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鬼蜘蛛の網の片隅から › 戦争・平和 › 平和とは何か

2009年12月21日

平和とは何か

 12月4日付けの北海道新聞に「出版20社『平和問う書棚を』」という記事が掲載されていました。その記事によると「平和の棚の会」という平和に関する本を連携して紹介している出版社のグループがあるそうです。この会は、差別や貧困などの問題がなく命や衣食住を脅かされない暮らしを「積極的平和」と捉えているとのこと。またこの会に参加している凱風社の新田準さんは「平和とは生き方の問題。ライフスタイルや文化、政治、すべてが含まれると気付いた」といいます。

 真の平和とは、単に戦争がないということだけではありません。貧困や差別のない社会です。さらに生物である人が自然の摂理に従って生き、生物を育む自然環境を大切にする、つまり持続可能な環境を保つことも含まれます。お金や物が過剰にあるということも、貧富の差を生み出し争いの種になるのです。

 先日読んでいた「自然の権利基金」の会報に、「人間の寸法」というタイトルのコラム記事がありました。パリのパン屋さんの地下の仕事場は二間×四間ほどの長方形で、パン作りの一連の作業が流れるように行われるといいます。その空間を、ある著名なパン屋の主が「人間の寸法の場所」と呼んだそうです。作業にちょうどいい間合いの寸法こそ良い物を生み出せるという意味です。その大きさを拡大してしまったら「おしまい」だといいます。拡大路線をとるようになれば、良いものがつくれなくなるということです。

 日本は太平洋戦争後、まさにその拡大路線をとり高度成長を遂げました。そして行き着いたのは、福祉や医療、教育の切り捨て、貧困層の激増、うつ病や自殺の増加、自然の破壊・・・などだったのです。アイヌの人々は自然からの恵みに感謝し、決して余分な採取などはせず、争いごとはチャランケ(とことん話し合うこと)によって解決したといいます。ここに平和に暮らすことの秘訣があるように思います。

 有限の地球で、人類が拡大路線をとったらどうなるでしょうか? 人間の寸法を忘れて欲の塊となり、拡大ばかり目指す社会に、真の平和が訪れることはないでしょう。


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Posted by 松田まゆみ at 06:35│Comments(3)戦争・平和
この記事へのコメント
 100%同感です。松下センセ(松下竜一氏)たちが「スモッグの下のビフテキよりも青空の下の梅干しを」と唱えたのが1970年代でした。あれから40年近く経って、事態は改善されるどころか何も変わらず突き進むのみ。最近松下センセの本を読み返していましたが、このままがらくたの山にうずもれて滅亡するのが人間の運命なのだと確信しました。人間が滅亡すれば、何千万年か、何億年か後には地球は元の自然に戻るそうなので、それが救いです。
Posted by 渡辺容子 at 2009年12月21日 15:52
平和の概念もその地域、宗教、人種などによって少しずつ違いがあるものなのかもしれませんが、その土地などを全く違う所から来た者に踏み込まれた時に平和が侵されるのかなあなんて、考えているとアイヌの話しがありました。

私もアイヌの自然との生き方は素晴らしいと思っていたのですが、なんだか今、現在のアイヌは自然とは離れた所にいながらアイヌ文化を継承しようとしているためなのか、それとも利権を得てしまったためなのか、様々な問題も起きているようで、現代において古い文化を守ろうとすることがどれほど困難か少々悲しく感じております。
Posted by BEM at 2009年12月22日 02:02
渡辺容子様

松下竜一さん、なつかしいなあ。私も学生時代に松下さんの本を何冊か読みました。今は各地で環境保全は自然保護の裁判が繰り広げられていますが、松下さんの環境権裁判は、環境・自然保護裁判の先駆けだったんでしょうね。今生きていらっしゃれば、泡瀬干潟の裁判勝訴を心から喜んでくれたと思います。今さらながら、すごい人だったんだなあと思います。

BEM様

アイヌの人たちは、自然とともに穏やかに暮らしていたのでしょうけれど、それを根底から否定してしまった和人の責任は大きいでしょうね。イヌイットなどもそうですが、自然から日々の糧を得るという生活基盤そのものを奪われてしまってからでは、「文化を守る」といっても、何かとうまくいかないのでしょう。日本政府の彼らに対する対応はあまりにも遅すぎたと思います。
Posted by 松田まゆみ at 2009年12月22日 09:48
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