さぽろぐ

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2016年02月29日

十二社と熊野神社の思い出

 子どもの頃住んでいた新宿の十二社(じゅうにそう)と熊野神社には2013年に訪れているのだが、先日東京に行ったときに再び足を延ばしてみた。十二社に住んでいたのは4歳くらいから小学校4年生の夏休み前までだから、7年ほどの間でしかない。でも、東京にくるとなぜか足が向いてしまう。昔のことを懐かしく思うのはおそらく歳をとり郷愁が湧いてくるといいうこともあるのだろうが、はるか昔のこととなった自分のおぼろげな記憶の中の風景と今の変容ぶりを確かめたいのかもしれない。

 あの頃の面影が残っているのは3年とちょっと通った淀橋第六小学校、小学校の近くの児童公園、住宅街の中の狭い通り、そして熊野神社くらいだろうか。当時からそのままの建物はほとんどなく、皆、あたらしい住宅やマンションに建て替えられ50余年の歳月は景色を一変させている。当たり前といえば当たり前なのだが、やはりどこかに昔の面影を探してしまう。

 今回は1年間通った幼稚園のあった場所にも足を延ばしてみた。幼稚園がなくなっていることは知っていたが、かつて幼稚園のあった敷地は集合住宅になり、記憶の世界とはまったく違った光景が何事もなかったかのように空間を占領している。

 考えてみれば、数歳の子どもの行動範囲はなんと狭かったのだろう。地図を片手に一人で出歩いた行動圏を目で追うと、東は十二社通りを渡ったところにある熊野神社までだった。南は甲州街道、西は山手通り、北は方南通りに囲まれた、住んでいたアパートから大人の足なら片道5分程度のところが当時の私の行動圏だったことを改めて思い知った。ちょうど、こちらのブログの地図の範囲が私の行動圏とほぼ重なっている。時期も私が住んでいたときと重なる。

 もちろんそれより外側に出かけたこともあるが、そういうときはたいてい友だちと一緒だった。そういえばよく母と一緒に買い物に出かけた商店街はどこだったのだろうか? 現在の地図を見てもどこだったのか見当もつかないが、たしか方南通りを渡った先の路地だったと思う。

 あの頃はよくアパートの庭で虫とりをして遊んだ。もちろんアゲハチョウやキタテハ、シオカラトンボなどどこにでもいる普通種ばかりだったが、ときどき見かけるアオスジアゲハは別格の存在だった。黒い翅の中央にエメラルド色のグラデーションの帯が走る素晴らしく魅惑的なこのチョウがこんな都会の片隅にいることだけでも心がわくわくしたし、動きがすばやくて子どもには捕まえるのが難しいチョウだった。ときどき舞いこんでくる金属光沢に輝くタマムシにも心をときめかせたし、カマキリなども恐る恐る捕まえては遊んだものだ。夏の夕方にはどこに棲んでいるのかアブラコウモリがひらひらと舞っていた。コンクリートの冷たい建物が増えた今、はたしてどれほどの生き物が生きのこっているのだろう。

 行動圏の東の端にある熊野神社は一番変わっていない場所かもしれない。それでもあの頃とはだいぶ変わってしまったとどことなしに感じる。おそらく建物が改修されたり整地されるなどして少しずつ変化してきたのだろう。観光客の姿が見られるのもあの頃とは違う光景だ。

 熊野神社といえばやはり夏祭りの縁日が思い出される。今はどうなのか分からないが、あの頃は十二社通りから境内一杯に屋台がびっしり並び、それはそれは賑わっていた。お面、綿あめ、べっこう飴、カルメ焼き、得体の知れないジュースなどを売る屋台、金魚すくい、ヨーヨーつり、輪投げ、射撃などが所せましと並んでいた。今、境内を見回すと、この狭い場所にどうしてあれほどの屋台があったのだろうと思うくらいの広さしかない。視線の低い子どものことだから広く感じたのかもしれないが、なんだか拍子抜けするほど狭い。







 熊野神社では梅がほころび始めていた。社務所にパンフレットが置いてあるのに気付いて手にしてみると、この界隈の歴史のことが書かれている(http://12so-kumanojinja.jp/page-01.html)。十二社の池のことも書かれているが、私が住んでいたころにもまだこの池は健在だった。ただし、有刺鉄線に囲まれて道路から緑色にどんよりと濁った池が垣間見えただけで、近寄りがたい不気味な池という印象しかなかった。だからこの池がかつて景勝地で料亭や茶屋があり、ボートや花火大会で賑わったなどということが書かれていて驚いた。神社の近くには滝もあったという。

 この池は昭和43年に埋め立てられたそうだが、以下のサイトにはかつての十二社池の写真や絵が掲載されている。

http://ameblo.jp/sasabari/entry-11528230700.html
http://blogs.yahoo.co.jp/shinjyukunoyamachan/2846.html

 昔の絵や写真を見ていて思い出したのだが、私が子どもの頃は十二社のごく一部に自然のままの地形が僅かに残っていた記憶がある(もちろん現在はきれいさっぱりなくなっている)。十二社あたりの古地図(明治13年測量、24年修正)を掲載しているサイト(http://collegio.jp/?p=86)があるのだが、今の西新宿一帯は角筈(つのはず)村で、どうやら畑や竹林、雑木林などが広がっていたらしい。もちろん十二社の池も描かれている。明治時代に角筈村に住んでいた人たちが今の光景を目にしたら、腰が抜けるほど驚くに違いない。古地図を見ていると、住宅とビルで埋め尽くされた今の西新宿の変貌に呆然とするばかりだ。

 十二社や角筈という地名は私が子どもの頃も使われていたが、なぜ西新宿などというつまらない地名に変えてしまったのだろう。地形や景色は変わっても、せめて地名くらいは残しておけないものだろうか。そんなことを思いながら熊野神社を後にした。

  


Posted by 松田まゆみ at 21:17Comments(0)自然・文化雑記帳

2015年12月26日

クリスマスディナー

 クリスチャンでもないし、子どもたちが家を出ていってからはクリスマスといっても御馳走やケーキも作らずにいたのだが、今年は久しぶりにクリスマスの日に家族全員が集まったこともあり、料理好きの娘がクリスマスディナーを手作りしてくれた。




 メニューは、写真手前から
・トマトのマリネ
・鶏もも肉のギュロス
・ミートボールとペンネのグラタン
・チーズ盛り合わせ
・アボガドとスモークサーモンの押しずし
・生ハムと卵のカナッペ
・レタスとベビーリーフのサラダ

 そしてデザートにキウイフルーツのケーキ




 私がつくったのはケーキだけ。

 僻地に住んでいると、近くに外食できるような店も出前をしてくれるような店もないし、スーパーはもとよりコンビニもない。だから食生活も手作りが基本。もちろん外食よりもぐっと経済的で健康的。

 クリスマスが終わったら、こんどは大掃除やおせち料理づくりが待っている。
  

Posted by 松田まゆみ at 15:24Comments(0)雑記帳

2015年11月28日

11月の大雪と冬の木々の光景

 今年はいったいどうしたのだろうか?と思うくらい、11月に入ってから何度も雪が降った。朝起きて窓から外を見ると真っ白、という日が何回あっただろうか。真っ白の雪が地面を覆うと、ああ今年もまた長い冬の到来だとちょっと観念するのだが、今年はそんな冬の到来がいつになく早い。

 ただし、いつもなら11月に雪かきが必要なほど雪が積もることはほとんどない。本格的な積雪はたいてい12月に入ってからだ。ところが今年はどうしたことか、つい先日30センチほど雪が積もり、昨日もまた30センチほど積もった。まだ11月だというのにすっかり真冬の景色だ。

 葉を落とした落葉樹はなんとも寂しげだが、ひとたび雪を戴くといっぺんに明るく清々しい姿になる。天に向かって伸びる枝々の繊細な造形がもっとも美しく映えるのは、やはり雪を戴いたときだろう。といっても、こうした光景を楽しめるのは、降り積もった雪が風で飛ばされたり、かすかな陽射しに暖められて溶け落ちるまでのひとときなのだが。




 落葉樹の枝が天に向かって広がっているのとは対照的に、針葉樹は濃い深緑の葉の上にこんもりと雪を戴く。針葉樹に積もった雪は面的に広がり枝を押し下げる。




 夏の木々は生命の輝きが溢れていて躍動感があるが、雪と氷に閉ざされた季節の木々は、厳しい冬をじっと耐えるがゆえの凛とした美しさがある。



 雪が降り積もった木々の光景を見ていると、私はなぜか幼い日の霧ヶ峰を思い出す。霧ヶ峰の強清水には父の会社の宿泊施設があり、家族でスキーに行った。強清水のあっというまに滑り降りてしまう猫の額のようなスキー場は今も健在だ。リフトが1基だけのその小さなスキー場の一角で橇遊びをしたり、転ぶとすぐに流されてしまう子ども用のつっかけ式のスキーで遊んだ記憶がある。長靴を通して伝わる雪の冷たさに半べそをかいた記憶もおぼろげながら蘇ってくる。

 あの宿の前には雪をいただいた木々が並んで木立となっていた。何の木なのか今となっては分からないが、大半は針葉樹だったと思う。カラの仲間だったろうか、ときおり小鳥のやってくるだけのモノトーンの世界、どこまでも静かな音のない世界。ほかに見るものもなく、窓からの冬の木々を飽きもせず見ていた。冬の山とはこんなにも静かなのかと子ども心に思ったものだ。雪をかぶった森林などいくらでも見ているのだけれど、考えてみたら、私が雪を戴いた針葉樹の光景をはじめて目にしたのは霧ヶ峰だったのだろう。だから、あの光景が忘れられないのかもしれない。
  

Posted by 松田まゆみ at 14:25Comments(2)自然・文化雑記帳

2015年10月12日

コンフォートシューズとMBTシューズ

 北海道に来てからというもの、日常的に履く靴といえばスニーカーや長靴ばかりになってしまった。そんなことが関係しているのだと思うのだが、最近はたまにパンプスを履くとすぐに足が痛くなって酷い目に合うようになった。いくらパンプスを履く機会が少ないとはいえ、これでは困ってしまう。

 そこで、思いきってコンフォートシューズを購入した。購入する際にはフットプリントをとったり、足の計測をしたり、骨盤測定(腰の歪みのチェック)をしたりする。私の場合、骨盤測定で若干の歪みがあり偏平足に近いため、足底板(インソール)もつくり幅も補正してもらった。

 で、できあがってきた靴を履くと実に歩きやすい。これなら何時間でも歩けそうだ。これまでどれほど足に合わない靴を履いていたのかと驚いてしまう。考えてみたら、足の形は人によって随分違う。それなのに市販の靴はおそらく日本人の標準的な足型に合わせてつくられていてワンパターンなのだろう。しかも、デザイン性ばかり重視して先端が細いパンプスは、本来の足の形ではない。むりやり靴に足を合わせることになるのだから、足が痛くなって当然だ。

 コンフォートシューズはたしかに見た目はあまりスマートではない。それでも、安定感のある履き心地の良さは見た目には代えがたい。一度、コンフォートシューズを履いてしまったら、履き心地の悪い市販の靴は履けなくなってしまいそうだ。



 ところで、私は少し前まで腰痛に悩まされていた。庭仕事などで長時間かがんで作業したときはもちろんのこと、登山などで長時間歩いた時も腰痛に襲われるようになった。ところが、最近、その腰痛が非常に軽減されていることに気がついた。

 以前の「背筋が伸びるMBTシューズ」という記事を書いたが、2年ほど前にMBTシューズを購入し、室内履きにしている。それ以来、猫背が改善されて姿勢が良くなってきたのだが、たぶん姿勢が良くなったことで腰痛も改善されたのだろう。

 それが事実なら、姿勢というのは非常に大事なことだ。しかし、姿勢が悪いというのは自分ではなかなか気づかないものだし、一度姿勢が悪くなってしまうと正しい姿勢がどういう状態なのかもピンとこなくなってしまう。そして、そのまま放置してしまうと姿勢が悪いのが常態化し、改善するのも困難になってしまうのではないかと思う。少なくとも私にとってはMBTの購入は非常に良かったと思っている。

 コンフォートシューズにしてもMBTシューズにしてもかなり値段が張るので購入にはちょっと決断がいるが、健康のことを考えたならそれほど高いとはいえないと思う。
     


Posted by 松田まゆみ at 16:04Comments(0)雑記帳

2015年07月21日

原始が原 五反沼探訪記

 7月17日、一度は行ってみたいと思いつつもそのままになっていた原始が原に行ってきた。

 原始が原は富良野岳の登山コースの途中にある広大な湿原だ。富良野岳に登る登山道はニングルの森の登山口から原始が原を経由するコースと十勝岳温泉から登るコースがあるのだが、前者は後者より長いため登山者はそれほど多くはないようだ。ニングルの森登山口から原始が原へは林間コースと滝コースがあるのだが、現在は滝コースは閉鎖されていて通れない。

 17日は朝から快晴で、さわやかな登山日和だ。いつものことだが、野鳥を見たりクモの姿を探したりしながらのんびりと登った。途中、「天使の泉」と名付けられた水場がある。登山道の脇に伏流水が顔を覗かせているのだ。冷たい水がお腹までしみとおる。


 沢を渡って急な斜面を登り切ると視界がいっきに開け、台地になった原始が原の湿原に出る。原始が原は高層湿原だが、池塘はとても少なく、大小さまざまな鏡のような池塘が点在する「沼の平」や「沼の原」とは雰囲気がだいぶ違う。一見、草原にアカエゾマツの矮性木が点在するシンプルな光景だが、やはり湿原だけあって足元から水がしみ出てくる。


 湿原の入口で富良野岳に登るコースと原始が原の一番奥にある五反沼に行くコースに分かれる。ここで登山靴から長靴にはきかえ、湿原の奥を目指した。原始が原は大雪山国立公園の中でもかなり広い湿原で、東端にある五反沼までは2.8kmほどある。せっかくなので五反沼を目指すことにした。ただし、湿原がずっと広がっているわけではなく、森林帯が何本か横切っている。

 湿原にはワタスゲやモウセンゴケが見られるが、色とりどりの花が咲き乱れるような湿原ではない。しかし、前富良野岳、富良野岳、上富良野岳などの山々と明るい緑の湿原の織りなす光景は、格別な趣がある。松浦武四郎もここを通って十勝に抜けたという。


 五反沼コースはかつては整備されていて道もはっきりとついていたらしい。今も「五反沼コース」の看板はあるものの、道はかすかに踏み跡がある程度だ。ところどころに目印となるピンクのテープが付けられているので、それを頼りに沼を目指すことにした。しかし、歩き始めて程なくして樹林帯にさしかかると、背丈を越すチシマザサの藪が道を塞いている。目印のピンクテープもササに隠れて見えない始末だ。途中で踏み跡もほとんど分からなくなり、藪こぎで進むしかなくなった。この初めの樹林帯の藪こぎが一番長いことが後から分かった。


 藪をこいでまた湿原に出ると、ふたたびピンクテープが見つかった。しかし湿原を少し歩くと再び樹林帯の藪こぎに突入する。二つ目の藪こぎから脱出して湿原を横切ると、また藪こぎが待ち受けている。樹林帯の中はササ刈りが行われておらず、どこも廃道同然になっている。ときどきGPSの地図でコースを確認しないと方向を誤りかねない。さすがに三つめの藪こぎあたりで嫌になってきた。地図に目を落とすとまだまだ先が長いのだ。

 しかし、せっかくここまで来たのだからと気を取り直し、もう少し先まで進んでみることにした。幸いなことに、そのあとの樹林帯は幅が狭く、それほど難儀せずに通過できた。湿原から流れ出る布部川を渡りさらに湿原を行くのだが、ここまでくるともうピンクテープも見当たらない。南側のトウヤウスベ山からナキウサギの声が聞こえる。足元にはトキソウやミヤマリンドウの花も控えめに咲いている。




 こんな廃道状態では沼まで行く人はもういないのかと思いきや、良く見ると泥地にまだ新しい踏み跡がある。つい最近、あの藪をこいで来ている人がいることに驚くやら安心するやら・・・。

 最後の樹林帯を抜け、広い湿原をつっきると五反沼は目と鼻の先だ。「ああ、やっとたどり着いた」と安堵感がひろがったところで、なんと目の前に三途の川のごとく水路が立ちはだかった。その向こうに五反沼の看板が見える。何ということか!


 三途の川は飛び越えられるほど狭くはない。底に杖をつきたててみると、水深はけっこう深くしかも底は軟らかい。ここで帰るしかないのかと諦めかけたが、五反沼のほとりに看板がある以上、行けるはずだ。水路左手に沿って渡れそうなところを探し、川底が硬く水深もそれほど深くないところを見つけた。

 原始が原は池塘の少ない湿原だが、五反沼のあたりは池塘が広がっている。かつては湿原全体に池塘が点在していたのかもしれない。ところどころに「やちまなこ」のような窪みがあるので要注意だ。


 ようやくたどり着いた湿原最奥の五反沼は、それはそれは静かにひっそりと佇んでいた。踏み跡すらなく我々(といっても二人)のほか誰もいない湿原はまさに秘境そのものだ。人工的なものといえば、「五反沼」と書かれた看板しかない。再びここを訪れることはたぶんもうないだろう。原始の光景を脳裏に焼き付けて沼を後にした。





*この記事を読んで五反沼に行きたいと思う人がいるかもしれないが、樹林帯で方向を見失う可能性がある。藪こぎの覚悟と長靴、地図表示のできるGPSなどの十分な装備が必要だ。安易な気持ちでの探訪は危険であることを記しておく。
  


Posted by 松田まゆみ at 13:54Comments(0)雑記帳

2015年07月20日

優しさとは何か

 イワシさんの「ぼくには優しさが欠けていた」という記事を読んで、優しさとは何なのだろうかといろいろ考えさせられた。イワシさんは、7月15日の裁判をレポートしたあと、黒木さんからフォローを外されたそうだ。自分の報告が彼女を傷つけてしまった以上、自分は加害者であり応援者とは言えないと彼は言う。

 私はイワシさんのツイートも裁判関係の記事もほとんど目を通している。彼はとても気配りができる優しい男性だ。黒木さんに対しても彼女を傷つけまいと言葉を選んでいるのが感じられる。それに対して、私の方がずっとストレートに自分の意見を言うことで彼女を傷つけていると思う。

 実は私も少し前から黒木さんにフォローを外されている。いつ頃外されたのかはっきり記憶にないが、7月に入ってからだと思う。私は、こちらの記事で彼女が裁判の争点や立証責任について勘違いをしているとはっきりと書いてしまった。もちろん黒木さんは自分が勘違いをしているなどとは思っておらず、自分の納得いくやり方で臨んでいるだけだ。

 ただ、彼女の勘違い(または錯誤)は客観的事実だし、本人尋問になればさらにそれがはっきりすることは分かっていた。

 たとえ事実であっても、勘違いのことをはっきり書いてしまえば彼女に不快な思いをさせるのは避けられない。たぶん彼女を傷つけてしまうことになるだろう。それに、「あちら側の人たち」(黒木さんや彼女を応援している人たちの誹謗中傷をしている人たち)が黒木さんを揶揄するネタにするに違いない。彼女にとっていいことなど一つもない。だから、勘違いと書くことに躊躇がなかったわけではない。

 私はとても重大な告発を堂々としてきた彼女を批判する気はない。でも彼女はたとえ事実の指摘であっても批判と受け止めるだろう。だからちょっと逡巡はしたけれど、この問題に関心を持ち追いかけてきた以上、やはり客観的事実や自分の感じたことをそのまま書くしかないと思った。勘違いのことを書かないと、弁護士もつけず応援者からの援助も断って一人で闘うという行動がすんなりと理解できないからだ。

 優しさとは何なのか・・・。たぶんその答えは人によって違うのだろう。相手を傷つけないという気配りだと考える人もいるだろう。しかし、相手が気分を害することが予想できたとして、はたして本当の気持ちを隠して寄りそうことが本当の優しさなのだろうか・・・。相手には厳しいことであっても、事実をありのまま書くことが必要なこともあるのではないか・・・。それは単なる言い訳にすぎないのだろうか?

 ちょっと脱線するが、私はそもそも自分のツイッターフォロワー数にそれほど関心がない。知らないうちに増えたり減ったりしている。フォローしてもらうことを期待してフォローするわけでもないし、フォローされたからといってフォロー返しをするという習慣も持ち合わせていない。自分がフォローしたいと思ったアカウントをフォローしているだけだし、それもかなり気まぐれだ。まして、フォローを外されたりブロックされることを恐れて、自分の本当の気持ちを封じてしまうなどということは私には考えられない。それは自分に嘘をつくことに他ならないから。

 誹謗中傷や粘着、人格攻撃はもちろんのこと、相手を見下したり貶めたり執拗に自分の意見を押しつけるのはマナー違反だと思っている。このような方はフォローを外したりブロックすることはある。とりわけ意図して情報操作や嫌がらせをしているいわゆる工作員のような人たちは、いい加減な情報を流して錯誤させたり挑発して疲弊させたりするのが目的だから、ブロックに限ると思っている。

 ただ、私は自分の考えと違う意見だからとか、批判されたからといってブロックすることは基本的にはしない。互いにフォローしている人であっても、意見が違うことがあるなんて当たり前のことだ。そして意見が違うことに関して批判するのも言論の自由の範疇だろう。ただ、批判をしたなら相手が気分を害するのは必至だ。人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じることを批判という(コトバンク参照)。自分は正しく他人は間違いだと評価を下すのだから、相手が気分を害するのは当然だ。

 優しさとは何かということに話しを戻そう。たしかに他人を傷つけてしまような言動は優しいとは思えない。人を傷つけないことに越したことはない。しかし、だからといって社会的なことや政治的なことについて黙っているのがいいわけはない。個人個人が主体性をもち、意見表明をするというのは民主的な社会の構築のために不可欠だ。しかし、批判をしてしまうと相手は感情的になり人間関係はぎくしゃくしてしまう。

 はたして人は誰も傷つけず、しかも自分に嘘をつかずに意志表明することができるものなのだろうか? これは限りなく困難なことに思える。

 それでも、できる限り他者を傷つけず優しくありたいと思うなら、相手を悪く評価したり、指図するような押しつけがましいことはせず、単に事実を指摘したり自分の意見を書くよう心がけるしかないのではなかろうか。相手の考えを尊重した上で、事実の指摘や意見表明に留めるよう気をつけていれば、相手が感情的になるのを抑えることができると思う。

 もっともそう努めていても相手が批判と受け止めて腹を立ててしまったのなら、それは相手の受け止め方(内面)の問題でしかないだろう。

 たとえば、(意見の違いではなく)明確な事実誤認を指摘したときの反応は人さまざまだ。誤りの指摘に感謝して訂正するというのが常識的な対応だと思う。ところが自分が馬鹿にされたと思う人、自分の過ちを認めたくない人は不快になって腹を立てる。プライドの高い人ほどこういう傾向にある。極端な人は、そのことを根に持って相手の個人情報を晒したり、事実無根のネガキャンをするなどの報復に出ることすらある。また、相手が事実誤認であるという認識を持たず自分は正しいと確信していれば、やはり間違いという指摘は不快だろうし場合によっては反発心を抱くだろう。

 誤りの指摘をありがたいと思うか不快と思うかは、受け止める側の意識の問題だ。黒木さんは恐らく自分が錯誤しているとは考えていない。だから、私が勘違いと書いたことで傷ついてしまったのは無理もない。この点において完全に平行線になってしまった。でも、裁判をどう闘うかは当事者である彼女が決めることだから、彼女が正しいと確信している闘いをすることに対し、誰も彼女を批判する権利はない。

 そして、ムラ社会の同調圧力にも屈せず、スラグの埋め立て問題にたった一人で疑問を投げかけ抗議しつづけた彼女の行動は評価されることだし大きな意味がある。たとえ抗議行動に行き過ぎたところがあったとしても、彼女の告発は決して間違っていない。「黒木睦子さんの本人尋問で見えてきたこと」に書いた通り、私はこの裁判はスラップであり実質的には黒木さんの勝ちだと思っている。

 それと最後にもう一つだけ言っておきたい。今回のことで「あちら側の人たち」は、恐らく相変わらず私への誹謗中傷をしているのだろう(ブロックしているから見てはいないが)。私はあなたたちが何を言おうと、発言を止めるつもりはない。あなたたちの意図はもう丸見えだ。目的が分かってしまえば、何を言われても腹は立たない。そして、あなたたちの言動はあなたたち自身の内面を映す鏡であると思っている。
  

Posted by 松田まゆみ at 15:25Comments(0)雑記帳

2015年07月13日

久々の登山で緑岳へ

 11日に久しぶりに大雪山系の緑岳に登った。ここ数年、いろいろあって山から遠ざかっていたので、はて、何年ぶりの登山だろう。私は頻繁に登山をするほどの山好きではない。体力もないし健脚とは程遠いから、ゆっくりしか歩けない。それでも、たまには天井の楽園を覗いてみたくなる。

 東京に住んでいた若い頃は、週末に思い立って一人で山に行ったことが何回かあった。山行を思い立つと金曜日の夕方に食料などを買い込み、帰りの電車の中で行き先を考える。両親がしょっちゅう山に行っていたので家にはガイドブックや地図はいろいろあった。家に帰って夕食と身支度を済ませてから新宿駅に向かい、夜行列車で山に向かうというのがお決まりのパターンだった。

 ときどき山の自然に身を置くことで心身をリフレッシュするというのが最大の目的ではあったのだけれど、山の自然にはそれだけの力があると思っている。高山帯という極限の環境の中で生きている植物の姿は決して無駄がなく、限りなく清々しい。風雪に耐えた高山植物たちは一斉に花を開いて短い夏を謳歌し、無機質な砂礫地にすら可憐な彩りを添える。そんな景色を見るだけで心が洗われ、日常の人間関係でのごたごたが些細なことに思える。人は、ときどきこんな気持ちになることが必要なのではないかと思う。

 緑岳(標高2019m)の登山口は高原温泉(標高1260m)にある。登山口のすぐ近くに泥火山(泥水噴出口)がある。泥水が音をたてて煮えたぎるこの噴出口は、規模は小さいながら地球の鼓動が伝わってくるようだ。


 その周囲に固有種ダイセツヒナオトギリが花をつけていた。


 急な斜面を登り切って第一花畑に出ると、目の前に緑岳の姿が現れる。花畑にはチングルマが咲き誇っていたが、ツガザクラなどはまだこれからだ。


 こちらは、ミヤマリンドウとヨツバシオガマ。


 第一花畑、第二花畑を抜けハイマツの茂る道を過ぎると、目の前に山頂への大斜面が現れる。写真で見ると傾斜が分からないが、けっこう急な登りだ。


 山頂からは白雲岳、旭岳、高根が原が見渡せる。そして遠くにトムラウシ山。写真は旭岳。


 山頂のイワウメ。イワウメは、米粒ほどの小さな葉には不釣り合いの大きな花をつける。


 こちらはミヤマキンバイ。


 同じく、山頂のイワヒゲ。釣鐘状の花が愛らしい。



 こんな景色が待ち受けているから、文句なしに山はいい。
  
タグ :緑岳大雪山


Posted by 松田まゆみ at 21:15Comments(0)雑記帳

2015年06月30日

上高地散策

 先日、母の一周忌の法要で信州に行ってきた。そして法要の後、上高地と乗鞍高原にも足を伸ばした。

 山が大好きだった私の両親にとって、上高地は何度も足を運んだ懐かしい場所だろう。とりわけ少年時代から山をほっつき歩き、上高地を舞台にした戯曲まで書いている父にとって、上高地や穂高への思い入れは人一倍に強かったに違いない。もちろん穂高などへの登山が目的であり、上高地そのものは登山のための通過点でしかない。

 私はと言えば、上高地には過去に4回か5回行っている。学生時代に奥日光でアルバイトをした仲間と燕岳・大天井岳(おてんしょうだけ)・常念岳と縦走し上高地に下ったとき、一人でのんびりと晩秋の上高地の散策に出かけたとき、紅葉の季節に単独行で涸沢から奥穂高岳に登り、前穂高岳を経て岳沢に下ったとき、そして父亡きあとに母と一緒に歩いたとき・・・。

 上高地から眺める穂高の山稜は険しくも清々しく、この光景を見るだけで心を洗われる。とりわけカールに囲まれた涸沢からの穂高連峰の眺めは言葉では言い表せない。できることならもう一度あの光景を目にしてみたいと思う。

 今回も、計画段階では涸沢まで行こうかと考えた。しかしいろいろ調べてみると、涸沢周辺は6月にはまだ雪があるらしい。となると軽アイゼンを持っていったほうがよさそうだ。2年ほど前、狩場山の登山道のほんの小さな残雪で転んで打撲したことを思い出した(この時は稜線に出たら雪渓があることは知っていたので軽アイゼンを持参したが、稜線に出たあたりで雨になり下山した)。

 それに、涸沢まで行くとなると早朝に松本を発ち涸沢で1泊しなければならない。防寒具も必要だろうし梅雨の時期だから天気も心配だ。そんなわけで、残念だが涸沢は諦めて上高地散策に留めることにした。

 大正池から田代池を経て梓川の左岸を辿り、河童橋を渡って右岸を辿って明神池に行き、明神橋を渡って右岸の歩道を辿ってバスターミナルまで、およそ10キロほど歩いた。

 大正池からの焼岳の眺め。おなじみの光景。焼岳は1962年の水蒸気爆発以降、噴火をしていない。再び噴火すれば、この光景もすっかり変わってしまうのかもしれない。


 湖岸で休む人慣れしたオシドリ。近づいても逃げない。


 河童橋から梓川上流を望む。奥穂高岳、前穂高岳の山頂は雲に隠れてとうとう姿を見せなかった。この写真では分からないが、川岸にニホンザルがいた。


 明神橋下流左岸のケショウヤナギ。梓川にはあちこちにケショウヤナギが見られる。


 明神館の前のカンボク。ちょうど花が美しい季節だ。


 河童橋とケショウヤナギ(上流から下流を望む)。



 上高地はすっかり観光地と化しスカート姿の人まで歩いている。しかし、今や涸沢とてシーズンになるとテントと登山者に埋め尽くされるらしい。私が穂高に登った40年ほど前も登山者は多かったが、今ほどではなかった。父が愛した静かな上高地も涸沢も今はない。しかし、上高地から仰ぎ見る穂高の山々の気高さは昔とちっとも変わっていないに違いない。

     


Posted by 松田まゆみ at 11:50Comments(0)雑記帳

2015年05月21日

「シャーロットのおくりもの」が伝えるもの

 私が小学校高学年の頃だったと思う。サン=テグジュペリの「星の王子さま」という本が話題になった。たしか国語の教科書にその一部が教材として載っていたことがきっかけだったと思う。私はその教科書に掲載されたウワバミの話にそれほど興味を持たなかったが、友だちの中には星の王子さまを絶賛する人もいた。しかも大人の間でもブームだったらしい。そんなこともあって私も一度は「星の王子さま」を手にとって読んでみたのだが、どうしてもこの物語はピンとこないというか、全部読み終えるのも苦痛だった。そして、なぜこの本がそれほどにまで絶賛されるのかとうとう理解できなかった。

 もちろんそれがファンタジーだったからという訳ではない。小人が出てくる佐藤さとるの作品などは大好きだったし、すぐれたファンタジーは大人向けのつまらぬ小説より遥かに魅了される。

 だいぶ後になって、私が「星の王子さま」に関心が持てないのは、読んだときが子どもだったために著者が意図するところが理解できなかったのではないかという考えに襲われた。それで大人になってからも読んでみだのだが、やはりダメだった。どうしても好感が持てない。その理由は内容があまりに教訓的で、著者のメッセージが物語全体を支配しているとしか思えなかったからだと思う。

 同じように感じた作品に「チョコレート工場の秘密」がある。この本は私が子どもの頃に読んだのではなく、自分の子どもに買い与えた本のひとつだ。これも教訓が強烈に伝わってきて、それだけでお腹いっぱいという気持ちになってしまう。

 作家が物語に何らかのメッセージを込めるのは当たり前だし、伝えたいメッセージがあるからこそ物語を紡ぐといってもいいだろう。しかし、物語の良さとは心に響くときめきであり感性に訴える力だと私は思う。そしてメッセージは作品にそっと織り込んでこそ文学であり、あまりにはっきり書いてしまうとそれはもはや文学というより説教めいてしまう。私にとって、作者のメッセージが露骨すぎるとその物語がいっぺんに色褪せて見えるし、何か安っぽいものにすら思えてしまう。「星の王子さま」はメッセージが独り歩きしている物語だとしか私には思えなかった。

 さて、先日「シャーロットの名付け問題に見る日本人の幼児性」という記事で、「シャーロットのおくりもの」という児童文学のことに言及した。私が好きな物語の一つだ。

 主人公は一匹のコブタ。小さく弱々しく生まれたがゆえに危うく殺されるところを、ファーンという女の子に助けられたコブタのウィルバーのお話だ。命拾いしたウィルバーは、ザッカーマン農場の納屋で飼われることになる。農場の納屋には牝牛のほかにガチョウやヒツジも飼われている。ヒツジやガチョウから相手にされないウィルバーに優しく声をかけ、友だちになったのがクモのシャーロットだ。ところがある日、ウィルバーはヒツジのおばさんから大変なことを聞かされる。この農場の若いブタはクリスマスになると殺されてベーコンやハムになるというのだ。クモのシャーロットは、死にたくないというウィルバーを助けようと考え、いいアイディアを思いつく。そして自分の命が尽きるまで、ウシルバーのために最大限の努力をするのだ

 納屋の一階は牝牛の小屋になっているのだが二階には牛たちの餌になる干し草置き場があり、干し草の香りに満ちている。そして牝牛の小屋の地下にある堆肥置き場がウィルバーの部屋だ。ウィルバーの隣はヒツジやガチョウがいる。ほかにも食いしん坊で狡猾なネズミのテンプルトンが棲みついているし、納屋の一角にはツバメが巣をつくっている。

 納屋の天井からは先端に結び目がついてロープが垂れ下がり、子どもたちは二階の干し草置き場からロ―プにつかまって飛びおり、ターザンのようにぶらんこ遊びをする。一昔前にはどこにでもあったような農家の納屋の光景は、読者を数十年前の世界に一気に引き戻し、想像するだけで気持ちがほんわかとしてくる。そうして、読者は納屋での動物たちの会話や事件にときめくのだ。活き活きとした細やかな描写はそこに今いるかのように錯覚させ、動物たちのおしゃべりに引き込まれる。

 自分のことしか考えない自己中のテンプルトンと、それとは対照的に他者の命のために尽くす短命のシャーロット。お節介なガチョウのおばさんや思慮のないヒツジ。動物たちの性格は人間社会を投影している。そして農家の納屋で繰り返される動物たちの誕生と死。これこそがこの本のテーマであり著者のメッセージなのだが、動物たちの豊かな会話と物語は著者のメッセージを包み込んで、読み手を暗い気持ちにさせない。むしろ、死という重くて暗いテーマを新しい命の誕生という生命の連鎖に持っていくことで、安堵感を与えている。

 子ども達は、否応にもシャーロットの生き方に共感し、友情というものを受け止めることになる。こう書くとすごく教訓的に聞こえるかもしれないが、実際の物語はちっとも教訓的に感じない。子どもにとっては難しい生と死をテーマとしながら、悲しさ以上に暖かさに溢れている。それがこの本の魅力だ。

 恐らく誰もが無意識に共感するのがシャーロットの利他行為だろう。短い自分の命を知りながら、ウィルバーのために最後まで努力を惜しまない。人とは本質的に自己中の側面を持っている。しかし自己中の殻に閉じこもっている限り、私たちは本当の幸福感や充実感を得ることはできない。「シャーロットのおくりもの」は、読者の心に潜む感性を理屈ぬきに呼び覚ますのだと私は思う。
  


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2015年05月11日

シャーロットの名付け問題に見る日本人の幼児性

 先日、大分市の高崎山自然動物園が、誕生して間もない英国の王女の名前にちなんで赤ちゃんザルにシャーロットと名付けたところ批判が殺到した、というニュースがあった。英国の王室に失礼などというのがその批判の理由らしい。私は、そういう考えなどまったく思い浮かばなかったので批判が殺到するということに驚いたのだが、これは日本人のお節介に起因するのだろう。

 サルにどんな名前をつけるかは動物園が決めることであり、他者がとやかく言うことではない。ところが第三者が勝手な想像にもとづいて反対し、それがニュースにまでなってしまうとは・・・。抗議をした人たちはアドラー心理学でいうところの「課題の分離」ができていないということだ。「課題の分離」に関しては以下を参照していただきたい。

第2回 他者の期待を満たすために生きてはいけない

 さらに驚いたのは、高崎市が英国大使館に意見を聞くという対応をとったことだ。英王室広報担当者は「(公式的には)あくまでもノーコメントだが、名前の付け方は所有者の自由だ」と述べたそうだ。しごく当然の答えだろう。というか、こんな当たり前のことを認識せずにいちいち問い合わせる日本人に驚いたのではなかろうか。

 私などは、そもそもサルに王女と同じ名前をつけることがどうして失礼なのかというところで疑問に思う。

 たとえばバラにはプリンセス・ミチコとかプリンセス・アイコなど皇族の名前がつけられた品種がいろいろある。これに文句を言う人はまずいないだろう。人間の目から見て美しいバラなら皇族の名をつけるのはいいが、サルに同じ名前をつけるのはダメというのなら、生物に対する偏見ではなかろうか。

 それにシャーロットという名前の女性は大勢いるのであり、英王室が王女にシャーロットという名前を付けたからといって「特別な名前」というわけでも何でもない。私はテレビを見ていないが、NHKの朝の連続テレビ小説「マッサン」のエリー役を演じた女優もシャーロット・ケイト・フォックスさんだ。

 私はシャーロットという名前を聞いて「シャーロットのおくりもの」という児童文学作品が頭に浮かんだ。ここに出てくるシャーロットは円網を張る灰色のクモ、つまりはオニグモの仲間だ。軒下などに大きな円網を張るオニグモに好感を持っている人は少ないだろう。クモが大嫌いな人はたくさんいるが、英王女は児童文学に出てくるオニグモと同じ名前でもある。

 今回のサルの名前問題に限らず、とかく日本人は課題の分離ができずに「あなたのため」などという理由をふりかざして余計な口出しをする人が多い。嫁と姑のいさかいなどは大半が余計なお節介から生じているのではないかと思うが、余計な口出しや強要が相手から敬遠される原因になっても「相手のため」になることはない。

 家事や育児など、人によってやり方や考え方は千差万別だ。それにも関わらず、他者に自分のやり方を押しつけたなら、人間関係がうまくいくはずがない。良好な人間関係を保ちたいなら、やり方や考え方が違うことで口出しをしてはならない。どうしても気になるなら、相手を尊重したうえでアドバイスをする程度に留めるべきだ。相手を自分の思い通りにさせようとするから関係がこじれてしまう。

 自分とは考えが違うというだけで、あるいは自分の言う通りにしないからといって怒ったり陰口を言う人は、課題の分離ができずに相手を支配したがる人なので要注意だ。つまりこのような人は精神的に自立できておらず幼稚なのだ。こういう人とは関わらないのがベストだが、関わってしまったら毅然とした態度をとるしかない。

 日頃から「課題の分離」を意識し、自分の意見は言うべきときにきちんと言うが、他者に押しつけはしないという習慣をつけないと、日本人はいつまでも幼児性から抜け出せないように思う。
  

Posted by 松田まゆみ at 16:59Comments(2)雑記帳