さぽろぐ

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鬼蜘蛛おばさんの疑問箱

2019年05月30日

川崎市での殺傷事件について思うこと

 5月28日の朝に川崎市でスクールバスを待つ子どもたちを狙った殺傷事件が起きた。以下はこの事件に関する私のツイート。

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先日の川崎の事件で、大阪の池田小学校での事件を思い浮かべた人も多いと思う。ともに裕福と思われる私立学校の子どもを狙った凶悪な犯行。そこには裕福で幸せそうな人たちに対する強い憎しみが感じられる。おそらく加害者は自分を受け入れてくれない社会に対して強い復讐心を抱いていたのではないか。

アドラー心理学では、人の問題行動の目的を1称賛の欲求、2注意喚起、3権力争い、4復讐、5無能の証明の5段階に分けている。段階が進むにつれて重症度が増す。復讐や無能の証明にまで進んでしまうと、専門家の介入がなければ解決は困難になる。https://www.fujiimasanori.com/entry/2016/03/30/215622

池田小学校の事件も川崎の事件も、加害者はこの復讐や無能の証明にまで進んでしまっており、殺人事件を起こすことで社会に対する復讐をしようとしたように見えるし、そうした事件を起こすことで注目を浴びようとしたとも受け取れる。どこにも居場所を持てず他者と信頼関係が持てない加害者像が浮かぶ。

こういう凄惨な事件が起きるたびに強い加害者批判が繰り広げられる。もちろん何の罪もない人たちが犠牲になるようなことはあってはならないし、批判されるべき凶悪事件であることは間違いない。しかし、加害者を強い言葉で責め立てたところでこのような問題の再発防止にはつながらない。

実際に殺人や自殺にまで及んでいないにしても、社会から孤立して同じような心理状態になっている人は恐らく大勢いるだろう。そういう人たちに対して必要なのは加害者への強い怒りの言葉ではないし、希死念慮を抱いている人には「勝手に一人で死ね」という言葉は自殺を誘発することになりかねない。

私はこのような心理状態になってしまっている人であっても、他者が手を差しのべることが必要だと思っている。もちろん素人には無理なので、経験のあるカウンセラーなどの介入がどうしても必要になる。更生はとても難しいし時間がかかるとは思うけれど、不可能だと言い切ることはできない。

藤田孝典さんのこの記事に対し、ネットでは「自分が被害者遺族だったらこんなことが言えるのか」という批判の言葉が溢れている。しかし藤田さんは被害者のことがどうでもいいと言っているわけではない。第三者として同様の事件を増やさないためのお願いをしているだけだ。https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20190528-00127666/

被害者や被害者遺族に心を寄せ支援をするのはもちろん大事だけれど、私たちに求められるのはそれだけではない。こうした犯罪をなくしていくために私たちが注意を向けるべきことは加害者の心理であり、同様の事件や自殺者を生み出さないためにどうすべきか考え安易な発言を自重することではなかろうか。
  

Posted by 松田まゆみ at 21:19Comments(0)政治・社会

2019年05月29日

新葉を噛み切る小蛾類の不思議(1)

 今年も新緑の季節が巡ってきた。そして新葉がハラハラと舞う季節になった。

 5月22日付の北海道新聞夕刊「科学」のコーナーに、北海道博物館の堀茂久さんによる「葉の落下傘で地上へ」という記事が掲載されていた。ウラキンシジミという蝶の幼虫が、アオダモの小葉を食いちぎって地上に落下し、その葉を食べて葉の下で蛹になるという話だ。

 私はウラキンシジミのことは知らなかったのだが、昨年の新緑の季節にこれと同じことをする蛾に気づいた。

 昨年の5月下旬、みずみずしい新葉が開いたばかりのイタヤカエデから、青々とした新葉がハラハラと何枚も落ちてくる光景に出会った。開葉したばかりだというのに、なぜこんなに葉が落ちてくるのだろうか? 疑問に思い落ちてきた葉を拾って良くみると、どの葉にも蛾の幼虫らしき小さな幼虫がついている。どうやら新葉の葉柄を噛み切って落としているらしい。この小さな幼虫は、地面に落下してから葉脈に沿って葉を綴り、体を隠してしまう。





 はて、何の幼虫だろう? こんなに沢山落ちているのだから、きっと「イタヤカエデ 蛾 幼虫」でネット検索でもすれば種名が分かるだろうと思ったのだが、検索してもそれらしき昆虫は出てこない。気になったので、知人の蛾の研究者に連絡をするとさっそく見に来られた。ミクロレピ(小蛾類)の幼虫だというが、飼育しないと種名は分からないという。そこで、5月30日に幼虫のついた葉を拾い、飼育してみることにした。

 この幼虫はイタヤカエデの葉をつづって中に潜みながら、葉を食べていく。蛾の幼虫の飼育はしたことがなく、拾った葉が乾燥して死んでしまう幼虫がいたので途中から水分を補うようにしたら、今度は葉にカビが生えたりと、慣れないことをやるとなかなか上手くいかない。容器を洗って新しい葉を入れたり、新たに幼虫のついた葉を拾ってくるなど、ちょっと手間取った。ハチに寄生されている幼虫も何頭かいたが、残った幼虫は次第に大きくなって6月19日に繭をつくった。繭は葉を楕円形に齧り、それを二つ折りにした中に作る。



 こちらは容器と葉の間に作った繭。


 6月24日に蛹化。繭をつくってから4、5日ほどで蛹化するようだ。



 そして7月13日になってようやく成虫が出てきた。





 もちろん私には種名が分からない。蛾はとても種類が多いうえ、ミクロレピと言われる小蛾類の分類はとても難しい。ミクロレピが専門ではない知人も分からないとのことでミクロレピの専門の方に成虫をお送りし、ミドリモンヒメハマキと教えていただいた。

 飼育してみて分かったのだが、幼虫が必要な餌の葉は噛み切った葉1枚で足りるようだ。ウラキンシジミ同様、新葉を噛み切って落下傘にして地上に降り立ち、その一枚の葉で育ち繭もそこに作る。小さい蛾だからこそこんな芸当ができるのだろう。

 さて、この蛾の幼虫はなぜ葉を噛み切って落としてしまうのだろう? 樹上で葉を食べて蛹化しても良さそうなものだが、そうせずに餌の葉ごと落下するのは何か理由があるに違いない。

 知人によれば、蛾の幼虫がまだ有毒物質を蓄えていない新葉を食べるために葉を切り落とすのではないかとのことだった。十分ありえることだと思う。これは私見だが、樹上よりも地面に落ちてしまったほうが野鳥などに見つかりにくくなるということもあるかもしれない。

 ウラキンシジミと同様にこの蛾も樹木の葉を餌としながら地上で蛹化し羽化することを選択したということだが、実はその後、このような生態を持つ蛾をほかにも見つけることになった。(続く)

新葉を噛み切る小蛾類の不思議(2)

  


Posted by 松田まゆみ at 21:30Comments(0)昆虫

2019年05月25日

ゴマダラヒメグモ

 砂利河原で見られるクモにゴマダラヒメグモがいる。やや大きめの石の間などに不規則網を張っていて、クモは石の陰や石の下などに潜んでいる。和名の通り、腹部は黒色に白い斑点があるが、個体によって全体的に黒っぽいものから白い斑点がはっきりしているものまで変異がある。






 このクモ、砂利河原ならどこにでもいるというわけではない。私の印象では、大雨などで水量が増えたときにも容易に水没しないような、ちょっと高めの中洲などの砂利河原に網を張っているようだ。川が増水しても流されないような場所を選んでいるのか、それとも増水時に流されないところに網を張っていた個体だけが生き残ったのか分からないが、河原でゴマダラヒメグモを探すときの目安にはなる。
  


Posted by 松田まゆみ at 20:24Comments(0)クモ

2019年05月24日

マユミテオノグモ

 北海道にきて間もない頃、道路の上を歩き回っているクモが目にとまった。捕まえてみると、背甲と腹部の斑点が金色に輝いているワシグモで、後日、旧北区に分布するCallilepis nocturnaであることが分かった。日本では北海道からのみ記録されている。和名のマユミテオノグモは、クモの和名に採集者の名前を付けるのがお好きな故千国安之輔先生が付けられた。

 このクモはなぜか、アスファルトの路面を歩いていることが多く、見かけるのはほとんど道路。アリを食べているとのことだが、確かにアリが多いところでよく見かける。

 すばしこくて写真を撮るのが大変なのだが、昨日ようやく写真に収めることができた。雄もいたのだが、こちらは素早くて写真は撮れずじまい。

 銀色に輝くクモといえばギンメッキゴミグモの仲間とかシロカネイソウロウグモなどが思い浮かぶが、金色に輝くクモはこのクモくらいしか思い浮かばない。







  


Posted by 松田まゆみ at 20:21Comments(0)クモ

2019年05月05日

春を彩るエゾエンゴサクの絨毯

 北海道の春を彩る花の代表といえばやはりエゾエンゴサクだと思う。落葉樹林の林床や道端などで普通に見られるが、早春に咲く花でこれほど爽やかはブルーの花はほかに思いつかない。花の色は個体によって変化があるものの、青い絨毯のような群生地の光景はひときわ目を引く。

 3日にウラホロイチゲを見に出かけた際、エゾエンゴサクの大きな群落があった。




 エゾエンゴサクはカタクリと混生していることがよくありブルーとピンクのハーモニーがとても美しいが、ここでは白いアズマイチゲと黄色いキバナノアマナが彩を添えている。




 近くで見るとこんな感じ。




 白花のエゾエンゴサクも混じっている。




 こちらは淡いブルーの花。




 木々が葉を広げる前に一斉に花をつける春植物(スプリング・エフェメラル)は、毎年今の季節だけの楽しみだ。十勝平野ではエゾヤマザクラも咲き始めたが、私は桜より林床の可憐な花たちのほうがはるかに好きだし、春を実感する。
  


Posted by 松田まゆみ at 13:39Comments(0)植物

2019年05月04日

満開のウラホロイチゲ

 3日は浦幌町にウラホロイチゲを見に出かけた。ウラホロイチゲはキンポウゲ科イチリンソウ属の植物で、ロシア極東と北海道(浦幌から釧路の沿岸)に分布している。十勝に住んでいながら今まで見たことがなかった。

 ちょうど春植物が満開の時期で、場所によってはウラホロイチゲのほかにニリンソウやアズマイチゲも混じって咲いている。ウラホロイチゲはちょうど見ごろだった。










 花びらのように見える白い部分は蕚(がく)片。蕚片の枚数は個体変異があり、5枚から8枚。花茎につく葉には葉柄がある。ウラホロイチゲはキクザキイチゲに似るが、同所的には分布しない。

 アズマイチゲの蕚片は8枚から13枚と多く、細長い。下の写真がアズマイチゲ。葉の形も異なる。




 ニリンソウも似ているが、ニリンソウは花茎につく葉には柄がない。




 オオバナノエンレイソウも咲き始めていた。




 こちらはキバナノアマナ。




 ツボスミレ




 ウラホロイチゲと似たような分布をしている植物にヤチカンバがある。こちらはサハリン、ウスリー、中国東北、朝鮮に分布するB. ovalifoliaと同種とされているが、日本では北海道の十勝および根室地方でのみ知られている。ウラホロイチゲもヤチカンバも氷期の遺存種種と言われているが、なぜ十勝から釧路・根室地方だけに生き残ったのだろうか。

 十勝地方は農地開発や植林によってすっかり姿を変えてしまった。ウラホロイチゲもそれらの開発とともに激減した植物なのではないかと思う。残された生息地がこれ以上壊されることがないよう願いたい。
  

Posted by 松田まゆみ at 15:25Comments(0)植物

2019年04月21日

消費税議論で考えてほしいこと

 山本太郎氏が消費税の減税や廃止を掲げて「れいわ新選組」を立ち上げた。それによって消費税減税に賛成する声が広がっているのだが、この主張に乗ってしまうのはとても危険だと思う。以下はこの問題に関する4月19日の私の連続ツイート。

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日本の多くの人は、消費税はすごく高いけれど教育や医療が無償とか福祉や社会保障が行き届いている北欧などの国は羨ましいし手本にすべきだと思っているのではなかろうか。社会保障が充実していれば貯蓄がなくても安心して暮らせるし、消費税が高くても納得できるというものだろう。

国民が手厚い社会保障を求めるなら、税金はどうしても高くならざるを得ない。とりわけ日本は少子高齢化で多額の社会保障費が必要なのだから、健全財政を維持し、かつ社会保障の質を落とさないためにはどうしても高額の税が必要になる。税金は払いたくないけど社会保障は充実しろというのは矛盾する。

ただ、今の政権で消費税増税に賛成できないというのももちろん当然だと思う。何しろ、生活保護や障害年金などは削減される一方だし、保育園や特別養護老人ホームの待機者問題も一向に改善されない。年金の納付額は増え続けてきたのに、支給年齢は引き上げて支給額を減らそうとしている。

高齢者の医療費の無償もなくなった。介護保険の認定も厳しくなる一方で、十分な支援が受けられない。賃金は上がらずブラック企業がはびこり過労死が後を絶たない。鬱になる人や自殺も多い。働いても働いても生活が苦しい人たちが大勢いる。消費税が上げられてきたのに、現状は悪くなる一方なのだから。

その一方でトランプ大統領の言いなりになって高額の武器を買い込み、沖縄県民の声を無視し自然を破壊して辺野古を埋め立て、無駄としか思えない大型公共事業も相変わらず。首相は頻繁に税金で外遊をし海外にお金をばらまく。不正も何のその。こんな政権に消費税を取られるのは誰もが納得しない。

しかもアベノミクスは大失敗。国債は増え続けてプライマリーバランスは大赤字。下手をすれば財政破綻になりかねない危機的状況にある。つまり消費税そのものが悪いのではなく、お金の分配に問題があるのだ。賃金が低すぎたり労働環境が悪すぎることも大問題だし、政権の腐敗や独裁体質が問題なのだ。

だから消費税は据え置きで争点にすべきではない。野党はアベノミクスの失敗こそ争点にし、それを元に今後財政をどのように立て直していくのか、どうやって格差を縮めるのかを示すべきだ。もちろん足りない財源を国債に頼るのは、アベノミクスの失敗から何も学ばないということに他ならない。

いずれにしても今の状況を一気に大きく変えることはできないと思うし、政府が信頼を取り戻す努力をした上で少しずつ改善していくしかないだろう。アベノミクス失敗のツケは必ず国民に降りかかってくる。国債に頼り続けたなら財政破綻という最悪の事態になりかねない。そのことは肝に銘じるべきだろう。

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 このツイートをしたら、いくつかの反論がきた。一つは法人税を上げればいいというもの。大企業や富裕層への課税強化はもちろん否定はしない。しかし、それだけで税収が安定するかといえばそんな単純な話ではない。

 所得税や法人税は海外に資産を移すなどして課税逃れができる。大企業や富裕層ほどそのような方法で課税を逃れるのは目に見えている。また、所得税や法人税は基本的に経済状況に応じて上下する。日本はすでに低成長時代に入っているのだから、税収の大きな増加は見込めない。さらに、企業が赤字になれば赤字分を繰り越し、その後黒字になったときに相殺するという繰越欠損金という仕組みがあり、これによって法人税を逃れることもできる。所得税や法人税の増税だけでは今の日本の税収を大きく改善することはできないだろう。この点に関しては、明石順平氏の「データが語る日本財政の未来」を読んでいただきたい。欧州の多くの国が高い消費税を採用しているのも、安定的な税収であるという理由がある。

 もう一つは、国債を発行して財源にすればいいという意見。安倍政権はアベノミクスのもとにこれをやってきたが大失敗をしたわけで、さらに続けるというのはアベノミクスの失敗から何も学ばないしリスクを増大させるだけだろう。このような主張をされる方は、以下をお読みいただきたい。

そして預金は切り捨てられた 戦後日本の債務調整の悲惨な現実

 ここから一部引用しておきたい。

これらの事実から明らかになるのは、国債が国として負った借金である以上、国内でその大部分を引き受けているケースにおいて、財政運営が行き詰まった場合の最後の調整の痛みは、間違いなく国民に及ぶ、という点である。一国が債務残高の規模を永遠に増やし続けることはできない。「国債の大部分を国内で消化できていれば大丈夫」では決してないのだ。


 国債をどんどん増やした挙句、財政運営に行き詰まってしまったら、富裕層だけではなく国民全体にそのツケが回る。アベノミクスの失敗で日本はまさに財政運営に行き詰まりつつあり、このまま国債に頼り続けたなら戦後の財政破綻のときより酷いことになりかねない。国債、国債と言う人たちはあまりにも安易であり無責任だと思う。


  
タグ :消費税


Posted by 松田まゆみ at 11:35Comments(0)政治・社会

2019年04月19日

被ばくによる健康被害を「風評」にしてしまう人たちを信じてよいのか

 漫画「美味しんぼ」の作者である雁屋哲さんの4月15日のブログ記事が話題になっている。雁屋さんが、「美味しんぼ」で主人公が福島の取材から帰ってきた直後に鼻血を出すという描写をしたところ、風評だと言われて非難されたことを記憶している人は多いと思う。その後、雁屋さんの周辺で奇怪なことがいくつも起きているという。ツイッターなどをやっていない人は知らない人も多いと思うので、紹介しておきたい。

奇怪なこと(雁屋哲の今日もまた)

 福島の原発事故が起きてから鼻血が出たという話はあちこちで聞かれたし、被ばくとの関係が指摘されていた。被ばく問題に関心を持っている人なら、放射性微粒子が鼻血の原因になることは知っていると思う。

 取材のために福島に行った雁屋さん自身も、福島から帰った直後に突然鼻血を出すようになり、疲労感を覚えるようになった。しかも、福島取材に行った取材班の4人の中の3人が鼻血を出し、その中のお一人は体調が回復せずに歯茎からも出血するようになり、脳梗塞で亡くなられたという。井戸川前町長も「私も鼻血が出ます。今度の町長選の立候補を取りやめたのは、疲労感が耐え難いまでになったからです」、「私が知るだけでも同じ症状の人が大勢いますよ。ただ、言わないだけです」と発言している。これらの個々の症状は被ばくだと断言できないとしても、複数の人に同時に生じていることから、「被ばく」を抜きにして説明できないのではなかろうか。

 ところが、安倍首相はこうした事実を「風評」だといってマスコミを利用して非難した。一国の首相が事実を風評だと決めつけ、事実を語る人を非難することで、被ばくによる健康被害の否定に躍起になっている。狂っているとしか言いようがない。しかし、こうしたことは雁屋さんに限らない。被ばくによる健康被害について言及したり懸念する人たちの多くが、デマ呼ばわりされてきた。さらに汚染地域在住で安心情報にすがりたい人たちがそれに同調してバッシングを繰り広げている。

 福島の小児甲状腺がん多発に関しても、いまだに過剰診断説を唱える科学者や医師やジャーナリストがいる。そして、被災者に寄り添い情報を発信している「おしどりマコ」さんを「放射能デマ屋」だと言って攻撃している科学者もいる。「事実」を否定して嘘デタラメを拡散させ、被災者のために尽力している人を貶めている人はどっちなのだろう?

 残念なことに、こうしたことを知らずにマスコミの垂れ流す情報を信じてしまっている人たちも少なからずいる。若い人たちには安倍政権の支持者が多いというが、雁屋さんの記事を読んで何が正しいのか、こんな状態を黙認していていいのか、もう一度考えてほしい。以下に雁屋さんのブログから最後の部分を引用しておきたい。

一つの国が滅びるときには必ずおなじことが起こります。
支配階級の腐敗と傲慢。
政治道徳の退廃。
社会全体の無気力。
社会全体の支配階級の不正をただす勇気の喪失。
同時に、不正と知りながら支配階級に対する社会全体の隷従、媚び、へつらい。
経済の破綻による社会全体の自信喪失。

これは、今の日本にぴったりと当てはまります。
私は社会は良い方向に進んでいくものだと思っていました。
まさか、日本と言う国が駄目になっていくのを自分の目で見ることになるとは思いませんでした。
一番悲しいのは、腐敗した支配者を糾弾することはせず、逆に支配者にとっては不都合な真実を語る人間を、つまはじきする日本の社会の姿です。


【参考記事】
放射性PM2.5としての原発フォールアウト(セシウムボール)を考える(赤の女王とお茶を)


  
タグ :雁屋哲


Posted by 松田まゆみ at 09:57Comments(4)原子力発電政治・社会

2019年04月05日

政党は先を見通した政策を示してほしい

 統一地方選が近づいてきた。北海道知事選は与野党候補の一騎打ちになるが、まだ投票先を決めていない人が3割ほどいるという。選挙の前になるといつも支持政党をしっかり持っている人はどのくらいいるのだろう、無党派の人は何を基準に決めているのだろうかと思う。

 私自身も明確な支持政党があるというわけではない。基本的スタンスとして新自由主義はもちろんのこと、利潤追求を目的とした資本主義自体に疑問を持っているし日米同盟も賛同できないので、そのような視点からは日本共産党や社民党支持ということになる。しかし共産党の民主集中制や上意下達の体制はどうしても無理。組織自体があのような体制で真の民主主義社会が実現できるとはとても思えない。かといって社民党はあまりに弱小だ。

 立憲民主党は「市場経済を基本」とし「日米同盟を軸」とすると謡っている。すなわち、資本主義も米国追従も認めるという立場だ。これは私の考えとは根本的なところで合わない。格差是正は謳っているが、格差を生み出した新自由主義についての考え方も今一つ分からない。ただ、ボトムアップという考え方は大いに賛同するし、財政政策も「薔薇マーク」とは異なるようだ。

 自由党の小沢一郎氏は新自由主義のタカ派だし、小選挙区制を導入した人物だ。しかも野党をかきまわしては離散集合に加担している。前回の衆院選の時には前原氏とともに民進党の希望の党合流を企てて野党共闘をぶち壊し、自公政権の延命に加担した。彼らのような策士は信用に値しない。右派の国民民主党や新自由主義者の小沢氏が牛耳る自由党も支持できない。「薔薇マーク」という財政政策を主張する人たちも支持できない。

 結局、私自身も支持政党があるとは言えないが、その時の状況に応じて共産党、社民党、立憲民主党を支持するということになるので、悩ましいこともある。しかし、こんな感じで支持政党を持てないという人もそれなりにいるのではないかと思えてならない。それだけ日本が全体的に右傾化し左派が弱体化してしまったというのが今の状況なのだろう。ただし、支持政党がないからといって選挙に行かないというのは民主主義の放棄だし、最悪だと思う。支持できないところがあっても、自分の考えに一番近い候補者に入れるしかない。

 ところで、選挙で国民が何に期待するかというと、多くの人が景気回復とか経済成長を挙げるのではないだろうか。要は、いまだに「経済成長」にしか関心がない人が大半なのではないかと思う。

 経済学者の水野和夫氏は、利子率ゼロが長くつづき、経済成長が止まる日が近づいているという。資本主義とは少数の人が利益を独占するシステムだ。水野氏は、富を「周辺」から蒐集して「中心」に集めるシステムだと説明する。しかし1970年代半ばになると原油の高騰もあり「地理的・物的空間」からの利潤率が低下し始めた。そこでアメリカが資本主義を延命させるためにとった手段が「電子・金融機関」で利潤を得るということだった。ITと金融業が結びつくことで資本は国境を越え金融は一気にグローバル化した。

 「地理的・物的空間」で利潤を上げることができた1970年代半ばまでは資本の利益成長と雇用者の成長が同調していたのだが、「電子・金融空間」においては資本家と雇用者は切り離されて資本家だけに利益が集中し、中間層が没落したというのが水野氏の分析だ。

 要するに、新自由主義、資本のための資本主義が民主主義を破壊しているというのだ。一億総中流と言われた時代は終わり、賃金が上がらず格差が拡大して中間層が減ってきているという日本の現実を見れば、まさに水野氏の主張どおりのことが起こっていると言えるだろう。

 私は若い頃マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読んで、資本主義というものに大いに疑問というか懐疑心を持った。利潤追求のシステムはどう考えても生物としての自然の摂理に反するものであり、こんなことを続けていたらいつか破綻するのではないかという直感がしたのだ。

 行き過ぎた資本主義、新自由主義がたどり着いたのは「世界の富裕層1%が富の99%を上回る」というとんでもない貧富の差であり、ごく一部の人への富の集中だ。狂っているとしか言いようがない。

 水野氏の主張するように、もはや資本主義は限界にきており、終焉を迎えつつあると考えるしかない。そして資本主義のあとにくるのはゼロ成長社会であり、すなわち定常経済だということになる。定常経済というのは投資は減価償却の範囲だけであり、「買い替え」だけで経済の循環をつくる社会だ。

 「経済成長しなければ豊になれない」「消費を促せばまだまだ経済成長する」などといった意見を今もしばしば目にするが、大量生産、大量消費の時代はグローバル資本主義によって終わってしまったのであり、今後は「経済成長はほとんどない」あるいは「きわめて緩やかになる」ととらえるべきだ。そして否が応でも「経済成長しなければ豊になれない」という発想は転換しなければならないと思う。日本の少子高齢化はしばらく続くので、消費の大幅な拡大もないだろう。この先、多少の経済成長はあっても、かつてのような経済成長はあり得ない。

 私たちは「経済成長しない社会」を受け入れていくしかないと思う。それと同時に財政の健全化も必須だ。アベノミクスによって日本の財政赤字は拡大し、危機的な状況になっている。企業や富裕層への課税強化はもちろんだが、少子高齢化が進む中で少しでも健全な財政を取り戻すには中間層への課税もやむを得ないと思うし、将来的には消費税の増税も必要になってくるだろう。高齢者が増えていく中で社会保障の費用は大幅に増えていくのであり、大企業や富裕層への課税強化だけでは税収が足りない。もちろん低所得者の賃金を上げたり労働環境を改善することも早急にやらねばならない。課題は山積だ。

 まだしばらく資本主義は続くことになるだろうけれど、私たち日本人はアベノミクスの失敗のツケを払わされることになる。それが最悪の事態にならないようにどうすべきかが、各党の主張からはほとんど見えてこない。莫大な借金を抱えた赤字財政をどう立て直すのか、増え続ける社会保障費はどうやって捻出するのか、低所得者の賃金を上げるにはどうするのか、エネルギー問題はどうするのか、終焉にさしかかっている資本主義をどうソフトランディングさせるのか・・・。政党は「成長」を求めつづける国民の期待に応えようとするのではなく、そこまでの見通しをもって政策を提言してほしい。

【関連記事】
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Posted by 松田まゆみ at 09:49Comments(0)政治・社会

2019年04月03日

「えりもの森裁判」高裁判決

 3月21日に「えりもの森裁判」の高裁判決があった。原告側が控訴していたのだが、残念ながら原告の主張は認められず棄却となった。

 以下は原告の一人としての感想。

 皆伐が行われた当初から現場に何度も通って調査をしてきた私たち原告にとっては、「受光伐」との名のもとに「皆伐」が行われただけでなく、何ら伐採の支障になっていない樹木が「支障木」とされて伐採された現場を目の当たりにした。現場を知る私たちにとっては、過剰伐採も越境伐採も自明だった。

 私たちが裁判を起こして「皆伐」「過剰伐採」を指摘すれば、被告は収穫木の抜き切りをしたあと植林のための「地拵え」をしたために結果的に皆伐状になったのだと屁理屈のような反論をする。「越境伐採」を指摘すれば、私たちが「越境」と指摘した突起状の部分まで伐区に含めたきわめて不自然な図面を出してきた。情報公開で取得していた図面はそのような形はしておらず、図面を書き換えたとしか思えないものだった。

 「受光伐」がどのようなものなのか、あるいは「林班」についてきちんと理解できていたなら、被告側の説明がいかに不自然かはわかりそうなものだが、現場を知らず、林班図や森林計画、施業についての知識がない裁判官には容易に理解できないのかもしれない。釈然としない思いがどうしても残る。

 日本では環境裁判はなかなか勝てないが、これが欧米であったらずいぶん違う結果になるのではないかと思えてならない。

 私たちが裁判を起こした目的は、公有林での違法な伐採を認めさせ改めさせることだった。判決としては棄却であり原告らの敗訴だが、一審の差し戻し審で過剰伐採が認定されたこと、裁判を起こしたことで道有林の施業の在り方に影響を与えたことはひとつの成果だと思う。

  

Posted by 松田まゆみ at 21:50Comments(0)えりもの森裁判