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鬼蜘蛛の網の片隅から › 雑記帳 › 編み物と母の思い出

2015年03月16日

編み物と母の思い出

 昨年、母が亡くなり実家の片づけをしたとき、押し入れから編みかけのセーターと毛糸の入っている袋が出てきた。編み込み模様が入ったセーターの身頃を広げてみると、どうみても子ども用サイズだ。はて、いったい母はいつ誰のためにこのセーターを編んでいたのだろう?

 ほどなくして、歳をとった母が子ども用のセーターを編むとしたなら、それはほぼ間違いなく孫のためだろうと思い当たった。とすれば、私の娘のために編んでいたのに違いない。しかし、何らかの事情で途中で止めてしまったのだろう。時間をかけて編んでいるうちに、孫の体が大きくなってしまって諦めたのだろうか?

 袋には「かせ」になった新しい毛糸も一緒に入っている。今どき毛糸はみんな玉になって売っている。その糸端についた札を見るなら、かなり古い毛糸だと分かる。これはきっと私がまだ子どもの頃に買った毛糸に違いない。

 母は手先が器用で、若い頃にはよくセーターを編んでいた。上諏訪に住んでいた頃は、家族のために手編みのセーターなども随分と編んだのだろう。私が小さい頃のセーターはたいてい母の手編みだった。新宿に越してきてしばらくしてからは、編み機を買ってセーターを編んでいた。編み込み模様の入ったセーターや透かし模様の半そでセーターを編んでくれたこともよく覚えているが、あれは手編みだったのだろうか・・・。

 玩具などろくにない子ども時代、私は母の隣に座り、編み機を操る母を飽きることなく見ていたものだ。本当は私もやってみたかったが、ついぞ口には出せなかった。そして大きくなったら自分もあんな風にセーターを編もうと密かに思った。しかし、私が小学校に上がり母が働きに出るようになると編み物をすることもなくなり、編み機のことは忘れ去られた。

 思いがけなく見つけた編みかけのセーターを手に、そんなはるか昔の思い出が蘇ってきて迷わず持ち帰ることにした。

 毛糸の重さを量ると600グラムはある。これなら大人のセーターが十分編める。そう思っていた折に、偶然にも娘がセーターを編んで欲しいと言ってきた。母が孫のために編みかけたセーターが、大人になった孫のために生まれ変わるのなら、天国の母も喜んでくれるに違いない。そう思って、編みかけのセーターを解いた。

 さて、どんなセーターを編もうかと悩んだ挙句、二本どりにしてアラン模様のセーターを編むことに決めた。昔のセーターの本を持ち出してアラン模様の編み図を書き、ゲージに合う製図を探しだした。

 セーターを編むのは何十年ぶりになるのだろう? 昨冬は靴下を何足か編んだが、大物のセーターを編んだのはもう遥か昔のことだ。一目ひとめ編んでいく手編みのセーターは時間がかかり根気のいる作業だが、私はそんな非効率的な編み物が嫌いではない。交差編みを多用するアランニットは手間がかかるが、じきに編み図を見なくても編めるようになった。そして、先日ようやく編み上がった。

編み物と母の思い出



 アランニットは、アイルランドのゴールウェー湾の入口にあるイニシュモア島、イニシュマン島、イニシア島からなるアラン諸島で生まれた伝統的なニットで、フィッシャーマンニットとも言われている。家ごとに独特な模様が母から娘へと代々伝わってきたそうだ。かつてセーターとは、時間をかけて一目ひとめ編み込んでいく心のこもった衣類だった。

 今の時代、セーターを編むというのは贅沢な趣味なのかもしれない。毛糸代はそれなりにかかるし、もちろん手間暇もかかる。既製品を買ったほうが安い。

 量販店で安い衣類がいくらでも買える昨今、多くの人はまだまだ十分着られる服を惜しげもなく捨てて新しいものを購入する。しかし、それは物を大事にせず資源を無駄にする生活でもある。さらに、その影で安い賃金で働かされている人たちがいる。手作りをすると、そのことを否応なしに実感する。何よりも時間をかけてつくった手作りの服は粗末に扱うことができないものだ。

 大量生産、大量消費時代だからこそ、手間を惜しまず自分でつくってみるという経験をするのは大事なのだろうと思う。



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Posted by 松田まゆみ at 22:02│Comments(6)雑記帳
この記事へのコメント
おはようございます。
ずいぶんご無沙汰でしたが、最近、❝復活❞しました。

セーターのお話、傍で読んでも、懐かしい思いです。

子供のころ、母親が、小さくなったりしたのかどうか、セーターをほどいて、玉にして、また別のものを編んでいた姿を思い出します。
関連ですが、むかしはどこの家(庶民の家でしょうが)でも、布団なんかも、家で打ち直しというのか、仕立て直しというのか、真綿を足したりして、母親らが手ぬぐいの姉さんかぶりでいそしんでいましたね。

何かのきっかけで、心のひきだしが突然開いて、いろんなことを思い出す年齢になりました。心の箪笥はかなり大きく、ひきだしは数えきれないようです。

別件、ごく最近の近況です。鬼蜘蛛姉さんもそうだと思いますが、私も同様に日本文学館と増刷関連で値引き紛争をやっている人と妙な関係になっていて、弱っています。こまったものです。クンちゃんより
Posted by クンちゃん at 2015年03月17日 07:51
 おみごと.袖のゴム編みが長いのは意図したもの?

(誤) ゴールウェイ港
(正) ゴールウェイ湾
かな?
https://www.google.co.jp/maps/@53.0981647,-9.6656756,9z

 毛糸を染色するには脱脂しなければならない.本来のアラン編みは脱脂してない毛糸を使うのだと聞いたことがあります.真偽のほどは知りません.
Posted by Ladybird at 2015年03月17日 09:19
クンちゃんさん、こんにちは。お久しぶりです。

昔はどこの家庭でもセーターを編み直したり、浴衣などもほどいて洗い張りをして再利用したりと、何でも最後まで無駄なく使うことに徹底していましたね。でも、今はなんでもできたものを買ってすぐに捨てる時代。これでは物のありがたみが薄れてしまうと思います。

私も昔のことが懐かしく思い出されることがしばしばあります。そういう年齢になったということでしょう。

日本文学館の関連では、私も呆れ果てています。あのブログを読めば、ブログ主の論理が破綻しているのは明瞭です。しかし、著者でもないのに著者を騙り、よくあれだけ屁理屈をこねられるものだと・・・。
Posted by 松田まゆみ松田まゆみ at 2015年03月17日 10:48
Ladybirdさん

ゴールウェイ港の方が適切のようですね。直しました。

袖のゴム編みを長めにしたのは、その時の気分で折り曲げられるようにと意図しました。

本来のアランニットやカウチンセーターなどは脱脂していない毛糸をつかうそうですが、まったく脱脂していない毛糸というのは匂いがきつくてベタベタしており、とてもそのまま使えるような代物ではないそうです。ですので、ある程度は脱脂しているのでしょう。
Posted by 松田まゆみ松田まゆみ at 2015年03月17日 10:50
何とも鬼蜘蛛さんのイメージからちょっと外れた記事で…
母たちの世代は、みんな編んでいたような気がします。ちょっとしゃれたのを着ていると、どこかのおばさんに「ボク、ちょっと見せてんか」とか言いながら、呼び止められ、細かく観察された記憶があります。
末っ子の私は、表手を広げて毛玉にする糸を持たされていました。懐かしい母の思い出です。
ソレニシテモ、鬼蜘蛛さんが器用なのは、お母様から譲り受けたものなのでしょうか?遺伝子と環境と。
Posted by そりゃないよ獣医さん at 2015年03月21日 14:04
獣医さん、こんにちは。

蜘蛛は糸を編むのは得意なのです(笑)。

おっしゃる通り、一昔前の世代の女性はみな編み物も和裁も当たり前のようにやっていたのでしょう。そうしないと生活自体が成り立たなかったのでしょうから、好きとか嫌いとか得意とか苦手などと言っていられなかったでしょうね。ちなみに、私の母は退職して時間ができるようになったら、カットワークやハーダンガーなどの手の込んだ刺繍に精を出していました。そうしてできあがった作品は友人・知人などにプレゼントしていたようです。

今は衣類はもちろんのこと、食べるものですらお弁当やお惣菜が豊富にお店に並んでいますから、料理ができなくてもそれほど困ることはありません。

でも、何でも買えるからといって生活から手作りが消えていくとしたら、やはり疑問に思わすにいられません。アメリカでは立派な台所があっても冷凍食品や缶詰、宅配などの利用ばかりで、料理らしい料理をしない家庭も多いとききますが、そういう生活が豊かだとは思えません。

家族のために、自分のために食べ物や衣類をつくるという行為は、やはり人の営みの根源的なものである気がします。
Posted by 松田まゆみ松田まゆみ at 2015年03月21日 14:36
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