鬼蜘蛛の網の片隅から
2023年05月19日
ハンノトビスジエダシャク
春に発生するハンノトビスジエダシャク。地味なシャクガだが、3本の横線は前翅の前縁で太く明瞭になっている。また腹部背面の中央付近にある黒色斑も特徴的。幼虫はハンノキやシラカンバなどカバノキ科の植物を食べる。前翅長13mm。

2023年5月15日 北海道十勝地方
2023年5月15日 北海道十勝地方
タグ :ハンノトビスジエダシャク
2023年05月18日
ヤスジシャチホコ
春から姿を見せるヤスジシャチホコ。「ヤスジ(八条}」という和名のように、上翅には8本ほどの条があり、縞模様が印象的なシャチホコガ。幼虫はハリギリを食べる。前翅長20mm。

2023年5月15日 北海道十勝地方
2023年5月15日 北海道十勝地方
タグ :ヤスジシャチホコ
2023年05月17日
ルリモンエダシャク
春に現れるエダシャクの一種。二重の内横線がくっきりとよく目立ち、腹部背面にも黒い帯があるために繋がって見える。写真の個体は触角が櫛毛状になっているので雄。前翅長18mm。シャクガ科エダシャク亜科。

2023年5月15日 北海道十勝地方
2023年5月15日 北海道十勝地方
タグ :ルリモンエダシャク
2023年05月16日
マルバネコノメソウ
散歩コースのネコノメソウはツルネコノメソウとチシマネコノメソウの2種類だとばかり思っていたのだが、じっくり見ていたらもう一種、マルバネコノメソウがあることが分かった。外見はチシマネコノメソウに似ているのだが、茎には扇形の葉が対生する。また、チシマネコノメソウの茎には毛がないが、マルバネコノメソウの茎には毛があることも識別ポイントになる。

2023年5月15日 北海道十勝地方
2023年5月15日 北海道十勝地方
タグ :マルバネコノメソウ
2023年05月15日
きままなる旅に思う
5月になり、木々の枝先には日に日に明るい緑が広がっていく。この季節になると、萩原朔太郎の「旅上」という詩を思い出す。
旅上
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。
この詩は1925年に発行された「純情小曲集」に収められている。萩原朔太郎は1886年生まれだから、おそらく30代の頃の作品だろう。今からおよそ100年前の詩だ。
木々が芽吹いてまぶしい緑に包まれる春の日、新しい背広を身にまとい、ふと思いついたようにきままな旅に出かける。汽車はもちろん蒸気機関車で車輪の音がゴットンゴットンと響き、座席は硬く座り心地は悪い。でもそれは当たり前のことで、気にもならない。都会の喧騒を離れて自由になれることが何よりも嬉しい。そして山あいの光景を眺めながらひとり旅に思いをはせる・・・。
私は若い時にこの詩を知ったのだが、情景が目に浮かぶだけではなく、自分自身が同じように汽車に乗っている気持ちになった。私の子どもの頃はまだ蒸気機関車が走っており、規則的な車輪の音は今も脳裏に残っている。学生時代(たぶん萩原朔太郎がこの詩を書いてから半世紀ほどたった頃)でも、まだこの「旅上」に近い旅行はできたように思う。さすがに蒸気機関車はなくなっていたが長距離の鈍行列車や急行列車は健在だったし、週末に思い立ったようにふらりと野や山に出かけることもあった。携帯電話などというものに振り回されることもなかった。
私がはじめて遠出の一人旅に出かけたのは、大学2年のときの北海道旅行。周遊券を買い、東京から北海道までの列車は指定をとったが、北海道内は急行の自由席や鈍行列車で移動し、宿は主にユースホステルに前日に電話をして泊まっていた。一応計画は立てたけれど、けっこうきままな旅だった。その後も、似たような旅は何回かしている。
しかし、今はどうだろう? ちょっと遠出するとなれば、ネットで飛行機や列車の指定席を予約し、ホテルを予約する。乗り物は空調が効いているし座席の座り心地も良く快適だが、窓は開かない。新幹線などは速度が速すぎて近くの風景は飛ぶように流れ、のんびりと景色を楽しむという感じではない。かつての鈍行列車のように、ボックス席で見知らぬ人と語らうこともない。
亡き母は、父が亡くなってから東京(高尾)からお墓のある上諏訪まで中央本線の鈍行列車で往復するという一日がかりのお墓参りをしていた。母も特急で行くよりものんびりと鈍行列車で行くのが性に合っていたようだ。その気持ちはとても良く分かる。しかし、今は高尾から上諏訪まで乗り換えなしで日帰りで往復できる列車はなくなってしまった。そして特急の「あずさ」は自由席もなくなった。
以前、母と私と娘2人の4人で、上諏訪への墓参、霧ヶ峰散策、そして志賀高原へと旅行をしたことがあったが、この時も鈍行列車を利用しての旅だった。志賀高原からの帰りは思いつきでバスで草津白根を経由して草津に行き、吾妻線と高崎線を乗りついで帰った。列車の予約などをしていないからこそできる気ままな旅だったと思う。
昨今は時間短縮や快適さは増してきたが、料金は上がる一方で貧乏旅行ができなくなってきている。そして自由できままな旅もどんどん遠のいているように思う。私のような田舎住まいの高齢者はこういう変化になかなかついていけないし、新幹線や特急ばかりの旅は情緒もなく寂しく思う。
果たして速さや快適さばかり追い求めることが本当に幸せなのだろうか? のんびりとした暮らしやきままな旅だって大切なんじゃなかろうか? 萩原朔太郎の「旅上」を思い出すたびに、利便性を追い求めた人類は、何か大切なものを失ってしまったように思えてならない。ゆったりと流れる時間、移りゆく自然の風景を愛おしむ心、予定にとらわれないきままさ、見知らぬ他者との交流などといったものを・・・。
旅上
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。
この詩は1925年に発行された「純情小曲集」に収められている。萩原朔太郎は1886年生まれだから、おそらく30代の頃の作品だろう。今からおよそ100年前の詩だ。
木々が芽吹いてまぶしい緑に包まれる春の日、新しい背広を身にまとい、ふと思いついたようにきままな旅に出かける。汽車はもちろん蒸気機関車で車輪の音がゴットンゴットンと響き、座席は硬く座り心地は悪い。でもそれは当たり前のことで、気にもならない。都会の喧騒を離れて自由になれることが何よりも嬉しい。そして山あいの光景を眺めながらひとり旅に思いをはせる・・・。
私は若い時にこの詩を知ったのだが、情景が目に浮かぶだけではなく、自分自身が同じように汽車に乗っている気持ちになった。私の子どもの頃はまだ蒸気機関車が走っており、規則的な車輪の音は今も脳裏に残っている。学生時代(たぶん萩原朔太郎がこの詩を書いてから半世紀ほどたった頃)でも、まだこの「旅上」に近い旅行はできたように思う。さすがに蒸気機関車はなくなっていたが長距離の鈍行列車や急行列車は健在だったし、週末に思い立ったようにふらりと野や山に出かけることもあった。携帯電話などというものに振り回されることもなかった。
私がはじめて遠出の一人旅に出かけたのは、大学2年のときの北海道旅行。周遊券を買い、東京から北海道までの列車は指定をとったが、北海道内は急行の自由席や鈍行列車で移動し、宿は主にユースホステルに前日に電話をして泊まっていた。一応計画は立てたけれど、けっこうきままな旅だった。その後も、似たような旅は何回かしている。
しかし、今はどうだろう? ちょっと遠出するとなれば、ネットで飛行機や列車の指定席を予約し、ホテルを予約する。乗り物は空調が効いているし座席の座り心地も良く快適だが、窓は開かない。新幹線などは速度が速すぎて近くの風景は飛ぶように流れ、のんびりと景色を楽しむという感じではない。かつての鈍行列車のように、ボックス席で見知らぬ人と語らうこともない。
亡き母は、父が亡くなってから東京(高尾)からお墓のある上諏訪まで中央本線の鈍行列車で往復するという一日がかりのお墓参りをしていた。母も特急で行くよりものんびりと鈍行列車で行くのが性に合っていたようだ。その気持ちはとても良く分かる。しかし、今は高尾から上諏訪まで乗り換えなしで日帰りで往復できる列車はなくなってしまった。そして特急の「あずさ」は自由席もなくなった。
以前、母と私と娘2人の4人で、上諏訪への墓参、霧ヶ峰散策、そして志賀高原へと旅行をしたことがあったが、この時も鈍行列車を利用しての旅だった。志賀高原からの帰りは思いつきでバスで草津白根を経由して草津に行き、吾妻線と高崎線を乗りついで帰った。列車の予約などをしていないからこそできる気ままな旅だったと思う。
昨今は時間短縮や快適さは増してきたが、料金は上がる一方で貧乏旅行ができなくなってきている。そして自由できままな旅もどんどん遠のいているように思う。私のような田舎住まいの高齢者はこういう変化になかなかついていけないし、新幹線や特急ばかりの旅は情緒もなく寂しく思う。
果たして速さや快適さばかり追い求めることが本当に幸せなのだろうか? のんびりとした暮らしやきままな旅だって大切なんじゃなかろうか? 萩原朔太郎の「旅上」を思い出すたびに、利便性を追い求めた人類は、何か大切なものを失ってしまったように思えてならない。ゆったりと流れる時間、移りゆく自然の風景を愛おしむ心、予定にとらわれないきままさ、見知らぬ他者との交流などといったものを・・・。
2023年05月12日
チシマネコノメソウ
ツルネコノメソウと同じようなやや湿った場所に生育し同じ頃に花をつけるが、ツルネコノメソウよりやや大きく草丈は20cmくらいになる。全体に無毛。北海道と本州(近畿地方以北の日本海側)に分布する。

2021年5月6日 北海道十勝地方
2021年5月6日 北海道十勝地方
タグ :チシマネコノメソウ
2023年05月11日
ツルネコノメソウ
散歩コースでネコノメソウ2種が咲き始めた。一つが、ツルネコノメソウ。目立たない植物だが、良く見ると3~4mmの小さな花をつけている。花は花弁がなく、花弁のように見えるのはがく片。葉の形が特徴的で可愛らしい。山地の湿った場所に生える。高さは15cmくらいになる。ユキノシタ科。

2020年5月22日 北海道十勝地方
2020年5月22日 北海道十勝地方
タグ :ツルネコノメソウ
2023年05月10日
エゾヤマザクラ
北海道ではソメイヨシノが生育できる地域が限られており、北限は美唄市と言われている。このために、北海道で桜といえばエゾヤマザクラ(オオヤマザクラ)を指すことが多い。花の色には濃淡があり、淡いピンクから濃いピンクまで様々。花が咲くと同時くらいに葉が伸びてくるが、咲き始めは葉があまり目立たないので、木全体がピンク色に見える。
コブシが咲き、エゾヤマザクラが咲くと、ヤナギやシラカンバが芽吹き始め、山肌が次第に緑に染まって新緑の季節になる。

2007年5月23日 北海道十勝地方
コブシが咲き、エゾヤマザクラが咲くと、ヤナギやシラカンバが芽吹き始め、山肌が次第に緑に染まって新緑の季節になる。
2007年5月23日 北海道十勝地方
タグ :エゾヤマザクラ
2023年05月09日
キタコブシ
キタコブシは北海道と本州中部以北に生育しているコブシの変種で、コブシより葉や花がやや大きいという。北海道では平地から低山に生育し、エゾヤマザクラより一足早く10~12cmほどの白い花を咲かせる。早春の山を薄紅に彩るエゾヤマザクラもいいけれど、私はどちらかというとコブシの花の方が好きだ。
キタコブシは年によって花付きがよい年とあまり良くない年がある。花付きが良い年は、まだ芽吹き前の山の斜面に点々と白い花をつけたキタコブシが映え、「こんなにコブシの木があったのか?」と驚いたことがある。今年はあまり花付きは良くないようだ。

2018年4月27日 北海道十勝地方
キタコブシは年によって花付きがよい年とあまり良くない年がある。花付きが良い年は、まだ芽吹き前の山の斜面に点々と白い花をつけたキタコブシが映え、「こんなにコブシの木があったのか?」と驚いたことがある。今年はあまり花付きは良くないようだ。
2018年4月27日 北海道十勝地方
タグ :キタコブシ