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2011年01月24日
ニセ科学と陰謀論
日本科学者会議発行の「日本の科学者」2月号の特集は「21世紀の科学リテラシー」だ。中でも興味深かったのは、江守正多氏の「地球温暖化論争を経験して、科学リテラシーについて思うこと」と、菊池誠氏の「ニセ科学問題から見た科学リテラシー」という論考だ。
江守氏は、人為起源温暖化論を肯定する勢力と否定する勢力のせめぎ合いを、一般の人たちがどう捉えるべきかについて論じている。専門家ではない一市民が、肯定派の主張と否定派の主張に出会ったとき、どのような根拠でどちらの主張を信用するのかは、科学リテラシーやメディアリテラシーが深く関係してくる。
そして、論理性、正確性、不偏性について主張を評価する必要があるという。しかし、実際に、専門家ではない市民が、これらについて吟味し判断するのは困難だ。したがって、判断を保留する市民が多いことについては共感できるという。ただし、「共感できないのは、否定派の主張を断定的に受け入れ、肯定派の主張を断定的に誤りと決めつける態度である。理性的な判断が難しい問題に対して、多くの専門家が支持する主張を断定的に否定する態度をとる背景には、組織的な否定派の影響を受けている可能性や、権威を批判したい、あるいは陰謀論を信じたいという誘惑の存在が想像できる」としている。
地球温暖化についてはこのブログでも何回か取り上げている。私自身は専門的な数式等は分からないが、肯定派、否定派の主張を客観的に見るなら、肯定派の主張のほうが論理的に納得でき、説得力があると考えている。そして、否定派の一部の方が主張する「陰謀論」については、大いなる疑問を感じている。もちろん、否定派の方たちの主張がすべて間違っているとは思わない。しかし一部の主張が正しいからといって、全てが正しいというわけではない。
とりわけ陰謀論が先にあり、人為起源温暖化論を主張する国の研究機関の人たちをひとからげに御用学者呼ばわりするような否定派・懐疑論者の方たちは理解できない。冷静に考えたなら、専門家の方たちが一致団結して御用学者になっていることなどあり得ないだろう。江守さんの主張はもっともだと思う。
菊池さんの論考も面白い。ニセ科学として、たとえば「水からの伝言」を挙げている。私は「水からの伝言」という言葉は聞いたことがあるが、具体的にどういうことなのか知らなかった。はじめから関心がなかったということだ。私と同じように知らない人のために、菊池さんの説明を引用しよう。「これは、水に『ありがとう』という言葉を見せてから凍らせると樹枝状に成長したきれいな結晶ができ、『ばかやろう』という言葉を見せたのではそのような結晶にはならないという説である」ということだ。
いやあ、この説明を読んで驚いてしまった。水が言葉を理解して結晶の形を変えるなんて、逆立ちしたってありえない。こんなことを信じる人がほんとうにいるのだろうか。しかし、それを実証した写真集によって、大きな評判になったという。科学的な教育を受けているのなら、水が人間の言葉を理解するなどということを疑うのが当然だろう。本に書かれていることが真実とは限らない。嘘でたらめを書いている本など世の中にはたくさんあるだろう。写真集の実験を信じるかどうかは、本来それを見る人が考えなくてはならないことだ。ところが、これを小学校の道徳教育に使い、いい言葉を使うように指導した教師がいたというのだからたまげた。
ほかにも、民間療法のホメオパシーや9.11の陰謀論、理系の専門教育を受けた信者がオウム真理教を受け入れていたことなどについて、紹介している。9.11については、確かにインターネットなどでは根強い陰謀論があるようだ。つまり、米政府による自作自演説だ。週刊金曜日などでも、米政府の中枢の人たちがあの事件を事前に知っていたという証言を取り上げていた。そのことは事実かもしれない。しかし、事前にテロを察知していたことと、事件そのものが米国の自作自演であるというのはまったく別のことだ。そこはきっちりと切り離して考えるべきだ。
何を信じていいのかわからない一般の人にとって、陰でまことしやかに囁かれる陰謀論というのはちょっと魅力的なのかもしれない。なんだか推理小説みたいだし、誘惑にかられるのはわかる。たしかに世の中には陰謀といえることがしばしばある。しかし、だからといって不可解なことに対してすぐに陰謀論を持ち出すのは著しく論理性に欠ける。ところが、陰謀論こそ正しいと信じて、他の主張を受け付けない人もいる。それは、ときとしてほとんど宗教のようになっている。しかし、ニセ科学の場合「信じるものは救われる」で済むはなしではない。「信じるものは騙される」のである。そして、場合によっては破滅に向かう。
今、私たちのまわりには情報が氾濫するようになった。わからないことはすぐにインターネットで調べることができる。しかし、紙のメディアの情報であれ、インターネットであれ、その情報をそのまま鵜呑みにしてしまうのはとても危険だ。何が正しいのか、何を信じるべきなのかは自分の頭で考え判断していかなければならない。だからこそ、科学リテラシーが必要なのだ。ところが、この国の教育はそういうことを重視しているとは思えない。この国に科学リテラシーが根づく日がくるのだろうか。
江守氏は、人為起源温暖化論を肯定する勢力と否定する勢力のせめぎ合いを、一般の人たちがどう捉えるべきかについて論じている。専門家ではない一市民が、肯定派の主張と否定派の主張に出会ったとき、どのような根拠でどちらの主張を信用するのかは、科学リテラシーやメディアリテラシーが深く関係してくる。
そして、論理性、正確性、不偏性について主張を評価する必要があるという。しかし、実際に、専門家ではない市民が、これらについて吟味し判断するのは困難だ。したがって、判断を保留する市民が多いことについては共感できるという。ただし、「共感できないのは、否定派の主張を断定的に受け入れ、肯定派の主張を断定的に誤りと決めつける態度である。理性的な判断が難しい問題に対して、多くの専門家が支持する主張を断定的に否定する態度をとる背景には、組織的な否定派の影響を受けている可能性や、権威を批判したい、あるいは陰謀論を信じたいという誘惑の存在が想像できる」としている。
地球温暖化についてはこのブログでも何回か取り上げている。私自身は専門的な数式等は分からないが、肯定派、否定派の主張を客観的に見るなら、肯定派の主張のほうが論理的に納得でき、説得力があると考えている。そして、否定派の一部の方が主張する「陰謀論」については、大いなる疑問を感じている。もちろん、否定派の方たちの主張がすべて間違っているとは思わない。しかし一部の主張が正しいからといって、全てが正しいというわけではない。
とりわけ陰謀論が先にあり、人為起源温暖化論を主張する国の研究機関の人たちをひとからげに御用学者呼ばわりするような否定派・懐疑論者の方たちは理解できない。冷静に考えたなら、専門家の方たちが一致団結して御用学者になっていることなどあり得ないだろう。江守さんの主張はもっともだと思う。
菊池さんの論考も面白い。ニセ科学として、たとえば「水からの伝言」を挙げている。私は「水からの伝言」という言葉は聞いたことがあるが、具体的にどういうことなのか知らなかった。はじめから関心がなかったということだ。私と同じように知らない人のために、菊池さんの説明を引用しよう。「これは、水に『ありがとう』という言葉を見せてから凍らせると樹枝状に成長したきれいな結晶ができ、『ばかやろう』という言葉を見せたのではそのような結晶にはならないという説である」ということだ。
いやあ、この説明を読んで驚いてしまった。水が言葉を理解して結晶の形を変えるなんて、逆立ちしたってありえない。こんなことを信じる人がほんとうにいるのだろうか。しかし、それを実証した写真集によって、大きな評判になったという。科学的な教育を受けているのなら、水が人間の言葉を理解するなどということを疑うのが当然だろう。本に書かれていることが真実とは限らない。嘘でたらめを書いている本など世の中にはたくさんあるだろう。写真集の実験を信じるかどうかは、本来それを見る人が考えなくてはならないことだ。ところが、これを小学校の道徳教育に使い、いい言葉を使うように指導した教師がいたというのだからたまげた。
ほかにも、民間療法のホメオパシーや9.11の陰謀論、理系の専門教育を受けた信者がオウム真理教を受け入れていたことなどについて、紹介している。9.11については、確かにインターネットなどでは根強い陰謀論があるようだ。つまり、米政府による自作自演説だ。週刊金曜日などでも、米政府の中枢の人たちがあの事件を事前に知っていたという証言を取り上げていた。そのことは事実かもしれない。しかし、事前にテロを察知していたことと、事件そのものが米国の自作自演であるというのはまったく別のことだ。そこはきっちりと切り離して考えるべきだ。
何を信じていいのかわからない一般の人にとって、陰でまことしやかに囁かれる陰謀論というのはちょっと魅力的なのかもしれない。なんだか推理小説みたいだし、誘惑にかられるのはわかる。たしかに世の中には陰謀といえることがしばしばある。しかし、だからといって不可解なことに対してすぐに陰謀論を持ち出すのは著しく論理性に欠ける。ところが、陰謀論こそ正しいと信じて、他の主張を受け付けない人もいる。それは、ときとしてほとんど宗教のようになっている。しかし、ニセ科学の場合「信じるものは救われる」で済むはなしではない。「信じるものは騙される」のである。そして、場合によっては破滅に向かう。
今、私たちのまわりには情報が氾濫するようになった。わからないことはすぐにインターネットで調べることができる。しかし、紙のメディアの情報であれ、インターネットであれ、その情報をそのまま鵜呑みにしてしまうのはとても危険だ。何が正しいのか、何を信じるべきなのかは自分の頭で考え判断していかなければならない。だからこそ、科学リテラシーが必要なのだ。ところが、この国の教育はそういうことを重視しているとは思えない。この国に科学リテラシーが根づく日がくるのだろうか。
Posted by 松田まゆみ at 20:43│Comments(3)
│自然・文化
この記事へのコメント
「水からの伝言」はよく売れてましたね。著者は学校などを回って講演していました。学校関係者でも信じ込んでいた人が結構いました。市町村の図書館や学校図書館でも写真集を購入したところが多かった。写真集を見せられるとどう反論していいモノやら、戸惑ったことを憶えています。「ありがとう」や「ばかやろう」という現代日本語ではなく英語で書いたら水は理解できると思いますか?北方領土の水はロシア語を見せなければなりませんか、それとも日本語でもいいですか?という質問をして「嘘」に気づいて貰いました。水の結晶に差異が生じたと言い張るのですから、あれを言い出した人はペテン師ですね。学校関係者とくに子供を教育する立場にいる人が、こんな事に欺されるという事実を問題にしなくてはならないな。『科学リテラシーが必要なのだ。ところが、この国の教育はそういうことを重視しているとは思えない。この国に科学リテラシーが根づく日がくるのだろうか。』私も同じ事を考えていました。(鏡 坦)
Posted by 鏡 坦 at 2011年01月25日 01:51
鏡 様
恥ずかしながら「水からの伝言」という写真集のことは今まで知りませんでした。そんな怪しげな本が売れていたのですか・・・。なんだか詐欺的出版ですね。それに、教育者が簡単にそういう本を信じてしまうところが恐ろしいですね。子どもへの影響がはかりしれないと思います。
陰謀といえば、インターネットではウィキリークスが米国の手先だとする怪しげな情報も流されているようです。何でも陰謀にしてしまう人がいるのには閉口します。せめて、きちんとした証拠を確認するべきでしょう。
恥ずかしながら「水からの伝言」という写真集のことは今まで知りませんでした。そんな怪しげな本が売れていたのですか・・・。なんだか詐欺的出版ですね。それに、教育者が簡単にそういう本を信じてしまうところが恐ろしいですね。子どもへの影響がはかりしれないと思います。
陰謀といえば、インターネットではウィキリークスが米国の手先だとする怪しげな情報も流されているようです。何でも陰謀にしてしまう人がいるのには閉口します。せめて、きちんとした証拠を確認するべきでしょう。
Posted by 松田まゆみ at 2011年01月25日 14:07
地球温暖化に対する肯定派と懐疑派の意見の相違がありますが、私はそういった議論よりも、温暖化対策がどのように行われているのか。
また、その対策をする上で、日本の置かれた立場がどのようになっているのかを理解することのほうが大事だと考えます。
懐疑派の主張がいかなるものであるにせよ、世の中は温室ガス・・・とりわけCO2を削減することを政治的に行っています。
京都議定書で定められた先進国への削減義務。
しかし、枠組みで義務を負っているのは日本とEUだけです。
松田さんはご存知でしょうけど、実際にCO2を削減できなければ排出枠を購入して“擬似的”に削減したことにしているわけです。
お金を出せば削減したことにしてもらえるおかしな政策なんですが・・・
しかし、これを見ることでまったく公平でないことがわかります。
日本が負っている1990年比-6%
EUは-8%です。
それなのに排出枠を購入しているのはほとんどこの日本だけです。
数字上のトリックですからね。EUは上手く外交しました。
京都議定書の約束期間は5年間です。その初年度達成に、官民合わせて約1兆円つかったとの試算もあるようです。
まだ4年分残っていますし、他国はポスト京都議定書も同じ枠組みでやるべきといいます。
もはや途上国ばかりか、先進国も削減はしたくないということでしょうね。
ところで、温暖化と少し話がそれますが、原油高が止まりません。
原油価格を決めているものは様々ありますが、その中で新興国の台頭があります。
松田さんは『ピークオイル論』というものをご存知ですか?!
日本ではあまり議論されないようです。
石油は有限であり、いずれは枯渇するでしょう。
しかし、それはまだまだ先のことと思います。とはいえ、需要が異常に高まり、一方で油田発見数が激減している現実があるようです。
その中で石油生産がピークを過ぎてしまえば、価格は当然高騰するものです。そうなれば食糧も高騰するんです。
貧困層には深刻な問題です。ですから、枯渇するよりずっと前に混乱が生じると予測されているんです。
世界の油田のピークは専門家によって意見が分かれるようですが、2010年というのが平均のように感じます・・・
これを避けるのには節約しかないんです。
つまり、CO2の削減はピークオイルを遅らせることにつながるんです。
温暖化とエネルギー問題は表裏一体です。
世界中が原発増設を計画しているのは、温暖化対策もあるでしょうがピークオイルを懸念することのほうがウェイトが大きいように感じます。
それは、先に書いた各国の温暖化対策に対する取り組み姿勢をみると一層感じるんです。
ヨーロッパでは脱原発の法整備までした国が、深刻なエネルギー不足から原発回帰する方針なんです。
各国は気候変動を回避するための取り組みを行っているというよりは、少しずつ脱石油のためのインフラを整備し、その資金調達の一部を日本に出させているように感じてならないんです。
そして、その費用を捻出するのは我々国民です。
その方向性として、COP17は日本の未来を左右するのではないでしょうか・・・
また、その対策をする上で、日本の置かれた立場がどのようになっているのかを理解することのほうが大事だと考えます。
懐疑派の主張がいかなるものであるにせよ、世の中は温室ガス・・・とりわけCO2を削減することを政治的に行っています。
京都議定書で定められた先進国への削減義務。
しかし、枠組みで義務を負っているのは日本とEUだけです。
松田さんはご存知でしょうけど、実際にCO2を削減できなければ排出枠を購入して“擬似的”に削減したことにしているわけです。
お金を出せば削減したことにしてもらえるおかしな政策なんですが・・・
しかし、これを見ることでまったく公平でないことがわかります。
日本が負っている1990年比-6%
EUは-8%です。
それなのに排出枠を購入しているのはほとんどこの日本だけです。
数字上のトリックですからね。EUは上手く外交しました。
京都議定書の約束期間は5年間です。その初年度達成に、官民合わせて約1兆円つかったとの試算もあるようです。
まだ4年分残っていますし、他国はポスト京都議定書も同じ枠組みでやるべきといいます。
もはや途上国ばかりか、先進国も削減はしたくないということでしょうね。
ところで、温暖化と少し話がそれますが、原油高が止まりません。
原油価格を決めているものは様々ありますが、その中で新興国の台頭があります。
松田さんは『ピークオイル論』というものをご存知ですか?!
日本ではあまり議論されないようです。
石油は有限であり、いずれは枯渇するでしょう。
しかし、それはまだまだ先のことと思います。とはいえ、需要が異常に高まり、一方で油田発見数が激減している現実があるようです。
その中で石油生産がピークを過ぎてしまえば、価格は当然高騰するものです。そうなれば食糧も高騰するんです。
貧困層には深刻な問題です。ですから、枯渇するよりずっと前に混乱が生じると予測されているんです。
世界の油田のピークは専門家によって意見が分かれるようですが、2010年というのが平均のように感じます・・・
これを避けるのには節約しかないんです。
つまり、CO2の削減はピークオイルを遅らせることにつながるんです。
温暖化とエネルギー問題は表裏一体です。
世界中が原発増設を計画しているのは、温暖化対策もあるでしょうがピークオイルを懸念することのほうがウェイトが大きいように感じます。
それは、先に書いた各国の温暖化対策に対する取り組み姿勢をみると一層感じるんです。
ヨーロッパでは脱原発の法整備までした国が、深刻なエネルギー不足から原発回帰する方針なんです。
各国は気候変動を回避するための取り組みを行っているというよりは、少しずつ脱石油のためのインフラを整備し、その資金調達の一部を日本に出させているように感じてならないんです。
そして、その費用を捻出するのは我々国民です。
その方向性として、COP17は日本の未来を左右するのではないでしょうか・・・
Posted by コウキ at 2011年02月02日 10:06
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