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鬼蜘蛛の網の片隅から › 共同出版・自費出版 › 呆れ果てるマスコミ

2008年03月04日

呆れ果てるマスコミ

 碧天舎の倒産、新風舎の倒産で、マスコミはどのような役割を果たしたのでしょうか?

 大手新聞社は原稿募集の新聞広告を掲載して著者を引き込みました。大手新聞社の広告なら安心だと思って契約した著者も多かったのではないでしょうか。朝日新聞などは新風舎の提灯記事まで書きましたし、文芸社があたかも問題のない出版社であるかのように受け取れる記事も書きました。

 ところが、それらの出版社が主として行っていた共同出版は詐欺的な商法であったわけです。詐欺的というのはもちろん出版社と著者で費用を分担するとしながら出版社は何ら負担せず、実際の出版費用を上回る請求をしていたということです。契約と実態が異なり、本が一冊も売れなくても利益が上がるという出版社にとって非常においしい商法で、不公正な取引だったことがわかりました。

 では、新聞はその商行為についてどれだけ問題点を伝え、警鐘を鳴らしてきたでしょうか? 新風舎の例でいうなら、一部の著者が起こした裁判やそれに関連することばかり取り上げました。つまり「書店にほとんど本が並ばなかった」ということや賞ビジネスがもっぱらの話題になったのです。そして、不当な費用請求についてはほとんど話題にされませんでした。

 共同出版の疑惑については、私は2005年からJANJANに投稿していましたから、その本質的問題点はネットで調べればわかったはずです。しかしマスコミは、新風舎商法を考える会」をつくり著者らを提訴させて新風舎問題を広めた尾崎浩一氏の主張をそのまま伝えたのです。これによって、共同出版商法の本質がますます見えにくくなってしまい、提携書店の棚を有料で借りて本を並べている文芸社は問題ないかのような雰囲気が作り出されました。

 しかも、尾崎氏は新風舎の契約がサービスの契約であり著者は消費者だといういい加減な解釈を撒き散らしたのです。この尾崎氏の解釈がおかしいことは、前回の記事にコメントをしてくださった柴田晴廣さんの記事でも明らかです。柴田さんは「共同出版の利用者を消費者として救済するなどもってのほかです」とされています。

 さて、新風舎の倒産後、出版権が消失していない新風舎の原稿を出版してしまい、販売されている方がいます。「俺、マジダメかもしれない・・・」という本です。この著者の方は、ご自分が新風舎と交わした契約を理解されていなかったのでしょうか? もし契約内容をきちんと理解されていたなら、今回の出版は断わるか延期していたことでしょうね。なぜなら、出版権を出版社に設定している原稿を別の会社から出版することは法に抵触する行為だからです。

 新風舎の財産が保全管理人弁護士の管理下にある状況のもとでは、財産的価値のある本のデータは債権なのです。出版権が解除されたり消滅していない以上、著者といえども勝手に出版することはできません。保全管理人弁護士は本のデータが新風舎に所有権のある財産であることを伝えています。また、弁護士は外部委託先や印刷会社にも、データをそのまま保管しておくように伝えています。その文書をJPS出版局の高石左京氏自身が自分のブログにアップしています。外部編集者の方は、なぜ保管しておかなかったのでしょうか?

 その出版の実現にむけて編集者と著者を結びつけ出版させた高石左京氏からは、どんな説明を受けていたのでしょうか? 出版契約のことがよくわからない著者にいい加減な持論を説明して契約させたのであれば、とんでもない非常識者です。

 高石氏はあちこちのマスコミに取材依頼をしたようですが、業界関係者が介入して債権であるデータをつかって違法と判断される出版をしてしまったというこの不祥事を、マスコミが何も調べずに報道したのであれば、これまたとんでもない失態でしょう。

 共同出版問題に関してマスコミのやってきたことは「どうしようもない」の一言です。

 そして、新聞社は相変わらず、新風舎と同様の商行為を行っている出版社の原稿募集の広告を掲載しています。責任などというものを持ち合わせていないとしか思えません。


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Posted by 松田まゆみ at 15:57│Comments(35)共同出版・自費出版
この記事へのコメント
松田まゆみ様

 「俺、マジダメかもしれない・・・」という本の出版権設定契約の日付などわかりますでしょうか?
 というのは、著作権法八一条一号及び同法八四条一項の規定から、消滅の通知をしていれば、一概に違法とはいえないからです。
 ただし、データをそのまま使ったというのは問題がありますが
 また「俺、マジダメかもしれない・・・」という本については仕掛品だったようですが、既刊されているものについても同八一条二号及び八四条二項の規定から通知をすれば、出版権を消滅させることができます。
 この場合も上記と同様に、新風舎が所有権を有するデータをそのまま使えば問題が残りますが、ワードなどの自己が所有している原稿で出版する限りは問題ありません。
 要するに「保全管理人弁護士の管理下にある債権」を使用して出版することが問題であり、出版権の消滅については別問題として考えなければ、よりわかりづらくなるように思います。

 
Posted by 柴田晴廣 at 2008年03月04日 18:00
 連続投稿お許し願います。
 「俺、マジダメかもしれない・・・」、これ受賞作のようですね。
 以前懸賞広告と出版権については、blogで書いたことがあります(http://blog.goo.ne.jp/zxcv_002/e/9168b9b1ad015159596b8b49f3a2b387)が、このシュミレーションとはまったく別のパターンです。
 右記頁(http://toshii07.blog98.fc2.com/)の「本出版まで」を見る限り、著作権法八一条一号及び同八四条一項の規定の適用の余地はないように思いました。
 新風舎が問題あることはいまさらいうまでもないことですが、この著者の行動も首を傾げます。
 保全管理人の方も一段落ついたら、この問題に着手するでしょうね。
 
Posted by 柴田晴廣 at 2008年03月04日 19:19
柴田晴廣様

コメントありがとうございます。
著者の方がたとえコンサートに間に合わせたいという事情があったにしても、今回の出版はあまりにも拙速で不適切な判断だったと思います。
また、それ以上に、著者と編集者をつないで仲介し、自分の会社から出版させた高石氏の常識が問われる問題だと思います。長年出版業界にいた方の行動とは思えません。
もちろん、私はこの本の内容をどうこういうつもりは全くありませんが、今回の出版までの経緯は非常に問題といえるでしょう。
Posted by 松田まゆみ at 2008年03月04日 20:05
 高石氏の行為は、「著作権ニ関スル仲介業務ニ関スル法律」(http://law.e-gov.go.jp/haishi/S14HO067.html)の一条一項「著作物ノ出版ニ関スル契約ニ付著作権者ノ為ニ代理又ハ媒介ヲ業トシテ為ス」に該当するように思いますが、罰金は、三千円以下のようです(同法一〇条)。
 この法律の罰則まで知っていてやっているとすればかなりの悪質な方のように思います。
Posted by 柴田晴廣 at 2008年03月04日 21:19
柴田晴廣様

高石氏はご自身のブログでデータの所有権は新風舎にはないとの見解を持ち出して反論しているようですが、債権侵害や出版権についての反論になっていません。
http://plaza.rakuten.co.jp/jps2005/diary/200803050000/

保全管理人弁護士の判断に従わないのなら、法的手続きを経なければならないと思います。弁護士はまだ破産させていないのですから。高石氏の行動は開き直りとしか思えません。
Posted by 松田まゆみ at 2008年03月05日 08:48
松田まゆみ様

 ご紹介いただいた頁、見てみましたがよくわかりません。
 高石氏は、「今日の『自費出版・個人出版のすすめ』に紹介しておいた」と書いておられますが、「自費出版・個人出版のすすめ」を見てもそれらしきことは書いてありませんでした。本当にこの人編集者なんですか?
 また「真夜中のミクシィに『新風舎問題の新たな段階』という記事を書いた」とも書いてありましたが、これについては、要パスワードということでした。要パスワードのものをリンクするというのは、公私混同されているように思いました。
 私は、この高石氏について興味はありませんから、本題に戻します。
 先にもコメントしたように、この問題でマスコミに期待することはどだい無理なことと思います。
 著作権法の目的は「文化の発展」にあり、その目的達成手段として「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図」るとしています(著一条)。この「公正な利用に留意しつつ」の文言を受け著作権法二章三節五款が規定され、放送事業者や新聞は著作物の利用が大幅に認められています。
 情報の中には、文化の発展に寄与するものもあれば、単に娯楽に供するものもあります。
 しかし「軽薄短小」という言葉がいわれて久しい今日、マスコミは真に文化の発展に寄与する情報の発信より娯楽に供する情報が優先して発信していたと思います。これはその受け手たる読者あるいは視聴者にも責任の一端があります。
 出版界にしても上述の著作権法により保護されているわけですが、法目的たる「文化の発展」(著一条)に寄与する書籍より、「売れる」が優先されてきたわけです。この「売れる」を優先した出版社が業績好調といわれる会社です。
 そもそも自費出版は、こうした「売れる」とは別次元で、郷土史料など小部数でも文化として残すべきものや文芸の同人誌のように互いの切磋琢磨の場として発行されてきたものです。
 高度成長期まではこうして発行された小部数の書籍を出版社が発掘し、商業ベースに乗せていました。それが出版社が企画し、職業作家にその企画を持ち込み、執筆を依頼するようになります。企画出版といわれるものです。箱入りの上製本から「○○ブックス」と発行者の名が付されたソフトカバーが出回るものこのころです。
 そうした企画出版が主流を占める中でも従来どおりの自費出版は存在していました。
 それがワープロなどの印字技術の発展、さらにはインターネットの普及により書き手に幻想を与えました。また共同出版ではないものの郷土史料などではなく、古代史などを扱った「トンデモ本」といわれるものが出回るのもワープロの普及と無縁ではありません。
 そしていわゆる共同出版が登場するわけです。
 私はこの流れは「軽薄短小」という風潮の中ででるべくして出たものと思います。そしてこの「軽薄短小」という風潮は、行動を起すときの関連法規の軽視といったものも影響を与えていると思います。
 自費出版であれ、共同出版であれ、企画出版であれ、どのような出版形態であっても著作権法の一章から三章まで並びに七章及び八章を読まずに出版を考えるなど非常識きわまりないことです。
 長くなりましたからこの辺りで筆を置きます。
Posted by 柴田晴廣 at 2008年03月05日 12:53
柴田晴廣様

丁寧なご意見ありがとうございました。

高石氏はご自身の著書の著者紹介で「大学時代に老舗の出版社入社。30代半ばに自ら創業した出版社の代表取締役に就任。その後、出版社数社の代表取締役などを務める」と記しています。

確かに要バスワードのページをリンクされても、反論とか説明とはいえません。反論があるなら、私のブログのコメント欄に書くべきだと思います。

ところで、ご指摘のように、従来の自費出版は「売れる」とか「売れない」ということとは別次元で行われていましたし、それ自体はもちろん意味のある文化的な行為だと思います。私も、文芸社と解約した父の遺稿集(作品集)は、目的を変えて収録作品を増やし、販売しない形で出版しました。

共同出版社の問題は、本来なら自費出版として出すべき書物まで販売を謳って出版させ、自費出版と同様の方法で利益を得ようとしたところなのだと思います。柴田さんのおっしゃるように、共同出版であっても自費出版であっても著作権法をきちんと理解したうえで契約書を作成し、それに則った事業をしていたならこのような問題は生じなかったでしょう。

出版社側には、法的なことがわからない著者を錯誤させて契約させ、出版社に有利な商行為をしようという思惑があったとしか感じられません。出版不況とワープロ・インターネットの普及のなかで、出るべくして出てきた商法といえるかもしれませんね。

大手マスコミは出版部を持っていますし、顧問弁護士もいるはずです。さらにマスコミこそ著作権法を十分に理解していなければならない立場です。この問題について大きな期待はできないとしても、やはり責任ある立場だと私は思います。
Posted by 松田まゆみ at 2008年03月05日 14:19
松田まゆみ様

 若干私の意見とは、異なります。
 私は共同出版で問題なのは、商業ベースに乗る体裁を取ってない本について「印税云々」といっている点にあると思います。
 そしてこれが成立するのは、先にも書いたように本を出版するについて、著者があまりにも関連法令をはじめ出版事情などを理解していないことです。
 共同出版は、詐欺的と表現されることもありますが、共同出版に限らずいわゆる詐欺的なものに引っかかる人種自体に問題があると私は思います。
 これらの者に共通するのは、先に書いたように関連法令やその周辺の事情を自分で調べもせず、勝手な皮算用をし、当てが外れると騒ぎ出す点でしょう。
 これらの者に対しての私の基本的な立場は、自業自得、高い授業料として同じ轍を踏まないように教訓にせよです。
 マスコミの責任という点についていえば、近代国家の体裁を取っている以上、マスコミは自由主義とはなにか?民主主義とはなにか?これらのことについて啓蒙する責任はあると思います。その点からいえば共同出版をはじめ詐欺的な行為などは枝葉末節なことです。
 枝葉末節な個々の事例より、上述の自由主義とは?民主主義とは?といった概念を正しく伝え、国民にリーガルマインドを持たせるのがマスコミの役割でしょう。

 さて私事になりますが、私は自費出版で二冊の本を発行しました。いずれも郷土の伝承を題材にしたものです。
 私は現在を考えるには、過去を知らなければならないと思います。歴史はデジタルではないからです。
 学生が「中世農民の研究をやる」との発言に「百姓に歴史がありますか?」と応えた平泉澄などはまったくの論外。私は支配者の歴史など民衆史の上に被さっているに過ぎないと考えています。実は支配者は民衆に動かされているということです。
 私がマスコミに期待を寄せないのもここにあります。

 松田さんの目標が「共同出版・自費出版の被害をなくす」ことであれば、どうでもいい高石氏など捨て置いておくのはいまさらいうまでもないことですが、マスコミに期待するより他にやることがあるように思います。
Posted by 柴田晴廣 at 2008年03月05日 15:27
柴田晴廣様

もちろん、販売を謳いながら商業ベースに乗る体裁になっていない本をつくり「印税」を支払うとしている点も大きな問題です。

柴田さんのご意見はもちろん尊重しますが、私は、騙す方と騙される方のどちらが悪いかといえば、やはり騙す方だという考えです。もちろん、きちんと情報収集や下調べをせずに契約してしまう著者に責任がないとは思いませんが。

また、市民が泣き寝入りをして騙す人を容認してしまうことで、騙す人をつくりだしているともいえます。そういう視点から見るなら社会の中での個人個人の自覚や意識は非常に大切であり、ひとりひとりが行動することに意味があると感じています。

ただ、今の社会では「騙し」は非常に巧妙化し、広範囲にわたっていて誰もが騙される危険にさらされているので、情報提供も必要だと思っています。マスコミに不満なのは振り込め詐欺やリフォーム詐欺、キャッチセールスなどといった悪質商法への注意喚起はしばしばするのに、わかりにくい共同出版商法について正確に報道しないという点です。

ご意見、ありがとうございました。
Posted by 松田まゆみ at 2008年03月05日 19:34
松田まゆみ様

 問題の整理ができてきましたね。
 私も泣き寝入りには賛成しません。
 ただ泣き寝入りしない方法というのが「関連法令やその周辺の事情を自分で下調べもせず、勝手な皮算用をし、当てが外れると騒ぎ出す」、これではまったく教訓が活かされていません。
 共同出版での契約は消費者だから救済されるなどという言を、関連法令に自ら当たることなく鵜呑みに信じたり、データの所有権の所在を関連法令に当たって確認しないなどが教訓が活かされていない例です。
 「賢者は歴史から学ぶ、愚者は経験から学ぶ」という言葉がありますが、現実には、経験からも学べない「愚者愚者な人間」も数多くいます。幸か不幸か現実の世界での私の周りには、こういった連中が腐るほどいます。
 「バカは死ななきゃ直らない」というのは、こういった連中のことです。こういった連中はどれだけいっても無駄です。
 「どうでもいい高石氏のことは捨て置け」といっているのもこのことです。

 さてマニュアルどおりにしか対応ができない人間が多くなったといわれて久しいですが、マニュアルどおりにしか対応ができず応用が利かないというのは、経験からも学べないに通じるところがあります。
 なぜマニュアルどおりにしか対応できないのか?これは自ら調べて納得いく答えを導くということをおろそかにしたツケです。
 こうした風潮はインターネットの普及でますます加速したように思います。
 これは、先に書いたように自由主義とは?民主主義とは?といったリーガルマインドの基本となるようなことができていないこと、ひいてはすべての事柄について本質はなにかといったことを考えなくなったからにほかなりません。
 こうした風潮が松田さんが指摘する「騙しは非常に巧妙化し、広範囲にわたっていて誰もが騙される危険にさらされ」るという状況を作出したのです。
 松田さんが「誰もが」といわれているように、マスコミに籍を置く人間も騙しの危険にさらされる対象に含まれます。
 マスコミに籍を置いているか否かといった次元で考えていてもいつまでたっても解決しません。
 私がいわんとするのは、どうすればこうした問題の根本が解決できるかということです。
 付け加えておけば「わかりにくい共同出版商法について正確に報道しない」のではなく、マスコミの人間もこうした風潮の中でいる人間にほかならず、本質がみえていないことから「正確に報道しようにもできない」、これが実情だと私は考えています。
Posted by 柴田晴廣 at 2008年03月05日 21:08
柴田晴廣様

そうですね。おっしゃるとおり歴史から学ぶということはとても重要なことですし、少なくとも経験から学んでいかなければ同じことを繰り返すだけでしょう。人は歴史に学び、経験を教訓として賢くあるように務めなければならないと思います。

高石氏のことに関しては、私が会の世話人として任命してしまったという経緯がありますので、その反省や責任からも事実を明らかにすべきだと考えて指摘しました。まあ、公の場で議論する意思すらないようですから、何をいってもダメでしょう。法的なことを何も調べもせず盲目的に彼の主張を信じている人については、あとは自己責任だと思います。

マスコミについてひとつだけ付け加えさせていただくなら、マスコミの記者が共同出版問題の本質を理解したとして、果たして会社として本質をついた記事を掲載できるのかということだと思います。私は複数のマスコミ関係者やジャーナリストに本質的問題点を説明していますが、記事になったという話は伝わってきません。記者が書いたとしてもデスクでボツにされるのではないでしょうか。業界からの圧力なども関係しているのではないかと思います。

大変有意義なご意見、ありがとうございました。
Posted by 松田まゆみ at 2008年03月06日 12:31
松田まゆみ様

 まず先のコメントの訂正です。
 先のコメントで松田さんのコメントを引用し「騙しは非常に巧妙化し、広範囲にわたっていて誰もが騙される危険・・・」と書きましたが、こと共同出版については、前半部分の「騙しは非常に巧妙化し」は当てはまりません。
 共同出版の被害者と称する人たちは法律用語でいう過失、つまり不注意といった類のものではなく、極度の重過失、客観的にいうなら「どうかしている」に尽きるでしょう。
 あとで説明しますが、「業界からの圧力など」ではなく、この「どうかしている」がマスコミが採り上げない理由のひとつと考えられます。
 マスコミの責任として「新風舎、文芸社などの募集広告を掲載した」ことが挙げられますが、詐欺的な手口では一般的なものです。
 一般紙の一面あるいは二面に広告が載っていたから信用したなどというのは、上述の「どうかしている」を通り越して「おかしいじゃない」というのが多くの第三者の判断でしょう。
 ちなみに私は自身のHP(http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/)のトップに「通説にこだわることなく、自分の頭で納得できるまで考えてみる」をサイトコンセプトとして掲げています。これはサイトコンセプトというより、私のひとつの信条です。

 当事者にとっては重大なことでしょうが、一般の多くの読者などからみれば共同出版の問題など関係ない話題です。現時点では民事の問題に過ぎず、それも一部の者が書店に並ばなかったなどを理由に訴訟を起しているだけですから
 新聞社も公益法人ではありません。多くの読者が関心のないことに紙面を割けといっても「はいそうですか」とはいうわけがありません。
 仮に私がデスクでも「こんな問題を採り上げるより・・・」とおそらくいうでしょう。
 ですから、私はこの問題をマスコミが採り上げないのは当然のことと思っています。
 問題があるとすれば、中途半端な採り上げ方です。一般の企業と同様に民事再生法の手続を申請したとこれだけ書けば十分だった、妙な採り上げ方をするから誤解が生じたと思います。

 高石氏については、私はなんら関心はありませんが、紹介していただいたサイトをざっと読んだ限りで問題点を挙げれば、偽善の一言に尽きるかと思います。
 ざっと読んだだけで頁など記憶していませんが、高石氏自身が仕掛品のうち本になるのは、五十冊程度だと書かれています。そもそも既刊されていない千百名を対称にしているのではなく、その五パーセント弱の者を対象としているにもかかわらず、あたかも既刊されていない者全員を救済するかのごとくトップページに掲げている点でしょう。
 確認はしていませんが新風舎で増刷されるのが、一割程度だったと思います。
 未既刊のもので五百部以上販売できるものは単純に計算して百前後ということになります。
 初刷が五百部ですから、この百名前後の著者の本は、五百部以上売れるということです。高石氏は、損益分岐点を千冊前後である旨書かれていますから、五十冊程度というのは、高石氏が利益が出ると考えておられる数と一致すると考えていいかと思います。
 五十冊が全体の五パーセントで一割と一致しないのは、新たに編集をせず校正だけで済むのが、その半分と見込んでのことではないかと思います。
 これらの発言がいつ書かれたかということまでは調べていませんが、会の世話人に任命する前から書いていたとすれば、責任として書かざるを得ないですね。
Posted by 柴田晴廣 at 2008年03月06日 15:14
柴田晴廣様

「自分の頭で納得できるまで考えてみる」ということについては、おっしゃるとおりだと思います。

ただ、マスコミにや被害者のことについては、どうやら私と柴田さんとでは見方が異なるようです。「圧力」云々のことについては実際に関係者から聞き及んでいます。また、マスコミの方が関心を持たれて私に問い合わせをしてきたので、問題点を詳しく説明したこともありますが、やはり記事にはなっていないようです。新聞は自費出版の話題はときどき取り上げますが、共同出版の問題については深く言及しないというのが現実だと感じています。私のこれまでの経験からも意図的に掲載したくない事情があるとしか思えません。

被害者のことについても、私は著者をそこまで非難すべきではないと思います。法律というのは一般の人には難解ですから、すべて理解して行動せよとはいえません。ただし、著者は契約書に書かれていることの意味を理解して判を押す責任がある思います。また、これまでの私の知りえた情報からも、共同出版商法は巧妙化してきていると感じています。

高石氏は、世話人になっていただいたときの約束を反故にし、会の世話人であることを自分のブログなどで知らせたうえで著者を集めたりご自身の事業を宣伝しました。また契約書を無視した所有権論を持ち出して法に抵触する行為を行うなど問題行動を引き起こしました。私には、このような非常識な人物を世話人としてしまったことに対して責任があります。

また、高石氏が会の名前を持ち出したために彼を信頼してしまった人もいたのではないかと思われます。そこで、そのような方たちに事実を伝える必要があると思い、あえて名前を出して彼の行為について指摘しました。
Posted by 松田まゆみ at 2008年03月06日 18:52
松田まゆみ様

 まずマスコミについてです。
 「意図的に掲載したくない事情」ということですが、具体的にどのような事情が想定されますか?
 先に書いたようにこの問題は一部の者の興味に過ぎない、当然多くの者が興味がある記事を優先させる、それだけのことです。
 松田さんの周り(当然ネットとかは除きます)に本を出したいと考えている人がどれだけいますか?
 記者というのは、取材はしますよ。専門用語でなんていうのかは忘れましたが、空きができたときの埋めるための記事をストックしておく必要がありますから
 付け加えておけば、文芸社程度の会社がマスコミに圧力を掛けるような力があると思いますか?

 つぎに被害者と称する人たちについて
 先にも書きましたが、私が見積もりをとったときには、販売予定価格まで明記されていました。
 法律云々以前に、販売予定価格に部数を掛けた金額が著者負担額より低い、まずこれで疑問を抱かないという点が極度の重過失の根拠です。
 上記で疑問を抱けば、どんな町にも印刷屋さんはあります。そこで印刷代を見積もってもらえば、著者負担額がおかしいことはわかるはずです。
 販売予定価格に部数を掛けた金額が著者負担額より低い、これはある意味でのマルチ商法と同じ構図です。
 「品物を買えば買うほど儲かる」という商法が問題になったことがありますが、この商法と同じくちょっと考えればあり得ない話なのです。この商法の被害者と異なり、少なくとも本を出すだけの知識と能力がある点において、これに疑問を抱かない方がどうかしている、一般的にみればこのように判断するのが妥当だと思います。
 また巧妙になっているという点についても松田さんが見積もりを取った時点では販売予定価格は明示されていなかったということですから、逆に明瞭になったといえると思います。

 この二点について少し補足をします。
 松田さん自身、共同出版の問題を新風舎のみに絞込み文芸社の問題点をあやふやにしていることを批判していますね。
 これは意図的に文芸社の問題をあやふやにしようとしてのことですが、意図的であるか否かに関係なく、問題を絞り込みすぎれば、その問題がわかりづらくなります。
 松田さんが仰るように共同出版は、「詐欺的」な手法を用いています。
 だから私はこのコメントを含め、他の詐欺的な(というより完全な詐欺)手法と比較しながら、話を進めてきました。
 たとえば「品物を買えば買うほど儲かる」という商法、新聞で特集を組むほど採り上げましたか?
 またこの商法に引っかかった人たちのことを松田さんはどのように思いましたか?
 ですから、私がどうこうとかではなく、第三者が見たら「どうかしている」と判断するということをいっているわけです。

 最後に高石氏
 データについては印刷組合のガイドラインを根拠にしているようですが、ガイドラインはあくまでガイドラインです。
 そもそも契約については、契約自由の原則により公序良俗に反しない限り有効です。
 ガイドラインをもってきてもまったく根拠にならないという点、それと契約自由の原則すら知らない法の不知。共同出版の被害者を称する人たちよりノー天気な方のように思いました。
 先に書いたように高石氏は、禿タカのごとく新風舎の食べ残しを漁ろうとしていたわけですから、彼を世話人に選んだのは、迂闊でしたね。
Posted by 柴田晴廣 at 2008年03月06日 20:07
柴田晴廣様

マスコミが掲載したくない事情のひとつは名誉毀損などで提訴されることであり、もうひとつは広告掲載の拒否です。文芸社は過去に渡辺勝利氏を提訴しましたが、この裁判の目的は批判封じだと私は考えています。この提訴のこともあって、共同出版に関心をもっているジャーナリストやメディアは腰が引けていて文芸社批判をしようとしません。私も複数のジャーナリストと接触していますから、わかります。また、新聞社にとっても定期的に広告出稿する会社は手放したくない顧客です。

「文芸社程度」とおっしゃいますが、甘くみるべき相手ではありません。裏ではいくらでも動けます。新風舎の事業譲渡先が文芸社に決まりましたが、このことをみても文芸社のしたたかさが覗えます。

契約した著者の多くは、共同出版の契約がサービスの契約だと勘違いしていますが、それは出版社が「流通させる自費出版」だと説明してサービスの契約だと思わせているからです。「共同出版・自費出版の被害をなくす会」が新風舎に送付した質問書への回答にも、そのことがはっきりと表れています。ですから、著者の多くは請求金額が原価より高額であっても疑問をもちません。

新風舎の保全管理人弁護士の3月6日付けの文書を読むなら、弁護士でさえ請負契約だと思っているようです。この弁護士は出版契約のことをきちんと理解していないように思えます。まして一般の方がきちんと理解できなくても仕方ありません。

また、出版の費用は印刷方法や造本、編集内容、デザイン、会社の規模(維持管理費)、社員の給与などによって大きく異なってきます。流通経費(取次ぎや書店のマージン)もかなりかかりますし、保管料もかかります。返品率が高ければ儲けになるどころかマイナスになることもあります。ですから必ずしも町の印刷屋の見積費用と比較しただけで不当に高額と決め付けることはできないと思います。

大手出版社は少数のベストセラーの売上によって、それ以外の多数の赤字本の出版を支えているともいえます。発行部数が多い出版社は、赤字の本も多いということです。

このような事情がありますから、私は著者の方たちをそれほど非難する気はありません。

巧妙になってきているというのは、先に書いたように著者に請負契約だと思わせるようにしたり、トラブルが起こるたびに契約書を書換えたり、消費者用のクレジットの契約書を用いたりなどしてきている点などです。トラブルになったり批判される度に巧妙化しています。

確かに高石氏を世話人にしたのは誤りでした。言っていることとやっていることが違うとはこのことです。新風舎の倒産ではっきりしました。
Posted by 松田まゆみ at 2008年03月07日 00:03
松田まゆみ様

 期待に外れたコメントに少しがっかりしております。
 まずひとつずつ検討していきます。
 自社にとって批判的な言説に対して名誉毀損(名誉侵害)で民事訴訟を起すというのは、常套の手段です。これは文芸社に限ったことではありません。企業として当然の措置をとったに過ぎません。
 ところでこの裁判の結果はどのようになったのでしょうか?
 結果として侵害が認められ賠償金が支払われたというのであれば、ひとつの理由にはなるでしょう。
 ただ、この場合、その渡辺氏という方が指摘した問題は、法的に見れば名誉侵害、つまり事実ではないことを書き連ねたということになります。
 したがってこれは松田さんのいうような「圧力」にはなりません。
 付け加えておけば私は「圧力」そのものを否定しているわけではありません。ただ、松田さんの考えているようなこととはまったく別の次元でのことです。
 お手数ですが、私の一連のコメントをもう一度じっくり読んでください。答えはすでに書いてあります。

 つぎに広告掲載の拒否、確かに私たちから見れば文芸社が新聞社に支払っている広告料は膨大なものでしょう。しかし新聞社全体から見た文芸社一社の広告料など微々たるものです。
 その広告料を捨てても、それ以上の読者が期待できれば、新聞も採り上げるでしょう。
 つまり文芸社一社の広告の掲載というのも新聞が採り上げない理由にはなりません。

 つぎに「文芸社がしたたかか」
 事業譲渡先に決まったということは、破産管財人の譲渡の申し出に対し、文芸社がそれを承諾したということです。
 文芸社は共同出版についてノウハウをもっていますから、そうした譲渡の申し出があれば、それを承諾するでしょう。大手ががそれを受けなかったのは、ノウハウを持っていない、つまりそれを収益につなげることができないと判断したに過ぎません。
 「したたか」というより企業として当たり前のことを行ったに過ぎません。

 つぎに被害者といわれる人たちについて
 「請求金額が原価より高額であっても疑問をも」っていない納得しているわけですから、契約上もなんの問題もありません。
 ではこの人たちはなにが問題だといっているのでしょうか?
 「返品率が高ければ儲けになるどころかマイナスになることもあります」とのことですが、そもそも「請求金額が原価より高額」であれば、売れれば売れるほどマイナスになるはずです。
 売れれば売れるほど会社はマイナスになる、さらには一定数量以上売れれば印税という出費もしなければならない、ねずみ講以上にあり得ない話です。
 あえて当てはめれば先のコメントで引いた「買えば買うほど儲かる」という商法?ぐらいでしょう。
 したがって保全管理人が請負契約だと思っているか否かは別次元の問題です。

 最後に私が著者を非難しているとのことですが、誤解されているようですね。
 私は彼らを積極的に救済するといった義侠心は持ち合わせておりません。
 ただ今回の問題で法的救済が可能か?どのような救済ができるか?この点についての関心はあります。
 日本人の多くは、「大岡政談」をよい裁判の典型例と勘違いしていますが、法の解釈・適用に当たっては当事者の一方、あるいは両方に感情移入することは禁物です。
 裁判官は、客観的な事実のみを判断基準にします。
 私は法的救済が可能かという点にのみ関心をもっていますから、当然客観的事実の把握をすることになります。
 少々極端なたとえをすることはありますが、それもわかりやすさのためで別段非難しているわけではありません。
 当事者の方が自分がどういう立場なのか、「岡目八目」の言葉のように大局で判断でし、行動されるときの参考になればと思っているだけです。
 私が彼らを非難しているように思えるということは、松田さんは法的救済ということは視野にないということでしょうか?
Posted by 柴田晴廣 at 2008年03月07日 08:27
初めて書き込みます。

松田さんの自費出版の問題提起を時々みておりまして、消費者の心をくすぐる「出版」という言葉を使ってひどい商売をする会社もあるものだと感じました。
このコメント欄では契約にまつわる法的な解釈が論ぜられているようですが、それよりもまず消費者自身がきちんと見極める目を持つ必要があるということが本当に重要なんだとおもいました。

しかし、見極めるだけの情報が実に少ないこの現状では、自費出版会社がずさんな商売をしているかどうかなんてはっきりいってわからないですよ・・・。特に出版に関わる費用なんて業界に携わる人でなければ価格が適性かどうかも知らないんですから。そのために、マスコミがきちんと取材して自費出版の問題点を明らかにする役割を果たすべきなのに及び腰だったら正直がっかりです。

自費出版のガイドラインがあっても、そんなの強制力ありませんしね。

あと、新風舎から文芸社に事業譲渡されるなんてはっきりいってびっくりしました。
Posted by 感想 at 2008年03月07日 10:14
柴田晴廣様

まず、新聞社についてはスポンサーになっているということが最大の理由です。新聞がスポンサー企業の批判をしないというのは、歴然とした事実です。スポンサー企業の不祥事を新聞記者に伝えても、批判記事はまず書きません。しかし、提灯記事は書きます。これは私の経験からも明らかです。消費者金融とマスコミの関係などはその典型的な例でしょう。企業批判をしているメディアは、まずその企業の広告を掲載していません。企業広告は新聞にとって手放しがたい顧客です。詳しくは書けませんが、共同出版問題に関して実際に新聞社に圧力があったという話を聞いています。

これに対し、フリーのジャーナリストなどは名誉毀損での提訴を恐れています。

渡辺さんの裁判については、以下の記事をお読みください。判決についても書いてあります。
http://www.news.janjan.jp/culture/0512/0511295755/1.php

私は提訴を圧力といっているのではなく、脅しに近いものだと考えているということです。資金力のある企業が、数十部の内部資料を作成しただけの小さな会社の社長を訴えるというのは、オリコンがジャーナリストの烏賀陽氏を訴えた構図に似ています。ジャーナリストが萎縮するのは当然であり、彼らは訴えられる危険性を犯してまで批判しません。

文芸社のしたたかさは、広い視野にたって過去からの一連の動きを見れば感じ取れるものです。マスコミをつかって新風舎批判をしてきた中心人物は文芸社との癒着疑惑が持たれているわけですが、その先に今回の事業譲渡があったということです。私はこれを単に自然な流れだとは受け止めていません。

議論がかみ合いませんね。著者が支払っている費用というのは、出版社の商品としての本をつくることが前提ですから、出版社は著者に原価費用を請求するべきです。また、費用の分担を謳っているのですから、著者からではなく本を販売することで利益を得るべきです。ところが、実際の請求金額は原価ではなく著者からかなりの利益を得ているのですから、売れれば売れるほどマイナスになるということにはなりません。初版の印税(新風舎はありませんが文芸社はあります)も著者への請求金額からバックされているといえます。

著者はどうしてこのことに疑問を持たないかといえば、請負契約だと勘違いしているからです。弁護士も出版契約について正確に理解しておらず、著者と同じ勘違いをして請負い契約だと思っているということです。つまり、著者は請負い契約だと錯誤したうえで請負い契約ではない出版権設定の契約をしてしまっている。この矛盾こそが問題なのです。出版社は費用の矛盾をつかれないために、意図的に請負契約だと思わせているといえます。

ですから、弁護士が出版権設定の契約を請負い契約だと思っていることと別次元の問題だとは思っていません。弁護士は文芸社の契約書を精査していないのかも知れませんが。

新風舎の場合は約束どおり書店に並ばなかったことが被害であると考えている人が多く、金銭的な面で被害者だと思っている著者は実際には多くありません。文芸社は提携書店の棚借り方式ですから、書店に並ばないことでの不満を持っている人はあまりいません。

法的救済については、結論からいえば可能性はありますが、費用面で被害者意識を持った方が少ない現状では困難だと思っています。

私は、以前は著者が集団訴訟でも起こして闘うべきだと考えていました。これについては以下の記事にも書いています。
http://www.news.janjan.jp/culture/0512/0512076043/1.php

しかし、今は考えが少し変わってきています。個人が裁判をすること自体はもちろん否定しませんが、現実問題としてそのような方はほとんどいません。また敗訴してしまったらこの商法を是認するだけです。ですから、まずはこのような商法の本質的問題点を明らかにしてそれを広め注意喚起すること、さらに業界に是正を求めることを優先すべきだと考えています。その過程で個人の裁判とは違った方法で何らかの法的救済ができればベストだとも思っています。

これ以上詳しいことについてお聞きになりたい場合は、公の場では差しさわりがありますので直接メールをしてください。
Posted by 松田まゆみ at 2008年03月07日 11:51
感想様

そうですね。著者が良心的な出版社を見極める努力はもちろん必要ですが、個人やメディアが情報を提供しておかしなことはおかしいと言っていくことも大切だと思っています。

ガイドラインはたしかに法的な拘束力はありませんから、最終的には著者がきちんとした判断ができるかでしょう。

出版契約というのは法的な面でも、流通などの面でも一般の人にはわかりにくく、それを利用して騙そうという人が出てくるのです。
Posted by 松田まゆみ at 2008年03月07日 11:56
松田まゆみ様

 整理します。
 名誉毀損で提訴されることをおそれているのは、新聞社ではなく、フリージャーナリストということですね。
 で、新聞社が批判記事を書かないのは、広告を掲載してくれるスポンサー企業だからということでいいですね。
 さて、スポンサー企業だから批判記事を書かないということであれば、その程度の額を経費で落とせる企業は報道対策としてスポンサー企業になるでしょう。
 しかし現実は異なります。
 つまり松田さんが主張するスポンサー企業だから批判記事は書かないというのは成り立ちません。

 議論がかみ合わないということについては、渡辺さんの裁判の記事を見て感じたことですが、この記事には、訴訟経済という視点がすっぽり抜け落ちています。だけでなく、議論がかみ合わない原因は、失礼ながら経済活動という視野が松田さんの中から抜けていることだと思いました。

 新風舎批判をしてきた中心人物と文芸社の癒着、これにより新風舎が倒産に追い込まれたということはあるでしょう。しかし、事業譲渡の件は、偶然の産物といえるでしょう。

 費用については、繰り返しになりますが、原価より販売価格が低いということは、著者が一部負担したのではなく、全部どころか出版社の諸経費まで負担していることになります。これは小学校の算数程度の計算力で計算できることです。
 確認ですが、この費用の負担額については著者は不満があるわけではないということですね。
 私が理解できないのは、請負契約と勘違いしているという点です。文芸社が新たに打ち出している「売上還元タイプ」についてなら別ですが

 さて弁護士の多くが著作権法を理解していないというのは、確かでしょう。
 たとえば弁護士事務所のHPの中でUPされている「著作権法コンメンタール」(http://www.lawfirm.gr.jp/chosaku1.html)という頁の二条一項一五号イの説明、これは条文自体の問題もありますが、文言を一字一句丁寧に解釈していけば「演劇用の著作物を放送、有線放送する場合」に複製に該当するなどという解釈は導けませんが、この弁護士先生、一字一句解釈していないのかこのような誤った解釈を公表しています。
 この部分の解釈については、他の弁護士も同じような解釈を恥ずかしげもなく公表していますから、この弁護士先生のみを批判する津もりはありませんが
 とはいえ川島弁護士については、本日付の「事業譲渡のお知らせ」において既刊本については、「作者と新風舎の出版契約自体は新風舎の破産手続き開始決定により消滅します」と書いておられますから、松田さんが本日付の川島弁護士の文書をどのように読んだかわかりませんが、川島弁護士が請負契約だと思っているという点は松田さんの誤解ということになります。
 著作権法は、司法試験の選択科目にも入っていませんから細かい点の誤解は仕方ないことです。
 しかし民法は司法試験の必須科目です。精査などしなくてもあの契約書を請負契約だなどと勘違いする弁護士はひとりとしてないと断言できます。

 実際共同出版の利用者は、なんかおかしいと思っていても、実際にどこがどうおかしいのか認識できていないのではないでしょうか?
 だから消費者などと的外れな言をなんの疑いもなく信用する。
 感想さんも書いていますが、「消費者(ママ)の心をくすぐる」セールストークに乗せられ、自分を見失ったというのが本当のところではないかと思います。
 誤解のないように書いておけば松田さんが親記事で引用した私の「消費者として救済するなどもってのほか」は、こうした甘い言葉に心をくすぐられ舞い上がっているノー天気な人間への目を覚まして現実に戻って自分のおかれた立場を認識せよとの警告としての一面もあります。

 コメントの最後の部分については私のいわんとしていることを理解されたようで、うれしく思っています。
 仰るように「まずはこのような商法の本質的問題点を明らかにして」、これです。だから私はこの問題を論じるなら取次の寡占の問題を視野に入れて考えるべきと書いたわけです。
 新聞社が腰が引けるのも文芸社一社のスポンサー引き上げなど理由としてはあり得ないことですが、取次ぎの圧力があれば、当然腰が引けます。
 新聞社にこの問題を採り上げて欲しいと思うのなら、ひとつにここに問題が及ばない配慮をするか、もうひとつはこの問題こそが社会的な問題であり、著者のみならず書籍の購入者にとっても弊害だということをあきらかにすることです。

 それと私にはどうでもいいことですが、川島弁護士、本日付の「コンテスト応募原稿返却のお知らせ」の尚書で「俺マジ・・」に釘を指しましたね。
Posted by 柴田晴廣 at 2008年03月07日 15:17
柴田晴廣様

スポンサー企業と新聞社の関係については考え方が違うようですから、この件についてはこれ以上議論しても意味がないと思います。

なお、渡辺さんの裁判の件については、私は判決文をすべて読んだうえで書いています。

事業譲渡が文芸社になったのが偶然の産物なのかそうではないのかは何ともいえませんが、大局的にみた私の感触では必ずしも偶然ではないと感じているということです。

費用については、おっしゃるとおり著者が全部どころか出版社の諸経費も負担しているといえるでしょう。

そして負担額については、不満を持っている著者と持っていない著者がいます。その割合などはわかりませんが、ネットなどで費用について不満を表明している人はわずかのようです。そして不満を持っていない方はサービスの契約だから利益が含まれていて当然と思っているようです。そのような意見は何人もの方から聞きました。

「著者が請負契約と勘違いしているということが理解できない」という点ですが、私も正直いってそう思います。でも、いくら説明しても理解できない人はできないのです。だからこそ、私はずっとそのことを説いてきました。

また、自費出版業者の多くは「実態は自費出版だから本の所有権は著者にあるべき」との主張をされています。高石氏などもそうです。マスコミは共同出版問題では自費出版業者にコメントを求めますから、このような契約を無視した主張が広められてしまっているのです。これも混乱のひとつになっています。

川島弁護士が請負契約だと思っていると感じたのは「同社の提供する役務(サービスの内容及び費用)が提示される」と書いていた点です(同社とは文芸社のこと)。売上還元タイプを提示するならそれでいいのですが、文芸社が通常提案しているのは印税タイプのようですから。売上金還元タイプでは費用がより高くなります。

昨年の新風舎の裁判の訴状を読むなら、この原告代理人弁護士もサービスの契約だと考えているようです。私には理解できませんが。

「実際共同出版の利用者は、なんかおかしいと思っていても、実際にどこがどうおかしいのか認識できていないのではないでしょうか?」とのご指摘については、私もそう思います。それともうひとつ、たとえ理解したとしても「騙されたことを認めたくない」という心理が働いて泣き寝入りしてしまうということです。自尊心がありますから。
Posted by 松田まゆみ at 2008年03月07日 17:46
松田まゆみ様

 「なくす会」の代表という肩書きから、被害を受けたと称する者が、なにが問題かまで把握しているものとして話を進めてきました。
 この点については、私も誤解していました。失礼な言お詫びします。
 さて「なくす会」の代表の松田さんまでもが、被害を受けたと称する者が具体的にどこが問題かも認識しないとなれば、これはもはや共同出版云々の問題ではありませんね。
 私は本を出版したいと思っているならもう少し意識レベルは高いと勝手に思っていましたが、この程度のレベルの者が利用者の中にいたとすれば、山師がちょっとした策略で躍らせることができます。
 その点で文芸社独走の流れを作ったというなら、なるほどと納得しました。
 ただ先に書いたように所詮「文芸社程度」という私の認識に変わりはありません。

 渡辺さんの裁判の件について補足しておけば、賠償請求以上の金員は、勝訴しても取れないわけですから、ダメモトで実際の損害額よりかなり高額で提示するのが常套です。
 また裁判というのも一種の戦争と同じで、どこを攻撃するのが最小限の戦力(費用)で最大の効果をあげることができるかという視点で起こすものですから、失礼な言い方になりますが、松田さんらを相手方に選ばなかった、それだけのことです。
 事実、このことによって松田さん自身も多少萎縮したのではないでしょうか?
 少なくとも多くのフリージャーナリストを封じ込めたという点で、この裁判は、勝訴ではなくても文芸社の当初の目的は達成されたわけです。
 つまり裁判は、目的を達成するためのひとつの手段に過ぎないんです。
 助言などとおこがましいことをいえる立場ではありませんが、「なくす会」でもその目的が定まったら、ひとつのカードとしてチラつかせればいいんですよ。別にカードとしてきらなくても
 ただ、それには、被害を受けたと称する者が、どんな被害を受けたのかを把握することになりますね。

 話は少し外れますが、「なくす会」等の被害者と称する人たちの集まりがあることは以前から知っていました。
 またおそらく被害者を称する人たちが実際どこに問題があって、どのような被害を受けたかを認識できていないことも薄々感じていました。
 そんな中での私の率直な意見として、「知らぬが仏」、わざわざ「寝てる子を起こす」必要があるのか?そうした疑問も持っておりました。
 また、実際にどこに問題があるのかわかっていないということは薄々は感じていましたから、起こしてもタボケてわけのわからん行動をする者もいることは予想していました。
 一連のコメントは、「なくす会」もタボケた者を躍らせているのでは、という多少の疑問があってのことです。この点についてもお詫び申し上げます。
 高石氏を世話人にした点については、公にできない事情もあると思いますが、経緯の詳細には興味があります。

 「原告代理人弁護士もサービスの契約」、この点については、弁護士自身が請負契約と考えているというのは短絡です。裁判に勝つために、あえてそうした戦略を採ることはあります。

 さて最後になりましたが「騙されたことを認めたくない」、これだけではなく、すべて納得して共同出版を利用した者もいると思います。
 私は、共同出版の利用者と直接話を交わしたことはわずか(三人)ですが、そのわずかの中のひとりは、出版関係の仕事を経験していた者でした。歴史関係の本を出版しています。
 その方は、当然印刷代などの原価も承知しており、取次及び宣伝費を考慮して(もっとも費用については、半額程度まで値引きさせたようですが)、自説をひろめるためのステップとして(つまり先行投資)、共同出版を利用したようです。なお、その方は三年で自らが設定した目標は達成したようです。
 またもうひと方も自費出版と企画出版の違いを認識して、共同出版を「利用」したようです。
 いずれの方も自らの当初の計画を遂行できたようですが、このように共同出版を「利用」した方はほかにもいると思います。ただ今回の倒産により新風舎の「利用者」の中には計画が狂わされた者もいるはずです。

 高石氏については、「なくす会」を利用したという点(世話人に就任した経緯を詳しく聞かなければ断言はできませんが)では、非難されるべきでしょうが、無知な利用者(これらの者については、新風舎を「利用」しようとしていた者の計画も台無しにしたわけですから、この無知な利用者については私は最後まで非難します)を踊らせた山師に比べればかわいいものです。
 補足しておけば、編集がされているなら(もっとも高石氏のブログを見る限り、編集が本当にできるのか疑問はあるが)、適切な価格の範囲だと思います。

 ここで要望ですが、共同出版利用者が不満に思っている点を整理した記事を、このblogでも、「なくす会」のblogでもいいですから、UPしていただけませんか。
Posted by 柴田晴廣 at 2008年03月07日 20:43
柴田晴廣様

お詫びしていただくようなことではありませんよ。

被害者意識を持っている方は、おそらく潜在的に沢山いると思いますが、残念ながら具体的に何がどうおかしいのかまで論理的に理解している方は多くはないのです。また納得している方も沢山います。

恐らく「販売する自費出版」と説明されるので、著者が出版費用を払うことで販売サービス付きの出版サービスをしてくれるのだという意識のもとに契約するのではないでしょうか。だから請負契約だと思い込んでしまうのでしょう。出版社側はその意識を巧みに利用しています。

会社規模から考えれば柴田さんの「文芸社程度」という認識は正しいと思いますが、文芸社というのは非常に戦略に長けた会社といえます。「戦略」がどのような意味かは説明しなくてもおわかりだと思います。だからこそ、「目の上のたんこぶ」は次々と消えていきました。

渡辺さんの裁判についてのご意見は、おっしゃるとおりだと思います。なお、渡辺さんの裁判は2002年7月に提訴され2003年12月に判決が言い渡されています。私の契約は2001年9月です。そしてメディア批判誌である「創」が2002年8月号で「危うし!・自費出版ブームと『文芸社商法』の裏舞台」(岩本太郎著)を掲載したために、私は同誌に自分自身の経緯を投稿し2002年11月号に「文芸社商法に私はこんな疑問をつきつけた」と題して掲載されました。その後はどこのメディアも取り上げてはくれませんでした。インターネット新聞JANJANの存在を知ってこの問題を書きはじめたのは2005年9月からです。

つまり私が自ら公の場でこの問題を指摘するようになったのは、渡辺さんが提訴された後です。裁判や判決によって私が萎縮していたなら、言論活動はしていません。

文芸社は2002年当時は渡辺さんの存在がもっとも気になったのでしょう。でも、今は私なのかもしれません。

被害者意識を持った方でも、私の説明を理解していただけない方は「新風舎商法を考える会」の方に行かれることがあります。著者が消費者だという説明の方がすんなり納得できるのでしょうね。でも、私は尾崎氏が「著者は消費者だ」といって譲らなくても、高石氏が「所有権はお金を払っている著者にあるべき。契約がおかしい」と主張しても、一貫して「請求している費用のほうがおかしい」と主張してきました。

高石氏に関していうなら、彼の「個人出版(自費出版)実践マニュアル」を読んだ限りでは、適切なことを指摘していると思いました。また、彼の事業は制作請負・販売委託ですから、それ自体は何ら問題はありません。ただし、世話人になっていただいたあとで彼のブログを読んでいるうちに疑問が生じてきました。

たとえば1人で1年間に20冊もの本を請負っていたとか、1ヵ月で4冊までは受けられるというようなことが書かれていたと記憶していますが、それを読んだときには正直いって仰天しました。流通レベルに高めるための編集をしているとは思えません。また、新風舎の本のデータをそのままつかって本にしてしまうという点についても驚きでした。「共同出版のアンチテーゼを示す」とのようですが、こような編集ではアンチテーゼとはいえないと思います。ほかにも個人的なメールのやりとりで「いっていることとやっていることが違う」と感じました。人を信頼できなくなることは悲しいことですが、私の判断が誤りであったことを認めざるを得ません。

ご指摘のように「すべて納得して共同出版を利用した方」も確かにいると思います。そのような方たちについては、それでいいのかもしれません。また、著者の方たちは「売り続けてほしい」と願っているのですから、倒産はショックだったと思います。被害をなくすための活動では、そうした著者の方たちの気持ちも汲んでいかなければならないと考えています。

最後に、著者の方が不満に思っていることは費用、編集、販売の3つに大きく分けられます。杜撰な編集については費用問題と関係していますし、売るための本づくりを目指していないことにも結びついています。ただ、被害者の方たちの多くはあまりご自身のことを語りたがりません。ご要望にお答えできるかどうかはわかりませんが、そのようなことを整理してみる意味があるとは感じています。

ご意見ありがとうございました。
Posted by 松田まゆみ at 2008年03月08日 07:00
松田まゆみ様

 被害者意識というより不満ということですね。
 話がかみ合わない部分については、松田さんと私が共同出版に関心を持つ経緯が異なるわけですから、仕方のないことです。
 本来は最初に私がこの問題に興味を持った経緯を述べるべきですが、インターネットの世界では、ついついこれが省かれてしまいます。
 インターネット上でのトラブルのひとつの要因はここにあると思います。

 ということで遅くなりましたが、私がこの問題に興味を持つに至る経緯を書かせていただきます。
 先にも書いたように私は、そもそも特許の世界から知財法に足を踏み込みました。
 私は三十年ほど前、父と一緒に今の仕事(プラスティック成形業)を始めました。
 資金が潤沢にあるわけではなく、町工場にまで至らぬ部品メーカーのさらに孫請程度の零細企業です。
 この零細企業が生き残るためにはどうしたらいいのか?そこで出会ったのが特許の世界でした。
 最初はご他聞にもれず町の発明家のレベルの意識(つまり特許で一発当てる)しかありませんでした。上述のように資金が潤沢にあるどころか借金ではじめた会社ですから、特許事務所に明細書を作成してもらう費用すら負担でした。
 父はある程度、そうしたことに知識があったようで、自分で書けば、ほとんど費用はかからない(当時はまだ特許印紙の貼付で手数料を支払うのではなく、一般の収入印紙で、確か一件千五百円ぐらいでした)、それで、私は図書館で明細書作成についての本を借り自ら明細書を作成するようになりました(いまみれば稚拙で権利のいたるところに穴が開いたような恥ずかしい限りのものですが)。
 完璧には程遠い明細書ですから当然特許庁から補正命令が来ました。実際これにはお手上げ。商工会議所で特許の無料相談があるのを知り申し込みました。
 無料相談の相談員は特許庁審判官から退職後弁理士に転じた方で神奈川からわざわざ月一回豊川まで来られていました。
 私はこの無料相談の弁理士の方の種々の話の中で町の発明家のレベルから、企業戦略のひとつのカードとして特許を位置づけるようになりました。
 発明協会から出版された特許戦略関係の本から、さらには企業戦略、それではあきたらず実際の戦争における戦略を論じたリッディルハートの『戦略論』まで読み漁りました。企業経営の手法は軍事からの転用が多いからです。ちなみにたとえば「スタッフ」という言葉、これは元々ドイツ参謀本部により作出された概念で間接部門のことです。
 もちろんこれだけでなく、特許情報から技術動向を推測するための関連書籍、さらには、実際の諜報活動についての書籍まで目を通したことはいうまでもないことです。
 そうした視点から見て「文芸社程度」という判断です。
 「したたか」どころか、その本作りと同じく、新風舎の戦略など「杜撰」そのものです。「偶然の産物」としたのもここにあります。
 また文芸社には、著作権の知識もそれほどあるわけではありません。
 文芸社に原稿を送った場合、ほとんど書籍化を勧められるようですが、私は不採用というまれな経験をしております。
 現在私のHPにUPしてある「ほんとにOK“どこまでOK「迷ったときのネット著作権ハンドブック」を検証する」(http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/newpage8.htm)という「迷ったときのネット著作権ハンドブック」という書籍の検証ものです。
 文芸社に原稿を送った場合に送られてくる「論評」、ほとんど原稿を読んだのかと疑いたくなるようなものですが、このときは皮肉にも会議風に仕立てた十枚近くの不採用になった経緯が書かれたレポートが送られてきました。そのレポートの著作権についての見解が著作権法に照らし的外れなものであったことはいうまでもないことです。

 話を私が共同出版に興味を持った経緯に戻します。
 私はインターネットにより社会がどのように変化するか、それにともない企業戦略はどのように対応すべきか、私の関心はここにあります。私のBlogもそれに沿って書いています。
 インターネットはいまのところ情報しか伝達することができません。この情報の伝達ということを考える場合、著作権は不可欠な要素になります。
 また書籍は再販維持制度、あるいは取次ぎといった他の商品にない特殊性を有します。インターネットの普及により商品の流通あるいは情報の伝達がどのような変化するか、これを考えるには書籍は格好の材料です。
 その書籍の流通を考えるひとつのサンプルとして共同出版に興味を持ちました。
 このひとつのサンプルという点が被害者と称する者に対する松田さんと私のスタンスの違いになっていると思います。
Posted by 柴田晴廣 at 2008年03月08日 10:42
柴田晴廣様

共同出版社の情報を収集して騙されたと感じている人は被害者意識が強く、あまり情報収集せず騙されたという意識の低い方は単に不満ということになると思います。ただし、著者の方たちはあまり「騙された」とは打ち明けませんので、その境界ははっきりしません。

柴田さんが共同出版について興味を持たれた経緯については、大変興味深く拝読させていただきました。独学で法について学ばれたことについては敬服いたします。

ちなみに、文芸社から不採用になったとのことですが、それは法に詳しい方と出版契約を結んでトラブルになった場合の影響の大きさを考えてのことではないでしょうか。そのような方とは関りたくないために意図的に避けたのではないかと私には感じられました。

たしかに契約をとる個々の職員は著作権法などの知識はあまりないと思いますが、文芸社には法務部まであります。中枢の人間が著作権法を分かっていないとは思えませんし、確認しようと思えばできるはずです。

私はトラブルを公表してしまいましたが、それは文芸社にとって大きな失態だったでしょう。このような経験からトラブルを公表されることについて非常に慎重になっていると感じられますし、トラブルになりそうな場合は事前に回避するのではないかと思います。ネット上の情報を見ても、新風舎にくらべ文芸社とのトラブル例が非常に少ないのも、対策を講じているからではないでしょうか。新風舎にはこのような慎重さが欠落していたので、そこを突かれてしまったのでしょう。

私と柴田さんとでは共同出版に関心を持った経緯が異なりますので、どうしても考え方に違いはあるかもしれません。しかし、今回のやり取りを通じ、この商法の本質的問題点については同じ認識を持っていると理解していますし、それは大きな収穫だったと思います。

ありがとうございました。
Posted by 松田まゆみ at 2008年03月09日 10:06
松田まゆみ様

 私もいろいろと収穫がありました。
 上述のように私のものの見方のバックボーンには知財法が大きく影響を与えています。
 この知財法は創作保護法としての側面があります。
 共同出版というシステムにしてもある種の創作です。
 善悪は別にして、無意識で共同出版という創作そのものについては評価していたのでしょうね。
 私が高石氏に興味がわかなかったのも共同出版のような独創性があるものではなく、亜種に過ぎないといった点だろうと改めて認識できました。
 共同出版については、これ以上の被害はでないのではと思います(ただ松田さんの話からは私の想像が及ばないような利用者がいるようですから一概にはいえないかも)。
 ただ自費出版がらみの問題商法はあとを絶たないでしょうね。
 これからどういった進化をするかわかりませんが「団塊文庫」(http://blog.goo.ne.jp/zxcv_002/e/67341888105a8271ddf1c99c90d743ed)なんていうのも出ています。
Posted by 柴田晴廣 at 2008年03月09日 17:20
初めまして。「共同出版」問題について興味を持っており、ブログを拝見させていただいております。
柴田さんのご発言を他のブログで見かけました時は、被害者の気持ちを考えない冷たい方と思っていましたが、バックボーンから発言のスタンスを知る事ができて納得ができました。法オタさんだったんですね(笑)
ところで、新風舎の新聞広告はかなり頻繁に掲載されていたように記憶しています。広告の大きさと頻度を考えれば、やはり重要なスポンサーだったのではと感じられます。

共同出版利用者が不満に感じている点については、私は以下のように考えます。


勧誘=収益の期待できない物も、高い価値があるよう錯覚させる。
・作品を褒めちぎり(受賞させ)、出版すれば売れるかもしれないと思わせる。
・期限を定めて契約を急がせる。

費用=実際にかかる費用に比べて不当に高い。
・「出版社も費用を負担している」との誤解。
・高い価値があるように錯覚していて、「出版社も費用を負担する」のであれば、それなりの売上が見込める筈…と、間違った条件に基づく著者の期待が生まれる。
・一般市民は出版について無知。流通・広告に必要だから高額なのだと勘違い。

編集=高額の費用に見合わない杜撰さ。
・誤字脱字が多い。校正回数が少ない。スピード編集。

販売=販促活動はほとんどなく、売上は少ない。
・高額の費用に見合った販売努力が感じられない。
・増刷の難しさ。「増刷費用は出版社が負担」であれば、出版社は売れない方が都合がいい?→となると、販促活動は…?
・高い費用を払ったのに、自著の買取りにもまた費用が必要。(契約内容がどうであれ、著者にとっては理不尽)


出版についてよく分からないまま契約してしまった方が多いと思います。そんな方にとっては「支払った費用(または期待)に見合ったサービスを受けられない」事が大きな不満だったのではないでしょうか。
Posted by ゆり at 2008年03月11日 02:12
ゆり様

著者の不満についてわかりやすくまとめていただき、ありがとうございました。

新聞広告は新聞社にとって大きな収入源ですから、新風舎も文芸社も重要なスポンサーだと思いますよ。文芸社に事業譲渡しても、どこも文芸社の問題点を指摘しませんよね。

ゆりさんのご指摘のように、「騙すような勧誘」も大問題ですね。そのことも、一人でも多く契約させ「不当な請求」によって利益をあげようとするこの商法の本質的問題に関っていることです。

なお、著者が「出版社も費用を負担していると誤解」しているのではなく、契約上、「出版社も費用負担しなければならない」ということなのです。契約書だけが契約ではありません。口約束でも契約なのです。新風舎は新聞広告などでも費用の分担を明記していましたので、それも契約といえます。出版社が自らの約束を守っていないことが問題なのです。

ゆりさんのご指摘のように、多くの著者の方たちは「支払った費用(または期待)に見合ったサービスを受けられない」事が大きな不満になっていると思いますが、柴田さんのご指摘のように、著者が署名捺印した契約書はサービスの契約ではありません。あくまでも出版社の出版という事業に著者が資金協力(制作費のみ負担)するということなのです。この意味(違い)がわかりますか?

サービスの契約ではないのに、サービスの契約だと思わされて出版権設定契約(商業出版と同様の契約)に判を押してしまっている。そしてそのことを著者が理解していないことが大きな問題です。だからこそ柴田さんはそのような著者の判断の甘さが気になってしまうのでしょう。

高い費用を払ったのに、自著が欲しければ買い取らなくてはならないことを理不尽に思うのはわかりますが、出版社に本の所有権があるとしている契約書に署名捺印した著者は、そのことで文句はいえない立場なのです。

著者の方たちは、このことにきちんと気付かなければならないと思います。
Posted by 松田まゆみ at 2008年03月11日 10:02
ゆりさん

 はじめまして
 「出版についてよく分からないまま契約してしまった方が多い」、この点が私の理解不能な点です。
 私が共同出版社の利用者で不満を持っている者を「どうかしてる」というのもこの一点に尽きます。
 なぜ「わからなければ調べないんでしょう」か?
 そして、先にも書いたように、少なくとも出版に関する契約(出版権に限ったことではありません)を結ぶなら著作権法を紐解くのが当然です。
 「法オタさん・・・(笑)」などという次元でしかものが見れていなければそれも納得できました。
 松田さんは、「柴田さんはそのような著者の判断の甘さが」とやんわりと書かれていますが、ノー天気としかいいようがありません。

松田さん

 私が先に共同出版というシステム(とてもビジネスモデルとはいえないことからシステムと表現しますが)について、創作としては評価するとしたのも、被害者を称する人間のあまりのレベルの低さという点もあります。
 新風舎を例にすれば、応募した大半の者は、契約を結んでいません。
 締結しなかった理由はさまざまだと思いますが、締結した者の中には、ローンまで組んだ者がいます。
 つまり、大半の者は、契約書を取り交わす以前に自分なりに調べて締結しないという判断をしたわけです。
 その中には、「よくわからないから」見合わせたという人もいるでしょう。
 そして繰り返しになりますが、著作を創作するだけの知識や能力があるなら、この程度の判断はできるでしょう。
 契約については軽く考えている。著作については勘違いしている(blogなどの普及で意見の垂れ流しができるようになったことが影響しているのでしょう)。
 やはり利用者側にも問題があるように私は思います。
Posted by 柴田晴廣 at 2008年03月11日 17:28
こんばんは。
著者の考える契約と実態の契約が違うという事は私はおおむね分かっているつもりです。

「よく分からないまま契約をしてしまう」人が多くいる事は、「理解できない」事かもしれませんが、現実です。そのような現実を傍観せず、改善する(被害をなくす)ために活動なさっている松田さんに賛同します。

内容を理解せずに契約を結ぶという事は重過失ではあります。ですが、著者を煽って冷静な判断力を奪う手口(期限を定めて契約を急がせる、褒めあげて気持ちを高揚させる、誤解を導くような説明をする)も問題と考えられます。

「契約内容を理解しないまま、誤解を与えられ、悪質な(著者が一方的に不利益を被る)契約を結ばされた」
これが「共同出版」問題における”被害”と考えていいでしょうか。
費用が高額である事も踏まえれば、出版社は、著者が確実に契約内容を理解するまで実質に則した説明をするべきです。
「相手の無知につけ込んで不当な契約を結ばせ大金を搾取する」ような商売があったとしたら、それはもう”商売”とは呼びたくありません。

共同出版で出版した人を以下の通りに分けてみますと、

A.契約内容をよく理解した上で契約した人
A-1 契約通りの仕事をしてもらった。満足。
A-2 契約にある事をしてもらえなかった。不満。

B.よく分からないまま契約してしまった人
B-1 本が出た。いい体験ができた。満足。
B-2 説明通りの事をしてもらえなかった。不満。

A-2、B-2は被害者と考えていいと思いますが、もしB-1も被害者とすれば、被害者の数はかなり多くなりそうです。
Posted by ゆり at 2008年03月12日 01:47
柴田晴廣様

あくまでも推測ですが、契約をしなかった人たちの大半もおそらく著作権法などをきちんと調べて判断したのではないと思います。契約の意思を伝えないと契約書を渡されないのですから。思っていたより費用が高額で捻出できないとか、あまりにも持ち上げたり契約を急がせたりするのでおかしいと思ったということではないでしょうか。

柴田さんのご意見もわかりますが、たとえば作家やジャーナリスト、ライターなど文章を書くことを生業としている人がどれだけ著作権法や出版契約を理解しているのかといえば、私はごく一部でしかないと思います。商業出版では契約書を交わさないことも多いようですし。また、共同出版問題について批判していているジャーナリストでも、契約書をきちんと理解していないと思われる人がいます。ジャーナリストこそ契約書を精査し、法的なことをきちんと理解して批判して欲しいと思います。

出版社が「自費出版とちがうのは書店に流通すること」というような説明をしていたら、著者が請負い契約だと錯誤してしまっても仕方ない側面があると私は思います。私は文芸社の契約書を弁護士に見せて相談したことがありますが、弁護士も本の所有権が誰にあるのかしばし考え込んでいました。つまり、請負い契約であるか否かがわかりにくいのです。

ゆりさんも書かれているように、出版社は著作権や出版契約について理解していなければならない立場なのですから、アマチュアの著者に出版契約と請負契約の違いについてきちんと説明する必要があります。悪質な出版社は意図的に説明せず著者を錯誤に誘っているとしか思えません。

出版社のほうが法的理解について有利な立場にあるのに、意図的に説明せずに著者を錯誤させ、不当な費用を請求しているなら独占禁止法に抵触する可能性もあるのではないでしょうか。

騙そうとする人というのは、相手の心理を巧みに利用しています。弁護士でさえオレオレ詐欺にひっかかる人がいるのです。共同出版社から本を出して広告塔のようになっている弁護士や作家・ジャーナリストもいます(企画出版かなのでしょうけれど)。著者が問題のない出版社だと思ってしまうのもわかります。もちろん、著者に何ら落ち度がないとはいいませんが、私は騙す方が圧倒的に悪いという立場です。


ゆり様

そうですね。契約内容を説明せず、著者の無知につけこんで錯誤させ、さらに不当な費用を請求しているのですから悪質なのです。

被害者の範囲ですが、出版社がなんら費用を負担せず著者を顧客にしてしまっているという点でいえば、本人が自覚しているかどうかに関らず、ほぼすべての著者が被害者といえると思います。

ただ、自覚のない著者、ある程度本が売れて満足している著者、あるいは騙すような勧誘をされなかった著者もいます。そのような方たちにはどう説明してもなかなか分かってもらえないというのが現実です。
Posted by 松田まゆみ at 2008年03月12日 08:52
松田まゆみ様

 まず確認として書かせていただきますが、もちろん私も騙す方が悪いと思っています。
 そして、「思っていたより費用が高額で捻出できないとか、あまりにも持ち上げたり契約を急がせたりするのでおかしいと思った」から契約の意思表示をしなかったというのもかなりの者がいると思います。
 新風舎に絞って考えても懸賞応募で原稿を送付した者の数からすれば契約を締結した者は一部ですから。
 ただ、「費用は捻出できる」という場合について考えてみると、繰り返しになりますが、新風舎の場合、見積もりの段階で販売予定価格が提示されていました。
 法律云々以前に、これにおかしいと気付かずに契約したというのが私には理解できません。

 名前を出すのは、控えさせていただきますが、日本を代表する出版社で文芸書の大手の元編集長と著作権について話したことがあります。その方でさえ、在職中には著作権法に目を通したことがないといわれていました。これは、著作権法の沿革(わが国のみならず版元保護からはじまった。音楽関係者が明るいのは、大正期のブラーゲ旋風による)からいえば当然といえるかもしれません。
 著作権についてはまだしも新聞などでの特許をはじめとする産業財産権に関する記事など首を傾げる記事ばかりです。
 ただ上述のように著作権法云々以前に共同出版についてはおかしいと気付く場面が多々あります。そして、契約を締結したのは、共同出版に関係を持った者からすれば一部の者に過ぎません。これが年金問題などとは根本的に異なることであり、新聞等が積極的に採り上げない理由でもあると思います。

 さて、ゆりさんが、共同出版利用者の類型を書いてくれましたが、Aはほとんどないでしょう。
 付け加えておけば、A1は、私が先に書いた共同出版の利点を理解して共同出版を利用した者といえるかと思います。ただし、契約どおりの仕事をしてもらったから満足したとは一概にいえるものではなく、契約どおりの仕事はしてもらえなかったが結果として自己の目的を達成できたというのが正確でしょう。
 つぎにA2、これは「契約内容を欲理解した上で契約」ではなく、「契約内容を誤解して契約」したというのが、正確でしょう。つまり、B2に含まれます。
 被害者の数は、新風舎の場合、本を既刊していた者及び仕掛品の者ですから、かなりの数になりますが、上述のように新風舎に原稿を送った者の総数からすれば、わずかということになります。
 説明が不十分であったというだけでは、やはり利用者の過失の方が大きいでしょう。錯誤については程度によりますが

 つぎに弁護士がほんの所有権の所在について即答できなかったという点については、司法試験の科目には知財法は含まれていませんから、あり得るでしょう。短答に著作権法が加えられた以降に合格した弁理士であれば、本文を見るまでもなく即答します。

 「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」(独禁法)は、「公正かつ自由な」競業秩序の維持を図ることを目的とし(同法一条)、「不当な取引制限」として「事業者が、契約、協定その他何らの名義をもつてするかを問わず、他の事業者と共同して対価を決定し、維持し、若しくは引き上げ、又は数量、技術、製品、設備若しくは取引の相手方を制限する等相互にその事業活動を拘束し、又は遂行することにより、公共の利益に反して、一定の取引分野における競争を実質的に制限すること」を掲げています(同法二条六項)。したがって、独禁法に抵触することはないでしょう。
 むしろ「不当景品類及び不当表示防止法」が守備範囲ということになりますが、この法律は、公正取引委員会による行政規制を中心とし、罰則や民事的請求を手段としない点で共同出版に有効な手段とはいえません。
 そうなると「不正競争防止法」(以下「不競法」と略す)の誤認惹起行為(不競法二条一項一三号.新聞などでは虚偽表示として報道される)の中の「商品の品質又は役務の質の誤認行為」の規定の適用が有効になると思います。「役務の広告に役務の質、内容、用途若しくは数量について誤認させるような行為」の適用です。
 ここで役務とは、他人のために行う労務又は便益であって、独立して、取引目的たりうべきものをいいます。いわゆるサービスのことです。
 誤解があるようですから若干の補足をします。
 出版権の設定は地上権などの物権の設定に類似したものとして捉えられます。しかし、物権を設定した場合であっても債権・債務は発生します。
 出版権の設定はサービスについての契約ではありませんが、付随的に債務は発生し、その債務の中には、役務が含まれることがあります。
 話を戻し、具体的な「不正競争防止法」の誤認惹起行為に該当するか否かの判断については、「提供する役務の質の誤認を招くおそれのある内容を伝えて客を店内に呼び込む行為や来店した客に提供する役務の質の誤認を招く内容を伝えて役務を受けることを勧め、訪問販売に際して提供する役務につき虚偽の質を説明する行為」は対象になるといわれています。
 不競法についても司法試験の科目に含まれませんが、現行弁理士試験の短答試験及び論文試験(ただし選択科目)に含まれますから、一般に弁護士より現行試験で合格した弁理士の方が詳しいでしょう。
Posted by 柴田晴廣 at 2008年03月12日 11:53
柴田晴廣様

販売予定価格についてですが、著者ははじめからサービスの契約だと思ってしまっているので原価を割るような定価でもそれほど疑問に感じないのだと思います。会社の規模が大きく社員の給与も高額で編集などもしっかりして上質な本を造るのであれば、自費出版でもそこそこ費用がかかります。大手の出版社の自費出版部門などでは非常に高額な費用を請求することがあるようですから、それと比較したら新風舎が特別高いということにはなりません。

「おかしいと気付く場面が多々あるか」については、個人個人によって違うと思います。とりわけネット環境になく何ら情報が得られない人などは会社側の説明を全面的に信用してしまうものです。

この商法についての法的な解釈についてのご検討、ありがとうございました。いろいろ検討の余地があると思いますが、事業者同士(出版社と著者)の取引において、優位な立場にある出版社が著者に対し錯誤を誘発させた上で不当な利益を得るという不公正な取引になっていると思います。また、公取委による規制は罰則や民事的請求を手段にしないとしても、是正させるためには有効ではないでしょうか。
Posted by 松田まゆみ at 2008年03月12日 15:49
松田まゆみ様

 整理していきたいと思います。
 著者がはじめからサービスの契約(ママ)、つまり印刷製本についての契約だと思い込んでいる、この点については、統計に基づくものではなく、松田さんの判断だと思います。
 さらに詳細にいえば、契約してしまった者のみが対象になると思います。
 見積もりの時点で、著者が自著を購入する場合、定価の何割っていうことは明示されていたと思います。
 著者が自著を購入するという点ですでにこの契約は、製作された書籍の所有権は出版社にあり、著者が製作費用を負担する自費出版ではないと判断できるのではないかと思います。
 また新聞などでは「あなたの本が書店に並ぶ」といった旨が謳われていたと思います。それに釣られて原稿を応募したわけですから、松田さんのいう「サービスの契約」、つまり請負契約だと思い込むという松田さんの説明が納得できません。仮にこの請負契約に印刷・製本のみならず、書籍の流通サービスが含まれていたと思い込んだとしてもです。
 請負契約だとか出版権設定契約だとかの言葉を知らなくても普通に仕事をしていれば常識として疑問がわく見積もりで、ことさら巧妙な騙しのテクニックが使われているとは私には思えません。
 まして本を出そうと思っているレベルの者にとってはなおさらです。
 ひとつあるとすれば、見積もりと一緒に送付される「書評」をみて、ろくに見積もりを読まなかったということは考えられます。
 ただし「書評」をみて舞い上がったとしても、これはこれで疑問が残ります。なぜならほとんど直す必要がないという類のことが書かれていたとすれば、すなわち編集費は、限りなくゼロに等しいと判断できるからです。
 参考までに今回文芸社から送付してきた見積もりをblogにUPし、相当の印刷費も併せて提示してみました。
 ちなみに私が今回原稿を送付したのは、見積もり以上に、推敲の参考に「書評」を利用しようと思ったこともあります。
 大手出版社の自費出版部門に相談すれば、自社の面子もありますから、たとえ自費出版であってもちゃんとした編集をするでしょう。
 さらに不思議なのは、百万以上の金を支出するのに「合い見積もり」を取らないという点です。
 おかしいと気付くのは、個人個人によって違うと思いますが、これだけ「おかしい」が満載されていてそれに気付かないというのは、やはり不思議です。
 そもそも新聞広告で共同出版を知り、応募という方が大半だと思います。ネットの情報など対して有用なものはありませんし、単に自分で調べることを放棄しているだけのことだと思います。

 今まで本を出すなどという行為とは無縁の人が、blogなどの普及で「もしかしたら自分でも本が出せる」のではと勘違いした、これが真相ではないかと思います。共同出版による出版点数の推移とblogの普及率がそれを物語っているように思います。
 そして今まで本を出すことなど無縁の人間だからこそ推敲もしたことがないため、いまだに自分のおかれている立場さえ理解できていないのでしょう。

 優位な立場で不公正な取引により不当な利益を得るという点についても、いわゆる下請けいじめと比べれば悪質というほどのものでもありません。
 下請けいじめについては独禁法では解決できませんし、先に挙げた不正競争防止法でもお手上げの状態です。
 私は共同出版の問題より一国の産業にも関係する深刻な下請企業の問題を救済する「コストダウン防止法」等の法整備が先決だと思いますし、マスコミもそろそろこの下請けいじめについては採り上げる時期に来たのではないかと思います。
Posted by 柴田晴廣 at 2008年03月12日 16:48
柴田晴廣様

そうですね。たしかに統計に基づくものではなく、あくまでも私がそう感じているということですが、販売サービス付の出版サービスと思い込んでいる著者が多いのではないかと思います。また「費用の分担」については説明を受けていない著者もいるようです。新風舎の契約書には「出版を乙に依頼する」と書かれており、これも勘違いの要因になっていると思います。本来なら「著者が出版社に出版を認める」ということですから。

見積もりの時点で自著購入のことが書かれていたのであれば、確かに著者の不注意は否めませんね。また、高石氏などのように「著者がすべての費用を支払っているのだから、所有権は著者にあるべき」などという契約を無視した主張をする人がいて、その方が業界関係者であるがゆえにそれを信用してしまう著者がいることも確かです。

私自身は、文芸社からの手紙などから「著者が制作費を負担する条件での商業出版」としか思いませんでしたが(2001年当時ですが)、そう捉えていない著者がいるのを知って驚きました。でも、それが現実です。また、文芸社からの手紙には「弊社の編集・デザインの技術を存分に駆使して上質の書籍として仕上げ…」と書かれており、いかにもプロの編集者が十分な編集をするのだと受け取れる内容でした。実際はほとんど何もしていなかったので、抗議して解約に至ったわけですが。

相見積もりですが、私は自費出版においてはあまり費用だけを比較すべきではないと思っています。編集やデザインなどのソフト面にしても印刷製本などのハード面にしても、質によって大きな差があるからです。例えば経験豊かで賃金も高い編集者が2ヶ月くらいかけて編集する場合とほとんど何もしない場合では、編集費に雲泥の差が生じます。印刷方法や紙質などによっても差がでます。もちろん部数が多いほど割安になります。会社の規模が大きければ維持管理費も高額になります。そういったことも考慮しつつ、どんな編集や本づくりをするのか、会社の姿勢をきちんと確認することも大切です。

これはもちろん商業出版でも同じで、質の高い本をつくっている出版社は制作原価も高いはずです。当然、そうした費用は本の単価に跳ね返ってくるとは思いますし、単価を安くするためには部数を多くする必要があります。費用の直接的な比較が難しいのが出版の特質でもあると思っています。

なお、文芸社の制作費については「共同出版・自費出版の被害をなくす会」のサイトに質問書を掲載しました。

被害者の落ち度については、私はどちらかといえば現実(実態)に即して許容し、それを責めても解決にならないと捉えているのに対し、柴田さんはより論理的に捉えているということでしょうか。

今はブログを書くとすぐに自費出版の広告が入ってきますね。そうしたことも、一般の人に出版が身近に感じられるようになった要因かもしれません。ただ、それ以前に新風舎や文芸社の大きな新聞広告によってアマチュアの方たちを「その気」にさせて会社が大きくなったこととブログの普及が一致したのではないかとも思います。

たしかに下請けいじめの問題などは深刻ですし、マスコミはもっと取り上げるべきでしょう。それに比べて出版を考える人はごく一部の方ですから、人口比からしても大きな問題ではないかもしれませんが、私は悪質商法というものは比率で考えるべきことではないように思います。少なくとも新風舎は15000人もの著者がいたわけですし、同業他社を入れれば数万人は被害者といえます。契約しなかった人も含めれば相当数の人がこうした商法に関ったのです。

はっきりいって「自社の商品(本)の製造・販売において、その経費以上の費用を他者(著者)に払ってもらう」、つまり会社側が費用もリスクも負担しない製造販売業などというのは異常でしかないわけで、その異常さを知らせる必要はあるのではないでしょうか。
Posted by 松田まゆみ at 2008年03月13日 09:09
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