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2012年01月31日
もう一度原発が過酷事故を起こしたらこの国は終わる
昨日の北海道新聞夕刊の「論壇」というコラムに、金子勝氏が「なし崩しの容認避けよ」とのタイトルで原発の再稼働問題について書いていた。
金子氏は、「新潮45」2月号に掲載された添田孝史氏の「全原発54基総点検」という記事と、「世界」2月号に掲載された原子力資料情報室の「原発再稼働は危険だ」という記事で危険であると指摘された原発を挙げ、再稼働に警告を発している。
危険な原発とは、耐震性に問題のある原発、マークⅠ型原発、老朽化原発、地震に対して危険性が高い原発、3基以上の原発が集中しているところ、組織に問題のある原発・・・。そうやって挙げていくとほとんどの原発が引っかかってきそうだ。それはそうだろう。
福島第一原発は東北地方太平洋沖地震でいとも簡単に壊れ、4基もが爆発したのだ。あの地震では東海第二原発だってぎりぎりでメルトダウンが回避された。女川原発だって危なかった。日本の原発がいかに地震や津波に無防備だったのか、安全神話がいかに嘘で塗り固められたものかが巨大地震で一瞬のうちに露わになったのだ。もし東海第二原発がメルトダウンしていたら、日本は終わるところだった。そのことを肝に銘じなければならない。
原発銀座といわれている若狭湾にも津波の記録がある。しかし、これまで関西電力はまともな津波対策をしてこなかった。なのに、原子力安全・保安院はなぜ大飯原発のストレステストを認めてしまうのか。この国の無責任体質には言葉もない。
若狭湾の大津波(伝承)・・関電は知っていた・・(院長の独り言)
金子氏は最後に、故高木仁三郎氏の遺著「原発事故はなぜくりかえすのか」(岩波新書)の中の一文を紹介している。以下がそれだ。
高木仁三郎氏は、危険性を知りながら安全神話を振りまいて54基もの原発を造ってしまった日本は、いつか大事故を起こすと予感していたのだろう。そして、そんな大事故が起きたら日本がどのようになるかも見通していたに違いない。この文章には、核の恐ろしさを知っていながら、その暴走をどうすることもできない研究者の苦悩が滲んでいる。
高木氏に限らず、これまで原発の危険性を訴えつづけてきた研究者や技術者も同じような恐怖感を抱き続けていたに違いない。しかし、彼らの声は多くの国民に届くことはなかった。否、仮に届いたとして誰が原発を止められただろう。そう思うと、どうしても無力感に襲われてしまう。しかし、だからといって投げやりになったらそれこそ終わりだ。
3.11から10カ月以上経過した。汚染がひどくない地域の人たちはどうも危機感がない人が大半らしい。そして汚染された地域で暮らさざるを得ない人たちは、半ばあきらめムードだとも聞く。関東地方あたりでは、原発のことは話題にしないようにしている人が多いようだ。まだ原発から放射能が放出され、ニュースでは原発のことを聞かない日はないのに、人々から危機感が薄れていくのが恐ろしい。
福島第一原発の事故は想像を絶するほどの被害をもたらしている。被ばくし避難を余儀なくされた人たちへの補償はもちろんのこと、農地を汚染した被害はこれから何年も続く。漁業被害も計り知れない。観光地も被害を受けた。今後健康被害が出てきたときはどう補償するつもりなのか。食料品の流通やゴミの焼却、汚染瓦礫の処理によって汚染は広がる一方だ。あれだけ海を汚したのだから海外からも賠償請求されるだろう。原発事故というのは国を破綻させるほど大変なことなのだ。しかし、再稼働させたいという人たちにはその責任が微塵も感じられない。
日本がまた大きな地震に襲われる可能性が高いとの指摘が地震学者によってなされている。ほぼ間違いなく近い将来に日本はまた大きな地震に襲われるだろう。それも複数回来る恐れがある。今度また福島と同じような大事故が起きたなら、本当に日本は終わるだろう。ストレステストで再稼働にゴーサインを出すような連中だって、そんなことは百も承知のはずだ。それなのに何故、原発を止めようという一言が言えないのだろう。
未だに原発が必要だと思っている人たちに声を大にして言いたい。「日本を終わらせたいのか!」と。
金子氏は、「新潮45」2月号に掲載された添田孝史氏の「全原発54基総点検」という記事と、「世界」2月号に掲載された原子力資料情報室の「原発再稼働は危険だ」という記事で危険であると指摘された原発を挙げ、再稼働に警告を発している。
危険な原発とは、耐震性に問題のある原発、マークⅠ型原発、老朽化原発、地震に対して危険性が高い原発、3基以上の原発が集中しているところ、組織に問題のある原発・・・。そうやって挙げていくとほとんどの原発が引っかかってきそうだ。それはそうだろう。
福島第一原発は東北地方太平洋沖地震でいとも簡単に壊れ、4基もが爆発したのだ。あの地震では東海第二原発だってぎりぎりでメルトダウンが回避された。女川原発だって危なかった。日本の原発がいかに地震や津波に無防備だったのか、安全神話がいかに嘘で塗り固められたものかが巨大地震で一瞬のうちに露わになったのだ。もし東海第二原発がメルトダウンしていたら、日本は終わるところだった。そのことを肝に銘じなければならない。
原発銀座といわれている若狭湾にも津波の記録がある。しかし、これまで関西電力はまともな津波対策をしてこなかった。なのに、原子力安全・保安院はなぜ大飯原発のストレステストを認めてしまうのか。この国の無責任体質には言葉もない。
若狭湾の大津波(伝承)・・関電は知っていた・・(院長の独り言)
金子氏は最後に、故高木仁三郎氏の遺著「原発事故はなぜくりかえすのか」(岩波新書)の中の一文を紹介している。以下がそれだ。
根本の問題をおきざりにした日本の原子力行政は、もっとひどいところにいくのではないか。最悪の事故のようなものが避けられないかもしれない。とんでもない事態が起こっているようで、かけ値なしの恐怖感が私にはあるのです。
高木仁三郎氏は、危険性を知りながら安全神話を振りまいて54基もの原発を造ってしまった日本は、いつか大事故を起こすと予感していたのだろう。そして、そんな大事故が起きたら日本がどのようになるかも見通していたに違いない。この文章には、核の恐ろしさを知っていながら、その暴走をどうすることもできない研究者の苦悩が滲んでいる。
高木氏に限らず、これまで原発の危険性を訴えつづけてきた研究者や技術者も同じような恐怖感を抱き続けていたに違いない。しかし、彼らの声は多くの国民に届くことはなかった。否、仮に届いたとして誰が原発を止められただろう。そう思うと、どうしても無力感に襲われてしまう。しかし、だからといって投げやりになったらそれこそ終わりだ。
3.11から10カ月以上経過した。汚染がひどくない地域の人たちはどうも危機感がない人が大半らしい。そして汚染された地域で暮らさざるを得ない人たちは、半ばあきらめムードだとも聞く。関東地方あたりでは、原発のことは話題にしないようにしている人が多いようだ。まだ原発から放射能が放出され、ニュースでは原発のことを聞かない日はないのに、人々から危機感が薄れていくのが恐ろしい。
福島第一原発の事故は想像を絶するほどの被害をもたらしている。被ばくし避難を余儀なくされた人たちへの補償はもちろんのこと、農地を汚染した被害はこれから何年も続く。漁業被害も計り知れない。観光地も被害を受けた。今後健康被害が出てきたときはどう補償するつもりなのか。食料品の流通やゴミの焼却、汚染瓦礫の処理によって汚染は広がる一方だ。あれだけ海を汚したのだから海外からも賠償請求されるだろう。原発事故というのは国を破綻させるほど大変なことなのだ。しかし、再稼働させたいという人たちにはその責任が微塵も感じられない。
日本がまた大きな地震に襲われる可能性が高いとの指摘が地震学者によってなされている。ほぼ間違いなく近い将来に日本はまた大きな地震に襲われるだろう。それも複数回来る恐れがある。今度また福島と同じような大事故が起きたなら、本当に日本は終わるだろう。ストレステストで再稼働にゴーサインを出すような連中だって、そんなことは百も承知のはずだ。それなのに何故、原発を止めようという一言が言えないのだろう。
未だに原発が必要だと思っている人たちに声を大にして言いたい。「日本を終わらせたいのか!」と。
Posted by 松田まゆみ at 21:47│Comments(0)
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