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鬼蜘蛛の網の片隅から › メディア › ネットで他人を叩いたり嫌がらせをする人たちの心理

2015年12月31日

ネットで他人を叩いたり嫌がらせをする人たちの心理

 今年も大晦日を迎えたが、この一年を振り返ってみるなら、これまでになくネットで嫌な思いをした年だった。嫌な思いというのは、他者を貶めたり傷つけるネット言論に辟易とさせられたということだ。ひとことで言えば「嫌がらせ」であるが、度が過ぎれば不法行為や犯罪でもある。

 昨今では「ネットリンチ」とか「ネット私刑」などという言葉も目にするが、個人情報を晒した匿名者が名前や職場を特定されて退職に追い込まれる事態も生じており、まさにネットが凶器となっていることを実感する。

 私も以下のようなことを体験したり目撃し、うんざりした一年だった。

1.ツイッターでの攻撃。誹謗中傷、罵詈雑言、冷笑、論評、人格否定、個人情報晒し、執拗なリプライ。
 これについてはあえて説明する必要はないと思うが、自分と考えの合わない人や気に入らない人に対し、侮辱的な発言をしたり攻撃的な対応をするタイプだ。ツイッターで、他人のツイートを引用して批判ばかりしているような人もいる。

 人は多種多様な意見を持っているのであり、自分の意見は自分のタイムラインで呟いていればいいはずだ。ところが、違う意見の人にいちいちリプをして自分の意見を押しつけようとしたり、相手を罵倒する人がそれなりにいる。意見交換や議論は否定しないが、相手への中傷や人格否定の発言をしたら、感情による応報になってしまい議論から逸脱する。また、意見を同じくする人が徒党を組み、よってたかって特定の者を攻撃することもある。あるいは、次々とアカウントを変えて暴言を繰り返す者もいる。こうなると、嫌がらせが目的としか思えない。言論の自由と嫌がらせを履き違えているのである。そんなマナー知らずの人にうんざりさせられた。

2.陰謀思考・妄想による疑いを基にした特定の者への質問攻め、攻撃、ネガキャン。
 このタイプにもかなりわずらわされた。どうやら陰謀思考や妄想癖がある人は、自分の憶測が正しいという強い思い込みがある。そしてその思い込みが間違いであることが判明した場合でも、間違いであることを認めようとはしない。質問に答えても、自分に有利な情報を探して自分が正しいということを更に主張する。理解しあうための質問ではなく、相手を追及するための質問なのだ。

 憶測による疑いであるから事実無根の中傷とは異なるのだが、公の場で他人に嫌疑をかけ執拗に質問を繰り返したり疑惑を投げかけたなら、場合によっては相手の社会的評価を落とすことになりかねない。それに、身に覚えのない事実無根のことで疑われた者は精神的に傷つき疲弊する。本人にとってはたまったものではない。他人の精神的苦痛をまったく考えない自己本位の言動としか思えない。

 また、批判的意見を言われたことをきっかけに自分が攻撃されたと主張し、報復的に相手のネガキャンを繰り広げた人もいた。

3.反論を装った執拗な攻撃。意見や感想、論評に対し事実誤認を理由にした難癖。
 ブログで他者にアドバイスや意見を求めておきながら、意見を寄せた人を名指ししてことごとく反論して自己正当化するという人物もいた。コメントに書かれた意見を、わざわざ記事として取り上げて反論する。しかも意見や論評であっても、「事実誤認」「説得力がない」などというワンパターンのフレーズで反論し、同じ主張を何回も記事にして執拗に繰り返すのである。名指しで執拗に反論することで自己正当化するという手法は、反論を装った嫌がらせである。

4.井戸端会議の感覚で名指しで他人の噂話や批評をする。
 井戸端会議というのは限られた人たちの仲間内の雑談であるが、ツイッターでそれと同じような感覚で他人の噂や悪口を言う人もいる。名前を出して、あるいは名前は出さないものの第三者にも誰のことなのか分かるような表現で他人の悪口をつぶやく人もいる。いわゆるエアリプである。これなども、本人が目にしたらきわめて不快であり、嫌がらせといっていいだろう。

***

 攻撃的な言葉を使わなくてもいくらでも自分の主張はできる。というより、誠実な人ほど、攻撃的な言葉は使わない。それにも関わらず、ネットでは他人を不快にしたり傷つける言論が溢れている。知らず知らずのうちに加害者になっている人もいると思うが、相手を傷つけることを目的にしている人もいるだろう。ネットは、使い方によっては簡単に他者に精神的苦痛を与える凶器になってしまう。実に恐るべきことだ。

 そうした言論の大半は匿名の卑怯者だ。自分は傷つかない、あるいは自分の社会的評価は決して低下しない立ち位置で、実名の他人を貶める。相手が傷つくことを分かってやっているとしか思えない。

 また、ずる賢い人は、名誉毀損にならないよう「意見論評」という形をとって他者を攻撃する。なぜなら、事実の摘示と意見論評は別であり、前者は真実性・真実相当性の要件を満たさなければ名誉毀損になりかねないが、意見論評であれば「人身攻撃に及ぶなど意見,論評としての域を逸脱」しない限り許されると判断されることが多いのだ。

 しかし、いくら意見論評であっても、特定の人物に対し名指しで批判的論評を執拗に続けたなら、それは攻撃といえるだろう。

 いずれにしても、一年間ほどの間にこれほど多種多様な嫌がらせを受けたり目にしたことはこれまではなかった。そして、他者を平気で傷つける人の多さに、この国の病を見た気がした。

 では、人はなぜ公のネット空間でこのような嫌がらせや攻撃をするのだろう? 今読んでいる「生きづらさからの脱却」(岸見一郎著 筑摩書房)という本に、こんなことが書かれている。

虚栄心のある人は敵意を持っており、完膚なきまでに他者を打ち負かし、「いたるところで、嘲笑と非難を用意し、独善的でどんな人も批判する」(『性格の心理学』)。攻撃こそ最大の防御だといわんばかりである。(87ページ)

「[他の人の]価値を認めることは、彼[女]らにとって、個人的な侮辱のように作用するのである。ここからも彼[女]らの中に弱さの感情が深く根づいていることを推測できる」(『性格の心理学』)(88ページ)

差別やいじめは強い劣等感に由来する。普通にしていては自分の価値が認められないと思う人が他者を差別したり、いじめたりするという面があるので、このような行為は人間として許されないことであるとただ訴えるだけでは差別やいじめはなくならない。差別し、いじめる側の心理についての理解が絶対に必要であり、厳罰を科せば何とかなるようなことではない。(92ページ)

 なるほどと合点がいく。ネットで嫌がらせをする人たちは、他人を貶め打ち負かすことで自分の優位性を誇示しようとしているのだ。こういう人と意見交換をしようとしてもうまくいくはずがない。相手を打ち負かすことが目的なのだから、理解を深めようなどという気持ちははじめからないのだ。

 陰謀論を振りまく人も同じだ。陰謀説を信じるのは自由だが、信じない人を見下す発言をする場合は、自分の優位性を誇示したいのだ。ネットが普及してから陰謀論が急速に広まった感があるが、多くの場合、リテラシーのなさから陰謀論に嵌っているにすぎない。

 ネットで他人叩きをすることで自分の優位性を誇りたい人たちは、おそらく他人にどう見られるのかということばかりに拘り、主体性のない人生を送るのだろう。こんな風に嫌がらせをする人の目的が分かると、実に哀れで弱い人たちだということに気づく。そして、そのようなやり方を身につけて生きてきた人たちは、自分のやり方を変えようと決心しない限り、変わることはない。

 日頃のツイートではさほど違和感がない人でも、何回かやりとりをした結果、虚栄心が強く自己本位な人であることが露呈してしまうこともある。自己正当化のために論点を逸らせたり、いつまでも攻撃的発言を続ける人は間違いなく虚栄心の強い人だ。そんな自分勝手な人とやりとりをしても理解しあえることはないし、時間の無駄づかいでしかない。相手をしないのが賢明という結論になる。

 上記の書籍では、虚栄心が過度に強い人について、以下のように述べている。
「虚栄心が、一定の限度を超えると、それは非常に危険なものになる。それが、実際にあることよりもどう思われるかに関わるような、様々な役に立たない仕事や消費へと人を強いるということ、[他者よりも]自分のことをより考えさせ、せいぜい、自分についての他者の判断のことを考えさせるということは別としても、人は、虚栄心によって、容易に現実との接触を失うのである。人間的な連関を理解しないで、人生との連関を持つことなく、とりとめもなく動く。そして、人生が要求していること、人間として[人生に]何を与えなければならないかを忘れる。虚栄心は、他の悪徳とは違って、人間のあらゆる自由な発達を妨げる。結局のところ、絶え間なく、自分にとって有利かどうかということばかりを考えるからである。(前掲書)(90ページ)

 嫌がらせをする人たちは自己中心的であり、内面は弱く不幸な人たちであるということを悟れば、さほど腹も立たなくなる。とはいうものの、ネットという公の場で平然と他者を傷つける人は危険でもあることを知っておく必要があるだろう。攻撃や報復は決して問題解決にはならない。度を越せば不法行為であり犯罪であるにも関わらず、その自覚のない人があまりに多すぎる。また、虚栄心の強い人は承認欲求が強く、褒められおだてられることで簡単に権力者に利用されてしまう。そういう意味からも、実に危険である。

 そして懸念されるのは、このような自己中心的で攻撃的な人たちがどうやら平和を願い戦争に反対している人の中にもある程度いるらしいということだ。平和を主張していても内面は好戦的であり、それは弱さゆえの見栄からきている。ところが、こういう人たちは自分が自己本位で攻撃的である(他者を傷つけている)ことを自覚していない。自分に危険が迫れば、弱さゆえに簡単に体制に従うのではなかろうか。

 危険だからといってネットで他人を叩く人を切り捨ててしまえばそれで問題が解決するというわけではない。ネットで他人を叩くことが善だと思っている人は、なぜ自分がそういう気持ちになってしまうのかを知っておいたほうがいいように思うし、そこにしか解決の糸口はない。そのような方には「生きづらさからの脱却」を読むことをお勧めしたい。

 なお、誤解を生じないように言っておきたいが、論理的に批判をすることは「叩き」ではない。納得のいかない意見に対しては正々堂々と自分の意見を論理的に提示すべきであり、これを「叩き」とは言わない。私がここで批判しているのは感情的な暴言や他者を見下す発言、ネットを利用した巧みな嫌がらせである。


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