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鬼蜘蛛の網の片隅から › 生物学 › 手放しで喜ぶ気になれないiPS細胞

2012年10月10日

手放しで喜ぶ気になれないiPS細胞

 iPS細胞(人工多能性幹細胞)を作ることに成功した山中伸弥氏にノーベル医学生理学賞が贈られることが決まった。分化した成熟細胞に4つの遺伝子を組み込むことにより、分化前の状態にリセットするということを突き止めたのは注目すべき大発見だ。そうした研究が高く評価されノーベル賞の授与に至ったことは喜ばしいと思う。この分野の研究が、再生医療や難病の治療に期待されるのももっともだろう。

 またiPS細胞は、受精卵を壊してつくるES細胞(胚性幹細胞)の倫理的問題をクリアしたといわれている。しかしだからといって問題がなくなったというわけではない。

 私がどうしても引っかかるのは、人が生命現象にどこまで手を加えるべきかという問題だ。iPS細胞をつくるには、初期化をさせるために細胞に遺伝子を組み込まなければならない。つまり人工的に遺伝子を操作することが必要になってくる。そして、時間を後戻りさせるかのような細胞の初期化。こうしたことは自然の摂理に逆らう手法といっていいだろう。

 当初は4つの遺伝子を組み込むためにウイルスを用いたが、より安全な方法も開発されているという。しかし、もちろん安全性についてはまだ確立されていない。癌化の懸念もあるようだ。

 分子生物学者の福岡伸一さんは、ES細胞やiPS細胞について希望的な見方はしていないようだ。iPS細胞を作成する際の遺伝子操作の問題や、癌化の危険性を指摘している。私も似たような感覚を抱かざるを得ない。

生命観を問い直す 第10章KYな「ES細胞」はがん細胞と紙一重(academyhills)

 もちろん現段階ではiPS細胞から立体的な臓器をつくるまでには至っていないが、福岡さんの説明を読むと、はたして体外で臓器をつくることが可能なのだろうかと思ってしまう。iPS細胞から臓器をつくりだすには大きな壁があるのは確かだろう。生命というのは機械ではないのだ。またiPS細胞は、理論的には人を再生できると言われている。人の細胞からクローン人間をつくりだすことも可能ということになる。クローン技術も自然の摂理に逆行するし、人の再生などというのは決してやってはならないことだと思う。

 人類が幸福を求めて進める技術開発も、必ずといっていいほどデメリットを伴うことを見落としてならない。そして生命の本質に関わる人為操作である以上、開発された技術を応用する前に慎重さが求められなければならないだろう。

 私は、遺伝子組み換え作物は中止すべきだと思っている。種の異なる生物の遺伝子を人為的に組み込むことで、自然では決してありえない生物を作っているのが遺伝子組み換え作物だ。そうしてつくられた遺伝子組み換え作物の花粉が風によって飛散したり虫によって運ばれることで、自然界に遺伝子汚染が広まってしまうことになりかねない。とんでもないことであり自然の冒涜だ。遺伝子組み換え作物などというのはやってはいけないことだったとしか思えない。

 さらに、最近では遺伝子組み換え作物の毒性も指摘されている。

仏ルモンド紙「モンサントの遺伝子組み換え食品に毒性の疑い」 (Canard Plus)

 こういうことが生じるのは当然の成り行きだ。何しろ、生命としてあまりに不自然なものが人の技術によって作られてしまったのだ。危険性が予測されながらも強引に推し進められた結果、後になってデメリットが浮きぼりになってきた。

 従来から行われてきた交配と選抜による品種改良であれば、生態系に大きな影響を与えるようなことは考えられない。しかし、遺伝子組み換え作物は基本的なところで決定的に異なる。それは人為的な遺伝子操作だ。

 もちろん遺伝子組み換え作物とiPS細胞を同列には論じられない。しかし、生命に対して人はどこまで手を加えていいのか、という課題は共通しているように思う。

 原子力は理論的には利用が可能であっても、人類が手をつけてはならないものだったと思う。世界中に原発をつくってしまった人類は、管理のできない危険な爆弾を抱えて路頭に迷っている状態だ。一度手をつけてしまったなら、元にもどすことは容易ではない。というより不可能なのだろう。大きな過ちを犯したというほかない。

 こういうことを考えると、iPS細胞に関してもやはり手放しで喜んでばかりいられない。以下のサイトでも、警鐘を鳴らしている。

ノーベル医学生理学賞【追記】ノーベル財団の図(5号館のつぶやき)

 この記事の最後の部分を引用しておこう。

 これらの技術が簡単に応用可能になる時、その技術を使うべきかどうか、あるいはどう使うべきなのか、それを決めるのはもはや生物学者だけに任せておいて良いことではなく、すべての人類が全員で考えるべき宿題なのです。

 完全なる人災も含めて、「想定外」という言葉で言い表されるような惨事が起こらないとも言えない可能性をはらんだ技術であるということを、ここでもう一度確認しておく必要があると思います。


 人類は自然に逆らうことをやり続け、負の遺産をつくり続けている。どんなに科学が発達しても、理論的に可能であっても、手をつけてはいけない領域がある。遺伝子操作も応用の仕方によってはその領域に入るのではなかろうか。

 デメリットに目をつむってメリットばかりを追求すれば惨事にもつながりかねないし、取り返しがつかなくなることもあり得る。どんなに科学技術が発達しても、否、科学技術が発達すればするほど、私たちは節度を知り自然の摂理に逆らわないという姿勢を堅持していかなければならないと思う。



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Posted by 松田まゆみ at 11:57│Comments(4)生物学
この記事へのコメント
ときどきトラバを付けさせていただいて、ありがとうございます。
囲んでみたら、確かに浮き出てきました。トラバURLが。
ああ。そこまで気づきませんでした。

生物関連、興味深く読ませて戴きました。
自然の摂理を大切にされていると感じました。

しかしようく考えてみれば、農業も料理も、自然の摂理には反します。
賛否の判断には、自然の摂理の、さらに先を考えると、より面白いのではないか、などと思うのですがどうでしょうか。
Posted by タコハマ at 2012年12月10日 22:52
タコハマ様

同じ種類の作物を広い面積に作付けする農業や農薬を使った農業、遺伝子組み換え作物は確かに自然の摂理に反すると思います。生産性、効率性ばかりを優先した結果でしょう。

昆虫は農薬に対してもどんどん耐性ができて効かなくなってきますし、遺伝子組み換え作物も大きな問題を抱えています。

もちろん今の状況をすぐに変えることはできませんが、方向転換をする時期にきていると思います。

極端に自然の摂理に反することを続けていたなら、必ずそのしっぺ返しがくることを私たちは経験してきました。人間も自然の一因であることをわきまえ、自然を支配したり操作しようなどと考えるのは過ちであることをいい加減に知るべきだと思います。

医療行為にしても、手をつけていい分野と踏み込むべきではない分野があると私には思えます。
Posted by 松田まゆみ at 2012年12月11日 12:07
ご丁寧な返コメ、ありがとうございます。
農業は、元々ある植生を広く切り拓いて、別の植物ばかりを植えるものですから、その始まりから自然破壊を行なっています。
この最初の農業と、大規模農業との間には、面積の連続的な変化があるばかりで、その間に明確な区分けがあるわけではありません。
自然の摂理を判断の基準にすると、この罠にハマりやすいのではないかと危惧致します。

もちろん極端に反していれば、必ずしっぺ返しが来ます。
前提が、結論を含んでいるからです。
重要なのは、どれだけ反していれば、どれだけのしっぺ返しが来るのかを見積もることのような気が致します。

大地震は、本当は、たいしたコトではありません。
人間が騒ぐのは、屋根のあるところにいるからです。
原っぱのタヌキやキツネは、たいして死んだり怪我をしたりしないものと思われます。
それでも人間が屋根を作って火を焚きたがるのは、メリットの方が大きいからでしょう。

自然の摂理は、そこで思考を停止させる、大きな力を持っていると思います。
Posted by タコハマ at 2012年12月11日 13:46
タコハマ様

農業も畜産も調理も、その他の文化的生活も、もはやなくすことはできないでしょう。それらはたしかに厳密に言えば自然の摂理に反することかも知れませんが、だからといって今の人類の生活様式が自然と共存できない存在だとも思いません。私が「自然の摂理」に逆らわないというのは、地球の生態系の中で自然と共存できる人間社会という意味です。

農業や畜産など、自然の摂理に反することで地球上の人間がどんどん増えてきたわけですが、今の人口は地球の許容量を超えていると思います。今の人類は自然を破壊し、自然を食いつぶしている存在です。人間がこのまま資源を食いつぶしていったら、やがて滅びる運命しか残されていないように思います。

人類が文化的な生活をすることを前提にした上で、資源を食い潰し自滅するような方向に進むことに歯止めをかけていくべきだと思います。経済成長が永遠に続くなどということはあり得ません。無駄な公共事業で自然を破壊したり、化学物質を多用したり、核を利用したり、資源を食いつぶしたり・・・まず、そういうことを止めていかねばなりません。それが私の言う「方向転換」です。今、方向転換しないと、もう間に合わないような気がします。

そのためには自然を搾取しつづけてきた過去の過ちを反省し、自然に大きな負荷を与えない社会の構築を目指し、最終的には自然と共存できる程度の人口にしていくしかないのかな、と思います。自然エネルギーとて、さまざまな負荷があるのですから。もちろん、長い年月が必要ですが。

もっとも、その前に人類は原発事故や核戦争で滅びる可能性も高いですが。

なお、この記事で指摘しているiPS細胞については、人が「生」や「死」、「病気」をどこまでコントロールすべきなのか、という問題です。医療によって治療できる病気、克服できる病気もあるでしょうけれど、治らない病気もあります。医療を過信したり頼りすぎないほうがよいのではと私は思います。抗がん剤などは命を縮めることすらあります。
Posted by 松田まゆみ at 2012年12月11日 17:08
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