鬼蜘蛛の網の片隅から › 河川・ダム › 意見募集をめぐるお粗末
2009年10月20日
意見募集をめぐるお粗末
十勝川水系河川整備計画(原案)への意見募集の締め切りが19日でしたので、18日の夜に帯広開発建設部のホームページから意見を送信することにしました。このページには「意見書に記入の後、送信ボタンを押すと、自動的に記入内容からメールが作成されますので、記載内容を確認して、そのままお使いのメールソフトにて送信してください」と書かれています。しかし、必要事項を記入して送信ボタンをクリックしても、記載内容の確認の画面になりません。うまく送信できないようなので、そのページに記載されているメールアドレス宛にメールで意見を送信しました。
締切日である19日の夕方に意見募集のページを開くと、18日までに寄せられた意見がPDFファイルで掲載されていましたが、私が送信した意見は掲載されていません。うまく届いていないのかと思って電話で問い合わせると「松田さんの意見は、一部が文字化けしていた。また電話番号が書かれていなかった」とのことでした。一部が読めなかったのであれば、すぐにメールで再送の依頼があってしかるべきですが、不思議なことに締切日の夕方になってもそのようなメールは届きませんでした。
そして「あとでこちらからメールを送るので、そのメールの返信に意見書を添付してください」と言われました。5時まで待ったのにメールが届かないので、意見募集用のメールアドレスに意見書を添付して送信し、届いたら知らせてほしいと付け加えておきました。その直後に広報係からメールが届いたので、念のためそのメールにも返信して意見書を添付しました。ところが、どういうわけか広報係りへの返信メールは配信されなかったとのお知らせがMail Delivery Systemより届いたのです。
こんな状態なので、ほんとうに意見書が届いているのかどうか心配になり、20日の朝に広報係の方に電話をしました。ところがいつまで待っても広報係りに繋がらずオルゴールが鳴っています。そのまま10分ほども待たされたでしょうか、携帯電話の方に電話があり、ようやく意見書が届いているとの確認がとれました。また、19日までに届いた意見を21日までにホームページに掲載するとのことでした。ついでに公聴会に出られるかどうかの確認も(公聴会に出られるからこそ、口述希望としたのですが・・・)。
うまく送信できない意見募集ページ、文字化けして読めない部分があっても再送の依頼もしない担当者、配信されない返信メール、繋がらない電話・・・。何ともお粗末なことだらけです。もし、こちらから問い合わせていなければ、不備があったという理由でボツにでもされたのでしょうか? 帯広開発建設部にとっては不都合な意見書なのでしょうけれど、こんな対応には呆れ果てました。
締切日である19日の夕方に意見募集のページを開くと、18日までに寄せられた意見がPDFファイルで掲載されていましたが、私が送信した意見は掲載されていません。うまく届いていないのかと思って電話で問い合わせると「松田さんの意見は、一部が文字化けしていた。また電話番号が書かれていなかった」とのことでした。一部が読めなかったのであれば、すぐにメールで再送の依頼があってしかるべきですが、不思議なことに締切日の夕方になってもそのようなメールは届きませんでした。
そして「あとでこちらからメールを送るので、そのメールの返信に意見書を添付してください」と言われました。5時まで待ったのにメールが届かないので、意見募集用のメールアドレスに意見書を添付して送信し、届いたら知らせてほしいと付け加えておきました。その直後に広報係からメールが届いたので、念のためそのメールにも返信して意見書を添付しました。ところが、どういうわけか広報係りへの返信メールは配信されなかったとのお知らせがMail Delivery Systemより届いたのです。
こんな状態なので、ほんとうに意見書が届いているのかどうか心配になり、20日の朝に広報係の方に電話をしました。ところがいつまで待っても広報係りに繋がらずオルゴールが鳴っています。そのまま10分ほども待たされたでしょうか、携帯電話の方に電話があり、ようやく意見書が届いているとの確認がとれました。また、19日までに届いた意見を21日までにホームページに掲載するとのことでした。ついでに公聴会に出られるかどうかの確認も(公聴会に出られるからこそ、口述希望としたのですが・・・)。
うまく送信できない意見募集ページ、文字化けして読めない部分があっても再送の依頼もしない担当者、配信されない返信メール、繋がらない電話・・・。何ともお粗末なことだらけです。もし、こちらから問い合わせていなければ、不備があったという理由でボツにでもされたのでしょうか? 帯広開発建設部にとっては不都合な意見書なのでしょうけれど、こんな対応には呆れ果てました。
十勝川水系河川整備計画[変更](原案)への意見書
ダムで壊される戸蔦別川
集中豪雨による人的被害は防げる
札内川「礫河原」再生事業を受け売りで正当化する報道への疑問
異常気象で危険が増大している首都圏
居辺川の現状(その2)
ダムで壊される戸蔦別川
集中豪雨による人的被害は防げる
札内川「礫河原」再生事業を受け売りで正当化する報道への疑問
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Posted by 松田まゆみ at 21:39│Comments(6)
│河川・ダム
この記事へのコメント
なんとも苛立つ、お粗末な開建の対応ですね・・・。
基本ができていないお役所仕事が垣間見れます。
個人対個人ではうやむやにされますので、私の場合は
その部署の上司につなぐよう求めています。それでも
だめなら本社(会社の場合ですが・・)に問い合わせ、
お説教を喰らわせています。(^^;)
役人は肩書きにめっぽう弱い人種ですから・・・。
基本ができていないお役所仕事が垣間見れます。
個人対個人ではうやむやにされますので、私の場合は
その部署の上司につなぐよう求めています。それでも
だめなら本社(会社の場合ですが・・)に問い合わせ、
お説教を喰らわせています。(^^;)
役人は肩書きにめっぽう弱い人種ですから・・・。
Posted by 北の旅烏 at 2009年10月21日 08:20
匿名で申し訳ございません、akaezo3006 カミネコンと検索したところ
ヒットしたので、「カミネコンに関する疑問」私と同じ意見をもつ方がいて思わず感激しました。 カミネコン実は私も当初は関与していましたが、あれは公共事業を優位に進めるたみに「市民団体を作り上げ」、民意を優位に宣伝広告として利用する手段に使われていることに疑問を感じ、脱会。しました
ヒットしたので、「カミネコンに関する疑問」私と同じ意見をもつ方がいて思わず感激しました。 カミネコン実は私も当初は関与していましたが、あれは公共事業を優位に進めるたみに「市民団体を作り上げ」、民意を優位に宣伝広告として利用する手段に使われていることに疑問を感じ、脱会。しました
Posted by akaezo3006 at 2009年10月21日 10:23
北の旅鳥様
ほんとうに今回の対応には呆れてしまいました。
意見の書込みフォームからうまく送信できなかったのですが、その原因すらわかりません。今の時代、インターネットを利用してホームページから意見を出す人も多いと思いますので、お粗末としかいいようがないですね。もしかしたら意見が長すぎたのかもしれませんが、公聴会での公述時間は15分以内となっていますから、長い意見にも対応させなければならないはずですし・・・。
100ページもある資料に目を通し、時間をかけて意見を書いたのですから、まじめに対応していただきたいものです。
ほんとうに今回の対応には呆れてしまいました。
意見の書込みフォームからうまく送信できなかったのですが、その原因すらわかりません。今の時代、インターネットを利用してホームページから意見を出す人も多いと思いますので、お粗末としかいいようがないですね。もしかしたら意見が長すぎたのかもしれませんが、公聴会での公述時間は15分以内となっていますから、長い意見にも対応させなければならないはずですし・・・。
100ページもある資料に目を通し、時間をかけて意見を書いたのですから、まじめに対応していただきたいものです。
Posted by 松田まゆみ at 2009年10月21日 11:17
akaezo3006様
コメントありがとうございます。カミネッコンを利用した植樹を呼びかけている新聞広告を見たことがありますが、akaezoさんのコメントを読んで、なるほどそういうこともあるのかも知れないと思いました。
できれば、カミネッコンに関する記事にコメントを入れていただきたかったのですが・・・。以下です。
http://onigumo.kitaguni.tv/e1381441.html
http://onigumo.kitaguni.tv/e1383144.html
コメントありがとうございます。カミネッコンを利用した植樹を呼びかけている新聞広告を見たことがありますが、akaezoさんのコメントを読んで、なるほどそういうこともあるのかも知れないと思いました。
できれば、カミネッコンに関する記事にコメントを入れていただきたかったのですが・・・。以下です。
http://onigumo.kitaguni.tv/e1381441.html
http://onigumo.kitaguni.tv/e1383144.html
Posted by 松田まゆみ at 2009年10月21日 11:24
平成9年の河川法の改正では、環境の整備と保全を河川法の目的に位置付け、地域の意見を反映した河川整備の計画制度が導入されることになりました。これを受けて、河川整備基本方針(長期的な方針)決定後に、学識経験者、地域住民、地方公共団体の長等の意見を反映した河川整備計画(具体的な整備の計画)を策定することとなっています。
ここからが、もんだい。
地域の意見を反映した、という住民を前面にした巧妙な見えない「くさび」が差し込んであります。もともと、河川法の基礎となる法律や文献はヨーロッパのオランダやイギリス、そしてドイツの「お雇い学者」たちが自分たちの意見を民衆の意見を通して政治誘導させるため利用したのが始まりです。
私の読んだイギリスの文献を偶然、旧、建設省河川局 事務次官 y氏に酒の席で私が話したことがあります。
彼は私とは比べることの出来ないくらい高学歴で殆ど私のようなレベルの低い市民など今では記憶にもないと思いますが、その席で私が勤めていた医療関係機関の土地買収の手法をイギリスの河川法にあてはめて、話したことからすべてが始まりました。
ここからその時の話に入ります。
紀元前頃(一世紀~三)世紀のイギリスは、南部を中心に一面の森林だった。その頃は、イギリスの温度は暖く温和で、日本の縄文文化??頃の温度だったはずです。当時、地球全体は今より暖かく海水面が上昇した時代でした。そのその頃、ローマは古い老院を基礎とした植民地経営は、北方の異民族の南下する進入を抑制するために、大規模的に森林を伐採し緩衝地帯を作りました。*これが現在の「遊水地」に変身して行く手法の一歩なのです。
基本的に木を切ることは戦略的に重要な戦略なのです。視界を良くして敵を誘い込む。誘い込む手法は城壁の周りの丘陵的視界を利用した農地なのです。緩衝地帯=農地は日当たりがよく作高も良好で南下して来る北方系の異民族(ゲルマン・バイキング等)には、またとない、糧となるエリアだったのです。*当時の戦争は現在の戦争とは違い略奪を行う小さな行為から始まります。異民族、とりわけ北方系民族は何世紀もの間、少数ずつ南下を繰り返し地域に定住して交配を重ね多民族的な国を持たない民族として増殖をつづけます。
反して当時のイギリスを植民地化して行くローマ系の軍は少数でした。過去には鉄の甲冑と剣で、強制的に制圧し最初に定住した異民族には強力な発言力と血の先例。さらに「同化政策」を繰り返し悪行そのものだったのです。押し寄せる異民族、もし彼らがこの地で同化して巨大な国家を作り発言力や戦闘力を身につければ「我々の植民地的な政策」は水の泡と化す。
それを少数で阻止するのが現在の「流域連携交流会等」なのです。まず、力や権限で押さえつける手法に限界を感じ、基礎となる「城」(法の基礎となるシンボル)を作ることから始めます。城は見晴らしの良いイギリス特有の丘陵地を選び周辺を住民に開拓させると同時に、その土地に住まわせます。
もちろん税は無償です。さらに開拓させる側には農地から作物を与える権限を持たすのです。それがカースト制なのです。
領主となるローマ系の植民地開拓軍は直接的に民間人には厳しい税の取立てや緩衝地帯として作りあげた農地からは強制的に作物を奪い取ることは行いません。基本的には収益を上げる方々、に「信じられないほど狂気」権限でも与えるのです。
話はもとに戻ります
その後も、大西洋方面の暖かい時代は15世紀頃まで続きます。イギリスは、暖かく森林が回復する可能性の高い時代も、農業生産力維持のため、森林の回復を抑制しました。イギリスでは、17世紀になり、小氷河期(日本では天明の飢饉が始まります。イギリスは農業国から工業国への脱皮を計る必要があったのです。イギリスの産業革命を成功した国の引き金は中世の「植民地政策を基礎」を時代にあてはめたわけなのです。
その様な話を酒の席で私が語った事から、すべてが始まりました。いま思えば若い頃の自分は「物知りを自慢する」かのように言ったことを反省しておりますが、まさに「トンビに油揚げをさらわれた。
それが現在の「公共工事を優位に」利用する手法に使われていることに反省する日々をおくる次第でもあります。
話は本題の「河川整備基本方針」変わります。
上記のような事から旧建設省の事務次官(大臣官房y氏)は職権を利用し河川工法の基礎である「ヨーロッパ」やイギリスの民意や(NPO)を利用した「政策誘導の基礎」を作ったのです。
最初に河川は上流下流の民間人を引き合わせ利害関係者を、作り上げます。当然、上流と下流には利害関係がはっきり出てくるのは「あたりまえ」ですね~。そこで仲介に中立を装ったコーディネーターが入り双方の中に割り込みます。さらに専門家と言われる方々が加わり、最終的には地域の首長まで入り流域の利害関係を良好にする様な形で「流域連携等」と称した「関係者達の集団まで発展」させます。
そこで都道府県や国に物を言える土俵を作り上げ「事業を優位に進める方々」に対し優遇を巧妙に作り上げます。
その様なことから、今回の「十勝川河川整備基本方針」が優位に運ぶ形になったと言うことなのです。
同じく「石狩川河川整備計画」なども同様、裏で糸を引く方々に対し、少しずつ小出しで餌を与えているのが俗に言われる「外郭団体」000川振興財団等、一部の利権者のための妙な手法なのです。
正直、ごこまで切り込めるか?は、べつに必ずその「化けの皮をひん剥いて」やります。ちなみに日本で始めて流域連携交流会を発足させたのは「東北の北上川流域連携交流会」なのです。
ここからが、もんだい。
地域の意見を反映した、という住民を前面にした巧妙な見えない「くさび」が差し込んであります。もともと、河川法の基礎となる法律や文献はヨーロッパのオランダやイギリス、そしてドイツの「お雇い学者」たちが自分たちの意見を民衆の意見を通して政治誘導させるため利用したのが始まりです。
私の読んだイギリスの文献を偶然、旧、建設省河川局 事務次官 y氏に酒の席で私が話したことがあります。
彼は私とは比べることの出来ないくらい高学歴で殆ど私のようなレベルの低い市民など今では記憶にもないと思いますが、その席で私が勤めていた医療関係機関の土地買収の手法をイギリスの河川法にあてはめて、話したことからすべてが始まりました。
ここからその時の話に入ります。
紀元前頃(一世紀~三)世紀のイギリスは、南部を中心に一面の森林だった。その頃は、イギリスの温度は暖く温和で、日本の縄文文化??頃の温度だったはずです。当時、地球全体は今より暖かく海水面が上昇した時代でした。そのその頃、ローマは古い老院を基礎とした植民地経営は、北方の異民族の南下する進入を抑制するために、大規模的に森林を伐採し緩衝地帯を作りました。*これが現在の「遊水地」に変身して行く手法の一歩なのです。
基本的に木を切ることは戦略的に重要な戦略なのです。視界を良くして敵を誘い込む。誘い込む手法は城壁の周りの丘陵的視界を利用した農地なのです。緩衝地帯=農地は日当たりがよく作高も良好で南下して来る北方系の異民族(ゲルマン・バイキング等)には、またとない、糧となるエリアだったのです。*当時の戦争は現在の戦争とは違い略奪を行う小さな行為から始まります。異民族、とりわけ北方系民族は何世紀もの間、少数ずつ南下を繰り返し地域に定住して交配を重ね多民族的な国を持たない民族として増殖をつづけます。
反して当時のイギリスを植民地化して行くローマ系の軍は少数でした。過去には鉄の甲冑と剣で、強制的に制圧し最初に定住した異民族には強力な発言力と血の先例。さらに「同化政策」を繰り返し悪行そのものだったのです。押し寄せる異民族、もし彼らがこの地で同化して巨大な国家を作り発言力や戦闘力を身につければ「我々の植民地的な政策」は水の泡と化す。
それを少数で阻止するのが現在の「流域連携交流会等」なのです。まず、力や権限で押さえつける手法に限界を感じ、基礎となる「城」(法の基礎となるシンボル)を作ることから始めます。城は見晴らしの良いイギリス特有の丘陵地を選び周辺を住民に開拓させると同時に、その土地に住まわせます。
もちろん税は無償です。さらに開拓させる側には農地から作物を与える権限を持たすのです。それがカースト制なのです。
領主となるローマ系の植民地開拓軍は直接的に民間人には厳しい税の取立てや緩衝地帯として作りあげた農地からは強制的に作物を奪い取ることは行いません。基本的には収益を上げる方々、に「信じられないほど狂気」権限でも与えるのです。
話はもとに戻ります
その後も、大西洋方面の暖かい時代は15世紀頃まで続きます。イギリスは、暖かく森林が回復する可能性の高い時代も、農業生産力維持のため、森林の回復を抑制しました。イギリスでは、17世紀になり、小氷河期(日本では天明の飢饉が始まります。イギリスは農業国から工業国への脱皮を計る必要があったのです。イギリスの産業革命を成功した国の引き金は中世の「植民地政策を基礎」を時代にあてはめたわけなのです。
その様な話を酒の席で私が語った事から、すべてが始まりました。いま思えば若い頃の自分は「物知りを自慢する」かのように言ったことを反省しておりますが、まさに「トンビに油揚げをさらわれた。
それが現在の「公共工事を優位に」利用する手法に使われていることに反省する日々をおくる次第でもあります。
話は本題の「河川整備基本方針」変わります。
上記のような事から旧建設省の事務次官(大臣官房y氏)は職権を利用し河川工法の基礎である「ヨーロッパ」やイギリスの民意や(NPO)を利用した「政策誘導の基礎」を作ったのです。
最初に河川は上流下流の民間人を引き合わせ利害関係者を、作り上げます。当然、上流と下流には利害関係がはっきり出てくるのは「あたりまえ」ですね~。そこで仲介に中立を装ったコーディネーターが入り双方の中に割り込みます。さらに専門家と言われる方々が加わり、最終的には地域の首長まで入り流域の利害関係を良好にする様な形で「流域連携等」と称した「関係者達の集団まで発展」させます。
そこで都道府県や国に物を言える土俵を作り上げ「事業を優位に進める方々」に対し優遇を巧妙に作り上げます。
その様なことから、今回の「十勝川河川整備基本方針」が優位に運ぶ形になったと言うことなのです。
同じく「石狩川河川整備計画」なども同様、裏で糸を引く方々に対し、少しずつ小出しで餌を与えているのが俗に言われる「外郭団体」000川振興財団等、一部の利権者のための妙な手法なのです。
正直、ごこまで切り込めるか?は、べつに必ずその「化けの皮をひん剥いて」やります。ちなみに日本で始めて流域連携交流会を発足させたのは「東北の北上川流域連携交流会」なのです。
Posted by 流域連携 at 2009年10月22日 14:49
流域連携様
大変興味深く拝読させていただきました。さもありなん、ですね。地域住民や学識経験者をうまく取り込んで、開建の意向どおりに進めるやり方は、相生中島地区の水路掘削を行う際にも強く感じていました。形だけは住民や専門家の意見を反映させたようになっていますが、私から見れば「出来上がっている」としか見えません。まさに権力者による巧みな騙しの構図です。
帯広開発建設部のHPに提出された意見がPDFファイルで掲載されていますが、やらせではないかと勘ぐりたくなるような肯定意見がいくつもあります。一般の市民が、肯定意見をわざわざ提出するものでしょうか? 開建としては十勝自然保護協会や私が出したような本質をついた意見書を出されるのが何よりも嫌なのでしょう。整備計画を正当化するのに支障になるでしょうから。
化けの皮を剥がしていかねばなりませんね。
大変興味深く拝読させていただきました。さもありなん、ですね。地域住民や学識経験者をうまく取り込んで、開建の意向どおりに進めるやり方は、相生中島地区の水路掘削を行う際にも強く感じていました。形だけは住民や専門家の意見を反映させたようになっていますが、私から見れば「出来上がっている」としか見えません。まさに権力者による巧みな騙しの構図です。
帯広開発建設部のHPに提出された意見がPDFファイルで掲載されていますが、やらせではないかと勘ぐりたくなるような肯定意見がいくつもあります。一般の市民が、肯定意見をわざわざ提出するものでしょうか? 開建としては十勝自然保護協会や私が出したような本質をついた意見書を出されるのが何よりも嫌なのでしょう。整備計画を正当化するのに支障になるでしょうから。
化けの皮を剥がしていかねばなりませんね。
Posted by 松田まゆみ at 2009年10月22日 16:35
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