになる勇気」

 「嫌われる勇気」(岸見一郎・古賀史健著 ダイアモンド社)の続編である「幸せになる勇気」が発売されたのでさっそく購入した。前編の終わりで青年は哲人の説明に納得し、アドラー心理学を受け入れる。そしてアドラーの教えを実行しようと教師になるのだが、ほめもぜず叱りもしない手法を実践しても生徒は荒れるばかり。結局、青年はアドラー心理学など机上の空論にすぎないと息巻いて哲人を論破しようと再訪する。そこでの青年と哲人の対話がこの後編の物語だ。この展開からすでに読者は引き込まれる。

 前編と同様、哲人に真正面から突っ込んでいく青年の大げさな発言にちょっと吹き出しながらも、とても面白く読了した。対談形式でアドラー心理学を説明するというこの2冊の本は、古賀さんの「読ませる」文章が読者を引きつけずにいられない。彼の文才なのだろう。しかし、もちろんそれだけではない。本書を読み進めていくうちに、哲人の語るアドラー心理学は実に奥が深いことが見えてくる。タイトルにある「幸せになる勇気」の結論は実にシンプルで、決断さえすれば誰もが実行できる。ただし、その決断そのものが困難であることも思い知らされることになる。

 一般に続編が出される本では前編より後編の方が魅力に欠けるという印象が私にはあるのだが、本書に関してはどちらも優れたアドラー心理学の解説書だ。前編がアドラー心理学の基本的な部分を分かりやすく解説しているのに対し、後編はより深く具体的に掘り下げていく。そして後編にこそ幸せになるための生き方が明確に示されているといってもいいだろう。また、前編の「嫌われる勇気」というタイトルは、他者に嫌われることを極端に気にしている人、すなわち本来ならこの本を必要としている人が手にとることを躊躇させる響きがあるが、「幸せになる勇気」にはそういう抵抗がないのもいい。「嫌われる勇気」を手にとる勇気がなかった人も「幸せになる勇気」なら抵抗がなく手にとれるだろうし、本書を読み通すことができるなら前編を読みたくなるかもしれない。

 さて、本書のはじめのほうにカウンセリングでつかう三角柱のことが出てくる。三角柱の一面には「悪いのはあの人」と書かれ、もう一つの面には「かわいそうなわたし」と書かれているのだが、誰かと話しをしたり相談ごとを持ちかけるときにこの二つしか語らない人が多いという。

 そう言われてみればたしかにそういう人は多い。たとえばツイッターのタイムラインを見ていてもそうだ。他人の批判、批評、悪口ばかり言っている人は「悪いのはあの人」の話しをしているのであり、自分のことで愚痴をこぼしたり自分は被害者であると主張するひとは「かわいそうなわたし」の話しをしているのだ。

 では、三角柱の残る一面には何と書いてあるのか。そこに書かれているのは「これからどうするか」である。そして「悪いのはあの人」の話しや「かわいそうなわたし」の話しをしていても自分の抱えている問題は何も解決しないと哲人は言う。たしかにその通りだ。自分の抱えている問題を解決するためには「これからどうするか」を考えるしかない。ところが多くのカウンセリングにおいてクライアント(相談者)がカウンセラーに話そうとするのは「悪いのはあの人」と「かわいそうなわたし」なのだという。ここがアドラー心理学に基づくカウンセリングとそうではないカウンセリングの大きな違いだろう。

 もちろんカウンセリングだけではなく、これは私たちの日常生活における会話や考え方においてもきわめて重要なことだ。気に入らない人の悪口を言ったり、政治に対する不満をぶちまけていてもそれだけでは何も解決しない。他者の意見や政治などに関し自分の考えを述べることは必要だと思うが、それだけで問題が解決するわけではない。問題解決のためにはこれからどうしたらいいかを考え行動するしかない。

 教師になって、アドラーの教えを実践しようとした青年は、生徒をほめもせず叱りもしなかった。その結果、教室は荒れ、青年はアドラーの教えが間違いであると考えて叱ったりほめたりする方針に転換した。これに対し、哲人は「あなたは生徒たちと言葉でコミュニケーションすることを煩わしく感じ、手っ取り早く屈服させようとして、叱っている。怒りを武器に、罵倒という名の銃を構え、権威の刃を突きつけて。それは教育者として未熟な、また愚かな態度なのです」(114ページ)と喝破する。

 なぜ怒ったり叱ったりしてはいけないのか。哲人はこう説明する。

 叱責を含む「暴力」は、人間としての未熟さを露呈するコミュニケーションである。このことは、子どもたちも十分に理解しています。叱責を受けたとき、暴力的行為への恐怖とは別に、「この人は未熟な人間なのだ」という洞察が無意識のうちに働きます。
 これは大人たちが思っている以上に大きな問題です。あなたは未熟な人間を「尊敬」することができますか? あるいは暴力的に威嚇してくる相手から、「尊敬」されていることを実感できますか? 怒りや暴力を伴うコミュニケーションには、尊敬が存在しない。それどころか軽蔑を招く。叱責が本質的な改善につながらないことは、自明の理なのです。ここからアドラーは、「怒りとは、人と人を引き離す感情である」と語っています。(116ページ)

 誰もが叱られるという経験を持っていると思うが、叱責されたときの心理を実に的確に説明している。私も小学生のとき率直に疑問に思ったことを口にしたことが担任の教師の怒りを買ったようで、授業中に晒し物のように叱責されたことがあるのだが、それ以来この教師には嫌悪感しか抱かなかった。こういう記憶は決して忘れることができないのだが、あのときの頭ごなしの教師の叱責は私にとって侮辱であり屈辱以外の何物でもなかった。その教師は、勉強ができない児童への罰も平気で行った。別の教師だが、嫌いな給食であっても半分は食べないと教室から出さないという教師がいて、吐きそうな思いをして無理矢理食べされられた。これも罰であり強制である。叱責や罰が信頼関係を崩壊させるのは間違いない。

 哲人は暴力についてこんなことも言っている。「暴力とは、どこまでもコストの低い、安直なコミュニケーション手段なのです。これは道徳的に許されないという以前に、人間としてあまりに未熟な行為だと言わざるをえません」 ネットに溢れる罵詈雑言、誹謗中傷、侮辱、嘲笑、個人情報晒しなどという攻撃は、言葉によるコミュニケーションでは勝ち目がないと思った人が相手を屈服させるための暴力でしかない。しかし、このような幼稚な暴力をむき出しにする人が何と多いことか・・・。

 もう一つの褒賞について、哲人は次のように説明する。

 子どもたちを競争原理のなかに置き、他者と競うことに駆り立てたとき、なにが起こると思いますか? ・・・・・・競争相手とは、すなわち「敵」です。ほどなく子どもたちは、「他者はすべて敵なのだ」「人々はわたしを陥れようと機会を窺う、油断ならない存在なのだ」というライフスタイルを身につけていくでしょう。(137ページ)

 こちらの記事 にも書いたが、娘の通っていた小学校のある教師はまさに賞罰教育を方針としていた。その教師は地方の小規模校での勤務を希望し教頭や校長への昇進も目指さなかった。一部の児童や親の間では「名物教師」として慕われていたらしい。私はこうした噂から当初は子どもたちの主体性を重んじる教師なのだろうとばかり思った。しかし、実際に目の当たりにした教育方針は私には理解しがたいものだった。

 その一つが子ども達の絵画、作文、詩、書道などの作品をことあるごとにコンクールに応募しては入賞を目指すというやり方だった。数打ちゃ当たる、とばかり手当たり次第に応募していたようだった。入賞すれば自信がついてやる気が起きるというのだ。やる気を起こすことが目的?! しかも子どもたちが自発的に応募するわけではない。なんと不純な目的だろう・・・私は直感でおかしいと思った。

 もう一つは、体育の競技でタイムを計って順位づけするという手法。授業中に競技大会で良い成績をとるための訓練をしていたのだ。しかも学内の競技会では上位の子にトロフィーを渡す。1位が最も大きなトロフィーで、順位が下がるに従って小さくなる。まさに褒賞と競争の教育が信念だった。さらに、無謀とも思える学校行事の企画があったのだが、そうした行事はどうみても児童の立場にたって考えたというのではなく教師の思いや野望による企画にしか見えなかった。 そうした行事の目的は「達成感を得ること」だと説明されたが、これもコンクールへの応募と同じ匂いを感じた。私は保護者会やPTAで何度となく意見を述べたが、教師からは反論もしくはスルーされたし、一部の親からは敵対視された。競争教育に抵抗がない親が多いことにも驚いた。

 小さな子どもにとって学校という閉鎖空間での支配的な教師の存在は絶大である。そのような教師にたてついたところで罰を与えられるだけだろう。かといって教師との関係をうまく築くことができなければ居場所を失うに等しく、不満を抱いても我慢して言いなりになるほかない。教師のやり方がおかしいと感じた子どもは葛藤を抱え、教師も学校も嫌いになるに違いない。もちろん信頼関係も結べない。思えば、私の子ども時代もそうだった。

 子どもがライフスタイルを決定すると言われる小学校の低学年の時期にこのような競争教育にさらされたなら、子どもたちは簡単に「他者は敵」というライフスタイルを身につけてしまうだろう。実際、何事につけても「勝った!」「負けた!」と競争で考える子どもたちが複数いた。哲人は、子ども達が最初に「交友」を学び、共同体感覚を掘り起こしていく場所は学校だと指摘するが、その学校で賞罰教育や競争教育が行われていたなら、共同体感覚が育つとは思えない。

 この学校に限らず、子ども達に賞罰を与え、競争に追い込んでいる学校は普通だと思う。そう思うとき、日本の子ども達の置かれた環境は実に苛酷だと思わざるを得ない。いじめがいつまでもなくならないのも、こうした環境と無関係ではないだろう。

 本書のクライマックスは、何といっても最後に語られる「愛」についてだ。そして、この本のテーマでもある「幸せになる勇気」もそこに集約される。ここで自立の話しが出てくるのだが、自立は自己中心性からの脱却だという主張はもっともだ。そして哲人は自己中心性からの脱却に必要なのが愛だと説く。さらに愛が共同体感覚にたどりつき、ひいては人類全体にまで影響を及ぼすというのがアドラーの考え方だ。クライマックスである愛についての具体的説明は本書に譲るが、一つだけ気になったことを書きとめておきたい。

 哲人はアドラーの語る愛について「彼が一貫して説き続けたのは能動的な愛の技術、すなわち『他者を愛する技術』だったのです」と言う(231ページ)。私はこの「愛の技術」という言葉にはどうしても違和感を覚えてしまう。

 私がこれまで知り合った人たちの中には、ごく少数ではあるがアドラー心理学を学んでもいないのにアドラーの思想を自然に実践しているように思える人もいる。マザー・テレサなども恐らくそうなのだろう。彼ら、彼女らはアドラーのように他者の心理を探り研究した末にそういう生き方を選択してきたとは思えないし、愛する技術を習得した結果他者を愛せるようになったということでもたぶんない。

 それについては私はこう思う。つまり、無意識にアドラー心理学を実践している人たちはおそらく自分の良心に誠実に行動しているのではないかと。自分がやられたら嫌だと思うことは他人にはやってはならないということは子どもでも理解できるし、ごく自然な心理だろう。こういう感覚が良心だと私は思う。ところがこれを頭では理解していても実践しようとせず、仕返しを企てる人がいる。良心よりも利己性が先に立ち、報復によって相手を征服しようとするのだ。子どもの頃のままの自己中で幼稚なライフスタイルから抜け出せないのだろう。しかし、このような人の中にも間違いなく良心はあると私は考える。

 だから、「相手を屈服させたい」と思ってしまう人は、いまいちど自分の良心に問いかけ良心に誠実に生きようと決断することでアドラーの教えを実践できるのではなかろうか。「愛は技術」と考えるより、良心を尊重できるか否かという心の問題だと捉えるほうが理解しやすいように思う。もちろん、長年つかいつづけた利己的なライフスタイルを捨てて良心に問いかけるという決断をすることが困難であることは言うまでもないが。

 私は日頃、いわゆるベストセラーになる本はあまり読まない。新聞に大きな広告が出ている本などは、それだけで買う気が失せることもしばしばだ。しかし、「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」は一人でも多くの人が手に取り、何度でも読み返して理解する努力をし、まわりの人に広めてほしいと思う本である。なぜなら、アドラー心理学は人間のもっとも根源的なことを問うていると共に、平和の実現にもつながると思うからだ。アドラーは、「いかにすれば戦争を食い止められるか」を考えた人なのだという。アドラー心理学を理解し広めることは民主的で平和な社会の構築へとつながるにちがいない。

【関連記事】
アドラー心理学を凝縮した「嫌われる勇気」-その1
アドラー心理学を凝縮した「嫌われる勇気」-その2
アドラー心理学を凝縮した「嫌われる勇気」-その3
アドラー心理学をめぐる論争とヒューマン・ギルドへの疑問
  


Posted by 松田まゆみ at 11:02Comments(4)教育雑記帳

2016年03月03日

洗濯機のカビとりは酸素系漂白剤で

 全自動洗濯機のドラムの裏側にはどうしても黒カビがついてしまう。私は今まで市販の洗濯槽用のカビとり剤を使っていたのだけれど、どうもカビがちゃんと落ちていない気がしてならなかった。というのは、カビとり剤を使ったあとで洗濯をしてもカビの破片が洗濯物に付着するのだ。そこで前回は2袋、つまり2回分を投入してみたが、やはりその後も洗濯をするとカビの破片が出てくる。どう考えても、きちんと取れていない。

 切りぬいておかなかったのだが、以前、新聞に酸素系漂白剤で黒カビが取れると書いてあったことを思い出した。そこでインターネットで調べてみると、水10リットルあたりおよそ100グラムの酸素系漂白剤(粉末)を使うと良いらしいことが分かった。わが家の洗濯機だと500~600グラムもの酸素系漂白剤を入れることになる。これはかなりの量だ。市販のカビ取り剤の主成分も酸素系漂白剤なのに使用量がまったく違う。こんなに必要なら、市販のカビとり剤できれいに取れないのも納得がいく。

 そこで、さっそくカビとりを実施してみた。朝、風呂の残り湯を洗濯槽にある程度入れ、それにお湯を足して50度くらいのお湯を高水位まで張る。そこに酸素系漂白剤を600グラムほど投入して5分ほど洗濯槽を回して撹拌する。この段階で黒いカビがどっとでてきて、まず目を丸くした。

 出てきたカビを湯垢すくい(私は手製のものを使ったが、百均でも売っている)ですくいとり、再び撹拌。これを黒カビがほとんど出てこなくなるまで時間をおいて何回か繰り返す。その間にもお湯がどんどん黒っぽくなっていく。私の場合は夕方まで何回か繰り返した。その後、水を抜いてから再び水を溜めて撹拌する。

 このときにも大量のカビが出てきて、ほんとうに驚いてしまった。いったい今までの市販のカビ取り剤は何だったのかと唖然とした。再び湯垢すくいでカビをすくっては撹拌するという作業を何回か繰り返し、最後に洗濯コースを一回運転して終了。

 このカビとり作業で出てきたカビの量から考えるなら、洗濯槽の裏側にはたぶんびっしりとカビが貼りついていたのだろう。かなりぞっとした。

 そのあと洗濯をしたときには、黒カビの破片はほとんど出てこなかった。たぶんきれいに取れたのだと思う。

 ということで、洗濯槽のカビとりは「酸素系漂白剤を水10リットルあたり100グラム」の方が市販のカビ取り剤よりよほど効果的で安価であることが分かった。お試しあれ。
  
タグ :洗濯機カビ


Posted by 松田まゆみ at 15:29Comments(4)雑記帳

2016年02月29日

十二社と熊野神社の思い出

 子どもの頃住んでいた新宿の十二社(じゅうにそう)と熊野神社には2013年に訪れているのだが、先日東京に行ったときに再び足を延ばしてみた。十二社に住んでいたのは4歳くらいから小学校4年生の夏休み前までだから、7年ほどの間でしかない。でも、東京にくるとなぜか足が向いてしまう。昔のことを懐かしく思うのはおそらく歳をとり郷愁が湧いてくるといいうこともあるのだろうが、はるか昔のこととなった自分のおぼろげな記憶の中の風景と今の変容ぶりを確かめたいのかもしれない。

 あの頃の面影が残っているのは3年とちょっと通った淀橋第六小学校、小学校の近くの児童公園、住宅街の中の狭い通り、そして熊野神社くらいだろうか。当時からそのままの建物はほとんどなく、皆、あたらしい住宅やマンションに建て替えられ50余年の歳月は景色を一変させている。当たり前といえば当たり前なのだが、やはりどこかに昔の面影を探してしまう。

 今回は1年間通った幼稚園のあった場所にも足を延ばしてみた。幼稚園がなくなっていることは知っていたが、かつて幼稚園のあった敷地は集合住宅になり、記憶の世界とはまったく違った光景が何事もなかったかのように空間を占領している。

 考えてみれば、数歳の子どもの行動範囲はなんと狭かったのだろう。地図を片手に一人で出歩いた行動圏を目で追うと、東は十二社通りを渡ったところにある熊野神社までだった。南は甲州街道、西は山手通り、北は方南通りに囲まれた、住んでいたアパートから大人の足なら片道5分程度のところが当時の私の行動圏だったことを改めて思い知った。ちょうど、こちらのブログの地図の範囲が私の行動圏とほぼ重なっている。時期も私が住んでいたときと重なる。

 もちろんそれより外側に出かけたこともあるが、そういうときはたいてい友だちと一緒だった。そういえばよく母と一緒に買い物に出かけた商店街はどこだったのだろうか? 現在の地図を見てもどこだったのか見当もつかないが、たしか方南通りを渡った先の路地だったと思う。

 あの頃はよくアパートの庭で虫とりをして遊んだ。もちろんアゲハチョウやキタテハ、シオカラトンボなどどこにでもいる普通種ばかりだったが、ときどき見かけるアオスジアゲハは別格の存在だった。黒い翅の中央にエメラルド色のグラデーションの帯が走る素晴らしく魅惑的なこのチョウがこんな都会の片隅にいることだけでも心がわくわくしたし、動きがすばやくて子どもには捕まえるのが難しいチョウだった。ときどき舞いこんでくる金属光沢に輝くタマムシにも心をときめかせたし、カマキリなども恐る恐る捕まえては遊んだものだ。夏の夕方にはどこに棲んでいるのかアブラコウモリがひらひらと舞っていた。コンクリートの冷たい建物が増えた今、はたしてどれほどの生き物が生きのこっているのだろう。

 行動圏の東の端にある熊野神社は一番変わっていない場所かもしれない。それでもあの頃とはだいぶ変わってしまったとどことなしに感じる。おそらく建物が改修されたり整地されるなどして少しずつ変化してきたのだろう。観光客の姿が見られるのもあの頃とは違う光景だ。

 熊野神社といえばやはり夏祭りの縁日が思い出される。今はどうなのか分からないが、あの頃は十二社通りから境内一杯に屋台がびっしり並び、それはそれは賑わっていた。お面、綿あめ、べっこう飴、カルメ焼き、得体の知れないジュースなどを売る屋台、金魚すくい、ヨーヨーつり、輪投げ、射撃などが所せましと並んでいた。今、境内を見回すと、この狭い場所にどうしてあれほどの屋台があったのだろうと思うくらいの広さしかない。視線の低い子どものことだから広く感じたのかもしれないが、なんだか拍子抜けするほど狭い。







 熊野神社では梅がほころび始めていた。社務所にパンフレットが置いてあるのに気付いて手にしてみると、この界隈の歴史のことが書かれている(http://12so-kumanojinja.jp/page-01.html)。十二社の池のことも書かれているが、私が住んでいたころにもまだこの池は健在だった。ただし、有刺鉄線に囲まれて道路から緑色にどんよりと濁った池が垣間見えただけで、近寄りがたい不気味な池という印象しかなかった。だからこの池がかつて景勝地で料亭や茶屋があり、ボートや花火大会で賑わったなどということが書かれていて驚いた。神社の近くには滝もあったという。

 この池は昭和43年に埋め立てられたそうだが、以下のサイトにはかつての十二社池の写真や絵が掲載されている。

http://ameblo.jp/sasabari/entry-11528230700.html
http://blogs.yahoo.co.jp/shinjyukunoyamachan/2846.html

 昔の絵や写真を見ていて思い出したのだが、私が子どもの頃は十二社のごく一部に自然のままの地形が僅かに残っていた記憶がある(もちろん現在はきれいさっぱりなくなっている)。十二社あたりの古地図(明治13年測量、24年修正)を掲載しているサイト(http://collegio.jp/?p=86)があるのだが、今の西新宿一帯は角筈(つのはず)村で、どうやら畑や竹林、雑木林などが広がっていたらしい。もちろん十二社の池も描かれている。明治時代に角筈村に住んでいた人たちが今の光景を目にしたら、腰が抜けるほど驚くに違いない。古地図を見ていると、住宅とビルで埋め尽くされた今の西新宿の変貌に呆然とするばかりだ。

 十二社や角筈という地名は私が子どもの頃も使われていたが、なぜ西新宿などというつまらない地名に変えてしまったのだろう。地形や景色は変わっても、せめて地名くらいは残しておけないものだろうか。そんなことを思いながら熊野神社を後にした。

  


Posted by 松田まゆみ at 21:17Comments(0)自然・文化雑記帳

2015年12月26日

クリスマスディナー

 クリスチャンでもないし、子どもたちが家を出ていってからはクリスマスといっても御馳走やケーキも作らずにいたのだが、今年は久しぶりにクリスマスの日に家族全員が集まったこともあり、料理好きの娘がクリスマスディナーを手作りしてくれた。




 メニューは、写真手前から
・トマトのマリネ
・鶏もも肉のギュロス
・ミートボールとペンネのグラタン
・チーズ盛り合わせ
・アボガドとスモークサーモンの押しずし
・生ハムと卵のカナッペ
・レタスとベビーリーフのサラダ

 そしてデザートにキウイフルーツのケーキ




 私がつくったのはケーキだけ。

 僻地に住んでいると、近くに外食できるような店も出前をしてくれるような店もないし、スーパーはもとよりコンビニもない。だから食生活も手作りが基本。もちろん外食よりもぐっと経済的で健康的。

 クリスマスが終わったら、こんどは大掃除やおせち料理づくりが待っている。
  

Posted by 松田まゆみ at 15:24Comments(0)雑記帳

2015年11月28日

11月の大雪と冬の木々の光景

 今年はいったいどうしたのだろうか?と思うくらい、11月に入ってから何度も雪が降った。朝起きて窓から外を見ると真っ白、という日が何回あっただろうか。真っ白の雪が地面を覆うと、ああ今年もまた長い冬の到来だとちょっと観念するのだが、今年はそんな冬の到来がいつになく早い。

 ただし、いつもなら11月に雪かきが必要なほど雪が積もることはほとんどない。本格的な積雪はたいてい12月に入ってからだ。ところが今年はどうしたことか、つい先日30センチほど雪が積もり、昨日もまた30センチほど積もった。まだ11月だというのにすっかり真冬の景色だ。

 葉を落とした落葉樹はなんとも寂しげだが、ひとたび雪を戴くといっぺんに明るく清々しい姿になる。天に向かって伸びる枝々の繊細な造形がもっとも美しく映えるのは、やはり雪を戴いたときだろう。といっても、こうした光景を楽しめるのは、降り積もった雪が風で飛ばされたり、かすかな陽射しに暖められて溶け落ちるまでのひとときなのだが。




 落葉樹の枝が天に向かって広がっているのとは対照的に、針葉樹は濃い深緑の葉の上にこんもりと雪を戴く。針葉樹に積もった雪は面的に広がり枝を押し下げる。




 夏の木々は生命の輝きが溢れていて躍動感があるが、雪と氷に閉ざされた季節の木々は、厳しい冬をじっと耐えるがゆえの凛とした美しさがある。



 雪が降り積もった木々の光景を見ていると、私はなぜか幼い日の霧ヶ峰を思い出す。霧ヶ峰の強清水には父の会社の宿泊施設があり、家族でスキーに行った。強清水のあっというまに滑り降りてしまう猫の額のようなスキー場は今も健在だ。リフトが1基だけのその小さなスキー場の一角で橇遊びをしたり、転ぶとすぐに流されてしまう子ども用のつっかけ式のスキーで遊んだ記憶がある。長靴を通して伝わる雪の冷たさに半べそをかいた記憶もおぼろげながら蘇ってくる。

 あの宿の前には雪をいただいた木々が並んで木立となっていた。何の木なのか今となっては分からないが、大半は針葉樹だったと思う。カラの仲間だったろうか、ときおり小鳥のやってくるだけのモノトーンの世界、どこまでも静かな音のない世界。ほかに見るものもなく、窓からの冬の木々を飽きもせず見ていた。冬の山とはこんなにも静かなのかと子ども心に思ったものだ。雪をかぶった森林などいくらでも見ているのだけれど、考えてみたら、私が雪を戴いた針葉樹の光景をはじめて目にしたのは霧ヶ峰だったのだろう。だから、あの光景が忘れられないのかもしれない。
  

Posted by 松田まゆみ at 14:25Comments(2)自然・文化雑記帳

2015年10月12日

コンフォートシューズとMBTシューズ

 北海道に来てからというもの、日常的に履く靴といえばスニーカーや長靴ばかりになってしまった。そんなことが関係しているのだと思うのだが、最近はたまにパンプスを履くとすぐに足が痛くなって酷い目に合うようになった。いくらパンプスを履く機会が少ないとはいえ、これでは困ってしまう。

 そこで、思いきってコンフォートシューズを購入した。購入する際にはフットプリントをとったり、足の計測をしたり、骨盤測定(腰の歪みのチェック)をしたりする。私の場合、骨盤測定で若干の歪みがあり偏平足に近いため、足底板(インソール)もつくり幅も補正してもらった。

 で、できあがってきた靴を履くと実に歩きやすい。これなら何時間でも歩けそうだ。これまでどれほど足に合わない靴を履いていたのかと驚いてしまう。考えてみたら、足の形は人によって随分違う。それなのに市販の靴はおそらく日本人の標準的な足型に合わせてつくられていてワンパターンなのだろう。しかも、デザイン性ばかり重視して先端が細いパンプスは、本来の足の形ではない。むりやり靴に足を合わせることになるのだから、足が痛くなって当然だ。

 コンフォートシューズはたしかに見た目はあまりスマートではない。それでも、安定感のある履き心地の良さは見た目には代えがたい。一度、コンフォートシューズを履いてしまったら、履き心地の悪い市販の靴は履けなくなってしまいそうだ。



 ところで、私は少し前まで腰痛に悩まされていた。庭仕事などで長時間かがんで作業したときはもちろんのこと、登山などで長時間歩いた時も腰痛に襲われるようになった。ところが、最近、その腰痛が非常に軽減されていることに気がついた。

 以前の「背筋が伸びるMBTシューズ」という記事を書いたが、2年ほど前にMBTシューズを購入し、室内履きにしている。それ以来、猫背が改善されて姿勢が良くなってきたのだが、たぶん姿勢が良くなったことで腰痛も改善されたのだろう。

 それが事実なら、姿勢というのは非常に大事なことだ。しかし、姿勢が悪いというのは自分ではなかなか気づかないものだし、一度姿勢が悪くなってしまうと正しい姿勢がどういう状態なのかもピンとこなくなってしまう。そして、そのまま放置してしまうと姿勢が悪いのが常態化し、改善するのも困難になってしまうのではないかと思う。少なくとも私にとってはMBTの購入は非常に良かったと思っている。

 コンフォートシューズにしてもMBTシューズにしてもかなり値段が張るので購入にはちょっと決断がいるが、健康のことを考えたならそれほど高いとはいえないと思う。
     


Posted by 松田まゆみ at 16:04Comments(0)雑記帳

2015年07月21日

原始が原 五反沼探訪記

 7月17日、一度は行ってみたいと思いつつもそのままになっていた原始が原に行ってきた。

 原始が原は富良野岳の登山コースの途中にある広大な湿原だ。富良野岳に登る登山道はニングルの森の登山口から原始が原を経由するコースと十勝岳温泉から登るコースがあるのだが、前者は後者より長いため登山者はそれほど多くはないようだ。ニングルの森登山口から原始が原へは林間コースと滝コースがあるのだが、現在は滝コースは閉鎖されていて通れない。

 17日は朝から快晴で、さわやかな登山日和だ。いつものことだが、野鳥を見たりクモの姿を探したりしながらのんびりと登った。途中、「天使の泉」と名付けられた水場がある。登山道の脇に伏流水が顔を覗かせているのだ。冷たい水がお腹までしみとおる。


 沢を渡って急な斜面を登り切ると視界がいっきに開け、台地になった原始が原の湿原に出る。原始が原は高層湿原だが、池塘はとても少なく、大小さまざまな鏡のような池塘が点在する「沼の平」や「沼の原」とは雰囲気がだいぶ違う。一見、草原にアカエゾマツの矮性木が点在するシンプルな光景だが、やはり湿原だけあって足元から水がしみ出てくる。


 湿原の入口で富良野岳に登るコースと原始が原の一番奥にある五反沼に行くコースに分かれる。ここで登山靴から長靴にはきかえ、湿原の奥を目指した。原始が原は大雪山国立公園の中でもかなり広い湿原で、東端にある五反沼までは2.8kmほどある。せっかくなので五反沼を目指すことにした。ただし、湿原がずっと広がっているわけではなく、森林帯が何本か横切っている。

 湿原にはワタスゲやモウセンゴケが見られるが、色とりどりの花が咲き乱れるような湿原ではない。しかし、前富良野岳、富良野岳、上富良野岳などの山々と明るい緑の湿原の織りなす光景は、格別な趣がある。松浦武四郎もここを通って十勝に抜けたという。


 五反沼コースはかつては整備されていて道もはっきりとついていたらしい。今も「五反沼コース」の看板はあるものの、道はかすかに踏み跡がある程度だ。ところどころに目印となるピンクのテープが付けられているので、それを頼りに沼を目指すことにした。しかし、歩き始めて程なくして樹林帯にさしかかると、背丈を越すチシマザサの藪が道を塞いている。目印のピンクテープもササに隠れて見えない始末だ。途中で踏み跡もほとんど分からなくなり、藪こぎで進むしかなくなった。この初めの樹林帯の藪こぎが一番長いことが後から分かった。


 藪をこいでまた湿原に出ると、ふたたびピンクテープが見つかった。しかし湿原を少し歩くと再び樹林帯の藪こぎに突入する。二つ目の藪こぎから脱出して湿原を横切ると、また藪こぎが待ち受けている。樹林帯の中はササ刈りが行われておらず、どこも廃道同然になっている。ときどきGPSの地図でコースを確認しないと方向を誤りかねない。さすがに三つめの藪こぎあたりで嫌になってきた。地図に目を落とすとまだまだ先が長いのだ。

 しかし、せっかくここまで来たのだからと気を取り直し、もう少し先まで進んでみることにした。幸いなことに、そのあとの樹林帯は幅が狭く、それほど難儀せずに通過できた。湿原から流れ出る布部川を渡りさらに湿原を行くのだが、ここまでくるともうピンクテープも見当たらない。南側のトウヤウスベ山からナキウサギの声が聞こえる。足元にはトキソウやミヤマリンドウの花も控えめに咲いている。




 こんな廃道状態では沼まで行く人はもういないのかと思いきや、良く見ると泥地にまだ新しい踏み跡がある。つい最近、あの藪をこいで来ている人がいることに驚くやら安心するやら・・・。

 最後の樹林帯を抜け、広い湿原をつっきると五反沼は目と鼻の先だ。「ああ、やっとたどり着いた」と安堵感がひろがったところで、なんと目の前に三途の川のごとく水路が立ちはだかった。その向こうに五反沼の看板が見える。何ということか!


 三途の川は飛び越えられるほど狭くはない。底に杖をつきたててみると、水深はけっこう深くしかも底は軟らかい。ここで帰るしかないのかと諦めかけたが、五反沼のほとりに看板がある以上、行けるはずだ。水路左手に沿って渡れそうなところを探し、川底が硬く水深もそれほど深くないところを見つけた。

 原始が原は池塘の少ない湿原だが、五反沼のあたりは池塘が広がっている。かつては湿原全体に池塘が点在していたのかもしれない。ところどころに「やちまなこ」のような窪みがあるので要注意だ。


 ようやくたどり着いた湿原最奥の五反沼は、それはそれは静かにひっそりと佇んでいた。踏み跡すらなく我々(といっても二人)のほか誰もいない湿原はまさに秘境そのものだ。人工的なものといえば、「五反沼」と書かれた看板しかない。再びここを訪れることはたぶんもうないだろう。原始の光景を脳裏に焼き付けて沼を後にした。





*この記事を読んで五反沼に行きたいと思う人がいるかもしれないが、樹林帯で方向を見失う可能性がある。藪こぎの覚悟と長靴、地図表示のできるGPSなどの十分な装備が必要だ。安易な気持ちでの探訪は危険であることを記しておく。
  


Posted by 松田まゆみ at 13:54Comments(0)雑記帳

2015年07月20日

優しさとは何か

 イワシさんの「ぼくには優しさが欠けていた」という記事を読んで、優しさとは何なのだろうかといろいろ考えさせられた。イワシさんは、7月15日の裁判をレポートしたあと、黒木さんからフォローを外されたそうだ。自分の報告が彼女を傷つけてしまった以上、自分は加害者であり応援者とは言えないと彼は言う。

 私はイワシさんのツイートも裁判関係の記事もほとんど目を通している。彼はとても気配りができる優しい男性だ。黒木さんに対しても彼女を傷つけまいと言葉を選んでいるのが感じられる。それに対して、私の方がずっとストレートに自分の意見を言うことで彼女を傷つけていると思う。

 実は私も少し前から黒木さんにフォローを外されている。いつ頃外されたのかはっきり記憶にないが、7月に入ってからだと思う。私は、こちらの記事で彼女が裁判の争点や立証責任について勘違いをしているとはっきりと書いてしまった。もちろん黒木さんは自分が勘違いをしているなどとは思っておらず、自分の納得いくやり方で臨んでいるだけだ。

 ただ、彼女の勘違い(または錯誤)は客観的事実だし、本人尋問になればさらにそれがはっきりすることは分かっていた。

 たとえ事実であっても、勘違いのことをはっきり書いてしまえば彼女に不快な思いをさせるのは避けられない。たぶん彼女を傷つけてしまうことになるだろう。それに、「あちら側の人たち」(黒木さんや彼女を応援している人たちの誹謗中傷をしている人たち)が黒木さんを揶揄するネタにするに違いない。彼女にとっていいことなど一つもない。だから、勘違いと書くことに躊躇がなかったわけではない。

 私はとても重大な告発を堂々としてきた彼女を批判する気はない。でも彼女はたとえ事実の指摘であっても批判と受け止めるだろう。だからちょっと逡巡はしたけれど、この問題に関心を持ち追いかけてきた以上、やはり客観的事実や自分の感じたことをそのまま書くしかないと思った。勘違いのことを書かないと、弁護士もつけず応援者からの援助も断って一人で闘うという行動がすんなりと理解できないからだ。

 優しさとは何なのか・・・。たぶんその答えは人によって違うのだろう。相手を傷つけないという気配りだと考える人もいるだろう。しかし、相手が気分を害することが予想できたとして、はたして本当の気持ちを隠して寄りそうことが本当の優しさなのだろうか・・・。相手には厳しいことであっても、事実をありのまま書くことが必要なこともあるのではないか・・・。それは単なる言い訳にすぎないのだろうか?

 ちょっと脱線するが、私はそもそも自分のツイッターフォロワー数にそれほど関心がない。知らないうちに増えたり減ったりしている。フォローしてもらうことを期待してフォローするわけでもないし、フォローされたからといってフォロー返しをするという習慣も持ち合わせていない。自分がフォローしたいと思ったアカウントをフォローしているだけだし、それもかなり気まぐれだ。まして、フォローを外されたりブロックされることを恐れて、自分の本当の気持ちを封じてしまうなどということは私には考えられない。それは自分に嘘をつくことに他ならないから。

 誹謗中傷や粘着、人格攻撃はもちろんのこと、相手を見下したり貶めたり執拗に自分の意見を押しつけるのはマナー違反だと思っている。このような方はフォローを外したりブロックすることはある。とりわけ意図して情報操作や嫌がらせをしているいわゆる工作員のような人たちは、いい加減な情報を流して錯誤させたり挑発して疲弊させたりするのが目的だから、ブロックに限ると思っている。

 ただ、私は自分の考えと違う意見だからとか、批判されたからといってブロックすることは基本的にはしない。互いにフォローしている人であっても、意見が違うことがあるなんて当たり前のことだ。そして意見が違うことに関して批判するのも言論の自由の範疇だろう。ただ、批判をしたなら相手が気分を害するのは必至だ。人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じることを批判という(コトバンク参照)。自分は正しく他人は間違いだと評価を下すのだから、相手が気分を害するのは当然だ。

 優しさとは何かということに話しを戻そう。たしかに他人を傷つけてしまような言動は優しいとは思えない。人を傷つけないことに越したことはない。しかし、だからといって社会的なことや政治的なことについて黙っているのがいいわけはない。個人個人が主体性をもち、意見表明をするというのは民主的な社会の構築のために不可欠だ。しかし、批判をしてしまうと相手は感情的になり人間関係はぎくしゃくしてしまう。

 はたして人は誰も傷つけず、しかも自分に嘘をつかずに意志表明することができるものなのだろうか? これは限りなく困難なことに思える。

 それでも、できる限り他者を傷つけず優しくありたいと思うなら、相手を悪く評価したり、指図するような押しつけがましいことはせず、単に事実を指摘したり自分の意見を書くよう心がけるしかないのではなかろうか。相手の考えを尊重した上で、事実の指摘や意見表明に留めるよう気をつけていれば、相手が感情的になるのを抑えることができると思う。

 もっともそう努めていても相手が批判と受け止めて腹を立ててしまったのなら、それは相手の受け止め方(内面)の問題でしかないだろう。

 たとえば、(意見の違いではなく)明確な事実誤認を指摘したときの反応は人さまざまだ。誤りの指摘に感謝して訂正するというのが常識的な対応だと思う。ところが自分が馬鹿にされたと思う人、自分の過ちを認めたくない人は不快になって腹を立てる。プライドの高い人ほどこういう傾向にある。極端な人は、そのことを根に持って相手の個人情報を晒したり、事実無根のネガキャンをするなどの報復に出ることすらある。また、相手が事実誤認であるという認識を持たず自分は正しいと確信していれば、やはり間違いという指摘は不快だろうし場合によっては反発心を抱くだろう。

 誤りの指摘をありがたいと思うか不快と思うかは、受け止める側の意識の問題だ。黒木さんは恐らく自分が錯誤しているとは考えていない。だから、私が勘違いと書いたことで傷ついてしまったのは無理もない。この点において完全に平行線になってしまった。でも、裁判をどう闘うかは当事者である彼女が決めることだから、彼女が正しいと確信している闘いをすることに対し、誰も彼女を批判する権利はない。

 そして、ムラ社会の同調圧力にも屈せず、スラグの埋め立て問題にたった一人で疑問を投げかけ抗議しつづけた彼女の行動は評価されることだし大きな意味がある。たとえ抗議行動に行き過ぎたところがあったとしても、彼女の告発は決して間違っていない。「黒木睦子さんの本人尋問で見えてきたこと」に書いた通り、私はこの裁判はスラップであり実質的には黒木さんの勝ちだと思っている。

 それと最後にもう一つだけ言っておきたい。今回のことで「あちら側の人たち」は、恐らく相変わらず私への誹謗中傷をしているのだろう(ブロックしているから見てはいないが)。私はあなたたちが何を言おうと、発言を止めるつもりはない。あなたたちの意図はもう丸見えだ。目的が分かってしまえば、何を言われても腹は立たない。そして、あなたたちの言動はあなたたち自身の内面を映す鏡であると思っている。
  

Posted by 松田まゆみ at 15:25Comments(0)雑記帳

2015年07月13日

久々の登山で緑岳へ

 11日に久しぶりに大雪山系の緑岳に登った。ここ数年、いろいろあって山から遠ざかっていたので、はて、何年ぶりの登山だろう。私は頻繁に登山をするほどの山好きではない。体力もないし健脚とは程遠いから、ゆっくりしか歩けない。それでも、たまには天井の楽園を覗いてみたくなる。

 東京に住んでいた若い頃は、週末に思い立って一人で山に行ったことが何回かあった。山行を思い立つと金曜日の夕方に食料などを買い込み、帰りの電車の中で行き先を考える。両親がしょっちゅう山に行っていたので家にはガイドブックや地図はいろいろあった。家に帰って夕食と身支度を済ませてから新宿駅に向かい、夜行列車で山に向かうというのがお決まりのパターンだった。

 ときどき山の自然に身を置くことで心身をリフレッシュするというのが最大の目的ではあったのだけれど、山の自然にはそれだけの力があると思っている。高山帯という極限の環境の中で生きている植物の姿は決して無駄がなく、限りなく清々しい。風雪に耐えた高山植物たちは一斉に花を開いて短い夏を謳歌し、無機質な砂礫地にすら可憐な彩りを添える。そんな景色を見るだけで心が洗われ、日常の人間関係でのごたごたが些細なことに思える。人は、ときどきこんな気持ちになることが必要なのではないかと思う。

 緑岳(標高2019m)の登山口は高原温泉(標高1260m)にある。登山口のすぐ近くに泥火山(泥水噴出口)がある。泥水が音をたてて煮えたぎるこの噴出口は、規模は小さいながら地球の鼓動が伝わってくるようだ。


 その周囲に固有種ダイセツヒナオトギリが花をつけていた。


 急な斜面を登り切って第一花畑に出ると、目の前に緑岳の姿が現れる。花畑にはチングルマが咲き誇っていたが、ツガザクラなどはまだこれからだ。


 こちらは、ミヤマリンドウとヨツバシオガマ。


 第一花畑、第二花畑を抜けハイマツの茂る道を過ぎると、目の前に山頂への大斜面が現れる。写真で見ると傾斜が分からないが、けっこう急な登りだ。


 山頂からは白雲岳、旭岳、高根が原が見渡せる。そして遠くにトムラウシ山。写真は旭岳。


 山頂のイワウメ。イワウメは、米粒ほどの小さな葉には不釣り合いの大きな花をつける。


 こちらはミヤマキンバイ。


 同じく、山頂のイワヒゲ。釣鐘状の花が愛らしい。



 こんな景色が待ち受けているから、文句なしに山はいい。
  
タグ :緑岳大雪山


Posted by 松田まゆみ at 21:15Comments(0)雑記帳