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2011年12月07日
人口の減少を見据えた社会の構築が必要
少し前に世界の人口が70億人になったというニュースがあった。すごい数だ。大型生物の中でこれほどまで急激に個体数を増やしてきた種は他にいるのだろうか? ちなみに今後の人口がどう推移していくのかという予測が、以下のサイトにグラフで示されている。
世界と主要国の将来人口推計(社会実情データ図録)
今でさえ世界中に飢えで苦しんでいる人たちがいるのに、世界的にみればまだまだ人口が増えていくという。食糧問題はますます喫緊の課題になるだろう。もちろんそれだけではない。地球温暖化をはじめとした環境問題やエネルギー問題がある。こういうことを考えていくなら、早急に人口を抑制する対策を取らねばならないだろう。
このまま突っ走っていたなら、人類に未来はなさそうだ。そのことは先の福島の原発事故でもはっきり分かったのではなかろうか。経済成長ばかりを目指して危険なエネルギー政策を受け入れていたなら、いつかは破綻する。すでに経済成長はあちこちで綻びが生じている。その綻びはいつ大きくなって人類を破滅に向かわせるかわからない状態だろう。
原発事故、地球温暖化、自然破壊、環境汚染・・・と人類は自分たちの生活の基盤となる環境を蝕んできた。このままいけば取り返しのつかないところまで行ってしまうとしか思えない。
日本の人口の変化については以下にグラフが出ている。
人口の超長期推移(社会実情データ図録)
江戸時代は循環型社会だったと言われる。この時代までは資源が無駄なく使われていたといえるだろう。人間の生活は少し前までは自然の生態系の中にうまくおさまっていて、自然に大きな悪影響を与えることはなかった。人口も食糧の生産量と密接な関係があった。
しかし、明治維新以降の人口増加率は目を見張るものがある。ほんの数十年の間に、日本人の生活は驚くべき速さで豊かになり便利になった。しかしそれと同時に自然を破壊し、資源を大量に消費し、大量のゴミを出し、化学物質をばら撒いてしまった。環境に大きな負荷を与えるようになったのだ。このまま突っ走れば取り返しのつかないことになるのは目に見えている。何としてでもセーブしてかねばならない。
ところで日本の人口はこれからは減る一方だ。働き手の数も減っていく。さらに残念ならが原発事故の影響で日本人の寿命は短くなっていくと推測される。日本では人口の抑制策をとる必要はない。働き手の減少とともに経済は縮小せざるを得なくなるだろう。としたなら、経済成長だとかエネルギーが必要だと言った議論はどれほどの意味を持つのだろうか? 原発の廃止はもちろんのこと、近い将来の火力発電の削減もそれほど難しいことではないように思う。
人間も生物の一員でしかない。地球の環境に生かされている以上、地球環境にこれ以上負荷をかけることは自分で自分の首を絞めることに等しい。自国の国土で食糧もエネルギーも賄うためには、今の人口は多すぎる。逆に言えば、人口がもっと少なければ食糧も十分自給できるし、エネルギーも自然エネルギーで賄えるだろう。
急激な人口の減少は、若者が多数の高齢者を養わなければならないので大変なことではあるのだが、今となってはこれは避けることができない。しかし、人口が減っていくこと自体は必ずしも憂うることではないと思う(もちろん戦争や人災で減るなどということはあってはならないのだが)。
逆ピラミッドの社会が立ちはだかっている以上、今の格差社会を解消することがもっとも大事なことではなかろうか。経済成長などという幻想は捨てて循環型社会の構築を目指し、無駄をなくして仕事もお金も分かち合うシステムを構築しなければ、この逆ピラミッドの社会を乗り切ることはできないように思う。
未だに「原発が必要」「エネルギーが必要」と言っている人は、やはりお金と目先のことに捉われている人なのだろう。
世界と主要国の将来人口推計(社会実情データ図録)
今でさえ世界中に飢えで苦しんでいる人たちがいるのに、世界的にみればまだまだ人口が増えていくという。食糧問題はますます喫緊の課題になるだろう。もちろんそれだけではない。地球温暖化をはじめとした環境問題やエネルギー問題がある。こういうことを考えていくなら、早急に人口を抑制する対策を取らねばならないだろう。
このまま突っ走っていたなら、人類に未来はなさそうだ。そのことは先の福島の原発事故でもはっきり分かったのではなかろうか。経済成長ばかりを目指して危険なエネルギー政策を受け入れていたなら、いつかは破綻する。すでに経済成長はあちこちで綻びが生じている。その綻びはいつ大きくなって人類を破滅に向かわせるかわからない状態だろう。
原発事故、地球温暖化、自然破壊、環境汚染・・・と人類は自分たちの生活の基盤となる環境を蝕んできた。このままいけば取り返しのつかないところまで行ってしまうとしか思えない。
日本の人口の変化については以下にグラフが出ている。
人口の超長期推移(社会実情データ図録)
江戸時代は循環型社会だったと言われる。この時代までは資源が無駄なく使われていたといえるだろう。人間の生活は少し前までは自然の生態系の中にうまくおさまっていて、自然に大きな悪影響を与えることはなかった。人口も食糧の生産量と密接な関係があった。
しかし、明治維新以降の人口増加率は目を見張るものがある。ほんの数十年の間に、日本人の生活は驚くべき速さで豊かになり便利になった。しかしそれと同時に自然を破壊し、資源を大量に消費し、大量のゴミを出し、化学物質をばら撒いてしまった。環境に大きな負荷を与えるようになったのだ。このまま突っ走れば取り返しのつかないことになるのは目に見えている。何としてでもセーブしてかねばならない。
ところで日本の人口はこれからは減る一方だ。働き手の数も減っていく。さらに残念ならが原発事故の影響で日本人の寿命は短くなっていくと推測される。日本では人口の抑制策をとる必要はない。働き手の減少とともに経済は縮小せざるを得なくなるだろう。としたなら、経済成長だとかエネルギーが必要だと言った議論はどれほどの意味を持つのだろうか? 原発の廃止はもちろんのこと、近い将来の火力発電の削減もそれほど難しいことではないように思う。
人間も生物の一員でしかない。地球の環境に生かされている以上、地球環境にこれ以上負荷をかけることは自分で自分の首を絞めることに等しい。自国の国土で食糧もエネルギーも賄うためには、今の人口は多すぎる。逆に言えば、人口がもっと少なければ食糧も十分自給できるし、エネルギーも自然エネルギーで賄えるだろう。
急激な人口の減少は、若者が多数の高齢者を養わなければならないので大変なことではあるのだが、今となってはこれは避けることができない。しかし、人口が減っていくこと自体は必ずしも憂うることではないと思う(もちろん戦争や人災で減るなどということはあってはならないのだが)。
逆ピラミッドの社会が立ちはだかっている以上、今の格差社会を解消することがもっとも大事なことではなかろうか。経済成長などという幻想は捨てて循環型社会の構築を目指し、無駄をなくして仕事もお金も分かち合うシステムを構築しなければ、この逆ピラミッドの社会を乗り切ることはできないように思う。
未だに「原発が必要」「エネルギーが必要」と言っている人は、やはりお金と目先のことに捉われている人なのだろう。
Posted by 松田まゆみ at 21:45│Comments(0)
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