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鬼蜘蛛の網の片隅から › 政治・社会 › 陰謀論の思考と紙一重のニセ科学批判

2012年09月11日

陰謀論の思考と紙一重のニセ科学批判

 先日、辻隆太朗著「世界の陰謀論を読み解く」(講談社現代新書)という本を読んだ。この本の副題は「ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティ」となっており、本書は主としてこれらの陰謀論について解説している。

 私はつい最近までいわゆる陰謀論のことはよく知らなかったし、興味もなかった。ちょっとだけ興味を持ったのは9.11がアメリカ政府による自作自演だという陰謀論。週刊金曜日でも成澤宗男氏などが陰謀論を支持するかのような記事を書いていたが、正直いって週刊金曜日が9.11陰謀論を取り上げるのはどうかと思っていた。

 そして、呆れたのが3.11の東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震が、地震兵器による陰謀であるという説。これは阿修羅掲示板で知ったのだが、あまりに突拍子もない話しだ。この3.11人工地震陰謀論に関しては、リチャード・コシミズ氏が震災直後から唱えていたことを辻氏の本で知った。以下が当該記事。

金融ユダヤ人の人工地震

 コシミズ氏のブログは陰謀論のオンパレードだ。彼のブログのトップページには「多くの人に真実を知らしめ、覚醒を促すのが、本ブログの目的です」と書かれているが、悪い冗談としか思えない。

 阿修羅掲示板には陰謀論がしばしば掲載されている。そして、こうした言説を本気で信じている人が一定程度いるらしい。ブログなどでまことしやかに陰謀論を唱える人がおり、それが掲示板やツイッターで広まるのだろう。

 人工地震説に次いでツイッターなどでしばしば語られたのが、温暖化陰謀論。化石燃料の消費による地球温暖化論は、原子力ムラの人たちが原発を推進するために捏造したものだという説だ。以前から原発に反対する人たちの中に、このような説を唱えている人がいたが、福島の原発事故によって人工地震説などより遥かに多くの人がこの温暖化陰謀論を信じてしまった感がある。原発の安全神話の崩壊が、温暖化陰謀論にまで波及してしまったのだ。普通の人が陰謀論を簡単に信じて拡散してしまうインターネットの世界は怖いと思った。

 ところで、私は今までインターネットで情報収集することはそれほど多くはなかったのだが、福島の原発事故以降はインターネットでの情報収集が多くなった。東電や政府が事実を隠ぺいしたり嘘をつき、マスコミがそれをそのまま報道するので、インターネットによる情報収集が欠かせなくなったからだ。そうした中で、ときどき閲覧するようになったサイトに「カレイドスコープ」がある。福島の事故や放射能問題に関しては、それなりに参考にしていた。

 しかし、ある時このサイトが陰謀論系であることに気づいた(見始めた当初から気づくべきだったのだが、関心のないタイトルの記事は読んでいなかったし過去記事まで閲覧していなかったので気づくのが遅くなった)。もちろん陰謀論者の言っていることがすべて嘘という訳ではないし、原発事故関係の記事は「陰謀」とは直接関係がなさそうだ。しかし陰謀論者は往々にして決めつけた見方をするので要注意だし、陰謀論を振りまいているということに関しては警戒すべきだろう。

 また、福島の原発事故がらみで井口和基氏のブログにたどり着いたこともあったが、UFOやらケムトレイルやら、どうみても「陰謀論の塊」のようなサイトでドッキリした。ケムトレイルというのは有害物質や細菌などを飛行機によって空からばら撒く際の飛行機雲なのだという。人口削減のための大量殺戮という陰謀論を信じているようだが、井口氏の言う飛行機雲とは、何のことはない「大気重力波」ではないか(以下の井口氏の記事、参照)。陰謀論を信じる人には、大気重力波も飛行機雲に見えてしまうのだろう。

「ケムトレイルとHAARPと地震雲」:猛烈なケムトレイルの証拠!

 上述したように、私は福島の原発事故が発端となってそれまでほとんど関心がなかった陰謀論サイトを知ったという経緯がある。

 さて、話しを元に戻そう。辻隆太郎氏が論じているのは主として、ユダヤ、フリーメーソン、イルミナティである。これらの陰謀論について歴史的な背景も辿りながらいかに根拠のないものであるかを丁寧に解説し、陰謀論に共通した思考などを分析しているのが本書だ。要点と思われる辻氏の主張の一部を以下に引用しておこう。

 陰謀論が流行する背景としてよく指摘されるのは、共有常識の崩壊や既存の権威構造の弱体化だ。つまり、人々に共有される世界観や現実認識のあり方、指針が失われたということ。何もかもが疑わしいもの、信頼できないものになってしまったということだ。
(中略)
 この社会がどのように動いているのか、誰がどのような目的で動かしているのか。そもそも誰かが動かしているのか、勝手に動いているのかもわからない。そのなかに存在する自分の生活や選択は、本当に自分の意志によるものなのか。本当は他の誰かの意志に踊らされているだけなのではないか、知らないあいだに社会的に構築されコントロールされているのではないか。
 そのような不安に対し、陰謀論は世界の秩序構造を明確に説明し、世界やわれわれを操作する主体を一点に集約し可視化するとともに、陰謀論者たち自身の自律性の感覚や自己の独自な存在意義を回復し保証する機能をもつ、と考えることができる。陰謀論は世界がどうなっているのか、何が正しく何がまちがっているのか、誰がどのように世界を動かしているのかを明快に説明してくれる。簡単に言えば、陰謀論はわかりにくい現実をわかりやすい虚構に置き換え、世界を理解した気になれるのだ。(253ページ)


 「わかりにくい現実をわかりやすい虚構に置き換え、世界を理解した気になれる」、まさにそれが陰謀論を信じてしまう理由なのだろう。

 福島の原発事故での東電や政府・官僚の隠蔽と嘘は、私たちに不信感を植え付け疑心暗鬼にした。そんな時にインターネットでさまざまな情報が飛び交うと、どれが真実でありどれが嘘なのかを見分けることが極めて難しくなる。うっかりすると陰謀論にはまってしまう。ツイッターによる情報の拡散は効果が絶大だが、それがデマだった場合は多くの人が嘘を信じてしまうことにもなりかねず、影響は大きい。情報がたやすくえられる代わりに、情報の取捨選択が難しいという大変な時代になってしまった。

 それでは陰謀論に陥らないために、私たちはどうしたらいいのだろう? 辻氏は本書の最後で以下のように述べている。

 世の中に流れるすべての情報を額面どおりに受け取る必要はないし、物事を疑うことは重要だ。しかし私たちの多くは、日々与えられるすべての情報について、正確に正誤の判断をつけられるほど多岐にわたる知識を身につけたり、徹底的に検証したりする能力もなければ、そんな暇もない。どこかで情報を信頼して受け入れる必要はある。その判断は難しいし、つまらない結論ではあるのだが、驚くような情報、信じたくなるような情報、自分にとって受け入れやすい情報に出合ったときは、一度立ち止まって考えるべきだろう。
 私たちには世の中すべての情報を検証する能力も余裕もないが、自分の判断が正しいかどうかをつねに問うことはできる。可能であれば、自分の信じることや意見に対する反証を求めること、自分に対する反論を自分自身で考えることが一番だろう。陰謀論はたしかに物事に対する疑いを出発点としているが、その論理は健全な疑いとは正反対のところにある。陰謀論には自らに対する疑いがない。一言でいえば、信じたいものを信じるだけでは駄目なのだ。(285ページ)


 これは例えば放射能が生物に与える害についての論争にも言えるだろう。「安全」を主張する人も「危険」を主張する人も、自分が信じている結論が先にあり、それに合致する情報だけを探して主張するだけなら陰謀論の思考と何ら変わらない。たとえ放射線の専門家ではなくても、自分の支持する見解について常に情報収集し自問自答する必要があるということだ。

 その結果、これまでの自分の主張が間違っていると判断したならば、きちんと訂正することこそ大事なのではないか。主張や意見を変えることは何も恥ずかしいことではない。自問自答や訂正がなされないからこそ、いつまでも意見対立が続き、時としてそれが罵りあいのようになり見苦しいことになるのだろう。

 ところで菊池誠氏をはじめとしたニセ科学批判の方たちも、いわゆる陰謀論は否定的なようだ。しかし原発事故による放射能汚染にまつわる議論を見ていると、ニセ科学批判の人たちの思考は、実は陰謀論者と紙一重ではないかと思えてならない。つまり、「はじめに否定ありき」「はじめに詐欺ありき」「あり得ない」というような「決めつけ」の思考パターンが強すぎて、ほとんど陰謀論者と同じ思考回路になっているのだ。スタートの時点では「健全な疑い」だったものが、批判を続けていくうちに次第に「あり得ない」という決めつけの思考が強くなり、今では「自らに対する疑い」も持てない状態に陥っているように見える。

 そう言えば、群馬大の早川由紀夫さんが以前こんな記事を書いていた。

ニセ科学批判運動の真の目的(早川由紀夫の火山ブログ)

 私はニセ科学批判の人たちの本質が「御用」だという早川さんの説には賛同しないが、「原発こそが、ほんらい彼らがもっとも力を入れて批判すべきニセ科学だったはずだ。運転で生じる毒を始末するすべをもっていない技術なのだから」という発言には大いに賛同する。


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Posted by 松田まゆみ at 22:10│Comments(7)政治・社会
この記事へのコメント
 グローバリズムを陰謀論としてとらえる見方が一定の説得力を持つのは、右であれ左であれドメスティックな視野を出にくい、私を含む日本人の虚をついた視点だからではないかと感じます。おっしゃる通り、混沌とみえるものを解釈するにはいい道具という要素はあり、事実真実では無くても真実を映し出す影程度の意味はあるのかも知れません。
 不思議に思うのは、国内的な出来事(資本や政治の虚偽)を分析批判するには明晰な論理と事実(間違いではなさそうなもの)を以ってするサイトが、グローバリズムの陰謀論を批判する時には、「反日」等々の稚拙な言葉や感情を持ち出してくる点です。自分自身どのような位置と理念でアンチグローバリズムを唱えるのかが見えて来ないのも、疑問点の一つです。これは「国民の生活が第一」を唱える政党が、従来の政治のように国民を「お客さん」の延長で見ているのか、主体として見ているのかが分かりにくいのと、よく似ているように思います。
 もう一つの疑問は、これだけの情報と論理を短時日の間に繰り出すことの出来る、暮らしの糧的なものを含めた根拠は何なのかという点です。
 この辺の疑問を腹に収めつつ読むならば、プラスのものをくみ取ることも出来るように思う次第です。
Posted by あおぞら at 2012年09月13日 06:00
あおぞら様

世の中の事象は実際にはそれほど単純ではありません。たとえば地球温暖化にしても、化石燃料のほかにも要因はいろいろあります。温暖化による影響もさまざまです。原発推進派が利用したのも確かでしょう。そして、時としてクライメート・ゲート事件のようなこともあります。複雑にからみあったことを陰謀論は単純明快に説明してくれるという点で、共感を得やすいのでしょう。とりわけインターネットで情報を得ることの多い若者などは、気をつけてほしいと思います。

ご指摘のサイトのことはよくわかりませんが、いずれにしても、情報過多の現代においては陰謀論を見ぬける目を養う必要があるということ、そして自分自身が「思い込み」に陥っていないか常に問う姿勢が大事かと思います。
Posted by 松田まゆみ at 2012年09月13日 16:29
 グローバルな資本が世界を規格化(単純化)する性向を持ち合わせることは、TPPを持ち出すまでも無く明らかだろうと思います。この影に怯える心理という点で、陰謀論にはリアリティがあるのでしょう。
 問題なのはこの種のグローバル化に対応するに、何を以って自己のアイデンティティとするかだろうと思います。旧弊な国家論やその焼き直し程度ならば、「お爺ちゃんお父ちゃんの御国は悪くなかったもん」くらいの論理(思い込み)でまたぞろ突き進む。これはちとかなわないなという位の話でした。
Posted by あおぞら at 2012年09月13日 17:16
あおぞら様

補足ありがとうございました。

>グローバルな資本が世界を規格化(単純化)する性向を持ち合わせることは、TPPを持ち出すまでも無く明らかだろうと思います。この影に怯える心理という点で、陰謀論にはリアリティがあるのでしょう。

おっしゃる通りですね。いわゆる陰謀論とは別に、世の中は支配、企み、駆け引きといったことに満ちています。モンサントのような企業も然り。そういう企みを私たちは見抜いて操られぬようにしなければならないわけです。このようなグローバルな企みと、荒唐無稽な陰謀論とをしっかりと区別する必要がありますね。
Posted by 松田まゆみ at 2012年09月13日 20:21
 余計は話ですが、過日の記述を拝見するに鬼蜘蛛様は諏訪にゆかりとか。実直な理論家肌は、この地の良さの面を吸収された印象。からりと涼しい霧ヶ峰。道央道東に似ています。
Posted by あおぞら at 2012年09月14日 22:15
あおぞら様

私は長野県上諏訪生まれですが、親の仕事の関係で4歳くらいの頃に東京に移住しました。長野は理論家が多いのですか?

たしかに霧ヶ峰と私の居住地では気候が似てはいますが。
Posted by 松田まゆみ at 2012年09月16日 06:58
 思いや知識や体験を論理化して、人に伝えたい。この気持ちに早る者は多いように思います。
 幕末に薩摩藩の藩邸で、自分が習得した砲術を余す所無く伝えてしまい、知識が広まるのを怖れた薩摩の刺客に斬り殺されたと伝えられる兵法学者がいました。彼などは典型のように思います。
 今でも、他ではひた隠す果樹などの栽培術を、頼まれれば厭わず教えてしまう農家などは結構います。
 欠点とみれば欠点ですが、良さなのだろうとこの頃では感じています。 
Posted by あおぞら at 2012年09月16日 10:05
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