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2024年04月06日

個人の責任

 私はいわゆる自己責任という言葉はあまり好きになれない。この言葉を使う人は、個人の責任ではないことまで個人の責任にしてしまうことが多いと感じるからだ。例えば、必死に働いているのに貧困から抜け出せないのは社会のシステムの問題だ。それを自己責任としてしまうことで、あたかも個人の責任だと主張する人がいる。

 しかし、このようなこととは別に、私たち一人ひとりの選択には常に責任がつきまとう。例えば、コロナワクチンの接種。今となれば史上最悪の薬害を招いていることは明らかだ。接種によって大勢の人が亡くなり、薬害で苦しんでいる人たちが多数いる。ターボ癌と言われる急速に悪化する癌はワクチンが原因だと言われているし、今後もターボ癌で亡くなる人は後を絶たないだろう。昨年春にはDNA汚染も明らかになり、百害あって一利なしの遺伝子製剤だったのは明白だ。

 コロナワクチンは国が推奨し、地方自治体も推奨し、多くの医師も推奨した。職場で接種を強要された人もいる。しかし、日本では接種は義務ではなかった。このワクチンについて自分で調べて危険性を察知し、非接種を貫いた人もいる。私は、2020年の春頃にコロナ騒動自体がおかしいと気づいた。日本ではコロナによる死者はとても少なかったし、致死率の高い恐ろしい感染症であると騒ぐこと自体が不可解だった。そして、コロナ騒動が始まってから一年も経っていないのにワクチンができ、治験が終わっていないのに緊急使用許可が下りた。ワクチンは開発して実際に認可されるまでに10年近くかかると言われていたのだから、これだけで疑うのに十分な理由になった。

 さらに、ネット上ではこのワクチンの危険性を訴える人が何人もいた。イタリア在住の荒川央博士もその一人。日本でワクチン接種が始まる頃から、研究者として科学的側面からブログで危険性を訴え続けてきた。他にも、同じように危険性を伝えている人は何人もいた。コロナ騒動に違和感を覚えて調べた人たちは打つという選択はしなかった。たとえ職場で強要されたとしても、闘うなり転職するなりして拒否をした。打つか打たないかは最終的には個人の判断だった。

 結局、打ってしまった人はマスコミにより洗脳され騙されたというほかない。高齢者施設で本人の意思など無視されて打たされた人や、親に無理やり打たされた子どもなどを除いて、大半の人は最終的に自分で打つという選択をしたのだ。いくら国や医師などが推奨したからといっても、自分で打つことを選択したという責任がなくなるわけではない。

 伊丹十三氏の父親である伊丹万作氏は「戦争責任者の問題」という論考で、騙された者にも責任があると説いている。一部を引用したい。

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。


 これとほぼ同じことがコロナ騒動でまた起きた。コロナ騒動を利用してワクチンという名の遺伝子製剤を騙して打たせた者がおり、騙されて打った者がいる。そして、騙されて打ってしまった人たち、危険性を訴えていた人たちを「反ワク」「陰謀論者」と罵った人たちにも責任があると思っている。厳しいことを言うようだけれど、パンデミックの恐怖に捉われ、思考力を失って自分で情報収集もせず、判断を誤ってしまったということに他ならない。

 では、コロナ騒動で騙された者の責任とは何か? まずはワクチンによる被害を認識してできるだけの対処をすること。ネット上ではさまざまな解毒が紹介されているし、実際に体調不良が改善した人もいる。危険性についての情報を拒絶して思考停止していたのなら、解毒の知識も得ることができない。

 それから、なぜこのような大惨事が起きたのか自分で調べ考え、二度とこのような薬害が起きないように行動すること。今回のコロナ騒動、ワクチン薬害について、いったいどれほどの接種者が自分の責任を果たしているのだろうか、とふと思う。

 私たちの日常は「選択」の連続だ。だから、ワクチン薬害に限らず、自分で選択したことの責任は自分で負わねばならない。「だまされた」「あの時は仕方なかった」「○○が悪い」と言い訳したり他人や環境のせいにしているうちは、何も解決しないばかりか精神を病んだり不幸の連鎖にもなりかねない。逆に、「自分に責任がある」と考えれば、解決策を探ることになるし、再発防止にもつながる。

 「○○が悪い」「自分には責任がない」と不平不満を言ったり言い訳をしている人で、幸せそうな人を見たことがない。そして生き生きとしている人は、たとえ辛いできごとに遭遇しても他人や環境のせいにはせずに立ち直る。自分の責任を自覚し、その責任を果たすべく行動することで、不幸の連鎖から抜け出すことができるのだと思う。

 最後に、今回のパンデミックが計画されていたものであることを暴いている動画を紹介しておきたい。人口を減らして世界独裁政権をつくろうとしている人たちがいる、というのが真実なのだろう。思考停止をしていると「壮大な謀」も見抜けない。

https://sp.nicovideo.jp/watch/sm43611104?ref=nicoiphone_other



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