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2025年02月17日
グレート・リセットの失敗と資本主義の終焉に向けて(2)
グローバリストがグレート・リセットに突き進んだ理由は何か?
あくまでも私の個人的考えだが、一部のグローバリストがグレート・リセットなどという究極の支配構造に突き進んだ理由は、資本主義が引き起こした環境問題(含温暖化)、人口増加、エネルギー危機から脱するための、支配による持続可能な社会の実現だったのではないかと思えてならない。
おそらく彼らも資本主義はすでに限界であると悟っていたのだろう。経済成長を目指し人口が増え続けたなら、地球は持ちこたえられないと。ならば、資本主義を終わらせて定常経済に移行させれば良さそうなものだが、世の中の大半の人は資本主義や経済成長を支持しており、民主的な合意形成を経てそれを実現させるのは至難の業だ。しかも時間がかかる。温暖化阻止は待ったなしだ。それに、何よりも資本主義で莫大な資産を築いた人たちは資本主義も資産も手放したくないだろう。
ならば、強引にでも人口を減らせば環境負荷も減るし食料危機やエネルギー危機も乗り越えられるし、最も手っ取り早い方法だ。その後は徹底した管理・支配体制によって人口増加も抑え、持続可能な体制を作り出そうとしたのではないか? その計画を叶えるために各国の官僚を支配下に置き、人工ウイルスを利用したパンデミックとmRNAワクチンが使われたのだろうと私は想像している。
しかし、こんな発想はどう考えても正気の沙汰ではないし、人が人を支配するなど自然の摂理に大きく逆らう行為に他ならない。ならば、私たち人類はどういう社会システムを選ぶべきなのか?
斎藤幸平氏の提唱するコミュニズムによる社会主義
以前にも紹介したが、それを提示しているのが日本の若き経済思想家の斎藤幸平氏だ。斎藤氏の提案する民主的で搾取のない協力的なコニュニティによる社会システム(これは晩期マルクスの思想を元にしている)こそ、資本主義に代わるシステムとして選択すべきではなかろうか。
資本主義で高度経済成長を経験した私たちの多くは、今も資本主義に拘泥し、左派といわれる人たちですら、資本主義の枠内での平等や福祉の実現を考える人が多い。しかし、利潤を追求し労働者を搾取し、格差を拡大させるのが資本主義だ。また、戦後の高度経済成長は安い化石燃料があったから実現できた。化石燃料が有限で高騰を続けるのなら、いつまでも成長を続けることはできない。極端な富の偏在や今起きている様々な問題も資本主義を終わらせることでしか根本的な解決はできない。
資本主義体制であっても、北欧のような福祉国家があるではないか、と言われそうだ。私も以前は北欧のような社会を目指すべきだと考えていた。しかし、斎藤氏は、再配分政策での福祉国家は高度経済成長が必要であること、先進国はグローバルサウスからの搾取によって支えられてきたことなどを理由に限界があるという。その通りだろう。
若い頃から資本主義に疑問を持っていた私は、斎藤氏の提言に大賛成だ。人類が数百万年も生き延びてきたのは、平等で協力的なコミュニティを長期間維持してきたからだと思う。狩猟採集時代の人々は、協力しあって狩りをし、得られた食料をコミュニティの中で平等に分け合っていたに違いない。搾取の構造がある限り、平等も平和もない。結局は、搾取のない協力的なシステムに回帰することでしか人類が生き延びる道はないのではなかろうか。そういう社会は過度な競争もないし、ストレスも少ないだろう。アドラー心理学でも「共同体感覚」を重視し、人が他者と協力しあう関係にこそ幸福があるという。協力的な共同体こそヒトという種が持続していく鍵なのかもしれない。
人類は発展を求め続けることで、あまりにも自然の摂理を無視し、経済成長という欲にはしてしまった。そして、様々な危機に直面することになった。経済成長を続けた結果、生物は激減し、もはや地球の自然環境は悲鳴を上げている。日頃、自然と接し、生物を観察している人なら誰もが生物の激減を実感しているだろう。人々はレジャーとか趣味と称して休日になると山や海や公園などに出かけたりキャンプを楽しんだりする。それは人という生物の「内なる自然」が自然との関わりを求めているからだろう。
人も自然の一員である以上、自然環境を大切にし、自然の摂理に背いた経済成長を止めなければならない。きれいな水も空気も自然がもたらしているし、食べるものも自然が育んでいる。衣類や住居の原材料も自然から得ている。人は自然なしには生きていけない。かつて(といってもひと世代前くらい)は今よりはるかに自然が身の回りにあり、子どもたちは夕方まで外遊びをしたものだ。そうした遊びを通じてさまざまなことを学んできた。そんな環境を取り戻さなければならない。
しかし、資本主義はその自然を破壊し汚染しつづけている。ITだとかAIだといかいうけれど、それに必要な半導体も大量の電力や水を消費し、有害物質で水質汚染を招いている。北海道の千歳ではラピダスが工場を建設しているが、半導体生産のために原発を稼働させたり環境汚染を招くことになるのならやはり立ち止まらなければならない。持続可能な社会を取り戻すというのなら、自然を大切にして資本主義から脱するしかないのだろうと思う。
グレート・リセットの失敗と資本主義の終焉に向けて(1)
グレート・リセットの失敗と資本主義の終焉に向けて(3)
あくまでも私の個人的考えだが、一部のグローバリストがグレート・リセットなどという究極の支配構造に突き進んだ理由は、資本主義が引き起こした環境問題(含温暖化)、人口増加、エネルギー危機から脱するための、支配による持続可能な社会の実現だったのではないかと思えてならない。
おそらく彼らも資本主義はすでに限界であると悟っていたのだろう。経済成長を目指し人口が増え続けたなら、地球は持ちこたえられないと。ならば、資本主義を終わらせて定常経済に移行させれば良さそうなものだが、世の中の大半の人は資本主義や経済成長を支持しており、民主的な合意形成を経てそれを実現させるのは至難の業だ。しかも時間がかかる。温暖化阻止は待ったなしだ。それに、何よりも資本主義で莫大な資産を築いた人たちは資本主義も資産も手放したくないだろう。
ならば、強引にでも人口を減らせば環境負荷も減るし食料危機やエネルギー危機も乗り越えられるし、最も手っ取り早い方法だ。その後は徹底した管理・支配体制によって人口増加も抑え、持続可能な体制を作り出そうとしたのではないか? その計画を叶えるために各国の官僚を支配下に置き、人工ウイルスを利用したパンデミックとmRNAワクチンが使われたのだろうと私は想像している。
しかし、こんな発想はどう考えても正気の沙汰ではないし、人が人を支配するなど自然の摂理に大きく逆らう行為に他ならない。ならば、私たち人類はどういう社会システムを選ぶべきなのか?
斎藤幸平氏の提唱するコミュニズムによる社会主義
以前にも紹介したが、それを提示しているのが日本の若き経済思想家の斎藤幸平氏だ。斎藤氏の提案する民主的で搾取のない協力的なコニュニティによる社会システム(これは晩期マルクスの思想を元にしている)こそ、資本主義に代わるシステムとして選択すべきではなかろうか。
資本主義で高度経済成長を経験した私たちの多くは、今も資本主義に拘泥し、左派といわれる人たちですら、資本主義の枠内での平等や福祉の実現を考える人が多い。しかし、利潤を追求し労働者を搾取し、格差を拡大させるのが資本主義だ。また、戦後の高度経済成長は安い化石燃料があったから実現できた。化石燃料が有限で高騰を続けるのなら、いつまでも成長を続けることはできない。極端な富の偏在や今起きている様々な問題も資本主義を終わらせることでしか根本的な解決はできない。
資本主義体制であっても、北欧のような福祉国家があるではないか、と言われそうだ。私も以前は北欧のような社会を目指すべきだと考えていた。しかし、斎藤氏は、再配分政策での福祉国家は高度経済成長が必要であること、先進国はグローバルサウスからの搾取によって支えられてきたことなどを理由に限界があるという。その通りだろう。
若い頃から資本主義に疑問を持っていた私は、斎藤氏の提言に大賛成だ。人類が数百万年も生き延びてきたのは、平等で協力的なコミュニティを長期間維持してきたからだと思う。狩猟採集時代の人々は、協力しあって狩りをし、得られた食料をコミュニティの中で平等に分け合っていたに違いない。搾取の構造がある限り、平等も平和もない。結局は、搾取のない協力的なシステムに回帰することでしか人類が生き延びる道はないのではなかろうか。そういう社会は過度な競争もないし、ストレスも少ないだろう。アドラー心理学でも「共同体感覚」を重視し、人が他者と協力しあう関係にこそ幸福があるという。協力的な共同体こそヒトという種が持続していく鍵なのかもしれない。
人類は発展を求め続けることで、あまりにも自然の摂理を無視し、経済成長という欲にはしてしまった。そして、様々な危機に直面することになった。経済成長を続けた結果、生物は激減し、もはや地球の自然環境は悲鳴を上げている。日頃、自然と接し、生物を観察している人なら誰もが生物の激減を実感しているだろう。人々はレジャーとか趣味と称して休日になると山や海や公園などに出かけたりキャンプを楽しんだりする。それは人という生物の「内なる自然」が自然との関わりを求めているからだろう。
人も自然の一員である以上、自然環境を大切にし、自然の摂理に背いた経済成長を止めなければならない。きれいな水も空気も自然がもたらしているし、食べるものも自然が育んでいる。衣類や住居の原材料も自然から得ている。人は自然なしには生きていけない。かつて(といってもひと世代前くらい)は今よりはるかに自然が身の回りにあり、子どもたちは夕方まで外遊びをしたものだ。そうした遊びを通じてさまざまなことを学んできた。そんな環境を取り戻さなければならない。
しかし、資本主義はその自然を破壊し汚染しつづけている。ITだとかAIだといかいうけれど、それに必要な半導体も大量の電力や水を消費し、有害物質で水質汚染を招いている。北海道の千歳ではラピダスが工場を建設しているが、半導体生産のために原発を稼働させたり環境汚染を招くことになるのならやはり立ち止まらなければならない。持続可能な社会を取り戻すというのなら、自然を大切にして資本主義から脱するしかないのだろうと思う。
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タグ :グレート・リセット
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Posted by 松田まゆみ at 15:54│Comments(0)
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