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鬼蜘蛛の網の片隅から › 雑記帳 › アドラー心理学を凝縮した「嫌われる勇気」-その3

2014年04月29日

アドラー心理学を凝縮した「嫌われる勇気」-その3

課題の分離
 アドラー心理学では行動面の目標として「自立すること」と「社会と調和して暮らせること」を、心理面の目標として「わたしには能力がある」、「人々はわたしの仲間である」という意識をもつことを掲げている。そして、「人生のタスク(課題)」と向き合うことでこれらの目標が達成できるという。

 その人生のタスクとは「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」だ。二―トや引きこもりは「仕事のタスク」の段階でつまずいたのだという。そして、他者のせいにしたり環境のせいにして人生のタスクから逃げることを「人生の嘘」と呼んでいる。

 こうした人間関係においてもっとも重要なことは「課題の分離」と「承認欲求の否定」だという。

 哲人は「およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと―あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること―によって引き起こされます」という。たとえば勉強をするというのは子どもの課題であるから、親が子どもに「勉強しなさい」と言うのは、親が子どもの課題に踏み込んでしまっていることになる。誰の課題であるのかを見分けるのは「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受ける人」だ。

 これは私も日常生活の中でよく経験する。私自身が決めるべきことを他者から強要されるととても不愉快になる。アドバイス程度で止めておけばいいのだが「ああしなさい」「こうしなさい」と強要されたら、誰もが面白くないだろう。いわゆる過干渉だ。だから、他者の行動について自分の意見を言うことはあっても、それを相手に押しつけてはならない。ところが、世の中には自分が他者から干渉されると怒るのに、他人には平気で干渉して支配しようとする人がいる。このような時は、決して相手に従ってはならないし、強要をやめないような人からは離れるしかないと思う。

 人生とは選択の連続だが、自分の信じる道を選ぶのは自分自身の課題だ。選択の結果に責任を持つのは自分自身であって、他人のせいにしてはならない。これが「課題の分離」の基本だ。

 一方、承認欲求とは、他者の期待に応えるように生きることだ。しかし、それは常に他者の評価を気にし、他者の顔色をうかがって生きることに他ならない。また、誰からも嫌われたくない」ということにも通じる。しかし、そうした生き方は自分の人生を人任せにしてしまうことに等しい。なぜなら、誰からも嫌われないようにと常に相手に合わせていたなら、相手にも自分にも嘘をつき続けることになるからだ。嘘をつき続けるほど不自由な人生はないだろう。だから、アドラー心理学では「自由とは他者から嫌われることである」ということになる。

 実際、他者の評価をいつも気にし、人から嫌われることを恐れる人は実に多い。そうすることが自分にとっていいことだと思っているのだと思う。しかし、他者から嫌われまいと自分の人生を人に合わせていたなら、それは他人に振り回される人生であり本当の自分の人生ではない。そういう生き方はいつか自分を苦しめることになるだろう。日本でうつ病や自殺者が多い背景に格差の拡大、競争、あるいは深刻なパワハラやいじめなどがあるのは確かだ。しかし、それと同時に、原因論にはまりこんで絶望感から抜け出せなかったり、嫌われないようにと振る舞い、身動きがとれなくなってしまう人もいるのではなかろうか。また、うつ病の薬などがそれに拍車をかけているようにも思う。

共同体感覚と他者への貢献
 共同体感覚というのは「他者を仲間だとみなし、そこに『自分の居場所がある』と感じられること」だ。そして、「共同体感覚とは、幸福なる対人関係のあり方を考える、もっとも重要な指標」だとしている。このあたりのことは是非、本書を読んでいただきたいのだが、簡潔にいうならば「自己への執着」をすてて「他者への関心」に切り替えていくということになる。

 では、「自己への執着」とは何か? 以下の会話を引用しよう(183ページ)。

哲人:承認欲求の内実を考えてください。他者はどれだけ自分に注目し、自分のことをどう評価しているのか? つまり、どれだけ自分の欲求を満たしてくれるのか? ・・・・・・こうした承認欲求にとらわれている人は、他者を見ているようでいて、実際には自分のことしか見ていません。他者への関心を失い、「わたし」にしか関心がない。すなわち、自己中心的なのです。
青年:じゃあ、わたしのように他者からの評価に怯えている人間もまた、自己中心的だというのですか? これほど他者に気を遣い、他者に合わせようとしているのに!?
哲人:ええ。「わたし」にしか関心がない、という意味では自己中心的です。あなたは他者によく思われたいからこそ、他者の視線を気にしている。それは他者への関心ではなく、自己への執着にほかなりません。

 アドラー心理学は厳しい。課題の分離ができておらず、承認欲求にとらわれている人は自己中心的だとする。そして、「自己への執着」を「他者への関心」に切り替えていくことが必要だと説く。なぜなら、他者に貢献できたときこそ、人は自分に価値があると思えるのであり、勇気を持てるというのだ。私自身は、自分の価値について考えたことはなかったので、この指摘は今ひとつピンとこないのだが、そう言われてみればそうなのかもしれない。「他者が私に何かをしてくれることを期待するのではなく、私が他者に何をできるのかを考え実践する」というところに、幸せになるためのポイントがありそうだ。

 アドラーの心理学は厳しいのだが、同時に希望がある。それは「過去にどんなことがあったかなど、あなたの『いま、ここ』には何の関係もないし、未来がどうであるかなど『いま、ここ』で考える問題ではない」という考え方だ。過去の経験や学歴など、これからの人生にはなんの関係もない。学歴が高い、あるいは辛い経験をしていない人がみんな幸せというわけではないし、学歴が低かったり辛い経験をしていても活き活きと幸せに生きている人が沢山いるのは明らかな事実だ。

 原因論に立つと、人の不幸は家庭環境や生まれ育った境遇、過去の経験などに起因することになる。親の教育に問題があったとするなら、なぜ親はそのような教育方針をとるようになったのかという話しになり、結局は「社会が悪い」ということになっていく。いじめが原因で引きこもりになれば、「まわりに同調する」ことを強いる社会が悪いということにもなるだろう。しかし、何でも「他人が悪い」「社会が悪い」で片づけてしまえるものなのだろうか? その社会はいったい誰がつくっているのだろうか?

 そう考えると、不幸であることを「社会が悪い」と社会のせいだけにしてしまうのも違うように思えるし、人が幸福であるか不幸であるかというのは一人ひとりの生き方の問題だということに行きつく。一人ひとりが変われば社会も変わるのであり、それ以外に社会を変えることはできない。

 哲人はこんなことを言っている(281ページ)。

哲人:ええ、信じてください。わたしは長年アドラーの思想と共に生きてきて、ひとつ気がついたことがあります。
青年:なんでしょう?
哲人:それは「ひとりの力は大きい」、いや「わたしの力は計り知れないほどに大きい」ということです。
青年:どういうことでしょうか?
哲人:つまり「わたし」が変われば「世界」が変わってしまう。世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない、ということです。アドラー心理学を知ったわたしの目に映る世界は、もはやかつての世界ではありません。

(略)

哲人:もう一度、アドラーの言葉を贈りましょう。「誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく」。

 世界を変えるのは「誰か」ではなく、自分自身だ。「自分ひとりが動いたところで、何も変わりはしない」と言うのは、「動きたくない」ための言い訳でしかないだろう。

 アドラーの思想は時代を100年先行したといわれているそうだが、アドラーの思想を凝縮した「嫌われる勇気」が今の混沌とした時代にベストセラーとなり受け入れられているのは、その思想が決して古いものではなく今こそ必要とされている証なのだろう。

 本書が多くの人に読まれることを願ってやまない。

アドラー心理学を凝縮した「嫌われる勇気」-その1 
アドラー心理学を凝縮した「嫌われる勇気」-その2 
 
  



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Posted by 松田まゆみ at 14:42│Comments(0)雑記帳
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